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イギリスの10ポンド紙幣の柄がリニューアルして、イギリスを代表する女流作家ジェーン・オースティンになったのをご存知ですか。ジェーン・オースティンは6篇の小説を残していてすべて秀作です。お話の舞台はイギリスの田舎。交際範囲も限られた世界で、テーマはひとつ、若い女性が生涯を共にする男性と出会い紆余曲折を経て結ばれるというハッピーエンドも同じなのですが、どれも非常に面白いのです。なぜかというと、主人公の女性がみな知的で男性と対等なのでいろんなことが活発に起こるからです。女性が男性の中で都合よく作られた幻想でもマスコットでもないので、物語にリアリティーがあって面白いのです。当時、社会制度としては男女で不平等はまだまだあったのですが、異性と対等でいると人間として尊い体験ができるので(その延長が結婚)、男女が対等でいることは18世紀のイギリスの良心のひとつであった、というのは興味深いですよね。中流階級以上の人々の話ですが。ところで、6作品のなかで私が一番好きなのでは「エマ」です。活発でおせっかい焼きで失敗もする主人公エマが私に似ていると感じてしまうのもありますが、「エマ」の中で一番好きなところは、神経質で常に体の不調を訴えているエマのお父さんのことを、誰もじゃけんにしないところです。核家族が進んだ現代社会だったら、こういう面倒くさい年寄は押し付け合うか、ひとりで住むことになるでしょう。「エマ」でも、面倒くさい人は面倒くさい人という認識なのですが、面倒くさいけど可哀そう、気の毒、と思って捨てておきません。周りの人はお父さんのことを常に気にかけてあげなくてはと思っていて、そして、毎日訪問して話し相手になってあげているのは、なんと、娘婿のお兄さんです。お父さんにとって娘婿のお兄さん、って直接血がつながっていない遠い親族ですよね。結局、その人がお父さんも引き受けます。もうひとり、立場の弱い中年の女性が出てきますがみなでいたわります。(いたわりを忘れたエマが将来の旦那さんにたしなめられるのはとても印象的なシーンです)。こういう当時の人々の人間力を見せつけらるのが「エマ」です。お互い毎日のように訪問しあって、困っている人を捨てておかない、そういう社会で楽しまれたのが、小説の中で素敵な出来事として盛り込まれているカントリー・ダンスです。そういうことを踏まえて見ると、ただのイベントではない、人としての温かい付き合いの中で生まれた人間力の結晶に思えます。
2017年12月11日
私は、パンやお菓子を作るのが好きです。作らない日はないと言っていいくらいよく作っています。あるとき、ホームベーカリーでパンがうまく焼けない、と知り合いから相談されました。ご存じのとおり、HBはこねる、発酵させる、焼く、と大事なところはすべて機械がやってくれるので、自分が行うのは材料を選定する、計量する、電源を入れる、コースを設定する、だけです。あと、焼けたら取り出すこともかな。とにかく失敗するポイントが少ない。それで、いろいろ聞いてみると、計量の仕方が目分量とかスプーンでぽいぽいとか、適当なやり方をしているというので、たぶん、それではないかなと思いました。それで私のレシピを差し上げて、適切な計量器を使ってまずはきちんと計量することを勧めてみました。そんなことを話をしているうちに、その人が化学畑出身で、大学の研究所で実験をしていた経歴の持ち主であることを思い出しました。実験も計量します。なので化学の人にとって計ることは慣れているはずです。パンも化学実験だと思って応用すればイージーだったのかもしれませんね。このように、ある分野で得意なことを慣れていない他の畑で生かさずまっさらな気持ちになってしまう、ということはよくあることです。自分がよく知らない世界でも自分の中の精通した感覚を応用してみることは割と容易です。感覚を平行移動していくような感じです。これまで生きてきた中で身体を使っていろんな経験をしてきたことを、他のことで何か応用できないかな、という視点でいるといろんなことが簡単になって楽しいです。例えば、音楽のリズムについて。リズムって難しいな、と思ったとき、どうしていますか?メトロノームをにらめっこして練習するのもいいアイディアですし、何かを叩いてみて打楽器的な世界からリズムを理解してみよう、というのもいいですよね。でも、応用という観点から見ると・・・みなさんは歩きますよね。歩くとき、どんなリズムを使っていますか。急いでいるとき、ゆっくりと散歩しているとき、リズムは違いますよね。一定のリズムで歩くことができますか?歩くとき2ずつ、3ずつに数を数えたことはありませんか?工夫次第でいろいろできると思います。
2017年12月06日
当然のことながら、先日、私が観たオペラはハレのもの。その日が来るのを指折りの数えて待ち、一緒に行く人と楽しみにして、いつもより念入りに身支度をして出かける。劇場で着飾った人を眺めるのは楽しいし、ちょっとした社交のシーンもある。終わった後も繰り返し感想を語り合い、調べ物をして復習したり、素敵なシーンを思い出しいつまでも楽しむ。ハレのイベントは、単純な毎日の刺激となって明日を生きる活力になりますね。これは、昔の人もきっと同じであったでしょう。もとは庶民が生活の中で楽しんでいたトラディショナルの音楽でも、ハレの性質を持つ場面はありますね。昔で言うと、収穫祭や五月祭、結婚式やなにかのパーティーや週末のちょっとした集まりも、いつもとは違うハレの場面でしょう。今では、セッションやライブに出かけていくこと!!セッションはすでに日常である、という強者もいるかもしれませんが、多くの人にとってお店に出かけ人前で演奏し他の人と会話したりする機会はやはり特別感があるものでしょう。しかし、トラディショナルの音楽は、もう一方でケの要素を残しているのがとてもユニーク。一日の終わりに、今日の疲れを癒すためにお気に入りの曲を弾く。家族に好きな曲を弾いてくれとリクエストされる。家族が一緒に口ずさむ、フィドルの周りで踊る。子供にフィドルの手ほどきをしてやる。子供たちは、フィドルを子守歌に聴きながら眠る。ただの楽器の練習ではない、そんなケのシーンを楽しめる、日常の芸術トラディショナル・フィドルが私はたまらなく好きです。
2017年11月17日
先日、大阪フェスティバルホールで行われたハンガリー国立歌劇場のオペラを観てきました。演目は「ルチア」でプリマドンナは現代のマリア・カラスと謳われたグロベローヴァさんです。観てきました、といっても、私はもともとオペラファンでもなく、身内が関係者という恩恵に与って世界の超一流の総合芸術を観に行かせてもらうことになった、というのが正確なところです。関係者のみなさんによくしてもらって何をどこまで書いてOKなのか分かりませんが、私がフィドラーということに絡めて面白かったことを書こうと思います。オペラに詳しい人の評ではないのであしからず。まず、作品の「ルチア」はもとはスコットランドで実際に起こった事件をスコットランドの小説家ウオルター・スコットが作品にしたものをイタリア人がオペラに仕立てたものです。1835年初演だそうですから、イギリスは黄金期のヴィクトリア朝のはじまり頃で、啓蒙時代を経て人々が人間の善良さを信じたロマンチックだった時代。内容は「ロミオとジュリエット」の様な、「ジゼル」の様な、結ばれない恋と政略結婚にまつわる悲劇です。登場人物の名前は全員イタリア風でも、舞台演出で女性のドレスを紺や深緑にしてスコットランド風を出すのが定番のようです。当時の人々が、カトリックとプロテスタントで王家が長年対立し、また、族(クラン)の結束を大事にするスコットランドのイメージのままに、ロミオとジュリエットに似た現代版の事件として、リアル感を持って驚きと涙でオペラを観たであろうことは想像に難くありません。今は、自由恋愛推奨で誰でも好きな人と結婚していい時代ですので、こういう結婚の縛りは日本の伝統の心中物も同じで実感として理解できないテーマになりつつあるのではないでしょうか。オペラは盛んに作られた当時は、当然その時代の流行りものか、誰も見たことのない新しいものをやっていたわけで、トラッドも当時は流行りものの当世風ポップス。(そして、クラシックの世界は新しいものを生まなくなって古典となり、トラッドは様式だけを保って新しいものを生み進化し続けています。)古典は定番として傑作でもテーマが古く時代に合わなくなってきているものもあるというのは本当でしょう。とはいっても、ヒロインの心の動きは伝わってきます。それが伝播して会場全体が不思議な雰囲気になってきます。オペラのプリマドンナはただの歌手ではなく女優です。上手に歌えることと演じることは別物で、最高の技術を兼ね備えた女優は人を引き込む力も本物です。しかも、プリマのグロベノーヴァさんは御年70歳! 役はおそらくティーンの設定ですが、多感な乙女にしか見えないのです。また、歌の技術にも陰りがまったくないことを特筆しておきましょう。ほんとうに信じられません。 私たちは老年のフィドラーがよい演奏をするのを知っていますが、体が楽器である声楽家がいつまでも遜色なく歌うのはよくあることなのでしょうか。体と精神のケアの途方もない努力を思って気が遠くなりました。舞台裏のことも書きたかったのですが、最後に、歌、音楽、間合い、動き、場面展開、どれをとっても舞台全体の印象がとっても自然である、ということに気が付いたことを書いて終わりにします。あとで指揮者に「音楽が場面場面に合っていて自然でそれがとても自然で、感情移入して劇を楽しめた。」と言ったのですが、伝わったかしら?トラッドでよく、楽しい感じを演出するために演奏者が作り笑顔で演奏したり、ノリに乗っている風を出すために足をけり上げたり体を大げさにゆすったりして演奏している、その様子が不自然なことに気になったりします。本当に技術がありこなれたものは、力が抜けていて自然に観ることができるのですね。私も音楽をすっかり理解して身について、楽器が体の一部となって、欲もなく、音楽の集中力だけを夜の明かりのように頼りにして、自然に演奏できるようになりたいなと思いました。
2017年11月14日
近鉄大和西大寺駅近くの会場でアイリッシュセッションします。近鉄大和西大寺は大阪からも京都からもアクセスいいです。近隣の方も、ぜひぜひ、お越しください。あらかじめ曲目を決めてするスタイルを取っています。「Irish古都セッション!」第3弾!日時 10月15日(日) 13:30~15:30終了予定 13:15開場場所 西大寺北地域ふれあい会館参加費:500円紅茶とお茶菓子を用意しています❤曲目など詳細は→http://www.geocities.jp/fiddletamiko/events.html
2017年10月01日
8/11(金・祝)Irish古都セッション!第二弾!All musicians, All levels, Welcome!! 日時:8月11日(金・祝)17: 30スタート 17:10頃からお部屋に入れます。(19:30終了予定)場所:西大寺北地域ふれあい会館 奈良市西大寺東町1-1-15 (近鉄大和西大寺駅より徒歩3分)参加費:Donation ★休憩時間に紅茶とお菓子のサービスあり定員5人先着順 予約が必要です。曲名はHPにて確認してください。
2017年08月08日
奈良のアイリッシュ・セッション第二弾です。All musicians, All levels, Wellcome!!と、いうことで、すべてのレベルに対応しています。ハウスセッションのようなアット・ホームな会を目指しています。雰囲気はアット・ホームですが、全部をしっかり演奏すればかなりハードですよ。どうぞお気軽に来てください。予約は要ります。日時:8月11日(金・祝) 17:30~19:30 場所:近鉄大和西大寺駅徒歩3分の会場詳細と予約、曲目は→HP
2017年07月14日
先日、奈良の興福寺(あの五重の塔があるお寺)で仏教の講話を聴く機会がありました。私なりに音楽にからめて聴いていて、面白いなと思ったことを書きます。まず、仏教の基本的なこと私たちは八つの意識があって、まず、5つは見るとか聞くの五感ですね六番目がいわゆる心で、七番目が自分の過去の経験則。八番目が自己愛。六番目までは、寝ると途切れてしまうものだけど、あとの二つは寝ても途切れずにアイデンティティーを維持するもの。面白いですね。五感は、五つに放たれる矢となって対象物に飛んでいき、わが物として取り込みたいという渇きに似た強い欲望が生まれるそうで、欲望は性愛や食物摂取のような生き物としての根源的なものだけでなく、音楽などの技芸についての 教養的知識獲得への思い も含むそうです。みなさんが、音楽と出会って、とりこになっている様は、まさにこの通りではないでしょうか。五つの矢が飛んでいくとかすごくイメージできませんか!音楽が好きなのは 渇きに似た強い愛着 なんですね。 こうしていろいろと取り込んでいくのは、人生の三つの目的のひとつであるのだけど、しかし、あれやこれやを取り込みすぎるとがんじがらめになって悩み苦しむよ、ちゃんと取捨選択しなさい、という注意付きが仏教らしいですね。でも、大事なことだと思います。それから仏教から「菜根譚(17世紀の中国の書)」について話は飛びますが「自然の美しさや、音楽などに触れて、芸術をゆっくり楽しんでいると、俗塵にけがれた心もだんだんに洗い流されるようだ。道楽にふけるようになっては本心を見失ってしまうが常々、自然や芸術の環境の力を借りて、俗化しないように心を整えることを心がけるとよい。」そうです。道楽にふけるようになっては本心を見失う、というのは、鍵ですね。道楽とは、具体的に、お金をつぎ込みすぎたり、時間を使いすぎたりすることでしょうか。本心とは、正しい心のありかたのことで、本来の目的である「音楽(芸術)によって心を整える」ということから外れるな、ということですね。講和は面白かったです。また、行ってみたいと思いました。毎月第二土曜日13:00から@興福寺 興福寺仏教文化講座 入場無料
2017年07月11日
古楽は、英語表記ではearly musicといい、バロック期(1750年ごろまで)を含むそれ以前の音楽をオリジナルの楽器を用いて演奏する、ということでトラディショナル音楽は18~19世紀にまでさかのぼれますので、一部時代が重なっています。トラディショナル音楽は、アイルランドのバロック期の作曲家ターロック・オキャロランと、スコットランドの18世紀のニール・ガウや19世紀のジェームズ・スコット・スキナーなどの作曲家を例外として、基本的に 作者不詳の音楽 を扱うのが特徴です。古楽では、逆に、作曲者によって作曲されたものが中心のようですが、イギリスの当時流行のカントリーダンスのチューンブックである、通称プレイフォード「Playford's Dancing Master(1651~1728)」も作者不詳の音楽ながらその範疇である、というところが面白いです。イギリスの曲においては、同じ曲を古楽とトラッドの 2つの異なるアプローチでもって 演奏されることがある、ということです。古楽とトラッドが、時代を同じくすることによって生まれる共通点は、そのほとんどが ダンスチューン(舞曲) である、ということで双方とも、踊りやすいリズムをつけて演奏することが求められるのですから、バロックヴァイオリンやフィドルのような擦弦楽器では、長いスラーよりも、適宜に弓を返してアクセントをつけて弾く、など必然的に似てくるのは興味深いです。ボウイングが似ているのですね。一番の違いは、古楽は、当時演奏された様式をディティールにおけるまで研究し、再現する、ということに重きを置かれるのに対してトラッドでは、素材(曲)を古い時代に求めながらも、今を生きる 演奏者の現代的な感覚 と(作曲者や当時の時代の解釈でなく) 演奏者自身のスタイル を重視し、また、現在も新しい曲が作り続けられている、進化する伝統 である、というところだと思います。同じイングリッシュチューンを双方のアプローチで演奏されるのを聴き比べると、それらの相違が明らかで大変面白いです。
2017年07月07日
将棋のことが話題になっていましたので、ニュースで見ていました。ひふみんという愛称で呼ばれている、将棋の大家の評判がとても良いので注目していました。一つのことを追求して学んだ専門家の中には、気難しく、がんこで、怖い感じになる人もいます。日本の時代劇なんかでよく出てくる、白ひげを蓄えた剣の達人や、無口の刀鍛冶職人なんかが分かりやすいイメージです。けれども、ひふみんさんは、人間のあたたかさがぐっと全面に出てくるような満面の笑みが魅力で、専門を極めた末に、人物完成もなしとげられたのかなと思いました。みなさんの周りにもこういう専門家はいませんか。私の周りには、フィドルのピート先生、ヴァイオリンの先生などすぐに思いつく人がいますよ。優しくてあたたかい先生たちです。もともとの性格かもしれませんが、専門家になると、こうでなければいけない、誰々のこういうのは間違っている、ケシカラン、というのに気を取られがちな人もいます。プロや愛好家を問わず、私たちは、なぜ、音楽をやっているのかというと人間を豊かにするためにやっている のであって、こだわりの強い、いじわるで、難しい人間になるためにやってるわけではありません。ピュアであろうとしてだんだん狭くなっていくのではなく、追求していく物事を一つの窓口として、広く世界が見える、厳しい自らの努力の末に、人間愛に目覚めていくそうして豊かな教養を持ち、音楽を通じて哲学や詩も見える、ひふみんさんのように、人間らしいあたたかさが出るような 人を目指して、努力していきたいものだと思いました。
2017年07月03日
以前、日本でも超有名なフィドラーのワークショップを受けたことがありました。先日、そのフィドラーの動画がFBで回って来たので改めて観たのですが、フィドラーのすく近くにマイクがついているのですね。それも2本、彼のほうに向かっています。会場はお部屋のような仕様のスタジオ、伴奏者にはマイクがついていないです。マイクを立てるときはバランスですから、例えば、フィドルとギターだったら、音の小さいギターのほうだけマイクを付けたりします。録音用に全体に一本という場合もあります。それで、ワークショップを受けたとき、彼のフィドルが蚊の鳴くような小さな音だったことを思い出しました。学校の教室くらいの大きさの部屋でほとんど聞こえないくらいだったのです。他の参加者たちも、あらっ、聞こえないわ~、という感じで、顔を見合わせたりしていました。彼は、どうやって有名になったのでしょう?確かに、FBの動画に観るように、彼の演奏はとても上手です。そうです、マイクを通すと、とても上手に聴こえるのです。そういうフィドラーは他にもいるんじゃないかと思いました。フィドル、ヴァイオリンはとても大きな音が出る楽器です。他に生音を聞いたことがあるフィドラーでは、ブルース・マクレガーさん、エイダン・オローケさん、カトリーヌ・マクレガーさん、マーレイード・ニ・ムイニーさん、そしてピートクーパー先生も、圧倒されるような音量で演奏します。50人くらいのお部屋ではマイクは通常必要ないです。私もピート先生ほどではないですが大きな音を出せます。この前、300人くらいのホールを生音で演奏しましたが、大丈夫だったみたいです。クラシック音楽のヴァイオリニストでも、鼓膜がかゆくなるくらい小さな音で弾くプレイヤーがいますが、要するに、楽器をちゃんと鳴らすのも技量のうちだと思います。フィドルは、近年では、いつもマイクを使っても誰も変だとは思いません。でも、昔はマイクなんてありません。せいぜい50人くらいのスペースで、人に聴かせるボリュームの音で演奏するのも、求められる技量のうちだったに違いないと私は思うのです。
2017年06月27日
2017年6月18日(日)Irish古都セッション! All musicians, All levels, Welcome!! 日時:6月18日(日)14: 00スタート (16:00終了予定)場所:八 木札の辻交流館 奈良県橿原市北八木町2丁目1番1号 近鉄大和八木駅より徒歩5分 参加費:Donation ★休憩時間に紅茶とお菓子のサービスあり(定員10人)要予約。参加ご希望の方は、メールフォームに送信してください。 送信に不具合がある場合は、fiddletamiko◆gmail.com (◆を@に替えて)メー ルください。 会場となるのは、指定文化財である江戸時代の建物、旧旅籠。 奈良の昔からの交通の要所であった辻を見降ろしながら、古い日本の建物でアイリッシュを演奏したらきっと楽しい!フィ ドル、コンサーティーナ、ウィッスル、フルート、ギター・・・・。楽器を持ち寄ってご参加ください!曲目を公開しておきますので、初心者の方でも参加しやすいよ うになっています。たくさん演奏して帰ってくださいね。曲目など詳細は→http://www.geocities.jp/fiddletamiko/
2017年06月01日
本国のイギリスでも評判をとっているBBCの歴史ドラマ「ダウントン・アビー」。日本では、今、第4シリーズがNHKで放映されています。イギリスのドラマや映画は時代考証をきちんとして作られているものが多いので、当時の生活、衣装、風習を知るよい題材としても見ることができます。今回もエドワード朝の習慣や作法が専門の歴史学者が監修に入っているそうなので、細かいところまで見逃さないようにして見ています。さて、話はタイタニック号が沈没した1912年から始まり、今は、ジャズがロンドンにもやってきた1920年代半ごろあたりです。イギリスの時代物を描く際、ダンスシーンは外せないはずなので、民族的なものが消えゆく20世紀初頭に、伝統音楽がちらとでも出てこないかと、ドラマの中での時代の変移を見守っていました。第一次世界大戦中の1916年に屋敷で行われたパーティーでは、ヨーロッパ風のワルツなどの社交ダンスでした。下の階(調理場)でも、下働きのデイジーが新しいステップを教えてもらうシーンがあります。あれも、流行の音楽です。屋敷の長女メアリと相続人のマシューの若い二人がお互いの思いを伝え合うダンスシーンは、当時出たばかりの円盤レコードを蓄音機にかけて、ダンスはヨーロッパ風の社交ダンスでした。戦争が終わった1920年あたりに、スコットランドの親戚のうちに一家で泊まりに行ったとき、スコットランド育ちの貴族の娘ローズが、スコティッシュリールのステップを侍女に教えそれを二人でひそかに練習して、パーティーの時、侍女が難しいステップで弾むようなソロリールを披露してみんなを驚かせるシーンがありました。曲は、スコットランドを代表する曲Fairy Danceでした。ローズは、18歳の設定で伝統色が濃いスコットランドの土地では、このような上流階級の若い世代でも、伝統的な音楽に合わせて、伝統的なダンスを楽しむ機会があったというのは興味深かったです。呼ばれているバンドメンバーの中にフィドラーもいて、私たちがやっているまさに、伝統のジャンルの音楽とダンスが見られたのは、ドラマの後にも先もこのシーンだけです。一方、イギリス人は、40代のお父さんも20代半ばのメアリも、民族的で伝統的なダンスについてはよく知らないようでした。イギリス人は普通はスコットランドのダンスは踊りませんし、紳士淑女の階級で踊られていたイギリスの伝統的な社交ダンスは、トマス・ハーディーが生きていた19世紀後半ぐらいまでで消えてしまったので、それは、当然なのですが。ジャズは1920年代にアメリカで発明された新しい音楽でしたが、それがロンドンに輸入されて、楽しまれたそんな時代です。スコティッシュ・リールのステップが踊れるローズも、ジャズを楽しみます。当時の人にとって、誰も聞いたことのない、まったく新しい音楽というのはどんなにエキサイティングだったでしょうか!イギリスでは、20世紀初頭は文化や社会情勢がどんどん変化していった時代であり、伝統的な音楽は、オックスフォードやコッツウォルズや他の田舎の祭りのシーン以外では、日常的にまったく見られなくなり、新しいものを吸収していくのに忙しい時代だったのでしょう。イギリスの伝統音楽が見直されるのは、次の60年代のフォークリバイバルまで待たなければいけません。
2016年02月23日
先日、二月七日に、「アイルランドと奈良の民話語りフェスティバル」にアイルランドのクレア在住の作家でありストーリテラーであるエディー・レニハンhttps://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Lenihanさんが登壇するというので行ってきました。ご存知の通り、トラッドの音楽と、ストリーテラーは切っても切れない関係です。ストリーテラーの話は、昔に起こった殺人事件、人生の教訓、恋物語、歴史もの、妖精物語、ほんとうの話、奇妙な話などを、表現力豊かに話だけで聞かせるものです。話に節をつければ何十番もある長い歌詞のある歌になったりもします。節がよくできていれば器楽演奏されるものもあります。エアの中の歌由来と言われる中にはそういう場合もあるのです。夜になると闇に帳が下りるような電気のない時代には、怖い話、奇怪な話が、よりリアリティーをもって人を惹きつけたのではないでしょうか。そういう話が多い印象です。ストーリーテラーの、人々を物語に引き込むような語り口に関しては、日本でいえば落語に似ているかもしれない、と、私は思っています。エディー・レ二ハンさんを見ていて、ストリーテラーは、声優(私は市原悦子さんの日本昔話のTV番組のシリーズを思い出すのですが)や落語家のように、そういう役者っぷりの強い人が向いている、ある種の才能によるところがあるのではないかと思わずにはいられませんでした。さて、日本の昔話は、もはや「生きた話」ではなく、どちらかというと、本の朗読、または、それを暗記するという方法が普通だと思いますが、エディー・レ二ハンさんは1950生まれとのことですから66歳、子どものころ年寄りから聞いた話を記憶して語っているまさに「生きた話」です。こういう人の話を直接聞けるのは驚きです。いくつかのお話のうちで、クレアの盲目パイパーのギャレット・バリーが、ある家で体験した取り換えっ子(changling)の話がとりわけ興味を引きました。みなが出払った家の中でギャレットがパイプを気ままに演奏してると、かごの中の赤ん坊が立ち上がって、「お前さんの演奏もなかなかだが、俺はもっとうまいのを聞いたことがあるよ。」と、しゃべりました。家の人たちが戻ってきたところで、それを話すと、主人が火箸をまっかに焼いて、赤ん坊に近づけると、「ギャッ」と叫んで妖精が窓からすっとんで行き、その家のほんとうの赤ん坊がドアの外に戻されて置かれていた、という話です。ギャレット・バリーは、フィドラーのみなさんもご存知の秀逸なチューンGarrett Barry's (Jig)のその人で、彼は、1899年没ですから、ギャレット・バレーの間に1~2人はさんで、レニハンさんが聞いた話、ということになるので、ギャレット・バリーを大変身近に感じ、すごく不思議な気分になりました。
2016年02月08日
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。本年度もフィドル関連のアウトプットを、ぼちぼちですがしていきますのでよろしくお願いします。さて、最近、「日本(人)を悪く言う海外かぶれ」という言葉をネット上で目にしまして、今どきの教育を受けた洗練された現代人とは思えない感覚にびっくりしました。とっさに、「井の中の蛙大海を知らず」という言葉を思い出しました。私の子ども時代には、赤塚不二夫の漫画の「おフランスでは~。」とやる「ざます。」キャラクターがいたし、少し前に流行った「欧米か」のお笑いのネタも面白いし、私も、「欧米ではね~なんだよ!」と、「~」に、とてつもなくどうでもいいことを入れて、家で「西洋かぶれ」「イギリスかぶれ」の自虐ネタで笑ったりします。「海外かぶれ」は、とっくに使い古されたギャグにもなっているのに、日本(自分)を批判された気分がして面白くないなんて、まじめですよね。確かに、旅行では、限定された時間にいいところばかりを見ますから、あたかも海外のすべてが優れているように思えてしまいがちで、こういうのはバランスを欠いていて論外ですが、住んだりしてもっと日常の深いところにタッチできると、旅行の時とは違って、その国のいいところと悪いところが、半々くらいに見えてくるものです。例えば、私の感想ですが、イギリスの悪いところは、世襲的な格差社会、移民や有色人種に押し付ける仕事の内容が差別的、公立の初等教育に地域によってムラがあること、大学などの高等教育に進める人が学費の面で選択される、医療、住宅事情、交通関連、税金が高いらしいこと、場所と時間帯によって治安が悪いこと、日本人は有色人種から2次的差別を受けること、郵便物が盗まれること、服のサイズがないこと、子どもが出入りできるレストランはファーストフードしかないこと、冬の日照時間に体が慣れない上にサマータイムもある、などなど、たくさんあります。一方、いいところは、議員がほぼ全員が大学出て高等教育を受けた人ばかりでタレント議員がいないこと、人々が議論好きなこと、タクシーが値段が高いけど安全でレベルが高くて気持ちのいいサービスが受けられること、在宅で託児が受けやすこと、公共の場では、人々は小さなことで声をかけ助け合うこと、自慢の自宅のガーデンを披露し一般公開するシステムがあること、ピクニックが最高なこと、自然が美しいこと、家々の庭が美しいこと、田舎が素晴らしいこと、BBが非常にいいこと、成人(生涯)教育が充実していること、フィドルがあること、などなどこちらもたくさんあります。総じて、私は、日本とイギリス、どちらに住みたいかといえば、日本なんですよね。いろいろ見たけど、日本が一番いいです。もし、イギリスに生まれていたらぜったいにフィドルやって、フィドル弾きまくっていたいのになあ、とは思いますが(フィドラーのみなさんの中にも同じこと思う人が多いみたいですが)、私は、日本生まれの日本人で、日本の人と、日本の歴史・文化が大好きなんですよね。ここで、改めて日本のよいところは何か、と、確認しておきますと、外国のいいところを取り入れて、悪いところは反面教師にする、取り入れたものは、日本流にアレンジして自分たちによって具合がよいようにする、ということではないでしょうか。奈良時代から、明治の頃も、そして、現在でもそれは続いていると思いますよ。こういう絶妙なバランス感覚で取捨選択できるのが日本人のよさです。日本は世界の一流国のようですが、取り入れたい海外の文化や考えはまだまだたくさんあると、私は思っています。フィドルが、日本のクラシック音楽で愛されているヴァイオリンとは違ったやり方で、そして、より、日本人の気質にあった方法で広まって定着するといいな、と、ずっと考えています。
2016年01月13日
みなさんは、セッションに参加したことがありますか。どんな雰囲気でしたか?ホストの人はウエルカムでしたか?ほかの参加者は親切でしたか?場に打ち解けることができましたか?なにか演奏できましたか?楽しかったですか?アイルランドでも日本でもどこでも、セッションは集まるグループによって、「よく弾かれる曲」というのが違うのは普通です。アイリッシュチューンの“スタンダードナンバー"はあるようでないというか、とにかくグループ(常連の面々)によって違うのです。日本人が大好きなKesh JigやThe Bank of Irelandなどは、アイルランドでは誰でも知ってるという訳でもないのです。日本では、CDの影響が大きいのですね。日本で知られていない曲も、アイルランドではまだまだ、たくさんあるはずです。楽譜や音源がなければ普通は知りようがないですからね。セッションに行くのなら、楽器の初心者を脱出して、曲が完全に弾けるようになってからです。レパートリーが多くなくても大丈夫です。少なくても自信を持って弾ける曲を3曲、セットにして用意していきましょう。それだけでいいんです。セッションを仕切っている人が、参加者に順番に曲出しをお願いしてくれるでしょうから、自分の順番が来たら、それを演奏したらいいのです。せっかく用意した曲が先に演奏されてしまっていても平気です。自分はこの曲が好きなんだという気持ちで弾きましょう。また、セッションでは、上手な人が混ざっているときがあります。そういうときは、なにがなんでも合わさなければいけない訳ではありません。いい演奏家の演奏は、ソロで弾いてもらって周りはじっくり耳を傾けるのもアリです。そういう時間があってもいいですよね。日本では、「演奏したい!」が優先して、他の人の演奏を「聴く」という余裕がない感じなので、そういった風景はあまりないようですね。それにしても、覚える気にもなりそうもない曲が、延々と続くときはさすがに気がめいりますね。一番楽しいのは、先生が主催してくれるセッションに参加することです。だって、その楽器用の(フィドル用の)すばらしい曲のオンパレードで、それも、ほとんど全部一緒に弾けるとなると、それが一番楽しいに決まっています。それ以外に、私が、今までで一番印象に残っているのは、ロンドンのハンマースミスのアイリッシュセンターで行われたセッションです。大勢(20人くらい)集まっていたのですが、とっても上手な人が楽器もさまざまに5,6人はいて、新入りが気まずい思いをしないように親切に話しかけたり、曲だしも平等に割り振って、合わせるときもきちんと人の演奏に耳を傾けながら繊細にさぐりさぐり合わせて、演奏も盛り上がりました。キャラクターのいい人には、中級者でもソロ演奏をさせていました。私も、たくさん弾いたわけではなかったけど、終わってとっても楽しい気持ちが残りました。それから、日本のパブにお願いしたいですが、はやく禁煙になってほしいです。たばこの煙の中で演奏するのはつらいですわ。。
2015年11月30日
子どものことで恐縮なんですが、練習とレッスンとずっと傍らで見てきていますので、ヒントになる点もあるかもしれないと思って書きます。ちなみに、私は、譜の読み方を聞かれたとき以外は何も口出ししていません。それから、最初が肝心なので、先生について習っています。子どもは中1でギターをはじめまして、今でちょうど一年たったところです。最初、アコースティックギターの楽器を使ってコードを覚えたり、簡単な指弾きの曲などからスタートしましたが、コードはあっという間に覚えてしまい、クラシックギターの方がいろいろなテクニックを学べるので、楽器もクラシックギターを手に入れて、全部クラシックギターの内容にしてもらいました。レッスンでは、音階、練習の曲、曲という3段階メニューです。これは、私もフィドルの時にするやり方と同じです。中学生なので、学校の行事、部活、勉強、と忙しく練習時間は長くは取れません。けれども、さっとケースから楽器を取り出して、気軽にギターを触るんですね。ほとんど毎日触ります。15分のつもりが30分になることもありますが、それでもまあ、長い時間ではありません。朝、学校に行くまで時間があれば10分でも、夕方は少し落ち着いて、そして夜に時間があれば少し。こんな感じで多いときは一日3回くらいです。練習の時間帯は固定ではありません。その日の都合によりけりです。内容は、メニュー通りにやることもありますが、好きな曲をいろいろと弾いたり、気のおもむくままです。そうしてある日、先日のことなんですが、彼女のギターが、突然、音楽に聞こえ出して、音色も心地よく、聞いてうとうとしてしまう程でした。それは、ほんとうにある日突然に起こりました。ある日を境に変わったのです。音楽になったのです。音色も美しいものに変化していました。これは驚きました!!一年間、ずーーっと、成長の様子をつぶさに見ていたので感動の瞬間でした。練習の方法は、生活パターンとその人の性格によってみんな違うので、彼女と同じようにしたらいいと言っているわけではありませんよ。けれども、楽器を習い始めの最初の一年間をゆるやかな上昇カーブを途切れることなしに登ったら、次の段回に出れた、ということではないでしょうか。みなさんにもこんな変化が訪れたでしょうか。まだの人も、必ず訪れることと思います!!ファイト!!
2015年11月25日
演奏に客観性をもたせるのは、いろんなやり方があります。録音する、録画する、は、すぐに思いつきますよね。やったことある人は多いでしょう。録音は、私は、出来上がった曲の最終仕上げとしてよく使います。自分で思ってる以上にここはもっと盛り上げないと、とか、この部分はもたつきがあるのでもっと押さないと、とか、とにかく、細かい点を修正をするのに役立ちます。なので、もしかしたら、初心者の人でなく、中上級者向けかもしれませんね。というのも、初心者の人が自分の演奏を聴いて、ここがダメだな、ここはもうちょっと、と発見できても、フィードバックとして、じゃあ、実際どうしたらいいか、というところが分からないと思うからです。動画は、音というよりパフォーマンス性を見ることができますが、これも、中上級者にとって、顔がうつむいている、動きがなさすぎる、と、反省を今後に生かすこともできるでしょう。けれども、初心者の人は、自分の不自然な点に気が付けても、じゃあどうしたらいいのか、どういう風に修正していったらいいか、やはり、やり方に悩むと思います。私は、演奏しながら客観視することが一番大事と思います。練習の時も、本番のときも、演奏の時は常にです。名フィドラーが目をつぶって一心不乱に演奏しているのを、カッコだけ真似してはいけないし、無意識の?演奏を目指しても、自分に酔ってもいけないわけですね。ちゃんと自分のしていること、その結果起こっていることをつぶさに感じ取って、フィードバックできることは、すぐにしてみる。体の中のすべての感覚器とすべての筋肉を意識化して、どこがどうなっているのか自分に問うて自分を客観視して、絶えず自分の中にいろんな発見しながら、いろいろにやってみるのです。そんなに難しくありません。初心者の人ももちろんできますよ!
2015年11月19日
最近、かわいがってた小鳥が死んで、悲しいです。悲しい時は、思いっきり悲しんでいいと思っていましたが、その気持ちに身をゆだねていますと、ぼんやりして精神活動が衰えたり、胸が痛くなってきたリ、これでは病気になってしまいそうだ、と感じました。こういった悲しみは、非常に大きいストレスになり、ストレスは、思いもかけず、心身の重い病気の原因になったりします。いくら死んだ者がかわいそうだからと言っても、どうしたって生きている者が大事ですので、病気なんかになってはいけないのです。ペットなので度を越したらいけない、というのではなくて、心の動きとして、病気になるほど自分を追い詰めてはいけない、という話です。こういうとき、自分を客観視できると、心の動きから距離をとることができて、クールダウンできます。ああ、今、自分は悲しんでいるんだな、と思うだけでも、自分に少し距離が出てきます。客観的視点と言うのは、実は、フィドル演奏でも、ファッションでも、メイクでも、美術、マーケティング、結婚生活、その他、いろんなことに大事ですよね。近目になっていては、主観的になりすぎて(ヒロインになりすぎて)、いいものや悪いものに気が付きにくくなります。いいものや悪いものがわからず、好き嫌いの感情が最優先されると、自己分析ができず、自己満足の世界になってしまいます。人間、どうしたって近目になりやすいので、ときどきは遠目にする癖をつけて、自分を客観視して点検するように心がけると、ちょうど、バランスが取れていいのではないかと思います。心もフィドルも同じ。
2015年11月13日
TVで、最後に「プロフェッショナルとは?」と、問う番組がありますね。毎回、返事が違っていて面白いですね。視点や心構えによって、答えは変わってきます。要するに、その人なりの哲学なのでしょう。私にとってプロフェッショナルとは、アレンジメントができるレベルのもう一歩先の、クリエイティブなことができるか、創造性が発揮できる域にあるかどうか、だと思っています。例えば、私は、編み物と洋裁ができますが、製図を理解して、きれいに仕上げることができます。売っているものより素敵なものが作れます。アレンジメントを施して、いろいろにデザインを変えることもできます。でも、それは、創造ではなく、あくまでアレンジにすぎません。なので、編み物と洋裁は、どんなにいいものが作れても、私はプロではありません。私は、フィドルとお菓子つくりもしますが、創造の域に入ったと思います。要素要素を理解し、自在にイメージ通りに、クリエイティブなことができます。なので、私自身で、プロだと思っています。世間では、「お金がもらえるかどうかが、プロかどうかだ。」「それで生計を立てていけるかどうかが、プロだ。」と思う人も多いでしょう。でも、コピーやアレンジメントの域で、お金をもらうことはできますし、クリエイティブなことができていても、お金にならない、また、お商売にしていない、こともあります。アレンジメントか、クリエイティブなのか、というところは、やっていることの本質の話で、両者は似ているようで、世界が段違いです。ぜんぜん違います。
2015年11月11日
先日、うちで飼っていたセキセイインコのリトルが死にました。ペットを飼ったことがない人、小鳥を飼ったことがない人にとっては、それが悲しくてたまらないのです、と言っても、理解できないと思いますが、ほかの種類の生き物と心の交流がある知らない世界の話、と思っていただければ幸いです。とにかく、私の家族のメンバーと昨日まで楽しく暮らしていた小鳥がいなくなって、家族一同、喪失感にさいなまれています。このリトルは、古文の竹取物語や徒然草を暗唱するおしゃべりインコでしたが、音楽が好きで、うちで聞こえる楽器の、フィドルとギターとピアノ、まれにアコーディオンの中でも、とりわけフィドルの音色が大好きでした。フィドルは、私の子供も弾くのですが、子供が弾くときは、うまい時は「いいね!」という感じで、一緒に歌ってくれるのですが、鳥的に!?、そうでもないと思っているらしいときは、歌ってくれないのです。私が弾くときは、音階練習の時から歌ってくれて、曲に入ると、熱心に歌詞をつけて歌ってくれます。私が、ぴた、と不意に演奏を止めると、小鳥も、ぴた、と、歌うのをやめるので、それを何度もやってみて、まるで、歌の「だるまさんが転んだ」みたいだと、可笑しかったものです。手乗りなので、かごから出して遊んでいるときに、私が演奏してる左肩に留まって、フィドルの楽器に片足を少し掛けてみて、「足がしびれるね~、ヴァイオリンすごい振動だね~。」と言わんばかりに楽しんだり、弓を枝に見立てて、動いている弓に留まられるのは勘弁でしたが。小鳥は、夜が早く7時半には暗幕をかけて寝せるのですが、私のフィドルの音が聞こえると、寝ていたのに暗幕の中で歌ってくれたものです。そんな私の一番のフィドルファンの小鳥が死んだのです。まだ2歳半で、元気な若いオスでした。あまりに急でしたので、いまでも、まだ、そこにいるような錯覚に襲われます。もう、一緒には歌ってくれませんが、私は、これからフィドルを弾くときは、リトルに喜んでもらえるように、リトルに聞かせてあげる気持ちで弾こうと思います。そして、音楽が、悲しみによりそうものである、というのを、今ほど、しみじみと感じたことはありません。
2015年11月09日
前回、ライブでの録音録画は、マナー違反、というお話をしましたが、伝統音楽のライブを、クラシック音楽を鑑賞するときのマナーを当てはめるべきだ、とは、私は、ぜんぜん思っていませんよ。音楽のバックグラウンドが違うので、演奏の場も違いますし、お客さんの楽しみ方だって違います。伝統音楽は、もともとは、ダンスの伴奏だったので、ずっと、注目されるべきはダンスのほうでした。けれども、すばらしい演奏家もいることだし、演奏を演奏として聴いてみよう、となったのは、20世紀になってからだそうですね。だから、伝統音楽のライブの方式は、今だって試行錯誤であるわけです。日本の人は、クラシック音楽のときのように、みな黙って演奏家に注目して聴くのが好きですが、イギリスやアイルランドでは、たいてい、片手に何かドリンクを持って聴くことが多いのではないでしょうか。演奏が始まる前は、友人たちとおしゃべりの時間を楽しみ、それはまるでパーティーのようににぎやかで、音楽が始まったら静かに耳を傾ける。パブでもホールでも、こんな、スタイルが主流のような気がします。日本のパブのライブで、「ガイジン」が、どんちゃん騒ぎをしていて、演奏はまったく無視されて誰も聞いていない、という驚きの光景を目撃したことが何度もありますが、大騒ぎをしている「ガイジン」は、たいていアメリカ人のようでしたが、日本人のお客も同じ態度の人がいますよね。それは、やっぱり、文化を理解しない人たち、マナー違反と言っていいでしょうね。パブだからといっても、日本では事情が違うので、ミュージシャンが演奏する場を間違えている、といってもいいかもしれませんね。また、「アルタン」など世界的にも有名グループは、ロックやポップスのメジャーなグループのスタイルをとって、海外ツアーなどでは、1000以上も入る大きなステージで、マイクを効かせて大音量でコンサートをしていますが、私は、そういうスタイルは、音楽の性格から外れてしまうように感じて、あまり好きでありません。伝統音楽の良さを失わずに聴くことができるのは、せいぜい50人のお客さんと、響きの良い、生音の、こじんまりしたアットホームな会場。これが、一番じゃないかなと思っています。こんなツアーでは外貨獲得できないですが。
2015年11月06日
先日、フランキー・ゲイビンのコンサート会場で驚いたことには、スマホやipadなどで、演奏中にも動画や撮影をしたお客さんが、かなりいたことでした。仲間に撮られてなんぼ、勝手にアップされてなんぼのサークル活動なら、話題拡散のためにいいでしょうが、すでに有名で、お客さんもきちんと集まる人にとって、撮られるメリットは実はあまりありません。それより、映画館でもアナウンスされている通り、会場では撮影行為自体が迷惑行為になる場合が多いです。フラッシュをたけば、演奏者に迷惑ですし、それでなくても、機材は光っていますし、機材を掲げて手を挙げると、後ろの人が見えなくなってしまうことがあるんです。また、演奏者を映して勝手にアップすることは肖像権侵害にあたります。演奏者の「生」写真がほしければ、たいてい、演奏後にそういう交流の時間を取ってくれますから、そのときに、直接、お願いするのが礼儀です。いくら、相手が有名人であっても。伝統音楽は、カジュアルな雰囲気で行われますし、ミュージシャンやスタッフもフランクな人も多いので、お客さんのほうが、そんな場に甘えて録音録画をしているというのは、ちょっと大人じゃない。だって、そんな人も、クラシック音楽のコンサーに行けば、ぜったいに、そんなことしないでしょう。伝統音楽だと大丈夫で、クラシック音楽だとダメそうだ、なんて、そんな都合のいい「マイ・ルール」はナシですよ。ライブは、この瞬間を共有して楽しもうという集まりですから、今、この瞬間に起こっていることを自分の目で見るということを楽しんでみてください。そして、録音したものをほしければ、どうぞ、CD買ってください。SNSにライブに行ってきた報告をしたければ、自分で撮ってきたものでなくて、ミュージシャンのHPか、主催側のイベントHPをリンクしてください、という、あたりまえの話です。
2015年11月04日
昨日、フィドルの神様、フランキー・ゲイビンを聴いてきました。CDでは、チューイングを一音?上げていて、音が複雑すぎて、どうやって弾いているかわからなく、ぜったいに真似できないフィドラーのひとりだったんです。なので、実際の演奏見ることができて幸せでした。フランキーは、恰好がおしゃれですよね。最近では、白いシャツ、それも、襟の台が高いタイプのおしゃれなものを、襟元を空けて(ときにはアスコットタイなどして)着こなし、三つ揃えで登場し、暑くなってきたら、上着を脱いでベスト姿で演奏するんです。伝統音楽のプレイヤーは、ジーンズにTシャツとか、汚い恰好でステージに上がる人が多いのですが、フランキーは、格別おしゃれです。演奏中、横顔がよく見えたのですが、ギリシャの彫刻みたいにきれいで、巻き毛も手入れしていてきれいです。とってもおしゃれなんです。これは、彼の本質だと、私は思いました。外見に美的センスが表れている通り、彼の音楽もおしゃれなんです。重音をふんだんに使って、メロディーのアレンジや、装飾音が美術で言えば多色使いのようで芸術品です。そういう工夫をずっとしてきて、彼独自の音楽の世界観を作り上げてきたのですね。これは、もう、真似できるものではありません。ただただ、フランキーを見ていました。本物の音楽家で芸術家を。最後に、招聘してくださった方々に感謝します。私も経験がありますので、大変な事業ですよね。まず、コネクションがなければできないし、それなりにお金もかかり、労力や周囲の人の多大な協力もあっただろうと思います。ありがとうございます。そして、招聘ミュージシャンのコンサートは、ぜひ、ソロの生音で聴かせていただきたいですね。お友達招聘の場合は、特に、招聘される側が現地(日本)のお友達にいろいろと気を使うので、演奏中に、嘘はつけない自分の芸術面と、現生の義理のはざまにある、一種独特の表情をされます。それが見て取れてしまうと、つらいですね。
2015年10月31日
先日、奈良の正倉院展に行ってきました。http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2015toku/shosoin/2015shosoin_index.html聖武天皇は、音楽もたしなんでいたそうですね。私のお目当ては、石の笛と、ルイ・ビトンに似ていると評判の背板が美しい模様の琵琶です。石の笛は、戦後の調査で、宮内庁の雅楽の奏者が実際に吹いてみた、という音階の録音が、会場に始終流れていました。音階ばかりで、曲も吹いてほしい、と思ってしまいましたが、不思議な音程と音色でした。現代の一二音階とは違うからか、素材のため作りが正確にできないからか、ちょっとずれて聞こえるんですね。アイルランドの音階でも、ずれる音程があるので、そういう音程に耳が慣れていると、太古のというか、昔風というか、なんとも味わいのある音に聞こえます。石の笛なんて見たことがないですよね。内側をなるべく薄く削っているようですが、なんといっても素材が石なので、2Kgはあるかな、と、思いました。重さの記載はありませんでしたが、こんな重たそうなものを横に構えて演奏するのは大変でしょうね。琵琶は大きい楽器ですが、楽器の厚みがちょうどヴァイオリンくらいで、表板の孔が、ヴァイオリンよりも小さ目です。ネックが、折れ曲がったタイプです。楽器が大きく、板自体も振動してたでしょう。裏板の象牙や木などをはめ込んで模様にしたところは、音の振動がどうなのか気になりますが、今日では、楽器というよりも、美術工芸品としての価値を見られているので、音はもはや問題でないですね。フィドルでは、はめ込み模様は、周囲につけられたものはときどきありますね。当時の、このように手の込んだ高価な楽器は、最初から皇帝や王様用にと作られた物なのでしょう。となると、使ったとしても、世俗の音楽とは違い、儀式用、神秘的要素の強い音楽で、そこには、現代では当たり前な、演奏者と観客といった対峙した関係はなく、演奏者は美しい楽器を愛でつつ、自分と楽器から広がる世界を、奏者自身が楽しむ、といった風だったのでしょうか。まあ、伝統のエアを弾くときは、そんな感じになるときがあるのですが。それは冗談ですが、千年以上も前のもので、しかも状態がよいですから、みなさんも、ぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。京都に来たルーブルとは比較にならないくらい込んでいますが、平日の3時以降がましだそうです。
2015年10月29日
楽器演奏する人でなりやすいのが腱鞘炎だそうです。特に、ギターの人がよくなるみたいですね。腱鞘炎の根本的な治療は、手を「使わない」ことですから、実質的に、音楽生命を絶たれてしまうことになります。初心者は、どうしても左手を強く握りしめる傾向がありますし、ギターは、セルフスタディーの人も多いでしょうから、それを指摘してもらえる機会がないまま、ずっときてしまうとよくないですね。そして、若い人で、練習する時間がたっぷりある人は、要注意です。五時間も六時間もぶっとうしで、練習に熱中して、かつ、手に力が入りっぱなしだと、腱鞘炎になるのも無理はないかなと思います。ギターもフィドルも、演奏の格好が似ていますから、抱える問題は同じと思っていいと思います。ただ、みなさんのように、お仕事を持っている大人の人がフィドルを弾く分には、練習時間が圧倒的に少ないので、そんな心配はないと思いますよ。いかに力を抜くか、いかに少ない力で楽に動かすか、力を入れるポイントはどこか、といった研究と、練習もがむしゃらにやっても、実は、あまり効果がないので、いかに、いいメニューを組むか、という点も大事なんですよね。
2015年10月28日
みなさんは、アルプスの少女「ハイジ」をご存知でしょう。アニメは、映像も内容も声優もすばらしくて、よかったですよね。私は本も読みました。小学校の時だったと思います。本のほうが、社会問題、精神疾患について、(おじいさんの)大人の生きにくさについて、シリアスな場面が多いですね。本の中に、「ハイジは進歩もするが退歩もする。」という章があって、「進歩」、という言葉は知っていたけど、「退歩」という言葉は初めて知ったので物事や人の成長は、右上がりにずんずん上っていくばかりではなく、後ろ向きに下がることもあるのだ、というのがすごく印象に残りました。フィドルは、時間の経過とともに、日々、上達していくものだと、そんなイメージどおりであったらいいのですが、たぶん、前にできたことができなくなっていたり、忘れてしまったり、また、前にはなかったへんな癖がついていたり、「退歩」することもあると、思ったほうがいいです。人間は、そのほうが自然なのだと思います。なので、ちょっとでも油断すると、国や、民俗、文化、文明といった大きい単位でも、凋落していきますよね。歴史って、そうだと思いませんか。練習も、一段ずつ確実に登れるように、また、前の注意を忘れないように、不断の努力があってこそ、やっと「進歩」できるのだと思います。
2015年10月22日
右手の指を切ってから1週間ちょっと経って、傷に触るとまだ痛いのですが、練習を再開しました。久しぶりに弾くと違和感を感じるのは、傷のあるほうでなく、左手の人差し指の付け根、第3関節あたりです。ヴァイオリンを弾くのに、左腕は、内側に半ひねりくらいする格好になるのですが、腕をひねりつつ構え、そして、人差し指を後ろに引くようにして音をとる(E線のナチュラルのファとか)箇所がありますが、それが、やっぱり日常の動作にはぜったいにない、ちょっと無理をするヴァイオリン独特の恰好なんですね。人差し指の付け根が固いと、ネックにフィットしなくて、手が浮くような感じになります。手が浮くと、ファーストポジションの「基点」が持てないので、音程をとるのが、非常に難しくなりますね。私は、しばらく練習すれば、それはすぐに取り戻せると思いますが、左手の付け根、ネックとの接点は、やぱり、運指のポイント、力学的な要なので、みなさんも、ちょっと注意して練習してみてください。
2015年10月21日
実は、右手の人差し指を怪我しまして、1週間ほどフィドルを弾いていません。台所で包丁の角で浅く切っただけなので、重症ではないんですが、痛みが残っているのと、傷が開いてしまうので、イベントが何もないことを幸いにお休みしていました。痛みがあるときは、何もしないのが一番です。とは言っても、もし、コンサートの予定があったりしたら、たとえ、左手の指の先を切ったとしても、接着剤でくっつけて、最悪の状況の中での最善のコンディションでなんとかしようと思いますし、レッスンなどは、それは、もう、普通の顔をして行います。セミプロの世界は、契約違反でお金が発生する、といった「責任」はないので、ごめんなさい、体調悪いですと、穴をあける人も実際にいますが、でも、レッスンします、コンサートします、出ます、と言った以上は、私は約束を守りたいと思いますね。それは、期待にはこたえたい、誰もがっかりさせたくない、という、サービス精神みたいな、生まれつきの性質からくるものでもあるし、舞台俳優が「親の死に目にはあえない」という覚悟で、舞台に穴を開けないように頑張っているのと同じですよね。フィドラーといえども。でも、そんな状況でなければ、怪我をしてしまったときは、無理をしないで、完全に治すのが、復帰への一番の近道であるに違いありません。
2015年10月19日
今の10~20代の人にとって、コンピューターは、生まれた時からあったので、まるで、ずっと前から世界に存在していたかのように使いこなせるように、若い人にとって、トラディショナル・ミュージックもしかり、ではないでしょうか。うちの娘も、一番上がアコーディオンを手に入れて、弾き始めて、弾く手はおぼつかなく、探り探りなんですが、頭の中には、うちで小さい時から聴いていたり、また、アイリッシュダンスを習っていて聴いているアイリッシュミュージックの曲とリズムが、しっかりと入っていて、弾き始めると、みるみる、現地さながらの雰囲気なので、びっくりします。ほかの同世代のくらいの人たちも、似たような感じらしく、いわば、2世といっていいでしょうか。私たちが、なんかノリが変だなあ、とか、どうやっても日本人だなあ、なんていろいろ悩んで言っていたのがばからしいほど。現地の人たちと遜色ない、どころか、日本人の器用さもあいまって、現地でもエクセレントな、すご腕のダンサーやプレイヤーたちが、ぞくぞく登場なのではないでしょうか。YOUTUBUもあるし、英語はべつに垣根でも何でもないし、なんといっても感覚がインタナショナルで、ティーンのころに知った文化というのは、本物志向になるんです。うらやましいし、すばらしいですね。ひたすら楽しみですね。
2015年10月16日
フィドルミュージックは、個性を発揮したプレーヤーたちがたくさんいて、面白いです。どのプレイヤーも弾き方、音色、表現力、みんな違っているので、優劣なんてつけられない、みんな素晴らしい!!いつか、あんな風に、個性的な演奏ができたらいいなと思いますよね。習うことは、なんでも最初は、真似なんですが、ノリ、リズム、テンポ、装飾音、そんな基本的なことも真似るのは難しいですよね。表面的な浅いところで真似しても、やっぱりおかしいのです。おかしいノリ、へんなリズム。不自然な体の動き。一番重要なことは、常に、美的かどうか、ということです。適切で美しい装飾音、一定のリズム、音楽に身を任せることで体が動き生まれる自然なノリ。すべてに意味があり、すべてが美しくなければ。それは、クラシック音楽がそうで、フィドルミュージックはそうじゃなくていいんだ、というのは、違うと思います。「美」の種類が違うだけで、卑俗の世界にも「美」があり、フィドルミュージックもアートだと信じています。フィドルをするってことは、芸術に取り組んでいて、芸術的センスを問われているんですよね。
2015年10月13日
みなさんは、レッスンで先生の前で弾いたり、人前で弾く機会があったりするとき、緊張してがちがちになってしまったりしませんか。普段、家でリラックスして弾いているときは、もっとうまく弾けるのに、と、くやしく思ったことはありませんか。緊張を克服するノウハウは、実はいろいろあって、例えば、家で練習するときに、本番さながらに、大勢の前で演奏しているイメージで行う、というのがありまして、私なんかは、人前ではあがってしまいがちなので、そのやり方でしているのですが、そうすると、普段から、ある程度の緊張と集中力の中での練習になります。ストレスにさらされた状況が常で、精神的にしんどい場合があります。私は、セミプロなので、こういうしんどいのは当たり前でいいのですが、しかし、これがもし、趣味でフィドルをする人がこの方法をすると楽しくないんじゃないか、と思いました。普段、家で弾いているときの方が時間として圧倒的に多いのですから、のびのびと十分にリラックスして、練習としての演奏を大いに楽しむのがいいですよね。発表会などで緊張してうまくいかなくても、それはご愛敬。緊張を、人生の刺激剤としてたまに楽しむくらいがちょうどいいですよ。ちなみに、来日するミュージシャンが、コンサートであたかも友達の家で演奏するみたいに楽しそうにリラックスして演奏をするのは、ほとんどの人が、訓練の賜物だと私は思います。
2015年10月10日
みな等しく同じ24時間を与えられて、いろんなことをしている人は、すきま時間に何かやっている、のだそうです。これを、こつこつ習慣にするのだそうです。普通だったら、ぼーっと、して過ごしてしまうところを、10分、15分の、ちょっとした時間があれば、何かひとつやる。これが、「時間を作るコツ」だそうです。でも、フィドルを練習するのは、10分、15分という訳にはいかない・・・。少なくとも、30分や一時間、まとまった時間がほしい。(やり始めれば、一時間なんてあっという間に経ってしまいます。)例えば、夕食つくりまでに、1時間あるとき、お茶を入れて、ティータイムブレイクしたいところを、フィドルの練習をする。例えば、いつもだったらニュースを見るけど、それをやめて、フィドルを弾く時間にする。YOUTUBUサーフィンをしてしまうところを、フィドルを弾く。私は、最近、こうした方法をとっています。時間泥棒のツールは、TVやネット、ゲームなどスマホのアプリです。楽しいけれど、身にならないことには、要注意。何気ない暇つぶしよりも、人生を豊かにする暇つぶし(!?)にシフトしていきましょう。
2015年10月07日
一日中、音楽ばっかりできたらいいなと思います。毎日、毎日、家の用事で、忙しくて仕方がないので、朝から晩まで、ヴァイオリンばっかり弾けたら、どんなに幸せだろうと思います。実は、それはやったことあります・・。フィドルの先生をイギリスからお呼びして、コンサートツアーしたときなどは、ほんとうに、朝起きて目が覚めてから寝るまでフィドル、フィドルでした。イギリスにいたころ、泊りで地方のワークショップに行った時も、吸収することがいっぱいで、朝から晩までフィドル漬けでした。そのうち、同行した私のおちびたちが、パパと一緒になってビービーと文句を言い出すし、けれども、あれは、あのときにしかできないことだったので、がまんして付き合ってもらうしかなく、かわいそうでしたが、人生の中で、また、時間がたぷりできて、そういうことができたらいいなと思います。ジュリア・クリフォードみたいに、子育て終わってから、旦那と大きくなった息子と一緒にロンドンセッションデビューしたんですよね。けれども、私は、今は、一家のお母さんで、妻であるので、普段は、家のことでとても忙しいです。生活しながら、いかに、フィドルを練習する時間を確保するかが課題です。そこらへんは、みなさんと悩みは同じです。夜になって、さあ、やっと時間ができたぞ、と思ったら、なんだか、へとへとで、もう体力が残っていない、ということもあります。前に、娘の高校の先生に教えてもらった、「時間を作る秘訣」が役立てないかなと思っています。字数が多くなってしまったので、また、後日書こうと思います・・・・。
2015年10月07日
有名な曲、というのは、あります。有名というのは、例えば、ほんとうにいい曲で、海を越えて広まってみんなが知っているという場合もありますし、近年では、レコードやCDが出たことで、有名になったりします。もっと狭く、ある地域でだけ有名な曲というのもあります。私は、「有名」という場合には、「よく知られた」、という言い方をしたりします。たぶん、そのほうが、この場合に「有名」が指す意味に当てはまってると思うのです。有名な曲は、やっぱりいい曲がほとんどですが、「有名でない曲」の中にも、いい曲はたくさんあります。「有名でない」が、「あまりよくない」を指すのでは、ぜんぜんないのです。有名な人っています。すばらしい演奏、功績、人気者、メジャーデビューした世界的なプレイヤー、宣伝が上手な人。でも、有名でない人の中にも、いい演奏家はたくさんいて、それは、当たり前で、そういうことは、みんな知っていて。そういう世界があるというのが、この音楽の深いところですよね。そもそも、有名でない演奏家が作ったたくさんの曲の恩恵に支えられているのが、伝承音楽の世界ですし。例えば、ある曲をある人が教えてくれて、膨大な曲の中から、ひとつがフォーカスされて、曲が自分のところにやってくる。それこそが、今、まさに起こっている伝承の一シーンであって、そこに、深いグラティチュード(敬意)がこめられます。それは、当然、主観的なもの(自分だけの物語)なんだけれども、その経緯を大事にするのが、伝統音楽のハートだと思っています。要するに、人を大事にする、ということですよね。私は、そういうところがいいな、と思うんです。
2015年10月05日
フィドルを弾いている姿というのは、自分では、正面しか知らないものですね。後ろから見ると、背骨が側弯症のように曲がる人って、いますよ。構えるとき、左肩で楽器を「お迎えに」行くようにする人は、そうなるかもしれません。お年を召していて、どこも痛くなければ、それはぜんぜん構わないと思いますが、若い人、20歳までの人は、体が柔らかいので、気をつけたほうがいいと思います。あと、ひどい前かがみ、ひどい猫背になって弾く人も、同じです。もともと猫背なら、治らないのでいいと思いますが、普段はまっすぐなのに、ヴァイオリンを弾くときだけ背骨が前弯になってしまう人は、その姿勢をやめる余地はあると思いますよ。背骨は、骨格として体を支えている以外に、重要な中枢神経も通っているので、脊椎を痛めたりしたら大変。楽器をしない人ですが、変な姿勢を続けていて、頸椎を痛めた話を聞いたこともあります。姿勢だけで、体を悪くすることがあるんですね。姿勢は、二足歩行の進化の恩恵を、きちんと享受できるようにするものだと思います。。
2015年10月02日
人生も折り返し地点を過ぎてくると、あちこち、体の不具合の話を聞きます。もちろん、楽器をやっている人ですよ。手がしびれる、指が硬直する、手に激痛が走る、腕がぴくりとも動かなくなった、首がおかしい、肩が上がらない。という話は、よく聞きます。楽器が弾けなくなったら悲しいので、そういう話は、聞いているほうも怖いです。整体や、鍼灸、マッサージなどで、たいてい、よくなるみたいなので、体のサインには、十分敏感でいましょう。痛みは、黄色信号です。幸い、今のところ、私は、何もないですが、とにかく、家事やフィドル、パソコンなど、手の使い過ぎで、手が疲れてしょうがないです。特に左手をよく使うようで、左手の手のひらが凝ります。左ききではないけど、左手を使うのが得意なんですよ。手が疲れたら、その都度、手をぶるぶると振って力を抜くのは、昔、ヴァイオリンの先生に教えてもらった方法です。手のひらのマッサージは、音楽のお友達に教えてもらいました。これは、人にしてもらう方法です。フィドル体操は、フィドルの先生に教えてもらいました。全身体操なんですよ。私は、指を一本一本、付け根からマッサージするのを、しょっちゅうやっています。肩が固まってしまわないように、寝るときと寝起きは、ストレッチしています。
2015年09月30日
子供っぽい演奏、というのは、分かるでしょうか。子供が習いたてのバイエル(ピアノの教則本)を弾いているような、学校帰りにリコーダーを誰かが吹いているような。それも、ほのぼのとして、いいですよね。昨今では「騒音」が厳しいので、そんな光景もノスタルジーなものになってしまったかもしれませんね。でも、すてきな大人が、いつまでも、子供っぽい演奏でフィドルを弾いているのは、ちょっと似合わないと思うのです。メロディーを追いかけているうちに、一本調子の面白みのない演奏になっては、実に、もったいない。いろんな経験をして、人生の酸いも甘いもかみしめた大人ならば、実は、曲の中で表現できることがいっぱいあると思うのです。ここは、甘くささやくようにしたいな、とか、ここは、情熱的にいこうか、とか、歌うように弾きたいなとか、サビは曲のここに持っていきたい!とか、いろいろなアイデアが出てくると思うのです。そうしたら、曲は、「私らしさ」をいっぱい含んで、悲喜こもごも、なんとも魅力的な演奏になると思うのです。ただし、美的センスは忘れずに、やりすぎは禁物。何事も。
2015年09月29日
川島なお美さんの訃報でニュースを見ていたのですが、デビュー当時の若い時から、美しい声で話す人でびっくりしました。うかつにも、腹から出すよく通る美しい声の人だとは、知りませんでした。そして、亡くなる前に、公に出てきて話をしていた時も、変わらずきれいな声で話していて、驚きました。ヨーロッパでは、高低や響きなどをきちんと意識して美しい声色で話すのが、ふつうだ、一般常識だ、と、聞いたことがあります。ドラマや映画の中で、俳優たちが格好良く話しているように、一般の人もそうやってしゃべっている、ということですね。声をきちんとメイクする、普段から声を音として意識化するということについて、改めて、考えさせられました。ぞんざいに声を出す、ということと、楽器演奏でぞんざいな音をだすという関係性は実は、深くつながっているのかもしれない、と思ったりしました。楽器を手にして、弓をこすって、ヴァイオリンから音を出すということは、それはそれは、感動することだけど、その音が、どういうものか、きちんと意識化して音を生み出しているか、というのは、実は、普段の発話と同じで見落とされがちなところかもしれないと思いました。普段から、美しい音声で話すようにすれば、意味のない話、無駄口、というのも、自然に慎まれるようになるかもしれませんね。努力したいと思います。
2015年09月28日
近所からピアノの音がときどき聞こえてきます。朝であったり、夕方であったりしますが、私は、耳をすまして聞きます。いつも同じ曲を弾いているのですが、なんだか、上手に聞こえないのです。上手いうまくない、というよりも、なぜだか音楽になって聞こえてこないのです。どうしてだろうと、もっとよく聞いてみると、ところどころ止まってしまって、メロディーにならないのです。演奏のスピードは、普通の速度、つまり、CDやコンサートで聞くものと同じ速さ。速く弾く、というのは、伝統のプレイヤーなら、誰でもプレッシャーに思ったことがあるでしょう。けれども、速く弾いて、いつもつっかえつっかえ弾いていると、これは、「つっかえつっかえして弾く」練習をしているようなものにならないですか。失敗を体に覚えこませるようなことは、まずい!練習は成功体験であった方がいいと思うので、一度まず、最後まで間違えずに、曲を弾き切ることを目標にしてみてほしいです。そうすると、曲の印象だとか、ぽんと始まったら最後まで止まらず、淀みなく流れて行く音楽というものをつかむことができるでしょう。そう、演奏するからには、音楽でなくては!
2015年09月26日

昔のビデオを整理していました。まだ、アップしていなかったものをぼちぼち。去年の教会でのクリスマス・コンサートのときに披露した、スコティッシュ・ハイランド・フリングです。もとは、男性の踊りで、戦闘での足腰の強さを見せつけるような踊りです。ずっと、ルルベ(指先で立って)で、かかとを最後まで落とさないのに注目。なかなかハード。床から離した足のつま先が、いちいち、きれいに伸びているのはすばらしい!こういうのは、体にダンスの基本動作がしっかりと身に付いていないとできないもの。すっかり身に付くまでの、根気のいるくり返しの練習というのは、フィドルも同じですよね。
2015年09月24日
先日行ったコンサートで、お友達がレポートをしてくれて、そのあまりに興味深い内容に、音楽について、そして、自分のしていることについて、いろいろと考えさせられました。音楽を純粋に聞いて楽しい、というのは、当然です。さらに、私が、伝統音楽をやっているところの「オチ」というか、なぜ音楽をやっているのか、どうして、みなさんの前で披露しているか、という理由を改めて考えてみるきっかけになりました。 1.温故知新っていいですよね。と、言いたい。猛烈にいろんなことが変化していく現代に生きる私たちにとって、これは、とてつもなく大事なこと・・・。2.フィドルっていいですよ、クラシックヴァイオリンよりずっととっつきやすいですよ。見ているだけでなくやってみませんか。と、お誘いしたい。 3.家族で音楽をするというのは、いかがですか。楽しいですよ。と、提案したい。 4.消費社会、グローバル社会と対抗するように、文芸文化を大事にした生活、こじんまりとした手作りの生活、(非電子音の)アコースティックな生活って、心地よいですよ。という、生活を見直す提案をしたい。大好きな人たちと、楽しい人生を送りたいと思っています。
2015年09月24日

イングリッシュ・ホーンパイプです。牧歌的で明るい曲調は、イングリッシュらしさそのものです。こういう曲を演奏していると、どこまでも緑の、美しい絵のようなイギリスの田園の風景を思い出します。速く演奏すると、ホーンパイプの持ち味を壊してしまうので、しっかりした拍子で演奏すると似合うと思います。伴奏は、クラシックギター。指弾きの分散和音にすることにより、優しくかわいらしいアレンジメントにしています。ホーンパイプは、アコーディオンで「ぶんちゃ、ぶんちゃ」という伴奏をつけても面白いアレンジメントになると思います!
2015年09月23日

イングリッシュ・リールです。とっても明るくて骨太なメロディーが、イングリッシュらしい曲です。フィドルの音も、張って、力強く、輝かしい音色になるように弾いています。一番最後の曲は、スコティッシュ・リールなんですが、19世紀のヴィクトリア朝のイギリスでも、すでに広く知られていました。曲が、こちらが思っているようないろんな枠組みとはぜんぜんお構いなしに、人と一緒に旅をして、行く先々で交流があって、人々に愛されていく・・・・そういう人の営みの中で存在し続けてきた、という歴史に衝撃を受けます。
2015年09月22日
コンサートで、娘が譜面なしでピアノ伴奏をしていたことについて聞かれたのですが、コードをベースにつけていきます。コード、と一口に言っても、これがクセもので、コードの付け方一つで、いろんな風景、いろんな背景が分かってしまうので、不思議です。。。例えば、イギリスの音楽ならば、古い時代のものはバロック風につけるとか、今風にカッコよくしたければ、ビートルズのようにします。ビートルズの音楽は、伝統音楽家にとって、イギリスのセンスの共通点をみいだせる格好の見本のようなものです。アイルランドの音楽は、これまたクセもので、マイナー調の曲を短調につけると、なんだか、あわないのは当然で、と、いうのも、アイルランドの音楽は、ずべて古い時代の教会旋法でできているからで、こういうときは、いらない音を抜いて整えます。ピアノの伴奏の場合、コードも展開できますので、どこらへんの展開を使うか、また、いろんなパターンでばらしていけますので、さまざまな味付けができます。そのように決めていって、オリジナルの伴奏が出来上がります。自分で作っていったものは自然と覚えられるので、当日は楽譜なしでできるというわけです。
2015年09月21日
昨日は、コンサートで演奏してきました。 十三の母校の同窓会会館は、コンクリートの打ちっぱなしの作りで、音響効果が思った以上に良くてびっくりしました。中も不思議なデザインなのですが、正面の舞台を横に広くとれて、ダンサーが、舞台の端から端まで使って踊って、面白かったです。一緒に演奏した子どもたちは、本業の勉強が忙しくて、今回は、たまたま、みなの都合がついてできました。娘の発案で思い切ってできてよかったです。次回、いつできるかわからないんですね。 定期テストやら、受験やら、そうこうしているうちに、ひとり立ちして、それぞれの人生を歩み始めると、一緒の時間を取るのが難しくなるでしょう。そう考えると、人生の中で、あと、何回できるか。一瞬一瞬の時間と、今しかできないことを大事にしながら、音楽を作り上げました。そして、コンサートに来て下さり、貴重な時間をご一緒できた方々へ深い感謝。ありがとうございました!
2015年09月20日
あした、シルバーウイークの初日ですが、コンサートがあります。大阪は、お天気が持つみたいです。お時間がありましたら、ぜひ、いらしてください。今回のコンサートは、ファミリーバンドなんですよ。一番上の娘が、ぜひ、やろう!といってくれて、それが1か月ちょい前。準備が間に合うかなと思ったのですが、毎日のように合わせ練習ができました。これこそが、ファミリーバンドの強み!?練習も、ケンカは一切なく、意見を出し合いながら前向きにできました。それでは、あした、お会いしましょう。******************************アイルランドとイングランド 音楽の宴 フィドルとダンスのコラボレーション! アイルランドの伝統音楽をダンスと音楽で紹介します。イギリスの音楽は、文豪トーマス・ハーディーが蒐集した曲集から、文学作品と曲にまつわるお話しをしながら演奏します。 日時: 9月19日(土) 13:15開場13:30開演(休憩をはさみ2ステージ、約1時間半の公演) 場所: 大阪府立北野高校内 入ってすぐ右手 六稜同窓会会館3Fホール http://www.osaka-c.ed.jp/kitano/access.html(阪急十三駅から徒歩10分) 入場無料ですが、投げ銭制でお願いします。 フィドル Tamiko アイリッシュダンス・キーボード きむらみふみ 主催:Fiddle Club関西 Tamiko 連絡先:fiddleclass@aol.com
2015年09月18日
今回のコンサートは、一番上のお姉ちゃんがアイリッシュダンスを踊って、キーボードを弾いて、私がフィドルなので、ファミリーバンドになります。トラッドでは、家族で楽器ができて、ファミリーメンバーでバンドを組むというのは珍しくない、というのが、すっごくいいなと思っていたので、こうして実現できてうれしいです。でも、私がトラッドを始めて10年ちょっとなので、最初からアイリッシュバンド、イングリッシュバンドをやろうと狙っていたわけではありません。一番上のお姉ちゃんは、2歳からバレエを始めて、小学校3年から受験が忙しくなる中3くらいまで、草刈民代さんを輩出した東京の橘バレエ学校に週4くらい通っていたので、かなりやらせたほうです。バレエは、他のジャンルの舞踏に転向しやすいので、踊りやらせたいけど、近所にそういった先生もいないし、子どもがやりたいジャンルがまだ分からないというときは、とりあえず、バレエをさせておくといいのではないでしょうか。踊りは、まずは立ち姿勢。簡単なようで、とても難しいです。アイリッシュダンスは、足だけの踊りなので、体の中に一本線が通っているような姿勢が最初からできていると、上達が大変早いように思います。それから、体中のすべての筋肉の意識化。バレエでは、徹底的にこれをやるので、他のジャンルの踊りに移った時に、応用が効きやすいということですね。舞台経験もあると、立ち位置とか、目線とか、舞台上でのいろんな基本的な所作が押さえられて、なんでも対応できていいですよ。アイリッシュダンスは、東京の白沢先生に習って、今は、大阪の吉野先生にお世話になっています。お二人ともとてもよい先生で、ほんとうに感謝感謝です。コンサートでは、娘が、ダンスについての解説もするということですので、どうぞ、お楽しみに!*******************************アイルランドとイングランド 音楽の宴 フィドルとダンスのコラボレーション! アイルランドの伝統音楽をダンスと音楽で紹介します。イギリスの音楽は、文豪トーマス・ハーディーが蒐集した曲集から、文学作品と曲にまつわるお話しをしながら演奏します。 日時: 9月19日(土) 13:15開場13:30開演(休憩をはさみ2ステージ、約1時間半の公演) 場所: 大阪府立北野高校内 入ってすぐ右手 六稜同窓会会館3Fホール http://www.osaka-c.ed.jp/kitano/access.html(阪急十三駅から徒歩10分) 入場無料ですが、投げ銭制でお願いします。 フィドル Tamiko アイリッシュダンス・キーボード きむらみふみ 主催:Fiddle Club関西 Tamiko 連絡先:fiddleclass@aol.com
2015年09月10日
アイルランドとイングランド 音楽の宴 フィドルとダンスのコラボレーション! アイルランドの伝統音楽をダンスと音楽で紹介します。イギリスの音楽は、文豪トーマス・ハーディーが蒐集した曲集から、文学作品と曲にまつわるお話しをしながら演奏します。 日時: 9月19日(土) 13:15開場13:30開演(休憩をはさみ2ステージ、約1時間半の公演) 場所: 大阪府立北野高校内 入ってすぐ右手 六稜同窓会会館3Fホール http://www.osaka-c.ed.jp/kitano/access.html(阪急十三駅から徒歩10分) 入場無料ですが、投げ銭制でお願いします。 フィドル Tamiko アイリッシュダンス・キーボード きむらみふみ 主催:Fiddle Club関西 Tamiko 連絡先:fiddleclass@aol.com
2015年09月04日
普段から、風邪をひかないように、お腹を壊さないように、けがをしないように、体調管理には気を使って過ごしています。毎日、普通に家事をこなしていますが、コンサートの1週間前くらいになると、より、慎重モードになります。お料理の時はやけどをしないように、包丁で指を切らないように、もっと、もっと気をつけて、過ごします。そうして、本番の日を、万全の体調で何事もなく迎えて、笑顔でみなさんとお会いしたいと思っています。ミュージシャンは、これが一番大事です。みんなをがっかりさせられないのです。お天気は、心配です。雪になりませんように。寒いそうですから、あたたかくしてお越しください。**************************************Duo Crossings (フィドルとヴァイオリンによるユニット) クリスマスコンサートin チャーチ 英国で、人々が昔々から、節目ごとに、愛する人たちと楽しんできた伝統曲を演奏します。第二部は、スコットランド特集です。クリスマス前のひととき、教会でのヴァイオリンの響きをお楽しみください。 12月14日(日)14:00開演 (13:45開場) 淀川バイブルチャーチ (大阪市都島区毛馬町3−3−26) http://www.yodogawabc.com/ ドネーション!(寄付をお願いします。) ★予約は要りません 主催:淀川バイブルチャーチ、FiddleClub関西 お問い合わせ先: 090-4826‐2109(木村) fiddleclass@aol.com 第一部:英国の音楽。 19世紀ごろの教会で演奏されていた曲。お祭りの曲。ダンス曲。古いイングリッシュキャロルの曲。紳士淑女の夜の宴の曲。ect. 第二部:スコットランドの音楽。 パイプマーチ。ウィスキーの曲。クリスマスにちなむ曲。 かつて人が暮らしていた無人島の曲。ect. ★特別出演のダンサーによる、ハイランドダンスのデモンストレーションもある予定。 Tamiko:フィドル奏者 大阪市出身。2002年渡英、ロンドンフィドルスクール(efdss)を経て、Pete Cooper氏に師事。2004年秋帰国。東京で音楽活動を開始。2011年7月、箕面市に移住。Fiddle Club関西主宰。大人から子どもまで楽しめるフィドルを教えている。 大友幸:ヴァイオリン奏者 香川県出身。第3回若手演奏者のためのコンペティション室内楽部門第一位受賞。客演奏者として仙台フィル、新日本フィルなど国内オーケストラに参加。2011年より沖縄、今年夏より京都に移住、演奏活動や指導にあたる。
2014年12月12日
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