Tarsha's Trace

Tarsha's Trace

2008.08.16
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庭で牛蛙が鳴いている。でも「モーモー」じゃない。なんだか変な鼻濁音だ。うまく擬音語に出来ない・・・ 

しばらく集中して聴いてみる。


フワァォ、ワァオォ、ワオン、ワォ・・・と言っていますね。


しのつく雨の中、彼らの声が眠そうに響く。


最近、新しいボーイフレンドができたルームメイトは、ほとんど部屋にいない。というか帰ってこない。あまりに部屋にいないので、ちょっと寂しい。もう一人の後輩も、今日はどこかに出かけている。



最近、ご飯を食べる休憩時間に見るニュースには、北京五輪のアスリート達が沢山。

彼らの一途な姿に励まされる。水泳でも、競歩でも、レスリングでも。


「徹すること」




スポーツでも、勉強でも、語学でも、仕事でも、「徹する」ことが大事なんだと教えられる。


徹しなければ、物事は分からない。身に着かない。中途半端で後悔するだけだ。

一本の道に徹した時はじめて、自分を活かしていけるんだ。その道を通して人々のために。


人生、徹していこう。よし!!



彼らの目には、「力」がある。まなざし一つにも、貫くような力が。

自分の道に「徹する」人は、格好良いな。さわやかだな。余分なものは一切そぎ落とされている。

私もそうありたい。


人間、別に他人の目を気にして気取る必要もなく、流行を追って外見を変える必要もなく、自然体で、何かに向かって、真剣に一途に努力している姿、わき目もふらずに没頭している姿が、一番美しいのだと思う。

その人には、その人しかなれないから。





論文を書きながら、文学とは何か、文学研究はどうあるべきか、ずっと考え、悩んできた。今に始まった悩みではなかったけれど。

でも、今日、思った。


文学から、「楽しむこと」をとったら駄目なんだ。





色々なアプローチを見てきたけれど、そう思う。

文学から「楽しむこと」を取ったら、人間を離れてしまう。あるいは忘れてしまうのだ。


人間を置いてきぼりにした文献が、最近のものには多い。それらが提出する論には、それなりに意義がある。けれど、薄っぺらくて仕方がないものも実は多い。よくぞこんなものを載せたものだと、その無責任さに驚き呆れ怒りを感じることもある。


文学研究において、単なる解釈の生産と再生産が、連綿と続いている気がしないでもない。

そもそも、この人たちは一体、何のためにやっているんだろう。






最終的には、文学研究は、私達が受けるこの「楽しみ」、「感動」とは何かを追求していくことに落ち着くのだと思う。

きっと音楽や絵画だったら、そうだろう。

文学も「文楽」という認識だったら、もっと早くそこに気づけただろうに。


私はこれから、「文楽」の追求を根本に据えよう。こっちのほうが、変に肩肘張らなくてずっと良い。




牛蛙はもう眠ったのかしら。・・・あ、まだ遠くで鳴いているよ。鈴虫も、リィリィリリ、透明な音色で鳴き出した。


雨はまだ静かに降り続いている。







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最終更新日  2008.08.17 02:13:56
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