蓼科高原日記

蓼科高原日記

2013.10.30
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これは氏の言うように「きわめて個人的な小説」なのだ。僕にとってそうであるように。その意味ではセンティメントを共有できないひとにはこの小説は「つまらない」と感じられるのかも知れない。


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▲宵闇の紅葉 by CANON EOS 6D, EF70-300mm F4-5.6L IS USM / ISO 12800 300mm f/5.6 1/25sec/海抜1700m:写真をクリックすると拡大します。



村上春樹がいまや代表作のひとつとなった「ノルウェイの森」の最終章で主人公に語らせている言葉を引用する。

『どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。われわれはその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。』

僕は1987年の秋に刊行された初版でこの小説を読み、以来数十回読み返している。そしていまも蓼科の秋の訪れを感じるとふたたび手に取る座右の書ともなっている。個人的には、この小説から僕は人生のかなり多くのモノやコトを学ぶことができた。

「風の歌を聴け」以来の村上春樹ファンとしては全作品をかなりの回数読み返しているわけだけれど、唯一読み返すことをしていないのは「ねじまき鳥クロニクル」くらいだろうか。あまりにも重すぎて体力的にちょっと無理。

「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「ダンス、ダンス、ダンス」を順番に読みこめば村上春樹の世界のひとつの側面を体感できるだろう。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでから「ノルウェイの森」、「海辺のカフカ」そして「1Q84」を読めばこの4つの小説の世界が地下水脈で綿密に繋がっていることがわかるだろう。



これは氏の言うように「きわめて個人的な小説」なのだ。僕にとってそうであるように。その意味ではセンティメントを共有できないひとにはこの小説は「つまらない」と感じられるのかも知れない。

それはそうと、僕はよく池澤夏樹みたいな文章を書くと言われることがある。そうかも知れない。彼も僕が好きな作家のひとりだから。



それはあえて言うなら「アフォリズム」「デタッチメント」「ディレッタント」という3つの言葉に集約されるかも知れない。表現上は優れた「メタファー」を挙げることが出来るかも知れない。

それはそうと、池澤夏樹が僕が高校時代にどっぷりとはまっていた福永武彦の息子だと言うことを最近知って、ああなるほどと合点がいったものだった。ひとのセンティメントは変えようとしても変わるものではないということだ。

ちなみに僕が抱く世界観は池澤夏樹の「スティル・ライフ」の冒頭の文章に的確に表現されている。長いので引用は避けるけれど、機会があったら是非一読することをおすすめする。


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茅野および蓼科高原の公式ホームページ: http://www.tateshinakougen.gr.jp/

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信州蓼科高原北八ヶ岳・標高1700m
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Last updated  2013.11.08 03:23:07
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