蓼科高原日記

蓼科高原日記

2013.11.27
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論理は世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある。


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▲空気が澄み渡るこの季節は夕陽や朝明けが本当に綺麗です。真っ赤な落葉松の紅葉、里山の紅葉が見ごろです。by CANON EOS 6D, EF70-300mm F4-5.6L IS USM/海抜1700m:写真をクリックすると拡大します。






論理は世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある。

それゆえわれわれは,論理の内側にいて、「世界にこれらは存在するが、あれは存在しない」と語ることはできない。

なるほど、一見すると、「あれは存在しない」と言うことでいくつかの可能性が排除されるようにも思われる。

しかし、このような可能性の排除は世界の事実ではありえない。

もし事実だとすれば、論理は世界の限界を超えていなければならない。

そのとき論理は世界の限界を外側からも眺めうることになる。

思考しえぬことをわれわれは思考することは出来ない。

それゆえ、思考しえぬことをわれわれは語ることもできない。



以上は、たびたび引用しているウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」の中の言葉だ。


この著書との出会いは,じつはかなり最近の出来事だった。

ウィトゲンシュタインのある言葉(命題というべきかもしれない)に若い頃から共感を抱いていたものとしてはきわめて迂闊だったと言わざるをえない。

しかし、僕には僕の準備が必要だったのだ。

まったく哲学的素養無しにこの著書を読んでも、違和感が残るばかりだったかも知れないからだ。



もちろん、そんな素養が無くとも、そこかしこには意味深い言葉がちりばめられており、それなりに感銘深い著作だと思う。

多少の素養はあるけれど、哲学を本格的に学んできたひと、学んでいるひとに比べれば僕はむしろ後者に属するのだと思う。



いずれにしても

思考しえぬことをわれわれは思考することは出来ない。

それゆえ、思考しえぬことをわれわれは語ることもできない。

たとえ、直感がそれを捉えたとしても、である。



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Last updated  2013.11.28 03:26:06
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