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支笏湖で遊覧船に乗ろうと思ったのですがあいにく波が荒いということで運行していませんでした・・ちょっと苔回廊を見てみたい気持ちもあったのですが苔回廊に行くには時間が足りません・・お腹もいっぱいになったしちょっと早いけど空港へ戻ることにレンタカーを返す前にガソリンを満タンにしてレシートを見せないといけないのですが千歳って何故かガソリンスタンドが少ない・・やっと見つけて満タンにし返却・・送迎バスで新千歳空港まで送ってもらいました・・空港はかなり混んでて人で溢れかえっていますコーヒーでも飲んで一休みしたいと思ったのですがお土産物屋さんばかりでレストランや喫茶がない・・壁|〃´△`)-3ハゥー仕方がないのでお土産物屋さんをうろうろ・・白い恋人じゃがポックル荷物を預けてさっさと何に入り・・椅子に腰掛けてゆっくり待つことに・・スカイマーク 176便 新千歳17時45分発 神戸19時45分着チェックインは座席も予約済みでバーコードをかざすだけ・・満席でした・・予定通り神戸着車で1時間半かけて自宅へ・・9時40分すぎに無事帰宅・・歩いた歩数 12523歩 8.4km終わり・・じゃがポックル 送料無料 【10袋入り】【楽天1位】 北海道銘菓 カルビー ポテトファーム 北海道みやげ 北海道土産 銘菓 スナック 焼き菓子 ギフト 人気 10袋 【メール便につき外箱無し 箱付きは送料別途購入】価格:1,250円(税込、送料無料) (2023/9/29時点) 楽天で購入 白い恋人 送料無料 ホワイト 9枚入 北海道 お土産 石屋製菓 Ishiya ラングドシャ クッキー ギフト 個包装 チョコ 北海道 贈り物 プレゼント お返し お祝い お年賀 ホワイトデー お彼岸 母の日 お中元 敬老の日 バレンタイン価格:2,000円(税込、送料無料) (2023/9/29時点) 楽天で購入 FC2・・はこちらから
2023/09/29
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2023年7月13日(木) 曇朝いつものように6時前起床・・最初にお天気の確認・・曇・・雨が降ってないから良かった・・7時すぎに朝食へ・・学生が多いので簡単に取ってきて済ませました・・8時20分チェックアウト・・ロビーには小学生がたくさん・・玄関前には大型バスが3~4台・・クマさんに車を取ってきてもらい支笏湖へ・・ホテルから車で約1時間の移動です・・9時40分・・支笏湖到着・・今回の旅で一番行きたいけど行くかどうか一番迷ったところがありますそこを確認するためにビジターセンターへ・・苔の洞門ここにどうしても行きたかったのですが苔の洞門は、平成13年に岩盤の一部が崩落し、内部に入ることができなくなったため、入り口付近に観覧台を設置して一般開放しました。しかし、平成26年の大雨災害によりその観覧台が崩落し、閉鎖をすることとなりました。その後、復旧に向けて調査・検討を行ってきましたが、継続的に落石等が確認されている状況などから、安全面を考慮し開放を断念、崩落した観覧台の撤去、石狩森林管理署へ借用している土地の返地を行うことが決定しました。今後、数年かけて人工物の撤去を行い、元の自然に戻す作業を行いますということで今は立ち入ることが出来ませんところが色々調べていると苔の回廊というのがあるのがわかったんです・・苔の回廊ここは誰も管理していないところでPもありません近くのキャンプ場に車を止めて20分ほど歩き川にかかった橋まできますそこから更に徒歩20分で苔の回廊に行けます・・が・・熊の生息地でもあり管理もしていないので足元には倒木があったりする場所だそうです・・当然行くことはいいのですが自己責任ということになりますだからビジターセンターで確認したかったのです・・話を聞いていると私の足元を見てそれで行くのですか?スニーカー履いていたのですが倒木もあるし足元はかなり悪いですからということでした・・熊の生息地でもあるので出会い頭に合わないとも限らないと前日にかなりの雨が降っていたので私達なら今日は絶対に入りません・・がけ崩れの心配もあります・・そう言われクマさんと相談して諦めることにしました・・記念にここでこんなの買っちゃいました熊鈴・・鈴によって音が違うそうで色々鳴らしてみて一番気に入った音のを購入しました・・苔の洞門に行けなかったときのことを考えて代替え案の樽前山へ行くことに・・その前に支笏湖を散策・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/09/12
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大湯沼から登別に戻ります・・細くて曲がりくねった山道を下っていくだけなのに~(・・?))(((;・・)?来るときにはこんなところ通ってない・・仕方がないのでそのまま下っていくと登別温泉に向かうときに通った道路に出てきました・・(/≧◇≦\)アチャー!!どこで間違ったんだろう?????同じ道を通り再び登別地獄谷まで・・P料金は大湯沼と共通になっています地獄谷についたのは17時35分・・車を止めて地獄谷一帯を20分ほどでめぐる遊歩道が整備されていて駐車場近くの登別パークサービスセンターからまわることができます・・硫黄の臭いが・・地獄谷は直径約450m・面積約11ha(甲子園球場2.8個分)の広さの爆裂火口群・・温泉や噴気の吹き出し口がたくさんありなおかつ高温で直接足を踏み入れるのが非常に困難なところです・・その様子がまるで地獄のようだということで「地獄谷」という名前がついたそうです地獄谷の入口から鉄泉池へと続く遊歩道が毎日夜間にライトでほのかに灯される「鬼火の路」・・なんか凄いよね・・遊歩道をどんどん進んでいくと鉄泉池・・遊歩道の終点は地獄谷のほぼ中・・ここには「鉄泉池(てっせんいけ)」とよばれる間欠泉があります・・煮えたぎる湯がどんどん湧いていてものすごい迫力です・・多くの人が時がたつのも忘れてじっと見入っていました・・そろそろホテルに向かいます・・18時10分・・ホテルまほろば・・その日は小学校の修学旅行生が3~4校来ていてバイキングの食事が混んでて席には案内してもらったのですが落ち着いて食べる雰囲気ではなく画像は撮っていません・・お風呂は9時すぎに行きました・・お風呂がすごくて地下一階と2階に繰り広げられる4種の温泉を31のお湯をめぐりながら楽しめます・・4種の温泉硫黄泉効能・・慢性皮膚病・慢性婦人病・切り傷・糖尿病など・・食塩泉効能・・神経症・筋肉痛・打ち身・婦人病など・・単純硫黄泉効能・・神経痛・関節痛・慢性婦人病・貧血など・・酸性鉄泉効能・・慢性皮膚病・リュウマチ・神経痛・慢性消化器病など・・登別温泉最大級の大浴場三十一の湯巡り行くときにエレベーターで一緒だった女性と何故か意気投合になってしまい・・たくさんあるお風呂を楽しむというより温めの露天風呂にゆっくりつかってお喋りを楽しみました・・部屋に戻るとクマさんはすでにベッドで爆睡・・時計を見ると12時過ぎ・・3時間近く入ってたんだって自分でもびっくり!お喋りが楽しくてあっという間に時間が経ってたのね・・o(*^▽^*)oあはっ♪歩いた歩数・・12980歩 約8.7km続く・・FC2・・はこちらから
2023/09/10
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洞爺湖サイロ展望台を15時15分出発登別まで来るまで約1時間の移動・・登別まで来ると雨はすっかり上がっていました・・登別温泉を過ぎて更に上に登りまずは大湯沼へ大湯沼地獄谷から歩いて20分・・大湯沼は日和山が噴火した時の爆裂火口跡で地獄谷の北側にあります・・周囲約1km・深さ22mのひょうたん型をしていてこのような大規模な湯の沼は世界的にも類がなく学術的にも貴重なものとされているそうです・・表面の温度は約40度から50度で灰黒色をしていますが沼の底では約130度の硫黄泉が噴出しています・・大沼池の付近には硫黄の香りが立ちこめておりぐつぐつと湯気が立ち上る様子はまるで地獄の釜・・大湯沼から徒歩約5分ほど歩くと左手に「大湯沼川の足湯」の看板が見えてきますここから下に降りていきます・・階段を下って行きます・・階段を下っていると(本当に足湯があるのか?)と思えるぐらいへんぴなところにあります・・湯気立つ川が見えてきたら川沿いにずっと歩道を進んで行きます・・川から湯気がたっていてこれが全て温泉だと思うと本当にすごい・・大湯沼川はひょうたん型の大湯沼からあふれ出た酸性度の高い湯が流れている川です・・途中で「大正地獄」から流れ出たお湯が合流しています・・足湯の温度は42度くらい川の水と混ざることでいい感じの温度になっています・・結構な観光客で座るところがなかったのでお湯の温度だけ手でさわってみました川沿には原生林が生い茂り川床には酸性湯に生える緑のこけが木もれ日に映えて趣き深い景観を形成しています・・上から見た大湯沼・・鹿が温泉のところに降りて飲んでいました・・大湯沼まで戻ってきて奥の湯へ・・トイレを借りようと思ったら鍵がかかってしまっていました・・時計を見ると5時すぎ・・Pの管理をしている従業員の方たちが5時で締めてしまったようです・・ここから地獄谷へ戻ります・・続くFC2・・はこちらから
2023/09/06
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大沼公園を1時間ほど散策して10時すぎにはつぎの目的地の洞爺湖まで車で約2時間の移動です・・高速を順調に走っているとクマ出没の立て看板が見えてきてその先にはパトカーが止まり警察官に高速を降りるよう指示されました・・下道をとおって高速の乗れる入り口まで進みました・・高速道路にクマが出てきてウロウロしているなんて北海道ってスゴィッ(*゚д゚ノノ高速を一定区間降ろされたので予定より1時間余分にかかり13時過ぎ洞爺湖ビジターセンター着・・外は本降りの雨・・もう観光どころではありません・・ビジターセンターで洞爺湖の撮影スポットを聞いて写真を撮りに向かいました・・こんな写真しか撮れませんでした・・この後有珠山ロープウエイに行ってみることに・・ここでちょっと遅い昼食・・メニューの種類がありまりありません・・食券を買って席で待ちます・・クマさんはかき揚げ丼・・私は中華丼・・シェアして食べました・・どちらもお味は普通・・昭和新山駐車場のすぐ横にドンとそびえ立つ標高398mの昭和新山・・1944年の噴火は突然のように畑の中で隆起が始まり・・1年ほどかけて地上171mまで成長し溶岩ドームを形成しました・・表面が赤く見えるのは(曇っていてはっきりしませんね)粘土質の土壌がマグマの熱で焼かれ天然レンガのようになったためだそうです・・世界的にも貴重な火山で国の特別天然記念物に指定され立入禁止なので登ることはできないそうです・・有珠山は20世紀に4回噴火をした活火山です・・大型96人乗りのゴンドラ「有珠山ロープウェイ」で約6分間の空中散歩を楽しみながら山頂駅まで気軽に登ることができるのですが・・上に上がってもほとんど何も見えない状態だったので上がりませんでした・・この後洞爺湖を見下ろせる絶景ポイントへ・・サイロ展望台雨は小降りになったものの・・お天気だったら最高の風景が広がっていたんでしょうね・・ちょっとお土産物屋さんを覗いて見ると・・わかさいも・・いもとは銘打っていますがいもは使っていないそうです・・大福豆を使った白あんだそうです・・気になったのでお買い上げ・・大福豆を使った白あんの中に海藻の繊維が入っています・・北海道ではさつまいもが収穫出来ないのでさつまいものかわりにこの大福豆を使ったそうです・・甘さ控えめで美味しかったですよ・・o(*^▽^*)o~♪わかさいも 北海道 お土産 【4個入×2袋セット】【送料無料】 メール便 北海道 和菓子 おやつ お土産 手土産 贈り物 プレゼント お茶請け バレンタイン価格:1,520円(税込、送料無料) (2023/9/1時点) 楽天で購入 FC2・・はこちらから
2023/09/01
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2023年7月12日(水) 雨いつものように6時前には目が覚めて・・すぐにカーテンを開けてお天気の確認・・雨だぁ・・・朝食もバイキング・・ご飯を少し入れて海鮮丼に・・今日も朝から沢山いただきました・・今日の予定は大沼公園・・外は雨・・一応行ってみようと言うことに・・ホテルを8時30分に出発・・車で約45分の大沼公園に・・途中雨は降ったりやんだり小ぶりになったり・・大沼公園についたのは9時10分・・雨は小降りです・・30分くらいで回れそうな森の小径コースを歩くことに・・お天気がよかったら自転車で一周したかったのですが・・大沼公園は寛永17年(1640)に駒ケ岳の噴火でできた湖に126の小島が浮かぶ国定公園です・・ラムサール湿地条約に登録されています・・もとは函館開港に伴う外国人の保養地として開発され・・今は道南最大級のリゾート地として賑わっています・・大沼と小沼に浮かぶ小島には橋が渡され島をめぐりながら散策できます・・高校生が野外活動に来ていました「虚子の径」碑俳人 高浜虚子が大沼を訪れた際に一人俳句を作りながら逍遥した径だそうです・・「駒ヶ嶽 聳えてここに 沼の春」虚子「島々の 若葉の色の 皆違ふ」慧月昭和14年5月23日・・当時・日本銀行函館支店に在勤の虚子五女晴子に前年12月長男が誕生し・・虚子はこの孫に面会の為夫人同伴で函館に来ていました・・虚子は大沼で俳句を作ろうと思い立ち糸夫人と娘達・阿部慧月らと共に大沼へ立ち寄りました・・当時この地にあった旅館「湖月」の2階にて句会が行われそのときに虚子は俳句を作りながらこの地を歩いたと・・ゆっくり写真を撮りながら歩いたので40分くらいかかりました・・この後・・ホテルでおすすめだった大沼団子を買いに・・沼の家1905年(明治38年)創業の「元祖 大沼だんご」初代堀口亀吉氏が陸蒸気(おかじょうき)に乗って大沼にやってくる観光客向けに新粉の団子を作って販売したのがはじまりだそうです・・以来変わらぬ製法と伝統の味を守り続けています・・「大沼だんご」は折で大沼湖・小沼湖を表現し・・団子を串に刺さないのは湖面の浮島に見立てているからだそうです・・胡麻折は製造数が少量のため「沼の家」でのみの販売となっています・・胡麻ダレと餡と両方買いました・・深みのある胡麻ダレ・さっぱりした餡・コクのある醤油・・柔らかくて舌触りの良い食感で美味しかったぁ・・お土産にと思ったのですが残念ながら賞味期限が当日のみだそうでお土産用は諦めました・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/08/23
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五稜郭を観光後向かったのはトラピスチヌ修道院「天使の聖母トラピスチヌ修道院(通称・天使園)」は1898年(明治31年)フランスから派遣された8人の修道女によって創立された日本最初の女子観想修道院です・・上湯の川の高台に位置し美しいレンガ造りの建物と敷地内の凛とした空気感が素晴らしかったです・・大天使聖ミカエル像門を入って最初に出迎えるのがフランスから送られた大天使聖ミカエルの像です・・日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは1549年(天文18年)に鹿児島に上陸・・薩摩藩主である島津公に宣教の許可を得たのがちょうど9月29日聖ミカエルの祝日にあたっていたのでザビエルは聖ミカエルを日本の保護者 と定めてその助けを求めつつ宣教を始めたのです・・ 慈しみの聖母マリアレンガ造りの聖堂を正面に見ながら進むと・・純白の聖母マリアの彫像が優しく待ち受けます・・フランスにあるラ・トラップ修道院のマリー・ベルナルド神父の作品で両腕をゆったりと広げすべての人を優しく迎え入れる姿から「慈しみの聖母マリア」と呼ばれ親しまれているそうです・・ ルルド南フランスにあるルルドの洞窟を模して作られ「ルルドの聖母」として広く知られています・・これと同じものが修道院の奥深くにある林の中にもあるそうです・・1858年に聖母マリアが18回にわたってルルドの近くにあるマッサビエルの岩窟で14歳の田舎娘ベルナデッタ・スビルーに現れベルナデッタが聖母マリアのお告げに従って掘り当てた泉がさまざまな病気の治癒をもたらしたという言い伝えに基づくものです・・聖母マリアを見上げてひざまずいているのが少女ベルナデッタです・・泉の水によって心身の病を癒されるという奇跡から信心が広まり多くの教会や修道院にはこのようなルルドが造られているそうです・・司祭館 聖堂正面左手の建物は1913年(大正2年)に建てられた司祭館です・・修道女の信仰生活を指導するために男子のトラピスト修道院や司教の任命によって司祭方が派遣されています・・司祭館の右側の丸みを帯びた壁のところがこの修道院の中心であり修道女の生活にとっても中心的な場所である聖堂・・この聖堂で毎日ミサと7回の共同体の祈りが捧げられています・・屋根の上にある小さな塔は鐘楼でミサや共同体の祈りの始めにまた仕事の終わりの時刻などに大小2つの鐘が鳴らされます・・聖母マリアの右手には資料館と売店があります・・資料館には修道院の歴史や修道女の日常生活について伝える資料を展示・・売店では修道女の祈りと労働の実りを分かち合うために設置され手作りのお菓子や手工芸品などが販売されています・・「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」函館山と中心市街地を挟んで対面する高台にひっそりとたたずんでいます・・発足当時は1893(明治26)年にパリ外国宣教会のアンドレ・ベルリオーズ司教が70ヘクタールの土地を購入して建てた旧孤児院を使用していました・・ 1903(明治36)年一夜の大嵐で木造の修道院は崩壊しその2年後にレンガ造り2階建ての本館正面棟の一部が完成しました・・1913(大正2)年までに竣工した本館正面棟と聖堂は1925(大正14)年に発生した火災で焼失・・教皇ピオ11世からの義援金や各修道院からの寄付金で1927(昭和2)年に再建されたものが現存しています・・煉瓦の外壁・半円アーチの窓などゴシックとロマネスクの混在するデザインが印象的です・・修道女らは祈り・労働・聖なる読書を日課の3本柱に共同生活を送っています・・祈りは3時半の起床から19時45分の就寝までに7回・・生計を立てる収益事業として製造するマダレナケーキやクッキーは修道院を訪れた際の土産物として人気です・・1956(昭和31)年から製造販売されここの売店でしか購入できないケーキが「マダレナ」です・・原料は卵・バター・小麦粉・砂糖の4種類のみで・・口に入れた時は少しかためでサクッとした食感ですが噛むほどにバターの味がしっかり広がります・・かつては鶏を育てとれたての鶏卵を使用していたそうですが現在は安心安全で自然な状態で届けられる函館市内のかたから購入されているそうです・・ マダレナの名前の由来は裏側のシェル(貝)の模様が涙のあとに似ていることから聖マダレナ(マグダラのマリア)にちなんでつけられたそうです・・1つずつ透明なフィルムで包装されてケーキの中央部分が少し盛り上がっています・・包装の模様がその部分を優しく囲んでいるのがルルドの洞窟のマリアのようにも思えます・・本降りの雨の中の観光でしたが観光客も少なく凛とした空気感をしっかり感じることが出来ました・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/08/12
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星型城郭「五稜郭跡」は国の特別史跡に指定されています・・函館の代表的な観光スポット・特別史跡 五稜郭跡・・江戸幕府の役所として幕末に造られた星形の西洋式城郭で現在は自然豊かな憩いの場として親しまれています・・ 五稜郭が築造されたのは1864(元治元)年で2014年に築造150年となりました・・また・・ 映画「燃えよ剣」・大河ドラマ「青天を衝け」・・コミック「ゴールデンカムイ」などの舞台としても注目が高まっています・・堀に囲まれた星形が美しい函館・五稜郭・・元は江戸幕府の役所の施設として築造されましたが戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争において榎本武揚や土方歳三を含む旧幕府勢力の拠点となったことで広く知られています・・半月堡(はんげつほ)半月堡は西洋式土塁に特徴的な三角形状の出塁で馬出塁友いいます・・郭内への出入り口を防御するために設置されています・・当初の設計では各稜堡間の5箇所に配置する予定でしたが工事規模の縮小などから実際には正面の1箇所だけに造られました・・北側中央部の土坂が開口部となっているほかは刎ね出しのある石垣で囲まれています・・刎ね出し・武者返し・忍び返しともよばれ上から2段めの石が迫り出して積まれているため外部からの侵入を防ぐ構造になっています・・雨が本降りになってきました・・函館奉行所へ向かいます・・土塁・石垣・・門番所跡五稜郭を築城した武田斐三郎(あやさぶろう)の顕彰碑斐三郎の顔がてかてかと光っています・・いつしか英才・斐三郎の顔をなでると頭がよくなるとの言い伝えが修学旅行生にひろがったそうでみなさんがなでるのでピカピカに・・外国人に五里四方の遊歩を許したため函館山のふもとにある箱館奉行所が山の上から丸見え・・港にちかく外国の軍艦からの砲撃も容易なことに奉行は危機感をもち奉行所の移転を幕閣にあおいだそうです・・そこで艦砲射撃の砲弾がとどかぬ港から4キロほどのところに西洋式の土塁・濠で防禦する五稜郭の築城が認められました・・箱館奉行からその設計と工事を命じられた斐三郎は蘭訳の築城書一冊だけをたよりに箱館在留の仏人にも意見をもとめ独力で設計築城にはげんだそうです・・のちに五稜郭は英国などの列強諸国との交戦はなく内戦の戊辰戦争でその最後の舞台となった歴史の皮肉があります・・箱館奉行所江戸時代末期に現在の元町公園から五稜郭に新築移転・・箱館戦争を経て解体されました・・2010(平成22)年に部分復元が終了し内部が一般公開されている歴史的復元建造物です・・五稜郭は開港を控えた幕府が北方防備のために築造を計画・・1857(安政4)年からじつに7年がかりで完成しました・・星形の土塁と堀に守られて中央に建てられたのが箱館奉行所(箱館御役所)・・4年ほど役所として使われたのち箱館戦争で旧幕府軍の拠点となり戦争終結後1871(明治4)年に解体されました・・瓦や装飾なども古写真から忠実に再現されています・・雨が酷くなってきたので内部見学をして雨を凌ぐことに空井戸かなとおもっていたこれ・・雨水を貯めるものだそうです・・トイレ・・何故かついつい気になるんです・・4間からなる72畳の大広間・・天井の角にあいた穴・・行灯の煙を出すためのものだそうです・・玄関前のコケラ葺き屋根のスギ・玄関のケヤキ・柱の青森ヒバ・・天井板や板戸の秋田スギ・屋根裏の梁には東北地方のマツ・・さらには大広間の備後表の本畳などできるだけ江戸時代と同一の産地・材料にこだわった復元を実施・・屋根瓦は建設当時のまだらな色相を再現するために越前産の赤系4色が用いられています・・五稜郭タワーが目の前・・この橋を渡って右に半月堡(はんげつほ)左には貸しボート・・そこにはクマさん天使になっちゃったぁ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆続く・・FC2・・はこちらから
2023/08/07
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やきとり弁当を買って五稜郭へ・・雨は本降りになってきました・・タワーの目の前のPに車を止めて・・五稜郭タワー五稜郭公園に隣接して建ち展望フロアから五稜郭跡の星形を俯瞰できるタワーです・・展望2階の高さは地上90メートル・・五稜郭や箱館戦争の歴史を語る展示物も興味深かったです・・国の特別史跡・五稜郭跡を眼下に眺められる観光施設で函館のランドマークである五稜郭タワー・・高さ107メートル(避雷針高)で90メートルの展望2階からは五稜郭の星形全体が確認できます・・お天気がよければ函館山や市街地・津軽海峡・函館湾など・・360度の眺望が見えたのですが・・五稜郭を一望できる展望2階には座像「土方歳三之像」・・おなじみの写真の姿と同じく腰に刀をさしフロックコートにブーツという洋装で椅子に座っています・・下を見ると結構な高さです・・一応記念撮影を(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪前を歩いていたおばさんが突然・・ヒャァ~~・・なんだろうと進んでみると・・ガラス張りになっています・・ガラスの上に乗ると流石に背中がゾクゾク・・その後ガラスの上でピョンピョン♪゜。°。°。°。°。飛んでみた・・さっきヒャァ~~って言ってたおばさんが飛んでる私をみて・・(>д
2023/08/02
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赤レンガ倉庫港町の岸壁に建ち並ぶ赤レンガ倉庫は横浜や神戸・長崎など各地に点在し・・どこかロマンチックな風情を感じさせてくれますね・・我が国初の国際貿易港として開港した函館も例外でなく・・市内有数の観光スポットとして四季を問わず賑わいをみせています・・函館の西部地区にある金森赤レンガ倉庫は長崎から函館に移り住み・・輸入雑貨や船具などの販売を手掛けた初代渡邉熊四郎が1887(明治20)年に既存の建物を買い取り営業倉庫業に乗り出したのが始まりです・・海運業の活況により荷物の取扱量が年々増加したことで倉庫を増築し営業規模を拡大していきました・・そんなとき1907(明治40)年に発生した大火で倉庫6棟が焼失し・・代わりとなる不燃質の倉庫として1909(明治42)年に建てられたのが現在の建物です・・その後流通の多様化や北洋漁業の衰退などに伴い1988(昭和63)年に飲食店や土産物店が入居する複合施設へと姿を変え観光スポットとなりましたが現在でも数棟が現役の営業倉庫として使用されています・・旧函館区公会堂函館山のふもとにある坂のひとつ・基坂(もといざか)を見上げると・・正面に桟瓦葺の屋根に外壁がブルーグレーとイエローの建物がみえます・・昨夜タクシーで訪問した旧函館区公会堂です・・大火によって焼失した住民の集会所であった町会所(まちかいしょ)を再建しようと豪商相馬哲平氏や住民からの寄付などを元手に1910(明治43)年に完成しました・・ 和と洋の要素が融合した建築意匠に優れ館内に置かれた家具の保存状態も良いことから1974(昭和49)年に木造2階建ての本館・・1980年(昭和55年)に管理人室にあたる附属棟が国の重要文化財に指定された函館を代表する歴史的建造物です・・耐震補強を含めた大規模な保存修理工事のために2018年10月から休館していましたが2021年4月26日にリニューアルオープン・・夜の色合いと昼間の色合いが違ってみえますよとドライバーさんに教えていただいていました・・確かに違います・・ライトの加減でしょうか・・基坂・・元町公園の手前からまっすぐ伸びる基坂を見下ろします・・明治時代に坂を下った所に里数を測る基点となる里程元標(りていげんぴょう)の木柱が立っていたため名付けられたそうです・・明治40年(1907)8月に起きた大火で基坂にあった主要施設の殆どが焼失してしまい大火後から数年に渡り基坂では旧函館区公会堂をはじめ豪華絢爛な建物が次々と建設されました・・現存する建物で旧北海道庁函館支庁/明治42年(1909)築・・旧イギリス領事館/大正2年(1913)築・・ 相馬株式会社/大正3年(1914)築などです・・坂の上からは函館港を望め坂の下からはイエローとブルーグレーの外観が鮮やかな旧函館区公会堂・・元町公園や函館山山頂を見上げることができます・・元町公園基坂近辺は政治の中心地となってきた歴史ある地区で江戸時代以降には亀田番所・函館奉行所が置かれ・・明治時代には開拓使支庁・北海道三県一局時代には函館県庁・・北海道庁函館支庁(後に渡島支庁)も置かれていました・・坂を登りきった上にお役所があったことから「お役所坂」「御殿坂」とも呼ばれるそうです・・この界隈は函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区として北海道で唯一国の選定を受けています・・街路樹のある石畳が敷かれた直線の広い坂で映画やドラマの影響もあり観光地として函館山山麓にある坂の中でも人気がたかいそうです・・この通りが古い建物を残している通りです・・昨夜ハートの形をした石のあった通りです・・新しい建物は指定される前に建て替えた建物だということです・・八幡坂函館山からの夜景と並んで函館のビュースポットとして紹介されることが多い坂・・かつてこの坂を上りきったところに函館八幡宮があったとされ名前の由来となっています・・赤レンガ倉庫が立ち並ぶウォーターフロントの先を進むと函館山へ導いてくれるのが「八幡坂」です・・突き当たりにあるのは演歌界の大御所・北島三郎が通ったことで知られる函館西高校・・その真下からの眺めが絶景でかつてCMで年配の夫婦が手をつなぎながらスキップするシーンのロケ地として評判となり「チャーミーグリーンの坂」と呼ばれることもあります・・ 坂名は河野政通の館跡地(現在の元町公園付近)から移設された函館八幡宮があったことに由来すると伝えられています・・大火の被害を受けて1880(明治13)年に現在の谷地頭町に移ったもののその後も坂の名称は残されました・・ かつては湾曲していたそうですが今は海に向かって真っすぐの美しい道・・港に係留展示されている青函連絡船記念館摩周丸を正面に望める函館で1・2を争う人気の高い坂となっています・・歌手の北島三郎さんの出身高校です・・チャチャ登り「チャチャ」とは「おじいさん」の意味で・・あまりにも急な坂で誰もが腰を曲げて登ることから名付けられたそうです・・函館山のふもとにある坂のなかでもかなり急な部類に入るチャチャ登り・・「アイヌ語でおじいさんが腰を屈めて歩く様」と案内にあるとおり勾配が急な坂を上ると前のめりで腰が曲がりそう・・函館聖ヨハネ教会1874年宣教が開始された英国聖公会(現、日本聖公会北海道教区)の教会・・現在の建物は1979年築で茶色の十字形をした屋根が印象的です・・四面の白壁に十字架をあしらい函館山山頂の夜景鑑賞の時茶色の十字形をした屋根が印象的にみえました・・ 1874(明治7)年に英国人のデニング司祭が函館に上陸し宣教活動を始め英国聖公会の教会として道内の先駆けとなりました・・歴代の牧師らは市内に学校や病院などを開設し教育・福祉の分野でも多大な功績を残したそうです・・ 最初の教会は1878(明治11)年に基坂の下に建造されました・・他の建物と同様にその後は度重なる大火による焼失で移転を余儀なくされ現在の聖堂は1979(昭和54)年11月に完成したもので中世紀におけるヨーロッパの教会にならった工法を用いた近代的なデザインとなっています・・車を止めることができるところで私だけが降りて写真を撮ってきたので全てを回ることは出来なかったのですが雰囲気は楽しんくることが出来ました・・続くFC2・・はこちらから
2023/07/28
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函館山からの夜景と元町の夜の風景をタクシーで楽しんだ後・・予約しておいた居酒屋の「大漁旗」で降ろしてもらったのが21時30分中に入ると2階に案内されました・・まずはビールと突き出しでo(*^ー^*)oお疲れ様でしたぁ~♪ホッケ刺し・・ホッケの刺し身?????初めて食べるホッケの刺し身・・甘みがあってコリコリしててヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ ジャガイモを塩辛で味付けしたものを餃子の皮で包んで揚げたもの・・甘く味付けしたジャガイモの中に塩辛が入ってて・・餃子の皮2枚で挟んで包んだものを揚げているのでパリパリした皮の食感とジャガイモのホクホクがなんとも言えず美味しい・・活けイカ刺しイカが入っているということでオーダー・・小さめのイカでしたがコリコリした食感でこれまた美味しい・・まだ足がピクピクしてましたよ・・ホッケホタテのがんがん焼き・・ホッケホタテの数が思った以上に多くて美味しかったけど二人では多すぎたぁ・・ご飯系が欲しくて鮭とおかかのおにぎり・・ガゴメ昆布ラーメン・・ガゴメってなに???ガゴメは主に函館東海岸に生育している大変珍しい昆布の一種で・・葉一面に複雑な凹凸模様を持つがごめ昆布はその籠の目のような姿から「がごめ昆布」と言われるようになったそうです・・結構粘りが強くてネバネバしてる昆布です・・そのネバネバが美味しい・・お味はさっぱりした塩味でした・・もうお腹いっぱい・・ホテルはすぐ裏とタクシーのドライバーさんから聞いていたのですが夜でもあり・・方向感覚もわからなくなってお店の暖簾をしまっていた女性に聞くと知ってる人なら10分ほどですが知らないともっとかかるでしょうねと・・タクシーを呼びましょうかと言われた時眼の前にタクシーがすぐにタクシーを止めてお礼を言ってホテルに戻りました・・ホテルに戻り大浴場へ・・出てくると待合所でクマさんが待っててくれて無料サービスのアイスキャンデーを食べてお風呂で火照った身体を冷やしてから部屋に戻りました・・お部屋の窓からさっきタクシーで登って来た函館山を見て・・ホテルの目の前の夜景を楽しんでベッドに潜り込むと速攻で爆睡・・この日歩いた歩数 9066歩 約6km続く・・FC2・・はこちらから
2023/07/22
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しばらく休憩してホッとしているとすぐにタクシーの予約時間の20時に・・ロビーに降りるとロビーでドライバーさんが待っていてくれました函館山は4月25日(火)~9月30日(土) 17~22時の間は一般車は函館山ロープウェイ山麓駅付近の駐車場に車を停めてロープウェイで上がるか規制解除の時間以降にあがるしかありません・・駐車場もすぐに満車になって止めれる保証はありません・・それで観光タクシーを予約することにしましたこれが大正解・・タクシーはロープウェイ乗り場で並んでいるたくさんの観光客を横目に山を登っていきます・・途中から道路には一切の明かりがなく真っ暗闇の中を車のライトだけで登っていきます・・細くてくねくね曲がった山道を登っていくと綺麗な夜景が見えるスポットが・・(ノ゜ω゜)ノ*.オオォォォォォォォー更に登っていくと道路のど真ん中に大木が・・画像はお借りしました登山道の真ん中に大木?!その大木を避けるかのように舗装された道・・なんで??不思議だよね・・ドライバーさんの話では木を切ろうとした方が亡くなってしまい・・切ると死ぬという話が・・そんなことないやろと切ろうとした強者がいたそうですがその方も亡くなってしまったそうです・・そんな事があり木を切ることをやめたそうです・・上まで登るとタクシーを降りて展望台の方へ・・前日は曇ってて全く見えなかったそうです・・今日は最高ですよと・・その最高の夜景が・・綺麗!!!ドライバーさんに促されて記念写真を(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪記念撮影をした場所は凄い人で・・ゆっくり夜景を楽しむことが出来ません・・ドライバーさんがここは凄い人だから穴場にご案内しますと・・さっきまで居た場所ですが人でいっぱいでしょう・・月曜日でこんなに人が多いのは初めてだとおっしゃっていました・・ロープウェイ乗り場を通り過ぎる時もまたまた凄い行列・・1時間半から2時間待ちだそうです・・その行列を素通りして行くとすごく空いててロープウェイ乗り場が目の前に・・ロープウェイも少し写っていますね・・皆さんロープウェイを降りると前の人について最初に行ったところに流れていくそうです・・ロープウェイを降りたところで逆方面に来るとこの場所に来ます・・少し低くなりますが夜景の見え方には問題がありません・・またまたドライバーさんに促されて私は普段は入らないのですが今回はなぜか素直に撮って頂いて・写真がぼけてしまったのですが・・右の方に赤い明かりがまっすぐに伸びているところがあるでしょう・・あのあたりに断崖絶壁になっている立待岬があるそうです・・あの道路の両側にはお墓が並んでいるんだそうです・・お墓の一部分が啄木一族のお墓となっていて観光地になっているそうです・・夜景を堪能したら下に降りて元町の夜景を回ってくれます・・八幡坂八幡坂の先は古い建物が並ぶ通りです・・その敷石の一部分がハート型・・旧函館区公会堂「青函連絡船」の最後の運航日まで航行していた摩周丸青森と函館をつないでいた「青函連絡船」の最後の運航日(1988年3月13日)まで航行していた摩周丸を産業遺産として保存・公開しているのが「函館市青函連絡船記念館摩周丸」です・・当時の状態のままで保存されている操舵室(船橋)や無線通信室などを見学することができるそうです・・教会も色々と回ってくださったのですが写真がうまく撮れませんでした・・若いドライバーさんでとても親切な方でした・・函館の夜景を目一杯楽しむことが出来ました・・タクシー観光は90分で6240円・・とってもお値打ちのある観光をさせていただきました・・この後ホテルではなく今夜予約を入れておいた居酒屋さんで降ろしていただきました・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/07/21
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2023年7月10日(月)~13日(木)まで北海道の函館に行ってきました・・ちょっと遅れましたが結婚記念日のお祝いに新婚旅行でいった北海道で回らなかった函館に決めました・・飛行機はマイレージを使って予約・・神戸空港から新千歳空港までです・・神戸発スカイマーク173便・・12時40分発・・14時35分着・・少し早めに神戸空港に到着・・予定より到着飛行機が15分遅れ・・搭乗してから空路混雑で更に30分遅れ・・機長さん頑張ってかなり遅れを取り戻してくれました・・新千歳空港についたのは14時56分・・空港からレンタカー会社に電話・・お迎えの車が出発したばかりということで20分待ち・・レンタカーを借りて出発したのが16時・・函館に向かって約4時間の車移動です・・お腹が空いたので道央道に乗ってから樽前SAにSAだからレストランがあると思ったら~(・・?))(((;・・)?トイレとコンビニだけ・・コンビニでおにぎりを買って食べました・・カニカマがすし飯になっていて美味しかったです・・ゴミを捨てようとゴミ箱を探したのですがありませんトイレの中に赤ちゃんのおむつ用?のゴミ箱が一つだけ・・北海道は広かった・・高速道も空いてたし・・今夜のお宿の函館国際ホテルに到着したのが19時30分・・函館夜景ツアーのタクシーの予約が20時・・お部屋に入って荷物をおいて一休み・・お部屋はデラックスコーナーツインを予約しておきました・・広い窓から見えるのは函館山ロープウェイ・・もし雨で函館山の夜景がみれなくてもお部屋からの眺めが素晴らしかったのでこの部屋にしたんです・・が・・心配していたお天気にも恵まれて最高の気分です・・ホテルには結婚記念日だと伝えておいたからかな・・お部屋にチーズケーキとジュースが用意してありました・・ホテルの喫茶店で出している美味しいチーズケーキでした・・ジュースは北海道七飯ワイナリーから届いたりんごジュース750ml瓶・・写真を撮ろうとしたらクマさんすでに食べてしまってて・・下にリンク貼っておきましたそのお品がそうです・・チーズケーキは濃厚でまったりしたお味・・ジュースはりんごそのままのお味でどちらも最高でした・・昭和製菓 函館スイーツセレクションR 2023 ギフト 贈り物 お祝い お礼 お返し プレゼント 内祝い 結婚祝い 出産祝い お見舞い 快気祝い 誕生日 記念日 スイーツ デザート 洋菓子 ケーキ タルト 詰め合わせ 人気 おすすめ 北海道 グルメ 送料無料 お取り寄せ価格:3,450円(税込、送料無料) (2023/7/18時点) 楽天で購入 北海道七飯町ワイナリーから届いたりんごジュースはこだてわいん(北海道函館ワイン)果汁100%りんごジュース 価格:1,080円(税込、送料別) (2023/7/18時点) 楽天で購入 続く・・FC2・・はこちらから
2023/07/18
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6月20日で結婚47年でしたその記念に新婚旅行で行ったここへ3泊4日で行って行ってきました・・実際に行ったのは新婚旅行では行けなかった場所ですが・・ここです・・画像を見るとわかる方にはすぐわかるかと・・今回の旅はお天気がいまいちで色々とありましたがクマさんと二人でレンタカーで回ってきました・・高速道路を走行中に熊が出没して途中で高速を降ろされたり・・車の中で熊・・でないのかなぁ・・なんて話していたときの出来事で本当にでるんだとびっくり!!昨夜は21時半すぎに帰宅・・疲れてしまってお風呂に入ったら速攻で爆睡・・ぼちぼちとアップしてまいりますので気長にお付き合い下さると有り難いです・・o(*^▽^*)o~♪FC2・・はこちらから
2023/07/14
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牧野植物園から徒歩10分くらいで竹林寺です・・下にあった駐車場の側には納経所ふだしょへ直行できる入り口があったのでそこから入りました・・竹林寺は真言宗智山派に属しています・・鐘楼堂お参り前に仏様への挨拶としてこの鐘をついていいそうです・・五台山竹林寺の正門からはいるとこの階段を登ってくることになります・・階段を降りて五台山竹林寺の正門をパチ /■\_・) カメラ 正門の石階段からまっすぐ進んでいくと大きな仁王門があります・・竹林寺は神亀元年(724)聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)を奉じた僧・行基(ぎょうき)により唐の五台山(現在の中国山西省五台山)になぞらえ開創されました・・開創の縁起には仏教の崇敬の念篤い時の帝・聖武天皇はある夜文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の霊場として名高い大唐の五台山に登りかの地で親しく文殊菩薩から仏教の奥義を授かるという霊夢をご覧になりました・・これをたいそうお喜びになった帝は行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し伽藍(がらん)を建立するように命ぜられたのでした・・やがて土佐のこの地が選ばれ行基自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊とし当山は開創されたと伝えられています・・時代は下り、大同年間(806~809)には弘法大師が四国回国の砌当山に錫(しゃく)を留めて修行されこの由縁をもって当山はのちに四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました・・その後時代を経て江戸時代に至っては土佐代々藩主の帰依を受け藩主祈願寺として寺運は隆盛・・堂塔は土佐随一の荘厳を誇り学侶が雲集し学山(がくざん)(学問寺)として当地における宗教・文化の中心的役割を担うに至りました・・土佐の民謡「よさこい節」で広く親しまれている純信(じゅんしん)・お馬の恋物語・・その僧・純信も江戸時代末当山の脇坊・南の坊に住む修行僧のひとりでした・・しかし明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難は当山といえどもこれを避け難く寺運は一時衰微しましたがその後かつての寺観を取り戻すべく伽藍の復興整備を進めようやく往古の輪奐(りんかん)に復するに至りました・・五重塔当山には古くは三重塔がありましたが明治32年(1899年)の台風により倒壊・・爾来・塔再建を悲願としてきましたが昭和55年(1980年)高さ31メートル・総檜造り・・鎌倉時代初期の様式を持つ五重塔として復興することができました・・塔内にはインド・ブッダガヤより勧請された仏舎利(ぶつしゃり)を納めまた初層内陣には大日如来(だいにちにょらい)がお祀りされています・・本堂(文殊堂)文殊菩薩を祀ることから文殊堂とも呼ばれる本堂は・・寛永21年(1644年)土佐二代藩主山内忠義(やまうちただよし)公により造営されました・・今日当山に現存する最古の建造物で国重要文化財に指定されています・・室町時代様式・一層入母屋(いりもや)・五間四方・・柿葺(こけらぶき)のこの本堂は荘重な佇まいの中にも唐様の軽快な曲線を見せる軒反りや放射状に広がった扇垂木(おおぎたるき)など密教(みっきょう)寺院建築の中でも特異な様式を随所に見ることができます・・栃木県から飛行機でやってきてレンタカーで回っているというご夫婦車で楽に回らせてもらっていますと笑っていらっしゃいました・・ここでちょっと気になるお品が・・ノブになにかお土産をと考えていたときに目に入りました高知県産の西山金時を使った芋べらケーキ・・程よい甘みとほくほくの美味しさ!お土産に購入しました14時20分竹林寺を出発・・帰路につきます・・讃岐富士に別れを告げて瀬戸大橋を渡って帰ります・・ガソリンが殆ど空になったので満タンにして帰宅したのが18時・・買ってきた芋ベラケーキ・・食後のデザートにいただきました・・西山金時の甘みとほくほくの食感がとっても美味しかったです・・洋酒が入っているのが(ノブお酒が駄目なんです)気になったのですがほんのり香る程度で芋の美味しさを引き立てていました・・とても美味しかったのでもっと買ってくればよかったなと...... ( 〃..)ノ ハンセイ歩いた歩数 12610歩 約8.5kmFC2・・はこちらから
2023/06/23
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11時40分・・お昼の時間でもあるし昨夜のホテルの鰹のタタキが残念だったのでどうしても美味しい鰹のタタキが食べたくて高知城から徒歩5分の「ひろめ市場」へ雨は小降りになっていました・・外からでも活気が感じられます中に入ると結構な人々・・目的の「明神丸」さんが左にみえます・・まずは席を確保・・空いてる席があったけど食器がそのままだったのでそこにいたおじさんに聞くとすぐに片付けるから座ってよ・・と・・とってもいい人で・・明神丸で買ってくると話しをするとそこより「やいろ亭」の塩カツオが最高に美味しいと教えてくださった・・飲み物を注文してから私が「やいろ亭」へすでに数人並んでいます・・前に並んでいた男性に地元の方ですか?違います・・「明神丸」はチェーン店で岡山にもお店があるからこちらの塩タタキを食べようと思って・・「やいろ亭」さんの塩タタキ評判が良さそうです・・皆さんも次々と塩タタキをオーダーしていますオーダーを聞くのも手早くてちゃちゃっと処理して・・前の男性・・塩タタキ定食をオーダーしていました・・私は塩タタキとウツボの唐揚げおすすめの海苔の天ぷらを・・すぐに塩タタキが出来上がって・・揚げ物は5分後に来てくださいとのことでひとまず席に・・岩塩がピカピカしてるの見えますか?塩がしてあるのでにんにくとわさびだけつけていただきます・・「やいろ亭」の大将・・とっても活気があって雰囲気のあるおじさんでした・・揚がったウツボの唐揚げとのりの天ぷらを持って・・塩カツオ::なにこれ!!カツオってこんなに美味しいの!!!!!こんな美味しいカツオ食べたことない・・しかも塩カツオ?!初めてやん!!岩塩の塩梅が最高・・にんにくとわさびの相性が抜群!!持って帰れるなら持って帰りたいぞぉ~~~~~!!美味すぎるやん!!一切れが大きいから食べごたえがあるし・・昨日のと全然違う代物・・ヤッタァー!\(`∇\)(/`∇)/ヤッタァー!ウツボの唐揚げ・・人生で初めて食べるウツボ・・白身であっさりしたお味でした・・おすすめの海苔の天ぷら・・これまた香りが良くて・・とりあえずと思って3品買ってきたけどお腹いっぱい・・大満足じゃぁ~~~~~!!市場の中をなにかお土産になるものはないかとo(- ̄*o))))...ウロウロ...((((o* ̄-)oカツオ飯・・たこ飯・・ウツボの唐揚げ・・焼きサバ寿司・・ノブの夕飯用に購入・・これどれもすっごく良い味付けで美味しかったです・・ウツボの唐揚げ・・ノブが・・あれウツボって言われんかったらわからないね・・って言ってました・・確かにそうなんです・・ウツボ・・普通に白身で美味しい魚です・・屋上に止めた駐車場から見えた高知城・・美しいお城です・・高知城とお別れをして次の観光へ・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/06/13
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桂浜・・10時出発高知城まで車で約40分・・高知城近くの駐車場に止めて徒歩で高知城へ・・追手門の裏の方から入ったら最初に出迎えてくれたのが野村茂久馬 のむら-もくま明治2年(1869)~昭和35年(1960)安芸郡奈半利村の豪農の子に生まれる・・明治30年ころ高知市に出内国通運高知取引店を預かることになる・・日露戦役に戦時輸送など陸海に事業を拡げる・・明治末には大阪商船に関連を持って浦戸港他・・高知県東西沿岸各寄航地の沖取荷役を独占する・・そのほか四国のバス事業の統合・高知鉄道・土佐商船などの設立に力をつくす・・昭和7年には貴族院議員に当選し同8年高知商工会議所会頭となり土佐の交通王とよばれた・・桂浜の坂本竜馬銅像建立にも協力した・・(・0・*)ホ,(゜0゜*)ホ--ッッ!!!実業家だそうです・・クマさんも知らなかった人物・・凄い人なんですね・・高知城は鏡川・江の口川を外堀とした約44mの大高坂山に関ヶ原の戦い後掛川から入封した土佐藩初代藩主の山内一豊が築いた城でこの地にはもともと南北朝時代に大高坂松王丸によって築かれた大高山城という居城があったそうです・・1603年(慶長8)に本丸・二の丸の石垣と本丸主要部が完成し一豊が入城・・1611年(慶長16)三の丸の完成をみてほぼ全城郭が整いましたが築城から126年後の1727年(享保12)城下町から出た大火で城郭のほとんどが消失してしまいます・・幕府の許可を得て再建に着手し1753年(宝暦3)までに創建当時の古い様式の姿に戻すことに成功・・四重六階の望楼型天守・本丸御殿(懐徳館)はじめ本丸建物群がそのまま現存する日本で唯一の城郭遺構となっています・・石樋(いしどい)高知県は全国でも有数の多雨地帯のため高知城も特に排水には注意が払われています・・石樋は排水が直接石垣に当たらないように石垣の上部から突き出して造られていて・・その下には水受けの敷石をして地面を保護しています・・このような設備は雨の多い土佐ならではの独特の設備で・・他の城郭では見ることのできない珍しいものです・・石樋は本丸や三ノ丸などを含め現在16カ所確認されていますが・・下になるほど排水量が多くなるためこの石樋が一番大きく造られています・・山内一豊の妻の銅像本丸目指して進むとまもなく山内一豊の妻千代と馬の像があります・・高価な名馬を購入するために千代が持参金を夫に差し出した内助の功の逸話がモチーフだそうです・・三の丸石垣三ノ丸は、慶長6年(1601)の築城開始から10年を要して最後に完成した。面積は4,641㎡、出隅部分の石垣の高さは約13m。石垣に使用されている石材は主にチャートであるが、砂岩、石灰岩も一部使用されており、穴太衆(あのうしゅう)が、安土城の石垣で始めたとされる自然石の形を活かした野面積みで多くの面が構築されている。また、三ノ丸には、1,815㎡の壮大な御殿が建築されていた。三ノ丸の入り口にあたる鉄門付近の石垣は、鉄門の改築に伴い積み直されたものと見られ、砂岩で構成された打ち込みハギで築かれている。今回の解体修理に伴う発掘調査でチャートの根石(基礎石)が確認され、改めてその事実が確認された。三ノ丸の石垣は、慶安3年(1650)、宝永4年(1707)に地震や豪雨により、崩壊し、修理した記録が見られる。今回の修理は、平成11年に実施した調査により、割れたり、孕んだ石が多く、崩落の危険性が確認されたことから、平成12年度から事前の発掘調査や測量などを実施した後、鉄門付近から東面の花壇前まで実施した。工事は、改修前の石垣の状態を把握した後、割れた石以外は元の石を使用し、元の場所に戻すことなど原状復旧を基本として実施した。 改修工事は、穴太衆の野面積みの技法を現代に伝える石工が携わって平成16年度から平成21年度にかけて実施、総工費約4億円を要した。現代の技術によって歴史という名の姿が保たれている・・凄いことですね・・雨の中階段をひたすら登ってきて本丸が見えました・・後少しです・・懐徳館(かいとくかん)藩政時代に築かれた本丸御殿ではこの世に 2 つしか現存していない本丸御殿の 1 つです・・ちなみに高知城の本丸御殿のことを「懐徳館」と言うのですが・・これは明治 6 年に高知城が公園として一般に公開された時に懐徳館と名付けたのだそうです・・そしてこの本丸御殿が天守への入口になっています・・ここはまだ詰門です・・詰門(つめもん)詰門は本丸と二の丸の間の堀切に設けられた櫓門です・・廊下橋としての役割も担っていて二回部分が藩主のもとに向かう家老の待合場所だったことから詰門の名が付けられたと言われています・・一階部分は籠城に備え塩を蓄えるくらになっています・・入り口は東面と西面で食い違いになっていて・・攻め寄せた敵が容易に突破できない構造となっています・・そしてこの詰門を抜けると本丸御殿と天守が見えてきます・・功名が辻で仲間由紀恵さんが実際に着た着物が展示されています・・本丸御殿欄間高知城の本丸御殿は書院造です・・書院造書院造は寝殿造を母体として発展したもので室町時代にその形式が生まれ近世に武家の住宅様式として完成しました・・それは、大・小両書院を中心に玄関や台所などを配した一連の建物群で個々の建物(書院)は畳敷きのいくつかの部屋の集合によって構成されます・・特徴として部屋の外回りの建具に舞良戸(まいらど)・明障子(あかりしょう)雨戸が立てられ内部は間仕切が増えて大小の部屋ができ間仕切には襖・明障子が用いられています・・柱は角柱で壁は張紙が貼られ障壁画などによって装飾されています・・また天井には格天井(ごうてんじょう)が用いられます・・書院造は主室の床を一段高くして上段とすることや座敷飾りの位置・装飾などにより・・身分と格式の序列を表現していて武家の権威を象徴する建築様式です・・杉円盤標本(左上画像)物見窓(右上画像) 矢狭間塀に設けられた横連子(よこれんじ)の武者窓のことで本丸東南面のも物見(監視)を担う軍学上重要な窓です・・矢狭間塀には監視や鉄砲をうつためにある狭間が設けられていますが・・確認できる範囲が狭いことから監視範囲を大きくとった物見窓が設けられています・・竹の節欄間(左下画像)竹の節欄間畑の節状のデザインが束に用いられているもので・・間仕切りの上部に使われています・・この様式は平安時代の貴族の書院造りの館の間仕切りに用いられた意匠と伝えられています・・帳台構え(右下画像)一応帳台構えでこの扉の向こうは納戸なんですが・・藩主護衛の武士が隠れたことから「武者隠(むしゃかくし)」と呼ばれたそうです・・書院造りの画像の真ん中の柱の左に少しみえていますわかりますか?高知城は外観 4 重(内部 3 層 6 階)の望楼型天守です・・つまりここから全部で 6 階まで上がっていくということになります・・2 階には高知城の精巧なジオラマが展示していました・・かっこいいよね・・坂本龍馬的紋服(複製品)山内容堂所使用的陣羽織(複製品)見ごたえのある高知城でした・・姫路には世界遺産の姫路城がありますがそれぞれに個性があって素晴らしいです・・さて・・高知城を後にして向かったのは・・どこでしょうか?もう皆さんおわかりかとおもいますが・・o(*^▽^*)o~♪続く・・FC2・・はこちらから
2023/06/10
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2023年5月19日(金)雨のち曇いつものように6時前には目が覚めてテラスにでてお天気を確認・・本降りだぁ・・お天気が良ければ最高の眺めが広がっていたはず・・残念・・身支度を整えて朝食へ・・団体さんが入っているので早朝は混み合いそうなので7時30分過ぎに行くといいと聞いていましたどこでも朝食はバイキングですね・・鰹のだし茶漬け・・これがメッチャクチャ美味しかった・・ふとお隣を見るととろろ丼を食べてる方が・・とろろ丼大好きなんですよだから少しだけと・・とろろ・おくら・しらす・おかか・・・しらすはたっぷりと・・ご飯はお茶碗のそこにほんの少し・・これまた美味しくてお腹いっぱい!!売店を少しうろうろしてお部屋に戻りチェックアウトをして9時に桂浜に向かって出発・・9時30分桂浜到着・・桂浜高知県を代表する観光名所の一つで・・浦戸湾口・龍頭[りゅうず]岬と龍王岬の間に弓状に広がる海岸・・背後に茂り合う松林と砂浜・・紺碧の海が箱庭のように調和する見事な景勝地です・・古来より月の名所として知られ“月の名所は桂浜・・・”と「よさこい節」にも唄われています・・東端の龍頭岬では幕末の志士坂本龍馬の銅像が太平洋を眺めています・・坂本龍馬の像が見えてきました・・後ろから(-p■)q☆パシャッパシャ☆ 坂本龍馬土佐が生んだ日本一有名な幕末の英雄・・像の高さは5.3mで台座を含めた総高は13.5mという立派な銅像です・・1928年(昭和3年)龍馬を慕う地元の有志たちによって建立されたものです・・銅像の龍馬は桂浜の向こうの太平洋を見つめています浜に降りる階段を振り向くと太平洋を見つめる竜馬さん・・かっこいい!!桂浜龍王岬浦戸湾口にある弓状に広がる海岸の南端にある岬・・岬の上部には海津見神社(龍王宮)・早高神社の祠が建っています・・あの先の海津見神社(龍王宮)・早高神社の祠のところまで行こうとするとクマさんがもういい・・こんな雨の中行きたくない・・ここから見るだけで十分や・・あらま・・さっさと引き返しちゃった・・クマさ~~~~んこっち向いて(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪竜馬さんとのツーショットくらい撮っておかないとねぇ・・せっかく来たのに滞在時間たったの20分だもんね・・これで我慢するか!!ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆続く・・FC2・・はこちらから
2023/06/07
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室戸岬を16時20分に出発し今夜のホテルに向かいます車で約1時間30分の距離・・今夜のお宿のロイヤルホテル土佐についたのは17時40分途中で雨が本降りになって・・画像はお借りしました高台にあるホテルなのでお天気が良ければ夕日・朝日が最高だったと思います・・かなり残念・・立派なホテルなのに到着しても誰もきません・・中に入って聞くと先にあるPに停めてくださいとのこと・・傘を貸してくれることも荷物を預かってくれることもなし・・チェックインのときも誰一人いらっしゃいませの言葉もなく順番を待っていたのにお待たせしましたの言葉もなし・・第一印象めっちゃ悪いやん!!お腹が空いていたのですぐに食事にすることにバルコニー付きの大きな窓・・雨で景色は全く見えません・・空も海も灰色でよくわからん・・荷物を置いてレストランへ案内してくれたのはおばさん・・名前を告げるとチェックしていましたが目を細めてじっと探しています・・やっと見つけて案内してくれたのは違う席・・別の女性に読んでもらってやっと席につけました・・メガネかけたほうがいいよ・・このホテル・・従業員の接客態度が・・・・田舎だからこんなもん?????飲み物を頼もうとしたけどいなくなっちゃった・・やっとやってきたのでまずは生ビールでお疲れ様・・ホタルイカ・・彩り華寿司・・花茗荷・・鮎甘露煮・・胡麻クリーム・・蓮根煎餅・・柚子味噌かけ・・葛豆腐・・柚子味噌掛け・・鰹の叩き・・近目鯛・・鮪のお造り・・鰹の叩き・・期待していたのに残念なお味・・近目鯛が一番美味しかったぁ・・四万十ポークの生姜鍋四万十ポークがめちゃくちゃ香りが良くて美味しかった・・生姜との相性も抜群でした・・バーニャカウダー・・和牛肉・・野菜各種・・牛肉が柔らかくてつけダレもいい感じ・・蟹身のあんかけ・・白ごはん・・味噌汁・・漬物・・高知のお味噌ってちょっと辛めらしいです・・味噌汁のわかめ?だと思うんだけど海藻が凄く美味しかったです・・果物ゼリーかけ・・高知だけあって柚子を使ったゼリーでした・・柚子を使い爽やかな味に仕上がっていて口がさっぱりしました・・全体的に満足なお味でお腹いっぱい・・食後お部屋でゆっくりしてから大浴場へ画像はお借りしました小雨になっていたので露天風呂へ・・あまり人がいなかったのでのんびり・・お湯は熱くなくぬるくなくのいい感じでした・・クマさんも小雨に濡れながらの露天風呂が気持ち良かったわと言ってました・・露天風呂で今日の疲れをほぐしベッドに入ると速攻で寝息をたてるクマさんお疲れ様でした・・おやすみなさい~♪(⌒∇⌒)ノ""続く・・歩いた歩数 10506歩 距離 約7kmFC2・・はこちらから
2023/06/05
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モネの庭を観光した後室戸岬にむけて約1時間の移動です・・15時20分 室戸岬着走っていてPを見つけ止めるとそこから遊歩道がありました・・お天気は曇・・どんよりした空です・・太平洋に向かってV字に突き出た岬ですジオパークのメインスポットで海岸沿いには2.6kmにわたって乱礁遊歩道が整備されています・・1964年6月に国定公園の指定・・2011年9月には世界ジオパークに認定されました・・中岡慎太郎像中岡慎太郎像から遊歩道を海へ下りていくと灌頂ヶ浜です空模様が怪しくなってきました・・灌頂ヶ浜(かんじょうがはま)灌頂ヶ浜(かんじょうがはま)は弘法大師が灌頂の会式をした浜だそうです・・大きな岩や太平洋の海など荒々しい景観が広がっています・・牛角岩・・子授けの岩・・ハマヒルガオが咲いていました・・Pに戻り少し先に進むと御厨人窟:みくろど)室戸市には弘法大師(空海)ゆかりの場所が数多く残っています・・ その一つがこの「御厨人窟」で修行時のご住居として使われていたと伝えられています・・約1200年前の平安時代青年時代の大師が悟りを開いたといわれる洞窟で内には五所神社とばれる社があります・・神明窟 “空海”と名前をつけたのもここから見える空と海に感銘を受けたからと言われています・・向かって右側には主に御修行の場として使われていたと伝えられる「神明窟」があります・・「御厨人窟の波音」は環境庁の「日本の音風景100選」に選ばれています・・五所神社向かって左側にある五社神社中に入るとかなり奥が深く真っ暗・・凡人の私は怖いと感じたのですぐに外に出ました・・御厨人窟の前にの遊歩道を下りてみます・・ビシャゴ岩約1400万年前にズドーンとマグマが地層に入り込んだあと・・マグマが地層に貫入して固まったとされる岩・・水平に貫入したものがその後の地殻変動によりほぼ垂直に回転したものです・・山側から海側に向かって順番に細かい粒~粗い粒とマグマが冷やされるのにかかった時間の長さによって模様が移り変ります・・この岩には「おさご」という絶世の美女が自分をめぐり・・若者たちが争ったのを悲しみ身投げしたという伝説があります・・弘法大師行水の池・・少し雨がパラパラと降ってきたので観光を切り上げてホテルに向かうことにします・・続くFC2・・はこちらから
2023/06/02
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龍河洞を12時15分に出発し車で約1時間ちょっとのマルモッタン(モネの庭)へ向かいます・・途中で私が気になったのは高い建物・・今まで見たことがない建物です・・あれなにかな?避難するところと思う・・確かに右側には太平洋・・高波が来たら逃げるところがない・・瀬戸内海しか知らない私には初めて見た建物・・避難タワーでした・・こうした避難タワーがたくさん設置されていました・・13時20分・・マルモッタン到着・・印象派画家の巨匠クロード・モネが愛した庭として有名なフランスはジヴェルニーにある「モネの庭」・・モネは生涯の半分をこの庭とアトリエのある邸宅で過ごし・・創作以外の時間を庭仕事に充てていたといいます・・そうしたクロード・モネの想いを高知の自然の中で再現したのが北川村モネの庭マルモッタンで・・モネの庭を名乗ることを許された世界で唯一の場所です・・約3万平方メートルの敷地に約7万本の草花が植裁され・・四季折々の美しい景観を楽しむことができます・・残念ながら人気の青い睡蓮はまだ咲いていませんでした・・クマさんおっ!これ見たことない・・見たことのないトンボ発見!そっと捕まえて葉の上にのせてあげてました・・オオシオカラトンボの♀です・・左が♂・・右が♀・・オスは全体的に青みがかっていてお腹の先と目は黒い・・メスはお腹が黄色でオスに比べて全体的に黒っぽいです・・黒い翅脈の走る透明な翅に黒い縁紋を持ち先端は暗褐色になります・・随分違いますねぇ・・ ♂は未熟なうちは♀と同じような色彩をしていますが成熟すると全身に青白い粉を吹き翅の基部(背面)にまで広がります・・♂♀とも翅の基部に黒褐色の部分が広がっています・・他のシオカラトンボ属の種よりひとまわり大きく体型もがっしりとしています・・北海道・本州・四国では本種以外のシオカラトンボ属ではシオカラトンボ とシオヤトンボ しかみられないので区別は容易だそうです・・ソフトクリームを食べながらちょっと休憩・・テラスからの風景です・・お庭のお手入れをしている方とお花やバラの話しが弾んで・・その時に教えていただいたのがモネが一番愛していたバラのこと・・すぐにそのバラを探して撮ってきましたマーメイド数少ない沖縄に自生するカカヤンバラ(ロサ ブラクテアタ)の交配種・・琥珀を帯びた独特のクリーム黄色の一重咲きで幻想的な美しさ・・甘く強い香りもあり・・花色・花容・香りと三拍子そろって素晴らしく・・夏から秋まで絶え間なく咲き続けるそうです・・モネが目覚めて窓を開け最初に見るのがこのマーメイド・・それほどまでに愛されたバラだそうです・・マーメイドを見ていて最初に思ったのが我が家のマウンテンスノーとよく似てる!!お花の大きさはマーメイドのほうが一回り大きいです・・マウンテンスノーイギリスのデビットオースチン作のバラ・・黄色い弁芯にゴールドのシベが広がる美しいハイブリッド・ウィクラナ系統のバラ・・濃緑色の光沢のある葉とシンプルな花弁とのバランスが絶妙な美しさ・・マーメイドは1917年/イギリス作出者 William Paul and Sonマウンテンスノーは1985年/イギリス作出者 David C. H. Austin似てませんか?直売所を覗いてみましたクロード・モネの接ぎ木のバラがたくさん並んでいました・・クマさんお花には目もくれずにずっとみていたものが・・大きな松ぼっくりです・・そんなクマさんを見ていたスタッフさんが直売所の責任者の方に聞いてくださっていただけることになったんです・・上のテラスに座って(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪とっても無邪気でまるで子供みたいに喜んでますね・・その松ぼっくり我が家の玄関に・・素敵な思い出がいっぱいつまった松ぼっくり・・松ぼっくりを見るたびにモネの庭を思い出します・・クマさん良かったね・・o(*^▽^*)o~♪FC2・・はこちらから
2023/05/27
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2023年5月17日(木) 晴れのち曇り自宅を7時30分に出て高知に向けて出発・・山陽道を通って瀬戸大橋を渡るコースです・・最初に向かったのはクマさんが行ったことがないという龍河洞・・私は独身時代に一度行ったきりです・・自宅から約3時間ちょっと・・途中・・休憩をはさみながらの移動でしたので龍河洞に到着したのは10時45分・・龍河洞とは?高知市中心から車で約40分東に位置する香美市にある石灰岩でできた鍾乳洞のことで全長約4㎞の巨大な鍾乳洞は山頂付近の盆地にたまった雨水が1億7,500万年ものとてつもない歳月をかけてつくりだしたとされています・・龍河洞の出口あたりでは弥生時代に使われていたものと思われる居住跡も見ることができ世界的にも珍しい石灰華(炭酸カルシウムの沈殿物)に包まれた弥生式土器も確認できます・・また岩手県の龍泉洞や山口県の秋芳洞と肩を並べる「日本三大鍾乳洞」としても知られていて日本を代表する鍾乳洞の一つといえます・・洞内より数十点の弥生土器・炉跡・木炭および獣骨などを発見されており弥生時代にあって洞内に居住した痕跡がのこるとして天然記念物指定と同時に国の史跡にも指定されました・・特に洞内において弥生土器が鍾乳石と一体化したものが見られ「神の壺」と命名され龍河洞のシンボリックな存在になっています・・観光客は殆どいませんでした・・大型連休のときはいっぱいだったそうです・・坂を登った先に長い階段・・右にエスカレーターがあります・・クマさん迷わずエスカレーターを選択・・洞窟入口(東本洞)と龍王神社・・今回私達が見学したのは・・鍾乳洞の総延長約4キロメートルのうち・・約1キロメートルの通常ルートです・・中に入ると狭い通路上から水滴がかなりポタポタと落ちてきます・・足元が濡れているので気をつけて進みます・・石花殿・・洞穴サンゴ(小さい鍾乳石)が天井と壁一面に広がり光を反射してまるで石の花が咲き乱れるように見えます・・千仞の間(せんじんのま)・・千尋(一尋は約1.5m」もあろうかと感じるほど洞内で最も天井が高い場所です(実際の高さは約30m)龍河洞がただの横穴ではなく立体的に入り組んだ構造であることが垣間見えます・・雲の架け橋・・飛龍の滝・・本洞で二番目に大きい滝です・・龍河洞が雨に包まれると飛龍のような瀑布が姿を現します・・記念の滝・・高さ11mの洞内最大の滝です・・昭和6年(1931年」山内浩氏・松井正実氏の両名が前人未到であった滝の上部を探索・・その奥に広がる大規模な鍾乳洞が発見されました・・龍河洞探索の礎となった記念すべき場所です・・洞内はかなり狭くて横向きにならないと通れないところもたくさんまた頭にも気をつけないとぶつけてしまいます天降石と縛り幕・・その昔・・高僧修行の跡地になっています・・高僧修行の跡・・1892年(明治25年)徳島県地福寺の和尚様が3週間たてこもりご修行されたと言い伝えられ龍河洞全洞発見の昭和6年にはとうじの石ぐろが残っており高僧修行の跡として平成元年に建立されたものです・・クラゲ石・・音無の滝・・裏見の滝・・神の壺・・神の壺は石灰華(炭酸カルシウムの沈殿物)に包まれた壺のことで・・約2,000年前に弥生人がこの鍾乳洞で生活をしていた証なのだそうです・・またこの壺は鍾乳洞とつながって一体化しているものとして世界で唯一の資料として学術的に高い価値を持っているんだとか・・この龍河洞ではどの季節でも洞内の温度が15度程度で保たれていて一年中過ごしやすいことから弥生人の居住スペースになっていたのだろうとのことです・・また鍾乳洞では神の壺のように「洞内に壺を置いておけば鍾乳洞に包まれるのか」という実験がおこなわれています・・この実験は龍河洞が発見されて間もない1937年(昭和12年)にスタートした実験で・・2023年現在では壺の底部が鍾乳洞と一体化し始めていることも確認できます・・今までで86年!!通天門・・しんどい坂・・確かにしんどい!中は湿度が高くて汗だくだく!!かなり狭いから通り抜けるときに身体があたります・・炉跡・・弥生時代に使われていたものと思われる居住跡・・この先を進むと出口となります・・出口はビル20階くらい上になります・・かなり登って来ました・・下りのエスカレーターはなし・・この階段を下りてきました・・年齢のせいなのか階段を上がるのは身体的はきついですが下るのは身体的には楽ですが足が引っかかって転びそうで怖いです・・膝にもかなりの負担がかかってきます・・時計を見ると12時まえ・・下にあったお蕎麦屋さんに行くことに・・ユニークなおじさんがお出迎え・・ざる蕎麦とおにぎりを注文して・・おにぎり・・ご飯がゴチンで残念!!お蕎麦は腰がある10割蕎麦・・お出汁はちょっと辛め・・とっても美味しかったです・・最後の蕎麦湯が最高だった!!って蕎麦湯かい!!って話しだよねぇ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆FC2・・はこちらから
2023/05/23
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熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖地であり「伊勢へ七度、熊野へ三度」とさえ言われているそうです・・本宮の地に神が祀られたのは今からおよそ2000年前の第10代崇神天皇の世といわれていますからずいぶん昔のことですね・・熊野詣が盛んだったのは平安時代の中期から鎌倉時代にかけてだと伝えられています・・延喜7(907)年・・宇多法皇以来・法皇上皇の御幸も盛んで白河上皇の9度・・鳥羽上皇の21度・後白河上皇の34度・後鳥羽上皇の28度と多くを数えましたが弘安4(1281)年3月亀山上皇の御幸をもって終結をつげています・・江戸時代に入って元和5(1619)年紀州藩主徳川頼宜が熊野三山の復興に力を入れ・・再び「蟻の熊野詣」の最盛期を迎えることができたとあります・・言うまでもなく・・身分や階級を問わない多くの人々が熊野にあこがれ救いを求め・甦りを願って異郷とも思える山深いこの地を目指したのです・・こちらは裏にあたります本来なら正面に回るところですがこちらから失礼することに・・クマさんの背中を見ながら奥に進みます・・外国からの訪問者もかなりいました・・昨夜止まったホテルに宿泊していた海外からのツアー客も見かけました・・門をくぐると・・檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわします・・かつては熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが・・明治22年の洪水で多くが流出し・・流出を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・遷座しました・・向かって左手の社殿が夫須美大神(ふすみのおおかみ)・・速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神・・中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)・・そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られていて交通安全・大漁満足・家庭円満・夫婦和合・長寿の神として人々を迎え入れてきました・・本殿へと続く158段の石段・・石段の両脇には幟がなびき生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせますね・・熊野本宮に勤めてらっしゃる方と出会いました・・コーヒーのいい香りがしてきたので飲みそこねた話しをすると・・その下にあるコーヒーショップは熊野の水を使って淹れてる美味しいコーヒーですよ・・と教えて下さいました・・クマさん・・疲れた顔してますね・・コーヒーを飲んで美味しい・・と一言・・ホットだけにほっとしたみたい・・o(*^▽^*)oあはっ♪ここが熊野本宮の正面・・道路の真向かいの駐車場に車を止めています・・看板にこの先・・大斎原まで徒歩10分と・・クマさんを誘ったのですがもういい・・ここで待ってる・・ちょっと寄り道のときといい・・クマさんがそう言う事言うの初めてのことです・・足を痛めて数ヶ月治らなかったのがよほど堪えたのかもしれません・・ちょっと待ってて・・写真だけ撮ってくるからと私一人で行きました・・大斎原 (おおゆのはら)日本最大の大鳥居です・・熊野本宮大社はもともと現在の高台ではなくそこから徒歩約10分ほどの熊野川・音無川・岩田川が合流する中洲「大斎原(おおゆのはら)」に築かれました・・社殿が建てられたのが紀元前33年・・中洲全体が熊野本宮大社の敷地でした・・現在の大斎原は二基の石祠(せきし)と日本最大の大鳥居が建っています・・コーヒーショップでおすすめのランチのお店を聞いていたので誘ったのですが・・まだ食べたくないと・・12時24分の事です・・朝をしっかり食べたから?私もお腹が空いたって感じではなかったので帰路の途中で立ち寄る予定のとれとれ市場で食べようと言うことに・・とれとれ市場は凄い人・人で駐車場もいっぱいくるくる回っているときにちょうど出る車があり無事止めて・・中に入っても人・人でいっぱい・・お昼を食べようとお店を探したのですがどの店も行列・行列・・私もクマさんもこうなるともう食べる気が失せます・・お土産に新鮮な魚でもと魚コーナーを回ってみたけど高くて・・そんなとき後ろからこんなん・・大阪でこうたほうが安い・・の声が聞こえて・・思わずうんうんと納得しちゃった私・・頂いていた残りのクーポンを使い切ろうと・・おみやげコーナーに移動して購入したのがかどやの薄皮まんじゅう・ひとくちいちご大福・熊野古道物語・・かどやのうすかわまんじゅう・・上品な甘さが美味しかったです・・ひとくちいちご大福も熊野古道物語も結構美味しかったです・・またまたお昼を食べそこねたぁ・・^^;阪和自動車道に入って最初にあった印南SAにはいったのが15時・・フードコートには食べたい物がなくクマさんがこれで良いわと選んだのがめはりずしとサンマ寿司・・めはりずしとは歌山県と三重県にまたがるエリアの紀州・熊野地方に伝わる郷土料理・・握り飯を高菜の葉で包んだだけというシンプルなものです・・お味は・・普通・・さんま寿司のほうが美味しかった・・疲れた身体に酢飯のほうが良かっただけかもですが・・何故かランチってこういうことになっちゃう私達・・今回もまたかぁ~~~~~壁|〃´△`)-3ハゥー行く前には地元の美味しいもの食べようってねって話してても何故かいつもこういうことになっちゃう・・まともなランチが食べたいぞ・・・・……(-。-) ボソッ夕食はいつも行くステーキハウスに電話してハンバーグのお持ち帰り・・帰宅したのは19時15分・・熊野は遠いね・・一泊じゃたりないから今度行くときは二泊だねと・・季節のいい時期にまた行きたいな・・o(*^▽^*)o~♪歩いた歩数 16990歩 距離 11.9km追・・帰宅してしばらくすると奈良県十津川村の熊野古道で米コネティカット州のウームラッド・パトリシア・ピーツェンさん(60)が10日に行方不明となったとの報道が・・クマさんと二人そのニュースを聞いてびっくり!!小辺路のコースを歩いたようですが・・未だに見つかっていないそうです・・結構な急斜面ですから落ちたらと思うとゾッとします・・一刻もはやく発見されることをお祈りいたします・・旬菓庵かどやのうすかわまんじゅう(10個入) 白浜銘菓価格:1,430円(税込、送料別) (2023/5/2時点)楽天で購入FC2・・はこちらから
2023/05/02
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10時35分・・伏拝王子着・・今までクマさんと二人道中でしたがここまで来るとまあまあな人たちが休憩していました・・さて・・コーヒーを注文しようと中にはいると・・?ヾ(゜ー゜ヾ)^?。。。ン?奥に声をかけても返事がないです・・休憩していた方が休みみたいですよ・・ここのお店は不定休らしくて休みにあっちゃったってことのようです・・もうね口がコーヒーの味になってから▼▼”⌒☆o(_ _o)ドテッ持ってきたお茶を飲んで我慢です・・トイレを済ませて出発・・振り返って見たところです・・舗装された道を少し進むと伏拝王子から三軒茶屋跡に向け地道の古道に入ります・・爽やかな緑に囲まれた緩やかな下りが続きます・・クマさんどんどん先を進みます・・こっち向いてぇ~~~~吊り橋を渡りきった左が三軒茶屋跡です・・この名の通りここには三軒の茶屋があり非常に賑わっていたそうです・・三軒茶屋は果無峠を経て熊野と高野山を結ぶ果無街道と中辺路街道の分岐点でした・・昔は熊野本宮大社の参拝を終えると果無街道を経て高野山に参る人も多かったそうです・・本宮に向かってたっている道標には「右かうや十九り半/左きみい寺三十一半」と刻まれていました・・九鬼が口関所跡三軒茶屋の隣に「九鬼ヶ口関所」という木で作られた門があります・・この関所は「高野山」へ向かう「果無街道」にありました・・500年ほど前の「関銭」は7文から10文でお酒1合程度の200円くらいだったそうです・・三軒茶屋跡を過ぎるとしばらく地道の美しい古道が続きます・・ 少し上りもありますが殆どは緩やかな下り坂が続きます・・何万年も前からこんな景色なのでしょう・・ね・・相変わらず道はなだらかな上りです・・ちょっと寄り道・・クマさん・・展望台があるみたいだよ・・と声をかけたのですが・・どうせ大した風景やないやろし・・もういい・・とさっさと先へ進んじゃいました・・後でわかったのですがここから大斎原(おおゆのはら)が遠望できたようです・・画像をお借りしましたクマさん疲れちゃったみたいなんですよ・・以前足を痛めて治るのに数ヶ月かかったこともあり無理はしたくなかったそうです・・ここから下りが続きます・・古い石畳や石段も残り大社が近くなってきた雰囲気が感じられます・・11時41分・・やっとしたまで下りてきました・・祓殿石塚遺跡平誠年の熊野古道沿いの発掘調査で見つかったそうです・・江戸時代後半(18~19世紀)に気づかれたとみられる石塚で参詣道中の安全などを記念するために石と積み上げたとされています・・石塚遺跡が気づかれる以前の石列や集石遺構・宝篋印塔の一部なども出土したことから鎌倉から室町時代にはすでに信仰関連の何らかの遺跡がこの地に存在したと推定されています・・熊野本宮の方へ向かいます・・祓戸王子現在の熊野本宮大社まであと50mほどのところに樹齢300年以上と伝わる立派な二本の樫の木と楠の足元に守られるように立つのが祓戸王子です・・史料によっては「祓戸」「祓所」などの別表記があります・・本宮大社の旧社地(大斎原)までも数百メートルしかなく他の王子とは異なり参拝の直前に身を清める潔斎所としての性格を持っていた王子社と見られています・・祓戸王子のすぐ裏手が熊野本宮大社です・・11時51分祓殿王子を出発・・熊野本宮へ向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/26
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水呑王子を過ぎるとこれぞまさに熊野古道!というような石畳の古道です・・クマさんなにか見つけたようですね・・クマさんは何にでも興味を持っているので歩いていてもなにかしら見つけます・・古道らしい林の道を進みます・・綺麗に整備されています・・人気コースと言うだけあってお手入れが行き届いていますね暑くなってきたので上着を脱ぎました・・木々の香りやパワーを全身に浴びながら進みます・・可愛いお地蔵様・・干し藁の帽子をかぶせていただいています冬は雪がすごいのでしょうね・・地元の住人のためのポンプでしょうか・・ここから出る水は熊野の水美味しいのでしょうねぇ・・伏拝王子に向かって進みます・・ここからまた道路沿いの道に出ます・・集落の畑に・・住人の方の手作りでしょうか・・楽しいね・・便利バス・・集落の住人の足となるバスでしょうか・・長閑な風景を楽しみながら進みます昔から使っている釣瓶の付いた井戸・・伏拝茶屋この先に熊野の水で淹れたコーヒーが飲めそうです・・そのコーヒーを目指して進みます・・向こうから元気な学生さんが走ってきます・・思わず声をかけると素敵な笑顔が帰ってきて・・今どき珍しい爽やかな女子・・あと300メートル・・あとちょっと美味しいコーヒーが飲めるぅ~~~~ヤギだ・・この集落は伏拝集落・・このあたりはお茶の畑が多く「音無茶」という名前で茶粥や茶飯にも使われているんだそうです・・無人の販売所でも「音無茶」が販売されていました・・そんな伏拝集落で出会った御婆ちゃま・・腰は曲がっていますが足腰はしっかり・・これから草引きに行くんだと・・御年92歳・・艶々のお肌がびっくりするくらい綺麗な御年92歳の元気な御婆ちゃまでした・・茶畑の草引きをしていたおじさん・・果無山脈(はてなしさんみゃく)和田ノ森(1049m)安堵山(1083m)黒尾山(1235m)冷水山(12701m)石地力山(1140m)の連山を呼び東西に18km連なり稜線は奈良県となっている・・高野山と熊野本宮大社を結ぶ参詣道が残り今なお行き交う人々もある又・山頂よりの紀伊連山の眺望はすばらしく遠くは熊野灘沖が一望できるブナの原生林・シャクナゲ・ドウダンツツジ等の高山植物や野獣の宝庫でもある昭和61年9月30日町制施工を記念して本宮町名称八景に選定本宮町と書かれていますのどかな集落の茶畑が美しいです・・茶畑の奥に果無山脈の景観が広がります・・お地蔵様にお迎えしていただいて・・伏拝集落を抜け階段を登っていくと伏拝王子・・もう少しで熊野の水で淹れた美味しいコーヒーが飲めると思うと足取りも軽く・・10時35分伏拝王子到着・・皆さんに追いつきました・・が・・ここでショックなことがぁ~~~~~~~~!ナンデヤネン!!(;==)ノ☆);><)続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/22
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案内板に沿ってしばらく歩くとどなたかが彫って置いてるのかな・・ユニークなお顔が並んでいます・・八咫烏がお出迎え・・木々の香りが爽やかです・・クマさんが・・これ何やろ?写真撮って後で調べて・・マムシグサ学名:Arisaema serratum科・属名:サトイモ科/テンナンショウ属草丈:40cm~60cm開花時期:3月~5月花言葉:「壮大」「壮大な美」北海道から九州にかけて分布・・明るい林の中や谷沿いのやや湿った場所でよく見られます・・長い茎の先にひとつの花を咲かせます・・仏炎苞は淡い緑色や淡い紫色で縦に白い筋が入ります・・黄緑色の方をカントウマムシグサ・アオマムシグサ・・紫色の方をムラサキマムシグサと呼ばれています・・(中間的な形態を示すものも多い)花は雌花と雄花に分かれた雌雄異株です・・環境によって雄株から雌株へまたは雌株から雄株へと性転換する植物だそうですよ・・マムシ注意の看板があちこちにありました・・色々と調べたのですが名前がわかりません・・グミの一種かとも思ったのですが違うみたいです・・9時53分水呑王子到着・・熊野本宮大社の奥の院とも伝わる船の神様・・熊野古道・中辺路(なかへち)発心門王子と伏拝王子の間に位置する水呑王子(みずのみおうじ)廃校跡にあります・・水呑王子は古い歴史のある王子社のひとつで平安末期の藤原宗忠参詣記(中右記)に「内水飲王子 新王子」と記載がありもとは「内水飲」といわれていたそうです・・中辺路町高原の熊野道に古くから参詣人の宿になっている場所の「水飲」という場所と区別する為にそれよりも本宮に近いこの地を「内水飲」と呼んだといわれています・・江戸時代になって「水呑王子」と表記されるようになったようです・・水呑王子」と刻まれた緑泥片岩の石碑(高さ約78cm、幅約37cm)の横には地元の人々の信仰を集める腰痛のお地蔵さん(地蔵菩薩立像と坐像)が鎮座されています・・この場所は明治9年から三里小学校三越分校だったのですが昭和48年に廃校となりそのあと観光施設として使用されていましたが現在は廃業となっています・・水呑王子の少し手前にある小さなお地蔵さんも歯痛に効くといわれています・・実際に御利益があるというよりもこんな山奥でお医者様も薬もなかった時代にはお地蔵さんにお願いするしかなかったのではないでしょうか・・水呑王子からはいよいよ古道らしい雰囲気になってきます・・続く追皆さんのコメントに舗装された道路なんですね・・もっと山道だと思っていましたと・・私も行く前はそう思っていたのですが実際に行ってみると発心門王子から水呑王子までは舗装された道を歩くことになります・・今も昔も地域の人々の生活の道でもあり・・現在も使用されている部分は車も通行できるような道となっています発心門王子の前も観光バスが入ることができます・・ここから本宮大社まで歩くツアーが一番人気だそうです・・FC2・・はこちらから
2023/04/20
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私達が歩いたのは・・発心門王子~熊野本宮大社・・このコースの歩き方本宮温泉郷に宿泊して歩かれる方は各温泉からバスにて発心門王子まで行き熊野本宮大社まで歩きます・・自家用車で来た方は発心門王子・伏拝王子付近には駐車場がありませんので熊野本宮大社前の世界遺産熊野本宮館・河川敷駐車場などに自家用車を停めてバスを利用して発心門王子に行かれるといいです・・私たちはホテルの送迎バスで熊野本宮館の駐車場まで一緒に行きそこに車を止めてホテルの送迎バスで発心門王子まで送っていただきました・・本宮町内の発心門王子から熊野本宮大社のコースは約7kmのゆるやかな下りでコースも広く歩きやすい人気コース・・休憩所なども整備され石畳の残る古道や棚田や茶畑が美しい集落の中の道など・・雰囲気も良いコースでした・・歩行距離:6.9km 歩行時間:約2.5時間 所要時間:約3.5時間ホテルの送迎バスが発心門王子についたのが9時13分・・まずはお詣りをしてクマさん・・記念スタンプを押しています・・他の皆さんはさっさと先に行ってしまって誰もいません・・私達が出発したのは9時17分・・上がってきた車道を下ります・・しばらく下ると水呑王子の案内板がありましたここを右に・・建物が見えてきました・・発心門王子のバス停でした・・ここにはトイレがあります・・紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録記念植樹・・と書かれています・・しいたけの原木と椿・・集落の中を通ります・・舗装されていて歩きやすいです・・これなら楽勝・・先に行かれた皆さんが全く見えません・・お地蔵様に手をあわせて・・きちんと案内板があるのでその通りに進みます・・鯉が優雅に泳いでいました・・まだまだ集落が続きます・・誰一人として人に出会いません・・うぐいすの声だけが響く長閑な集落です・・水呑王子の方面に向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/18
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2023年3月29日(水) 快晴いつも通り午前6時前には目が覚めて・・せっかくだからお部屋の露天風呂に・・クマさん・・とっても気持ちいいってごきげんです・・ぬるめのお湯が最高!クマさんのあとから私もはあ~~~~と声が出ちゃうくらい気持ちいい・・ゆっくり温泉に使って浴衣に着替え・・朝食へ朝食はバイキング・・昨夜入った露天風呂が窓からみえました・・お父さんと息子さんが入っていましたが周りから丸見え・・夜に入って正解でした・・今日はこれから7キロの熊野古道を歩きますしっかり朝食を食べてお腹いっぱいにして・・食後お土産売り場を覗いてお土産用のお菓子をゲット・・一人2000円のクーポンを頂いたのでそれで購入・・お部屋に戻って出発の準備です・・ホテル前に8時50分集合・出発・・ホテルの車のあとを付いて熊野大社の駐車場まで移動です・・10分ほどで熊野大社に到着・・そこに車を駐車してホテルの車に乗り込み熊野道の入り口まで送っていただきます・・送迎バスには私達を含め10人くらい・・皆さん私達と同年齢の方がほとんど・・一組だけ40代くらいのご夫婦が・・熊野古道入り口の発心門王子まで車で約13分・・どんどん山の上まで上がっていきます・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/15
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17時25分・・今夜のお宿の山水館 川湯みどり屋到着・・チェックインすると露天風呂付きのお部屋にグレードアップさせていただきましたと・・私が予約したのはツインのお風呂なしトイレ付きのお部屋でした・・全国旅行支援をつかってかなりお安くなって・・一人2000円の電子クーポンまで頂いた上に・・同じお値段で露天風呂付きにグレードアップだなんて・・ラッキー!!朝からおにぎりときつねうどんしか食べていない私達もうお腹ペコペコですぐに夕食をお願いしました・・食事は3品付きの半バイキング・・まずは生ビールで(●´▽`●)_旦"☆"旦_(○´ー`○)カンパイ何度もバイキングのおかわりをしてお腹いっぱい・・どれもとっても美味しかったけど大好きなグラタンがあったのは嬉しかった・・当然おかわりしましたよ・・お部屋に戻って少しゆっくりしてから大浴場へ・・もちろん温泉です・・温泉で身体や頭を綺麗に洗ってから外の川辺にある露天風呂へ・・大塔川の清流を望む大浴場・河原の露天風呂は男女混浴・・大浴場から湯衣を着てそのまま外の露天風呂へ行けます・・外は真っ暗見えるのはお月様とお星さまだけ・・綺麗な夜空を見上げながらの露天風呂・・最高!!川のそばにこういう露天風呂が数か所あります・・私が行ったときは女性ばかりで男性の姿はみえませんでした・・海外から来てらした女性・・夜空を見上げながらビューティフルを連発・・かなり興奮してました・・お月様とお星さまに見守られながら露天風呂を堪能できる・・なんて贅沢なのでしょう・・ぬるめの温泉をゆっくり楽しんでお部屋に戻るとクマさんは露天風呂にははいらなかったようで私の話しを聞いて面倒くさくなって入らんかった・・しまった・・そんなに良かったんなら入ればよかった・・と今から入ってきたらというともういいとさっさとベッドに・・疲れていたのかすぐに寝息が聞こえてきました・・o(*^▽^*)oあはっ♪続く・・歩いた距離・・5.4キロ 歩数・・7993歩登った階数29階 1階は約3メートル(16段)とみなして464段上ったことになります・・下りも足すと・・そら膝も足首も痛くなるはず・・FC2・・はこちらから
2023/04/12
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三重塔から那智滝に移動します・・満開の桜がとっても綺麗・・那智滝方面に移動です・・しばらくすると標識が・・とってもいいお天気で暑いくらい・・ここを左へ・・いきなりの急な石の階段・・転ばないように気をつけながらぼちぼちと・・若い頃は平気だった下りの石段が怖い・・ちょっと足が引っかかると落ちちゃいそうで・・やっと急な石段が終わると・・伏し拝み・・ここは「那智御瀧飛瀧神社」の遥拝所・・五町石後方のこの辺りには往古の礎石が残っています・・毎年7月14日熊野那智大社の例大祭(扇祭り・那智の火祭り)ではこの場所で扇建て神事が行われる聖地です・・はい・・この先もまたまた急な石段が続きます・・熊野那智大社の別宮である飛瀧神社が・・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)は和歌山県那智勝浦町那智山にある神社です・・御祭神は大己貴神・熊野那智大社の別宮となります・・那智滝自体が大己貴神が現れた御神体となっていて本殿は存在しません・・拝殿もなく直接滝を拝むこととなります・・滝の飛沫に触れることによって延命長寿の霊験があるという伝説があります・・この坂を下りきったところに・・那智大滝が・・海外からの観光客もたくさん来ています・・那智滝(なちのたき)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川中流にかかる滝で石英斑岩からなるほとんど垂直の断崖に沿って落下し落ち口の幅13メートル・滝壺までの落差は133メートルに達しその姿は熊野灘からも望見することができます・・総合落差では日本12位ですが一段の滝としては落差日本1位・・華厳滝・袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられています・・国の名勝に指定されている(1972年7月11日指定・指定名は「那智大滝〈なちのおおたき〉)那智山中の那智原始林にはいくつかの渓流がありその渓流には60余に達する多くの滝が架かっています・・「那智滝」とは本来は那智山の多くの滝のうち瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称でした・・帰りの上りの石段を見るとため息が・・ここにあったのが光ヶ峯遥拝石・・熊野の神様が降臨したと伝えられている光ヶ峯に通じていて一回なでると縁結び・心願成就・・二回なでると金運隆昌・家内安全・・三回なでると厄除け・身体健康・・の力をいただけるそうで二回なでてみました・・ここを出ると自動車道・・ソフトクリームの幟に引かれて足がそちらへ向かいます・・クマさんは抹茶ソフト・・私は柚子ソフト・・柚子の香りが爽やかで美味しかったぁ・・・ありゃ・・食べる気持ちが勝ってて写真撮るの忘れました・・食べながら自動車道を横切って上りの石段に・・途中で休憩しながら振り返って撮った写真若い男性三人組・・さすがですねさっさと登ってきます・・ついつい声をかけちゃった私・・嫌な顔一つしないで付き合ってくださって・・お話をしながら登って行きました・・クマさんと二人の学生さんが先を上り・・遅いペースの私に合わせてくださった学生さんが一人・・色んなお話をしてて三人共・立命館の三回生だとおっしゃってました・・お一人の地元がここで一緒に来たようです・・これから就職活動だそうですよ・・三人ともとっても爽やかな学生さん達で辛い上りの急石段も楽しく上り切ることができました三重塔までご一緒してくださいました・・クマさんもとっても楽しかったようです・・ここから三人の学生さんは青岸渡寺に向かいます・・私たちは近道をしてPに・・一期一会に感謝です・・ここが熊野那智大社の入り口に当たるところです・・この階段を上りきって左に進むとPです・・この後速玉神社に行く予定をしていたのですがすでに16時過ぎ・・クマさんは足首と膝の負担が大きかったようです・・私は足首はどうもなかったのですが膝が・・明日は熊野古道を歩くので今日はこのままホテルにはいって休養することに・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/10
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熊野那智大社からすぐのところにあるのが那智山青岸渡寺(世界遺産)3年間の滝篭もりをした花山法皇が永年2年(988)に西国三十三所観音霊場の第一番札所として定めたとされるお寺です・・熊野那智大社とともに熊野信仰の中心地として厚い信仰を集めています・・仁徳天皇の時代(313~399)にインドから那智に渡来した裸形上人(らぎょうしょうにん)が那智の滝で観世音菩薩を感じ現在の場所に庵を造ったのが始まりとされています・・明治初年の神仏分離以前は「那智の如意輪堂」と呼ばれ熊野那智大社社殿と並び建ちます・・もとは那智権現の供僧寺で熊野那智大社と一体の寺院として発展しました・・熊野那智大社と併せ熊野三山の中で神仏習合時代の姿を今に伝える唯一の事例だそうです・・御本尊は如意輪観世音菩薩(にょいりんかんせおんぼさつ)で・・現在の本堂は天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので桃山時代の特徴を色濃く残しています・・また本堂内にある鰐口(わにぐち)は秀吉が寄進したもので、秀吉の願文が刻まれています・・正面上の丸いものがそうです・・私たちは熊野那智大社から出発したのでこの階段を降りると青岸渡寺の入り口となります青岸渡寺の本堂を横から見たところです・・隣接している「熊野那智大社」の鮮やかな朱色との対比が見事でした・・色落ち具合が渋くていいですね・・宝篋印塔(ほうきょういんとう)元亨二年 1322年(鎌倉時代後期)のもので流紋岩でできた高さ4.3mの宝篋印塔・・明治以前には別の場所にあったものが現在の位置に移転されたとされています・・国の重要文化財指定をうけています・・鐘楼青岸渡寺の鐘楼は元亭4年鋳造(鎌倉時代)に鋳造された鐘楼です・・鐘楼からすぐのところに茶店的なお店があっておうどんがありました時計を見ると14時・・出発するときに持ってきたおにぎりを食べたきりでお腹がぐぅぐぅ・・おすすめのきつねうどんを・・甘いお揚げさんにゆずがはいっててとっても美味しかった・・お汁も綺麗に飲み干しちゃった・・待っている間に目についたのがこれ・・なんかすごくいいことが書いてありますね・・ぼけたらあかん 長生きしなはれ本当にそのとおりだなとこれからの残りの人生の生き方を教わりました・・更に那智の滝を目指して進みます・・本堂後方に那智の滝との調和が美しい朱色の三重の塔が・・那智山青岸渡寺三重塔那智山青岸渡寺の三重塔は500年前に制作された「那智参詣曼荼羅」にも描かれています・・戦国時代(1467-1603)の内戦のさなか1581年に焼失しましたが1972年にほぼ400年ぶりに再建されました・・時間的に私たちは中の見学ができませんでしたが・・各階に異なる仏の像が安置されていて1階には那智の滝にまつわる多くの伝説に登場する不動明王・・2階には西方の極楽浄土に住まう阿弥陀如来・・3階には慈悲の菩薩である飛瀧権現本地千手観音が祀られています・・仏教壁画も塔の各階の壁を彩っているそうです・・内部見学したかったなぁ・・遠いから時間的に無理があるので仕方がありません・・ここから那智の滝に向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/06
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3月28日(火)~29日(水)まで熊野に出かけていました2日間ともとってもいいお天気で暑いくらいでした・・AM8時過ぎ自宅を出発・・熊野那智大社のPに到着したのが2時過ぎでした・・ナビ通り熊野那智大社のPに向かう狭い山道をどんどん進んだ一番奥にありましたPか標識に従って歩いていくと目の前に階段が・・足取りも軽くトントンを登っていくと宝物殿熊野信仰は当地の大自然と神道・仏教・修験道とが折り重なって形成された独自の信仰です・熊野は貴族・武士から庶民まで身分性別を問わず全ての人を受け入れ救い上げる聖地として「日本第一大霊験所」と称されその神威に触れようと多くの参詣者が当地を目指しました・・熊野那智大社にはそうした歴史を裏付ける貴重な文化財が多数伝来しています・・その中には時の朝廷幕府との関わりを示す奉納品や熊野の重層的な宗教観を伝える祭具全国規模の信者の広まりを確認できる記録などがあります・・宝物殿では刀剣・古鏡・古祭具・参詣曼荼羅・古文書・経塚出土品などを常設展示しています時間的に余裕がなかったので中の見学はしませんでした・・礼殿主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ・イザナミノミコト)新抄格勅符抄(大同元年806年)には古名として熊野牟須美神とあるように夫須美(ふすみ)とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり同時に「結(むすび)」という意味を持っています・・このためかつては「結宮(むすびのみや)」という通称で呼ばれていました・・他の二山と違い御瀧の神様を併せ祀っているため一柱多く神様を奉斎しています・・元々は御瀧の近くで祀られていましたが約1,700年前に現在の場所に遷りました・・八咫烏(やたがらす)・御縣彦社(みあがたひこしゃ)八咫烏(やたがらす)は熊野の神様のお使いである三本足の烏です・・より良い方向へ導くお導きの神様とされ熊野那智大社の境内にある御縣彦社(みあがたひこしゃ)でお祀りされています・・正面には八咫烏の銅像も・・大樟(くす) 胎内くぐり樟霊社(しょうれいしゃ)樹齢850年と推定され樹高は27メートル幹回り約8.5メートルあり・・この樟を御神木としてお祀りしています・・幹が空洞化していて護摩木(300円)若しくは絵馬(500円)を持って通り抜けることが出来ます・・平重盛の御手植と伝わっています結構狭い・・頭ぶつけちゃいました・・^^;中に入るとなんか胎内にいるような感じがします階段から降る注ぐ太陽が眩しい・・急な狭い階段・・気をつけて登らないと滑り落ちそうで怖い・・なんか不思議な感覚・・なんと表現していいのか・・生まれ変わった?続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/02
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2022年11月24日(木) 晴れ一昨年にはじめて下関までとらふぐを食べに行き・・唐戸市場によったのが始まりでハマってしまった旅先です・・今年も行ってきました・・山陽道路から見えた風景・・モヤがかかってすごく綺麗でした・・高速道路を飛ばすこと約5時間・・まずは腹ごしらえ・・元祖ばりそば本舗 春来軒さん・・山口のB級グルメ!到着したのは12時35分・・店内は少し座席が空いてる状態ですぐに席につけましたAとBをオーダー・・するともうご飯が一人分しかないとのこと・・私は普通のばりそばに・・クマさんはBの普通のばりそば+おにぎり+餃子・・ばりそばの量が凄いです・・お出汁を飲んでみると鶏の風味がぷぅ~~~んと香る・・シャバシャバのお出汁です・・麺はパリパリ・・お出汁に浸して柔らかくして食べるって感じです・・いつも食べてるあんかけそばとは全く別物・・すごい量だったから食べきれないと思ったけどさっぱりしたお出汁で完食!ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆餃子もにんにくがよく効いてて美味しかったぁ・・餃子追加する?もうお腹いっぱいで食べられへんわ・・お腹もいっぱいになったところで移動です・・このあと山口を観光してホテルへ向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2022/11/28
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斎場御嶽を9時50分に出発しひめゆりの塔に向けて出発です・・みなさんは「ひめゆりの塔」と聞くとどんな印象をお持ちでしょうか?戦争にまつわる場所・行くのにちょっと勇気のいる場所・怖い場所・・私はちょっと怖い場所という印象を持っていました・・それでも沖縄に来たなら絶対に外してはならない場所だと思っています・・ひめゆりの塔10時30分到着・・第二次世界大戦中唯一国内で地上戦が繰り広げられた沖縄では迫りくる米軍の攻撃によって多くの人が命を落としました・・そんな尊い命をまつわる場所が県内にはいくつかあります・・「ひめゆりの塔」もその内のひとつです・・当時沖縄師範学校と沖縄県立第一高等女学校に通っていた女学生222名と彼女らの教師18名の総勢240名・・彼女たちが沖縄陸軍病院に動員され負傷兵の治療に尽力を注いだのが「ひめゆり学徒隊」・・その名にちなんで慰霊碑「ひめゆりの塔」が建立されました・・「ひめゆりの塔」が位置するのは那覇市から車で約30分の糸満・・敷地には石碑があるひめゆりの塔と平和祈念資料館の2つのエリアに分かれていて歴史的側面から当時の状況を知ることができます・・ひめゆりの名の由来は平和祈念資料館によると沖縄県立第一高等女学校を「乙姫」沖縄模範学校女子部を「白百合」と名付けられていたそうです・・その両方の名前を合わせて「姫百合」と名付けられ戦後からひらがなで「ひめゆり」と使うようになったそうです・・公園の随所に配置された石碑・・穏やかな雰囲気が感じられここでかつて戦火が激しかったことなど想像ができません・・そして奥に進むと現れるのが、「ひめゆりの塔」ひめゆりの塔看護要員として戦場に動員され亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔・・ひめゆり平和祈念資料館にはひめゆり学徒隊の犠牲者の遺品やガス弾によって多くの犠牲者がでた伊原第三外科壕が実物大で再現されていてひめゆり学徒隊について学べる場となっています・・献花台の奥に映っている岩は「ガマ」と呼ばれる自然でできた防空壕でじっさいに使われていたものです・・白くて四角いものが犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑でその右手前にある高さわずか数十センチの石が「ひめゆりの塔」・・沖縄陸軍病院第三外科壕跡慰霊塔の前に穴があいている洞窟が沖縄陸軍病院第三外科壕跡です・・洞窟や壕のことを沖縄の方言で「ガマ」と呼ばれています・・ひめゆりの塔がある「ガマ」(写真中央の穴)には当時ひめゆり学徒を含む病院関係者や住人など96名がいて解散命令後の6月19日に米軍のガス弾攻撃を受けて87人もの方が命を落としました・・当時薄暗い狭い壕の中で大勢の負傷した兵隊のうめき声が響く中必死に看病するひめゆり学徒・・そして必死に生き延びようとする住人がこの壕の中で共存していたのです・・ひめゆりの塔入口ひめゆり平和祈念資料館悲惨な沖縄戦を後生に伝えるために元ひめゆり学徒隊の同窓会と募金等により設立しました・・辛く悲しい気持ちになりますが当時の悲惨さを学ぶことができる場となっています・・ここから先は一切撮影禁止です・・展示室は全部で6つあり花畑のある庭を中心にぐるりと回るような構造です・・6つある展示室の中でも特に衝撃的だったのが第2展示室・・病院壕のジオラマや元ひめゆり学徒生存者の証言VTRが流れひめゆり学徒がじっさいに看護要員として配置された後の様子が分かります・・また第6展示室である「鎮魂」も忘れがたいところで・・壁面には亡くなった全227名の遺影がかかげられています・・最初にご紹介したひめゆりの塔のガマが実物大で再現され・・下から見上げて避難生活を送っていた当時者の気分を感じられます・・全展示室を見て回ると最後に現れるのは「回想」・・紙とペンが用意されこれまでの展示を振り返りながら各々の思いをつづるブースとなっています・・老若男女問わず多くの方がつづってらっしゃるのが印象的でした・・以前・・靖国神社に行ったとき資料館の中に入った途端徐々に気持ちが悪くなってきて首から肩にかけてずっしりと重みを感じ特攻隊の部屋にはいったときにはもう立っていられなくて廊下の椅子に腰掛けて座っていたことがありました・・ずっと心の中で私には何も出来ません本当にごめんなさいと謝りながらクマさんが出てくるのを待っていました・・クマさんが出てきて一緒に出口に向かうと同時に身体が軽くなり出口のところにあったレストランで海軍カレーを完食・・あれはなんだったんだろうと今でも思います・・そんな経験があったから怖いという思いを抱えての入館でした・・そんなこともありひめゆり平和祈念資料館ではあまり深い思い入れをしないようにできるだけ淡々と見て回ってきました・・11時「ひめゆりの塔」出発帰りの飛行機はスカイマーク596那覇発15時30分レンタカーは13時30分には返さないといけません・・ちょっと時間があったので瀬長島ウミカジテラスでお昼を食べようかと・・ウミカジテラスにつく頃には雨が本降りになってて・・行っても仕方ないねとドライブだけしてレンタカーを返しに行くことに・・レンタカー会社からバスで空港まで20分・・空港に着いたのが12時を回っていました・・空港でお昼を食べてクマさんは天丼定食私はカツ丼定食・・色々お店を見てまわったのですが食べたかったのはお蕎麦・・だったとさ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆この日歩いた歩数 11860歩 約8kmFC2・・はこちらから
2022/09/14
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2022年7月1日(金) 曇り時々雨・たまに晴れ・・昨夜コンビニで買ってきていたパンなどを食べて軽く朝食をすませ7時50分にチェックアウト・・Pに行くときに小雨が降ってきた・・今日はアウトかなと思いながら斎場御嶽へと出発・・1時間ほどで目的地に到着・・斎場御嶽には駐車場がないので初日に来たここに車を止めて徒歩で移動です・・チケットを購入して傘をさして徒歩で約10分・・ここが斎場御嶽の入り口です・・御嶽(うたき)とは南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で斎場御嶽(せーふぁうたき)は琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)伝説にもあらわれる琉球王国最高の聖地です・・また琉球国王や聞得大君(きこえおおきみ)の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り(あがりうまーい)」の参拝地として現在も多くの人々から崇拝されています・・御嶽の中には六つのイビ(神域)があります・・琉球国王はこの六カ所を参拝しながら国家繁栄・安寧・五穀豊穣・航海安全などを神に祈願しました・・はるかなる琉球王国時代国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島から特別に運び入れそれを御嶽に敷きつめました・・その祭事の中でも最も大きな行事が聞得大君(きこえおおきみ)の就任式である「御新下り(おあらうり)」でした・・斎場御嶽(せーふぁうたき)は沖縄本島の南東部にあり昔から神事が行われてきた琉球王朝の聖地で2000年の12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として世界遺産に登録されました・・日本国内では11番目の世界遺産で首里城跡や今帰仁城跡などを含む9か所が含まれています・・斎場御嶽は神々が降臨する場所として昔から礼拝が行われてきました・・中でも二本の巨大な鍾乳石がもたれかかりあい間に三角形の空間のある三角岩が有名です・・久高島遙拝所斎場御嶽は琉球王国最高の聖地とされている場所で琉球民族の祖と言われるアマミキヨが降臨したという神話の島「久高島(くだかじま)」を望むことができます・・斎場御嶽は南西諸島には広く分布する聖地の総称であり琉球開びゃく伝説にもあらわれます・・琉球王朝の聖地は琉球が統一国家へ向けて動き始めた14世紀後半から王国が確立した後の18世紀末にかけて生み出されたもので・・斎場御嶽は神々が天降りする社として祭祀を司る神女(ノロ)によって神拝行事が行われてきました・・かつては神女しか入れず男子禁制の場とされていました・・大庫理(ウフグーイ)御門口から登って行くと左手に見える最初の拝所です・・大広間や一番座という意味を持っていて・・前面には石畳の敷かれた祈りの場(ウナー)があります・・三庫理(サングーイ)6番目の拝所・・二つの大きな岩が絶妙なバランスで支え合っています・・この岩の隙間を抜けると左手に久高島が望める場所となります・・三庫理を抜けた突き当たり付近からは近年・勾玉が見つかりました・・とても意味のある場所だということが分かるのではないでしょうか・・コロナの関係で中に入ることが出来ませんでした・・この岩の隙間を抜けると久高島が望める・・見たかったなぁ・・と・・身を乗り出した時・・強い風が身体を通り抜けていきました・・風といっしょに身体の中の悪いものも一緒にもっていってくれたような不思議な感覚に・・チケット売り場のあるところに戻ってきて・・お店のお兄さんお勧めの黒糖饅頭やちょっとしたものを購入・・サンダーアーギーはできたてのものを売ってるこのお店で買うことに・・ドラゴン球???なんだろうとお店の方に聞くと今揚げてるところだから少し待って下さいということで揚げたてを買いました・・一日100個限定のタピオカ粉を使用しサクッともっちりの絶妙な食感がする揚げ菓子琉球三矢ボール(通称:ドラゴンボール)すごくいいタイミングで買うことが出来ました・・美味しかったなぁ・・・・続く・・FC2・・はこちらから
2022/09/12
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今帰仁城跡を13時20分に出発し地元の食材があるという今帰仁の駅そ~れを覗いてみることに・・今帰仁の駅そーれの発祥は元々この地域に住む女性たちのサークルだったそうです・・女性メンバーのみで農産物の直売や地元名産品を使用した加工品の開発などを通じてこの今帰仁の駅そーれを立ち上げたそうです・・クマさんは野菜の種を・・レストランが併設されているということでなにか食べたかったのですが残念なことにレストランは営業していませんでした・・この後向かう「橋の駅 リカリカワルミ」で屋我地島と本部半島を結ぶワルミ大橋の絶景がみえるというのでそこで食べることにしようと思ったのですが今日は定休日でお店は閉まっているとのことでした・・雨が降ってきてましたが・・その絶景を見ることはできるようでしたので今帰仁の駅そ~れでお弁当を買ってそちらで食べることに・・沖縄の女性のパワーは凄かった・・南国の人って陽気なのね・・元気いっぱいもらいました・・リカリカワルミからみたワルミ海峡とやんばるの森・・古宇利大橋の大パノラマが望めます・・雨がまた降ってきたので車の中でお弁当を食べて・・(*゜ロ゜)ハッ!!凄く美味しいお弁当だったのに写真撮るの忘れた・・お腹が空いてたのでガッツリ食べちゃった・・(^_^;)古宇利大橋の入り口のところにたくさんの車がとまっていたので私達も止めて浜辺に降りてみました砂浜から見た古宇利大橋古宇利大橋(こうりおおはし)は沖縄県の北東部今帰仁村(なきじんそん)にある絶景スポット・・名護市北部の屋我地島(やがじしま)とそのさらに北に位置する古宇利島(こうりじま)とを結んでいます・・2005年2月8日に開通したこの橋は全長1,960m通行料金は無料です・・沖縄では通行料無料の橋としては2015年開通の伊良部大橋(3,540m)に続く2番目の長さ・・沖縄本島から気軽にアクセスできる距離感もあいまって人気のスポットと・・海の中を通る1本道左右に広がるエメラルドグリーンが通る人を魅了し沖縄の海の美しさを記憶に刻みつけるドライブコースです・・また古宇利大橋を通り抜けた先の古宇利島には名だたる名所絶景が軒を連ね訪れる人を魅了しています・・古宇利島は琉球神話の聖地であり神の島・恋の島と呼ばれ・・琉球人が最初に暮らしたとも伝えられています・・この心洗われる景色が広がる古宇利島へ通じるのが古宇利大橋・・ハート岩(ティーヌ浜)恋の島のシンボルであり恋愛成就の強い味方・・恋のパワースポット!透明度抜群の海に奇岩が2つ・・一見よくある風景ですがある角度から見るとハートが出現!通称ハートロック・・ちょっと小腹が空いたので「今帰仁の駅そ~れ」で買い求めたお姉様方の手作りのサンダーアーギーを・・お姉様方おすすめだけあってとっても美味しかった・・しかもお値段もお安い・・姫路でたまにイオンで売ってるけど高いんだよね・・今夜は那覇泊まり・・那覇に向かって約2時間の移動です・・ホテルパームロイヤル那覇に到着したのが17時10分・・フロントでお勧めのレストランを聞くと何が食べたいですか?と・・クマさん沖縄のあぐー豚のとんかつが食べたいと・・おすすめしてもらったお店の場所を地図に印を入れていただいた・・ここからが大変なことにホテルを出てすぐに左に向かって15分くらいと聞いていたのに歩いても歩いても繁華街からずれてしまって店らしいものはない・・どうも・・すぐ左ではなく国際通りに出てから左という意味だったみたい・・来た道を戻って地図通りに右折して・・どんどん進んでも店はない・・バスを待っていた女性に聞いてみると・・行き過ぎていたみたいで一緒について教えてくれました・・お礼を言ってお店に入ると満席で一杯ですと・・空いたら連絡しますが・・とのことでしたがもう二人共疲れてしまって(すでに1時間近く歩いていた)来た道を戻りながらクマさんがコンビニ弁当でも買ってホテルでゆっくりしようホテルの近くのコンビニでお弁当やビールを買って戻りました・・大浴場もあったけど行く気がしなくて部屋のお風呂に入って寝ちゃった・・今日は朝・ホテルで食べた朝食以外はお弁当・・なんか食事に縁がなかったなぁ・・(o´Д`)=з 疲れた・・・この日歩いた歩数 19668歩 13.3kmFC2・・はこちらから
2022/09/09
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備瀬のフクギ並木・・11時30分出発車で約30分の世界遺産の今帰仁城跡(なきじんじょうあと)にむかいます・・今帰仁城跡とは沖縄本島の北部・本部半島にある歴史的なグスクです・・世界遺産にも登録されたグスクです・・今帰仁城跡の歴史は古く13世紀までさかのぼるとされています・・堅牢な城壁に囲まれたその城は標高約100メートルに位置し・やんばるの地を守る要の城でした・・攀安知(はんあんち)時代に中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは監守(かんしゅ)が派遣されるようになり1665年に最後の監守が引き上げてからは祭りを執り行う場所として残されました・・外郭(がいかく)高さは2m前後と比較的低い石垣が延長数百m蛇行して続いています・・発掘調査で屋敷跡が確認されたそうです・・ここでチケットを購入して中に入ります平郎門現在見る門は昭和37年の琉球政府時代に修復されました・・琉球国由来記に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」として登場します・・大隅郭(ウーシミカク)戦時に備え馬を養い兵馬を訓練した場所として伝えられています・・最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です・・またここには場外に抜けることのできる抜け穴があると伝えられています・・本格的な発掘調査はおこなわれておらず今後の調査が期待される郭のひとつです・・平郎門から直線的に伸びる石階段は1960年代に整備された階段です・・旧道本来の登城道は平郎門から城内へ向かって石階段の右手側にあります・・曲がりくねった大きな岩盤の谷間を利用し道幅を狭く造り敵兵が攻め入っても一気に入れないように急なのぼり道となっています・・カーザフ城内でも一段と低いところで沖縄の方言では「川や湧泉」を・・ザフは「迫(谷間)」を意味します・・ここは自然の石が露頭しており岩盤に直接積んだ堅固な石積みはかつて城壁として鉄壁を誇ったものと想像することができます・・階段の途中のところに咲いていた赤い花・・フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑華)> 球状の花が風鈴のように風に揺れてハイビスカスの一種で別名「コーラル・ハイビスカス」アオイ科フヨウ属の熱帯花木原産地は東アフリカのタンザニア沖ザンジバル島やケニア・モンバサといわれるブッソウゲはハイビスカスの別名風雅な和名は真下に伸びた長い花柄の先の球状の花を風に揺れる風鈴に見立てたもの下に垂れ下がった長い雌しべが短冊などを吊るす風鈴の舌(ぜつ)のようにも見える大庭(ウーミヤー)政治・宗教の儀式が行われたと考えられる場所で首里城の御庭(ウナー)と同様の機能を有していた郭と考えられています・・七五三の階段を登ってきて大庭を取り囲むように正面には正殿(主郭)右側が南殿・・北側の一段高いところに北殿があったと考えられています北殿跡には建物跡とみられる礎石が今も残っています・・志慶真乙樽(シゲマウトウダル)の歌碑今帰仁の城 しもなりの九年母(クコブ) 志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい今帰仁グスクの南にある志慶真ムラという集落に「乙樽」という美女がいました・・黒髪が美しい乙樽の噂は国中に広がり「今帰仁御神」と呼ばれ時の山北王も側室として仕えさせました・・なに不自由なく暮らす幸福な毎日を過ごしましたが高齢の王には長い間跡継ぎがなく王妃も乙樽も世継ぎを授かることばかりを祈っていました・・やがて王妃が子を授かりそのことを季節はずれの蜜柑が実ったことに例え・・子供のはしゃぐ声に満ちた平和な様子を謳っています・・ソイツギ(城内下之御嶽)今帰仁城跡内には御嶽のイベ(最も聖なる場所)が2つあります・・大庭(ウーミャ)の北西にあるソイツギは「琉球国由来記」(1713年)に「城内下之嶽」神名「ソイツギノイシズ御イベ」と記され旧暦八月のグスクウイミという祭祀の時・・今帰仁ノロが五穀豊穣等と祈願します・・御内原にあるテンチジアマチジ「城内上之御嵩」や神ハサギ跡と共に祭祀場として拝まれます・・御内原(ウーチバル)北殿跡の北側にある一段高いところを御内原と呼んでいます・・この場所は伝説では女官部屋があったとつたえられていて・・城内で最も重要な御嶽(イベ)があります・・特に御内原の北側からの眺望は城内でも最も開けていて今帰仁城跡の城壁のほぼ全てを望むことが出来ます・・また国頭の山並みや離島の伊平屋・伊是名島を眺めることもできます・・特に晴れた日には沖縄本島北端の辺戸岬の先22km洋上にある与論島を見ることが出来ます テンチジアマチジ(城内上の御嶽)御嶽とは琉球固有の祭祀施設・・琉球の信仰における聖域の総称で・・神が存在あるいは来訪する場所です・・テンチジアマチジは御内原(ウーチーバル)の南東側低い石で囲まれる御嶽です・・沖縄の古謡「おもろさうし」では「今帰仁のカナヒヤブ」と謡われ今帰仁グスクの守護神として崇められる最も神聖な配所です・・俗にテンチジアマチジと呼ばれ昔は御内原とこの地域は男子禁制で城内の女官によって子孫繁栄・国家安泰・五穀豊穣を祈願したとつたえられています・・旧暦七月のウブウイミ・八月のグスクウイミでは今帰仁ノロによって祭祀が執り行われます・・今帰仁里主所火の神(なきじんさとぬしどころひのかみ)この祠は第二尚氏(少子)時代の北山監守一族の火の神が祀られています・・琉球土着の信仰において火の神は火を司る神様です・・火は家とそこに住む人々を守ると信じられており今日でも多くの沖縄の家では台所に火の神を祀ったりしています・・北山監守は1665年に首里に引き揚げますがかつての根所(ねどころ・旧宅地)の火の神として崇められてきました・・旧暦八月十日には今帰仁ノロ以下の神人(かみんじゅ)が城ウイミの祭祀を現在も行っています・・この火の神の祀戦後に改築したもので城跡の整備事業に伴い現位置に移されました・・祀の中には香炉と火の神を象徴する石がおかれており・・今でも門中の行事である今帰仁上がりの重要な拝所として参詣者が絶えません・・修復中の所です・・ここまで入ってくる方はほとんどいませんでした・・カラウカー常時水をたたえていたと伝わる場所でかつて女官たちが髪を洗ったり水量で吉凶を占ったりした場所と伝えられています・・旧暦七月盆明けには今帰仁ノロ率いる神人たちが巡拝する場所となっていました・・平郎門平郎門の名称は1713年に編集された「琉球国由来記」に「北山王者・本門・平郎門ヲ守護ス」と記載され登場します・・1742年に描かれた「今帰仁旧城図」の資料にはこの場所が本門として記されています・・2つの資料から今帰仁城の重要な門がこの門で平郎門を呼ばれていたことがわかります・・しかし城としての機能を終え300年以上経った1900年代初め頃には既に門は大きく崩落していたことが分かっています・・1961年12月から翌年4月頃に現在の門の形に修理が行われました・・古宇利殿内(フイドゥンチ)沖縄の方言で古宇利(こうり)のことを「フイ」と言うことから「フイ殿内」と呼ばれています・祠は古宇利島のある北東の方位を向いていて今帰仁村の唯一の離島であるあ古宇利島の人々が旧8月に遥拝します・・また今泊の神行事の時には今帰仁ノロが拝みます・・平静22年に古写真を基に移築・復元されました・・レコーラウーニ今帰仁城跡外郭に二つの土盛りがあります・・船をかたどったもので一つは今帰仁ウーニ・・もう一つは本部ウーニと呼ばれています・・今帰仁城跡のある今泊集落(いまどころしゅうらく)では旧盆明けの亥の日をはさんで3日間海神祭(ウンジャミ)の祭祀が行われます・・その1日目がウーニフジ(御船漕ぎ)と呼ばれる行事でそれぞれのウーニに竹を3本ずつ立てて祈願をします・・その後竹を櫂煮見立て平郎門まで歩きそこでも祈願を行います・・現在の祭祀は簡略化されていますがノロと呼ばれる女性の祭祀者を中心として各一門から出される神人や区長や書紀など代表者とともに祈願が行われています・・たっぷり時間をかけて回ったあとPのところにあったお土産物屋さんで一休み・・私は黒蜜ミルクかき氷・・黒蜜が濃厚で疲れた身体にしみるぅ~~~~~クマさんは黒蜜ミルクぜんざい・・小豆のかわりに甘く煮た金時豆と白玉団子が入っています・・沖縄のぜんざいってかき氷なんだ!沖縄特有のぜんざいは砂糖や黒糖で甘く煮た金時豆と押し麦がトッピングされたかき氷を指すことが一般的で白玉団子が添えられていることも・・(*゜.゜)ホ・(*゜。゜)ホーーッ!!見た目はほとんど変わらないけどかき氷とぜんざいの違いがよくわかりました・・今帰仁城跡・・素晴らしいの一言でした・・写真を整理していると今帰仁城跡の風や香りが蘇ってきました・・ここでちょっとお勉強・・今回よく出てきたノロ・・ノロってなに?沖縄のノロについてノロとは?ノロ(祝女)は琉球神道における女性の祭司です・・地域の祭祀を取りしきり御嶽(うたき)と呼ばれる場所で祭祀を司っています・・琉球神道というのは琉球王国を中心に信仰されてきた多神教宗教です・・神話や自然崇拝のアニミズム的かつ祖霊崇拝的な宗教です・・ノロはこのアミニズム的な考えによる琉球の神々と交信ができる存在です・・祭祀の間はその身に神を憑依させ神そのものになると考えられており神人(かみんちゅ)と呼ばれることもあります・・ノロは15世紀の琉球王国で王が祭政一致により支配を目的として巫女組織を制度化する中で位置づけられた神職です・・そのため公的な祭祀者とされています・・続く・・・FC2・・はこちらから
2022/09/05
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13時16分・・やんばる学びの森・・着・・国頭村環境教育センターやんばる学びの森はやんばるの森を思う存分満喫できる豊かな自然環境が魅力の自然体験施設・・奄美大島・徳之島・沖縄島北部及び西表島が世界自然遺産候補地となっていて自然溢れるこのやんばる地方はこの辺り一帯が候補地になっています・・2020年はコロナのために世界遺産委員会が延期され今年・・2年分の世界遺産が決まるそうです・・ヤンバルクイナやリュウキュウヤマガメ・ノグチゲラなどこの地域固有で絶滅危惧種の生息地として重要な場所であることが候補になった理由です・・この素晴らしい森林も太平洋戦争で丸坊主になり戦後75年間で回復し育ってきた自然なのです・・今回私達が予約を入れたのはガイドツアーのみ参加できるコース・・リバーソングコースです・・14時の予約より早く到着したのですが私達の他にお客様がいなかったので早めにツアー開始してくださることに・・ガイドの大城和也さんから最初に説明を受けますリバーソングコースは①山を下るように自然の中を歩き②~③川のせせらぎに癒やされ④虹の滝から高低差のある山道を歩いて⑤ゴールまでの732mです・・⑤ゴールからビジターセンターまでは舗装された道を車で送ってくれます・・自然や生態系を維持するために自由に入ることは許されず・・ガイドとともに入ることが許されているコースです・・入り口は閉められています(画像左下)入り口に入る前に靴を念入りに消毒してから入ります・・歩きやすいように整備されているので快適に歩くことが出来ます・・山の中に入っていきましょう!クマさんが見つけたきのこ名前はわかりませんでした・・食べれるのかどうかも??????帽子をかぶらないと枝で怪我をしたり虫にやられたりしそう・・水の流れる音が聞こえます川のせせらぎがありました・・暑かったので手をせせらぎにいれると冷たくて気持ちよかったぁ・・所々にこんな仕掛けがおいてあります・・マングースの仕掛けだそうです・・リュウキュウノボタン(画像上)紫陽花(画像左)苦手な方もいらっしゃるかと思いますがカエルさんがお出迎えしてくれました・・リュウキュウキムラグモの巣です・・ガイドさんが蓋をあけて見せてくれましたが蓋が閉まるとどこに巣があるかわからない状態になります・・生物や植物の解説をしていただきながらゆっくり歩きます・・急な階段が目の前に・・よく見ると向こう側には上りの階段があります・・いったん谷に降りていくと素晴らしい光景が出てきました・・「虹の滝」です・・時間帯によっては日が差し込んで来て虹が見られるそうです・・クマさん(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪今度は反対側の階段を登ってゴールまであと一息・・約2時間のコースを満喫してきました・・出口を出てしばらく進むと道路に出ます・・その先に車が待っています・・車で建物のあるところまで約10分ほど移動しました・・結構移動してたんだなって思いました・・本来なら大城和也さんに案内していただく予定だったのですが女性スタッフさんが翌日・はじめてガイドをするので勉強のためにご一緒させていただいていいですか?とのことで今回は4人で回ってきました沖縄の女性は元気で明るくて楽しくて2時間があっという間でした・・その後「くいなの森」に行く予定だったのですが休館日のようでホテルに戻ることに・・15時55分・・やんばる学びの森をあとにしてホテルに・・ホテルまで車で約2時間・・今夜は早めにホテルに戻れそうです・・昨夜は夕食を食べるところに困ったので昨日見かけたときにかなり混んでいたステーキハウスへ行こうということに・・ステーキ88ハウス・・17時47分着・・クマさんはテンダーロインステーキの200グラム・・私は130グラム・・これにライスかパンが付きます・・とっても柔らかくて美味しかったぁ・・v(○´∀`●)σ ゚+。:.゚ゴチソウサマ゚.:。+゚ここのお支払いにホテルでいただいた5000円の金券使わせていただきました・・足らずは100円でお釣りが・・イエーイ(∇^*d)(b*^∇)イエーイホテルに戻って来たのが18時28分クマさんは早速大浴場へ・・私は夕日が撮りたかったので後で行くことにお部屋のテラスから撮った夕日・・待った甲斐がありました・・クマさんがお風呂から戻って来てお風呂行くのにエレベーターで上がったり下がったり一体どこにあるねん?!ってくらいあちこちいかされて迷ったわ・・2階って書いてあるけど1階から行ったらいいんちゃうか・・私・・クマさんの言う通り1階から行ったら・・突き当たって・・お風呂は2階からでないといけませんって言われ2階に戻って廊下をどんどん進んで・・曲がってエレベーターで1階に降りてまた上がって降りて・・もうね迷う・迷う・・やっと行き着いてここめちゃくちゃわかりにくいですね・・もう迷って・迷って・・とかかりの女性にいうと皆さんにそう言われるんです・・だって・・それあかんやろ・・って突っ込みたくなったのを我慢・・大きなお風呂にゆっくりはいって比較的空いていました・・今日の疲れを取って部屋へ・・お部屋で持っていっていたコーヒーを淹れてしばしまったり・・21時過ぎには寝ちゃってました・・朝まで爆睡・・o(*^▽^*)oあはっ♪本日歩いた歩数・・13943歩 約9.5km・・FC2・・はこちらから
2022/08/04
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大石林山を12時前に出発して次の目的地「やんばる学びの森」へ向かいます海沿いを走っていると営業中のノボリが目に入って・・お昼を食べるために寄ることに・・まるひら食堂さん・・店内にはいると懐かしい昭和の歌がCDから流れています・・女将さんにお勧めを聞くとにんみんライスがここのオリジナルだそうで小さいソーキそばもついてるセットをクマさんがニンニクとお肉のそぼろ丼のようなものでした私はソーキそばを・・にんみんライスのお味は思ったより薄味でちょっとご飯に乗せるには物足らないお味人生で初めてのソーキそば・・ソーキそばを食べたのが初めてだから美味しいのかどうかわからない・・意外とあっさりしてるな・・一番美味しいと思ったのがゴーヤのピクルス・・凄く美味しかったので作り方教えていただきましたスライスしたゴーヤを沸騰したお湯の中で3分ほど茹でるんだそうですそれをピクルス漬けにする・・これがめちゃくちゃ美味しかった・・女将さんの手作りだそうです・・ゴーヤ苦手な私でも美味しく食べれました・・o(*^▽^*)oあはっ♪結局沖縄で食べたソーキそばまるひら食堂さんのだけ・・この後も食べることがなかった・・今思うとちょっと惜しいことした・・美味しいと評判のソーキそばを食べて・・味比べするべきだったよね・・...... ( 〃..)ノ ハンセイFC2・・はこちらから
2022/07/30
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11時33分・・無事バスを降りたところまで来ました・・簡易事務所のエアコンの効いた部屋でバスを待つことに・・5分ほどするとバスがやってきました・・家族連れや高齢者の方などが次々とバスを降りて・・バスに乗り込んだのは私達だけと思っていたら出発直前にカップルが乗り込んできました御願(ウガン)ガジュマルを見るために途中下車します・・バスを降りるときドライバーさんが先週ノリさんと安田成美さんがきたと・・バスにサインを貰っています・・6月21日・・私達の結婚記念日は6月20日・・最初は6月20日に出発する予定でした・・そうするとここを訪問するのは21日ということに・・ノリさんご夫婦とは御縁がなかったようですね・・o(*^▽^*)oあはっ♪大石林山は安田成美さんが大好きで年に2~3度訪問されるそうです・・御願(ウガン)ガジュマルまで50m・・ここから入っていきます・・暫く進むと赤いロープが張られていますロープを外して中に入り・・ロープをもとに戻しておきます御願(ウガン)ガジュマルまで30m・・道標ガジュマル・・ガジュマルロードの7ヶ所の神木が皆様に癒やしとやすらぎを与えこれからの未来への”しあわせの道しるべ”となってほしいとの願いから「道しるべガジュマル」と名付けました・・と書いてありました・・いよいよご対面です・・デカっ!!なんと大きすぎてカメラにおさまりません・・階段があったので上に登って(-p■)q☆パシャッパシャ☆クマさんがちっちゃく見えますね・・その存在感に圧倒されます・・せっかくだからもう一枚・・クマさんはどこにいるでしょうか?アガリメー/東前大石林山にはいまだに解明されていない謎の石積みや石垣が沢山あります その中の一つがアガリメーです・・アガリとは太陽又は東・・メーとは前又は場所を指します・・すなわち「太陽の入る場所」と言う意味です・・ 造りは3000年〜5000年前にヨーロッパで多く造られたドルメン(テーブル)型です・・これとよく似た物で日本には支石墓(しせきぼ)が有ります・・が・・どちらも「墓」と言うことで大石林山のアガリメーとは意味合いが違うようです・・アガリメーは両サイドの柱や祭壇・中央の三角の石は全て根石で・・天井部分は浮き石です・・ですから遺体を埋葬する事は出来ません・・興味深いのは車が入れない場所に数トンもある石をどのようにして上に乗せたのかまた中央の三角の石が真東の位置にある事です・・これは自然(偶然)にできた物なのか?それとも太陽信仰の祭事の場所として造られた物なのか!?大石林山ブログ↑から拝借いたしました・・イルカンダ通り(血藤大道)何気なく通ったイルカンダ通り(血藤大道)ってなんだ???気になって調べてみました・・もっと知りたくなって大石林山に電話をかけて色々教えていただきました・・画像をお借りしましたイルカンダとはヤンバルに生息するマメ科の植物で沖縄の方言でイルは「色」カンダは「カズラ」を指しそれが和名になっているそうです・・湿度が高く日陰になっている場所を好み周囲の木にツルを巻き付け成長・・ブドウの房のようにぶら下がる花は大自然のパープルシャンデリアと呼ばれるほどだそうです3~4月に咲くお花だそうで私達の行ったときには花を見ることができませんでした独特な香りも特徴のひとつだそうでゴムを焼いたような匂いという方もいるそうです・・南海日日新聞さんから画像はお借りしましたお花が終わると鞘が出来てそら豆のような実がなるとか・・大石林山では2022年3月19日(土)~4月17日(日)の期間中「イルカンダ花めぐり」を開催していたようです・・機会があればその季節に自分の目でイルカンダのお花を見てみたい・・な・・戻ってきたのはお昼前・・約1時間30分かけての聖地巡り・・体内にたまった汚れたものが綺麗さっぱり洗い流されたような清々しさを感じました・・中には沖縄石の文化博物館がありました・・次の目的地ではガイドさんを14時に予約しているので文化博物館は簡単に見学して移動です・・続くFC2・・はこちらから
2022/07/20
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美ら海展望台コースに入るとまず見えるのは悟空岩・・西遊記の孫悟空が閉じ込められた岩に似ていると言うことで悟空岩と名付けられたそうです・・美ら海展望台コースはその名の通り展望台を目指すので山を登っていくコースになっています・・クマさん普段から足腰鍛えてるから軽い足取りで登っていきますかなり登って来てるのわかりますか?パワースポットと言う看板があるので進んでいくと・・大きな岩の下にカゴで囲った大きな黄色い石が・・これは大石林山で取れたパワーストーンでイエローカルサイトです・・カルサイトは石灰岩からできた半透明な成分・・心身のバランス・浄化・円満な人間関係を保ちトラブルを避けると言われている石です・・特に黄色いカルサイトは成功や繁栄の象徴とも言われています・・この場所にパワーストーンが置かれているのは後ろの岩に太陽の光が当るようになっていてその波動を吸収する位置だからそうですよ・・このパワーストーンに触ると波動によって精神を安定させパワーを受けることで邪気を払って運気を向上させてくれるそうです・・しっかりとパワーを受け取ってきました・・クマさんの背中を見ながらどんどん上に登っていくと岩の隙間から海が・・目の前のソテツの向こうに広がるやんばるの森の深い緑・・奥に広がる東シナ海・・・この雄大な景色にしばし見とれてました・・その先にはハイ!サイ!沖縄の方言でこんにちわ・・石中のお願い所骨盤石よく見ると骨盤に見えるような・・弱っている部分を石に触れさせると血行が良くなり体調が整えられると言われています・・輪廻 生まれ変わりの石骨盤石とセットにすると子宝祈願となるそうです・・生まれ変わりの石は中がくぐれるようになっていてこの石を3回くぐることで・・・1回目で悪い過去(失恋・失敗・病気)を捨てて・2回目でリセット・3回目で新しく生まれ変わると言われています・・クマさんも私もしっかり3回くぐってきました・・悪い過去を捨てて新しく生まれ変われたかな・・もうすぐ大石林山「美ら海展望台コース」のハイライト美ら海展望台はすぐそこ・・大石林山「美ら海展望台コース」で1番高い場所・・眼下にPが見えますね・・朝一番に訪問した辺戸岬・・そして辺戸岬の奥に広がる東シナ海・・遠くにはぼんやりとですが与論島が・・・たくさん登って歩いてこの風景に出会えたことに感謝・・海風がすっごく気持ちよかったぁ・・さて工事中でなければバスで来れた精気小屋に向けて下って行きます・・アシムイの山を眺めながら下るルートです・・なんだか沖縄にいるとは思えない光景・・後先になりますが精気小屋でこんなポスターを見つけましたアシムイのことが載っています・・皆さん覚えていますか?辺戸岬に行ったときの画像・・この画像はおかりしました画像の向きは逆ですがわかりやすいですね少し下ったところでなにやら修復作業をしている方が・・クマさん声をかけて何をしているのかと尋ねています・・イノシシよけの石垣の修理をしているとのことでした・・何にでも興味のあるクマさん・・しばらく男性といろんなお喋りをして楽しんでました・・どんどん下って行くと土の道が終わりデッキで舗装された道(バリアフリーコースと合流)に・・こちらは銭加那志(じんがなし)と呼ばれています・・加那志というのは沖縄の言葉で「~様」というような敬称を現すそうです・・銭加那志とは「銭様」ということですね・・石にある丸い穴はお金・円満・平和を表しているそうです・・精気小屋が見えて来ましたここで自動販売機で冷たい飲み物を買って飲みました・・これが冷たくて凄く美味しかったぁ・・一息ついたところで徒歩でバスを降りたところまで向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2022/07/18
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辺戸岬を10時13分に出発し大石林山(だいせきりんざん)へ向かう・・大石林山まで約10分大石林山とは2憶5千万年前の古生代に海の中で形成された石灰岩が地殻変動によって地表に現れさらに数百年という長い歳月の間雨や風などで浸食をされてできたのが大石林山です・・このような地形をカルスト地形といい大石林山は世界最北端に位置する熱帯カルスト地形として有名です・・大石林山の出発地点のビジターセンターここでスタート地点やコースの説明や注意点を・・大石林山憲法大石林山には大石林山憲法というものが存在します・・大石林山を散策する中での禁止事項などが記されていますので事前にチェックしておきます・・ 動植物の採取は自然環境保全の為禁止しております。 大石林山内は禁煙です・・ご指定の場所にて喫煙してください。 ゴミは必ず所定の場所に捨てて下さい。 食べ物、飲み物の持ち込みはかたくお断り致します。 可燃性の物の持ち込みはかたくお断り致します。 所定の通路以外での事故等は一切責任を持ちませんチケットを購入して目の前から出ているシャトルバスで本来なら「精気小屋」と名付けられた建物まで向かいます・・が私達が行ったときは工事中で途中までしかバスは行きませんでした・・バスに乗り込んだのは私達二人だけ・・大石林山の散策コースは4種類①巨岩・石林感動コース1000m、所要時間約35分。2憶年前の石灰岩が隆起してできたカルスト地形を存分に楽しむことができます。精気小屋を通らずに他3ルートとは反対側から始まるコースです。縁結びの岩へはこちらのコースから行けます。②美ら海展望台コース700m、所要時間約30分。沖縄本島最北端である辺戸岬や北部の大パノラマを望むコース。生まれ変わりの岩や石林の壁があります。③バリアフリーコース600m、所要時間約20分。ご年配や車イスの方でも安心して楽しむことができるウッドデッキのコース。屋根付きの休憩所もあります。④亜熱帯自然林コース1000m、所要時間約30分。沖縄のヤンバル(山原)の森を楽しむコース。こちらは①~③を楽しんだ後、帰りのシャトルバスには乗らずに、歩いて麓まで帰るコースです。6万本ものソテツや御願ガジュマルを見ることができます。バスを降りてすぐのところに奇岩・巨岩コース(巨岩・石林感動コース)がありました・・私たちは①巨岩・石林感動コース~②美ら海展望台コース~③バリアフリーコースと周り帰りのシャトルバスで途中で降りてガジュマルを見るコースを回ることに入るとすぐに天の声?それとも空耳?これはまだ大石林山がオープンしない前の平成7年頃のお話ですその頃・大石林山ではインドネシア産のトラジャコーヒーの木を数千本栽培し・やっとコーヒーの実を収穫できるまでになっていましたその日も朝から現地の職員と畑にいるとウガンサー(参拝者)の女性二人が奇妙ないでたちをして私達に話しかけてきました彼女たちが言うには・ユタ(霊能力者)から教えてもらったウガンジュ(拝所)でウガミ(祈り)をしようとすると 少し離れた場所から「クマ~アランド~・クマ~アランド~」と声が聞こえてくるんですすみませんが一緒にその場所に来てもらえませんか?とお願いをしてきました私たちは好奇心もあり一緒について行くことにしましたそこには他のウガンジュに比べても見劣りしない立派な祠がありましたが・特に変わった風ではないので大丈夫そうですね私たちは側にいますのでどうぞウガンをして下さいと促しましたその時・一人の女性が「あっ・また聞こえた」と言って藪の方を指さしました私たちには全く聞こえませんがと言ってもほっておけないので藪の中を調べてみるとありました!全く似たウガンジュが!!天の声は間違いを教えてくれていたのですネ・・その声が聞こえたとされるのがこの場所です・・他の観光客の人もいなくてクマさんと二人っきり・・耳を傾けると声が聞こえてきそうな静けさ・・でも怖いという感覚は全くありません・・心が穏やかになる空気感でした・・この先は行き止まり?この岩の間を通り抜けていきます岩の間をくぐるとその向こうにも道が広がっています・・この日はとても暑い日だったのですがこのコースはほぼ森の中なので木陰で涼しかったです・・道順に従ってすすみますここからは登り道ですが階段状に整備されているため歩きやすいです・・その先にあったのが巨人の腰掛け・・画像ではわかりにくいかもしれませんね・・この岩の間を通る道は「精霊道」と呼ばれています・・縁結びの岩クマさん写真撮ってあげよか?縁結びの岩だって・・( ̄ー ̄)ニヤリええわ・・ヾ( ´( ェ )`)ノ フッだるま岩現在地点・・私達が歩いたコースは白い線の部分です・・石林・・で・でかい!地中から隆起した岩の壁がまるで林のように見える場所です・・天神橋を渡って・・イグアナとラクダ美ら海展望台コースへ向かいます続く・・FC2・・はこちらから
2022/07/17
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2022年6月29日(水) 晴天目が覚めたのは5時半・・クマさんはまだ寝ています・・そっと窓を開けてバルコニーに出ると目の前に海が広がってます・・ちょっと霞んでる感じ・・クマさんもおきてきたので・・着替えをして朝食をする「シーサイドレストラン北谷ペイ」へ・・このホテルかなり大きくてレストランの場所がわからなくて困りました・・フロントに聞きに行こうと思っていたとき一組のカップルが・・そのカップルについていって無事(シーサイドレストン北谷パイへ・・かなり遠かったです・・私たちは旅に出ると朝食はしっかり食べます・・本当はバイキングが苦手だから決まったセットのほうがいいんです・・が・・仕方ないですよね・・バイキングってたくさんあって上手に回れないんです・・で・・目の前にあるものを取ってしまうから代わり映えのしないものばかりになります・・食べ終わってホッとしていたらお隣の席に座ってらっしゃる奥様が美味しそうなもずく酢を食べてらして・・思わず・・美味しそうですね・・それどこにありました?沖縄料理のコーナーにありますよ・・ほら・・あそこ・・・行ってみると沖縄料理が沢山並んでいました・・ちっとも気づかなかったわ・・もずく酢だけ頂いて席に戻りました・・そんなことがきっかけで同年代のご夫婦とちょっとお喋り・・コロナワクチンを3回打った話になって・・私達・ワクチン接種3回の書類を見せたら5000円分の金券いただいたわよ・・そうと聞けば後でフロントに行って貰ってこなくちゃ・・ちゃんとコロナワクチン3回接種の書類を持ってきてますから「恩納村景気回復支援観光商品券」はキャンペーン対象宿泊施設で2泊3日以上の宿泊をする方を対象に村内対象施設(飲食店・観光施設・遊び体験・土産店や小売店など)で利用できる商品券を1室につき5,000円分(1,000円分×5枚)進呈するものです・・恩納村でしか使えない5000円ですが有効活用させていただきましょう・・このホテルには2泊するので荷物は簡単に片付けて出かけることにホテル・・8時19分出発・・ナビを辺戸岬(へどみさき)に設定してo(゜▽゜ヽ)(/゜▽゜)o レッツゴー♪車窓から見える海は霞んでいたのがどんどんクリアになって綺麗・・辺戸岬(へどみさき)に着いたのは9時52分・・約30分・・辺戸岬(へどみさき)は沖縄本島最北端の絶景岬・・ 隆起したサンゴ礁の断崖絶壁から一望できる太平洋と東シナ海の紺碧の海・・雄大な海の先には晴れていれば与論島や沖永良部島を望むことができるそうです・・冬は北風が強く海が荒れた日が多いので海の底まで見える日は少ないそうです・・私達が行った日は海のそこまで透き通って見えアオブダイが泳いでるのも見えました・・向こうの方に四連の岩山が見えています・・この山々は「安須社(あしむい)」と呼ばれ神話によると琉球開びゃくの神様アマミキヨが一番目に創造した聖地といわれる重要な場所です・・遠くから見ると観音様が仰向けに寝ている横顔にも見えるといわれています・・高い鼻と唇が分かりますか?この山々の裏側に沖縄の代表的なパワースポット「大石林山(だいせきりんざん)」が・・岬の中心に建てられているのは「日本祖国復帰闘争碑」アメリカの統治下にあった沖縄が日本に返還され沖縄県になった証として1972年に建立されたものです・・統治下にあった頃は日本復帰を願ってのろしを上げる式典もおこなわれていたそうです・・辺戸岬は平和を祈る場所でもあったのです・・辺戸岬は沖縄海岸国定公園に指定されていて遊歩道が整備されているので高齢者やベビーカー・車イスでも安心です・・が・・柵がない岩場のほうには近づかないほうがいいです・・クマさ~~んこっち向いて・・(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪名残惜しいですがそろそろ移動の時間です・・(゜O゜;アッ!変なバッタがいる・・どれどれ・・撮っとこか・・パチ /■\_・) カメラ オキナワモリバッタ・・かな?よくわかりません・・辺戸岬(へどみさき)全体にはえてる植物はクサトベラクサトベラ科クサトベラ属の常緑低木別名 「テリハクサトベラ」分布は・・小笠原・沖縄・台湾・オーストラリアなどの亜熱帯・熱帯地域・・トベラに似た葉を有し高さ1~4m程になり海岸の岩場や砂地に生え群落を作っています・・扇のような花びらとその上に蛇口のように突きだした花柱が特徴的です・・木の形がモンパノキに似ていますがモンパノキより葉が滑らかで光沢があります・・葉の形は靴べら状の形をしています・・春から夏にかけて下半分にだけに5枚の白い花弁を付けた変わった花を咲かせます・・下半分しかお花がないでしょう・・こんなお花始めてみました・・ちょっと調べてみるとこんなお話しが・・ナウパカの伝説:火山の女神ペレの話ある村に見知らぬ美しい女がやってきた。女は村の若い男に恋心を抱いた。若者はしばらくはその女と仲良くしたがやがて昔の恋人のところに戻った。実はこの見知らぬ女の正体は恐ろしい火山の女神ペレ(Pele)だった。怒り狂ったペレは二人を追いかけて二人の仲を引き裂いてしまった。ペレは溶岩流に乗って若者を山に追いつめた。ところが他の神々が若者を哀れに思い彼の姿をナウパカ・クアヒヴィ(マウンテン・ナウパカ)に変えた。怒りが冷めないペレは今度は男の恋人を海岸まで追いかけた。ここでやはり神達が彼女の姿をナウパカ・カハカイ(ビーチ・ナウパカ)に変えた。こうして恋人同士はペレに追われる心配はなくなったが再び一緒になれることもできなくなった。ナウパカになった男は山で女は海岸で互いを思慕しながら現在でも半分の形の花を咲かせているのだという。ナウパカの半円型の花を二つ合わせて円型にすると雨が降るという言い伝えがある。これは再会を喜んで泣いている恋人たちの涙の雨だと云われている。続くFC2・・はこちらから
2022/07/13
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玉城城跡から今夜のホテルに向かって出発したのは18:30・・ナビトラブルで行かされた同じ高速に乗って同じ許田で降りて・・ここからホテルまで10分ほどでした・・ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネホテルに着いたのは19:55・・画像は公式ホームページからお借りしましたリザンシーパークホテル谷茶ベイチェックインしてホテルのフロントの男性にどこか美味しいお店はありませんか?彼のお勧めのお店はホテルまで迎えに来てくれるお店だそうです・・ほかにもホテルまで迎えに来てくれるお店が数店あるそうで地図をいただきました・・お部屋はシービューのデラックスツイン・・かなり広くて快適です・・とにかくお腹が空いたのでフロントお勧めのお店に電話・・満席で☓でした・・3件目の「三線の花」が迎えに来てくれるということで予約をいれて・・左側の画像はお借りしました右は私が撮った画像派手な車でお迎えに来てくださって・・お店に到着すると席があくまでしばらく待ってくださいとのことで店の前にあったイスに座って20分ほど待ちました・・店内もテラス席もいっぱい・・グループや家族連れが多かった・・私達のあとからもお客さんが・・テラス席で良かったらご案内出来ますと言われ左上のテラス席へ・・まずはオリオンビールで(〃^∇^)oお疲れさま~上右がてびち煮付け・・トロットロでヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ 左下もずくの天ぷら・豆腐よう・・もずくの天ぷらはサックサク・・豆腐ようは・・なんていうのか今まで食べたことのない豆腐・・プリンみたいにトロントロン・・激ウマ!右下画像がアグー豚ホルモン中味イリチャー・・これはちょっと独特の匂いがあって微妙・・なにか頼む?ご飯系とか?うーん・・食べたいような食べたないような・・結構脂っこいからお腹にきてるしいいわ・・会計をして車でホテルまで送ってもらってコンビニでアイス買って帰りました・・大浴場もありますがもう疲れてしまってお部屋のお風呂で済ませてベッドイン・・速攻で爆睡・・Zzz・・o(__*)。。oO28日に歩いた歩数 12531歩 8.7km続く・・FC2・・はこちらから
2022/07/08
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2022年6月28日(火)~7月1日(金)まで結婚46回目の記念に沖縄に行ってきましたクマさんは結婚前に一度沖縄へ行ってるのですが全くと行っていいほど記憶に残ってないそうです・・私は沖縄には一度も行ったことがなかったので一度は行ってみたいと海外旅行でたまったマイレージもたくさんあるのでマイレージで神戸から沖縄のスカイマークを予約・・結婚記念日は1976年6月20日ですが沖縄の梅雨が開けてから出発しようと28日から出かけました神戸発593便10:55--沖縄着13:10予定より10分早く到着・・着陸体制に入りますのアナウンスのあと飛行機が旋回・・眼下には滑走路が見えています・・滑走路に飛行機が入り込んでいたためだったそうです・・一瞬・・??????案内を聞いて一安心・・お天気は快晴・・めちゃくちゃ暑い!!レンタカー会社の迎えのバスを待ってレンタカー会社に到着したのが14時私達の借りたのは日産のノートeパワー早速ナビを平和記念公園に設定して出発・・・平和記念公園まで約30分・・なのに高速に乗らされて30分以上たってもつきません?ヾ(゜ー゜ヾ)^?。。。ン?恩納村に向かってました気がついて高速を降りてナビを設定し直そうとしたのですが取説を見てもできません・・レンタカー会社に電話して聞いても調べて折り返し電話しますでモタモタともたついて結局2時間近くの時間ロス・・目的地の平和記念公園についたのは16:30・・本来なら14:30到着予定・・クマさんがどうしても見たかった平和記念公園・・車を止めて向かった先は平和祈念堂・・(゜ー゜?)(。_。?)(゜-゜?)(。_。?) アレ?アレレレレ???時間もないので受付にいた女性に尋ねることに・・とにかく資料館に行きたいというと17:00までです・・とのこと資料館はこの下にありますから急げば間に合うと思います・・あと30分弱しかない・・長い階段・・大急ぎで資料館に向かって走りました・・ε=ε=ε=ε=ε=(o;´ρ`)o-3ハァハァ~中はカメラ禁止・・大急ぎで見て回って・・クマさんが一番見たかったのは護郷隊のこと・・探したのですが護郷隊に関することはありません下に降りて男性に聞くと少しだけあるというところへ案内して頂いてそこだけカメラで撮っては駄目ですか・と聞くと駄目だと・・そこへ中年女性の方が来てくださって写真を撮らせていただきました・・以下ウィキペディアから拝借しました護郷隊(ごきょうたい)は、太平洋戦争末期の沖縄戦時、10代半ばの少年兵により構成された日本軍のゲリラ戦部隊である。隊長は、諜報や秘密作戦を専門とする陸軍中野学校出身の将校が務めた。第一護郷隊、第二護郷隊の二隊が組織され、沖縄本島南部で日本軍の組織的抵抗が終わった後の1945年7月中旬に解散するまで、北部山岳地帯に拠って活動した。約1000名の隊員のうち160人が戦死したが、秘密部隊であったため軍人恩給などは支給されなかった[1]。防衛召集は1944年9月から1945年3月にかけてで、その多くが14歳から18歳の沖縄の少年たちだった。元護郷隊の上原さんの証言(飛んでみてください) ↓10代の少年 兵士に仕立てた戦争 元護郷隊・上原さんクマさんが護郷隊にこだわったのは13歳~14歳の幼い子供を使ったことにかなりの怒りを持っていてきちんと知りたかったからなのです・・が・・実際には資料館の殆どの方が護郷隊のことを知りませんでした・・お一人だけ写真を撮ることを許可してくださった中年の女性の方だけだったことにクマさんはかなりのショックを受けてました・・石版に亡くなった方の名前が刻まれていました・・その石版の数に圧倒されながら見ていました・・ある石版の前に花を供えている方がいらっしゃいましたし・・ところどころにお花がお供えしていました・・広くてとても回りきれません・・時間を見ると5時・・行く予定だった斎場御嶽(せーふぁうたき)までここから30分・・最終入場5時30分までなのでとにかく行ってみることに・・またまたPまで汗だくで走って・・続く・・私はauからUQモバイルに変えて使っています・・昨日から通信障害が起きていて電話がつながったのは今日の16時過ぎ・・旅行中だったらと思うとゾッとしました・・FC2・・はこちらから
2022/07/03
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2021年12月10日(金)晴れいつものように早朝に目が覚める朝食の予約は7時30分・・朝食は和食か洋食かの選択・・クマさんも私も和食に飲み物は自分で取ってくる方式です・・食事が終わると・・コーヒーをカップに入れて部屋に・・ゆっくりコーヒーを飲んでから唐戸市場へ一年ぶりの唐戸市場・・ワクワクします・・まずは奥にすすんで漁師の奥さんが開いているお店へ・・慣れた手付きで次々に綺麗に捌いてかごに乗せていきます鯵・・1盛り500円・・2盛りにおまけを入れてくれて1000円に・・赤い開いたお魚も500円・・去年も買ってフライにしたらとっても美味しかったのでこれも買いました・・あと・・画像にないのですが揚げて南蛮漬けにするといいというお魚ももちろん開いて綺麗に処理されています・・その後とらふぐを買いに昨夜食事をした「市場のよこ」で教えていただいた勇次商店へ・・勇次商店今年は養殖があまり良くなくて去年に比べて量も少ないしお値段も高かったです・・それでも大きなとらふぐが6800円・・刺し身・あらと鍋用のぶつ切り・皮と綺麗に捌いてくださいましたしかも6500円におまけしてくれました・・とらふぐはすぐに食べちゃって画像を取り忘れました・・(≧▽≦;)アチャー真ふぐは天然物なので毒をもっています毒を取り除いて綺麗に処理されて冷凍されていました・・大きなのが二匹入って3800円・・真ふぐは初めて食べましたが美味しかったぁ・・しかもトラフグの半値近いでしょう・・すっごいお買い得です・・買い物をしていたらそろそろ10時・・活き活き馬関街が始まります・・好きなのをパックに入れてもらいます・・マグロの頬肉とか食べたことのない部位がたくさん・・18個入れてもらっても2000円くらいだったと・・あと丼とかいろいろ夕食用に買いました・・唐戸市場をあとにして向かったのは防府・・私の学生時代からの親友が住んでいます彼女のお嬢さんが去年の3月に癌で亡くなったことを知り・・どうしても彼女に会いたいと思ったからです・・お嬢さんは我が家の長男の1つ上の45歳・・5年の闘病生活を過ごしたそうです・・癌が見つかったときにはすでにステージ4だったそうで・・小柄でとても可愛い人だった彼女が一気に老け込んでいて・・かける言葉が見つかりませんでした・・滞在時間は2時間もありませんでしたが色んな話しができてよかったと思います・・帰宅したのは19時30分ころ・・混むこともなくスムーズに帰れました夕食は買ってきたお寿司・・お味噌汁だけ作って早速いただきました( ̄ー ̄?).....??アレ??握りと海鮮丼の画像を撮ったと思っていたのにない・・美味しくて食べるのに夢中で取り忘れたか?!(/≧◇≦\)アチャー!!ノブも相当に美味しかったと言ってました・・ノブには18個の握りと雲丹丼を買っていたのですが握りだけでお腹いっぱいだったけど勿体ないから雲丹丼も食べちゃった・・って言ってました・・ノブは口が綺麗というか子供の頃からお腹がいっぱいになったらそれ以上は絶対に食べない子・・長男は逆で少々お腹が一杯でもあとから美味しそうなものを見るとガッツリ食いつくタイプです・・長男は食べることが大好き・・少々美味しくなくても食べちゃうタイプ・・次男はあまり食にこだわらない・・食べたくないものだったら何も食べずに済ませてしまうタイプです・・だからお腹がいっぱいになったら絶対に無理して食べることはしないのにもったいないからと食べちゃったって・・本当に美味しかったんだねぇ・・買ってきた甲斐があったわ・・ヘ( ̄▽ ̄*)ノ・ ・.♪ヒャッホーイ♪.・ ・ヾ(* ̄▽ ̄)ノFC2・・はこちらから
2022/02/11
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秋芳洞の観光のあとは早めにホテルへ行くことに・・今夜のお宿は去年と同じ下関グランドホテル・・16時過ぎにチェックイン・・お昼を食べ残っていたのでお腹が空いたぁ・・荷物をおいて外をウロウロしてみるもどのお店も5時オープン・・時間つぶしに唐戸市場正面にある亀山八幡宮へ・・手水も亀さんなんだね・・貞観元年(859)創建豊臣秀吉ゆかりの蘇鉄や伊藤博文が妻と出会った茶屋跡が残っています境内には大きなふくの像がありフグ漁解禁日に安全を祈願する祭りが行われるそうです・・おかめ明神神社地は古くは島でしたが江戸時代の始め頃毛利藩によって街の発展のために陸続きにする埋め立て工事がおこされました。しかし海峡の潮の流れはひと岩沈めればひと岩を流す急潮であり工事は多大の工費と人の命を犠牲にするのみでなかなか成し遂げられませんでした。時に、江戸の「吉原」・京の「島原」につぐ三大遊廓の一つであった稲荷町(現・赤間町)の疱瘡を病み顔に「アバタ」のあるお亀という遊女が町かどに立った人柱募集の高札を見て「我が身を滅して功あるならば」と人柱に立ち月夜の海に白衣に身をつつみ海に身を投じて埋立の礎石となりました。その後急潮に悩まされる事もなく難工事も無事に終わり時の人は境内にイチョウの木を植えお亀さんの功績を讃えました。これがお亀イチョウです。お亀イチョウは先の戦禍にあい焼失しましたがお亀さんの遺志を継ぐかのように新芽が成長し今なお母なる木の面影をしのばせています。お亀さん頌徳の記「境内は島であった 今を去る五百年の昔 馬関(下関の古称)開発のため わが身を滅して功あるならと 人柱になり海底に消えたお亀さんは下関の街づくりの功労者であった 時の人はお亀さんの功績を称え記念に銀杏の木を植えた 木は年輪を重ねて名木となりお亀銀杏と称えられた 木は昭和の戦禍にかかったが お亀さんの遺志を継承するかのように 焼け跡から新芽を出し 年々生長して母の木の面影をしのばせている 実はお亀ぎんなんといい 不思議にも無数の斑点があり お亀さんの顔のあばたが現われたものといい伝えられている お亀さんの功績により開作された広い埋立地を八丁浜といい 毎年3月1日から3日間 五穀祭に八丁浜エラヤッチャとはやし“ぼんち可愛いや寝んねしな”と唄い シャギリ 山車を出し 下関の町は八丁浜を重ねるごとに大きくなった 八丁浜エラヤッチャはお亀さん頌徳の賦である 平成元年 氏子崇敬者の厚い御奉賛により 亀山八幡宮御鎮座1130年記念事業として境内を整備し お亀明神社を再建し池を整え玉垣をめぐらす ここに亀山八幡宮亀笑会創立30周年にあたり 頌徳の記を更新し お亀さんの功績を永く称える」と書いてあります・・落ちていたお亀銀杏・・亀山八幡宮からみえた夕景・・時計を見るとまだ5時までに20分ほどあります唐戸市場に入ってみました上から見た唐戸市場・・広いねぇ・・そろそろいい時間になったので唐戸市場の横にあるカモンワーフに移動・・いろんなお店が入っている中で私達がはいったのは・・唐戸熱血食堂いちばのよこまずはビールで(^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪喉が乾いていたからめちゃくちゃ美味しい”(*>ω
2022/02/04
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今更ですが2021年12月9日(木)~10日(金)にかけて行った山口の続きを・・秋吉台を観光したあと向かったのは秋芳洞・・ナビ通りについたのはここはどこ??チケット売り場があったので聞いてみました3箇所ある出入り口の一つだそうですエレベーターに乗って下へ・・秋芳洞まで80m下に降ります・・・エレベーターに乗ってる時間も結構かかりました・・真ん中より左寄りのエレベーターのあるところです・・傘づくし天井に傘をぶら下げていた昔の傘やのようにつらら岩が伸びる景観から名付けられたそうです・・空滝(からたき)大黒柱(だいこくばしら)広庭(ひろにわ)百枚皿の先はドーム状に開けた大空間中央には石灰分を含んだ水が堆積した高さ5mの「洞内富士」がそびえたいます・・千町田(ちまちだ)百枚皿と同じ過程でできた岩で皿1枚当たりの面積が大きいのが特徴です・・百枚皿(ひゃくまいざら)皿状の平たい岩が段々畑のように重なる洞内一のみどころです・・皿の数は500枚以上にのぼりこれほど大規模のものは国内では珍しいそうです・・クラゲの滝のぼり黄金柱岩壁を流れる水により成長したフローストーンとよばれる鍾乳石・・高さ15m・幅4mの巨大な岩が黄金に照らし出され秋芳洞の大黒柱のようにそびえ立っています・・身代観音クラゲの滝のぼり秋吉台には400を越える石灰洞窟があるそうです・・秋芳洞はその中でもひときわ規模の大きな巨洞で全長は約8.8キロメートルあり鍾乳洞としては日本最大規模の大きさです・・洞窟の入口は広谷ポリエに開口し高さ20メートル・幅8メートルありここから多量の地下水が溢れ出ています・・洞内の空間は規模が大きく「千畳敷」では高さ30メートル・幅100メートル・・最も幅の広いところは200メートルの巨大空間をなしています秋芳洞の探検は明治の頃から進められ今も続けられているそうです・・いやぁ・・凄かった・・全体に照明が暗くて足元が見えにくく・・しかも濡れてるから滑りそうで怖かったです・・秋芳洞・・[ゴクリ]゚ω゚;)凄い…行ってよかったぁ・・続く・・FC2・・はこちらから
2022/02/02
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12月9日(木)~10日(金)にかけて下関へ行ってきました・・去年の同じ時期にGO TO キャンペーンを使ってとらふぐを食べに下関まで去年泊まったのと同じ下関グランドホテル泊唐戸市場まで徒歩3分の距離です・・唐戸市場で購入したとらふぐ・お魚・・朝漁師さんが獲って来た新鮮なお魚が買えます・・とってもお安くて美味しいお魚の味がわすれらてなくて今年も行ってきました・・今回は私がまだ行ったことのない秋吉台へ・・ナビ通りに行くと・・(@'ω'@)ん?何もない・・クマさんが来たときとは全く違う場所みたい・・山登りをしていた男性に聞くと2キロほど下って右に行くと展望台があると・・前を走っていた観光バスが入って行ったところでした・・岩がゴツゴツしてるところだってクマさんが話してくれた場所です・・秋吉台(あきよしだい)は美祢市の中・東部に広がる日本最大級のカルスト台地・・1955年に国定公園(秋吉台国定公園)に1964年に特別天然記念物に指定されたそうです・・この秋吉台の雄大な景観を作っている石灰石はおよそ3億5千万年前に南方の海でサンゴ礁として誕生しそれから長い年月を経て現在のようなカルスト台地を形成したそうです・・広いカルスト台地の他にあったのは展望台とお土産物屋さん・コーヒーショップがあるだけお昼を回っていたのでなにか食べたかったのですが食べるほどのものがなくて我慢・・途中でコンビニのおにぎり食べておいてよかったぁ・・o(*^▽^*)oあはっ♪続くFC2・・はこちらから
2021/12/17
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2018年7月20日(金) 曇り目の前が海だからか風が強い・・一晩中テントがバタバタと音をたてていました寝れなかったの????って思いました?爆睡・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆いつもなら毎晩夢を見るのに今回のテント生活では一度も夢を見なかったぁ・・いつものようにHOTTAさんが淹れてくださった美味しいコーヒーを頂いて撤収・・向かった先は増毛唯一の天然温泉・・夕陽荘単純酸性泉で皮膚病やリュウマチなどに効果あり貸し切りのお風呂から日本海が広がる絶景・・最高!!クマさん・・ひとっ風呂浴びて気持ちよさそう・・途中で入ったレストラン海幸で特選海鮮丼(酢飯)ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ ここでHOTTAさんからエビの食べ方を指南・・エビの角をもって足をすべてつまんで引っ張るこれ・・凄いです・・こんな食べ方初めてやぁ・・お腹もいっぱいになって・・さらに日本海沿いにどんどんすすむ・・石狩灯台1892年(明治25)の開設以来100年以上の歴史を誇る石狩のシンボルだそうです灯台はかつて白と黒の縞模様だったそうですが1957年(昭和32)に松竹映画「喜びも悲しみも幾年月」の撮影の舞台となりカラーのはしりの作品だったため色彩効果を出すために赤白模様に塗り替えられたそうですよ・・灯台の建つ砂丘地帯一帯ははまなすの丘公園として整備されていてハマナスの開花期には群落がピンクに染まるとか昭和40年に無人化され平成11年に海側へ14m移設されていますが明治時代に建てられたまま現存するのは道内で唯一・・昭和32年に公開された映画「喜びも悲しみも幾歳月」(木下恵介監督・佐田啓二・高峰秀子主演)のロケ地ともなっていて古き映画ファンには懐かしい場所・・遠い昔の記憶をたどるとおいらみさきのぉ~~~灯台も~りぃ~がぁ~~~~♪の歌が・・昔はテレビがなくて映画だったねと3人で話が盛り上がって・・この後は札幌へ向けてひたすら走ります札幌につくとまずホテルにチェックイン荷物を置いてHOTTAさんの奥様と合流して向かった先は札幌ビール園・・広くてお洒落ぇ・・・今回は奥様がカニ食べ放題をご馳走してくださいましたまずは北海道限定生ビールのサッポロクラシック・・この日の札幌は暑くて冷えたビールが美味しい”(*>ω
2018/07/27
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