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異邦人とは、外国人のこと。つまり、日本国籍を持っていない人のことである。現在の私たちの生活環境では、外国人の存在は珍しくなくなってきて久しい。それどころか、自分たちの国の言葉である日本語さえもが、怪しくなるほどの国際化社会、今風に言えば、グローバル化された社会である。 その中にあって、彼ら、異邦人にかかわる問題はというと、もっぱら、犯罪に焦点が当てられるが、先日、日本生まれの日本育ちの異邦人、いわゆる「在日」の一人のピアニストの話を聞く機会があった。 彼女の名前は、Choi Sun-Ae Lois、 チェ ソンエさん。異邦人であることを理由に指紋押捺拒否裁判で、私たちの社会に異邦人問題を提起した人で知っている人も多いと思う。現在は日本人の方と結婚され、幾度の裁判でやっと手に入れた日本国永住権を持って、コンサート活動とともに「平和と人権」問題に深くかかわって活動をされている人である。 小柄な彼女に秘められた、不屈の正義感に共感するとともに、日本という国の行政体制に改めて、おかしいなという気持ちがわいてくる。日本の政治は今、小泉首相になって、構造改革だ、民営化だと騒々しいが、社会体制も、行政体制も、どうなっていくのか、どうしたいのか、政治家という人も、官僚という人たちからも、何も聞こえてこないし、見えてこない。 十年一日のごとく、何もせず、問題を見ようともせず、事が起きたときにだけ反応して終わりにしたがる、この日本の行政体制の中で、翻弄された一人が、チェさんだと思う。まだまだ大勢の人たちがいる。中国残留孤児の人たち、異邦人被爆者の人たち、売買春の犠牲になった人たち、従軍慰安婦といわれる人たちの問題。 日本の人権問題はまだまだ解決されていない。強権下で行われたこれらの問題は、何もせずでは済まされない。時間もなく、人間としての尊厳もなく、生活のすべもなく、奪われたまま、不自由な毎日を強いられている。 チェさんの音楽は、そんな悲しみを私たちに伝える。手元にあるCD「Z・AL」。Zの上に・がつく表記ができないポーランド語の「ゼァール」で意味は、憂い、悲しみを表す言葉なんだそうだ。同じような亡命者だったショパンの曲をメインに、彼の手紙の朗読のCDになっている。 チェさんの痛み、悲しみは、ショパンや彼女の留学先、インディアナ大学のハンガリーやロシアからの亡命者であった恩師たちのことを記した言葉にある。彼女自身が経験した悲しみの深さは計り知れない。 「その痛みは「望郷」などという、かすかに甘い憧れさえ感じさせる情緒的な言葉ではなく、本来あるはずのものを失ったまま過ごす喪失感、すなわち、「Z・AL」だったのではないだろうか。」 チェさん自身はこのとき、指紋押捺拒否問題で、留学先からの再入国が保障されない状況下であったという。私たち、日本国籍を持つ日本人としては、この恐怖と悲しみを感じることはないかもしれないが、これから先、絶対にという保障もまた、ないのである。 ともあれ、私たちの周りで、こんなギリギリの体験をして生きている人々が大勢いるのだということも事実なのであり、日本という国は「人権」意識が遅れていることの事実といわねばなるまい。 チェさんは2000年に永住権「戦後保障として、与えられた在日の人たちの権利」を取り戻せた。彼女についての詳細は「自分の国を問い続けて」岩波ブックレットNO・525参照。また、今回私が購入したCD「Z・AL」も、チェさんのピアノ、ご主人である三宅進さんのチェロ、ジャーナリスト本田雅和さんの朗読によるショパンの手紙、その他の作品の朗読もあり、味わい深い作品となっている。 また、挿入されているカザルスの言葉と「鳥のうた」も私は好きだ。カザルスもまた、平和主義に生きた人である。ピロウヤシ H360(光触媒加工人口観葉植物)
2005.07.21
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それぞれの役割。7月も半ばになった。 梅雨明けの話はまだ聞いていないけど、今日は久しぶりにじりじりと暑い日になった。きれいだったアジサイの花も、色があせてきた。アジサイの後は、ガーデニアの花がきれいだったのだけど、こちらも、そろそろ終わりになった。 それぞれが、花咲く時期に私たちを楽しませてくれる。みんなそれぞれの役割があって、今のこの時を生きているのだ。それは花も、動物も、人間もおなじ。どれがなくなっても、困るのだ。みな、大事にしなくては。 今日、松本在住の友人から、8月に亡くなったご主人の追悼絵画展をするからというお誘いを受けた。彼女は私の母といっても良い人であるので、喜んで出席するという返事をした。その時、ご主人との思い出と彼の残していった宿題として、二人の戦争中の体験と戦後に起きたこと、ご主人が出征した外地での出来事を語るのだという。 だんだんと右傾化していくような、昨今の日本を見ていると、戦争中のことをずっと引きずって生きてきた、亡くなったご主人のことを思い、いてもたってもいられなくなったという。自分たちの青春のときに経験した、大変な戦争を風化させてはならないと思ったのだという。自分たちが語り伝えなければ、伝わっていかない戦争という恐ろしいことが、また、さりげなく、私たちの日常に入り込んでこようとしているというのだ。それを、なんとしても、避けねばならないと。 彼ら夫婦の不思議なご縁を思うと、やっぱり、そういう役割が残っていたんだよねって思う。私自身は戦争を知らない世代だけれど、今現在、私たちの世界には戦乱が続く国があり、私たちの国からも、前線部隊ではないかもしれないけれど、自衛隊という日本の軍隊がイラクに駐留している現実がある。果たして日本は戦後60年といわれるけれど、あの戦争を総括したのだろうか? 「僕たちは経験したが、その意味を見逃していた、けれども、意味を考えることで、 経験もよみがえったのだ。」 T・Sエリオット ドライ・サルベージズより あのときの経験を語り継ぐ ということ。大勢のかたがたがそれぞれの立場でおやりになっている。私たちはそれらを聞くことで戦争を知らないなりにも、その悲惨さと非道さを知ることができる。彼女も、またその一人としてその役割を担う。私は彼女を知る一人の友人として心から、応援し、できる限りの支えになっていこうと思う。 「君が遺産として受け継いだものを、今度は用いるために、 自分自身のものにしたまえ。」 これはゲーテの言葉だけど、私たちが戦争経験者の方々の話を聞くことによって、それらを受け継いでいかないとまた、その道に迷い込んでしまう。まずは聞くことが大事。それから、何ができるかを考えよう!!一人ひとりにきっと役割があるはずだから。【楽天市場特別価格】トックリラン(空気触媒加工)240センチ[送料1,575円(税込)]
2005.07.15
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ほっとするという事。Feeling relievedこのところ、忙しかったせいか、身体がなんとなくだるいままの状態が続いている。心底、リラックスするという事なんてあるのかなーなんて、ネガティブに考えてしまう。Recently, since he was busy, the body feels languid somehow.The state as it is still continues. It cannot relax to from the bottom of its heart.It is not understood when it can relax. It has come to think negatively.そういえば、忙しいという字は心をなくすと書いたっけ。たはーーー!!なんとまあ!ま、確かに、世界中が忙しがってるから、個人のレベルでも忙しくなってるんだわ。そして世界はなんとなく、余裕が無くギスギスしている。When saying so, was it written that the character that he is busy abolished the heart? Very well! To be sure, since the inside of the world feels busy, it is busy also on the individual level. And the world is hard-pressed somehow and argument has occurred for reasons of trifles. 忙しいという事は、どういうことか?どこかの誰かの経済利益のために、人間の労働が過重にされ、世界からできるだけ搾り取ろうとする結果なのか。全部か全部とは言わないけれど、そういう危険性があることも考えられなくも無い。現在問題に成っている、地球温暖化や中東戦争の火種に石油があることなどを考えると、人間も自然も過度な搾取に苦しんでいるとも考えられるからだ。What kind of thing is it that he is busy? Is it the result of making labor of man too heavy and trying to squeeze out as much as possible from the world for some of someone's economic profits? Although it is not called all or all, it is also considered that there is such danger and there is nothing that there is nothing. It is because considering that oil is in the global warming and the generating factor of Middle East War which became the present problem etc. man and nature are considered to be troubled by too much exploitation. このことの連想として、聖書の美しい言葉を思い出す。A Biblical beautiful word is remembered as association of this. 「あなたは6年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取りなさい。しかし、7年目にはそれを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の貧しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。」「あなたは6日の間、あなたの仕事を行い、7日目に葉仕事をやめなければならない。それは、あなたの牛やロバが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。」-出エジプト記23-10、11、12-"Plant seeds in your land for six years, and take a product. However, he must be excused from it in 7th and it must be considered as fallow ground. It is good, although your people's poor person eats and the beast of a field is made to eat the remainder. ""You have to perform your work during the 6th and have to stop leaf work on the 7th. It is for your cow and donkey to rest and for a female slave's child and temporary resident to recover energy. "- appearance of Egyp 23-10, 11, 12 - これは、安息の規定として、命令とししるされている。人間のみならず、大地や動物にまで配慮されている。めぐってくるお休みは、全ての者にとってどんなに待ち遠しいだろうと思ってしまう。今の疲れきった自然界や人間たちの悲鳴が聞こえそうだ。As regulation of rest, this considers it as a command and is described.Even not only man but the ground and an animal are considered. I will think that the rotating rest will probably be long in coming however for all persons. The scream of the natures with which now was tired, or human beings is likely to be heard. 油に汚れた海鳥や海、水俣に代表される公害、伐採の為に丸はだまにされた熱帯雨林、原因不明の鯨やいるかの大量死、極地の氷河の崩壊 などなど。いっぱいある。どうなっていくのだろうと思う。the tropical rain forests and the cause that the circle was made into だま for the sea bird which became dirty to oil, the sea, the pollution represented in Minamata, and felling -- collapse of the glacier of an unknown whale, needed extensive death, and a polar zone etc. . It is a lot. I think what becomes. きょうのTVのNEWSでは、ついに、中国の公害問題を取り上げていた。いよいよきたかという思いがする。世界の工場としてあれだけの事をしているのだ。公害が出てこないはずが無いではないか。政治体制下でいくら規制されたとしても、直接かかわる人々にとっては切実なはずだ。今後、もっとひどくなる事が予想される。心配な事だ。In NEWS of today's TV, the Chinese pollution problem was taken up at last. Thought whether to have come still more carries out. The thing of only that is done as a factory in the world. It is unthinkable to say that pollution does not come out. Even if regulated how much under political organization, for whether to be direct and changing people, it must be serious. Becoming future severer is expected. 日本は、海も空もすぐ近くでつながっている。公害問題の先輩として今のうちに、何とか、手助けに力を入れていって欲しいと思う。Also in the sea and empty, Japan is connected immediately in near. Within now, I would like you to put power into a help somehow as a senior of a pollution problem. 何でもを、私たちは当たり前に受け取ってはいけないのだ。今、衣料品や食料品が安い、安すぎるなと思うことがある。それはうれしいのだけど、過度な価格競争や適正価格を外れた物の裏には、きっと、人間の労働や自然界の搾取があるのだから。Naturally we must not receive anything. Now, there is a thing with cheap clothing and food regarded as not too cheap. Although it is glad, because the reverse side of the thing which separated from too much price competition and reasonable price surely has labor of man and exploitation of a nature. 何でもが、ありすぎるのではなく適正な供給であれば、人間も、自然界ももっと、ほっとした気持ちで生きていけるのに、と思ってしまう。どう思いますか?私たちは、そんなに便利で無くてもいいし、そんなに急がなくてもいいし、そんなに安売り競争をしなくてもいいのでは、と思っている事もあると思う。それよりも大事な事があることに気が付いていますから。Anything, by not being too much, if it is proper supply, I will regard man and a nature as the ability to make a living more in the feeling which felt relieved. What do you think? We may be so convenient, there may not be, do not need to hurry so much, and think that we may think if it is not necessary to carry out a stiff-price competition so much. Since he has noticed that it is sometimes more important than it. ノンリーフストレリチア
2005.06.05
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6月になってしまった。It has become in June. こんにちは。Hello. 久しぶりですね。It is a long time. 忙しい日々を過ごしているうちに6月になってしまった。While passing busy days, it has become in June. 天気も曇り模様で、どんよりとしている。It becomes cloudy, and it is a pattern and is leaden. 昨日の深夜はサッカー観戦で、バーレーンとの試合だったが、夜遅かったせいか、私の頭もすっきりしないのかもしれない。Although it was watching soccer games and was a game with Bahrain at yesterday's midnight, my head may not be felt refreshed, either, because it was late night. まあ、試合の方は、日本が勝つ事が出来たから良かった。Well, since Japan won, the game was better. でも、前半戦の後半に得点した一点を守りきって勝つことが出来た訳だけど、後半戦でも、追加点を上げるチャンスは何度かあったと思うのだが、有効なパスが前線に行かなくて得点できず、残念だった。But although it was a reason for having kept one point which scored in the second half of the first half of the game, and were able to win, it thought that there was a chance to raise another point also during second half of the game several times, but the effective path regretted that it could not go and score to the front. まあ、現地でプレーをしている選手たちの、状態を知らないで言いたい放題のTV観戦だからお許しあれだ。Since it is unreserved watching TV games without getting to know the condition of the players who are playing there well, it allows and is that. しかし、ドイツで行われるワールドカップの本戦につながったのは、うれしい。However, it is glad to have been connected with this game of the World Cup performed in Germany. 選手は勿論、現地にまで飛んだサポーターの人たちに感謝である。It is gratitude as well as a player at the people of the supporter which flew even there. ストレリチア・ノンリーフ
2005.06.04
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輝くという事。Say that it shines. 5月にもなると、咲き誇る花たちも変わり、一段と緑が濃くなってきた。If it becomes also in May, in all glory flowers will also change and green will become deep much more. こんな時、私たちは「輝き」という形容詞を使ってきたのではないだろうか。Probably, we have used the adjective "brightness" such at the time. 緑の木々の輝く時、輝くような笑顔とか、本当に生命の持つエネルギーを目の当たりにする時に「輝く」という言葉を使う。The word of "shining" is used when carrying out a smiling face which shines when green trees shine, and energy which a life has truly before its eyes. エネルギーの放射を感じるとき。When feeling radiation of energy. たとえば、太陽や星、月の光の反射が一番わかりやすいかもしれない。For example, reflection of the light of the sun, a star, and the moon may be the most intelligible. また、自然界の現象だけでなく、私達人間の中にも輝きはある。Moreover, brightness is not only the phenomenon of a nature but in us the human beings. 不思議なことにそれは、笑顔と結びついている気がする。I feel that it is connected with the smiling face for it to a wonderful thing. 赤ちゃんの笑顔、子供の笑顔、何かをやり遂げた時の満足した時の笑顔を見る時、「輝き」を感じるのではないだろうか。"Brightness" will be felt when seeing the smiling face when satisfying a baby's smiling face and a child's smiling face something when finishing. 無邪気に、心から笑いあう時、それは本当に私たちが幸せであり、平和である時。When it has truly fortunate us innocently when it laughs from the bottom of its heart and being suited, and it is peace. たとえ戦火の中にあっても、ひとときの平和、笑顔は生まれ、多くの花は咲いてくれる。Even if it is in war fire, momentary peace and a smiling face will be produced and many flowers will bloom. 願わくは真の平和の中での輝きであって欲しいものだ。I want you to be brightness in true peace I praying. 偏った権力によって、この世界から平和が奪われているという事は悲しい事だ。It is a sad thing that peace is taken from this world by the partial power. いつも思うのだけど、一人の人、一つの国がこの地球上に存在していくのに、本当に武器が必要というのはどうしてなんだろう?Although always considered, what is it truly for a one man and one country existing on this earth that arms are required why? およそ人間の歴史の中で、戦争の無かった時代は無い。In man's history, there is no time when it was no-war about. 人間が持っている輝きとこの残忍性は、何を意味してるのかと思う。I think what the brightness which man has, and this cruelty mean. 光と闇の世界は解き明かせない謎のまま、人類の宿題として残っていくのか。Does the world of light and darkness remain as human beings' homework with the mystery which cannot be explained? 連休初めに起こった大きな事故、そのあと続いたいろいろな事故の事を思いながら、そして、まだ続いているイラク、アフガンの戦争の事を思いながら、考えてしまう。It will think [ while considering the thing of the big accident which happened at the beginning of consecutive holidays and various accidents which continued in the back, ], considering the thing of war of Iraq which still continues, and Afghanistan. 人と人が交わす笑顔の輝きは、人と人の心にある隔ての壁を破ってくれる。Brightness of the smiling face which people and a man exchange tears the wall of the partition in the heart of people and a man. 心をひらいて相手を見つめるときには、きっと、私の顔にもあなたの顔にも、輝くような笑顔が浮かんでいるに違いない。When opening the heart and gazing at a partner, a smiling face which shines also with my face or your face is surely appearing. 笑顔は本当に、つつましいけど心のこもったプレゼントなのだ。A smiling face is the present which was heartfelt truly although it was modest. おまけに、このプレゼントは、私たちのお財布にも優しいのだ。Moreover, this present is kind also to our wallet. これって、「奇跡」なんじゃないかしら。Isn't this in a "miracle"? 今日は、笑っていこう!A smile relaxes today! ほんとに世界に「平和」を作り出していこう!I will make "peace" in the world truly! ストレチア ノンリーフ
2005.05.08
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子供を抱きしめて。Give a child a tight hug. 最近の、「子供を抱きしめて上げてください」というメッセージを伝えるTVの広告をこの頃見かける。子供に対する虐待事件や、子供を対象にした犯罪が多発している現実を思い知らされる。人間社会がここまで来たかと言うやりきれない思いがある。The advertisement of TV which tells the message latest "give a tight hug and raise a child" is seen these days. The abuse incident to a child and the reality in which the crimes for a child are occurring frequently are considered, and it is told. There is a thought which is said whether human society came so far and which cannot be carried through. 家庭においては、親が子供を産み、育てるというのは当然のことであったはずだったし、社会においては、誰もが無条件で子供を守り育てるというのは当然のことであったはずだった。なのに、何故わざわざ、「子供を抱きしめて」と呼びかけなくてはならないのか。それこそが問題なのだ。At the home, it must have been a natural thing that parents bear and bring up a child, and it must have been a natural thing in society that everyone protects and brings up a child unconditionally. Why must it appeal to a thing by saying, "Give a child a tight hug" specially? It is just a problem. 子供という者は何であれ可愛い。人間の子も可愛いし、動物の子も可愛い。守ってやろうと思うのが、子供という年齢を脱した人間の当たり前の姿なのだと思う。だから、子供の弱さを見越して犯罪の対象とすること、また、一時の感情の対象とすることは、非常に卑劣な行為であるが、それを許す社会は非常に悲しいものである。心底、「もっと真面目にやれ!」と言わざるを得ない。Whatever those who is called a child, it is lovely. Man's child is also lovely and the child of an animal is also lovely. I think that it is the natural figure of the human being who escaped from the age of a child to regard it as it protecting. Therefore, although it is very mean acts to foresee a child's weakness and to consider it as a criminal object and to consider it as the object of temporary feeling, the society which allows it is very sad. It cannot but say from the bottom of its heart and "do more seriously." .毎日のNEWSを見ても、聞いても、なんか、人間の正しくない行いの事件が多い。 今、この社会に生きている私達の心が崩れかけ、壊れてきているように私には思える。勿論、皆がそうであるはずではないけれど、徐徐に崩れてきている気がするのだ。Even if it sees daily NEWS and hears it, there are many some incidents of the deed which is not right as for man. Now, the heart of us who are alive into this society is collapsing, and seems to break to me. Of course, although everybody cannot be so, I feel that it is collapsing gradually. 私たちは、何を教えられ、学び、獲得して来たのだろう。私たちが経験してきたことから何を私たちは選択したのか。私たちは「私たちの選択は正しかったのか」 と私たち自身に問いかけて来たのだろうか。正しい選択の結果がこんな状況であるなら、ちょっと悲しいではないか。What was taught to us, and, probably, we have studied and gained it. Since we had experienced, what did we choose? We are "whether our selection was right". Has it asked ourselves? Isn't it slightly sad if the result of the right selection is in such a situation? 子供を抱きしめるのは当たり前だし、いろんなハンデを持った人に対して手を差し伸べるのは当たり前なのだ。見ないでいること、知らないでいること、考えないでいることはこれからは止めよう。何が大事なことなのかということをもっと一人一人が知らなくてはいけないし、知ろうとしなくてはいけないのだと思う。It is natural to give a child a tight hug, and natural one holds out a hand to people with various handicaps. Not seeing, not knowing, and not thinking will stop after this. I think that every person has to know more whether it is that what is important, and it must try to know. 一人の大人として、馬鹿者になっちゃいけないし、お馬鹿な子供を育ててはいけない。間違っても勉強や受験を勝ち抜くことだけを考えてはいけない。そう立派な人間にはなれなくても、真っ当な人間でありたいと思う。一人一人がそう思っていて欲しいと思う。As a one adult, don't become a foolish person and don't bring up a foolish child. Even if it makes a mistake, do not only consider winning straight victories in study or taking an examination. Even if it does not get used to a so splendid human being, I want to be an honest human being. I think that I want every person to think so. 「子供を抱きしめてやってください」なんていう広告が、流れる事の無い世の中が来る事を願うばかりである。そう、思いませんか?It just wishes that the world where the advertisement said "please give a child a tight hug" and does not flow comes. Yes, don't you consider? 今日はこどもの日。小さな仲間たちがそれぞれ自分が今いる所で幸せであって欲しいと願う。幸せとは程遠い環境にある子供たちもたくさんいるのは知っているけど、先ずは小さな仲間たちの祝福を願う。It is Children's Day today. Small friends wish I want you to be fortunate in the place in which he is present now, respectively. That there are also many children in environment far from happiness wishes the blessing of friends small first of all, although known. 人間が持っている、原子的な部分としての残忍性を私たちは学習し、超えていかねばならない。子供たちはそんな大人たちを見ているのだから。We have to learn and exceed the cruelty as an atomic portion which man has. Because children are looking at such adults. 注)原始的な部分としての残忍性notes -- the cruelty as a primitive portion .W.ジェイムズ「心理学」第24巻「百億の星と千億の生命」W. James "psychology The 24th volume "star of 10 billion, and life of 100 billion"" .カール.セーガン第3章よりCarl Edward Sagan Chapter 3 .【楽天市場特別価格】エレガントバンブー[ジョイント式](空気触媒加工)240センチ[送料1,575円...
2005.05.05
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私達一人一人の考えや選択を、行動で示す手段として最近目立ってきたのが意見広告がある。IT社会になり、個人の主義主張を公開する場としてインターネットが当たり前に成ってきている。話題になった、フジTVとライブドアの問題でもこのインターネットの可能性と既存のメディアの融合ということで大いに盛り上がった。 今日考えたのは、新聞に掲載する意見広告の話。 5月3日憲法記念日の日、朝日新聞と毎日新聞全国版に憲法9条改正反対の意見広告が掲載された。このように、一つの問題に対する、一人一人の意見、考えを結集して、大勢の意見として世の中に問いかけていく、世論を作り出す事が出来るようになったというのは、大いに歓迎すべき事である。一部の人に全てをお任せするのではなく、一人一人が自分の考えを持って社会とかかわっていくという事が、世界をおかしな方向へ向かせない、最良の方法だと思うのである。 毎日、いろんなことが世の中で起きている。TVのNEWSを見た時、だれだって何かを感じるだろう。私はこう思うという事があると思う。その考えをどう表現していくか、どう行動に繋げるかだ。新聞や雑誌に投稿する、ネットチャットで言い合う、ブログで意見を公開する、あるいは集会やデモに参加するのもいいだろう。 言論統制のある中国では、インターネットが唯一の言論自由の場であり、騒ぎとなっている反日デモの呼びかけもネットでなされたそうだ。世論という力になりうるということをこの事は教えてくれた。事の是非はともかくとして。 懸命な批判が脅かされるような社会であってはならない。意見広告はそう意味合いで健全な社会のバロメーターだと思うのである。【送料無料】巨大カポック!1鉢限り!
2005.05.04
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今日から5月に入った。世の中はGWという事で、例年の民族大移動の時期だ。その間に、なんとまあ、とんでもない事が起こってしまった。毎日、当たり前のように乗っていた電車が転覆し、107人の生命が瞬時にして消えてしまった。 あまりの被害の大きさに、言葉も無い。しかし、考えなくちゃいけないのは、私達自身が便利だからという事で、それらを要求してきたという事だ。企業がそれらの事を、経済活動のツールとして、人間の生命よりも利潤追求の道具としてきた事だ。何十年も前に、チャップリンによって皮肉られた事が、今なお、続いているという事だ。 今の私たちは、立ち止まって考えるという事を忘れてしまっている。「何のために、このことがあるのか」という事を考えながら、人間は成長してきたはずなのに、今は、ただ儲かればいい、競争に勝てばいい、それしかない。人間のスケールが小さくなってしまった。 生きている喜びが失われ、息も絶え絶えの生活に追われている。ただ、もくもくと働く、物言わぬ人間にされてしまっている。怖い事だと思う。おかしい時はおかしいと言わなくては。それがいえない社会は危険ですよ。 今回の事故は、私たちに107人という尊い生命を代償に、今の日本という国の在り方を考える機会となった。責任は私達、一人一人にあるのだと思う。私たちに求められるのは、今回の事故を忘れず、「この事は何であったのか、私達一人一人にとって、どういう意味を与えたのか」を、考え、改善していく事だと思う。 時は春、新緑の美しい季節に起こったとんでもない事故は、今後の日本のあり方を、良い方向への分岐点に成らしめていくことを、私たちは見た者として考えなければいけないと思う。一人一人が、何ができるのかを考えて、行動する時期が来たのだと思う。この107人の方々の生命を無為にしてはならない。 私たちは、生き生きと生きるために生まれてきたのだから。そのことを、途中で断ち切られた人たちの分まで、生きる事が楽しいと思える社会を作り生きていく責任があるのだから。 痛ましい事故が、ただの責任追及に終わるのではなく、この事は何であったのかを考え、失われた人々、ご家族、周囲の人々に与えた影響の深さを考えながら、善処されることを心から願う。私たちはそのことを見届けなければならない。 これから、このGWが来るたび、このことを思い出すだろう。日本中の人々が哀悼の意を込めて。そうなることを心から願う。モンステラ・白斑入り(10号)
2005.05.01
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隣のマンションのベランダに、鯉のぼりが立った。そうか、4月も終わりだもんね。昔の人たちの知恵を思う。季節の移り変わりに寄せて上手に自然を組み入れ、子供たちと遊び、ご近所の人たちと交わり、生活を豊かにしてきた事が伝わってくる。 鯉のぼりと柏餅。食いしん坊の私にはこのワンセットのイメージだ。桜の頃は桜餅、鯉のぼりには柏餅、こんな定番の組み合わせはほかにもたくさんある。昔から、人々は生活と季節を楽しんできたのだ。 和菓子の楽しさは、見た目の美しさや可愛らしさと共に,生活を楽しんでいた人々の事へ思いをいざなってくれる。今回の柏餅にしても、白いお餅には小豆餡が桃色のお餅には味噌あんが、ほんのりと塩味の柏葉に包まれている。 もう一つ、この頃のお菓子にちまきがある。綺麗な緑色の笹の葉に、お餅を上手包み込んである。葉っぱの芯棒をピンと立ててあるのがなんともいえず、美しい形だと思う。誰が最初に包むという事をしたのかわからないけど、素朴な発想だったのかもしれないけど、なんと美しい事か。日本という国の文化の素晴らしさの一つだと思う。 包むといえば、このごろ余り目にしなくなったものの一つに風呂敷がある。一枚の布を使ってどんな形の物も、包み込んでしまう。今は買い物をしても皆、袋に入れてくれる。スーパーの袋から、お店のロゴ入りの様々な形状の袋があふれている。それぞれに綺麗な物だし、ちょっとした時に便利だし、いい所もたくさんあるけど、限りある資源という風に考えれば、風呂敷の復活があってもいいのではと思う。 生活が洋風化していく中で失ってきた日本的なもの、日本的スローライフを考えてもいいんじゃないかな?その価値、優しさ、美しさを。そろそろ、戦後の復興というところから突っ走ってきた生活を見直してもいい時期なんじゃないかと思う。ちょっと、ひどい状態になってしまっていて、手遅れの観があるけど、知らんぷりをして行き過ぎるより、立ち止まって考えてもいいと思う。私たちの国、日本は自然も人々の心も美しかった歴史があるのだから。 鯉のぼりと柏餅から、こんな事を考えてしまった。そうだ、今日は和菓子屋さんに行ってみよう!!徳永鯉 吉兆鯉のぼり 10m8点セット柏餅ちまき詰合せ大光触媒観葉樹 ハワイアンベンジャミン [送料無料]
2005.04.21
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今日は雨降り。4月も20日というのに寒い。街中の緑はすでに新緑で、今は花水木が美しい。今日の雨寒い中でも鮮やかに咲いている。新緑はケヤキの若葉が目にも鮮やかだし、銀杏の小さな握りこぶしのような葉も可愛い。この雨でいっそう、緑が濃くなるだろう。 花水木は、私の好きな花の一つ。すっくと立っている姿も、きっぱりとした花の形も、美しいと思う。松本の我が家の庭にも、白色の花水木が咲いている事だろう。主のいない家にあっても、毎年花を咲かせてくれて、近隣の人たちのいくばくかの慰めになれば幸いだ。 以前住んでいた、金井のバスどおりの花水木の並木も見事だった。桜の花が終わるとこの花水木が咲き出し、美しい景観を楽しませてくれた。 英語で花水木の事をDOGWOODというのだそうだけど、どうしてなんだろう?花びらが犬の耳に似ているからかな?どなたか、ご存知?? 松本で、ミセス・ジャンカーのお友達のステラ・カックスさんの著書に、「ドッグウッドの花咲く頃」というタイトルの本があった。ステラさんが育ったテキサスの思い出と宣教師として日本に来る事になるまでを書かれた本だったように記憶している。彼女はお料理も得意で、お菓子やお料理の本の著者としても活躍しておられた。今頃は故郷にお帰りになられたであろうか?彼女になぜ、DOGWOODなのか聞いて置けばよかった。 そういえば、彼女、ステラさんはいつも、サインの時、日本名は「星子」です。と言っていた。濃い群青の服を着て、鮮やかなピンクのスカーフを首に巻いて、にこやかに笑っていた背の高い彼女の姿が目に浮かんでくる。お元気でおいでだろうか?彼女も含め、戦後の日本に宣教師として派遣されてきた3人の宣教師夫人たちを思い出す。戦勝国の人間であったとはいえ、異邦人として派遣された土地でのご苦労もあったと聞いた事がある。 その土地で、宣教という目的があったとはいえ、お菓子や料理を教えながら、福音を伝え「地の塩、世の光」として生きてきた人たちである。その人たちもまた、老年を迎えひっそりと故郷に帰国して行かれたのだ。限られた人たちにとはいえ、異国の文化を確かに伝えたという功績は称えられて良いのだろうと思う。花水木という花木は私にそんな連想を紡ぎだしてくれた。凛とした姿が思い出させたのかもしれない。ハイブリッドハナミズキ(ハナボウシ)Cornus × rutgan
2005.04.20
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私は、石ころが好き。石は、硬いし、冷たいし、ありふれているし、どうって言う事の無い存在としてあるのだけど、なんとなく、子供の頃から、石が好きだった。そこら辺に、転がってる石、大きいのもあれば、小さいのももあるけど、その時、ふっと目に留まった石ころを、つい、拾ってしまう。 私の机の上には、こうして集められた石ころ君たちが、ころころと、ころがっている。形の面白いもの、触った感じのいいもの、美しいと思えるもの、いろんなことで私にその瞬間、訴えてきた石ころたちである。 石は、硬いし、冷たいし、ぶつけられたりすると痛いけど、ほんとは、すごく温かい物なんだと思う。ずっとずっと昔からのことを知ってるんだし、物理的にも熱い思いをして出来上がってきてるんだし、思わず、「君たちすごいね。」 って言ってしまう。 子供のころ、父の部屋で見つけた鉱物の標本を思い出す。幾種類かの水晶やいろいろな石の標本は、子供の私に、自然の不思議と美しさと永遠を教えてくれた。高校で、それらは地学という学問の分野という事を知った。 自然の活動が、人間たちの活動の陰に隠れて見えてこないけど、ずっと昔から、続いていて私達人間を育ててくれている。人間は、自然が大きな災害をもたらした時だけ、目を向けるけど、それは、自然からの悲鳴なんだからね。人間たちよ。驕るなかれ。です。 小さな石ころから見えてくる、大自然の大きさ、宇宙の果てにまでひろがるその存在の大きさ。たまに、考えてみるのも悪くない。素朴に、「わあ、この石、綺麗!!」って、足元の石ころを手に取ってみよう。きっと、何かを感じるはずだから。耳に当ててみよう。きっと、太古の歌を聞かせてくれるから。天然石標本 GEM STONES 25種ウンベラータ8号・3
2005.04.14
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この終末は花見の人たちで、桜の木のあるところはさぞにぎわった事だろう。家の窓から見える公園の桜も、昨日は子供たちや人々でにぎわっていた。いいことだ。人々が花の下に集まって、楽しそうにしているのは平和だからできる事だから。 今日は、あいにくの雨。昨日の桜たちも今日の雨の中で散ってしまっただろう。あんなに待ち焦がれられた、花、桜のはかない生命を思う。短すぎる生命を惜しむから、人々は桜に惹かれるのだろうか? 桜前線は、次第に北上して行く。北国にも花の名所はあるはず。遅い春を待っている人たちがいる。全ての人たちの上に、平和があるように。人々の心が平和であるように。 静かな雨降りの午後、心からそう思う。ストレリチアレギネ スモールリーフ
2005.04.11
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家の近くの公園の桜が咲いた。今は五分咲きぐらい。白い花色の桜と、ピンクの花色の桜が咲いている。桜の花の華やかさが好きだ。ほんとに周りを明るくしてくれる。 花の命は短くて、とも言われるけど、それはそれでいい。一瞬の美しさは次の輝きを期待させるから。この季節、日本中が桜に染まる。今年の桜歌はなにかな?私としては、ミスチルの「チェリー」なんだけど。 桜の名所は数々ありますが、福井県の丸岡城の桜はいかがでしょうか。平野の真ん中にある小高い丘の上の上の小さなお城。丘全体が桜に染まる。丸岡は「日本一短い母への手紙」の故郷です。お城と桜。日本の心でありますよ。 でも、今日はなんだか天気が怪しい。桜に雨風は禁物なんだけどな。どうなりますか。そういえば、「桜子、さくらこ」さん、お元気かな?一緒に京都へといっていたのにまだ実現してないね。今度こそ、京都で花見をしましょう。アガベ ベネズエラ ブラックポット【送料無料】
2005.04.07
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昨日で、一緒に働いていたバイトの娘たちとお別れをした。知り合って、3ヶ月ほど。皆、高校3年生の仲間たち、3人組で、それぞれが持ち味を活かしていい働きが出来たのではないかと思う。 EMINOさんは、看護士を目指している。おきゃんだけどクールだからきっと良い看護士にな ると思う。きっとダンシングナースになれるよ。 MARIさんは、室内空間デザイナーを目指している。皆を引っ張って行く彼女だから、なんだか建築現場に行っても、男たちに負けないで仕事をしている姿が目に浮かんでくる。 YUKAさんは、生活環境を学ぶのだそうだ。これからの時代、環境問題は大変になってくる。すでに手遅れの観があるが、大いに学んで少しでも、社会に還元して行って欲しい。控えめだけど、しっかりしている彼女らしい選択だと思う。 さて、最後の私だけど、相変わらずかな?今年はいよいよ自分の行き先を決めなくては。自分にできる事を見極めるて、仕上げをしていくところにきている。半分学生、半分社会人はまあ、これからも続くけど彼女たちに刺激を貰って、なんとかがんばろうと思う。 みんな!!がんばろうね。 桜ももう少しで開花するだろう。それぞれの出発が希望に満ちているのがいいね。何かあったらまた、集まっていろんなことをおしゃべりしよう。おいしいパフェでも食べながら。アガベ・アテヌアータ【送料無料】
2005.04.05
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昨夜、北野武氏が案内役と勤める、TV番組でモナリザが2枚あることを伝えていた。以前の他のTV局の番組では、南仏にルーブル版モナリザより、若い時代のモナリザを描いたものがあると伝えていたが、それとは違い、その新しいモナリザは、スイスの銀行の地下金庫に500年間も封印されていたのだという。アイルワース版モナリザである。 その新しいモナリザは、マダム・ジョコンダの肖像画である。鮮やかな紅色の唇を持つマダム・ジョコンダの絵はどうして、そんなにも長い間、誰に知られる事無く地下金庫に封印されていたのか。ルーブルのモナリザとの関係は?しかも、それは紛れも無く、ダ・ヴィンチが書いたものだという。モナリザは、ダ・ヴィンチが最後まで手元においていた絵画である。それが2枚あり、一つは地下金庫に、もう一つはルーブルに納められた。何時、誰が、それを何の為になしたのか? TVでは、ルーブルのモナリザは晩年ダ・ヴィンチが描いたもの、アイルワースのモナリザは、マダム・ジョコンダの依頼によって肖像画として描かれたのだという。ルーブルのモナリザはダ・ヴィンチのメッセージを携えているということだ。しかし、誰が2つのモナリザの秘密を知り、第2のモナリザをルーブルの至宝としたのか。 番組では、ルーブルのモナリザは、キリストとされたイエスの子供を宿したマグダラのマリアであるとし、そのことがダ・ヴィンチコードそのものなのだという。神の子イエスではなく、人間イエスであると宣言したのである。マリアは、神の子イエスが、人間イエスであったということの象徴であり、永遠の母性を表しているというのだ。なんともはや、の話である。キリスト教界はどうするのだろうか? 2005年のこの時に、このようなことが世界的にオープンになって世界はこれから何を知るというのか。興味は尽きない。人間、この素敵な存在に乾杯である。これらの話を聞いての感想は、私は素直に驚いたけれど、心のどこかではヤッパリね。とも思う。この事はいつかもう一度、ゆっくりと考えようと思う。 それにしても、不思議なのは人間。私もその一人なんだけど、人間てどういう存在なんだろう。不思議な存在と思う。人間が人間である事が素晴らしいということだね。ということは私が私である事が素晴らしいという事。あなたがあなたであることが素晴らしい事。お互いの存在を感謝しよう。今日の一言は今日、あなたがいてくれる事にありがとう。今日、私がここにいる事が出来てありがとう。デフェンバキア
2005.03.27
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今日の青空は綺麗だ。白灰色の雲の間の青空に小さな離れ雲が浮かんでいる。春なのにまだ寒い。と、感じるけど、毎日の散歩の折には、ふきのとうが花を咲かせているし、梅の花はもう、花びらを散らせている。こぶしの花も、銀色の綿帽子を落とし、白い花が膨らんできた。 のんびりとマルと一緒に散歩しながら、古からの自然の営みの中で生きてるなって思うのはいい感じだ。 昨日、「愛、地球博」が始まった。世界が地球のことを考えようというのは大賛成だ。ほんとにもっと考えなくちゃと思うから。TVで開会のイベントを見て感じたことがあった。それは、ダウン症の子供たちのダンスグループの登場だ。彼らが招待されたのは結構な事だ。でも、なぜ、彼らが前面に出てこなくてはならないのか。 普通の子供たちが一緒になぜ出てこないのか。不思議に思った。合唱隊として子供たちはいたけど、ハンデのある子供たちがぞろぞろ出てくるような演出に、何か違和感を持った。彼らも普通の子供なのだから特別にしなくてもいいのではないか。 身体の動きには、一人一人の動きがあるのだから、普通の子でも、ハンデのある子でも一緒でいいと思う。同じ世代を生きている子供として自然にすればいいし、社会もそういうようにすべきではないのかと思う。あのような演出は、大人の管理され、計算された、嫌らしさが出ていたように思う。差別はいけない。どんな姿かたちをしていても、命あるものとしての尊厳は平等なのだから。 あの青い空に浮かぶ雲だっていろいろな形がある。草も、花も、一つ一つ違う。違うから綺麗なんだと思う。チューリップを歌った童謡の一節に「どの花、見ても綺麗だな 」というのがあるけど、本当だと思う。 あなたはどう思いますか?ブラジルヒメヤシ【送料無料】
2005.03.25
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我が家の窓からは、西の空が見える。今日の夕方、薄いオレンジ色に染まった夕焼け雲の一角に、筆で何かを書き散らしたような感じ出に見える、不思議な感じの雲が見えた。以前、同じように見えた雲があって変な感じだと思っていたら、翌日の早朝に地震があった。千葉県沖の地震だった。 九州北部の地震に関係があるのだろうか? それとも、ただ何かの拍子にそんな風に見えた、ただの雲なのだろうか。昨年から、今年と自然災害が相次いでいる。どうしたというのだろうか。 地球は生命のある星だということを、再認識させられる。人間だけの為にある星なのではなく、地球自体が生きていて、その事を自己主張しているのではなかろうか。 私達人間は、地球のほんの少しの部分を借りていて使わせてもらっているのではないだろうか。もう少し、人間たちは謙虚にならなければならない。地球という星を、運命共同体として共に暮らしている動植物たちは、もっと謙虚なのだから。 何度も起こる自然災害は、その事を私たちに警告しているように思える。今日の一言は、人間も自然の中の、一つの生命体に過ぎないのだから、もっと自然を大事にしよう。もっと、自然と仲良くなろう。共に生きている、海に生きる全てのもの、地にある全ての生きているものは、きっと、創造主の目には等しい生命に違いないのだから。人間たちの利己主義を、自然たちは黙って受け入れてくれているけど、時々はもうたくさんと、悲鳴を上げることで、私たちに警告してくれているような気がする。おなたにも・・キリンドリカ
2005.03.21
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今朝、我が家の飼い犬マルと散歩に出た時、雪柳の細い枝先に2,3輪の雪柳の花が咲いているのを見つけた。雪柳の花からの連想で思い出す人がいる。 38歳の一人娘さんを亡くされてその人は、本当に悲しみに沈んでいた。何をする気にもなれず、心がうつろで、涙だけが出てくるような毎日をすごされていた。彼女と娘さんは本当に仲良しの親子で、何時も一緒だった。その片方がいなくなってしまった。慰めようが無い寂しさを味わっていたのだ。 音楽大学を卒業された後、娘さんは自宅でピアノ教室を開催し、生徒さんの評判もよくたくさんの子供たちに教えていたそうだ。まだ、学生だった頃に、難しい名前の病気になり闘病を続けながらのことだから、どれほどの努力と気力がいっただろうと思う。 私がお会いしたのは、病気もおさまっていた頃で、明るく綺麗なお嬢さんという印象だった。その後、ピアノを教えるようになり、縁あって結婚もされたと聞いた。その後、もう一度会ったのは知人の結婚式でだった。真っ赤なビロードのドレスを着た彼女はリストの曲を弾いていた。なんと、その時は乳癌の手術後一ヶ月ぐらいと聞いて、またびっくりした。しばらく遠ざかっていたピアノ演奏をその日のために練習を積んできたそうだ。 その後、再び癌と闘い、最後はホスピスでご主人やご家族に囲まれて、彼女は逝った。ちょうど、私の父の葬儀と重なり、出席できなかったお詫びの手紙の返事に、雪柳のことが書いてあったのだ。娘さんが好きだった雪柳の、枯れていると思えるような枝に、春が来て新芽が出て花が咲いた。それを見てもう一度、生きてみようと思ったと書いてあった。その後、彼女は友人に誘われて絵手紙を始め、美しい絵の葉書を季節のたびに下さる。一番新しい葉書には、力強いかぼちゃの絵で、「人は人。私は私。」と書いてあった。彼女の復活がうれしかった。今日の一言。 努力する人は美しい。一つでもいい。何かを一生懸命しよう。ゴッドセフィアナ
2005.03.20
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今日、親子ほども歳の離れている友達が、アメリカに帰って行った。昨年の11月から今日まで、たくさんの時間を共有してきた。彼女に教わった事は、 物を大事にするということ。 無駄使いをしないこと。彼女の青春時代は、戦争の最中だった。全てが足りず、誰もが忍耐に時代だった。唯一の楽しみは読書であり、好奇心と想像力が生活の足りない部分を満たしてくれたのだそうだ。足りないものを補うために、ものを大切にし、どのように使えるかを考えたのだという。必要は発明の母 という言葉があるけど、まさにそれを、あの時代の人たちは実行していたのだ。物も無く、お金も無かったからよ って笑うけど、そうかもしれないけど、そんな状況が知恵を生み出すということなんだろう。そんな彼女は、物があふれる今の生活を、私みたいに否定はしない。一人一人がどうするのかを決めればいいし、自分の考えで選択していくことが大事と教えてくれた。全く、彼女と一緒にいると力強い刺激を受け、薄ぼんやりした私の脳もこれはまずいと思うのか、エンジンをかけ始める。一緒に見た映画、一緒に通ったセミナー、楽しかったおしゃべり。懐かしいね。彼女の信条は「生涯現役、生涯青春」なんだそうだ。それが、若さの秘密。旺盛な好奇心と想像力と彼女の求めようとする努力する姿が魅力的だ。ほんと、こんな風に年齢を重ねていきたいと思う。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。」新共同訳聖書 マタイによる福音書7-7生きている限り、チャレンジャーという彼女は素敵だと思う。私も、そんな風に生きて行こうと思う。今頃は、成田の空港で家族へのお土産でも探してるだろうか。元気でね。また会おうね。帰ったら、ダビンチ・コードを読むのが楽しみと言っていた。どんな感想を聞かせてくれるのか楽しみである。今日の一言は仲間、友達たちにありがとう。これからもよろしくね。またね。っていえる人間がいる事はうれしいから。ありがとう。デヘン トロピックス(8号)
2005.03.15
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花粉症なるものは、いつから始まったのか?テレビで、今年はまれに見るスギ花粉の大豊作で、今年の花粉症は大変な事になると、聞いていたけど。からから天気の今日この頃、私もご多分に漏れず、目がむずむず、鼻もむずむずしてきた。あわててマスクをしてみたものの、手遅れらしい。目薬とマスクを買い込んできた。さて、いつまで続くのかな?しかし、嫌な花粉症も、考えてみれば、山という山に杉の木を植えまくった結果のことだろう。熊さんや鹿さん、お猿さんの餌となる、実の成る広葉樹から建材として経済価値のある針葉樹に、変えていったということだ。そういえば、昨年の秋は、日本各地で熊が出没した。いったい何頭の熊が殺されたのだろう。北限の猿といわれる下北のお猿さんたちも、村里に出没して人に、危害を加え捕獲されたと聞いた。熊によって、お猿さんによって、増えすぎた鹿さんたちによって、被害を受けた方々は、お気の毒であるが、動物たちに果たして責任があるのだろうか?一見、緑に覆われたように見えるわが国の山々も、少し分け入れば、ごみの山だ。おまけに、どんな田舎に行っても、立派な舗装道路とゴルフ場がある。ゴルフ場のシバの保全に使用される除草剤の量はどれ位なんだろう?そこに行く為の車の排ガスの被害は無いのだろうか?昔からそこで暮らしていた動物たちは、何処に引越ししたのだろう?海も川も山も、街中もごみがあふれている。アジアの各国に輸出された日本のごみは、現地で仕分けされ資源として再生されるそうだけど。それはそれでいいのだけど、誰かが助かっているのだから。でも、物があふれすぎていると思う。そんなに作らなくても、きっと、家にはマダマダ使える物が一杯あるんじゃないって思う。日本は全ての物があふれている。TOO MUCHだ。「もったいない」という言葉は死にかけている。と思ったら、リサイクルやユーズドという言葉で、家庭の中で眠っていた物が動き出した。またまた物にあふれる事になるのだが、私も含めて一人一人が自分の適正量を知った上で、物の売り買いが出来ればいいと思う。何でもがそうだと思うのだけど、欲しいものはちょっと足りないくらいでちょうどいい。今日に一言は分相応!! 自分の身の丈にあった生活をしよう!!それで、ちょっとだけ夢を見よう。そして忘れないようにしよう。分相応!!。ストレチア
2005.03.14
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ダ・ヴィンチ コード Da Vinci Code 今日、テレビの第8チャンネルで、「ダ・ヴィンチ コード」に関連した番組があった。番組の内容はレオナルド・ダ・ヴィンチの残したメッセージの謎解きについての紹介だった。There was a program relevant to the "da Vinci code" by the 8th channel of television today. The contents of the program were introduction about a solution of a riddle of the message which Leonard da Vinci left. 世界的ヒットとなった書籍「ダ・ヴィンチ・コード」は私も読んでいました。映像として見せてくれると、興味も一段と感じられます。レオナルドが残していった、マグダラのマリアに対するものは、本当に世界の歴史を変えるものですから、これからの発展がたのしみですね。I was also reading the books "da Vinci Cord" used as a global hit. If it shows as an image, interest will also be felt much more. Since the thing to Mary Magdalene which Leonard left changes the history in the world truly, it is the stain of future development. マグダラのマリアとイエス・キリストの結婚も、イエス・キリストの子孫の存在も歴史から消去され、イエス・キリストだけが「神の子」とされて祭り上げられてきた。As for marriage of Mary Magdalene and Jesus Christ, existence of Jesus Christ's posterity was also eliminated from history, and only Jesus Christ was made into "the child of God" and has been exalted. 女性であったと言う理由だけで、またイエス・キリストに愛されたと言う理由で、マグダラのマリアは排斥され、差別の対象となってきた。 そのマグダラのマリアに、今の時代にになってこんなにも光が当てられる理由は何であろうか。 聖書の言う「時」が来たからなのだろう。 「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」。そして「時」が今、彼女に訪れたのだ。For the reason which is only a reason referred to as having been a woman, and is said were loved by Jesus Christ, Mary Magdalene is excluded and has been set as the object of discrimination. what is the reason for not coming to resemble the Mary Magdalene at the present time nil why no light is applied? It will be because the "time" of saying of the Bible came. "There is the time also in what and all may have been provided in the occurrence under heavens." And the "time" visited to her now. 新共同訳聖書、「(Qoheleth)」の言葉3-1The new common translation Bible, Qoheleth 3-1 of .マリアに関してはまた今度ゆっくりと考えてみようと思う。レオナルド・ダヴィンチもまた興味深い人である。地球という一つの惑星の、自然と人間をまるで、神が天上から眺めるように描いてみせたレオナルドのメッセージを現代の私たちは、どう考えていくのだろうか。ゆがんだ歴史を作り出してきた、今の社会で生きているわたしたちにできる事は何か。I think that I will think slowly shortly of Mary again. Leonard da Vinci is also an interesting person. How do present-day we consider the message of Leonard who drew and showed completely the nature and the human being of one planet who are called the earth so that God might watch from heavens? What is it that we who are alive in the present society which has made the perverted history can do? 歴史そのものが2面性を持っているのだ。強者の歴史の中に押し込められ、差別化されてきた弱者の歴史に光が当たってきた、このことが不思議なのだ。The history itself has 2nd page nature. This to which it was pushed in into a strong man's history, and light has been equivalent to the weak's differentiated history is wonderful. 「今日の一言」"Today's word" .男も女も、風も水も地もその上に住む全ての生き物の生きている星が地球なのだ。地球はやっぱり、母のように命を育む星です。地球には「マザー・プラネット」という名前が似合う。みんなで地球を大事にしなくてはいけない。The star in which all the living things to which a man, a woman, a wind, water, and the ground live on it are alive is the earth. The earth is the star which cherishes a life like a mother too. The name of the "Mother planet" fits the earth. You have to prize the earth all together. ゴールドクレスト(コニファー)
2005.03.12
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今日は、どんよりとした日です。傘を差すほどでもないのだけど、地面は濡れている。花粉症の人にはいいかもしれないね。今日のこんなお天気模様は、今の私の気分そのもの。昨日の友人との諍いを思い出している。売り言葉に買い言葉でお互いに不愉快に成ってしまったのだ。そのこともあって、自戒も込めて、美しい言葉を話そうと思ったのだ。今日、やっぱり、素直に謝ろう。それから、「天空の城ラ・ピュタ」の歌は、「君を乗せて」だったよね。あの歌は、綺麗な歌ですよ。宮崎アニメはみなそうだね。単に、流麗なメロディーだけじゃなく、それも素敵なんだけど、詩が素晴らしい。「千と千尋の神隠し」のテーマだった、覚和歌子さんの「何時も何度でも」の中にある 「繰り返す過ちの その度ひとは ただ青い空の、青さを知る 果てしなく 道は続いて見えるけれど この両手は光を抱ける」 「閉じていく思い出の そのなかにいつも 忘れたくない ささやきを聞く こなごなに砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が映される」 「ゼロになるからだ」覚和歌子著 徳間書店心が痛くなっている時には、慰められる言葉だよね。ほんと。出来の悪い、失敗の多い私だけど、何かを感じられる心はいつも持っていようと思う。今日の一言は素直にいられる自分、素直になれる自分でいよう!!です。覚和歌子さんの詩をもう一つ紹介します。からだうたを歌うためのこえだろう 演説するための声でなく歌にすませるための耳だろう 何もかもを 聞き逃さないための耳ではなくいとしい耳たぶをそっとなぞるための指だろうおいつめるためにさす指ではなくただダンスのための手足だろう 何かにしがみつくためのナイフを握るための手ではなく かかえこむための膝ではなく踏みつけるためのかかとででなく 空に立てた指に 風を感じるための皮膚だろう花びらを受け止めるための両肩だろうキスするためのくちびるだろう キスされるための頬だろうひとつひとつが 間違いなく役割どうりに使われてはじめて 生かされるからだだろう朝焼けを見るための あなたの瞳だろうたとえどんなに この夜が長く続くとしても*いかがでしょうか?素敵な詩ではありませんか。こんな風に感じられる人ばっかりだったら、戦争なんか起こらないのにね。今の世の中、悲しいことが多すぎるね。何かを感じるアンテナは何時も、鋭敏にしておこう。アロカシア ベルベット【観葉植物】【ギフト】
2005.03.11
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言葉の持つ力。Power which language has. こんにちは。Hello. 今日は、言葉というものの力について少し考えてみようと思う。I think that I will consider a few about power although it is called language today. 私たちは言葉というものを、媒体として自分以外の人とコミュニケーションをとっている。We have taken communication for a thing called language with men other than ourselves as a medium. 言葉が、人に与える影響は計り知れない。The influence which it has on people has unfathomable language. 言葉というものを考える時、思い出されるのは、新約聖書「ヨハネによる福音書」1章1節から4節の言葉だ。When considering a thing called language, the language of New Testament "Gospels by John" 1 chapter 1 Section to Section 4 is remembered. 「初めに言があった。"There was a word first. 言は神とともに在った。The word was with God. 言は神であった。The word was God. この言は、初めに神と共にあった。This word existed with God first. 万物は言によって成った。10,000 things changed by the word. 成った者で、言によらずに成ったものは何一つなかった。What changed by those who changed without being based on a word did not have anything. 言に内に命があった。The life was inside at the word. 命は人間を照らす光であった。」The life was a light which illuminates man. " .(新共同訳聖書)(New common translation Bible) .有名な言葉であるので、誰もがどこかで触れた事があるのではないだろうか?Since it is famous words, has everyone touched by somewhere? 難しい解釈はさておいて、今日考えてみたいと思ったのは「言葉の持つ力」なので、この聖書の言葉から興味深いのは、「言の内に命があった」ということと、「言は神であった」という、フレーズだ。Since what was regarded as wanting to set aside a difficult interpretation and to consider it today is "the power which language has", "the life's having been in the inside of a word" and a phrase [ say / "the word was God" ] are interesting from the language of this Bible. 言葉の持つ力を考える時、そうなんだ。That is right when considering the power which language has. そうだよなーって、思えるのは、そこら辺から来ているのかもしれないね。that is right -- is that - can be thought coming from the neighborhood about there? もう一つ、言葉を考える時忘れてはならないのが「ロゴス」だ。It is "logos which must not be forgotten when considering one more and language." .ロゴスはギリシア語。logos。Logos is Greek. logos. 意味は、言葉、意味、論理を表す。A meaning expresses language, a meaning, and logic. 哲学的意味では、万物の流転の間に存する、調和。Harmony which consists between metempsychosis of all in a philosophical meaning. 統一された理性法則。The unified reason law. (岩波国語辞典第3版)(The 3rd edition of Iwanami Japanese dictionary) .: 古代のギリシャ人は議論好きであった。: The ancient people from Greece were argument lovers. それらの社会の中でロゴスは知恵として人々の中で受け継がれ、成長し現代に至っている。In those society, logos was inherited in people as wisdom, and it grew up, and has continued till the present age. 言葉ってなんだろうと考えていくと、果てしの無い物語になっていってしまう。If it thinks that language will be what, it will become a tale without an end. 不思議な生き物なんだね。It is a wonderful living thing. 言葉というものは。A thing called language. 私たちの中に在って、様々に影響を与え、自分自身も広がっていく。It is in us, and is affected variously and he also spreads. 身近な事に限定しよう。I will limit to a familiar thing. 父さんが教えてくれた言葉は、「言葉で人を殺す事も、生かすこともできる。どうせなら、人を生かす言葉を使う人になりなさい。」ということ。The language which the father taught, "killing people by means of language can also be employed efficiently. Become a man using the language which employs なら and a man efficiently at any rate. Call it ". 果たして、私がそんな人になれているのかは解からないけど、そうでありたいとは思う。Although there is nothing from a solution, I want for it to be so whether I have got used to such a man sure enough. 私は「天空の城 ラ・ピュタ(Laputa)」の歌が好きです。I like the song of "castle Laputa of the sky." .父さんがくれた熱い思い、母さんが残したあの眼差し。The ardent love which the father gave, that look that the mother left. 美しく、心を暖かくしてくれる言葉の数々が思い出される。It is beautiful and much language which makes the heart warm is remembered. 今はもういない両親だけど、こんな風に思うとすぐそばにいるような気がする。Although it is the parents who are not any longer now, shortly after considering to such a wind, I will feel that it is in a side. これもまた、言葉の力。This is also the power of language. あなたとこんな風に話す事が出来るのも。It can also talk to you and such a wind. 「今日の一言」"Today's word" .美しい言葉を話そう。I will speak about a beautiful word. ドラセナ・マッサンゲアナ(幸福の木)
2005.03.10
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こんにちは。Hello. 今朝はびっくりした事がありました。昨日の今日ですから張り切って、あなたに書き込みをしようと思っていたのに、後ろについていたあの文章はいったい何???It had been surprised this morning. That text currently back attached although it was enthusiastic since it was yesterday's today, and he thought that he would write in you is really what. まあ、私の設定ミスといってしまえばそれまでですけど、なんとも驚きました。なんでもありのネット社会とは聞いていたものの、まあまあまあのびっくりでした。Well, although it was to it when calling it my setting mistake, he was surprised not at all. Although the net society which exists anything was hearing it, it was a well so so surprise. でも、やっぱりこれは問題があるのと違いますか?But does this differ from that there is a problem too? 想像力と好奇心は人間の特権ですけど、もう少しフィルターがあってもいいと思うのですけど。いまや、死語に近いかもしれないけど、人間としての「たしなみ」というものがあります。興味の無い人もいます。そこら辺をもっと解かってほしいですね。I think that a filter may have them to a slight degree although imaginative power and curiosity are man's privileges. Now, although it may be close to a dead language, there is the thing "taste" as man. There are some uninterested persons. Is it a solution more about the neighborhood about there, and wants. まあ、しかしですね。「時は春。日は朝。」ですから気を取り直して行きましょう。設定の変更もしたし。well -- a deer -- carrying out -- it is . "It is spring at the time. A day is a morning. Since it is ", let's pull ourselves together and go. A change of a setup was also made. 春の珍事を笑い飛ばしましょう。Let's laugh away a spring unexpected happening. 今日の一言はToday's word .「春にして、君を離れ」です。アガサ・クリステイーです。It carries out in the spring of ", and is detached building" about you. He is Agatha Christie. 私が私である事の確認です。自立した女でいましょうね!!It is the check of I being me. Let's stay as the independent woman!! エコプランター+エコア【標準タイプ】とドラセナ・レインボーのセット
2005.03.09
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ラ・ロンド | La RondeLa Ronde | La Ronde .今日から始める私の日記。あなたの名前をタイトルを「ラ・ロンド」とした。My diary begun from today. The title was made into the "La Ronde" for your name. いろいろな思いが、今日の一日、私の心をめぐるだろうから。今年の春が本格的に来ようとしている今、新しい事を始めるのもいいかも知れないからだ。Since various thoughts will revolve my heart for today's one day. It is because it may also say that the spring of this year begins a new thing now which is going to come completely. 何が始まるのか、何が書き込まれていくのかは、始めようとしている私さえ解からない。これって、もしかして、素敵な事だと思う。In what it is written what starts does not have from a solution even me who am going to begin. I think that it is that this is possibly great. もう一人の私であるあなたに、何て呼びかけて始めようか。とりあえず、「La Ronde、こんにちわ。これからは、私のいい話し相手になってください。」Do you call to you who are the other me very, and begin? "La Ronde, hello for the time being. From now on, please talk that it is easy to be me and become a partner. " .今日の一言は「今この時は、一度きり。この時を与えてくれたことに感謝します」です。Today's word "at this time, it is only in once now. It is in appreciation of having given this time." .ドラセナ(アカドラ)
2005.03.08
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