2025年08月13日
XML
カテゴリ: 哲学研究室


 ある、わけではない。
 アル、というのは「享有」にのみ存在するポシティヴな考え方で。
 物理力においては「ない」、とも言える。

 私たちの共有する物理的な力というものは、必ずネガチブだからだ。
 隠れている、ということか?。
 ちょっと違う。
 それまではない、と言える。
 想定もされてない。

 物理的なモデル想定は数学的に可能だが、それも「数学という時空の枠の中で」可能だ。
 この時空を胡麻化したり、存在を胡麻化して、わたしたちの日常は成り立っている。
 厳密な物理力想定をやらずに、日常的な修辞をやってしまうわけだ。

 科学論文と銘打っていても、そうではないものがほとんど。
 そしてこの「修辞」は「命題」と「数学的解」から成り立っているのだが、それすら曖昧にしてしまう。
 詐欺の材料にする。

 世に哲学は失われているのだから、その事実をまず認識すべき。
 曖昧にぼかした修辞学が古典ギリシャ哲学の名で偽物を背負い。
 西洋の基礎を踏みつけて、ぐちゃぐちゃにしてしまった。

 享有と共有をきっちりと切り分けて見出し。
 倫理と相互の決まりごとは違うんだとハッキリ見出し。
 主観と客観は別物なのだと、これも見分けておくべきである。
 これは容易ではない。

 物理的なモデル想定は、決して自然学で生まれた発想ではなく。
 これは共有の客観的認識から生まれた「修辞学」である。
 優生学を含み、ギリシャ古典認識修辞学の生んだ、後の時代の現代ものである。
 ヘラスの哲学とは別のものだということ。

 これにしかし私どもは科学技術の名を冠し、ネイチャー・マシーナリーテクニークと呼ぶ。
 そしてここで使われるネイチャーとは、「素材」のことなのだ。
 ありもしない「純粋素材」。
 ヘラスのフィシスとは似ても似つかぬ概念であり、細分化された分析を伴う。
 まったくの別物なのである。

 フィシスは「隠れ無き事」、であってその自然は自分を「隠さない」。
 それに対し、西洋の古典ギリシャ修辞学に言う自然なモノ、は身を隠す。
 物理、として我々が相手している自然学は、詐欺後に変質した素材なのだ。

 この単純なことがわかっていないと、おいらの哲学概論は全く読めないだろう。
 「優生学修辞学」になり下がってしまうからである。
 そうなってしまってる。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025年08月13日 07時53分34秒
コメント(0) | コメントを書く
[哲学研究室] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

プロフィール

mugibatake

mugibatake

コメント新着

アンチオーバーロード @ Re:日本酒を飲んでコロナ撲滅(04/28) ムギバタケ先生の「対象認識について(推…
アンチオーバーロード @ Re:庭の形而上額 2ー4 常識の庭4(02/09)  50年前に出会ったときは近くて遠い存在…
山科2008 @ Re:こころ(02/22) お邪魔します。 哲学入門は繰り返し読んで…
mugibatake @ Re[1]:新・ユダヤ人 3-5-5(05/10) 山科2008さんへ ありがとうございます。励…
山科2008 @ Re:新・ユダヤ人 3-5-5(05/10) > 拉致があかず (変換ミス)  …
cozycoach @ Re:米国で(02/02) 進化について詳細です。 メインの質問は「…

お気に入りブログ

源氏物語〔38帖 鈴虫… New! USM1さん

むかご マンネンコゾウさん

余多歩き くれどさん
一語楽天・終活の日々 cozycoachさん

バックナンバー

2026年09月
2026年08月
2026年07月
2026年06月
2026年05月

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: