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2006.05.08
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梅原さんは司馬さんに対して「宗教というものに素人のあなたは書かないほうがいい」とまで言ってしまい、しばらくの間、司馬さんとは絶縁状態になってしまいました。

こんな経緯から、梅原猛さんは私にとってとても気になる存在でした。

最近 梅原猛さんの「最澄と空海」という本を読み、あらためて日本人のふるさと、日本文化のふるさとを再認識させられた次第です。

最澄と空海は、奈良時代から平安時代の初めにかけて活躍した宗教家ですが、奈良時代の後期堕落していく都会仏教を嫌い、空海は真言宗を高野山に立て、最澄は天台宗を比叡山に立てました。

山は昔から日本では神様のいるところであるとともに、死霊のいるところであり、そうした山へ仏教が入ることによって仏教が日本化したといえるのだそうです。

「名は体をあらわす」と言いますが、この二人の名前は他の宗教家にはない壮大なイメ-ジが沸いてきます。
 最澄・・・最も澄むと書き、 澄んだ泉のような清らかな人
 空海・・・巨大な空と海でどんな汚いものでも浄められる人

二人を超える名前の宗教家はいないのではないでしょうか・・・・・・・

804年7月に両氏は、遣唐使として唐へわたり仏教を学ぶことになります。最澄は桓武天皇が一番の信頼を置く寵僧になっていましたので、環学生として1年短期間唐に滞在して仏教を学ぶ学生として、空海は留学生として20年じっくり仏教を学ぶ学生として出港しています。

歴史とは不思議なもので、第三船 第四船は難破してしまいましたが第二船には最澄、そして第一船には空海が乗っていたのです。  

もし第一船と第二船が難破していたら真言宗も天台宗もなかったことになります。

最澄は、天台は「経の仏教」で三論や法相のような「論の仏教」とは比べものにはならないとして中国にわたり師伝を受けたいと願い。

空海は、儒教を捨てて仏教に入ったのですが、釈迦仏教は人間を中心にする仏教であるのに対して、密教という自然中心の仏教が自分の性格に会うとして「大日経」を学ぶために唐へ渡る決心をしています。

そして空海は、密教の全てを学んだとしてたった2年で日本へ帰ってきてしまいます。

二人が帰国当時の日本は、桓武天皇は重い病の床についており、また自らの死を命じた弟の早良皇太子の怨霊の祟りという噂が流されていました。

この怨霊の祟りという恐怖からまぬがれることが出来ずに苦しんでいた時代です。

病気の席に最澄は呼ばれていくのですが、それを直せるのは天台の仏教ではなく、むしろ密教の修法(加持祈祷)だったのです。

最澄は空海よりも7歳年上なのですが、空海が唐から学んできたとする「請来目録」を見て、本を借りたい、密教を知りたいと願います。

そして密教を学ぶために後輩である空海に頭を下げています。

最澄は筆授を得意とし、筆授こそ学ぶための最高の手段だと信じていましたが、空海は、密教は宇宙の生命である大日如来と一体化することなので、それには面授して、行を必要とする。

それが加持祈祷というものだとして、協力を拒絶しました。

さらに最澄と一緒に密教を学んでいた最澄の愛弟子 泰範を叡山に帰らせないようにします。

最澄は泰範に対して、自分の弱い心を隠そうともせず叡山に帰るようにと、せつせつと手紙を書いています。

GWの最終日 5月7日(日)まで東京国立博物館において、「最澄と天台の国宝」展が開かれていました。

1200年前の延暦25年(1106年)1月26日、時の帝であった桓武天皇は、伝教大師最澄の願に応えて、天台宗を国家公認の仏教として認めました。

平成18年は、ちょうど、1200年目の記念すべき年に当たり、「最澄と天台の国宝」展は1200年記念事業一環として開催されているのです。

総本山である比叡山・延暦寺をはじめ全国の天台宗関係寺院の協力を得て、国宝31件、重要文化財約100件を含む計166件を展示されています。

このチャンスは、二度と来ないのです。

100年に一度の大展覧会なのです。

東京近郊に住んでいる者として、こんなに嬉しいことはありません。

私は、最澄が何故これほどまでに密教を学ぼうとしたのか、いまだに良く分かりません・・・・

天台宗の中心は、永遠なる釈迦を称えた『法華経』のはずです。

このヒントを得るために、そしてライバルでもある空海とのかかわりの手掛かりを得るために、東京国立博物館に行くことにしました。

装飾経を見ていると、当時の人びとの信仰の深さと美しく書写された筆跡などから、時の流れがゆったりと流れているように見えます。

書いてある内容は分かりませんが、当時の美意識というものが感じられました。

最澄の後に続く弟子である 円仁、円珍は、最澄の願いをかなえるべく、唐に渡って、密教関連の経典・仏具類や新しい天台美術を比叡山にもたらしています。

それらの中には、真言密教よりも古い時代の密教も含まれ、今回展示されている不動明王・六道絵等を始めとしてまことに多様なものでした。

さらに円珍は讃岐の出で、空海の血縁者なのです。

歴史とは皮肉ですね。

ただ、残念ながら私の疑問は解決されませんでしたが・・・・・・・・・・

最澄は、身分の差なく仏教は全ての人々を救うと説く「一乗止観」を唱え、比叡山・延暦寺にはその教えに魅せられた多くの僧たちが集りました。

たしか TKCの故飯塚会長は、この一乗止観から「自利利他」を発見されたと何かの本に書いてあったような気がします。

間違っていたらごめんなさい

鎌倉時代には、比叡山・延暦寺で学んだ僧から、法然(浄土宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、親鸞(浄土真宗)、日蓮(日蓮宗)らを輩出し、天台宗は日本仏教の母なる存在として、日本人の心のふるさととして大きな役割を果たしていくことになります。

私は沢山おられる宗教家の中では最澄さんが一番好きなのです。

最澄の言葉に 「一隅を照らさば これ則ち国の宝なり」 とあります。

最近 ○○ファンドなるものがTBSの大株主になったとか、阪神電鉄に役員を送り込むとか、一部の金集め集団が、短期間に高値で株を売り抜けて大儲けをしようとしています。

資本主義の理論を破壊してしまえば、また新たなバブル崩壊を招き、国民の税金を投入することとなり、最終的には自分たちに跳ね返ってくることは明らかです。

今一度、仏教の倫理・道徳「自利利他」の教えを見つめ直すべきではないでしょうか

残念ながら 私は 実家が曹洞宗なので、「私もそうかな」と言う程度の宗教観・道徳観しか持ち合わせておりませんが・・・・・・・・・・・



名は体をあらわしている?

安西節雄 です





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Last updated  2006.05.08 08:27:30
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