2020年10月06日
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​​​​ 日中の気温は急に20℃台前半になり

朝晩はTシャツ1枚では肌寒く

ゆうべはテレビを見つつエアコン暖房を入れました




 ☆  ☆  ☆




再び朝ドラの話になりますが

気になって 古関裕而 の自伝『 鐘よ鳴り響け 』 を購入しました

やはりドラマは面白く作られていますね




日記でも綴られていたのでしょうか

自伝は時代背景が日時などの詳細も記されており



知らなかった背景を垣間見せてもらったような気がします





たわいのないことですが

古関さんは国に関わる運命の人だったのだなと思いました

名前について書かれていたこともありますけどね




裕而 というのは ペンネームで本名は 勇治

勇ましそうな本名が自分には不似合いな気がしたのと

「 裕」 と「 而 」2つの漢字が好きだったからとのこと




さらに当時は「 裕 」のつく名前が珍しかったと

というのも当時の昭和天皇の名前にあるので

恐れ多くて庶民の名前にはあまり使われなかったそうです




それくらいは < ああそうなんだ > と思う程度でしたが

昭和初期に生まれた娘さん2人の名前があまりの偶然に驚きました

長女が 雅子さん 次女が 紀子さん なんですね

( 紀子は みちこ と読むそうですが )




音楽は軍需品 というのも解る気がしました

戦意高揚の目的もあれば励まし慰め癒す

時代に素直に流れる歌だったのだと思いました




軍歌は戦地に赴いた人たちによって自然に作られたと漠然と思っていましたが

兵士としてではなくとも慰問もあれば敢えて戦地を訪れて

戦地の空気を感じての曲作りだったようです




1909( 明治42)年生まれで1989年に亡くなられたそうですが

人生の後半は私たちも同じ時代を生きていたのですね

テレビで拝見したこともあったのだろうと思います




戦後はラジオ・ドラマや劇団の楽曲づくりが多かったようですが

当時は生演奏にもかかわらず作詞の出来上がりが遅く

本番ギリギリの作曲も多かったようで対処する演奏家たちもすごい!




私など四六時中流れている体内音楽に疲れるというけれど

流れてくるのは知っている曲ばかりです

古関さんは常に新しいメロディが湧き出てきていたとのこと




あまりにも大量の作曲をしたので忘れている曲も多く

作ってしまうとそれっきり過去のことになり

常に新しく流れ出る旋律に向っていたという




幼少期に聴いたクラシックから始まり

音楽学校で学んだことも楽器を習ったこともなく

常に五線紙とペンだけで作曲していたというのが驚きです




オペラを作りたかったそうですが

頭の中だけで楽曲を作り上げてしまうなんて

本当にすごいとしか言いようがありません




まあ色々ありますが

自伝を読んだ後に見るドラマも興味があります

なんとも収拾のつかない話となってしまいました ( 笑 )​​​





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最終更新日  2020年10月06日 12時00分06秒
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