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だまし絵って言うんでしょうか、トリック絵画って言うんでしょうか。同じ絵なのに、若い女性に見えたり…おばあさんにも見えたり…する絵ってありますよね。同じ絵を見ているのに「若い女性」が見えるという人もいれば、「老婆」が見えるという人もいます。人それぞれ見え方、感じ方が違うんですね。この前の日曜日に、友人と車で移動していました。40代くらいの女性が原付を運転していて、抜かすに抜かせない微妙な速度で、トロトロ、ヨタヨタ走っていました。(ありますよね、こういう状態って)「こういう運転をする人がいるから、渋滞が…」と言おうとした時、友人が、「こんな感じの女性を見ると母親を連想するんだよなぁ…」と。友人が中学生のころ母親が原付の免許を取りにいったとのこと。今のボク達とそんなに変わらない歳なのに、「こんな歳でよく頑張って原付の免許を取りにいくなぁ」と当時思ったそうです。友人の母親は、朝早くパートに出かけるために原付が必要だったそうです。まだバスも動いていない時間だから。友人の学費を稼ぐためにパートに行っていたそうです。そんな母親を、友人は自分の部屋から、まだ真っ暗な中を進む原付の後姿を見送っていたそうです。自分を学校に入れてくれて、無事卒業させてくれた母親の苦労を思うと、こんな感じの原付に乗った女性を見ると、「頑張ってよ」って思うんだ、と。ガーン!ときました。ちょっと泣けてきました。ボクにも思い当たることがあります。(みなさんにもあると思います)目の前で走っている原付の女性にエールを送りたい気持ちになりました。(おこがましいかもしれませんが)同じものを見ていても、見ている景色が違うことはあります。議論してかみ合わないこともあります。でも、相手の見えている景色が理解できたとき、自分も共感できたり、相手の視点に納得できたりして、世界が広がるような気がするときがあります。車を運転しながら、そんなことを考えました。抜かすに抜かせない、イライラした気持ちはとうに消え失せ、友人よ、ありがとう!という気持ちでいっぱいでした。忘れていたものに気付かされた気がしました。
2005年09月29日
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以前、家のポストに入っていた宗教かなにかのチラシについて書いたのですが、あれ以来昨日までに、10数通がポストに入れられていました。あいかわらず、組織名や団体名は書かれていません。でもサイズが変わったのと、毎回、紙の色が変わるようになりました。(一体どこのどういう団体なんでしょうか)その中の一つをご紹介。タイトルは…「忘れて良いこと、悪いこと」こういうタイトルをつけられると、つい読んじゃうんですよね。すっかりチラシを投函した人の戦略にはまっているかもしれません(笑)。以下、その内容です。「忘れて良いこと、悪いこと」困ったときの人の助けは本当にありがたいものです。でも順調に事が運ぶようになるといつの間にか忘れてしまい感謝の心もどこへやらついには自分の力で出来たのだと錯覚してしまいますそれなのに人を助けてあげたり逆に人からイヤな目にあわされたことはいつまでも 覚えているものですね忘れてはならないことを忘れると恩づまりとなり忘れるべきことをいつまでも忘れなければ心の濁りとなります以上内容終わり。心の濁りかぁ…言われてみれば、そういうことって思い出しても気持ちいいものではありません。ましてやイヤな目にあわされたとなれば…です。腹が立つことや、イヤな目に合わされたりって、結構覚えているもんですよね。そんなことを思い出して、蒸し返すことにエネルギーを使うより、もっと前向きなことに力を使おう。そんなふうにも感じました。もちろん感謝の気持ちも忘れずに。
2005年09月21日
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プラスアルファのサービスにお客さんは喜んでいる…と思っても、そうでないこともあります。相手が望んでいること以上のことをして、サプライズを演出し、感動を演出したつもりが、逆効果になるときもあります。だいぶ昔のことですが、函館の朝市に行ったときのこと。近くの食堂でウニ&いくら丼を頼みました。半分にウニ、半分にいくらが、ごはんが見えないくらいたくさんのっかっているやつです。いくらの側から食べて、ウニを楽しみにして残していたら、店のおやじさんが、「これをのっけたらうまいんだぞ」とイカの子?の甘辛く炊いたようなものをどかっと親切でのっけていきました。プラスアルファのサービス、ありがたかったのですが、ウニを口いっぱいほお張ることを楽しみにしていたボクは、ちょっと残念でした。甘辛い味のイカの子?のせいで、ウニ&いくら丼の味も変わってしまったし…ウニを楽しみにしていたのに、ちょっと余計なサービスに思えました昔の中国の故事?だったと思いますが…武将たちが、賭けをしました。誰が一番最初に蛇の絵を描けるか。あっという間に、ダントツ一番に、余裕で描き上げた武将がいました。その武将は、時間があまったのでついでに蛇に足を描きました。賭けは、「蛇」を描くことだったので、足を描いてしまっては、蛇ではありません。せっかく早く描いたのに賭けに負けたそうです。「蛇足」ということばの起源だそうです。サービスって難しいですね。不公平感がないよう回りのお客さんにも気を使ったり、提供するタイミングも気をつけたり、お客さんの望み以上のことをサービスして、おもてなしをしようと思っても、それ以上でもそれ以下でもなく、お客さんの望んでいたことそのままが、最高のサービスになることもあります。適度なサービス、さりげないサービスで、感動やサプライズを与える…それが一番むずかしいんでしょうね。
2005年09月16日
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通勤中、電車内で、席を譲る光景ってたまに見かけますが、新幹線で席を譲る光景って(ボクは)あまりみかけません。やっぱり、乗車料金、特急料金で何万円もするせいかもしれません。何万円も支払って新幹線に乗っているのに、席を譲る時って、どんな時でしょうか。お盆の、新幹線のぞみの自由席車輌は、通路に立つ人で殺人的にごった返していました。その人ごみの中を「席は空いてないかのぉ…」とおばあさん2人が通路をかき分けてヨボヨボ歩いて来ました。余裕があれば、席を譲ってあげることもできますが、「今日は、さすがに、座れないだろう…」と通路に立っていた誰もが思ったと思います。でも、おばあさん2人がヨボヨボと席を探す姿を見て、学生らしき2人がさっと席を立って「どうそ!」と譲りました。「ありがとうごじゃいます…」と感謝の気持ちを伝えるおばあさん2人に「いえいえ…」と若者2人は奥の車輌の方に歩いていきました。お盆に、むちゃくちゃ込んでいるときに、のぞみの自由席車輌で席を探す…という無謀な行為に、席を譲らなきゃ仕方ないような状況を作り出したおばあさん達の強引さは多少感じましたが、車内にはちょっとした安堵感が漂いました。譲るのが当たり前とか当然だとかいうのではなくて、その学生らしき若者を見てすごいと思ったのは、一人だけの考えでなく、二人で一緒に席を譲ったこと…誰も譲らない中、なんの躊躇もせずに真っ先に席を譲ったこと…二人とも旅行か帰省中だったのか大きな荷物を持っていたのに譲ったこと…簡単なようでなかなかできないことと思います。すごいぞ、若者!ちなみにボクは立っていたのですが、座っていたとしたら、譲ったかどうか…???と思います。そういう行為を自然に、よどみなく行った若者二人に、生き方の軸というか、ちょっとやそっとではぶれない芯の強さみたいなものを感じました。みなさんならどうですか?
2005年09月13日
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古武術研究、ナンバ走法で有名な某先生の講演に参加させて頂く機会がありました。先生によると、現代のスポーツで基本とされていることは、マイナスの要因が多いとのこと。一例を挙げると、ウェイトトレーニングは、ほとんどマイナスの要素が強いそうです。なぜかというと、釣竿の修理が難しいことを考えれば理屈は似ているそうです。釣竿の壊れたところを補強して強くすると、すぐ上の部分に負担がかかって、今度はそこがダメになるそうです。これは一部分を過剰に丈夫にしたために、釣竿全体がたわむことで保っていたバランスが損なわれたからだそうです。人間のからだも同じで、下手に一部分に筋肉をつけすぎると全体のバランスが崩れるそうです。腰、脚、背中など痛めやすくなるそうです。ある会社のオーナーさんは、その話を聞いて「経営にも同じことがいえますね」とおっしゃったそうです。もっと強い体質の会社にするために「○○部門を強化する」…ということで、不要な人員強化によって、余計な肉をつけてしまって、逆に企業全体の力を落とすケースが多い。ライバル企業の進出…商品シェアの減少…このままでは不安だから強化するのですが、それがムダであるケースも多いとのことです。先生は以前、Jリーグのあるチームに呼ばれて、身体の動かし方を説明しにいかれたことがあるそうです。その時、そのチームのレギュラーは誰も、向かって走ってくる先生を止めることができなかったそうです。その後、なぜか2度とそのチームから声がかからなくなったそうです。(選手が混乱するだとか…)最近、サッカーの日本代表の大○選手は、先生の理論に興味を示されたそうなのですが、お互いのスケジュールが合わず、先生の動きを伝授する機会はまだ実現していないそうです。個人的な意見ですが、来年のドイツのためにも、はやく実現して欲しいものです。それにしても、ウエイトトレーニングのように、パワーアップできる、成長できる、と今まで正しいと思ってやっていたことが、実はマイナスだった…仕事でも、常識やルール、あたりまえと思ってやっていることを一度疑ってみることも大切だと思いました。
2005年09月07日
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先日の「運命の法則」チラシには、実は裏面がありまして、それもご紹介させていただきます。タイトルは「希望と恐怖の設定」です。なんか怖そうなタイトルですが、以下、「希望と恐怖の設定」の内容です。子供を育てる時、情におぼれると、つい希望の話しばかりしかしなくなりがちです。子供は夢ばかり追いかけるようになるから、一見良いようには見えますが、しかし、この世は良いことばかりが起きるということは絶対にありません。勉強でも、スポーツでも、人に勝った時だけ誉めていると、幸せとは優越感のことだと思う人間ができあがってしまいます。負けた時に、どう立ち上がれるかということを教えることの方が、親としてはどんなに安心なことかもしれません。人生には必ず、荒波があるものです。それを子供を助けすぎて夢ばかりしか見えない人間にしてしまうと、子供は強そうでも実は弱い人間になってしまいます。政治家になりたくても、当選ばかりとは限りません。オリンピックの金メダルを取りたくても予選に落ちることもあります。社長になっても倒産することもあります。落選の恐ろしさや、倒産の恐ろしさを教えなかったら、思い上がるだけで、油断から必ず落とし穴に落ちることになるでしょう。一流企業の社員になれても、取締役になれても、自分が首にはならないという保証はありません。油断するとこうなるという恐怖との部分と、夢の部分とを常に半分ずつ持って生きていくことが重要なことではないでしょうか。という文章でした。個人的には「運命の法則」に比べれば、共感できる度がちょっと下がっちゃいます。(いいたいことはわかるのですが)でも、「勝ったときだけ誉めると、幸せとは優越感と勘違いする」だとか「負けたときにどう立ち上がるのかを教える」という箇所には、親と子だけでなく、上司と部下、先生と生徒などいろんなシチュエーションで共通することだと感じました。みなさんはどうでしょうか?
2005年09月05日
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仕事が忙しく、久しぶりの日記になりました。先日、家のポストを見ると、宗教か何かのチラシが入っていました。宗教名や団体名を一切書いておらず、妙にシンプルで、タイトルと文章だけがたんたんと書かれておりました。タイトルはズバリ…「運命の法則」です。以下、その内容です。(ちょっと文脈が?の箇所もありますが、原文のままです)「運命の法則」子供が小さな親孝行をしても大きく喜んでやれば、その子は大きな親孝行をしたことになり、その子の運命は良くなっていきます。妻が夫を助ける。夫が感謝すると、妻は心も身体も健康になります。それはうれしくなるからだけではありません。この世の中には、人を助けたら、わが身を助かるという自然の法則があるからです。どんなことでもうんと感謝してあげるだけで、その人はどんどん助かっていきます。反対に、人を悪く思ったり不足したりしていると、両方の運命が落ちていきます。商売はお客様に感謝をします。お客様を悪く思ったり不足したりしていると商売は倒れます。運命の法則があることをなんとなく人々は感じているのかもしれません。部下は上司に感謝をする。上司は部下に感謝をする。お互いに陽気になって立派な仕事ができます。会社は必ずは発展します。人間の陽気な暮らしを見て、天の神様も共に喜びたいと思っているから、天がツキを与えるのかもしれません。ということが書いてありました。ポイッっとゴミ箱に丸めて捨てようかと思ったのですが…なぜか捨てきれずに今も持っています。(この紙をポストに入れた人の思うツボかも?)天の神様が一緒によろこんでくれるような生き方…天の神様がツキを与えてくださるような生き方…うーん…今のボクにできてるかなぁ…みなさんはどうでしょう。
2005年09月02日
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