温故知新
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通っていた、市が催している初心者用の手話教室、最終日の今日。娘の熱が下がらなくて、私は行くことが出来なかった。最終日は、一人、一人、手話でスピーチをすることになっていた。人前で話すことは苦手だし、手話も下手なので、最初は乗り気ではなかった。が、期日も近づき、必要に迫られてスピーチを考えていくうちに、悪くないな、と思ってきた。話したいことをまず考えて草稿し、それを、習った手話だけで表現できるように推敲して、手話をつける。この作業が、意外なほど楽しい。人前で話す場、と思わず、これを披露する場と考えて、最終日のスピーチが楽しみになってきたところだった。手話教室は、初心者向けとはいえ、結構、充実した内容も盛りだくさんの授業で、1回2時間、終わった頃には、脳内の糖分がすっからかんになってしまうほどだった。おかげで、大体の基礎を身につけることが出来た。得たことも大きく、授業に参加していた、地域の聾者や、手話通訳者と知り合いになることが出来たし、そうそう、以前、突然、町で声をかけられた、女性にも再会できた。私が娘を連れて歩いているとき、行き交った、小学生らしい女の子を連れた女性に声をかけられた。「あの、もしかして、口唇裂ではないかしら?」まだ、娘が2才になったか、ならないかの頃で、髪をふり乱して、必死に毎日を生きていた。そんな私に、ご自分の可愛い娘さんを会わせて、「この子もなんですよ。大丈夫よ、大丈夫。」と、気持ちのいい笑顔で、ご自身の経験を話してくれた。正直、その頃、私を悩ませていたのは、口唇口蓋裂ではなかったのだが、それでも、その温かさが嬉しかった。その彼女が、市がやっている手話教室の手伝いをしている手話サークルで、手話を学んでいたのだった。が、一番、得たことは、『ろう者の世界』を垣間見られたこと、かもしれない。手話教室には、3人のろう者がいつも講師として来ていた。彼らは明るくて、冗談も言うし、私とそんなに違う世界にいる人たちとは思えなかった。特に、その中の一人は、口話も上手く、読唇もスムーズで、彼女と、教室が終わった後、拙い手話で会話をすることも、通うことの楽しみだった。彼女は、わざと、口話をつけないで手話だけで会話をし、私を困らせてから、口話をつけて教えてくれた。それほど、私の言うことは彼女にスムーズに伝わっていた。ある日。ちょっとした出来事があった。授業中。単語を教えてくれていた年配の男性講師が、ついでに、テキストに載っていない関連した単語も教えてくれた。『文章』『漢字』『英語』『ふりがな』『カタカナ』『英語』に関連して、アルファベットの表記なども教えてくれていたのだが、座は、ザワザワとしていた。その理由は、私にも分かった。『ひらがな』が抜けていたのだ。講師は、ろう者なので、もちろん、そのざわめきは聞こえない。講師の言葉を専門に通訳するための手話通訳者の側に座っていた誰かが、そのことを質問して、手話通訳者がそれを訳した。男性講師は、『私たちには、ひらがな、は、馴染みないのだが、ふりがなも最近になって使いはじめた』というような、答えをした、ように私には見えた。手話通訳者は、もう少し、違う通訳をしたのだが、いずれにしても、質問者が得心をするような回答ではなかった。座のざわめきは一回り大きくなった。「つまり、『ひらがな』という手話はないの?」「『ふりがな』と『ひらがな』は同じなの?」「『ひらがな』と『ふりがな』を間違えているのかな?」私は、はっとした。思い出したことがあった。以前、話す機会のあったろう者が、『ごめんください(他人の家を訪問した際に使う表現)』が分からなかったことがあった。『どうして、謝るの?』と言われたとき、それは冗談だと思っていた。また、こんなこともあった。『うさぎ小屋で』と手話で表現したときに、『うさぎじゃないのに、やだぁ』と笑った。これも、冗談だと思って、私も笑い過ごした。もしかしたら、『ふりがな』と『ひらがな』の違いを知らないのかもしれない。1歳を過ぎたら言葉を自然と習得していく、我々、健聴者の語彙数は5万語ほど。それに比して、言語を習得する時期も遅く、その後も、努力して習得していく、ろう者の語彙数は1万語ほど。その中に、『ふりがな』と『ひらがな』の違いなどよりも、社会に出ていく上で、必要で、重要な、習得せねばならぬ言語はいくらでもあるのだ。私は、耳を塞ぎたくなってきた。それは、何も、教室の前に立っている、ろう者たちだけの問題ではない。私の娘も、3才半になろうとしているのに、まだ3語文ほどしか習得できていない、私の娘にだって、言えることなのだ。そして、何よりも、そのことは、私達よりも劣っていることを意味しているわけではない。聞こえないことで、我々よりも、研ぎ澄まされた何かが、きっと彼らにはあるのだ。もちろん、娘にも…。そう思って、泣きそうな気持ちになっていると、今まで、大人しく通訳だけしていた手話通訳者が、勢いよく立ち上がった。そして、今まで聞いたこともないような大きな声で、皆に向かって言った。いや、叫んだ、といった方が表現としては妥当かもしれない。「ろう者は私たちとは違う感覚で生きています。『ふりがな』であろうが、『ひらがな』であろうが、彼らにはどうでもいいんです。私達の価値観に彼らを押し込めないでください。彼らの価値観をあなたがたが理解できないように、彼らだって、私達の価値観は分かりません!」場はしーんとした。その後、ぽつりぽつり、と、誰かが話しはじめて、講座は終わる頃までには、普段の雰囲気に戻ったようだった。が、きっと、その場の何人かは、手話通訳者の言葉を、差別と受け取ったり、もしかしたら、ろう者は私達とは別の世界の人間、と曲解してしまったかもしれない。我々と違う部分を、まず、違うとしっかり認識した上で、彼らが社会で過ごしやすいように、我々がその部分を補っていき、向こうからも、彼らでしか得られなかった何かを我々が頂戴して、そうやって、共に歩いてきた手話通訳者だからこそ、このような発言につながったのではないか。年配のろう者が、最初の講座で、「ろう者にはろう者それぞれの手話表現があるので、間違えた、違う、と責めないで下さい。」と、言ったことを思いだした。確かに、ろう者にはそれぞれ、自分が良いと思っている手話表現があって、手話通訳者にも、自分に合わせるように求める姿勢があるが、そのことだけではなかったかもしれない。彼は、こういった差異についても言いたかったのかもしれない。手話教室の最終日。彼らと、きちんと挨拶しないまま、お別れになってしまったことは悲しいが、きっと、どこかですぐに出会えるだろう。娘が彼らとの間をつないでくれる。その時は、もう少し、彼らの価値観に寄り添える自分になれていたらな、と思う。
2005.11.15
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