あけやんの徒然日記

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あけやん2515

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2017年05月04日
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カテゴリ: 野球



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 これは1948年(昭和23年)に発売されたものだそうですが、「新野球かるた」です。やはり写真ではなく、似顔絵になっているのですが、ご本人に似ているのかな?それと、1948年当時のユニフォームのデザインがよくわかる貴重なものだと思います。
 ちなみに、「新野球かるた」の入れ物に描かれている選手は、当時東急フライヤーズの大下弘選手、「青バット」で有名な選手でした。また、『ヒットして 金田ベースで 笑っている』は、大阪タイガースの金田正泰選手、後に監督も務められています。さらに、『スクイズの 失敗ファールで 筒井とり』は、南海ホークスの筒井敬三捕手、プロ野球の試合中の事件として有名な巨人・三原監督の「ポカリ事件」(試合中のプレイを巡って三原監督が試合相手の筒井捕手を殴って出場停止に)の当事者でした。

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 この写真のかるたでは、前出のとおり「ポカリ事件」の原因の一つ、「別所引き抜き事件」の当事者となった別所毅彦投手が南海ホークスのユニフォームで描かれています。1948年オフに巨人に引き抜かれていますから、引き抜かれる直前を描かれたものだったんですね。

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 この写真のかるたでは、『糖類の 河西二塁で 又セーフ』は、南海ホークスの河西俊雄選手。晩年は近鉄のスカウトを務めていて、瞬足を生かした選手だったそうです。
 また、『ロングヒッター 小鶴の一打 期待され』は、この当時中日ドラゴンズに所属していた小鶴誠選手です。その後、松竹ロビンスなどに移籍するのですが、1949年に.361で首位打者、1950年には51本のホームランを打ってホームラン王になった強打者です。

IMG_2943.JPG

 さて、この写真はかるたではなく、このカードを使って遊ぶものではないかと思います。カードに数字が書かれているので、その数字がサイコロの役目をしているのかも・・・。すみません、本当のところはわかりませんが。
 ここで描かれている選手の中では、南海ホークスの選手が多いですね。『つかむ球 飯田徳治 守備もよし』は、1246試合連続出場の記録を持っている飯田徳治選手でファーストの守備、特にワンバウンドを取る技術が長けていたとのこと。『難球を 蔭山かるく とって投げ』は蔭山和夫選手で、俊足好打好守の選手で、鶴岡監督の後を受けて南海の監督をするはずだったのに急死されました。
 『ベンチから 山本「いけ」と 合図をし』は、山本一人監督。山本監督は、鶴岡監督のことで、結婚して奥様の苗字が変わったものの、その後奥様が亡くなり再婚された際に鶴岡姓にもどしたものです。

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 この写真では、『左投手 関根インドロ よくきまり』の関根投手に注目してください。関根って誰?って思うかもしれませんが、当時近鉄パールスの関根潤三投手です。そう、最近はプロ野球ニュースでお見かけすることはないのですが、好々爺としたあの関根さんです。元々は投手だったんですが、当時の近鉄はあまりにも弱すぎてなかなか勝てないチームで、野手よりも関根さんの方がよく打っていたという有様だったとのこと。そんなチーム事情だったから、野手に転向、類まれなる打撃センスで近鉄の主軸打者になったという異色の選手で、その後広島などでコーチ、ヤクルト、横浜大洋では監督も務められました。
 ちなみに、「インドロ」とは、左投手が右打者のインコースへ投げ込むドロップ(今で言う縦に割れる大きなカーブ)のことです。

 すみません、私自身古い時代のプロ野球のことが好きなので、どんどん話がそれそうなので、この続きはまた機会があればしたいと思います。

 さて、戦後すぐの子どもたちは、かるたやカードゲームでどのような遊びをしていたのか興味のあるところです。母親の話では、男の子はこのようなカードやメンコを集めていたということだったので、私が子どもの頃とあまり変わらないのかなって話していたのを思い出します。好きな選手のカードは、メンコでの対戦でも絶対出さないとか、交換もしないとかね。
 あと、この時の展示にはなかったのですが、プロ野球選手が描かれたぬりえもあったと母親から聞いたのを思い出しました。これまで紹介したカード類は全て写真ではなく、似顔絵になっていましたが、同じようにぬりえもあったんでしょうね。ただ、プロ野球の球団が身近にあって見に行くことができる地域ならユニフォームの色とかはわかるでしょうけど、母親のように和歌山の山奥に住んでいた人達はどのように塗っていたんだろう? そういったところも興味のあるところです。

 こどもの日に寄せて、写真は少し前のものですが、紹介させていただきました。






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最終更新日  2017年05月05日 00時54分00秒
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