つくね の 日記
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皆様、こんにちは。今日は「つくねが絵本について熱く語る」の「第一回」です。かなりウザく長文になっているので軽くスルーして結構です(爆)・・・・・・・おおきな木私はこの絵本があまり好きではない。数年前に本屋さんに置いてあったのを見て即買いした絵本だった。 レビューを見るとこの本がどんな本なのかわかるはず。感動、感動、と、絶賛の嵐。有名な絵本なので内容も知っている人も多いはず。ざっくり言うと小さい頃から一緒に遊んでいた少年と木。木は少年が大好きだった。少年も木と一緒に遊んでいると楽しかった。木は少年に自分のできるすべての事をしてあげる。無償で。少年が喜んでくれる。少年のうれしい顔を見る事が木にとって幸せな事だった。少年は大人になって 欲しがるものがどんどん変化していく。それでも木は少年の喜ぶ顔が見たくて身を削ってでも少年に与え続ける。無償の愛。母性。何の見返りも求めない愛。その素晴らしさ。それを感じて「感動した」 と 言う人はこの本に涙するのだろうか。。。。?ワタシニハ ソレガワカラナイ。私には子供がいないからだろうか?私の母性が足りないからだろうか。。。?私が私利私欲に満ちているからだろうか。。?私がこの絵本を読んでの正直な感想は「この少年にイラっとする」だった(爆)自分が欲しいものを与えてもらう。少年がしている事は与えてもらう行為ではなく木から奪う行為ではないか?くれることをわかっていて欲しい時にやってくる。なんて心のない少年なんだ??しかも少年は欲しいものがある時にしか訪れない。与えることが無償の愛なのか?しっかも 最後には年老いて何もいらない、と言った。欲しいものがなくなった、と。ブツブツ、、、←言い出したらきりがない(笑)あぁ、、、自分の心は曇っているのだわ。。。シクシク数年して先入観を捨てて読んでみた。「この木が少年が与えているのは 惜しみない愛情で。 でも 少年が木に与えているのは一瞬の幸せ。 それでもいいと思える木は健気なんだなぁ。。。」と、思えるようになった。←心も体も時間が経って大きくなったらしい少しやさしい気持ちで読めたかなぁ。。。。?でも何度読んでも 少年に対しての感情はかわらない。それでもいい。そう思うのが無償の愛なら私はそんな愛なんか持ち合わせてないし。私は 好きな人の喜ぶ顔が好き。自分にできることはしたいと思っているし。でも一方的な感情はイヤなの。なにかたくさんあげたらほんのちょっとだけ相手にも望む。その「ほんのちょっと」が 私の大きな幸せになるから。モノを返せという訳ではなくて、、、。時々思い出してくれるだけでいい。元気にしてるかな?って思ってくれるだけでいい。そんな ちょっとの思いをくれたら私は 幸せって思える。少年は木を事を少しでも考えていてくれたのだろうか。。。?文章からではそれが感じ取ることができなくて。だから少年に対して イラっとするのだ。あ、ここまで前振りだったのですが、、、(笑)その本が最近再販される事を知った。村上春樹の翻訳で。持っているのに購入したのは原作はとってもシンプルなもので。だからこそ翻訳する人の言葉のチョイスで同じ絵本でも受け取り方が違うだろうな。そう思ったからだ。ここから先はこの本を読んだことがない人じゃないとチンプンカンプンなんだろうけど。読んでテンションが上がったのでガンガン書きます( ̄^ ̄)b※これから買う とか これか読む と 言う人は この先は読まない方がいいかも。。 私の視点から話をしているので 先入観があると素直に読めないと思うので。。。。※私がこの絵本の軸と思っている部分。ここを読み手がどう受け取るか、だと思うのです。そこが決定的に違っていた。与え続けた木が少年の姿を見送る。そして思う。木はそれでうれしかった。。。だけどそれはほんとかな。これは「ほんだきいちろう」翻訳の文。これを読んで私は「んな訳ないじゃんーー(*`Д´)ノ」って思ってた訳で(笑)でも 否定も肯定もしないやさしい文章だと思います。だから「ほんとはどうだったんだろう」と色々考えてしまうというか。それでも木は幸せだったのよ、と、思う人もいただろうし私みたいに思った人も(世の中数人ぐらいは)いただろうし。原作文はこうなのです。And tree was happy・・・ but not reallyそのまーんま直訳すると「そして木は幸せでした・・・ でも本当は違った。」「but not really」 否定だ。それを知った時に少し心が軽くなった。「幸せと思ったのは本当なんだろうけど、でも、それ以上に寂しかったんだろうな。」と、私なりに納得できたから。そして お待ちかね村上春樹の翻訳。そして木はしあわせに、、、、 なんてなれませんよね。おぉーーー!!さすが村上春樹ーーー!!(≧∇≦)ズバっと否定してるーー!!!(≧∇≦)しかも 幸せじゃない、とかそれは違ってたとかそんな言葉ではなく「幸せに、、、なんてなれませんよね。」だ(笑)だから おおきな木(ほんだきいちろう訳)とおおきな木(村上春樹訳)は同じ絵本であって全然別物だと私は感じました。どちらもそれぞれ読んで素晴らしい!と、感動する人も多いのですが前作に感動して今回の訳で読んで違和感を感じる人もいると思います。私はたまたま読み比べる事ができたしその部分にモヤモヤした違和感を覚えていたので村上春樹訳を読んだ時はかなりスッキリしたのですが。でもそこまでズバっと感情表現されちゃうと翻訳者の考える方向に読み手の思考を誘導してるかのようにさえ感じちゃって「それでも幸せだ、って思う人もいるかもしれないじゃん( ̄。 ̄)」とひねくれものの私は思ってしまうのです。←おい直訳の「でも本当は違った」を、否定も肯定もしない文章で問題提起をするように「だけどそれはほんとかな。」と訳したものを村上春樹はあえて「幸せになんてなれませんよね。」とした。そんな村上春樹が私は好きだ。ちなみに、、村上春樹の本は読んだことがないが。←ゴメンナサイ無償の愛ではないけど自己犠牲なら私は宮沢賢治の「竜のはなし」が好き竜のはなし価格:1,680円(税込、送料別)私が根暗だからだろうか、、、?
2010/09/20
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