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長女ミッキーの遅刻回数がついに40回を超えまして…最初の10回で担任から保護者に注意のお電話、30回目で生徒指導の先生から本人に注意、反省文を書かされ…40回を超えると校長室に保護者共々呼び出しを!!!Oh! my god!! (>__
2005年11月28日
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先日、楽天でお友達になった梓さんから30000HIT記念の福袋が届きました♪梓さんのHPはayuさんのHPを通して遊びに行かせてもらい、我が子ズッキーと同じく少年野球をしている息子さんがいらっしゃることや、彼女の日記には共感をおぼえることが多く、はじめは携帯からお邪魔していたのですが思い切ってご挨拶に伺い、仲良くさせてもらってすぐに30001を踏ませてもらい、あつかましくもめでたく(笑)福袋を頂戴することが出来たのです。でも、その後数日で彼女はHPを閉じざるを得ない状況になってしまわれとても残念です。今はアドレスを教えてもらってお話が出来るようになりました。私達の少女の頃は雑誌の「ペンフレンド募集欄」で文通相手を見つけたりしたものですが今は便利になりましたね。彼女のように嫌な思いをしてHPをやめざるを得なかった方も多くおられるでしょう…私は幸い今のところそんな思いをさせられたことはなく、素敵な「出会い」に感謝の日々を送っています。ありがとう。・・・お~~~っと!!!私のHPもめでたく30000HITを迎えましたが、残念ながらゲストさんだったようで、もし、お友達だったら何か…と思いつつも気ぜわしい日々を送っておりましたのでちょっとホッとしたりして…(^^ゞこの次はどのあたりでイベントをいたしましょうかね~(*^_^*)どうぞ、お楽しみに…な~んちゃって。
2005年11月26日
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昨日、今日と仕事はお休み。長いこと専業主婦してきてのんびり、だら~っとした性格だから、勤め出してから半年を過ぎ、加えてPTAやらいろいろあって、疲れもピークに達してきたのかなぁ…夜、夕飯が済んでからは片付けも面倒…取り込んだ洗濯物を片付けるのもおっくう…お風呂に入るのですらおっくうな日もあります。な~んにもしたくない…昨日は久々に日中に外出することもなくぼ~~~~っとしてました。夕方、中学校へ次女と三者懇談に行ったり、歯医者さんに出かけたりバタバタしたけど、家に帰ると動けません…で、今日はズッキーの野球の試合。朝の集合は早いし、お弁当作るのもおっくう…市外に出て行くから付いて行かずに家にいてもよかったんだけど、やっぱり気になるので応援に行きました(*^_^*)気合い入れて早起きして夫とズッキーと3人分のお弁当作って洗濯物も干して…出発!!6年生の卒団を記念して他市のチームと試合をするのですが、場所は河川敷の野球場。去年訪れたときはめちゃめちゃ寒くて、昼食時にインスタントの味噌汁を作ろうにもポットから出たお湯はたちまち冷めてしまう有様でした。そのことを思い出してかなり厚着で出かけたのですが、今日はなんて穏やかなの~~(●^o^●)暖かくてポカポカ。ランニングした選手達はあっという間に汗をかいてしまい、アンダーシャツを着替えていました。試合結果は…残念ながら1回戦で敗退…(T_T)ものすごくいいプレー続出で気持ちよく勝てるときもあれば何で?っていうくらいのミスが続いて相手に点を入れられ、打撃に回れば、打ち上げてばかりでフライを取られ全く塁に出られない…やっと出ても牽制球でアウト!…今日は後者の方でした。お天気とは逆の結果…寂しかった…普段控え選手のズッキーが先発メンバーに入れてもらえたので、良しとするかなぁ…ホームグランドの小学校の中庭に戻り、お弁当を食べた後、午後から練習予定の別のグランドに練習に行くまで少し時間があったので、選手達は遊んでいましたが、相撲を取ったりして(…何で相撲やねん!?…)楽しそうでした。通っている小学校はそれぞれ違うのですがみんな仲良しです。見ていて微笑ましいくらい…試合のことを忘れるくらい、私たちの気持ちも穏やかにポカポカしてきました。ちょっと肉体的にも精神的にも煮詰まっているこの頃…子ども達の笑顔って薬になるんだね。ありがとう。母は少し元気になりました。また、明日からがんばるわ(*^。^*)
2005年11月23日
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引き続き、昨夜のこと…焼肉屋での「お疲れ様会」は終了し、親達の一部は二次会へと移動しました。いつもさっさと帰ってしまう私ですが、今日は少し残ろうかな…と残留組に。夫は翌日仕事もあるし、この仲間と飲み出すと遅くなるのはわかっているので、ズッキーがまだ宿題をやっていないから見張っておく…を理由に先に帰りました。二次会に行ったお店で少ししゃべって、閉店になるので11時前には解散しました。携帯にミッキーから着信があり、「お母さん宛に電話があったけど、 夜遅くなってもいいのなら、もう一度かけるって」いつものごとく、人の名前を聞いてはすぐ忘れる娘。「か…何とかの、え~と…忘れた」男の人だったというので、もしかしたら先日亡くなった友人関係?勤めていた頃の仲間かなぁ…そう思いながら帰宅しました。そこへかかってきた電話の主はやはり昔の勤め先で一緒だった仲間のBさんでした。彼は先日亡くなった友人の入社と入れ替わりに会社を辞めていった人です。私より少し年上で、兄のように接してくれ、仕事が休みの日も一緒に遊んでもらったりしていました。…友達としてね…(*^_^*)この人も彼女がいたからね~(~_~;)なんせ、こういうお兄ちゃんみたいな仲間ばかりでまったく恋愛関係抜きの友達が当時は多くて…(笑)わいわい遊んでるのが楽しくて婚期が遅れてしまいました。脱線してしまいましたが…Bさんは会社を辞めた後、学生時代からの友人Cさんとワンルームマンションの一室を借り、便利屋を始めました。中村雅俊主演の「俺たちの旅」に影響された夢を持った青年たちでした。別の友人Dさんもその部屋で当時誕生したばかりのパソコンのソフトを開発する仕事を始めました。私は便利屋のお手伝いに借り出されたり、事務所の留守番に行ったりしました。Bさんの友人の中にはEさんという書道の先生もいて、個人的に書道を教えてもらったりと、その友達の輪の中に入れてもらい、可愛がってもらったのです。Dさんはパソコンの普及で仕事は急成長を遂げ、後に代表取締役社長という肩書きを持つまでになりました。ソフトの開発専門のDさんを補佐するためBさんは営業マンとして会社に残り、Cさんは東京へ新天地を求めて…(今はテレビ局にお勤めのようです)便利屋は解散し、それぞれ別の方向へと別れていきました。そのDさんが先月心筋梗塞で急に亡くなったのだそうです。Dさんの印象はおとなしく、いつもPCに向かっている人で、楽しく場を盛り上げるBさんやCさんとは違いました。彼等には私とDさんをくっつけようというもくろみがあったようですが残念ながら…(^_^;)結婚して大阪を離れ…Bさんや書道の師匠Eさんとはずっと年賀状のやり取りをしていましたが、Dさんとは交流もなく、記憶から離れてしまっていましたが、「亡くなった」と聞いて少しずつ昔を思い出していきました。Dさんは少し年上でしたが、先週亡くなった友人といい、このくらいの年齢って、だんだんと身体も心も疲れが消化しきれなくなってきているのでしょうか?立て続けに昔の知り合いを亡くし、寂しい気持ちでいっぱいです。「あいつが亡くなったから…でもないけど、 何か若い頃の仲間と会いたくなってなぁ…」今は大阪を離れて住むBさんが今週末に大阪に来るそうで、誘ってくれたのですが、週末は外せない用事があり残念でした。「お互い、自分の身体を大切にしないとアカンね」毎年家族の写真入の年賀状交換をする私たち。少年っぽい顔の青年はいまやおでこの広いおっちゃんに、ぽっちゃり顔の娘はぼってりおばちゃんに…でも電話の声はやはり昔のままのBさんでした。あぁ…年いってしもうたなぁ…しみじみ思うわ…こうやって年老いていくんだなぁ…「同窓会するたびにな、生きてる同級生が減っていくんや」父の言葉が自分にもだんだんのしかかってきたような寂しい気分になるのでした。Dさん、ご冥福をお祈りします。昔の仲間たちやあなたが1から起こした会社の発展を今後も見守ってあげてくださいね。
2005年11月14日
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毎週末は野球三昧のズッキー君。たいていは土曜日は練習だけで、日曜日に試合があるのだけど、最近週末はお天気が悪く中止になることが多く、秋の大会も押せ押せで昨日は土曜日だというのに試合がありました。朝から隣の市で試合があったのですがそれは休ませていただき法事にはちゃんと出席させ、終わると同時にユニホームに着替えて墓参り、その足で午後から行われる市主催の公式戦に参加。準決勝戦…残念ながら敗退。3位となりました。そして、今日は少年野球連盟主催の決勝戦。すでにリーグ優勝は飾っていたのですが、最後のトーナメント決勝戦。これに勝てば春秋連覇!しかし、相手もまた2年連続秋の大会優勝を目指す強豪チーム。私は残念ながら仕事で応援に行けず…仕事中携帯をずっと見つめていましたがなかなかメールが入らずイライラ…やっと入った知らせは残念…(T_T)でした。優勝すればプロ野球のようなビールかけならぬ、サイダーかけをしようと楽しみにしていたのですが…そして、焼肉屋さんで祝勝会を!という予定も…負けたら何も行わず、サイダーは持ち帰ることになっていましたが、保護者の皆さんがせっかくリーグ戦では優勝したのだから子ども達も楽しみにしていたサイダーかけも祝勝会もやってあげよう!と監督に申し出てくれたそうです。予定通り、サイダーかけは河川敷で行われたようです。ちゃんと着替えを持たせてあったので、ユニホームは濡れても大丈夫(*^_^*)それも、背番号のついた上着は脱がせてから…一旦、選手達は帰宅して濡れずに済んだ上着と、練習用のズボンに履き替えて午後からは他チームと練習試合を監督はぬかりなく…というか、容赦なく用意してくれていたようです。負けちゃったのなら焼肉はなし…今晩は家でご飯作らないとなぁ…そう思いながら仕事をしていたところにこんな知らせが入ってきてうれしかったです(●^o^●)姉2人には近所のレストランで持ち帰りお弁当を頼み、夫とズッキーと3人で焼肉屋さんに向かい、みんなで「お疲れ様会」をしました。みんなで楽しくいただくビールはおいしいね♪お肉もビールもたくさんいただきました。ズッキーたちもドリンクバー付きだったので、好きなジュースやフローズン、ソフトクリームに焼肉をどんどんおかわりしていました。卒団まであとわずか。中学校に上がったらどうするのか…ズッキーは他のスポーツもやってみたいようですが、入学予定の中学校には男子が楽しんで出来るクラブは少なそう…少し学校内も荒れているし…いろいろやってみて、やっぱり野球がやりたいのなら今のチームの中等部に入らせてやりたいと母は思っています。そのことに関してはいろいろあるのですが、まずはズッキー本人の意思を尊重してやりたいなぁ…残りわずかの学童部での野球。まったくキャッチボールも出来なかったのに、身体が小さくてパワーがないから打撃はいまひとつ…だけど、すばしっこく動き回る君は格好いいよ!母たちを楽しませてくれてありがとうね♪
2005年11月13日
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今日は義父の13回忌の法要でした。趣味も持たず、友人も、話し相手もなく、1日中テレビの守りをして、糖尿の気があるにもかかわらず食事療法をするわけでもなく、病院に行くことも怠り体調が崩れても自力で病院に行くのも困難になるまで放っておいたがために、やっと行った近所の内科では「こんなになるまで放っておいて! うちでは面倒見切れない!」と、総合病院に入院を余儀なくされました。結局、その数週間後の娘の結婚式にすら出席できませんでした。入院中は他の患者さんと仲良くなり、見舞いに行ったときには楽しそうに談話している様子が見られました。家に居るより楽しかったのでしょうね。少し体力も回復したので一旦、退院したのですが、畳に布団の生活は起き上がるのが大変。昼間、義母はほとんど家にいませんでしたし、トイレに行くのも難しい状態になり病状も思わしくなく再度入院をし、検査の結果大腸がんが見つかり手術を行いましたが糖尿病からの合併症を引き起こしたのでしょう…呼吸が止まり、一旦蘇生はしましたが3週間ほど意識不明のまま帰らぬ人となりました。その年に生まれたズッキーが12歳になりました。早いものです。義妹夫婦と姪達、夫の叔父(義母の弟)・叔母を招いて、内輪で行いました。お寺さんがお参りに来られ、全員勢ぞろいしたものの、姪たちを嫌う我が家の娘たちは正座もせずにどかっと座ります(恥ずかしい…)片や、姪たちはお行儀良く座っています。小さい女の子が3人お行儀良く座るとそれはかわいらしく見えますから義母はもちろん、叔父・叔母も目を細めて彼女等を見ます。それに反抗するかのようなウチの娘たちのふてくされたような態度…後で娘たちが「どこまでひいき目であの子等を見るねん!」と、怒っていました。普段正座に慣れていない娘たちにきちんと行儀作法を教えていない私も反省ですがでも、根本的には普段からかわいがってくれるおばあちゃんの言いつけなら素直に聞いて、姿勢を正すものじゃないでしょうか…数年前からの娘たちの怒りのことを思うと胸も胃もキリキリと痛みます。救われたのは墓参りの際に「大きくなったねぇ!身長はどのくらいあるの?」と叔母から聞かれた娘たちがにこにこしながら穏やかに返事してくれていたこと…娘たちの義母と姪たちを恨む気持ち…根はかなり深いですが何でこういうことになったか、何にも知らない叔父たちは驚いたでしょうね。仕出屋からお膳を取って皆で会食をしましたが、しんどかったです…子ども同士お互いに話をするわけでなく、お腹がいっぱいになったらミッキーたちはすっと別室に引き上げていくし…その態度が義母は気に入らない様子でもありましたが…食事後、夫と叔母と私とで娘たちが今は難しい年頃で父親位の年齢の男性のことを嫌がる頃だから夫に「娘の身体に触れたり、かまったりするのはやめて」…そう言ってるが、なかなか…などと話をしていたのですが、義母が急に話に入ってきて「○子さんもお父さんとうまくいってなかったんでしょ?」私に言うので「はぁ?」と返すと、私が父のことを会話の中で「あの人」と呼んだらしく、私が父のことをよく思わないのだと感じたと言う。たったそれだけで?はぁ~?!!親子で会話していても大人になったら親に対して「あんた」と言うことがあるような感覚で私は「あの人」と言ったのだと思う。実際、あなたの娘もついさっき、1日中何かを食べているあなたのことを見て「『この人』と一緒にいたら気分悪くなるんよ。 ず~っと何か食べてるから」そう言ってたんだよ。相手のことを勝手に推測するのはかまわないが、堂々と本人の前で言うか?「私は親に対して反抗期はあったけど、 たてついたことはありませんよ!」あなたの娘さんのように親に大声で「歯が痛いのにこんなご飯食べられへん!」…なんて文句を言ったこともありません!…これは声に出さなかったけど…(;一_一)いきなり心外な、失礼な言い方をされてはらわたは煮えくり返った。父のことを思春期には「男」として見てしまってどう接したらよいかわからなくなったり、今で言う「キモイ」みたいな感覚の頃もあったが、それは一時的なものだった。私の小学校入学時に両親は新しい学習机を買ってはくれず、父のお下がりの木製の古い机をくれた。だが、手先の器用な父は教科書ぴったりサイズの本箱を作り、机の上に置いてくれた。小物を入れる引き出しもついたオリジナル品だ。高学年、中学生となるにつれ、教科書のサイズが大きくなるとそれにあった本箱を作ってくれる。台所では父の作った棚が威力を発揮した。狭い社宅の簡単な流し台しかないその横に高さぴったりの棚だった。母は上には炊飯器や調味料類をのせ、細々した道具を中に納めていた。それは今でも我が家のベランダでハンガーなどを入れる物置として活躍している。そんな器用な父を尊敬こそすれ、憎んだことはない。だから母が病魔に侵されたときも父を助けて弟とともに家族一致団結して看病し、最期まで看取った。病気の発見が遅れたことに対して父に対して恨みを持つこともなかった。母が亡くなった後、ひとりで旅行は寂しいと言う父と独身最後の親孝行にと、父と2人で日帰りだったが当時開通したばかりの瀬戸大橋を渡るバスツアーに参加したこともある。ここ数年、父の前立腺の手術や白内障の手術には仕事で来られない弟夫婦に代わり、私が立ち会い、付き添いもしている。何も知らないで、勝手によその家庭のことに踏み込まないで!先日、友人の死因のことを聞かれ事情を説明すると、「お兄ちゃん(夫)のこと、気ぃつけたげてや!」とここまでは親として言うのはわかる。が、その後続けて出た言葉が「私はな、お兄ちゃんを産んだ人も そんな病気やったと思うねん。 おじいさんは言わはれへんだけどな。 たぶん、そうやで。 そやから、そういう気がないとも限らへん」夫にもそういう血が流れている…とでも言いたいのか?そして、夜中にリビングの部屋に電気がついているからこっそりのぞくと夫がテレビを見たりしていることに「あんな遅い時間までテレビなんか見て おかしくなるで! 人間はな、早寝早起きせなアカンねん」そうのたまった。勝手に夫の産みの母の病気を詮索し、いくら自分が夜早く寝て、朝早く起きて健康を保っているからと言って、夫の仕事が夜遅くまで長引きやっと帰ってきたところで子どもみたいにすぐに寝られるわけがない。お酒を飲んで、テレビを見て、リラックスしてから眠りにつく…それをあれこれと全部自分の傾倒する会の教えに当てはめて人の生活に口出しをする…やっぱりこの人とはまともに口を聞きたくないと思った。いつも人を見下したようなものの言い方をする…嫌な思いだけが残ったわ…義父には申し訳ないけど…
2005年11月12日
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友人の死にショックを受けて脱力感でぼ~っとするものの、悲しいかな、現実は誰よりも早く起きて朝の支度をしなければならない我が身。泣いて腫れぼったい目でまだズキンズキンと痛みが残るぼ~っとした頭で家事を済ませて、出勤。心の中は涙で土砂降りなのに、外は憎らしいほどの気持ちの良い秋晴れ。仕事を始めてふと時計に目をやり、「ああ…告別式が始まった…」と、また昨日の友人のもう二度と目を開けられることのない顔がよみがえる。思い出すのは昔の楽しかった頃のこと…カラオケでクリスタルキングの「大都会」の出だし部分の♪アア~果てしない…♪を見事に音をはずして歌い、みんなで涙が出るほど笑い転げたこと…それが聞きたいために毎回「大都会」を歌わせたりしたこと…お酒が全く飲めないのに宴会では上司たちに無理矢理飲まされて気分が悪くなりトイレにかけ込み出てこれなくなり、みんなで真っ青な顔の彼を介抱したこと。仲間のひとりの女の子が車を購入したとき、「一緒にドライブに行こう」と誘いに来てくれ、仲間4人でわいわい夜のドライブに出かけたこと…営業先から連絡が入るとき「も・もしもし?」少しどもりながら電話をかけてきたときの声…長い空白の時間が一気になくなって20年も前の事が昨日のことのようにいろいろ思い出されてきました。でも現実は無情に過ぎていきます。仕事はちゃんとしなくちゃ…と伝票のチェックをしていると、美術品の検品依頼の電話が入り、売場に出向きました。だいたい1週間~10日間のサイクルでいろいろな美術品の展示が行われており、その都度、搬出入の検品をするのですが、今日はまた新しい作品に変わっていました。ほとんどが花の絵でした。素人目には何の花かは特定出来ず、簡略された花の絵…でしたが、色合いが何とも優しく温かみがあり、見る者の心をも温かくさせる絵でした。他の売り場の方が通りすがりに立ち寄り、「いいわねぇ」と立ち止まって見ていかれます。この絵の作者は怒った事がないのだと画商の方が説明してくれました。作者の人間性が絵にも表れているのでしょうね。「きれいだなぁ!」生きているからこそ、こうやって感動することが出来るんだ…彼にはこんな温かみのある絵を見る余裕もなかったのでしょうか…見せてあげたかったなぁ…それとも、今頃はこんな感じのお花畑にいるかしら…ふと時計を見ると出棺の時刻でした。安らかに…悲しいけど、この何点かの絵に心を癒されたひとときでした。
2005年11月08日
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なぜ、こうも次から次いろいろなことが起こるのでしょう…「今日は仕事が休みだ~」そんな日も何かとあって先週もドタバタ…そして久々にひどい頭痛に襲われ寝込む暇もないので鎮痛剤で何とかしのいで週末のズッキーの小学校創立記念行事の大イベントはあちこち走り回って、それは疲れましたが事故もなく無事に終わることが出来ました。1日中立っていたせいか、昨日の仕事中から歩くのがつらくなってきて夜帰宅時には自転車もこぐのがやっと…家事はほとんど放棄して早めに就寝。今朝起きたら昨日ほどではないけどまだ腰が少し痛い…今日は仕事が休みなのでゆっくり片付けをしたらカイロの先生に診てもらおうと思っていました。1回目の洗濯物を干し終わり、テレビを見ながら少し休憩をしていたら夫から電話が入りました。ここ数日、夫に対して腹の立つことがあり、でも相変わらず鈍感なヤツ…なので今朝も無表情で「行ってらっしゃい」と送り出した約2時間後だったので「あれ?仕事は?」の問いかけに「休みよ」とそっけなく答えたのですが「実はな…」とその後夫の口から信じられない言葉が…結婚するまで私の勤めていた会社で営業マンをしていたAさんが亡くなったという知らせが入ったと…Aさんの担当先のメンテナンスを夫がしていたこともあり夫も彼を知っています。会社の形態が様変わりし、今は別会社で働いているものの基本的には同じ業種の会社で営業をして、元気にやっているものと信じていました。私とAさんとは同い年で、20代の頃の数年間を一緒に同じ会社で過ごし、営業事務をしていた私はAさんを初めとした数人の同世代の営業マンさんたちとわいわい楽しく過ごしたものです。会社帰りにご飯を食べたり、残業で夜遅くなったら送ってもらったり…でも恋愛に発展することはなく「同志」の感覚でした。すでに彼女がいることも知っていましたから安心してつきあえる男友達でした。結婚してからも毎年年賀状のやり取りをし、向こうからはひとり娘さんのポストカードを送ってくれました。今年の年賀状は写真入ではありませんでしたが「お互い環境は変わったけどがんばりましょう!」夫に対してのコメントが自筆で書かれていました。背が高くて飄々としていて一緒に居ると癒される…そんな人でしたから、今回の事は信じられませんでした。葬儀場の案内地図が書かれた書面をFAXで送ってもらうと、そこには確かにAさんの名前が…夢を見ているようでぼ~っとしつつも通夜にお参りさせてもらわなくては…と土曜に創立記念行事で登校した分の振替休日で家にいたズッキーに事情を話し、子ども達の夕飯の支度を早めにして夫の式服を用意して出かけました。通夜が始まっても祭壇に掲げられたAさんの遺影を見てもまだ信じられなくて読経の間も誰の通夜なのか自分でもわからなくなっていました。やがて遺族の焼香が始まりお互いに支え合いながらフラフラと席を立ち上がられる奥さんと娘さんの姿を見て我に返りました。年賀状で見たことのある娘さん…写真を送ってもらったの小学生の頃まででしたがAさんによく似た顔立ちで今はもう中学生になっていました。去年、長女のクラスメートのお父さんが亡くなり、役員として奥さんの知り合いとして通夜に参列をしましたが亡くなったご本人には面識がなく、ただ残されたご家族の姿に胸を痛めたのですが今夜はそれ以上でした。亡くなったのは青春をともに過ごした仲間…そして今は同じように子どもを持つ親…悲しいです。焼香の番がきて遺影の前に立つと涙が止まりませんでした。「あほ!」思わずつぶやきました。なぜ家族を残して自らの命を絶ってしまったのか…参列していた中に懐かしい顔を何人も見つけました。17年ぶりです。でもお互いに「こんな形で再会しとうなかったなぁ…」当時から皆に慕われていた彼のためにたくさんの友人達がかけつけてきました。仏様の顔も見せていただきましたが皆が「あほ!こんなに早うに逝ったらアカンがな!」そう叫んで男泣きしていました。その顔は安らかで、今にも「よう寝た~~」と起き上がりそうでした。「寝られへんねん…」悩みを打ち明けられた友人は以前自分の家族がそうだったことから心療内科へ行くことを勧めたそうです。「話を聞いてもらって 軽い眠剤をもらってゆっくり休んだらいい」と。数日後、「病院に行ってきた。薬ももらってきた」と連絡をもらっていたそうです。別の人も亡くなる2・3日前に仕事のことで話をしたがいつもと変わりがなく、「何でや…?」と頭を抱えるばかり…当日…その行為が行われる少し前だったのでしょう…電話で話したという友人もいました。皆が大きなショックを受けていました。帰り際、そのうちのひとりが「つんつん、こんなことでなくて 楽しいことで今度は会おうな!」と声をかけてくれました。ホンマやね。お互いみんな年とったね!って笑いながら会って昔話に花を咲かせたいね。歌うために生きたい!とつらい闘病を続けたにもかかわらず夢破れて病魔に命を奪われてしまった歌姫。仕事上のストレスを放火することで発散させて逮捕された記者。今朝テレビを見て考えさせらたところへ飛び込んできた友人の訃報。頭の中がぐるぐる回っています。悩みを自分ひとりで抱え込んで最悪の道を選んでしまった彼。先日来の異様な頭痛は虫の知らせだったのかなぁ…そして、昨日も明日も仕事。たまたま今日だけが休日だった…だからこそ通夜の席だけでも参列することが出来た。最期のお別れに行けたんやね…しんどかったやろうね…お疲れ様。ゆっくり眠りや…そして残された家族のことを見守ってあげてや。合掌。
2005年11月07日
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今日も仕事は休み。午前中ちょっと出かけることがあり、バスマット、トイレマットなどを洗濯機に入れて回し、帰ってきてから干すつもりで出かけました。用事が済んで戻ってきたらそれらのマットがベランダに干されていました。私の留守中にあの人が洗濯機を使ったのでしょう。洗濯機のふたを開けたら洗い上がった洗濯物が中に入っていた…先日のように小さな下着と靴下ではなくさすがに4枚ものマットが洗濯機の中に入っていたので今日はベランダに干してくれたようですな。それとも昨日の日記読んでたのかしら?(^_^;)…んなわけないよね(爆).。o○ .。o○ .。o○ .。o○ .。o○1時に学校で委員仲間のKさんと打ち合わせの予定があったので昼食をささっと済ませて出かける用意をしていると、彼女から「まだ別の場所にいるの」と連絡をもらいました。打ち合わせは学校でなくても出来るので、彼女のいるファーストフード店に出向きました。彼女の息子さんもズッキーの野球仲間。今、チームの今後ことでいろいろあって、他のお母さん方から相談を持ちかけられた彼女は昨日は週末に行われる学校行事の打ち合わせ予定の場で私にもその話を聞いてほしいということで一緒に話を聞いたのですが、何なの?それは!という驚きの内容で結局打ち合わせどころではなく終わってしまい、今日に持ち越したのですが、彼女は相談を持ちかけてきたお母さん方と午前中再度その話を詰めていたもののなかなか進まず、私もまたそこに加わってきたのですが今日もまた野球の話で終わってしまいました。気がつくと外は薄暗くなっていたので解散して帰ってきたのですが、洗濯物が…ベランダでヒラヒラ~…となびいているではないか!!(;一_一)…おいおい…昨日頼んだばかりだろうが…姉ちゃん達は昼寝(夕寝だな…)。ズッキーはテレビを見ていました。「ズッキー君、もう洗濯物に背が届くよね~♪」猫なで声で声をかけると、「あ!」と立ち上がり取り込んでくれましたが、ちょっと取り込んだらもう「疲れた~…」と途中でやめようとする。まだ数枚の洗濯物が残っているのに!軟弱者!怒りたい気持ちを抑えて「あともうちょっとやん、お願い!」と何とか全部取り込んでもらい、「わぁ!助かったわ♪」とおだてておきました。あのくらいで「疲れる」って、母はそれだけで終わらないんだぞ!君が「腹減った~!」って言うからご飯の用意が出来る間に大好きなフライドポテトを揚げてあげたでしょ?母は君の今後のことを考えてさっきまでいろいろ話をしていて、肩がすっかりこってしまって久々に吐き気がしそうな頭痛に襲われているんだけど…な~んて言わなかったけどね(^^ゞ明日はまた試合だ。出させてもらえたならしっかりプレーしろ!控えであっても君のよく通る声でしっかり応援をしなさい。ランナーコーチするなら皆を誘導してホームインさせなさい。母は仕事で見に行けないけど職場で勝利を祈ってるよ!
2005年11月02日
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日に日に寒くなり、日が暮れるのも早くなってきました。午後5時にはもう暗くなってます。仕事が終わって大急ぎで買い物もせずに帰ったとしても5時半の帰宅。夕飯の買い物をして帰ってきたら6時を回っています。もう真っ暗です。勤めに出るようになって何が悲しいって…自宅前まで帰ってきて外から我が家を見上げると暗闇の中、洗濯物がベランダでヒラヒラ~~っとはためいているのを見たときです…はぁ~~~~ため息が出ます。疲れが倍になって背中にのしかかってきます。短期のバイトをしていた去年までは「バイトの間だけの我慢だ…」と思っていましたが、パートで働くようになった今はもうそういうわけにはいきません。そ・し・て、ますます腹が立ってきます。あの人に…階下に住むあの人は自分に関係ないものには全くタッチしません。一昨日、朝早くにズッキーとともに大慌てで野球の試合に出て行かねばならず、洗い終わった洗濯物をとりあえず洗濯機からかごに移すだけで、「昼には帰ってくるから 干すのは後回しだ~!」と出て行ったのだけど、昼に帰宅してみると、食卓の椅子に娘の下着と靴下の片方がポンと置かれていたのです。なんじゃ?これ…「ああ、婆ちゃんが置いていった」夫が言いました。つまり、私の留守中自分の分の洗濯をしたら洗濯機の中にこれらが残っていた…と、あの人が置いていったらしい。自分の分だけを階下に持って行き、自分の部屋の前に干す。たった2個ぐらいさっと干せるだろうが!(怒)それを黙認する夫にも腹が立ちますがああいう性格の人に育てられたのだから仕方がありませんね…同じ屋根の下に住んでいる身内という名の他人…そんな人が気を利かせて洗濯物を取り込んでくれるはずがありません。以前、昼間に急に雨が降ってきてたまたま学校から早く帰ってきたミッキーが帰宅途中で雨に遭い、頭からずぶ濡れになっているにもかかわらず、タオルの1枚でも渡してやるわけでもなく、「早う洗濯物取り入れなアカンやろ!」そう、のたまって、孫を玄関に出迎えた人です。自分のバスタオルをいつもは自分で洗うくせに洗うのが面倒な時は、ポイと私達の脱衣カゴに放り込み、こっちが黙って洗ってさしあげて、ベランダに干してさしあげたのに、私の帰りが遅く、外が暗くなって誰も取り込んでくれずヒラヒラ~とはためいている洗濯物の中から自分のバスタオルだけを取り込んで他のものには一切触らず、じゃ~ね~♪と階下に下りていった人です。よって、毎日外はもう真っ暗なのに洗濯物がヒラヒラ~なのです。まだ夏の間はよかった…でも、この頃はせっかく乾いても夜の冷気で洗濯物が冷たく、しかもしっとりと湿気てたりする…「誰か取り込んでよ!」そう言う母に対して「え~…だって私も今帰ってきたばっかりやし!」「疲れてるんやから!」女の子である娘達の冷たい返事。おいおい!じゃあ、母は疲れてないというのか?!(怒)そしてこの冷たい娘達から発せられる言葉は「学校から一番に帰ってくる ズッキーにやってもらったらええやんか!」デカイ姉達の矛先はチビのズッキーに向けられる…怖い姉ちゃんらや~…ズッキーが女嫌いになったら…って、すでに女嫌いになってしまっている(~_~;)…どないしてくれるんや~?!!(内心、ひとり息子を溺愛する母はうれしかったりするのだが)ズッキーがボソッと「俺、届かへんねんって…」物干し竿は結構高めなので、身長135センチのズッキーには少し無理がある。だから私も強くは頼めなかったのだがふと、思いついた。物干しの高さを変えればいいんだ!高めに設定すれば洗濯物全体が太陽に当たるからよく乾く…そういう理由で高めにしていたがちょっと低めでも乾いたものを日のあるうちに取り込んだ方が懸命だ。今朝、洗濯物を干す前にゴソゴソと高さを調整した。3段階でかなり高め、普通、低めと高さが調整できる。低めにしても頭を打たないよう気をつければ大丈夫だ。これだったらズッキーの身長でも洗濯物を取り込むことが出来る。そして洗濯物を干していったら、干すのもラクだった。な~んだ…去年、こうしておけば腕を骨折した時も洗濯物を干すのにあんなに苦労せずに済んだんだ…アホやなぁ…今頃気づくなんて(*^。^*)よし!これでお手伝い頼むぞ!今日は仕事が休みだったので、私が取り込んだのだが、これまたラクに取り込めた(^○^)学校から帰ったズッキーに「これやったら届くやろ? 頼んだで♪」「…うん…」ちょっと気のない返事が返ってきた。やってくれるかしらねぇ~?それにしても情けない娘達…10年ちょっと後には母の苦労が身にしみてわかるだろう。ズッキー君、今はつらいかもしれないだろうが、こういうことに慣れておくと君は奥さんからとっても感謝されることになるんだよ♪これからは男の子だって家事が出来ないと結婚も出来ないよ!母に感謝しなさ~い(=^・・^=)(爆)
2005年11月01日
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