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「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る…」まさにあっという間に日にちが過ぎていく。特にこの数日間はグルグル目が回るように(@_@;)…さて本日は…昨年末、新聞の記事で見つけた「ナポレオンとヴェルサイユ展」を見に高校時代からの友人のFちゃんと神戸市立博物館に行ってきました。月初めに今月の私の休みを知らせると、Fちゃんは木曜日か金曜日にしか休みが取れないというので、2月に入ってから私の休みを彼女に合わせるつもりでいたんだけど、「職場の人が31日に休んでいいって言ってくれたの」だそうで、今日に行くことに決定。が、先週口の中を縫ったズッキーの2回目の消毒になかなか行くことが出来なくて今朝しか時間がない…ので、事の成り行きを知らせた上、病院に行ってから神戸に向かうことをメールすると、「大変だったね。 きついようだったら、今度にしてもいいよ。 展覧会は3月末までやってるからね」確かに休みたい…けど、「また今度…」と言ったきり「また…」は来なかったAちゃんとの再会が頭をかすめる…不吉なことばかり考えたくはないけど楽しいことで気分転換もしなきゃ!と「ちょっと遅くなるけど、がんばって行くよ!」と返事。朝から雨模様だったけど、昔から私達は雨女だったから平気♪ズッキーを病院に連れて行くと、「もう傷はきれいにくっついているから 抜糸しようね」実は昨晩1本糸が抜けちゃってたんだ…(^_^;)ドクターがピンセットでプチッと…(>_
2006年01月31日
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今日はズッキーの野球の卒団式。壁に貼る「式次第」や、「第●期 卒団式」と大きく紙に筆で書いてほしいと頼まれていたのだがここ数日のバタバタで何も出来ていなかった。昨夜、子ども達が寝静まってからテーブルの上のものを取り払って模造紙を広げ、鉛筆で下書きをして…ところが、私が夜中ひとりで起きて頑張っているのに先に寝ては申し訳ないとでも思ったのだろうか?夫がなかなか先に寝てくれない。そしてテレビに見入っている!録画しておいた「インカ帝国の何とか…」というのを見ているのだが音は大きくはないがテレビがついているということが私の集中力を散漫させる。筆で文字を書くということが出来ない夫にはそれがわからないのだろう…注意する気にもならないほど私達の間には会話がない…ただただ腹が立ってくる。鉛筆での下書きすら書く気になれず、黙って寝室に引っ込み、寝た。夫はしばらくして寝たようだが私の怒りなど知るよしもないだろう。疲れている…とにかく眠りたくて眠った。今朝5時半に起きて誰も起きていない静かな部屋で精神統一してぶっつけ本番一気に書き上げた。なかなか上手く書けたかな…そして次はお茶を沸かす。最後の最後にお茶当番だ。ズッキーを起こしてこれで袖を通すのは最後になるユニホームに着替えさせ、近所のコミュニティセンターに向かう。会場の飾り付けをし、いよいよ卒団生の入場。司会のKさんの上手な進行で私達卒団生の母親を泣かせてくれる。「ありがとう」と選手達がそれぞれのお母さんに花束を渡してくれたのには涙があふれちゃったよ。今日の涙は感激の涙。こんな涙はいくらあってもいいね!卒団式が終了した後は午後から市内でも強豪のチーム、2チームがわざわざやってきてくれて記念の試合をすることが出来た。1試合目のチームはいつも優勝か準優勝を奪うチームだ。やっぱり強かったが、我がチームも頑張ってくれた。いつも通りのところでミスをして点を取られてしまったが、それもまたよい思い出だ。2試合目のチームとは最後の最後まで接戦だった。何とか逃げ延びたが、本当に最後までハラハラさせてくれた。感情の起伏の激しい選手はヒットを打っても、何をやっても最後の方は涙涙でプレーをしていた。この学年の子達は本当に皆が仲良く、保護者同士もなかよくさせてもらった。監督も「この学年の子たちには本当によく手をあげた。 殴っても蹴っても、泣きながらでも 誰もが最後までついてきてくれた。 チーム史上最強の学年だった」と思い入れの強いことを語ってくれた。最後の最後、監督のノックを受け、ひとりひとり胴上げをしてもらってグランドに最後の礼をして終わった。これから硬式のチームに進もうとする子、中学校でどこかチームに入団して軟式を続けようとする子学校の野球部に入って頑張るという子、進路はさまざまだ。そして我がズッキーは…バスケットボールをしたいと言う。野球はもう結構だそうで…それもまた選択のひとつだろう。それぞれの夢に向かって進んでもらいたい。夜には居酒屋で親も子も大騒ぎしちゃいました~!(^o^)/アルコールはやめときました。眠たかった…(@_@;)
2006年01月29日
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昨日、葬儀に出かける前に生協の職員さんから電話が入る。「忙しい時に本当に申し訳ないが、 チラシの締め切りが印刷屋の都合で 1日早くなりまして…」Aちゃんの通夜に出かける前に確認を依頼するFAXを委員長と副の方に送っておいたのが、手直しなくOKが出ていたので、「大丈夫。今晩には渡せます。 今日は夜には帰宅してますから… もし私が帰宅していなくても お渡しできるよう、子ども達に頼んでおきます」職員さんは安心され、私も告別式を終えて自宅に到着する頃、ちょうど受け取りに来てくれたので、無事、原稿を渡すことが出来て一件落着。ふう…一夜明けて、今日はまた仕事。仕事の合間にAちゃんのことをふと思い出しため息をつきながら…幸い、仕事は順調に進み、時間通りに帰る事ができた…が、夜にはPTAの集まりがあるのだった。私が長をつとめる、小学校の地区の委員会もそろそろ終盤を迎える。学級委員とは別に、たとえば台風など何か災害が起こり、急に集団下校になった場合には各家庭に連絡を取り、子ども達を安全に送り届けたり運動会など学校の催し事があれば不審者が侵入しないかパトロールしたり…各地区に委員は配属され、主に地区の子ども達の安全を守るのが役目だ。頼りない私の長の下、皆さんのおかげで無事任務も残すところあと2ヶ月。学級委員は新学期になりクラス編成が終わってから活動が始まるが、この委員は新学期が始まると同時に活動が始まるので前年度の今頃から各地区から新委員を選出し、さらに役割分担を決めておかねばならない。我が地区もすでに新委員は選出を終え、今晩は長・副、他の役決めをするのだった。集まった新委員さんたちに各役割の仕事内容を説明して今年はすんなりと役決めが出来てホッとした。私も司会進行をしてはいるのだが前々日からの心労で朦朧となっていたので何をどう話しているのかわからなかった。後で、副委員長のKさんから「大丈夫でしたよ!よかったです」と言ってもらい、ホッと一安心。彼女には最後になってから予算の中からの買い物をする予定がこの2日間で動きが取れなくなったことからひとりで走り回ってもらうなど迷惑をかけてしまったのだが、嫌な顔せずにこなしてくれて本当に助かりました。ありがとう!こうして、またひとつ肩の荷を降ろして帰宅したら…灯油はスッカラカン!マロンのえさもない!!で、腰を下ろす間もなく車に乗り込み、大型ドラッグストアでマロンのえさや生理用品など買い込み、ガソリンスタンドで灯油を買い、帰ったら休日出勤から帰った夫がのんびり~とくつろいでいたのでした。はぁ…もう少し早く帰って来てくれたらなぁ…ずっとバタバタしてフラフラしている私に何の言葉もかけてくれず、Aちゃんの通夜から戻ったときも「どうだった?」と聞くものの目はパソコンに向かっていたのを私は見逃さなかった。所詮、彼には他人の事だ。もう少し向かい合って話を聞いてくれる態度がほしかった。そんな思いをした後だけに今日のように疲れ切って帰宅してもなお、夜の9時を過ぎて買い物に走らなければならない自分の環境を少し恨めしく思った。
2006年01月28日
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Aちゃんの死の知らせに頭の中がぐるぐる回った状態のまま駅に向かい、電車に乗る。思えば昨年の11月、同じように独身時代の勤め先の友人の通夜に出かける時もこんな感じだった。精神的にはパニックになっているはずなのに、なぜ冷静に電車に乗って出かけられるのだろう…母をはじめ、身内が亡くなった時もそれでも回りはいつも通り時が過ぎていくのだ…と感じたときのように…大津の駅を降り、タクシーに乗って葬儀会館に向かうと、琵琶湖湖畔にきれいなネオンが光り、なんとも幻想的な風景だった。「Aちゃん…きれいな所で最期を過ごすんだね…」悲しみよりもむしろ静かで穏やかな気持ちになった。ANちゃんと落ち合い、通夜が始まった。ご主人の職場の関係者、娘さんたちのお友達やお母さん方で式場はいっぱいだった。後ろの方に座ったので遺影が見えなくてよけいに実感としてわいてこなかったが、焼香のため前に進んでいくとそれはやはりAちゃんだった…私は高校生、大学生、OL時代のAちゃんに実際に会ってはいない。常に手紙でやり取りをするだけで、1回目の同窓会の時にはAちゃんが来ておらず、「行方知らず」のひとりとなっていたので幹事のNS君に私が現住所を知らせ、その翌年にはAちゃんも出席できるようになった。20年の時を経たことなど忘れてしまうほど昔と同じように話が弾んだ。子どもの頃を一緒に過ごした者同志だからこそ…だ。それ以来数回会うことはあったが大人数でいつも会うので、なかなかAちゃんとゆっくり話すことが出来なかった。2・3年前、今も当時の場所に住むANちゃんの家で3人でやっとゆっくり話す事が出来、昨年には私の住む街の駅前ショッピング街で3人で会ってランチを一緒にしようと企画していたのに…お互い年を取ったけど、これからは子育ても一段落して第2の青春時代を楽しもうね!って言っていたのに…通夜の最後、喪主であるご主人が話して下さった。「一昨年の12月に病気を宣告されましたが、 彼女は絶対に治ると信じて病魔と闘ってきました。 なるべく入院をしないで、自宅で療養をしてまいりましたが 昨年10月頃より病気の進行が早くなり、 今年に入ってから急激に… そして昨日亡くなりました」一緒に会おうと言っていた頃には彼女はすでに病魔に侵されていたのだ。電車に乗って出かけることも困難だっただろう…お義母さんの病院への付き添い…と偽って断りを入れてきたのだ。彼女が亡くなった後、手帳を読んでいるといくつかの【願望】が書き残されていたという。・2人の娘の成人式の晴れ姿を目を細めてみること・娘達が彼氏を連れてきたら、美味しいご馳走を作ってもてなすこと・娘達の子ども…つまり孫を自分の手でしっかりと抱きとめること・お父さん(ご主人)と月に1度は食事に出かけること・お父さんとゆっくり温泉に行くこと・・・その場にいた『母親』たちは皆、嗚咽の声をあげた。涙が止まらない…彼女は最後の最後まで家族を大切に思っていたのだ。娘さん達はまだ成人式前の大学1年と高校2年。これからが楽しみの時期だというのに…さぞかし無念だっただろう。入院をせず、自宅で療養したのも、少しでも娘達の側で過ごし、母としていろいろなことを教えてやりたかったのだろう。近所の方の話では亡くなる前日に救急車で運ばれてそのまま帰らぬ人となったというから最後の最後まで家族とともに過ごせたのだろう。「本当に小さな願いですが 彼女にとってはどれも叶わない夢になってしまいました。 身体はなくなってしまいますが、 魂は残り、いつも私達を見守ってくれ、 側に居てくれているはずですから ひとつずつ叶えていってやろうと思います」ご主人はそう言葉を結んだ。通夜の弔問客が帰り、遅れてNNちゃんが叔父さんの通夜を終えてかけつけてくれた。遺族の方に許しを得て仏様の顔を見せてもらった。頬がこけて痩せてしまっていたが穏やかで優しい顔だった。そして、亡くなったAちゃんのお母さんそっくりだった。「時間が経つにつれて、だんだん優しい顔になってきたんですよ」2人の娘さん達が近づいて声をかけてくれた。Aちゃんに生き写しの2人だった。「母から皆さんのことをよく聞いていたんですよ」娘さんたちはまだ若いのに母親の死をしっかりと受け止め、私達に笑顔で話しかけてくれた。Aちゃんは本当にこの子たちにたくさんの愛を注ぎ、こんなにすばらしく成長をさせたのだ。立派だよ!Aちゃん。この子たちはきっとこれからもしっかりと力強く生きていける。そう確信した。それにお姉ちゃんの方は私の母の生まれ変わりだからね!私も何かの時には助けに行くよ!Aちゃん、見守ってあげてね。翌日の告別式にも参列させてもらった。偶然にも仕事が休みだった…今日はクッキーの参観・懇談があるから…と休みを取っていたが、これまた「ごめんなさい」と言えばキャンセル出来る用事だ。これもまたAちゃんの計らいなのか?亡き母とAちゃんのお母さんが計らってくれたのか?NNちゃんは叔父さんの告別式のためANちゃんはどうしても仕事が休めず参列は出来なかったが、同窓会の幹事をつとめていたNS君、一緒にお芝居を見に行っていたKちゃんが参列してくれた。他にも花をおくってくれた同級生もいた。Aちゃんはたくさんの花に囲まれ旅立っていった。「Aちゃんは相変わらず小さかったなぁ… 昔からAちゃんとつんつんは凸凹、大小コンビやったなぁ」NS君がつぶやいた。そう、誕生日はAちゃんの方が1週間早いのに身体は私の方がかなり大きかった。コンビの片割れがいなくなり寂しいよ…最近は自分達の親の世代がどんどんこの世を去り、それは時代の流れで仕方のないことだとあきらめもつくがこうやって自分達の同世代が先に逝ってしまうのは切ないことだなぁ…帰り道、NS君、Kちゃん、そして仕事の帰りにかけつけてくれたANちゃんも合流してお茶を飲んでしばらく話をして別れた。また近いうちに皆と会うことを約束して…Aちゃんの魂もきっと参加してくれるよね。今は安らかに眠ってください。ご冥福をお祈りします。
2006年01月27日
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口の中を2針縫ったズッキー、その夜はまだ麻酔が効いていたこともあり、難なくかけそばをつるっと食べていましたが、一晩経つと打撲のせいもあって腫れが大きくなり、縫合跡も痛むようであまり朝ご飯が食べられませんでした。運良く、私の仕事も休みで登校前に病院へ消毒に行くため朝の家事を済ませようと片付けをするのですが、出勤の日よりもなぜだか家事がはかどらず気がつけばすでに9時。イライラしているところへ携帯のベルがなりました。相手は誰だかわからない…090…と知らない番号が表示されたので「間違い電話?」と思いながら「はい…」と出ると男性の声で「○○さんですか?」と私の旧姓を言ってきた。実家の父に何かあったのか?と一瞬ドキッとしたがそのあとその男性は私の幼友達の現在の姓を名乗ったのだった。彼女のご主人…?え?何?「初めまして…いつもお世話になって…」と彼女のご主人は話し始めた。え?どうしたの?「実は昨日K子が亡くなりまして…」…?…?…?彼女は私が小学4年から中学3年までを過ごした京都で仲良くしていた友達だった。旧姓の頭文字を取って「Aちゃん」と皆から呼ばれていた。現在は京都のすぐ隣、滋賀県の大津市にご主人と娘さん2人、そしてお姑さんと一緒に住んでいる。子どもの頃は近所に住んでいて、習字や英語の塾に一緒に通い、母親同士も仲良くしていた。私が神戸に転校後も手紙のやり取りをしていた。母親同士も時々連絡を取り合っていた。手紙のやり取りはその後年賀状の行き来ぐらいに減ったが、彼女が結婚したと知らせてくれたときなどは電話で祝福をしたりした。私の母が亡くなった時、Aちゃんのお母さんに知らせ、後日香典のお礼を電話でするとAちゃんは母の亡くなった日に長女を出産したと聞き、母がAちゃんの娘として生まれ変わったような気がして温かい気持ちになったことを覚えている。その後私が結婚した時にはお祝いをしてくれるなど少しずつながら交流を続けてきた。約10年前から同窓会をきっかけに、そして私も名古屋から関西に戻ってきたことで小学校時代の数人の仲良しと交流が再開した。同窓生である女優FNちゃんの芝居を一緒に見に行ったりもした。昨年の初秋、もうひとりの同級生ANちゃんと私の3人でランチに行こうということになっていたのだが直前にAちゃんから同居のお義母さんの病院通いの付き添いため都合が悪くなったとメールが来て「じゃあ、また改めて今度ね」と返事のメールを返し、ANちゃんと2人でランチに行ったのだが…何が起こったの?ご主人の言葉にどう答えていいものか…頭の中はパニックになった。一昨年の12月に病気を宣告されていたとのこと。そんなこと何も知らなかった…「皆さんと一緒にFNさんのお芝居を見に行って 本当に楽しそうでした。 その方達に連絡を取っていただけたら…と思いまして」彼女のご主人はそう言われた。何をどう話してよいのかもわからず、ただ事務的に通夜・葬儀の日と場所を聞き、電話を切った。泣いている暇はなかった。ズッキーの母である私はまず病院に我が子を連れて行かなくてはならない。診察券を受付に出し、外に出てから友人たちにメールを打った。ANちゃんは仕事に行っているのか返事が来ない。M子ちゃんからは驚きとともにご主人が入院されていて通夜・葬儀には行けないと…NNちゃんからは「うちも叔父が亡くなり、同じく今日明日が通夜・葬儀なの。 おまけに叔父には子どもがいないので いとこの中で年長の私が喪主をつとめる事になり 動けない!」パニック状態の返事が…そんな返事を確認しながらズッキーの診察を終え、学校に送り届けて帰宅。本当ならすぐにでも駆けつけたいがさらに背中にのしかかる仕事が…仕事は今日・明日と休みを取っていた。それはズッキーの中学校入学説明会に午後から出席するため…それに加えて、年2回の生協の催しの案内チラシ作りを任されていて、締め切りは2日後。数日前から取り掛かかっていたのを午前中に大急ぎで仕上げ手直しをする余裕を持たせて翌日も休みを取っていたのだが…昨夜のズッキーのアクシデントで、少し予定は狂ったが何とかなるさ…と思っていたが頭をバットでガツーン!と殴られたようなショックだ。ズッキーの中学校入学説明会も欠席して…3人目の入学で大体のことはわかっているからパスしても大丈夫だ。通夜に出かけるまでの残り時間をカウントしながら生協のチラシ作りを済ませていくが気持ちばかりが焦る…NNちゃんから連絡が入った。叔父さんの葬儀の用意のため葬儀会館に到着してみればなんと同じ会場でAちゃんの葬儀も行われるという…何という偶然!?これもAちゃんの計らいなのか?通夜の時間は1時間ずれているので、叔父さんの通夜が済み次第、Aちゃんの方に駆けつけるという。そして他に連絡の取れなかった友人達にも連絡を取ってくれるということだった。その後、仕事が終わってメールを見て驚いたANちゃんからやっと連絡が入る。「ウソやろ!?」涙声のANちゃん…一緒にランチに行けなくなったという連絡を彼女から電話でもらい、そんな病気なんて素振りもしなかったのに!と…信じられないがとにかく通夜で会おうと約束をし、電話を切った。私も何とかチラシ作りを終了することが出来て、委員会の長・副の2人に原稿を確認してもらうようFAXを送り、家族に簡単な夕食を用意して大津まで出かけていった。
2006年01月26日
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夕方仕事を終え、制服を着替えて職場の建物を出て駐輪場に行くまでの間、いつものようにマナーモードを解除するために携帯をバッグから出すと「着信あり」…相手は上司だったので「何かな?」とすぐに電話をかけると、私が帰った直後に息子の小学校から電話が入り、学校の○○という人に連絡を入れて欲しいということであった。ただ、上司が聞いてくれた○○さん…という、かけてきた人の名前に聞き覚えがなく、ちょっと気味が悪いのでまずは自宅に電話を入れた。たしか、今日ズッキーは放課後に学校のグランドで友達と野球をすると言っていた。電話には次女が出て、ズッキーはまだ帰ってこないと言う。もう5時半近くなのに…学校で怪我でもしたのか?と電話を入れると、応対に出た教頭が、「保健室の○○先生がご連絡さしあげたようです」と、代わってくれた。去年あたりから保健室の先生は若い○○先生に代わっていたのだった…最近先生の入れ替わりが激しくて名前を覚え切れない母であった(^_^;)野球をしていて、すぐ隣でトスバッティングをしていた子のボールが運悪くズッキーの口元に当たり、唇を切ってかなり出血したが、今は出血もおさまり、保健室で休んでいる…との事だった。そのまま学校に向かい、保健室に迎えに行くと唇を氷で冷やして横になっているズッキーがいた。上唇の裏側が1センチ程裂けていた。担任の先生も付き添ってくださっており、校長先生までが様子を見に来てくださっていた。先生方に礼を述べて、野球道具と自転車は学校で預かってもらい、私の自転車の後ろにズッキーを乗せて病院の救急外来に連れて行った。同時に救急車で怪我をしたご老人が運ばれてきて、長らく待たされたけど…(;一_一)ドクターは一目傷口を見て「一針縫った方が早いな。お母さん、外で待ってて」と即縫合にかかってくれた。結果、二針縫ってもらった。唇から糸が出てるよ~…(>_
2006年01月25日
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最近は年賀状の住所・氏名欄にメールアドレスを入れて送ってくれる人が多い。私もそうだが、以前はパソコンのアドレスだったのが、少し前からは携帯のアドレスを入れるようにしている。パソコンメールは毎日開いてチェックすることはなかなか出来ない。電話だと相手が忙しい時間帯だと失礼だし、それじゃあ、後で…なんて思っているうちにこんな遅い時間じゃまたまた失礼だわ…とついつい電話をかけそびれてしまう。そういう気遣いもなく自分の都合の良いときに「どうしてる?」と、近況をたずね、これまた都合の良いときに返事の出来る携帯メールは主婦にはありがたい限りだ。最近は主婦でも携帯を持つ人が多くなった。長文のメールも打てるし、家事の合間に触ることが出来る。夜、仕事帰りの夫に買い物を頼むのもメールで「お願い♪」と可愛らしくお願い出来たりする…(^_^;)さて、今年の年賀状に携帯メールアドレスを書いて送ってくれた昔の職場仲間M君にメールを送ってみた。彼は私と同い年で、去年急逝した友人A君と同時期に営業マンとして勤めており、一緒にワイワイと過ごした仲間だ。私が退職する少し前に、会社を辞めて他に転職していったが、時々皆と一緒に会ったりしていた。私が結婚してからは毎年年賀状の交換だけをしてきた。彼はA君が亡くなったことを知っているのだろうか?さすがに年賀状でたずねたりは出来なかったので、アドレスを書いて送ってくれた彼に「久しぶりだけど元気?…ところで…」とさりげなくA君のことを切り出してみた。メールとはありがたいものだ。十何年ぶりにいきなり電話をかけるのはかなり勇気が必要だが、メールだと気楽に送信できる。彼はA君の死をこれまた当時の同僚で女性営業マンだったIちゃんから連絡を受けていたのだが、てっきり進行の早い病気が原因かと思っていたらしい。Iちゃんもまた同い年で私が退職する前に他社に転職していったが、交流は続いていた。M君とも連絡を取り合っていたようで、関東の男性と結婚して現在は埼玉に住んでいるのだが、M君が東京に出張で来た時などは会って一緒に飲んだりしているそうだ。亡くなったA君とは私のように年賀状の交換を続けていたため、A君の奥さんから年末に届いた「喪中はがき」でその死を知ったらしいのだが、悲しい原因までは知らずに、ただ驚くばかりだったという。私からA君の死の原因を聞いたM君は改めてショックを受け、「寂しいね…」と返事をくれた。そして、Iちゃんにも連絡をしてくれたようだ。M君とメールで近況報告をしあい、Iちゃんのアドレスを教えてもらい、彼女とも久しぶりにやりとりが出来た。M君もIちゃんも、そして亡くなったA君も男女を越えたつきあいをした仲間との思い出は本当に懐かしく大切な宝物だ。夫も関連会社の人間だが仲間とは少し違う部類で…(仲間だったら恋愛関係にはならず、 結婚もしなかっただろう)メールを打ちながらしばしの間私は自分だけの世界に浸っていた。Iちゃんとはそれ以来数回メールのやりとりを続けている。そしてまた、その頃同じくして一緒に事務をしていたKちゃんからもメールが届いた。私が自分のアドレスを書いて送ったのを見て送信してくれたのだ。私が結婚後1ヶ月で夫の転勤で名古屋に引っ越した時、偶然に同じ名古屋に彼女も引越し、今もなお、名古屋に住んでいる。近くに住みながらお互いに子育てに忙しくてゆっくりと会って話も出来なかった。今はお互い子どもも成長し、家事の合間にメールでいろいろと話が出来る。ただ、KちゃんとはA君の死の話はまだしていない。KちゃんもA君の仕事の事務処理をよくやっていたから…今は驚かさないでおこうと思う。もう少し時間が経ってからもし、KちゃんからA君が今どうしているのか?と質問があったときに話そうと思う。今日もまた別の人からメールが届いた。名古屋に住んでいた頃のご近所仲間のYさん。主人の転勤で見知らぬ土地に越してきて寂しい思いをしていた頃同じマンションや、お向かいのマンションの人と子どもを通して仲良くなって行き来をし、「遠くの親戚よりも近くの他人」を実感させてくれた名古屋時代だった。実家は遠く離れており、頼る身内は夫しかいないのに、仕事仕事で家庭を顧みてもらえない事も多かった。そんな時、お互いに助け合ったご近所仲間。体調が悪ければ子ども達を預かって面倒を見てくれたり、代わりに買い物に行ってくれたり、おかずの交換をしたりもした。そんなご近所仲間が何人もいた。今はまた転勤で全国各地にバラバラになってしまったが、それぞれから年賀状が届く。こうやって再び昔の友人・知人と交流が出来て懐かしい思い出に浸るってやっぱり年ってことかなぁ…?(^_^;)
2006年01月23日
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昨日は仕事が休みでした。何の予定も入っていなかったので友人に連絡してランチにでも…と思いましたが、普段気になりながらなかなか出来ないことをしようと、台所周りを片付けたり、掃除機を入念にかけたり、そして、コンタクトレンズを買いに行ったり、銀行に行ったり…と思いついたことを何点か片付けていくことが出来ました。…部屋は片付かないけど~(笑)夕方ほっこりとくつろいでいると、次女クッキーがクラブもせずにハァハァ息を切って帰ってきました。「しんど~い!! よっぽど早退しようかと思った」朝起きた時に「喉が痛い」と言っていたので、風邪を引いたのでしょう…熱を計ると38.6度!しばらくコタツにもぐって身体を温めた後、いつでも水分補給が出来るようお茶を入れた水筒を持って自分の部屋に行って寝てしまいました。夕飯も欲しくないと言ってしばらくぐっすり眠り、夜中には少し熱が下がったものの、真っ赤な顔をしていました。今朝、部屋をのぞくとまだ赤い顔をして眠っていたので学校は休ませることに…時期的にインフルエンザかもしれないので職場の上司に連絡をして仕事は休ませてもらい、様子を見ていましたが、熱はそれから上がらず、平熱に戻り、朝、昼とも食事を取ることが出来て安心しました。本当は午前中に病院に連れて行きたかったけど本人は横になっている方が楽だし昨日よりもかなりましになったと言うので待ち時間の少ない夕方一番の診察に連れて行きました。夜になったらまた熱が上がるかもしれないしね…喉が赤く腫れている程度で熱はないのでただの風邪でしょう…とのこと。ホッと一安心。私も思いもかけず休めたし…(^_^;)久しぶりに昼寝でも…な~んて思ってゴロンと横になってウトウトし始めるとピンポ~ン♪とインターホンが鳴ったり、電話がかかってきたり、階下の誰かさんのバタバタ大きな足音にマロンがガオガオ吠えたり…あ~ん!!結局昼寝はできましぇ~ん(T_T)ま、コタツで眠って風邪引いたら大変だしね。うつらないように気をつけなくちゃ。うがい・手洗い・加湿・換気…そして気合い!!
2006年01月18日
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事あるごとに日記に書いているけど我が街には小学校の体育館や運動場を休日・放課後に借りて使用する団体で運営している委員会があります。私もズッキーが野球でお世話になっていることから、去年チームの代表で委員になり、引き続き今年は役員の一員として毎月1回委員会に出席しています。市の教育委員会に属しており、年に1回、委員会主催の親睦会として何らかのスポーツ大会があるのですが、ここ数年はビーチバレーボール大会。市内の各小学校の委員会から2チームずつ、1チームは学校関係者及び委員会の役員から、もう1チームは実際に活動している団体の中から選ばれた選手が参加して行います。私も役員代表で参加することになり、去年の年末から2度ほど練習に加わりました。普段運動などしていないし、一昨年骨折した腕は曲がったままだし…不安はいっぱいありましたが学生時代バレーボールは好きだったので練習には楽しく参加させてもらいました。プールや海で遊ぶビーチボールがもう少し厚めで丈夫な感じといったボールなので、レシーブしても全然痛くないし突き指の心配もほぼありません。ただ…以前私の骨折した後、友人がPTA主催のビーチバレー大会でアキレス腱を切ってしまった事件をどうしても思い出してしまって~(ーー;)練習前には念入りにウォーミングアップ!その友人にメールで「怪我しないよう祈ってて!」と知らせると「運動してなくても普段から忙しく動き回ってるから 大丈夫だよ! かえってストレス発散出来ていいかもよ♪」と励ましの返事メールをもらいました(^o^)丿練習は怪我もなく終え、いよいよ本番の今日を迎えました。親睦会とはいえ、皆さん、かなり本気が入っています!やっているうちに皆ムキになってくるというか…(^_^;)1チーム4人で、1試合15分を休憩を交えながら3試合、それぞれ違う学校相手に戦いました。我がチームは普段体育館でバレーボールをされている女性2名と、教頭先生、去年ズッキーのクラス担任の若い男の先生と私の5人で、試合中は男性は一人しか出られないので途中先生方は入れ替わりながらの戦い。間に合わせのチームでしたが練習を何度かやったおかげでチームワークはなかなかのもの。それでも相手が結構強くて2試合連続負けてしまい、最後の試合くらいは勝ちましょう!と意気込んだおかげで、何とか最後は勝利を飾りました\(^o^)/役員仕事は大変だけど、いろいろな人との出会いがあって、こんな催しにも参加できるし楽しいなあ!そう思ってやらなくちゃね♪おかげさまで怪我をすることもなく無事に終了いたしました。残るのはちょっと遅れて出てくる筋肉痛…(>_
2006年01月15日
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今日から子どもたちの新学期が始まった。 仕事を始めたことで 家で3人の子どもたちがダラダラする様を 毎日目にしなくてもよくなったので、 学校に送り出してやれやれ!の感は 少し薄らいだ…が、 約一名私の神経を逆撫でする者が! 新学期早々遅刻させまいと早くから起こして それなりに奴も支度を進めるが やっぱり、「そんなことはどうでもええから、 さっさと出ていってくれ~!」 と、怒鳴りたくなる行動をする長女。 血圧が上昇するのがわかる。 息が荒くなる。 ひぃ~!(∋_∈) 涙が出てくる… 疲れた… もう子育てはイヤだ! キィ~ッ!と頭に血が上っている状態に 追い打ちをかけるように 義母がのこのこやってきて 例の会の会費をちょうだい~と請求する。 こんな家出ていってやる~! (-"-;)叫びたくなる… ようやくひとりの時間になるも 今日は生協の委員会があるので 家事を早くすませて出ていく。 昼過ぎに委員会から解放され 約束していた友人たちと落ち合う。 年末職場にバイトに来てくれていた彼女たち3人と 先輩Aさんとでお歳暮打ち上げ会をしようということになったが、 夜出て行きにくい人もいるのでランチタイムに決行となった。 Aさんも私も休みの今日に設定し、 山手にあるレストランでのランチは メインの料理に焼きたてのパン食べ放題。 おいしゅうございました~o(^-^)o バイトの彼女らはとってもおおらかで(身体もね…) 一緒に話していると楽しいの。 面白い話におかしくて店じゅうに聞こえるくらい大きな声で笑って テーブルをばんばんたたいて… あっと言う間に夕方だったわ。 声を出して笑うっていいね。 朝のいらいらが少しラクになった。 あのまま過ごしていたら ますますウツになるところだったよ。 また彼女らと食事に行っておしゃべりしたいなぁ~
2006年01月10日
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世間では今日は仕事始め。シフトの関係で…というか、職場の先輩の配慮で私は今日もお休みをいただいています。ということで、去年まで同様、正月休みを終えた夫を勤めに送り出し、朝寝坊の子ども達が起きてくるまで私ひとりの時間を過ごすことが出来ました。少しずつ少しずつ夫に対して出来たわだかまり…彼は気づいているのかわかりませんがこの家で義母との同居を始めてから家の中の空気が私にとっては暗くなってきて、特に義妹一家が遊びに来てから帰っていくまでは娘達にまで気を遣わねばならなくなり彼女達が宿泊していく盆・正月は特に気分が重くて…義妹たちは2日にやってきて1泊して昨夜帰って行きました。私の気持ちに気づいているのか?あるいは私ならそんなことにグダグダ文句を言わないと信じきっているんでしょうか?それとも本当にわかっていないんでしょうか?今年もまた夫は当たり前のように「今晩みんなで食事に行かないとな!」と明るい声で義母・義妹家族を昨夕誘いました。彼女達と顔を合わせたくないがために長女は昼前から夜8時までバイトに行き、以前、このせっかちな言葉にイライラしながらチューハイを飲んで悪酔いした私はアルコールはこの人の前で飲みません。娘達がやってこない理由を聞かれ、「子どもも中学生になったら、なかなかついて来んわ。 昨日も嫁さんの実家に行ったら 向こうの息子も部屋から出てこんかったし。 今のうちだけやで、子どもがついてくるのは~」小5・小3・年長児と、まだ小さい子どものいる義妹やご主人に夫が人生の先輩ぶったような言い方で笑いながら話しています。…あなたが子ども達が小さい時に連れて行ってくれたところって近所のスーパーとかホームセンターとかばかり…キャンプとかも面倒くさくて近所の人たちが誘ってくれてやっと腰を上げてたんじゃないの?何をえらそうに言ってるのよ…(ーー;)2日に実家に挨拶に行った時、次女と同い年の甥っ子は、久々に会って「背が伸びたね~!」と言う私達の声に照れ笑いをしながらもちゃんと新年の挨拶はしてくれたし、帰るときには玄関でニコニコ見送りもしてくれた。あの年頃特有の照れで、一緒にテレビを見ることも昔のようにズッキーと仲良くゲームをすることもなく、部屋でひとりテレビを見たり、友達と遊びに出かけたりして私達と話すこともなく、声変わりしてしまった声もほとんど聞けずズッキーは少し寂しそうだったけど、これは一時的なもの…我が子達は義妹やその娘達に対して「あいつらには会いたくもない!」という憎しみがこもっているんですけど…お父さん、わかっていますか?なぜこういうことになってしまったのか…その会話を聞きながら私の気分は落ち込んでいきます。ついでに胃もシクシク…(-_-;)みんな昼間から何かしらつまみ食いをしているので、焼肉も少しの量でお腹いっぱいになり、短時間で食事は済みました。相変わらず食ったらさっさと帰ってしまう義母(ーー;)申し訳なさそうに私が会計を済ませて出てくるまで外で待っててくれて礼を言ってくれた義妹夫婦。この人たちに娘達の無礼を正直にわびた方がいいんだろうか?それともそんなことを言ったら母親のことを悪くいわれた義妹は怒るだろうか?夫に「あんた、ホンマにわかってるの?」と罵声を浴びせたいけど出来ない…毎回毎回私の中で悶々と繰り返される。正月休みでずっと家の中に夫が居るのに、どう話したらわかってもらえるんだろうか?頭の中はずっとその思いが駆け巡る。結局、お笑い番組を見て馬鹿笑いして気持ちを紛らせて眠る。三が日が終わって夫も仕事に出かけたところで翌日は自分のために気持ちの休養を取らないとやってられないので、今日の休みはありがたかった。他にもPTAの書類のまとめとかやらなければいけないことは山のようにあるんだけど毎年恒例の腑抜け状態に…こうやって書くことで発散しないと…明日からはまた働く主婦に戻ります。ストレスでずっと何かを食べ続けていたから胃がもたれているしきっと太っただろうなぁ…制服のスカートのホックが飛ばないことを祈る(笑)年明けは毎年こんなボヤキになります。ごめんなさいね。ここで吐くことを許して~~!
2006年01月04日
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マロンよ~♪ 皆様、明けましておめでとうございます。 本年も つんつんお母ちゃんのボヤキと愚痴を 聞いてあげてね。 アタシは宿敵『あんびり』に 今年も吠えまくるわよ~! 今朝はお父ちゃんもお母ちゃんも 4時に起きて 『あんびり』の傾倒する会の元旦の式典に参加させられたの。 今年はお隣のおじちゃんを 車に乗せていってあげなきゃいけなかったので、 お父ちゃんも緊張して早く起きたみたいよ。 お隣のおばちゃんもこの会に熱心で、 近所に住む妹さんたちも、そう。 そしてそのご主人たちも 事あるごとに会の催しに引っ張られているみたいよ。 でも、このおばちゃんたちは姉妹仲良くて、 80歳を過ぎたおばあちゃまの面倒を家族皆で大切に見られて いつも笑い声が絶えない素敵な親戚関係なの。 ワンコの事も皆大好きだから、 会ったらいつもジャーキーのおやつをくれるのよ。 そんな家庭のおじちゃんなので、 いつもは嫌々参加のお父ちゃんもお母ちゃんも 今朝は穏やかに式典に参加できたみたい… 終了後、おじちゃんをお宅に送り届けてから お父ちゃん・お母ちゃんは初詣に行きました。 朝まだ6時過ぎで、周りは暗かったけど 結構たくさんお参りされてたんだって。 家族で新年の挨拶をしてから みんなお墓参りと買い物に行っちゃったので アタシはお留守番してました。 午後からはお父ちゃんは年賀状作り、 お母ちゃんは朝が早かったのでお昼寝~ アタシも一緒にすやすや… 明日はお母ちゃんの実家に挨拶に行くんだって。 おうちの前が公園だから ちょっとアタシも運動しなきゃね。 今年もよろしくお願いしますワン♪
2006年01月01日
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