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トレモロ、スタッカート、モデラート・・。川の流れは、音楽そのものです。 水中に踊る、光のしま模様♪ (3月28日写す)ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→3月も終わりのある日、内山川(滑津川)には光が差し込み、その縞模様の中を川魚の群れがしなやかに泳ぎ回っているのでした。 石遊び 大きな石の上に小さな石を並べて 遊んでみました♪ 石遊び さまざまな色や材質の石たち。 白、黒、赤、緑・・ 割れた断面の模様なども面白いのです。今はまだ、枯れた葦と大小の石ばかりが目立つ川原。でも、石に触ると温かく、川の水もどこか温かいのです。ただそれだけのことが、心をしあわせにしてくれるのですよね。わあ~、川よ石よありがとう~! っていう気分のユっぴーなのです。 川の流れ 心地良い水音。 まだ枯れ色が目立つ景色 柳の花 川原の柳には、 たくさんの可愛い緑色の、 「小人の帽子」みたいな花が。 芽吹きを待つ川原 川面の光 キラキラとした反射。 頭の中をカラッポにして見ていると、 とてもいい気持ち* 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.28
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朗読サークル「声の会」の会合を、持ちました。 ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→27日の夜は、今月の「声の会」の会合を持ちました。この日は月末でしかも年度末ということで、啓一さんがお休み。体調不良で、かず江さんもお休み。ということで、次回の朗読劇の案を持ってきてくれることになっていた啓一さんが居ないので、簡単な発声練習をした以外は、コーヒーをいただきながら、もっぱら雑談に花を咲かせたのでした。それもまた楽し、ですね♪毎回、事務所を会合のために提供してくださっているのは、プリントショップ・コスモスさんの、春日ご夫妻。こちらでいつも淹れてくださるコーヒーは、とーっても美味しいのです。感謝♪さてさて、次回はシナリオ原作者の啓一さんも、参加できますよね、きっと。今年の敬老会に向けては、お笑い要素の入った内容の朗読劇にしよう、ということで、アイデアマン啓一さんに、すごーく期待しているユっぴーです。るん♪ 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.27
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新年度の地区役員の会が、ありました。 ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→更新が遅れていてすみません。ユっぴーは、元気でござります。去る25日日曜日の夕方6時から、内山集会所で、ここ内山、「町区」の新年度役員の集まりがありました。 *「町区」というのは、 内山地区の西半分、東の群馬県との境から遠いほうの側です。ユっぴーは知らないうち?に、新年度の公民館役員になっていたので、いってきました。話し合いの内容は、「町区」区長・自治会長の、会長・副会長・会計、の選出、各専門部(建設部、衛生部、山林部、農事部、公民館、日赤奉仕団)の、会長・副会長・会計、の選出、というもの。すぐに会長その他の代表役員が決まった部会もあれば、なかなか決まらないところもあります。町区公民館は、なかなか決まりませんでしたが、なんとか最後には決まったみたいです。色々な方が集まり、同じ内山といっても、ユっぴーが見知っている人も居れば知らない人も。地域の役員というのは、それぞれがお仕事や家庭生活を持っている中で、互いに労を出し合う、ということで、それなりに大変です。ですけれど、ここで10年以上暮らしてきた中で、やはり無くてはならない大切なものだと感じているユっぴーです。とは言っても、やはり大変・・みなさん、役員のそのまた役員、には、できることなら、なりたくない方が多いようですね。でもなんとか、決まったようです。これから2年の任期のあいだ、どうぞよろしくお願いいたしま~す。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.25
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グスグスとツライ二日間、だったのでした・・ 点々とした雲ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→22日木曜日の午後は、久し振りのコーラスサークルの練習。ところが、その数日前から、目やら鼻やらグスグス、ムズムズしていたのが練習の始まる1時半近くになると困ったことにそのムズムズ感がいっそう激しくなってきたのでした。歌っていても、ハナミズが、ツー、、と。。う~ん・・ツライ・・不調だわん・・でも、コーラスの会のみんなはとても元気。4月からは「フラダンス」も始めましょう、という相談で盛り上がっています。ナンデモ、体操の代わりのつもりでやりましょう、とのこと。ユっぴーも一応、参加者に名を連ねておきました。(機会があったら何でもやってみないとネッ。)何とかコーラスの会から帰ってくると、どんどん具合が悪くなってゆき、結局、22日の午後から23日にかけてダウンしていたユっぴーでした、ふぅ*花粉症っぽい症状に加え、全身がしんどくて熱っぽくフラフラな感じで・・どこかから風邪の菌を、もらっちゃったみたい。幸い、23日の夜にはだいぶ良くなりましたけど、まだ何となく、本調子ではありません。みなさんも、この季節、体調には気をつけてくださいね。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.23
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お彼岸の日に、この世を立ち去られた方がありました。 雪晴れの空気と光 1月10日撮影ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→ユっぴーと同じ自治会にいらしたお爺さまが、この春分の日に病院で息をひきとられ、ご自宅に帰ってみえました。ユっぴーがお宅に伺うと、おふとんに横たわっているその方は、スヤスヤと穏やかに、呼吸をして眠っていらっしゃるかのようでした。まるで、亡くなられているようには見えませんでした。お歳を重ねても達者そのものだったその方は、2週間ほど前、いつものようにお仕事に出かけられました。その帰りに原付で信号待ちをしているところを追突されて投げ出され、入院されていましたが、とうとうこの日、息を引きとられたのでした。 氷の上の葉っぱ 1月10日撮影自治会の寄り合いには欠かせない、いつものお顔。皆の中に居るのが当り前だったその人。傍らでお父様のことを、目を赤くしながら語られていた娘さんの姿が、胸に迫りました。 樹の影 1月10日撮影あんなにお元気だった人が、こんなにあっけなく旅立たれてしまうなんて・・。でもユっぴーは、そのとき、お爺さまはしっかりとご家族の愛に包まれて逝かれたのを感じました。淋しさとともに、温もりも受け取ったのでした。ありがとうございました。ゆっくりと休んでくださいね。。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.21
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1月の、コスモス街道のスナップから。 雪の兜岩 今年1月10日撮影ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→ほんとに、雪があまり降らない冬でしたね。そんな中でも1月上旬に少し、この内山コスモス街道にも、雪が降りました。ユっぴーお気に入りの 兜岩(かぶといわ) も、1月10日には写真のように雪をまとい、真青な冬の空の下で、輝いていました。 コスモス街道のコンビニ内山唯一のコンビニ、セーブ・オン。トラック・ドライバーの皆さんが、一息入れる場所にもなっているようです。ドライバーのみなさ~ん、ひと休みしたら、優しい運転をお願いネッ* (^_-)☆ 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.20
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春に向かって一進一退、の今日この頃。私たちの会も、キラキラとした活動の季節に向かってウォーミングアップを開始しています。 ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→3月19日の夜は私たちの地元内山のブラッシュアップを考える有志の会、内山キラキラプロジェクトの例会を行いました。今回の会場は、内山の松井地区にある旧JA支所。(今はJA支所としては閉鎖されていますが、 キラキラPJメンバーの伊藤さんが借用・管理して、 松井地区の人的交流の場として活用されています。)冬の間、内山キラキラプロジェクトの月例会では主に、・私たち会員が地元内山を更に知って行くための勉強会活動 と、・会員それぞれが自分の地元内山に期待する将来像を改めて問いなおし、更にそれを互いにシェアする活動 とを行いました。3月19日の例会では、今年の内山キラキラプロジェクトが具体的にどんな活動を、どのように行っていくかについて話し合いました。結果、今回互いに出し合ったそれぞれの意見やアイデアを各自インプットした上で更に考えを温め、来月の会合で練り上げて実際の計画へと落とし込んでゆく、ということに。小さなエリアながら、その中で様々な要素が響き合い、オリジナルな輝きと特性を持った地域となっている、この内山コスモス街道。私たちの会が起爆剤となって、その輝きと特性を一層くっきりとオリジナルで魅力的なものに育て上げて行きたいな、と、皆で意欲を新たにした夜でした。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.19
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月之民さん主催の月夜の一雫ライブに行ってきました。 ゲストの倉品翔(くらしな しょう)君 歌もギターもどんどん磨かれてます☆ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→佐久のライブハウス、RAVENにて。月夜の一雫ライブは、今回は「10雫目」。最初に演奏したゲストミュージシャンは、われらが内山の、倉品翔くん! 倉品翔君 将来が楽しみです。高校一年生の翔君ですが、歌もギターも曲作りも、着々とレベルアップしています。その曲調と演奏は、さわやかで瑞々しく軽快。素敵でした。 月之民(ムーミン)さん月夜の一雫ライブシリーズ仕掛け人の、月之民さん。男性サイドの情念を、熱を込めて歌うフォークシンガーです。喉で声を転がすような、独特のテイストが印象的。人の中の寂しさを正面から受け止めつつ、温かさ、優しさ、ヒューマニズムを持ち続けようとするベクトルを感じさせてくれる人。この夜も、そんな彼の世界を繰り広げて楽しませてくれました。 月之民さんと翔くん 最後に二人で、 Stand by meを演奏。 両者の持ち味が出会って、 なかなか良い雰囲気のサウンドを作りだしていました♪ 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.18
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ずっと続いている、あしあと、足跡、アシアト……。。。。。 猫の足跡 途中から急に左右に広がっているのは、ナゼ??ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→去る1月10日に撮った写真から。上の、雪に付いた猫のアシアトは、用水路沿いの道で。 人と自転車と犬の通過 国道沿いの歩道の上。 いろんなアシアトが付いてます。 人と自転車と犬の通過2 内山の中学生は、 雪道でも上手に自転車に乗ります♪ 足型ぺったんこ☆ けっこう体重のある、わんこさんかな? (それとも、にゃんこ?) 移動の痕跡 こちらは、鳥のアシアト。 こんなにアチコチ動き回って、 エサは見つかったのかしらん? 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.17
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シロちゃん、元気ー? シロちゃん ご近所のワンちゃんなんです。 (12月5日撮影)ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→柵の間からこっちを見ているのは、ユっぴーのご近所のわんこ、シロちゃん。人なつっこくて、ユっぴーが散歩して道を通るたびに、ワンワン鳴きながら尾っぽを振ってやってきます。鼻のアタマをなぜてあげると、喜んでいるのが、かわいいの。でも、このごろは、年齢と病気のためもあるそうで、ちょっと元気がありません。スコシさびしいな。。おっとりとした表情がいいんです、このシロちゃんって。またユっぴーがお散歩で通るとき、かわいいお顔、見せてネ。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.16
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ツララがラララン♪ おっとっと。。 もうすぐ落下するかも・・?ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→ブログ更新お休み中に撮った写真です。上の「つらら」達は、ほんの少しの部分でぶら下がっていて、「も少ししたら、ポトッ、と落ちるよお~ おっとっと・・」ってカンジ。 つららんらん♪ 小さな槌でたたいたら、 クリスタルな音色を奏でそう.,。・:*:・°'☆ 田んぼの横の 「はぜかけ棒」置き場にて。 トタン屋根のはじっこの、 小さな世界、でした。。 (以上、2006年12月5日写す) 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.15
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心地良い旅館のロビーで、深みのある木版画作品と対面しました。 「大正橋」の、レトロな街燈 戸倉上山田を流れる千曲川に架かる「大正橋」。 その両端にこの大正ロマン風な街燈が立っていました。ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→3月10日の記事の中で少し触れましたが、去る1月19日に、(2ヶ月も前の話でスミマセン。ポリポリ)戸倉上山田温泉で行なわれている、「一宿1ギャラリー」 ~いちやどいちぎゃらりー~というイベントを見に出かけて行きました。 「大正橋」の手すりの装飾 「月見草」の花、のようです。この企画に関して、インターネット上に、まとまった情報がアップされていないようなので、私の手元にあるリーフレットから全容のわかる部分を転載させていただきます。(下のグリーン文字の部分が転載したものです。 Web上で読みやすいように、改行・行空けしています。) --- 一宿1ギャラリー ーーー パトロン宿に作家が泊まる 作品を創り、作品を飾る 訪ね来る人々が出逢い また、何かが生まれる 無料で自由に観覧・交流この事業は、JTB旅連の助成事業として千曲市の支援もいただきながら、戸倉上山田温泉旅館組合連合会が他の3事業(裏小路再開発「恋小路」整備・一店逸品づくり・芸妓衆による観光ガイドの育成)と併せ行うもので、これまでに当地で展開されて来た様々な文化芸術活動を基に、まちの活性化と観光振興を目的として、人々の生きがいや豊かさの源である”文化芸術”をテーマに、2年間に亘り開催するものです。1年の内10ヵ月を実施期間とし、月毎に温泉内のいずれかの旅館・ホテル(パトロン宿)において国内外で活躍する作家(版画、現代美術、工芸)の作品を展示するとともに、作家自身が4泊5日で滞在制作を行い、その製作過程も地元の人々やご来訪のお客様にご覧いただけるよう公開し、交流の場とさせていただくことを目的としています。また、展示された作品で販売可能なものは、販売いたしますのでご希望の方はフロントまでお申し出ください。滞在制作で制作された作品一点は、宿に寄贈いただくことになっており、宿にて末永く展示させていただくこととしております。 (主催:戸倉上山田温泉旅館組合連合会 TEL.026-276-1056) ---……ということで、2006年の6月から、今年2007年の3月まで、毎月、戸倉上山田温泉のどこか一ヶ所の旅館かホテルで、美術家や工芸家の滞在制作と作品展示が行われてきたようです。コスモス街道活性化に取り組みむとともに、自分自身が美術家・表現者であるユっぴーにとって、とても興味深い企画です。知人の木版画家、政森さんに再会がてら、足を運んでいったのでした。私が訪れた1月は、亀清旅館さんで、木版画家の、政森暁美(まさもりあけみ)さんが、滞在制作と展示をされていました。 大正橋から見た千曲川政森暁美さんはユっぴーの古い知人で、かなり久々の再会。ユっぴーは勝手に政森さんに親しみを感じていたのですが、今回再会してお話ししてみると、以前、去る会でご一緒していた頃には、多くの会話を交わしたことが無いのよね、と言う政森さん。そういわれてみると、確かにそうかも。それでも、かなり時を隔てて再会したのに、自然に心地良くお話しできたユっぴーでした。たぶん、どこか波長の合う部分があるからですね。 大正橋の歩道の敷石今回は、会場になった亀清旅館さんとの出会いも、ユっぴーにとって収穫でした。建物や調度、中庭の池などの、落ち着いてレトロなのにスッキリとしたモダンさのある雰囲気。女将さんや自称”番頭”さん(本来は若旦那というべき?)の、程よくアットホームな雰囲気。(若女将さんには残念ながらお会いできませんでしたが。)その全体の雰囲気が気に入ったユっぴーです。今回短い時間しか居られなかったのが残念。 橋の歩道の敷石のところどころに・・ こういう綺麗な石が埋め込まれていました。 恋し、と、小石を掛けているんですね。政森暁美さんの木版作品は、繊細で精緻で有機的な、抽象とも具象ともつかない独特の世界。ああ、写真を撮らせてもらえばよかった・・思索と感情と体感覚が融合したリズミカルな形体が、見る人の心の中からさまざまな感覚を呼び起こす、政森暁美さんの作品世界、私は好きです。(言葉だけじゃわからないですよね。 ホントに写真撮ればよかった。)そうそう、お昼は温泉街の饂飩屋さんでねずみ饂飩をいただきました。辛い「ねずみ大根」をおろしたタレでいただくコシのある饂飩。シンプルだけど美味しかったです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.14
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原付でころんでしまいました・・ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→今日は何となく、体調が悪かったんです。(どうしてかしらん?)それでも筋トレと発声・朗読練習の日課メニューだけはこなしたユっぴーです。(今年に入ってから、ほぼ毎日、腹筋やスクワットその他の トレーニングメニューを一日100回以上行なってます。)午後、おばあちゃんが美容院からやっと帰ってきてから、原付で内山郵便局へ出かけ、その後でアトリエに少し寄りました。そうして、家に帰ろうと原付に乗ってスタートしたとたんに、なぜだか、バランスを崩して、こけました。一瞬、自分でもわけがわかりませんでした、「え?うわ?!」目が回ってました。んーー?!でも何とか、起き上がって原付も立て直し、今度はちゃんと?乗って、家に帰りました。ハァ、びっくりしました・・右手の親指がちょっとネンザしてるけど、それくらいでよかった、ね?>自分とほほ・・ 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.13
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お姫岩ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→3月の『月刊コスモス』(内山地区限定情報紙)の「私の好きな内山」コーナーにいただいたご投稿を紹介します。岩村田在住の”N・M生”様よりご寄稿いただきました。お姫岩の思い出について、書いてくださっています。 --- 中村から見たお姫岩 --- 内山峡にある数多くの奇岩怪石のうち、もっとも美しく不思議な岩といえば、お姫岩であろうか。 この岩は、中村の街道端から望めば、北の山の鞍部に、しなやかな女人の姿で立っている。都へ出向いた貴人の帰りを待ちわびる奥方を、天の神様が、この岩に変えてしまわれたのだという。そんな伝説を知るにつけ、一入趣のある岩である。 十数年前、私は、この岩に近づきたくて、家並みを抜け、畑の中の坂道を登って行った。畑の終わったところからは急峻になり、潅木と茨のヤブが阻んで進めない。仕方なくあきらめて引き返してきた。 コスモス街道を訪れる人々に、このお姫岩をはじめ、多くの岩の存在を知ってもらい、見てもらいたいものだ。 そのための一助に、岩々を巧みに写した写真や絵はがきのようなものがあればいいなと思う。 ── N・M生 ── *「プリントショップコスモス」さんからのコメント …内山を訪れる人々の中に、こんなにもお姫岩に 愛着を持っておられる方があることは、 私達地元住民とすれば非常に有り難く感慨深いことです。 これからも守ってゆくべき自然の宝だと思います ---現在、お姫岩は、手前の木々が伸びて下半分が見えにくくなっています。みんなで何とか、また昔のように美しい姿の全体が見られるようにできればいいな、と考えているところです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.12
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朝、目が覚めたら、しきりに降る雪で白い世界になっていた内山コスモス街道です。 まつぼっくりに雪ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→暖かで雪の少ない冬が、もうこのまま春になってしまうのかしらん?と思っていましたが、今朝は、雪のコスモス街道、でした。ひさしぶりの雪の白い輝きを見て、なぜかすこし、ふっとうれしくなったユっぴーです。雪片は大きくて水分が多く、草木に重たそうに積もっています。 福寿草に雪 にぎやかに咲いていた庭の福寿草たちも、 今朝は雪に埋もれて寒そうでした。午前10時頃には、雪は止み、空に広がる雲の一部、西の方に小さな青空が現れました。それがお昼くらいまでにだんだんと広がって行き、昼を過ぎるころにはほとんど青空になるのに反比例して、地上を覆っていた白い色は、あっというまに消えてしまったのでした。 福寿草に雪 その22時半頃に、夫仙人の運転で、おばあちゃんも一緒に野沢の町にあるスーパーへ買い物に。浅間山は上が真っ白に輝いて美しく、八ヶ岳の山々の上にはまだ重たい感じの雪雲が広がり、そちらはまだ、雪が降っているようでした。午後の佐久平からは、ほとんど雪は消えていました。日曜の午後のスーパーは家族連れでにぎわい、おばあちゃんは青森の田舎の友に送る品を買って配送の手配。ユっぴーは長男に頼まれた、ホワイトデーのお菓子材料のラム酒と板チョコを、買って帰ったのでした。家に帰ると、お菓子を焼く匂いが家中に。ホワイトデーのお菓子作りに、黙々と一人で取り組んでいる長男を見て、ナントモーシマショーカ・・ミョーに感心していたユっぴーだったのでありました。ちゃんちゃん(?) 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.11
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ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→ブログ更新を再開したユっぴーですが、更新をお休みしていた間にも、いろいろなことがありました。その一つ一つについて書いておきたい、と思っては、いるのですけど、一気に書くのは、むずかしそう。ですのでとりあえず、ざっと主な事柄だけメモ的に記しておきます。(ほとんど自分自身の気が済むために~。)1月7日 地区自治会の荒神祭 ~地区役員が集まって御祓いをしてもらい、1年の地域の無事を祈る。 そして皆で飲食を共にして地域の和を再確認。1月18日 「内山キラキラプロジェクト」会合 ~35年前にこの内山地域についての情報を多角的にまとめた 冊子「別冊信濃路 内山特集号」の編集に尽力された 佐藤定男さんのお話を、みんなで聴きました。1月19日 「一宿1ギャラリー」(いちやど いちぎゃらりー)という企画を 行っている、戸倉上山田温泉の「亀清(かめせい)旅館」さんへ。 この時は、木版画家の政森暁美(まさもりあけみ)さんの作品の展示や制作の実演を、 亀清旅館さんで行っていました。 版画家の政森暁美さんは、ユっぴーの古い知り合いで、 何十年ぶりの再会でした。 地域をあげての文化的企画が素敵だと思いました。 また、この「亀清旅館」さん自体が、とても魅力的な旅館でした。1月27日 今井登茂子先生(コミュニケーション&マナースクール 社長)の、 古希をお祝いする会に出席するために東京の明治記念館へ。 70歳とは思えない、とも子先生の姿に勇気をもらったユっぴーでした。 「とも子塾」で学んだ「ホスピタリティー」の意味と大切さが、 今ごろになって改めて分かってきたユっぴー。 十数年前の、とも子先生との出会いは、一つの大きな転機でした。1月28日 高校時代の友人とランチ。 そして、新宿紀伊国屋画廊での、「大成瓢吉」展へ。 大成瓢吉(おおなりひょうきち)さんは、 ユっぴーの母の絵の師で、抽象画家です。 なんと昨年12月に79歳で急逝されたそうです。 今回の個展は、そんなことになるとは思いもせずに 計画されていたもので、大成さんの最新作が展示されていました。 79歳の方が描いたとは全く感じさせない、 生命感と躍動感にあふれた斬新でスパッとした作品群。 偶然上京したときに、この展覧会を見ることができ、 ほんとうにラッキーだと思いました。1月30日 「ウェルサンピア佐久」という、展望風呂のある施設で、 地区JA女性部のみなさんと慰安会。 一緒にお風呂に入って雄大な浅間山と佐久平を眺め、 広々としたカラオケルームで歌ったり踊ったりして交流。2月3日 上京して近藤隆雄さんのお話を聴きました。 夜は長男と一緒に、「笑顔クラブ」主催の、 中村文昭さんのセミナーを聴講。 今回も楽しくて心を打つお話しでした。 世田谷のユっぴーの実家に、長男と一緒に泊まりました。 ユっぴーの両親がユっぴーの長男に会うのは、久し振り。 (十年ぐらいは会っていなかったかも・・)2月10日 大分で循環農業をされている、赤峰勝人さんの講演会を聴きました。 (佐久勤労者福祉会館にて) 穏やかな語り口の中に熱意を秘めた方でした。 内山地域でも取り入れるべき方法や考え方が多々あると思いました。2月13日 内山の朗読サークル「声の会」の例会。 2月25日の「公民館のつどい」での朗読劇発表のため練習。 主役の啓一さんに代わりピンチヒッターの一彦さんを迎えて みんなでがんばりました♪2月22日 「内山キラキラプロジェクト」会合 ~内山のお寺、「園城寺」さんにて、 ご住職から、「内山城」をめぐる歴史についてのお話を 伺いました。和尚さんありがとうございました。 内山地区をめぐる歴史は多岐にわたって面白く、 まだまだ勉強すべきことがたくさんある、ということも分かりました。 また、会の副代表の倉品さんから、 「循環型社会」についてのレクチャーも受け、 これからの内山地域を考える上で大切な要素として学びました。2月24日 日帰りで上京して近藤隆雄さんのセミナーの後半を聴講。 終了後一部のみなさんとご一緒に、 近藤さんを囲んで少しお話しさせていただくことができました。 氏の持っている人間的な深みと大きさに感動し、 受け取るものの大きかったユっぴーでした。2月25日 「中込地区公民館のつどい」舞台発表に、 コーラスサークル「山ゆりの会」と、 朗読サークル「声の会」で参加。 コーラスの方は、練習不足だったのかなぁ、 イマイチの出来だったような気がするユっぴーです。 朗読劇の方は、全体的にとても良くできたと思います。 よかったよかった。3月 ・・ 6日にいきなり裏の山が山火事になり、 数日多くの人が動員され、 ビックリしてしまったスタートでした。 そして、この山火事を通してさまざまなことを 肌で感じ、また考えさせられたユっぴーです。以上、今年に入ってからの大まかなメモ、でした。去年の終わり頃のことが抜けていますけど、まあ、いいですよね~(めんどくさがり・・ポリポリ)ではでは、また☆ 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.10
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「和」の知恵・・そう、”それ”かも・・と感じた、ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→去る2月に、近藤隆雄さんという方のセミナーがあることを知り、ほとんど直感的に、「この方のお話は聴いておかなければ」と感じ、足を運んだユっぴーでした。近藤さんは、ズシッと軸の定まった、静かな中にも制御された熱いマグマを秘めてそこに在る山、のような、存在感のある男性でした。話された内容はたいへん興味深く奥の深いもので、ユっぴーはその中から、自分にとって多くのヒラメキやヒントを受け取りました。出かけて行って正解でした。また、近藤さんのお話の中に、内山キラキラプロジェクトの仲間と共に取り組んでいる、内山地域を更にキラキラさせて行こうとする活動に、大きくリンクしている要素やヒントを、見出したユっぴーでした。というわけで、今月3月の内山地区限定情報紙、「月刊こすもす」紙上へのコラムでは、近藤さんのお話の内容の一部を紹介しながら、内山という土地柄と強く関連する(と私が感じる)部分について、書いてみました。近藤さんは、世界が今後進むべき方向性を考えたとき、その「カギ」となる要素は、「東洋の知恵」、とりわけ日本という国で培われた「和」の知恵、にあるのでは、とされていました。経験に根ざした説得力のあるお話に、深く同感を覚えたユっぴーです。そしてユっぴーは、その、「和の知恵」が集約された形で生きている土地といえるのが、ここ内山コスモス街道、だと感じるのです。そんなことを、内山地域のみなさんに、ご紹介しつつ投げかけてみたのが、次の3月号のコラムです。 --- 和の知恵、東洋の知恵 --- 先日、日本人でアメリカ系企業の会長にまでなった近藤隆雄さんという方の、お話を聴く機会がありました。 その人は熾烈なビジネス界においてトップの座を得たものの、飽くなき利益拡大を目指す成長至上主義に疑問を抱き、「何のための成長・豊かさなのか?」という問いへの「答え」を求めてスイスのIMDというビジネススクールに留学。結局、ヨーロッパにおいても短期利益と資本効率の追求は疑う余地のない前提となっており、「何のための成長・豊かさなのか?」という問いへの「答え」は欧米には無い、ということを知ったのだそうです。 自然界に目をやると、無限の成長と増殖を繰り返す生命体というのは癌細胞。普通の細胞には一定のところで成長が止まる遺伝子のシナリオが組み込まれているのに癌細胞にはそれがなく、最終的には滅びてしまうわけです。同じように、個の利益拡大をめざす成長至上主義は、二一世紀には限界を迎えて破綻する、というのが、近藤氏の説です。 では、「答え」は、どこにあるのでしょう?近藤氏によれば、それは東洋思想、そして更に「日本」にある、というのです。 その「答え」にめぐり合うきっかけになったのは、ネパールのチベット難民部落で出会った、チベット仏教のラマ(僧)だそう。ラマはこう言ったそうです……「自分と関係ない他者の幸せを喜びなさい。」と。寺院で祈るときも自分についてのお願いをするのではなく、他者の幸せを祈るのだ、と。…う~ん、それは素晴らしいことだけれど、自分も含めて普通の人間には難しいなあと、聴いていた私は思いました…。 が、近藤氏曰く、「私たちが本当に自分の力だけで得たものは何もない。この世界のものは全てが循環する。持っていると思っているものは、実は全てが借り物である。循環させることによって必要とする人を助け、生きる機会を与えることもできる。人は本来無一物であり、他者や縁の力に拠っているのである。他者や地球から〈預かった力〉によって、私たちは生きているのです。」と。 そして、島国である日本には、本来「和」の知恵がある。人間と自然が共存し、豊かな心の文化がある、と。例えば里山・・手入れすることより自然と共存し良循環する場。また、一回性ではなく長期の関係や「和」を重視する精神的風土。自然やモノと「会話」する中から生まれる、モノづくりの完成度の高さ。「八百万の神」…あらゆる物の中に神を見て自然と一体化できる感性。などなど、これからの世界が進むべき道を開くカギは、この日本という国にある、と。また、「助け合う必要がないところには、心の豊かさは生まれない」とも言われていましたが、私もそれは全くそのとおりだと思いました。 自然と共存し、人々が助け合い、人と自然・人と人とが、モノや力を循環させながら生きてきた場所・・。それはまさに、ここ内山の姿そのものじゃないかしら、と私は思ったのでした。 皆さんは、このお話、どう思われますか? --- 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.10
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ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→『月刊こすもす』(内山地区にプリントショップ・コスモスさんが配布している地域新聞)の、昨年12月号に掲載された、内山在住、羽毛田(はけた)卓也さんの、地元の歴史・自然に関するエッセイのご紹介です。(Web上で読みやすいように、ユっぴーが改行・行空けしています。) ★見てね♪ → ★羽毛田さんの、自然・歴史エッセイコーナー★今回は、内山コスモス街道の 「扇田(おうぎだ)遺跡」 から出土した、古墳時代の食器についてのお話ですよ。 --- 出土した古墳時代の食器!扇田遺跡その4 ---今回は内山扇橋北側で発掘調査された「扇田遺跡」の1300年前の古墳時代後期の住居の中から出土した土器を紹介します。いずれも素焼きの土器で6~7世紀に使用されていたものです。左側の図は、出土した古墳時代の土器のいくつかをピックアップしたものです。土器中央にラインが入っていますが、これは土器の模様ではありません。実測図上の記号です。そのラインの左側が土器の外面の実測図、右側が土器の内面と断面の実測図となります。ものを普通に実測すると複数の展開実測・組合展開図となります。土器は左右対称形がほとんどですので、一つの実測図として表すことができたのです。土器の実測図には表面の模様や記号が記されています。これを見ることによって、その土器がどのようにして作られたのか知ることができます。ちなみに中央上の長い「かめ」は、外面が上下方向のヘラ削りで、内面は上下方向のヘラナデにより器の表面が調整されていることが読み取れます。では個々に説明しましょう。左の図の左上から「こしき」「つき」3点、真ん中上が「長胴かめ」下が「小型かめ」、右上が「大型こしき」下が「たかつき」です。図は実際の大きさの8分の1ですので、8倍した大きさを想像してください。「こしき」は「かめ」と組み合わせて使用します。かまどにかけた「かめ」に水を入れて沸騰させ、その上に食べ物を入れた「こしき」を置いて蒸気で蒸します。左上の「こしき」は、底にたくさんの穴が作られています。多孔タイプの「こしき」です。右上の「大型こしき」は、底の穴がひとつの単孔タイプの「こしき」です。「こしき」は古墳時代に大きく発展しますが、平安時代になると姿を消してしまいます。これは土器製の「こしき」が木製の「こしき」へと材質が変化したと考えられています。その木製の「こしき」は物を蒸す道具として現在も機能的に形を変えて使用されています。左側の「つき」3点は、ものを盛り付けるのに使用した土器で、現在のお皿や茶碗に相当します。右側の「たかつき」もそれと同じです。「たかつき」は弥生時代に土器製と木製のものが登場・発展し、現代まで大きくその形状を変えることなく使用され続けている器です。今は果物を盛り付けたりしているため、西欧文化がもたらしたものと思っている方も多いかと、実際は日本の古来からの伝統ある器のひとつです。中央のふたつは大きさがずいぶん違いますが「かめ」です。住居の壁際の中央に粘土を使用して作られた「かまど」にかけて使います。上の長胴タイプのものは底が失われていますが、下の小型タイプと同様な底部をもちます。「かめ」は現在の「なべ」「かま」と同様の機能を持った器です。また火を受ける器のため、火熱による破損を防ぐために粘土に砂が混ぜられています。 (参考:「佐久市埋蔵文化財報告書第135集」) (文責 羽毛田) ---- 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.09
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再び燃え上がった山火事。消防関係者のみなさんのための、炊き出しのお手伝いに携わった一日でした。ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→一昨日3月6日の午後に発生し、その日のうちに鎮火したと見えた山火事でしたが、7日の夜更け10時過ぎに再燃。本日8日の朝から再び、消防署・消防団が結集して消火活動にあたりました。ヘリコプターによる消火剤散布も、今日は何度も徹底的に行っていた模様です。ユっぴーは今日も、内山集会所での炊き出しのお手伝いに参加させてもらいました。今日は主に内山地区全域からの日赤奉仕団の女性の方達が、炊き出しに当たっていました。ユっぴーの家は山火事発生地区常会(自治会)の役員でもありますし、内山集会所は住まいのすぐ近くでもありますので、内山地区日赤奉仕団皆さんに混じってユっぴーもお手伝い。皆で次から次へと何升ものご飯を炊き、千個以上ものおにぎりを作り、ラップにくるんで箱に詰め、お茶を沸かし、お味噌汁を作り、お漬物を切って盛り、食器を運んだり洗ったり。大勢で取り掛かるので、何升ものご飯に具を混ぜ込んでおにぎりを作る作業も、あっという間でした。お昼過ぎに佐久市長の三浦大助氏が、現地視察のため、市議会の合い間を縫って見えました。今日も何十人もの消防団・消防士のみなさんが山へ入って消火作業と延焼防止作業。対策本部の集会所に戻ってきたみなさんは、6日からの山の作業で、さすがにかなり疲労している様子です。本当にご苦労さまです。3時過ぎに現地から戻ってきた内山消防団からの報によると、2時40分に鎮火、ということでした。よかった・・。こんどこそこのまま、無事な山に戻ってくれるよう祈ります。4時頃、お手伝いの人たちも解散し、後はまた今夜いっぱい、消防団や地区の幹部の方達が詰めるそうです。火の恐ろしさ、消防組織のみなさんの頼もしさ、地域の人の連携と助け合いの素晴らしさ、などなど、さまざまなことを受け取った一日だったのでした。みなさまお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.08
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山の火災は一旦鎮火したと見えましたが・・ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→今は3月7日から8日へと、もうすぐ日付が変わろうとしているところです。今日7日は、6日の山火事を鎮火した消防団の人達が終夜、火災対策本部となった内山集会所に詰めていました。山には数十人の人たちが入って働き、朝方はまだくすぶったような煙が少しだけ上がっていた山も、午後にはスッキリと煙が消え、消防関係者の方達も撤収して行きました。夕食時になって、火災の原因となったと思われるお墓の持ち主がご夫婦で「ご迷惑をおかけしました」と挨拶にみえました。(お墓参りの際の火の後始末が不十分だったのが原因だった模様)ユっぴーなどは、ほんの少しのお手伝いをしたに過ぎないのですが。お互い様ですし、ふとした不注意が大きなことになってしまい、気の毒なことだと思いました。やはり、火の始末などの基本的なことを常に徹底するというのは、大切なことだ、と強く心に銘じたユっぴーでした。と書いているうちに日付が8日に変わりましたが、実は先ほど11時くらいからまた内山集会所前に消防車や消防関係者の人たちが集まっているので窓から山を見てみると、暗い山のシルエットの中から、再びまた白い煙が立ちのぼっているのが見えています・・恐らく、わずかにくすぶり残っていたところから、また燃え始めたということでしょうか。このところ風が強く、山の草木はカラカラに乾燥していますから。今更ながらに、火は恐ろしいです。こんどこそ、しっかり消えてほしい、と願うユっぴーです・・ 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.07
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消防団の皆さんのための、炊き出しのお手伝いをしてきました。ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→裏の山が火事になり、内山集会所が「火災対策本部」になったのを見て、「これは、同じ地区の人間として、 何か自分にできることをしなければいけないのでは?」と思い到ったユっぴーが内山集会所に行ってみると、そこには既に、近所の女の人たちが集まって、消火活動に当たってくださった消防団の人たちに食べていただくための、おにぎりを、作っているところでした!うわー、ユっぴー出遅れですぅ。うむ~。それでも、みなさんに加わって、おにぎりを作ったりお茶をいれたり、色々と炊き出しの準備に参加することができました。ホッ。。*よかったよかった~、少しでもお役に立つことができて。今回の山火事に際しては、ここ内山コスモス街道以外の佐久市内の各消防団のみなさんも、消火活動の応援に駆け付けて下さったのでした。午後6時をだいぶまわってから、山での消火活動から戻って来られた各消防団員の皆さんに、おにぎりやお茶、お漬物などをお出ししました。それぞれにご自分のお仕事等もあったはすです。そして山での作業はたいへんだったことと思います。その中を駆け付けて消火活動に当たってくださったことは、本当にありがたい、と思うユっぴーなのでした。また、こうして火災が起こったと思う間もなく、速やかに炊き出しのために誰に指示されなくとも集まってくる地域の女性達の姿にも、とても深く心を動かされたユっぴーだったのでした。。佐久市内の他地域から応援に駆け付けてくださった消防団のみなさま、ありがとうございました。おかげさまで、山火事は燃え広がらずにすみました。ユっぴーの握ったおにぎり、美味しかったかしらん?ありがとうございました、そして、地元、内山消防団のみなさんは、今夜は内山集会所に詰めて、山火事の再燃防止にあたるそうです。そうですよね、くすぶったところから、また燃え上がったりしたら困りますもの。本当に、よろしくお願いします。頭が下がります・・ 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.06
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うちの近くの山が今、火事になっています。恐いです・・ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→ユっぴー、のんびりとブログの記事を、過去にさかのぼって書こうとしていたら、なにやらサイレンの音や人のざわめきで家の外が騒々しいのです。窓から外を見てみると、内山グランドの北側の山の上の方から大量の煙・・山火事です!(ユっぴーの家は、内山グランドの近くなのです。)消防車やパトカーが集まり、佐久消防署の署員、警察署員、消防団の人達が慌ただしく動いています。岩肌にチロチロと動く赤い炎までも見えてきて、恐いです。山の上の方はとりあえず、山林の他は畑やお墓くらいで人家はありません。が、今日は風がかなり強いし、燃え広がらないか心配です。と思っているうちに、下から消防ホースを連結して伸ばして行き、燃えている地点まで達し、と、みるまに立ちのぼっている煙の量が減って行きました。燃えていたのは主に下草で、木ではなさそう。ホッ、よかったです・・このまま消えてくれますように。。内山集会所は、急遽、火災対策本部になりました。消火作業に当たってくださっているみなさん、本当にありがとうございます。と、今の時点でも多くの方が山で消化作業に当たっていらっしゃるのが見えます。上空にはヘリコプターも飛んでいます。みなさん、ありがとうございます。怪我などのありませんように。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.06
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ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→「私の好きな内山」コーナーへのご投稿を紹介します。このコーナーへのご投稿の紹介を、しばらく途切らせていました、すみません。今回は、去年8月にご投稿のあった、内山在住、北沢まち子さんからの「孝勇亀松」についての原稿です。このご投稿は文章量が多く、11月号にかけて、数回に分けて月刊「コスモス」(内山地区の情報紙)に掲載されました。(Web上で読みやすいように、改行・行分けを加えています。) --- わたしの好きな内山 --- 「孝勇亀松」とその碑 北沢まち子 私の思い出の中に、「孝勇亀松」にちなんだものがいくつかあり、内山には後世まで残しておきたいお話なので記しておこうと思います。 内山小学校の校長先生に、友野一先生が就任しておられた頃、漢字五萬字を保持し、小学校の宿直室には立派な書が揚げてありました。内山の松井から黒田まで、筆塚を生徒と共に亀の子たわしで磨き研鑽されたと聞き及んでいます。本当に素晴らしい事で尊敬の念で一杯です。 その友野一先生が、昭和三十六年九月に冊子「孝勇亀松」を発行されました。この一冊の中に、亀松の武勇伝ばかりでなく、友野先生が私たちに伝えたいことや当時の思い出が沢山詰まっており、私は貴重な書物として大切にしております。 また昭和四十六年三月に、当時内山農協の職員の方々が編集された「信濃路・内山特集号」にも、友野一校長先生がご寄稿されており、孝勇亀松の記事が非常にわかりやすく書かれておりますので、ここにご紹介したいと思います。 平成十二年頃、佐久城山小学校の小林秀夫校長先生が、「最近地域に根ざした教育が大切にされています。内山地区は豊かな自然と歴史に裏付けされた魅力多い地です。」と話されたことがありました。三年生の「ふるさと学習」に、校長先生も引率して行かれた由、とてもありがたく思います。 今春、佐久城山小学校の低学年の生徒が楽しそうに歩いて行きました。辺りの方のお話に依りますと、孝勇亀松の墓に行くとの事でございました。私も小学校の頃、亀松の墓のお祭りに参加し、紅白のお菓子などいただいた事が懐かしく想い出されました。 「考勇亀松」は、内山の遺産の一つとして尊んでいきたいと思います。 * * *亀松の墓 (※「信濃路・内山特集号」に掲載された、友野一氏執筆記事より転載) 内山川に沿って点在する峡間の部落を通って、県境に近く荒船山を眼前に見る黒田から、初谷鉱泉への路が別れる。そのわずか手前の道の左側、松林の中に一基の墓標が靜に立っている。正面に「孝勇亀松墓」と大書された碑に近づくと、左下には「需に応ず、海舟勝安房」とあり、裏面に建碑の由来が記されている。「老子曰く、慈なるが故によく勇なりと。心、誠にその父を慈愛すれば重髫の童といえども一臂を奪いてその危機を救うこと烏獲猛憤の勇者に過ぐるものあり」と書き出し、亀松の孝勇を力強い文章で述べているが、亀松とはいったい何者であろう。 安永七年といってもピンとこないが西暦一七七八年のこと、アメリカではワシントンの独立戦争の最中である。亀松はこの年、百姓総右衛門の子として生れた。彼が六才の時浅間山が大爆発を起して鬼押出ができたが、この前後の数年間は国中に凶作が続き、彼が九才の時は江戸に大火があり大阪では打ちこわしが起こるなど騒然たる時代であった。 内山も例にもれず凶作に苦しんでいたが、もとより山間のやせ地に加えて飢えた野獣が田畑を荒らすので番小屋を作り村民が交替して害を防いでいた。 亀松一一才の秋、天明八年(一七八八)旧暦九月二五日の夕刻のことである。当番の総右衛門は亀松をつれて番小屋におもむいた。父のいいつけで薪を集めに出た彼が熱心に枯木を拾っていると、突然叫び声がする、まぎれもない父の声である。急いでかけつけると、狼が父のあごに噛みついているではないか。奮然とした彼は鎌を狼の口にさしこんで引張ったが柄が折れてしまった。父の鎌をとってようやく引きはなすと狼は亀松に向ってきた。両手の親指を狼の眼に突込んでえぐる。視力を失った狼が逃げんとしてつまずく所をめった打ちにして倒し、父をたすけお越して家に帰った。これが事件の概略である。 この時土地の状況調査に来ていた役人大貫次右衛門が話を聞き、亀松を引見して大いに感心し、事の次第を幕府に報告した所、これが将軍の耳に入り亀松は江戸まで召出されて賞を受け、この事たちまち国中に知れ渡ったのであるが、ここで考えてみたいのは、事件が、田沼意次の失脚後で松平定信が老中に赴任して二年めであったということである。収賄にうつつをぬかした田沼の時代であったら、恐らく将軍の耳に入らなかったであろう。幕政の改革に意を注いだ定信の時だったからこそ亀松は、世に出たといえる。まさに天の配剤とでもいうべきであろうか。 ところで代官をいたく感動せしめ将軍の心琴を振動させたのは何であろう。ここで再び碑銘に目をあてていただきたい。そこには孝勇の二文字が冠されているのである。亀松の行動が親の難を救った事だけだったら孝子とこそ呼べ、孝勇とはいわないはずであって勇の一字を冠してある所を見のがしてはならない。その理由は何か? ここで大貫次右衛門が幕府に呈出した文書を見ると次の一項に気がつく。 ―亀松儀 年齢より小柄虚弱に相見え、 なかなか 右体の働き致すべきものには相見えず申し候間、 驚き逃げのきも致すべき所、親大事と存じ、 若輩 に似合わぬ働きつかまつり候ものにつき申上げ置 き候―とある。亀松はだれの目にも一一才には見えぬ弱々しい子だったのだ。だれの目にも、これほどの事をやってのけたとは見えなかった。それが感動させたので、勇の一字はこれを語っているのである。弱小に見えながらも、内に勇をひそめているのが内山の本質であり、亀松はそれを代表する一人だった。これについては後にもふれる所があろうが、この事件は一八〇数年前の過去の事として終ったのでなく、そこから始まったというべきである。 幕府の時代が終って明治維新の世になってからも木戸麟の初等科三年後期の修身書第六章(明治一四年)に「親を愛するの至誠」と記され、丹所啓行・前川一郎の普通小学修身談(明治二〇年)には「事に臨んでしばしば断ずるは勇なり(礼記)の事例としてのせられている。 さて亀松は成長して書、算に長じ亀斎閑人と号し村内、近郷の少年を集めて教育した。教えを受けるもの二〇〇人に及んだという。三島中洲の銘文に、「余、その遺墨を観るに温籍の中に勁抜の気を帯び孝勇の書にそむかず」と述べてその書風を評している。惜しいことに大月の大火の際、すべて灰と化して今は何も残っていない。しかしこの地に今なお書の愛好者の多い源流は亀松に発するのであるが、書については後に触れることにする。 亀松は大塩中斎(平八郎)が乱を起こした天保八年(一八三七)六〇歳で一生を終ったが、彼の死後干支一巡した六四年後、即ち明治三四年に至ってその功績を永遠にたたえる建碑が行われた。 志を北海道の開拓に馳せ、かの地に最初に桑を植えて養蚕を試みた旧中瀬村(中込・瀬戸)村長の石山織之助氏が主唱者となり、内山全村はいうに及ばず広く浄財をつのり、遠くは東京の名士からの寄進もあって作られたのが黒田の碑である。石山氏は勝海舟、三島中洲に頼んで碑銘と碑文を書いて貰ったのだが、海舟は話を聞くや快諾一番、孝勇亀松墓と大書して与えたという。 かくて亀松は劇に演じられ、幻灯、映画に作られ、人々の心に灯を与え続けたのであるが、敗戦は人の心を亀松からそらせてしまったかにみえた。しかし、人の至誠は不滅である。 昭和三六年には、孝勇亀松の書が編集され、内山の全戸が一冊ずつをそなえた。また小学校では「亀松の日」を設けて記念行事が開始され、毎年続行されているばかりか、田村屋食品の小林社長の手によって「亀松もなか」が作られ、再び光を放ち始めているのである。 --- 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.05
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ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→『月刊こすもす』(内山地区にプリントショップ・コスモスさんが配布している地域新聞)の、昨年11月号に掲載された、内山在住、羽毛田(はけた)卓也さんの、地元の歴史・自然に関するエッセイをご紹介します。(Web上で読みやすいように、ユっぴーが改行・行空けしています。) ★見てね♪ → ★羽毛田さんの、自然・歴史エッセイコーナー★今回は、道具のお話の二回目。ここ内山コスモス街道に住んでいた古代の人達が使っていた道具についてのおはなしです。 --- 道具のはじまり 道具 その2 ---今回は山の中の遺跡の話をします。以前、加工した石器を使用していた内山地域の先土器時代の遺跡として、「荒船湖遺跡群」、「初谷遺跡」、「牛馬ケ澤遺跡群」、「鍋割沢遺跡群」を紹介しました。実は「初谷遺跡」以外の遺跡は十年前には存在が知られていなかった遺跡で、昨年新たに登録された新発見の遺跡なのです。山間部の遺跡は、畑や水田・宅地などと違い、木々や森林土壌に覆われていて地中の様子がわかりません。地面が露出していても、土器や石器が散布している場所はなかなかありません。そんな難しい状況の中でどうして発見され登録されたのか簡単に紹介します。「荒船湖遺跡群」は「山荘あらふね」の周辺に広がる規模の大きな遺跡です。国定公園内でありますが、散発的に開発が行われてきました。以前より縄文時代の早期の土器が、開発の際に採取されていました。遺跡群の北側と南端で土の層が露出している場所があり、そこから黒曜石のチップと黒色緻密安山岩のフレイクが見つかりました。チップは石器を加工する際に飛び散った石のかけらで、フレイクは母岩(ぼがん)から剥ぎ取られた剥片(はくへん)のことです。両者ともそれ自体で石器として使用されることがあります。土器を伴わない状況での出土ということで、先土器時代のキャンプサイトの可能性があります。「牛馬ケ澤遺跡群」は「山荘あらふね」へ向かう途中の開けた丘陵台地と沢に展開する縄文時代創早期~前期を中心とする遺跡で、「鍋割沢遺跡群」は荒船山西麓の丘陵に展開する早期~前期を中心とする遺跡です。両者ともに縄文時代を主とする遺跡なのですが、風で倒れた木の根が抱え込んでいた土砂が露出している場所が数箇所あり、チャートや安山岩製の加工こん痕のある剥片が見つかっています。いずれも土器を伴っていないため先土器時代のものの可能性があります。「初谷遺跡」は初谷温泉付近の沢に展開する縄文時代を中心とする古くより土器や石鏃が発見されて周知されている遺跡です。ここも倒木の根元や沢の氾濫による土砂露出地から、加工されたチャート製の縦長剥片、黒曜石のフレイク片(折れてけっそん欠損したもので翼状剥片の一部)、安山岩の縦長剥片が見つかっています。確認されたのは、遺跡の範囲の外へかなり飛び出した場所で、詳細踏査により遺跡群として範囲を広げて登録する必要がありそうです。話の中で出てきたフレイク(剥片)について説明しましょう。フレイクはフレイク・ツール(剥片石器)とも言い、ナイフとして使用されたと考えられる石器でも古くに登場して弥生時代頃まで形態を変えて使用された道具の一つです。岩から剥片を採ろうと打ち出すと、縦長と横長(鳥の翼の形)のものに分けられます。それだけでも剥片端部を刃部とするナイフとして十分機能するのですが、さらに用途や手に合わせて簡単に加工したものを剥片石器といい、細かく二次加工と調整をして形と刃を整えたものをナイフ形石器といいます。特に刃部は加工調整することで強度が増します。ナイフ形石器は2~3万年前ぐらいに盛んに製作された先土器時代を代表する石器のひとつで、現代のナイフの形に非常によく似ています。ナイフ形石器は先土器時代に道具としてほぼ完成された形態を持っていました、そのため、金属製と石製の違いはありますが、考案された形態がそのまま現代まで使用されているのです。 ---- 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.04
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やわらかな日差しを浴びて土たちが深呼吸している、内山コスモス街道・・ユっぴー・コスモスです。 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→3月、ですねー!冬のあいだ、ブログをほぼ、お休みしていたユっぴーですが、元気でーす、とっても。いつになく暖かだった冬が、知らないうちに目に見えない春の息吹でおおわれている、という感じの、内山コスモス街道。去年の冬のように、窓ガラスが霜の描いた花模様で覆われる、ということもないうちに終わりそうな気配。とはいっても、3日ほど前には朝から雪が舞って、内山の山々の上半分が真っ白になり、その美しさに見とれてしまいました。そんな日もありますが、ユっぴー家の庭には黄金色の福寿草があちこちに咲き乱れ、可愛いフキノトウもチョコチョコと顔を出し、確実に春の方が優勢、な雰囲気です。ヒヨドリやセキレイやメジロなどの鳥さん達も、軒の下に吊るしたままの干し柿などを目当てにツガイでやってきます。あっ、あのね! メジロって、ふっくらとした若草色のあまりにも可愛い小鳥なんですぅ*それでこの間なんて、思わずしばらくの間、見とれてしまったユっぴーだったのでした~♪で、えーと、なんだっけ、と。・・ん?・・あ、そうそう!この、ブログをお休みしていた冬の間にも、内山コスモス街道は季節の移ろいの多様な表情を見せ、色々な行事や公私さまざまな出来事があり、写真も撮ったりしていました。ユっぴーにとって、ズシッと充実した冬、だったのです。(感謝)それらのことも、できる範囲で振り返りつつ、ランダムに記事にしていこうと思います。(・・んーー、書ききれるかしらん?? 汗、、) 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.02
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こんにちはー。ユっぴー・コスモスです! 元気です~♪ 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→ちょっと(かなり?)お休みしていましたけれど、また色んなことを書いていきますね。どうぞ、よろしくー! 《コスモス街道》を、応援してくださいね♪→
2007.03.01
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