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ホーチミンにある,戦争証跡博物館。ベトナム戦争で使われた戦闘機や戦車や遺物,数々の写真が展示してある。行ったのは,'98年12月なので,ずいぶん前になる。 今も展示物が同じなのかは,わからない。しかし,戦争の悲惨さが十分に伝わってくる展示品ばかりであった。日本人が撮影し続けた写真もたくさんある。 再現された監獄やギロチンもあった。これは,もちろん人形だが,牢屋だけでもたいへんなのに,こんなつながれ方をされたら,たまらない。 これは,戦争中に使われた枯れ葉剤の影響によって生まれてきた奇形児のホルマリン漬けである。このような赤ちゃんが多く生まれてきたのである。 この画像を,本サイトで挙げたときに,掲示板に「精神的虐待をこうむる可能性はないんでしょうか?私は16歳ですが はっきりいって ショックを受けました。私よりも年齢の幼い人がみたら きっとショックを受けると思います」と書いてきた女子高生がいた。 確かに,ショックかも知れない。しかし,私は,ただ楽しいだけのサイトにしたくないことと,現実を知り,いろいろと考えてほしいという旨のことを,掲示板を通してではなく,個人的にメールで送った。 何にしても,戦争は悲惨なものだ。こうしている間も,中東の方では騒然としている。本当に平和な世界は来るのであろうか? 8/4~カンボジアへ行く。向こうから書けるか未知数であるが,場合によっては,長期間空くかも知れない。携帯から書くかも知れないが,携帯では画像が表示されないので,文字だけになるかも知れない。下記の本サイトの掲示板には,何とか書き込むつもりである。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/31
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有名なアンコールワット。カンボジアである。'00年12月に行った。アンコールワットの他に,近くにあるアンコール・トム遺跡群にも行った。さらに,タ・プロームの他,郊外のバンテアイ・スレイへ行った。そこまでは,ガイドブック(○球の歩き方)に載っていた。 その後,行ったのが,かなり遠くのクバル・スピアン。ここは,たぶん当時ガイドブックには載っていなかったと思う。気づかなかっただけかも知れないが…帰国後にUPした本サイトでは,“カバスピエン”と記述している。 バイクタクシーで,かなり長い時間走った。舗装なんてされていない。赤土で土煙がすごい。対向車があると,止まってやり過ごさなければ,目も開けられない。また,途中は舗装工事中で大きな石を砕いた小石がまいてあったが,これがまた大粒でバイクの足が取られる。ゆっくりしか走れない。さらに,途中には細い板を渡しただけの橋。現れる水牛やブタ。たまには,蹴ってよけなければならなかった。2人乗りなので,余計にたいへんだ。シェムリアップから2時間ほどかかった。しかし,バイタクのドライバーと楽しく話しながらだったので,ちっとも長く感じなかった。 最初は,どこへ行くのかさっぱりわからなかった。小さな集落をいくつも抜け,ある山中に着いた。駐車場があり,入り口には看板もあった。小さな店もある。のどが渇いたので,ジュースを買った。 よくわからなかったが,バイタクのおじさんは,山を登れと言う。横には,ガイドらしい兄ちゃんがついてきた。何の気なしに歩いたが,長い!40分近くも上り坂だ。はしごみたいなとこもある。しんどい~ 山の上の方に着いた。結構,人がたくさんいる。しかし,ただの山中の小川に何が??川底を指さされた。見ると,石に彫刻がしてある。「お~!」様々な神が彫られ,聖地だったようだ。 ある団体が来た。「あれ?」日本語だ。日本のツアー客だ。「なんでや!?」ツアーのコースに入っているのか?ってことは,めずらしくないのか??なんか,穴場を見つけた思いが,一瞬にして崩れてしまった… 小川が滝になっているところがあった。滝の下に入ったり泳いでいる人もいた。だいたい,何の遺跡かはわかったが,詳しくわかったわけでなかった。 晩に宿へ帰ってから,服についた赤土の色は,いくら洗っても取れなかった。帰国後に,洗濯機で洗っても取れないぐらい,しつこかった。 かなり後日,やっとここが何なのかはっきりとわかった。今は,詳しくガイドブックに書いてある。シェムリアップから北東へ約50km。バイクタクシーで行くのは避けろと書いてある。あれ…そんなに危険なのか!?信用のある旅行会社で車をチャーターしろと… しかも,この辺りは地雷の撤去が完了しておらず,山道を歩くときは気をつけろと書いてある。しかし,そのときは全く知らずに,あちこちを歩いた。“DANGER MINES”の看板もなかった。一歩間違えれば,たいへんなことになっていたのか!約2年後に,初めてあせった…(*_*) ※ 画像は,1番下以外は,VTRからのキャプチャです。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/28
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メコン川唯一の滝である。この周辺に小さな島が無数にあり,川も細かく分かれている。6/7の日記「ラオス コーンパペンの滝」の続編である。 岩の上に座っている。結構,下まで行ける。たぶん,川に入ると流されてしまうだろう。ゆったりとしたメコン川では考えられない姿だ。今回は,私入りだ。 滝の手前までは,このようにゆったりと流れている。しかし,うっかり舟が流されるとたいへんなことになるだろうが,のんびりとしたもんだ。手前の画像は,他のサイトでもあまり見ない。 さらに,手前の川沿いの様子である。滝の横は,展望台のようになっていたりレストランがあるが,手前は,ふつうの集落なのである。 このように,右側奥に牛も寝ている。一般の人々にとっては,いくら観光客が来ても日常の生活はふつうに行われているのである。川の流れのように,のんびりと,つつましく…↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/27
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今日は,タイのメーソット~ミャンマーのミャワディだ。'05年8月。ここは,メーサイ~タチレクと違い,デイリターン(1日滞在)しかできない。国境までは,メーソットの街からソンテウで約20分。国境ゲートでは,パスポートに出入国のスタンプが押される。 モエイ川に架かる橋を渡る。川幅がある分,メーサイの橋よりも大きいし長い。ミャンマー側にも大きなゲートがある。何の問題もなく通過。 雨が降り続く…毎日降りっぱなしだ。さっそく,ドライバーが声をかけてくる。見ると,タチレクと違って,自転車タクシーだ。しかも屋根もない。今回は,乗ってみることにした。屋根がないので,傘をさしての乗車だ。街はアップダウンが結構あり,上り坂では降りて歩かなければならない。 雨でズクズクになりながら,あちこちをまわってもらった。どこかわからない集落の間も抜けていき,あちこちの小さなパゴダ(寺院)をまわった。舗装はされてなく,土もドロドロでたいへんだった。パゴダでは,裸足にならなければならないが,雨で足が濡れる。つまり,そのあと靴を履くと,さらに靴もズクズクになるのだ。地元人のようにサンダルにしたらよかった。 小高い丘の上にあるパゴダへ行った。建物の屋上へ行く階段にはカギがかかっていた。ふだんは閉めているらしい。ドライバーが僧侶に頼んで開けてもらった。あとで寄進はした。上へ上がる。ミャワディの町が一望できた。しかし,気をつけないと滑って下へ落ちそうだった。 このあと,お腹がすいたのでレストランへ行ってもらった。このレストランの上はゲストハウスのようで,欧米人が数名下りてきた。この町にも泊まれるのか?単に酔寄っただけなのか? 食事には,やはりビールだ!ピッチャーで頼んだ。約6年ぶりのミャンマービールだった。うまい!!食事も,もちろんおいしかった!生野菜も,たくさん食べた。(生では,あまり食べない方がいいが…) その後,5/30の日記にある,アンティークショップへ行き,国境に戻った。結構ギリギリの時間になってしまった。 雨季は,たいへんだった。毎年このように降っているわけではないらしいが,この年は特別多く降ったと聞いた。乾季に行けば,また違ったおもしろさがあるかも知れない。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/26
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タイ北部のメーサーイの町を超えるとミャンマーのタチレクだ。タチレイ,タキレイなど,言い方はいろいろだ。'02年,'04年の2回行った。 メーサーイからは,デイリターンとして,1日だけミャンマーへ入国することができる。(手続きをすれば,もっと長い期間入ることができる。)気軽に国境越えができるわけだ。 タイ側の国境ゲートを通過し,川に架かる橋を渡る。川を挟んで,右がタイ,左がミャンマーである。乾季は,川が浅くなるので歩いて渡れるような感じだ。橋を渡ると,今度はミャンマー側のゲートだ。日本人は,簡単に通過できる。そして,入国だ。 ゲートの建物を抜けると,大勢の客引きがいる。バイクタクシーが多い。一斉に声をかけてくる。きちんと交渉しないとぼったくられる。しかし,私は乗らない。無視してさっさと去っていく。お金がいるのと,ゆっくりしたいからである。街中でも声がかかるが無視。 国境を越えると,すぐにマーケットがある。タイ人が多いと聞くが,いろいろなものが売っていて,賑わっている。民族衣装を着た人も時折見かける。見せるためでなく,普段着なのである。街中でも見かけた。 デイリターンの場合,行ける範囲は決まっている。あちこちに監視所のようなものがあって,見張っている。たまに声をかけられる。軍事政権下では,監視は厳しいのだ。 町外れで道路工事をしていた。日本のように重機など使っていない。手作業だ。舗装しているわけでなく,土を固めているだけだ。1人が「写真を撮ってくれ!」と叫んだ。カメラを向けると,みんな仕事の手を止めて一斉にこっちを向いた。みんな笑顔である。てっきり嫌がると思っていたのだが,予想外だった。 ミャンマーでは,学校を写すのはダメらしい。撮っていると,必ずどこからか「撮るな!」という感じで叫ばれたり,走ってこられる。 が,ここは学校の塀の外。子どもたちが集まってきた。これは怒られない。施設を撮ることがいけないらしい。 タイ色が強いとは言え,ここはミャンマーである。ちょっと移動するだけで味わえる異国情緒。タイ~ミャンマー間では,ほかにもデイリターンできる場所がある。昨年は,メーソット~ミャワディへ行った。気軽に行けるところがうれしい。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/25
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タイ北部の町チェンラーイ。私は,チェンライと呼んでいる。'04年8月に,じつに10年ぶりに訪れた。今回は,本サイトからの抜粋である。こちらの方が,詳しく書くが。 町の様子は,かなり変わっていた。漢字併記の標識もある。メンラーイ王像なんて,結構派手になっていた。しかし,見覚えのある建物や風景は,そのまま残っていた。懐かしかった。 1番驚いたのは,そのときに泊まったホワイトハウスゲストハウス。見に行ってみた。同じ場所に,3階の建物がある。横に平屋建てもあったが,「あれ?なくなったのか??」以前は,平屋建て2棟と2階建ての計3棟だったのだ。 平屋建ての方に“ホワイトハウスホテル”の文字。「なに??」ホテルになったのか!?ずいぶんと変わったもんだ。 街をウロウロ歩き回った。あちこちに懐かしい風景が広がる。また,以前歩かなかったところも歩いた。通りかかった高校の前では,多くの女子生徒が手を振ってくれた。 小学校の前を通りかかった。下校時間のようだ。結構多くの親が迎えに来ている。車での送迎もあるようだ。 門の横を見ると,何やら乳酸菌飲料の販売をしている。私を見つけると,一斉に手を振ってきた。男が声をかけてくる。「5バーツ(約15円)ですが,買いませんか?」,「え~?学校の様子を撮ってるだけやし,いらんけど…」と私。 別に,のどが渇いているわけでなかったので,特にほしいと思わなかった。通り過ぎようと思ったが,しかし…横から「安いので,買ってくださ~い!」と,女の子。う~ん… 「はい,買います!」…で,この通り。女の子が出てくると…しゃあないやつやなあ~(^_^;) しばらく一緒に呼び込みもした。 タイには,乳酸菌飲料や大容量のヨーグルトドリンクがたくさんある。この時以来,ヨーグルトドリンクを多く飲むようになった。ちなみに,帰国後に有名なアジア光俊さんに教えてもらって知ったことだが,この乳酸菌飲料はタイで大手のダッチミル社だった。5/20の日記「タイのヨーグルトドリンク」にも載せてある。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/24
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恵まれたニッポン。物があふれかえっている。人々は,贅沢な暮らしをしていることが多い。6/4「フィリピンのスラム街」の続編である。 これが,2階へ上がるはしごが外にかかっている家である。あとから継ぎ足したのか,もとからこのような造りなのかは,わからない。とにかく,いろいろな形の質素な家が多くひしめき合っていた。 これは,マニラシティの城塞イントラムロスから見たビノンド地区である。ここは,スラムではないと思うが,やはり,家がひしめき合っている。 キアポ地区の住宅。前の通りでは,多くの人々がいた。子どもたちは元気に遊んでいる。大人たちは,なんとなくそこにいる感じであった。ここもスラムではないと思うが,ゴチャゴチャした雰囲気ではある。 ここは,ビノンド地区から北西に結構歩いたところ。スラムのトンド地区の近くと思う。ひょっとして,スラムに入っているのか??ここも,質素な家々が多くあった。 この画像を紹介するのは,「こんなとこへ行ったんや!」と自慢?するわけではない。世界には,いろいろな人々がいて暮らしがあり,厳しい現実が存在することを知ってもらいたいためである。街には,手持ちぶさたな大人たち,物乞いをしたり,物を売っている子どもたちも多く見かける。 日本では,簡単に何でも手に入る。もちろん所得の格差はあるが,向こうから見れば,いくら生活が苦しくとも,贅沢なのである。貧乏旅行者でも,金持ちなのである。だから,日本人は,よくぼられたり欺されたりする。物価が安いからといって,値切りもせずに簡単に言い値でお金を払ったり,優柔不断で人のいい国民性も相まってであるが。 不景気で,日々の生活に苦労をしている人も多いと思うが,今日をどのようにして生きていこうか(言い方が違うかも知れないが)…なんて考える人が日本でどれだけいるだろうか?向こうの人々は,それでも逞しく生きている。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/23
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ブルネイには,まだ多数の水上住宅=カンポンアイルがある。私が行ったのは,'01年8月なので,もう5年前である。6/22の日記「ブルネイ カンポンアイルで火事」でも,紹介している。 ブルネイ川の上に家々が建っているのである。ここに多くの人々が住んでいる。多くのボートが高速運転している。 住人は,一介の旅行者の外国人の私にも,結構愛想よく陽気に接してくれた。この住人も,おもしろかった!また,家から下の川にいるカニを釣り上げて漁をしている人にも会い,見せてもらった。住人に声をかけられて,紅茶をもらったりもした。ほとんどの人が,「Welcome to BRUNEI!」,「Hello!」と声をかけてくれた。 子どもたちも,多く集まってきた。みんな,ニコニコしている。 学校も,川の上にある。このときは,残念ながら日曜日で閉まっていた。平日に行ったらよかった… ボートが交通手段のため,こんな水上GSがある。なんとも不思議な光景だった。 陸上に家を建てる人も増えたらしいが,まだまだ水上に住んでいる人は多いようである。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/22
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タイのバンコクからメーソットまでのプーケットエアに乗った。機体は,日本の誇るYS-11機。この機に乗るのは初めてだった。'05年8月。 機内の表示は,英語と並んで,ちゃんと日本語が書かれている。まだまだ元気であるが,機内は,かなり年代物の感じがした。プロペラ機独特の音がする。日本でも,まだ現役で働いていると思うが,この機に乗れるのは,なぜかうれしい。 これは,バンコクを離陸してから撮影したもの。川の流れがよくわかる。昨日に続いて,上空からの画像だ。日本の川と違って,水が茶色い。 約1時間ほどのフライトだ。着陸の数分前から機体が揺れだした。雨も降っている。それにしても,かなりの揺れだ。「キャー!」各地で悲鳴が上がる。いきなり,急降下だ。まるでジェットコースターだ。おいおい大丈夫か??周りを見ると,不安そうな顔。もちろん,無事に着陸した。 これが,プーケットエアのYS-11だ。着陸後にメーソット空港で撮った。そういえば,最近の機体って操縦席の窓が開いたっけ?? しかしながら,今は,この路線は飛んでないと思う。 今日から出張で,2日ほどここを休みます。その間,下記の本サイトにでも立ち寄ってください!,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/19
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雨季になると,国土の1/3が水に浸かるというバングラデシュ。私が行った'04年8月は,2/3が浸かっていた。 お気に入りブログの,閑 甚太朗さんの,バングラデシュ珍道中記の7/17,18の日記に乾季の上空からの画像があったので,雨季の様子を載せてみた。(本当は,もう少し先に出すつもりだったのだが…) これは,タイのバンコク発の飛行機で,ダッカのジア国際空港に着陸前に撮ったもの。おそらく,ふだんはほとんどが陸地と思われる。(間違っていたら,すみません…) これは,コックスバザール発のビーマンバングラデシュ機から撮ったダッカ上空。これも着陸前。やはり,水浸しである。上の画像とは9日間開いている。 ダッカ市内。そこら中,水たまりだらけだった。困ったのは,チッタゴン行きのバスに乗ったときだ。待合所の前にバスが来た。歩道から道路までなぜか板が渡してある。しかし下は土である。「なんで,わざわざ板が?」と思い,横の土に直接足を下ろした。「わ~っ!」いきなり,靴の半分が土に埋まった。じつは,泥だった!しかも,汚いし臭い。 すぐに待合所に戻り,泥を払う。しかし大量についた泥はすぐに取れない。周りにいたみんなが,「気の毒に!」と言っていたが,親切なもので,ある人は,ティッシュをくれたし,バス会社の人はホースで水をかけてくれた。私の靴はスニーカーだが,あちこちに隙間の空いているタイプなので,水をかけすぎると中に入る。慎重にかけてもらった。バスに何時間も乗ったが,最後まで気持ち悪かった… コックスバザールで。これは,雨が降っていないときの様子。向こうは海である。 雨が降り続いた。このように,水浸しだ。向こうの海も荒れていて,水の色は茶色だった。泳ぐどころではなかった… 今年は,どうなんだろう?↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/18
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タイのナコーン・ラーチャシーマー(コラート)。大きな都市である。そこには,変わった寺院があった。名前は,ワット・パーヤップ。新市街から旧市街に入ったところにある。'05年8月。 各地から集めた鍾乳石や石を張り巡らしためずらしい瞑想部屋があるらしいので,行ってみることにした。建物は大きいので,すぐにわかった。昼過ぎだったが,人はほとんどいなかった。 こんな丸い形の寺院は,あまり見たことがない。しかも,1階部分は店などが入っていた。妙な感じだった。この建物自体は,あまり古くなさそうだ。敷地内に入ってみると,タイでは見慣れた形の建物があるふつうの寺だった。しかし,どれがその瞑想部屋なのかわからない。よく見ると,ちゃんと小さな案内板がいくつかつけられていた。それでも工事中だったので,入り口がわかりにくい… …と,1人の僧侶が向こうから手招きしている。「こっち!」と言ってくれていた。塀があって,外からは少しわかりにくかった。入り口から,いきなり怪しい!外側にも石が貼ってあるとは思わなかった。 天井には,鍾乳石がいっぱいあり,まるでどこかの洞窟に入ったようだ。壁も石などが一面に貼ってある。池のようなものもつくってあった。薄暗い中,鯉が泳いでいた。これはすごい!本当に瞑想ができそうだ。横を見ると,若い僧が何人か横になっていた。私が来たことに気づくと起き上がった。 僧侶は,一生懸命にいろいろと説明してくれた。とてもうれしそうに話している。しばらくゆっくりとした。日本のことも聞いてきた。興味深く聞いている。ノートに記帳もした。たまに日本人も来るようだ。しかし,タイ人や欧米人の名前の方が多かった。寄進も少しした。「日本のお金が見たい。」と言うので,小銭を見せた。めずらしそうに見ていた。僧侶の写真もOKだった。 とてもいい人だった。なんとなく,さわやかな気分で寺を後にした。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/17
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タイ東北部の町,コンケーン。○球の歩き方には,コーンケンと書いてあるが,この言い方では全く通じなかった。ピッサヌロークから,ノンエアコンバスで5時間40分。137バーツ(約411円)であった。'05年8月である。 昼前に,町外れの湖まで歩いた。ブン・ケン・ナコーン湖だ。市民の憩いの場になっている。のんびりとした雰囲気だが,ほとんど人がいない。湖の中にはレストランがあったので,そこで昼食をとろうと敷地に入った。と,誰もいない…なんでやろ??少し待っていると,数名がやってきた。しかし,客のようではない。作業服を着ている。工事中?戸が開くので入ってみた。店員らしき人がいた。「今日は,閉まってるよ。」空腹のまま歩き回った… その後,湖畔でゆっくりと座っていた。周りでは,何人かがのんびりと休んでいた。お腹?もちろん空いているが,近くに店がない。それより,歩き回っていたので疲れたのである。やっと立ち上がる。少し歩くと,消防車が止まっていた。よく見ると,日本語が書いてある。 「中伊豆町消防団 第二分団」とある。その下には,タイ語が書いてある。おそらく,日本では引退した消防車が,ここまで運ばれて使われているのだろう。タイでも,日本の中古車は見かけることがある。工事の重機もよく日本語が書いてある。中伊豆町(合併して,伊豆市になったようだ)の消防団の関係者の方々は,おそらく廃車になったと思われているかも知れないが,こんなところで余生を過ごしている。まだまだ活躍しているのだ。 少し歩くと,たくさんの消防車が止まっていた。さらに横の建物に放水している。何かの訓練かデモンストレーションのようだ。TV局のカメラも来ていた。たくさんの人々が集まって見ていた。 湖は小さいとは言え,結構広い。休んだり寄り道したりしている間に夕方になった。最初に入った地点まで戻ってきた。おっと,いつの間にか人が増えていっぱいいる。さらに露店も出ている。昼間とえらい違いだ。やっと食べ物にありつけた!↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/16
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またまたラオスのサワンナケート。5/18の日記「ラオスで宴会」の続編画像である。ここ最近,仕事が忙しく,続編が続いている。決してネタがなくなったわけではございません! サワンのバスターミナルから,しばらく北へ走ったところにある友人の家である。メインの通りからは少し入って行かなければならない。 この家で1日を過ごしたことが何度かある。酔って泊まったこともある。これは,夕ご飯である。家族の一部しか写っていないが… この画像は,しばらく本サイトのトップページの画像として使っていたものである。友人や近所の人たちを招いての宴会である。私のための宴会なのである。ここは,高床式の家の2階である。 ここは,1階の部分。まあ,外である。いろいろな人が話しかけてきた。お互いにブロークンイングリッシュで何とかなるものだ。ラオ語しか話せない人とでも,なぜか仲良くなれる。不思議なもんだ。 ここでは,もう何回か宴会をしてもらった。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/15
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ビーチが広がっている,ニゴンボの町。6/14の日記「スリランカ ニゴンボのビーチで」の続編画像である。 以前書いた,声をかけてきたおじさんである。ビール瓶とコップを持っている。 時間が経つと,いつの間にかウィスキーに変わっていた。しかも,ちゃんとグラスになっている!かなり酔っているのだが…豪快なのか繊細なのか,よくわからなかった… これは,レストランの店員である。先ほどのおじさんとは別人である。日本語を覚えたいらしく,いろいろ聞いてきた。日本語がいくつか書かれている手帳を見せてくれた。そこで,指さし会話集の日本語版をあげた。喜んでくれた。 土産屋の家族。右側の青年は,日本へ留学したいそうである。土産を売るだけでなく,日本のことについて,いろいろと聞いてきた。 この国でも,日本へ行きたい人は多くいることがわかった。しかし,お金がかかるのでなかなか行くことができない。また,写真を撮る機会が少ないらしく,みんな喜んで写ってくれた。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/14
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昨日に引き続き東ティモールを。5/25の「東ティモール情勢」の続編画像だ。'03年8月だ。 そこら中で,ホテルや商店,民家などが暴動による焼き討ちに遭ったまま残っていた。また,首都ディリより東や西の地方へ行っても,やはり暴動の跡が多数残っていた。 これは,何でも揃っていたマートの焼け跡である。たぶん,独立後の焼き討ちに遭ったのではないだろうか。知らずに見に行って唖然とした。 焼け焦げた建物の前には,壊れた車もある。一緒に壊されたのだろうか? 焼け落ちた家は閉鎖されている。壁には落書きがされている。仕事がなく時間をもてあましている人や,政府に不満のある人がかいたのであろうか? 焼け焦げた民家。そこには誰もいない。こんな家や建物が,あちこちに点在していた。しかし,人々は,健気に生きていた。 これは,昨日の続きである。日本の原風景にも見える。今の日本に,このような光景は,あまりないだろう…↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/13
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混迷を続ける東ティモール。首都ディリには,外務省の危険度は最大が出されている。たいへん心配だ。政府はどうなった?オーストラリア軍は,まだ治安維持に参加しているのか? 6/13の日記の続編画像である。 あのとき出会った人々,子どもたちは今どうしているのだろうか?私が行ったときは,焼き討ちなどに遭った家や建物が痛々しく残っていたが,撮影したときの家は無事なのだろうか?学校に行けてなかった子どもたちのことも気になっていたが,今はそれどころじゃないだろう。多くの市民は,町から避難しているという。 この木は,かなり巨大であった。子どもたちは,その上に軽々と登っているのである。2階か3階ぐらいの高さはあった。最初,通りかかったときは,上から声をかけられた。 子どもたちは,撮ってもらおうと必死で押し合いだ。男女の間で小競り合いもあった。庭の木の前でポーズをとったりもしている。 終盤には,いつのまにか,おじいちゃんも出てきての撮影だ。途中,お母さんも撮影に参加している場面もあった。 延々続いた撮影会?だが,最後に男の子が,「ありがとう,これ以上時間をとったら申し訳ない」(たぶんテトゥン語なので,推測)という感じで言ってきた。そこで,みんな「サンキュウ~!」の声でお別れだった。 東ティモールの平和を願っている。 別の場所で撮った子どもたち。見た瞬間に集まってきた。こちらも,たいへん賑やかだった。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/12
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ミャンマーには,戦後にあったような古いトラックが多数走っている。 これは,'99年に行ったときも昨年に行ったときも変わっていなかった。タイムスリップしたかのような感覚になる。 これは,トラックバスである。車両が古いのがお分かりだろうか?上には,荷物満載だが,下の座席も人間が満載になることが多い。('05 モウラミャインにて) こんな乗り方もある。このトラックも古い!まさしく戦後のようだ??しかし,すごい乗り方だ。('99 パテインにて) こんな状態のも,めずらしくない。ちゃんと走るのである。雨の中も大丈夫なのか?…で,聞いてみたが,「全く問題ない!」ということだったが…('05 バゴーにて) もちろん,現代風?のトラックもある。しかし,過積載もいいとこだ!おまけに,上には人が乗っている。('04 タチレクにて) こんなのもある。トラックと言うより,組み立ててトラック風にしただけに見える。トラクターのような音を立てて,超ゆっくり走っていた。('02 タチレクにて) 画像には出ていないが,もっと古いのも多くあった。まあ,このように,トラックもまた見ているだけで楽しい!!↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/11
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インドネシアのロンボク島。'03年8月だ。隣のバリ島は,超有名だが,こちらは比較的人が少ない。まだまだ素朴な一面が残っている。 ビーチで,のんびりした。さらに,バイクを借りて走った。1番にぎやかなスンギギという町に泊まったが,そこから2時間以上走って,北部のBayanという町まで行った。 途中には,いろいろな景色があった。あちこちで,ゆっくり止まって景色を眺めたり,人と話したりした。海は真っ青で,とてもきれいだった。 おもしろい造りの舟もあった。これで,漁でもするのであろうか?似たような舟に子どもたちを含め人がいっぱい乗っているのも見た。 海岸にある民家だろうか?何か作業するための家?? 南部の町,クタのタンジュン・アン・ビーチだ。近くに,ロスメン(ゲストハウス)が数件あった。また,ホテルも少しあったが,観光客をほとんど見かけなかった。ビーチに行くと,私1人で誰もいない。しかし,横から人がやって来た。物売りだ。しかも,あとからいっぱいやってくる。売り子の方が多いやん!これで商売が成立するのか?? インドネシアとマレーシアのどちらにも,ナシゴレン,ミーゴレンがあるが,インドネシアの方がずっとおいしかった。マレーシアのは甘みが入りすぎてイマイチなのだ。他の食べ物も,おいしかった。 バリ島には,この前後に滞在した。 《P.S 5000HITは,自分だった》↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/10
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おなじみ??のラオス南部のサワンナケートの「続・ラオスのある場所で…」の画像追加編である。6/2の日記参照。 最近は,朝に新編,晩は追加画像の1日2回書いている。しばらくは大丈夫だが,今後ネタ不足になると困るので,明日からもとの1日1回に戻そうと思う。追加画像の続編も,朝に書こうと思う。 湖に行く前に,途中の店で昼食だ。彼女は,ある店で止まった。この店は,テーブルは外にある小さな店だ。たぶん地元の人でないと寄らないだろう。だいたい,こんな町外れまで外国人はめったに来ないだろう。2人乗りで走っていると,みんながめずらしそうにこっちを見ている。 右側の卵は,ゆで卵だ。しかし,これは孵化する直前の卵をゆでているのだ。殻を割ると,中から黄身とともにヒナが現れる。珍味なのだが,私は苦手だ…ご飯は,餅米のカオニャオ。手でこねて食べる。あとはサラダだ。完全に地元仕様だ。サラダは,癖があって食べにくかった… 食事の後,バイクで湖に向かう。途中には,このようにいろいろな動物たちが迎えて?くれる。というか,通せんぼだ。ふつうに,そこら中にいる。 湖で水を汲んでいる。以前の日記で書いたように,木を大切に育てているのだ。しかし,彼女は少し前からベルギーに留学中。雨季はいいが,乾季の木の世話は,どうするのだろうか?↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/09
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ミャンマーでは,日本の中古車がたいへん多い。韓国製もある。超古い乗用車もあるし,最近のやつもある。バスは,日本語がそのままのものが多い。なぜ消さないのだろうと思っていた。どうやら,日本語が入っていた方がいいらしい。日本製の高品質は世界で有名である。その日本製ということを示すためにわざわざ残しているらしい。車体や車内の広告なども,そのまま残してある。乗っていると,日本にいるようだ。 しかし,'99年に行ったときと,昨年行ったときでは,微妙に違っていた。昨年行ったときは,日本車は相変わらず多くあるものの,日本語を消してある車両を結構見かけたのである。この変化は何なんだろう?たまたま,そうだっただけなのか? しかし,ミャンマーは日本と違い右側通行である。だが,ハンドルは右ハンドルのまま。走行中は,追い越しをしょっちゅうするのだが,対向車が見えない。そこで,必ず横にもう1人いる。その人が,時にはドアから体を乗り出して対向車を見て追い越しの合図をしているのである。 車内は,ボロボロになっていることが多い。エアコンも,とうの昔につぶれている。シートもガタガタ。さらに,日本では路線バスだったものが,長距離用として走っているものもある。 ヤンゴン市内で見かけたこの路線バス。なんとなく懐かしい…あっ,京都市バスだ!このバスは,文字が消してあったが,別の場所で見た市バスには,ちゃんと「京都市交通局」という文字が残っていた。 なぜか多い名鉄バス。これも,もとは路線バスだが,長距離用として使われていた。これは,'99年に南西部のパテイン~ヤンゴンまで乗ったもの。名鉄バスは,昨年もあちこちで見た。 こんな楽しみも,ミャンマーにはある。また,トラックは戦後間もない頃のようなすごいのも多くある。また,後日紹介する。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/09
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バティアリの船舶解体場の続編画像である。「バングラデシュの船舶解体」5/20の日記参照。 こんな大きなフェリーが解体されていく。 それが,こんなになるのだ。よく,あんな巨大な船舶を大きな重機もなくバラしていけるなと思う。 バラしたパーツが,バラバラに散乱している。この上を,軽装で歩き回っているのだ。はだしの人もいるが,ケガはしないのか?? バラした綱板を,みんなで運ぶ。肩に乗せて歌を歌いながら運んでいる。かなり重そうだが,大勢で歌いながら運び,重さを感じないようにしているようだ。 こうやってバラしたパーツやエンジンなどを表通りの多くの中古パーツ屋で売っている。ダッカにも運んで売っているそうだが,ここで買う方が安い。 ふつうは,立ち入ることが禁止されているところを,ホテルのボーイ兼ガイド(この国は,まだツーリスト産業が,あまり発達していない。)が無理に頼んでくれた。ただし,事務所から見えるところは撮影禁止だ。真剣に働いているので,撮影は嫌がるかと思ったが,みんな意外と愛想良く写ってくれた。貴重なものを見せてもらった。しかし,なんとなく,これでいいのか?と考えてしまう光景だった…↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/08
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ここは,ミャンマーの某駅。サイカーのおじさんの案内で駅構内を見て回った。 そのとき,駅裏まで連れて行かれた。外れに門があった。(なんやろ??)入った。質素な車庫のような建物があった。そこにSLが止まっていた。「お~現役で走ってるんや!」何台か止まっている。整備中のもあるようだ。 整備をしている人に何か交渉している。どうやら本当は入ってはいけないらしい。ドライバーが言う「許可が出た!」だいたいSL自体,日本でもゆっくり見たことがない。私にとってはめずらしい。 「乗ってみるかい?」…で,手すりを持った。「うわっ!」炭でベタベタだ。しかし持たないと乗れない。仕方なしに,そのまま中に入った。持つところ全部ベタベタだ。中に入るのなんて初めてだ。 おもしろかったが,手のベタベタがとれない…しばらく,そのままの手で行動した。整備員には,チップを渡した。 駅裏には,民家が多数建っている。東南アジアでは,めずらしいことではないが,線路のすぐ横に生活があるのだ。 しかし,こちらは完全に線路の上だ!列車が来てもよけられない。ここは,表側で完全に駅構内。引き込み線なので,列車が来ることはめったにないように見えるが,大胆だ! 人々が,ふつうに暮らしているのである。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/08
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5/21のラオスの日記の続編である。(詳細は,前日記を参照。)朝は新日記,晩は画像追加編を書いている。 ラオス北部の町,シェンクアンでは,インドシナ戦争以来25年以上も経った今も,不発弾により年間100人ぐらいの死傷者があるそうだ。爆弾は,通称ボール爆弾,地元ではボンビーと呼ばれている。 いろいろなサイズがあるが,私が泊まったゲストハウスに置いてあったもの。これは,小さめである。私の身長は170cmである。爆撃機からこれが投下されるのだ。この薬莢の中には野球のボールぐらいの小爆弾が詰まっている。さらに小爆弾の中にはパチンコ玉ぐらいの鉄球が無数に入っている。これが地上で爆発して飛び散るのだ。 ゲストハウスの食堂兼ロビー?です。暖をとるために薪をくべるのに利用しています。 ボール爆弾が,民家の塀として利用されている。手前にいるのは,飼っているブタ。 このように,家の土台にもなっている。うまく利用したもんだ。 そこら辺の商店や民家にも,ふつうに置いてある。 戦争と言えば,カンボジアやベトナムばかりが言われるが,ラオスの被害も甚大なものだったのである。みんなにも,もっと知ってほしい!↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/07
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ミャンマーで,鉄道に乗った。ヤンゴン~バゴー間とバゴー~モッタマ間の,2回乗った。 普通席がオーディナリークラスで,いいのがアッパークラスだ。ほんまの庶民と一緒ならオーディナリークラスだが,線路事情が悪いと聞いていたので,アッパークラスにした。アッパークラスはリクライニングする座席だが,乗ってみるとかなりボロかった…でも,バスよりも少し余裕があった。 エアコンは,ない。扇風機があるだけだ。電灯も壊れていて,豆電球のような小さな球がついているだけである。モッタマへ行ったときは,夕方になり暗くなったが,電球だけではほんまに暗かった。途中から,何人かのオーディナリークラスの客が入ってきて,勝手に座っていた。車掌に注意されていたが,追い出されることはなかった。いいんかいな?? 駅に止まると,窓から売り子が一斉に来る。乗り込んで,天井伝いに歩いている売り子もいる。たいへん賑やかだ。 さて,一番の売り物??は,名物縦揺れだ。横揺れは,日本でもある。しかし,ここでは縦揺れがあると聞いていた。どんなんだろう??それは乗ってみて,わかった。 列車のスピードは,たいへん遅い。しばらくは,横揺れしかなかった。ほんまに縦揺れなんてあるのか??乗車後,何十分かして少しスピードアップした。おっ!来た来た,縦揺れだ。しかし言葉で言うのは難しい…まさに縦揺れだ!(説明になってない…)こんな感覚は初めてだ。なんか飛び跳ねているようだ。 列車が古いせいだろうかと考えながら,線路を見ていた。すごい線路だ。レールが完全に浮いている。そら縦揺れもするわ!と思った。さらに,脱線するんじゃないかと思った。 全部こんなわけでないが,すごいレールである。たまに,外れて脱線するそうだ。一度乗ってみることをお勧めする!?↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/07
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今晩は,5/31の日記の追加画像である。こういった車を見ると,何十年も前の日本に戻ったような錯覚に陥るような気がする。 三井精機のハンビーと戦後のマツダの現地生産車である。タクシーになると思う。たくさん止まっていた。(モウラミャインにて) 左はハンビーだが,右に何台かある車種は,わからない…(モウラミャインにて) 客を乗せ,走行中のマツダ K360。僧なども乗っている。(バゴーにて) 他に,日本語が入ったままのバスなども多数ある。また紹介していきたい。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/06
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ここは,バゴー駅。多くの人々がいる。 こんな風景は,めずらしいことではないが,線路上にふつうに人がいる。多くの人が座っている。列車の乗り降りも,ホームだけでなく,直接線路に降りることもしばしばである。 ある意味,のどかな風景である。荷物をいっぱいに持った人もいる。しばらく構内をウロウロした。 列車が入ってきた。汽笛を鳴らしている。しかし,人々はほとんど動かない…そこら中に荷物が置いてある。轢かれる!列車は,超ゆっくりだ。ギリギリまで迫ってきた。寸前でやっとどけた。みんな落ち着いているが,見ているこっちが冷や冷やだ。 しかし,荷物の多いこと!これらを次々に下ろしたり積んだりしている。忙しいのか,のどかなのか,わからん風景だ。 売り子も多くいる。列車が入ってくると,このように食べ物などを売るのだ。たくさん集まってくる。このときだけは,にわかに騒然とする。この列車は,私も乗った。また,後日紹介する。 よく見ると,ずっと座っているだけの人もいる。列車が何本か来たが,どれにも乗らない人がいるのだ。暇つぶしに来ているのか?? 駅は,ただ見ているだけでも楽しいのだ。 ↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/06
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ゴールデンロックで死にかける!(6/24)の追加編です。追加編第2弾である。 トラックの様子は紹介したが,本体そのものは載せてなかった。 これは,ゴールデンロックそのもの。ミャンマーの人々の聖地のような所だ。落ちかけなのは,わかるだろうか? 手前には,このような施設が広がっている。多くの人々が訪れている。 また,毎晩を目標にランダムに追加編を載せていく予定。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/05
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タイ北西部のメーソット。'05年8月。雨季で毎日ずっと雨だった。アジアクロスカントリーラリーで片山右京選手がメーソットに入る前日に次の町へと出た。 町の南の方にスコータイ,ピッサヌローク行きのミニバスターミナルがある。そこへ,まず行った。次は,ピッサヌロークへ行こうと思ったからだ。係のおばちゃんにお金を払う。147バーツ(約441円)だ。他方面行きのバスが,何本か出入りしている。「来たら,教えてあげる。それまで街でも見てきたら?」しかし,周辺は,すでに前日までに見て回っている。しかも,やまない雨の中だ。さらに,見に行っている間にバスが来てしまう恐れもある。わざわざ私を待ってくれる保証もない。町歩きは早々に,待合所に戻ってきた。暇な時間が続く。何台かミニバスが来たが,全て他方面行きだった。 また,バスが来た。待合所にいたみんなが乗り込む。欧米人が多い。ドライバーが何か呼び込んでいる。タイ語で,さっぱりわからない。おばちゃんは,私に何も言わない。予定時刻が来ているが,これも違うのかな?なんとなくイヤな予感がし,おばちゃんに聞いてみる。「このバスは,ピッサヌローク行きと違うの?」おばちゃんは言う,「なにやってんの?このバスよ。早く乗らないと!」…えっ!?来たら教えてくれると言ったのはなんだったのか??すでに,みんな乗り込み,席は1つしか空いていなかった。場所は確保できたが,私のバックパックを置く場所がなく,屋根に乗せることになった。今は,雨季。しかも,このときは毎日雨が降り続いていた。ドライバーとおばちゃんが困った顔をして何やら話している。ドライバーがどっかへ行ってしまった。約10分後,ビニールシートを持って帰ってきた。そして屋根へ上った。わかった,私のバックパックにかけるカバーを買いに行っていたのだった。雨季やのに準備してないんかい! 荷物を乗せるのを見届けるために,ずっと外にいた。バスに入る。補助席が1つ空いているだけ。座る。あれ??背もたれがない…しかも古くて傾いている。ここに何時間も乗るのか?でも仕方ない。バスが発車する。よく揺れる。しかも,山で坂道なども走る。何回も後ろにひっくり返りそうになった。背もたれがあれば,何の問題もないのだが,後ろへひっくり返ることは,後ろの乗客に突っ込んでいくことになる。かといって,前傾姿勢をとるほど車内スペースは広くない。必死で踏ん張る。これは,しんどい。あちこちの筋肉が痛む。周りを見ると,他のみんなはくつろいでいる。何で私だけしんどいめをせんなんねや! 途中に検問が3回もあった。パスポートを見せたりしたが,タイ人は丁寧に調べられていた。そう言えば,メーサイからチェンライの途中でも検問があったなあ。たぶん,麻薬などのチェックかな?1時間ぐらい走った。途中で,後ろの客が降りた。チャンスだ。素早く後ろの席に移動した。補助席だが,ここは背もたれがある。あ~楽や!私がいた席には,別の客が乗ってきた。一瞬とまどった顔をしたが座った。やはり,しんどそうだった。 スコータイまでは,3時間かかった。さらに,ピッサヌロークまでは,計4時間20分だった。しかし,背もたれがあっても疲れた…↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/05
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今日から,以前書いた日記の追加画像を1,2枚ずつ載せていくことにした。毎日できないかも知れないが… というのは,いつも1枚だけ画像を載せていた。あまり多く載せると本サイトとの区別がつかなくなると思ったからである。しかし,依然として本サイトのアクセス数が伸び悩んでいる現状で,やはり多くの画像を出そうと思い直したのである。ここには,本サイトにも載せていない画像も,いくつかUPしているのだ。 1枚だけなら伝えにくいこともあると思い,追加画像としてランダムにUPしていくことにした。基本的に,朝に新しい日記,晩に追加画像をUPしていこうと思う。 今日は,5/22の「ミャンマーの,すごい観覧車!」の観覧車の上部の拡大画像版だ。観覧車の上に人がいるのがわかるだろうか?詳細は,日記参照を。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/04
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ラオスの人々は,シャイである。カメラを向けても,すぐに横を向いてしまう人が多い。なかなかいい画像が撮れなかった。それは,子どもたちも同じである。まあ,カメラやVTRが比較的めずらしいこの国で,知らない外国人に声をかけられても答えにくいのか?しかし,東ティモールやバングラデシュでは,逆に人が多数集まってきた。ラオスでは,人が集まってくるということはない。 しかし,最近は,様子が変わってきたのである。結構,笑って写ったりポーズをとる人が多くなってきた。どちらかというと,子どもたちの方がその傾向にある。ひょっとして,傾向が変わってきたというより,私が現地化してきて近い存在になってきたのか?? とにかく,気軽に写ったりポーズをとってくる。やはり笑顔が一番いい。 ホテルの前の家で遊んでいた子どもたち,撮影するとみんな集まってきた。 このときは,以前書いた知らない会社の宴会後に参加後に撮ったものであるが,記憶が全くない…あちこちで,いろいろな人を撮影したり話しかけたりしていたようだ。あとでVTRを見てビックリだった。 これも,同じ時のもの。時間が経過しているのがわかるだろうか? これは,サワンナケートの郵便局の近くで。お茶目な子どもたち。日は違うが,全て行きつけの?サワンナケートで撮ったもの。↓下記のサイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/04
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ミャンマーの古都バゴー。ヤンゴンから列車に揺られてやって来た。まだ朝の9時15分だ。 駅に着くと,構内にいたおじさんが声をかけてきた。なんかの客引きか?と思った。とりあえずついていった。おじさんは,勝手に私の大きい方のバックパックを持っている。駅前に出た。サイカー(自転車タクシー)のドライバーだった。ホテルは?と聞かれ,考えていたホテルを言う。別のホテルの名刺を出されたが断る。街から少し離れたホテルにしようと思っていたのだ。どうしても名刺のホテルに連れて行こうとするなら,他のドライバーにするまで。駅前には,たくさんのサイカーがいた。 「わかった。」とドライバー。ホテルへ向かった。そのとき,私は早くホテルへ行きたかった。前日,飲みすぎて腹具合がいささか緩くなっていたのだ。しかし,途中で「ご飯は食べたのかい?」と聞いてきた。「食べたよ。」早く行ってくれ~!しかし,見事にレストランで止まってしまった…おいおい!「お茶ぐらい,いいだろう?」と言う。仕方ないなあ。店に入る。紅茶が出てきた。少し食べるものも出た。しばらく話した。いろいろ聞いてくる。30分ほどして,やっと出発だ。今度は,ホテルへ向かった。「午後から,どこかへ連れて行くよ。」と言って去っていった。私は,どうでもよかった。「わかった。」と生返事しておいた。部屋に入った。すぐにトイレへ行く。水が出ない??部品が外れている…つけ直す。応急処置で使えるようにはなった。その日は,朝5時に起きていたので,眠たくなり寝てしまう。昼間は電気が来ないので,暑かったが睡魔の方が勝った。 目が覚めた。1時をまわっている。そういえば,サイカーのドライバーは12時とか言ってた。まあ,いないだろう。街へ出ようとホテルを出る。玄関を出ると,ちゃんとドライバーは待っていた!「よく寝たかい?」あらら…まあ,いいか。このドライバーのお世話になることにした。 まず,お腹がすいた。「どこかレストランに行ってほしい。」,「OK~」で,行ったレストランの食事風景が,このブログの1番最初の日記である。ビールも飲んだ。あちこちをまわった。そのときの画像は,またの機会に紹介する。そして,「我が家に来ないか?」と言い出した。地元の人の家へ行く機会は,そんなに多いことではない。すぐに,「行きたい!」と返事した。街から少しはずれの通りを走り,小さな路地へ入った。道ばたでは,子どもたちが遊んでいる。高床式の質素な家が並んでいる。その1件が自宅だった。 中には,小さな子どもと奥さん,親もいた。お茶を出してくれた。のんびりと話をした。周りの家からは,子どもたちがめずらしそうにこちらを見ている。隣の家からは丸見えだ。なかなかいいひとときだった。夕方になってきたので,この日は帰ることにした。このドライバーは,この後も乗ることになる。↓下記のサイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/03
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ミャンマー南東部の町,モウラミャイン。大晦日の日に訪れた。 着いたのは,夕方6時半頃。もう真っ暗だった。宿を探す。しかし,「うそやろ~!」どこも満室。なんちゅうこっちゃ。この町には,外国人用の宿はあまりない。大晦日に野宿か??必死に探し,やっと1部屋あった。久しぶりのトイレ,シャワー共同のゲストハウスだ。つまり,部屋だけだ。窓もない。$3だ。 最近は,ゲストハウスへ泊まることが少なくなっている。歳をとってくると?,安全面を1番に考えてきてしまうものである。なにか原点に返ったような気分だった。 シャワーとトイレは,外国人用につくったものを使わせてもらった。隣を見ると,現地人用のトイレだった。外国人用はカギがかかっていて,ふだんは閉めておくように言われた。外国人用とミャンマー人用のトイレ兼シャワールームが別々にあるわけだ。しかし,外国人用は,蛍光灯が切れていた…入ってしまってから気がついたので,仕方なしに隣の灯りにたよった。 他の部屋は,ミャンマーの人が泊まっているようだ。家族連れもいた。フロントの周りでは,数名がテレビを見たり,新聞を読んでいた。これは,めずらしい光景ではないが。 大晦日,いつもどこの国へ行っても深夜まで起きている。友人と行っていた頃は,0時のカウントダウンに合わせて,「A HAPPY NEW TAKOYAKI~!」と叫んでいた。んん?TAKOYAKIって,なにって??細かいことは考えない!しかし,この日は早々に寝てしまった… そして次の日,いきなりチェックアウトした。そして,町で1番高いホテルへ向かった。昨日の反動か??じつは昨晩も訪れていた。ただし,最初から泊まろうと思ったのではなく,どこも空いてないのでまわったのだ。昨晩は満室だったが,なんとなく印象が良かったので,贅沢したくなった。しかしある意味,賭けである。空いている保証はない。年末年始で客は多いようだ。空いてなければ,また昨日のホテルへ戻ることになる。そこへ別の客が入ってしまっていれば,また探し直しだ。 フロントで聞く,「今日は空いてますか?」,「よかったね,あるよ!」宿泊客が多いことには違いがなかった。ラッキーだった。1番高いといっても,1泊シングル$27で朝食つきだ。素泊まりなら$23らしい。 部屋からは,タンルウィン川が見える。いい眺めだ。衛星放送も入るようだ。つけてみると,そこら中の国の放送が入るではないか!アジア各国だけでなく,中東,アフリカなども入る。しかし日本は?ない…チャンネルをいろいろ変える。と,どこかで見たことのある絵,聞き覚えのある声…朝鮮中央放送だ!まさか,こんなところでお目にかかろうとは。しばらく見てしまった。ニュースだけでなく,映画などもやっていた。どっかの敵国と戦っているものだった。おもしろいので,滞在中何回も見た。結構,いろんな番組があった。今度は,どこの国のどこの町で,出会えるだろうか!↓下記のサイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/02
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有名なフィリピンのセブ島。'03年3月に行った。セブシティのある,セブ島で泊まった。ビーチリゾートがあるのは,空港もある隣の小さな島のマクタン島である。ふつうは,こちらへ行く人が多いと思う。 セブシティは,フィリピン第3の都市である。車が多く行き交っている。ジプニーの型も違う。人々も多く歩いている。陽気に声をかけてくる人もいる。マニラとは感じが少し違うが,町並みにはアジア特有の混沌とした雰囲気はちゃんとある。古い民家,マーケット,商店,教会…どれを見ても楽しい。例のごとく,何時間も歩き回った。これだけで満足なのだ。 夜,歩いていると屋台街があった。串焼きのいいにおいが煙とともに漂ってくる。腹がますますへる。串を食べることにした。焼き鳥などを食べた。うまい!もちろんビール付き。しかし,人が多く店も忙しい。なんとなくゆっくりできなかった。私は,酔いながらゆっくりとするのが好きなのだ。 次の日,大通りから少し外れた通りに行ってみた。辺りは暗い。そこで小さな食堂を見つけた。店頭のガラスケースに作り置きのものがある。ジャーもある。テイクアウトできるようだ。テーブルは,6人掛けが1つしかない。水やお菓子なども売っていた。食堂兼商店のようである。 入ってみることにした。ここには,あまり観光客は来ないようだ。ビーフンのようなものや野菜スープを食べた。ご飯もあった。あっさりとしていたが,おいしかった。 家族経営で何人かいたが,とてもフレンドリーで,あれこれ話しかけてきた。長い間いろいろな話をした。家族の1人が私と同業者ということもわかり,ますます盛り上がった。 私は,あちこちの店へ行くより,親しくなったら,そこへ通うタイプである。次の晩も行ってみた。「あれ?」シャッターが半分閉まっている。ガラスケースも出ていない。中をのぞく。誰もいないと思ったら,ちょうど中から1人が出てきた。「今日は,お祈りの日なので早く終わったの。」…ってことは,ここでは食べられないってことだ。他の店を探そうかと思っていたら,「まあ入ったら?」と言われ,とりあえず中に入った。 「カップ麺ならあるよ!」棚を見ると,いろいろ並んでいる。しかし,カップ麺ではなあ…だが,せっかく親しくなった縁だ。ここで食べていこう。ビールは,ちゃんとあった。家族の何人かは残っていた。また,いろいろと話す。お祈りの日は,早く店じまいするそうだ。 そのうち,お祈りへ行っていた家族が帰ってきた。「また来てくれたん?」,「食べるものがなくて,悪いねえ~」と言いながら,お菓子などをくれた。さらに,いろいろな話をし,楽しい夜になった。やはり,旅はいいもんだ! 次にセブ島を訪れたときは,マクタン島で泊まった。2つの顔を見たかったからである。↓下記のサイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/01
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