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遺書を書き終え、元々物がなかった部屋を整理し、用意したロープの具合を確かめて、全てが整った。そして決行前日。 もう希望なんて言葉すら浮かばず、叱咤する自分を殺し、光すら想像することが出来なくなっていたためか、随分と落ち着いていた。やっと終わる・・・という安堵感すらあった。それが唯一の感情だったと思う。妙に居心地良くて、抜けかけた魂を引き留めているような感じだった。翌日の家族の行動はチャック済み。昼から夕方にかけて誰も居ないので、そこでさようならをしようと決めていた。 十数年前、中学の頃にやらかしてしまった自殺未遂を思い出した。今に比べたら、あれはほぼ突発的な行動だったように思える。結果、まあここに到るまでは死ななくて正解だったかなと思う。良いことも悪いことも、色んな事を経験して、たどり着いた答えがまた自殺だったというだけだ。当時と理由は違えど、死は同じ。死に方も同じだ。 夜になると、ちょっとテンションが高くなってた。情報収集でよく利用していた掲示板を読み返してみたり、自殺決行をカウントダウンしているブログを観たりして気分を高めたりした。そして、書き込んだ人達の『死』を望む理由を読んで、改めていろんな人がいるなぁと思った。生きる希望なしという単一のキーワードから派生していく様々な理由は、人の数だけ存在してるってことですな。 この29年間はどうだったよ?と自問した。脳内でマイクを片手に質問をする尻尾を生やした自分と、なぜか真っ裸の自分を想像して、インタビュー風のやり取りを一人でやったりした。「一言で言えば、どう表現しますでしょうか?」「ダメだコリャ」「やり残したことはありますか?」「食欲、性欲、その他の欲が涌かないのでないと思う」「今の気分は?」「禅を組めば浮けそうなくらい落ち着いてる」「今、何を見てる?」 本棚(ロープを本の後ろに隠してる)に目を向けて「ロープ」「そのロープを見て一言」「ロープの先が天使の輪っかに見える」 てな感じで馬鹿みたいなことをやってた。今思うとこれ、不安になりかけてた心を抑えようとしてたのかもね。冷静を装って、生きることに意識が傾かないよう、言葉で自分を責めてたのかもしれない。
2013年05月31日
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ニューヨークで積雪90センチ。その他の州で火災、竜巻。 メキシコで雹の嵐。車が埋まるほどみたい。 バングラデッシュの村々を襲った高潮で、80の村が水没。8万人が孤立。 http://poleshift.ning.com/ 世界で起こってる様々な異常事態を発信しているサイトは少ない。それでも警笛鳴らして、危険を報せようとしていらっしゃる方々がいる。 日本は目の前にある事実すら教えてくれないようなので、情報は自分で集めて取捨選択するしかないようです。テレビは真実伝えないし、ネットの検索も引っかからないし、嘘つきだらけ。 エイプリルフールの逆バージョンってわけじゃないけど、一日だけ嘘をついてはならない日ってのを定めたら?・・・大暴動が起きて経済は破堤、その日のうちに世界は終わっちゃうかもしれないけど、それを容易に想像できるんだからヤバイって話し。
2013年05月30日
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九月の中旬?ぐらいだったかな。いよいよ近いなぁと思いながら鏡なんか見ちゃったりして「やつれてる……」と呟いてた。人間ってやつは追いつめられると、自分の顔が誰よりもハッキリと分かるみたいです。心情が面に出てるから、もう酷いもんだった。目の下のクマなんか当たり前だし、顔全体が影に覆われているように暗いし、目はとろーん、笑うと垂れた頬が餅みたいにびろーん、生気が抜けて蒸発している証拠だ。 そうやってもののけ姫に出てくる木霊?みたいな面で日々を過ごしてたら、二匹飼ってる猫の一匹に異変が起きた。一日に何度もトイレに行ってはオチンチンの手入れをしている。それが1,2回ならいいけど、何度も何度もそれを繰り返してたから、すぐ病院に連れていこうという話しになった。 暴れないよう洗濯ネットで包んでやり、家族の中で一番言うことを聞くということで僕が彼を抱っこ。車で移動中、コイツも長いこと生きているなぁ・・・と場違いなことを考えてた。今年で13歳かな。すでに犬猫の寿命は10年・・・というのは過去の話だ。食いっぱぐれがなければこいつら20年近くは頑張る。亡くなった犬は17年生きたし。 んで、病院に駆け込んで早々結果がでた。飛び入りだったけど、夕方で誰も予約していない時間だったから助かった。診断の結果『尿道結石』。人間のそれとは違って、動物の尿道結石は非常に危険らしく、放っておいたら二日で死んでたという話だった。 原因はストレスかな・・・と思った。こいつらも生きてる以上、色んな事を考えるだろうし「ええいチクショー」って思うこともあるだろう。とくにこいつは僕と一緒で神経質っぽい性格だから、色々心に負担が掛かったのかもね。弟分のたぬきみたいな顔をしたふとっちょ猫に「シャーシャー」言ってるし。けど、何もないときは仲良く寝たりするから不思議・・・。 素人考えだとメンタル的なことを考えちゃうけど、医者は医者らしいことを言ってきた。どうやら基本的な原因は『魚』にあるらしい。意外なことに、魚に含まれる成分がアウトならしく、猫さんの体内に石を作るものがあるらしい。そういや、毎朝必ずちくわの切れ端をもらってたなこいつ。猫は鳥やネズミを狩って食べる生き物なので、本来は魚を食べないのだそうだ。人間と密接に暮らすようになって刷り込まれた習慣らしく、その獣医さんいわく「あげちゃダメ」の一言だった。そういや、もう一匹のふとっちょ猫は魚は食べないな・・・。性格の違いかと思ってた。 そんなこんなで、さっそく石の摘出開始。麻酔で眠らせて、おちんちんのところから管突っ込んでとかなんとか説明していたような気がする。ここらへんはあんまり覚えてない。所要時間は二十分ぐらいだったかな。摘出が終わってトレイに載せられた石を見てみると、砂漠の砂粒ぐらいの大きさの石だった。これ一個で死んじゃうのか・・・とちょっと驚いた。 麻酔で眠っていた猫さんが薬で起こされて、看護士さんに抱かれながら「んにゃー」と鳴いてた。よっぽど恐かったんだろうな。家に帰ってから、ほぼ僕の傍から離れなかった。まだ麻酔が完全に抜けていなくて、ヨロヨロしながらぴったりくっついてた。「よーしもう大丈夫よー」なんて慰めてたりしてたけど、猫の背中を撫でる手が、何となく虚しい。よかったよかった、お前は寿命を全うしろよ・・・と心で囁いてた。よく感傷に浸れている間は大丈夫と言われるけど、そうじゃない場合だって普通にある。死ぬ死ぬいって死なないヤツも確かにいるだろうけど、死ぬ死ぬいってすんなり旅立つ人だっているだろう。要はタイミング。死を決めてしまえば、そこに向けて道が開けるんだから。
2013年05月29日
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どんなに終わっている世界で生きていても、どんなに壊れた世の中で生活していても、育っていくにつれて『これはやっちゃいけない』という基本的な罪っていうのがあると思う。それは人に刷り込まれて生まれた『罪』もあるだろうけど、もっと深い、大昔から本能的に組み込まれている『罪の意識』のことだ。 どうせ死ぬから・・・という理由で、僕はその意識を蔑ろにした。自棄になったわけじゃなくて、自分からそっちへ突っ込んでいった。どうせ死ぬ、死ぬってことは、それまでは自由に生きていける・・・という訳の分からない方程式さえ出来上がってた。前にも書いたような気がするけど、いつでも死ねると分かった時点で道が開けたように思い、気持ちが軽くなってた。今の自分なら何でも出来るって、間違った方向に希望を抱いていた。 バイトで稼いでた金も少し余ってたので、これを全部消化してしまおうと思ったのが始まり。前回書いたように食い物を買いまくって爆食しまくったり、酒好きの親に振る舞ったり、出会い系サイトに手を出して欲求不満な熟女の相手をしたりした。 どれでも最低な行いだけど、中でも後々嫌気がさしたのがセックスだ。死が前提での行動だったため、気持ちよくなれるならえり好みなんてする必要はない。金が絡まず、後腐れのない関係を望んでる人を選べばいい。人間関係を絡ませたくない人は結構いたので、そういう人達と遊んだ。というよりやりまくった。相手は三人。年齢は大体三十代後半から五十代前半まで。もう一歩前に踏み込むと、相手が親の世代になってしまうところだった。若い人は視野からはずした。真っ先に金を欲しがりそうなイメージがあったので、面倒そうだったから。 みんな既婚者だった。メールのやり取りで聞いてた愚痴を、実際に会ってからも話す人が大半。家庭の不満とか、近所付き合いに息が詰まってるとか、そんな感じだったけど、僕は真剣に聴いてるフリをして聞き流してた。 行為の最中、「俺は死ぬ」「俺は死ぬから」と心の中で叫んでた。別にこうすると気持ちよさが増すってわけじゃなく、ふとしたことで甦る現実から逃げるために唱えてた呪文だ。本当に気持ちいいのかどうかも分からない表情をする熟女さん達を見下ろしながら、腰を振ってたと思う。今思うと、本当に馬鹿だわ。 残り三週間のうち、二週間近くはそれに費やしたような気がする。真っ昼間の炎天下にホテルへ突入とか、陳腐なドラマにすら成り立たない。けど、それも虚しいと気づいたら性欲も萎えた。というより、後悔した。もう後がなくて、あとは死ぬだけなのに、なんでこんなことしてんだろう・・・って無性に後悔した。求めてたのは肉欲だっけ?人肌だっけ?って、どうしようもない馬鹿が一人考えてた。抱き合ってるけど、相手から温もりなんか感じられなかったし、気持ちよさを装う相手の顔が可笑しく感じた。きっと、相手もそう思ってたに違いない。 結局終わってみたら、なーにやってんだろ?って前に感じた嫌な気分に戻ってた。パチンコにはまってた時と一緒。気づけば馬鹿だったと嘆く愚かさ。でも、この時に絶望を味わうには丁度よかった。死ぬにはいいタイミング。クズが死ぬには相応しい理由。性欲のはけ口として僕を選んだ相手も、まさかこんなことを考えているとは思いもしなかっただろう。 今そういう関係にある人達は、ちょびっと考えてみるのもいいかもね。そうすると、人間の思考がいかに恐ろしいか少し想像できるかも。相手の顔をジッと見つめていると、人間は狂気に頭をやられているって気づいてくる。理性も吹っ飛んでて、欲に溺れている自分の鏡を見ているような気分になってくる。そしてふとしたところで、急に冷める。現実がミサイルみたいに降り注いできて、嘆く。やばいことをしてしまった。とんでもないところに足を踏み入れてしまったって、後悔することになる。希望を断ち切りたい人はいいかもしれないけど、単なる遊び半分だとものすごーく後悔するだろう。倫理や道徳云々の理屈抜きで、否応なしに罪の意識に悩まされる。それまで浸り続けていた欲の反動が300倍ぐらいになって帰ってくるから「うおお!!」って居ても立ってもいられなくて叫んじゃうだろう。似た境遇の人がいるかどうか分からないけど、僕はそんな感じに陥った。 希死念虜によって、死ぬことで生を見た結果がコレ。自分が望んでいた心境に達した結果がコレ。欲に突き進んでいった先に待つのは後悔と嘆きと絶望の三色だけど、その後あっさり「はい吊ります」と言えるほど容易い気分にはならない。想像で描くほど現実は優しくなかった。 本来ならこの罪の意識があるからこそ立ち直れる唯一の方法なんだろうけど、始めから死を見つめている人間にとっては更なる苦痛でしかない。馬鹿はやっぱり、最後の最後になるまで分からないんだろう。自分で自分のハートを引き裂いて、縄に手を伸ばしてからやっと気づくんだと思う。そうなったらもう、どげんしょうもなかですたい。 でもまあ・・・何度も書くけど、自業自得。
2013年05月27日
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朝五時に起床。先日兄と約束してた釣りに行ってきた。数年ぶりに潮の香りを満喫。釣り人にとって、磯臭さは香水です。 しかしキスがぼちぼち釣れ始めているという情報があるとしても、まだまだ本命の食いは宜しくないですな。日中は暑くても朝が寒いし、水温もキス好みの適温じゃないようです。投げても投げても、ツンツンと小突くようなアタリばっかり。ツルンと吸い込むように食いつくには、あと一ヶ月は待たないとダメかもね。 そういうわけで、釣果は二匹。キス1 コチ1・・・。与えられたミッション『家族分の数をゲットせよ』はコンプリートならず。昼まで頑張ったんだけど、こればっかりはしょうがない。周りの釣り人も物干し竿状態だったし。そもそも人の数がまばらだった。最盛期になると、竿を出す場所を確保するのも一苦労する防波堤なのに・・・。そんだけまだまだ釣れてないってことだ。余談だけど、麦わら帽子を被ってジッと竿先を見つめてるじーさんの背中は格好良かった。あれはたぶん、地元の主的な人だ。どこの釣り場にも必ずいらっしゃる名人の一人だと思われる。 けど、釣りはゲームより実際にやるほうが楽しいね。というか、海を眺めて開放感に浸れたのがよかった。知らず知らずに溜まっていたため息が一気に吐き出せたような気分。釣果はさておき、いい気晴らしになった。
2013年05月26日
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気温28度?よいよい。暑くても風が吹けばまだまだ爽やかだ。北向きに位置してる僕の部屋は、そう日当たりが言い訳じゃないけど、風通しはまあいいと思う。二つある窓の内、一つは隣家の窓と二メートルほどしか離れていないため開けられない(近すぎて気まずい。)けど、もう一つの窓が頑張ってくれている。 毎年「今年は暑いねえ」という言葉をよく聞くが、毎年暑い。異常気象も伴って、むちゃくちゃ暑い。いつか忘れたけど、季節ごとに『三ヶ月予報』なる天気予報をテレビでやってて、「今年は冷夏になりますね」と言っていたくせに、七月八月は死ぬほど暑くなって死ぬ思いをした記憶がある。2010年だったっけかな。詳しくは覚えてない。仕事の激務に比例して、体重が45キロまで落ちたっての・・・。そんとき、ホネホネロックという懐かしいフレーズを思い出した。 んで、今年。七月までは我慢しようと思った。というか、いけると思ってた。28度?30度?うんうん、いける。でも33度近くまで上がった昨日、さすがに「うへえ・・・」ってなった。聞いてないよぉ・・・なんて昨今の地球環境に対して言ってはならないことだけど、がっくり項垂れた。僕の感覚では、パンツ一丁にならないと、作業に集中できないぐらいの暑さだ。 夜、すでに夏の虫が鳴いてる中(道路挟んですぐのとこに林がある)で押入にしまっておいた扇風機を引っ張り出した。さすがに夜はまだ涼しいけど、昼間はちょっと・・・なので、出しておこうと思った。 一年ぶりに引っ張り出して、まーーー汚いの一言。茶色い埃の塊が胞子みたいにビッシリくっついていて、黄ばんでる・・・。濡らした雑巾二枚でフキフキしたけど、すぐ埃がまとわりついて咳き込むし、カバーを磨いたりして汗が噴き出るし。んまあ、こんな状態になってるってことは、今まで大切に扱ってきてなかったという証拠ですわな・・・。すいません。感謝の意を込めて、ピカピカに磨かせてもらいました・・・。 今日も暑くなりそうです。予報じゃ30度だけど、たぶんこれより1.2度高くなると個人予測する。
2013年05月25日
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色々と情報を集めて、九月の下旬に逝こうと決めた。いつでもよかったけど、身辺整理ってやつだった。部屋の片づけとか、ちょいちょい続いていた交流を切るために携帯の解約とか、そういうの。連絡が取れなくなったからといって、家を訪ねてくる人はいないだろうと思ったけど、案の定その通りだった。人との繋がりが薄い人間は、世間体を考える手間が省けるなぁ・・・みたいなことを思った。でもこの時、なんとなく寂しさみたいなのがあったのを覚えてる。いつでも死ねるという安心感と孤独感が混ざってて、なんか変な気分だった。悪くないんだけど、気分に呑まれて思考が霧の中で漂っている状態?例えが判りづらいけど、そんな感じだった。 妙に元気が出てきたので、今のうちに食えるだけ喰っておこうと思った。珍しく胃が食べ物を欲して、食い物を買いあさった。そんなにお金が残っていなかったため、ほとんど冷凍食品とかインスタント食品ばかりだったけど、舌鼓を打って食べてたのを覚えてる。一食一食を人生最後の食事と思って食べていたせいか、本当に美味かった。高級料理店で出してもいいんじゃね?って思うぐらいの感動があったような気がする。映画の『酔拳』の一場面に、食堂でラーメンや炒めものに食らいつくジャッキーチェンの如く食らいついてた。色々食い過ぎて、何に手を伸ばしてたのかは覚えてない。朝昼喰わず、夜に爆食するという最低な食生活に変わってたのだけは覚えてる。 ふと、遺書を書いてないことに気づいた。何も言わずに死ぬのは気が引けたので、一筆書いておこうかと思ったけど、何を書けばいいのか判らなかった。ちょっと調べてみると、形式的なことを書いておけば問題ないみたいだったので、それに倣った。詳しくは書かない。 遺書を書く・・・というか、心の内を整理するためにも文章に起こすことは気分が落ち着くことにも繋がる。それはこの日記で自分に証明しているわけだけども、この時もそうだった。それがどんな内容であれ、気持ちを自分の心の外に吐き出したときは落ち着くもんだ。スッキリする。知り合いに打ち明けるよりも軽くなる。 残り三週間・・・と、自分で決めたタイムリミットを思うと、日常が違って見えるのも驚いた。変な話、幸せを感じた。残された時間というものがストップウォッチ式に表示されてたら、もっとみんな大切に人生を過ごすかもしれない。陽光の暖かさに震えたり、小鳥の囀りに命を感じたり、そこらに生えてる草花が綺麗映ったり、それまで背景でしかなかった自然物に目を向けることになるだろう。そうしたら、人と人同士がもっと繋がりを意識して大切にするんじゃないかなぁ・・・と思うけど、それはないわな・・・。 幸せを感じて、どことなく大らかな気分で過ごす一方だった。家族の事を考えろとか、迷惑だとか言われるけど、本人からするとどうでもいいやって気分。希死念虜が大きすぎると、良心すら食い尽くすんだろう。どうせ死ぬ。死んでしまえば申し訳ないもなにもない。そんな感じだった。
2013年05月24日
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七月末にバイトを辞めて、八月に入った。それから三日ぐらい経ってからかな。直感的に、もう死ぬべきだと思った。こんな状態じゃ次の仕事が見つかってもまた辞めるだろうと思い、一気にお先が真っ暗になってた。死ぬべきだ、死ななきゃならない・・・と心が囁いてくる。頭の隅でもう一度だけ頑張れないかとも思ったけど、頑張っても結果が逃げ出して終わるのであれば、もういいやとさじを投げる。惰性でニートとなり、無職のまま生きていくのは嫌だったし、この時はまだ世間体が強く気になってた。鬱病であると診断されていたことも忘れて、単純に『僕は世の中に負けた人』と結論づけた。よく使われる『生きている価値がない』という言葉が使われるけど、その通りだ。社会に適応できない=価値がないというフレーズ。これが当たり前の風潮で動いている世界。事情なんかどうでもいい。やるかやれないかの結果論。その結果の善し悪しで、人は善悪に分けて判断する。 僕は自分は『悪』と判断した。一秒の存在も許されない無駄を貪る害虫。期待を裏切り、やる気があるように見せかけただけの空っぽな人間。無性に怖いんです・・・なんてことは言えるはずもなく、余計にに自分を苦しめていく。その苦しみが人に迷惑を掛け、怒らせて、呆れられる。これの繰り返しだ。僕が選ぶ人生の道はこればっかりだ・・・と嘆いた。でも、もういい。今度は誰にも助けを乞わない。死ぬ。それで全てを終わらせる・・・そう思った。 ネットが普及して、色んな情報を手軽に収集できる現在。自殺に関する情報も豊富だ。探せば出てくる。十年近く前に集団自殺が流行って、それに関するサイトなどが問題になってたっけか。しましまあ問題になっただけで、いつものように皆忘れていった。自殺防止の運動がちょびっと掲げられているだけで、根本的には今も当時と変わってはいない。集団でやってたのが、また一人でやるように戻っただけだろう。 ネットに集中して情報を集めるのは初めてだった。けど、これまでにない集中力があったと思う。今度こそ確実にやると誓ってた。昼間は暑いし、家族の目もあったから、昼夜逆転の生活になり、起きている時間の大半をネットに注ぎ込んでた。 死の情報を集めてて、希死念虜を抱く人の理由は様々だなと感じた。経済的理由とか、病気とか、気力がないとか、疲れたとか、虐待されてるとか、死を思う人の数だけの思いがある。色んなやつがいるんだなぁと考えながら、パソコンの画面の前で頬杖ついてた。 不思議なのは、生き生きとしてたこと。目的がなんであれ、人は目標があると、やっぱり自発的に動き出すもんなんだね。家族と話すときも、表情が驚くほど自然だった。緩やかというか穏やかというか・・・。食欲は失せていたけど、かわりに死を夢見る思いがエネルギー源となっていたんだろう。そんな異様な生活が二週間ぐらい続いたのかな。
2013年05月22日
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この前「笑えてるか?」と言われて、じゃあ笑ってみようと思った。単に大声を出して「わははは」と笑うのはちょっと恥ずかしい・・・というか近所迷惑だろうから(ただでさえ「めんめんさん家の次男は自殺未遂したらしーわよ」という噂があるみたいなので、アホな事は出来ない)コントか漫才でも見て笑おうと思った。 前に気に入っていた芸人やエンターテイナーの動画を見たけど、口端がピクリとも吊り上がらなかった。こんなにつまんなかったかな・・・って思うぐらい面白くない。兄が持ってるDVDで『志村けんの大丈夫だぁ』を見ても、そうでもない。前はこういう王道のコントを見るたびに腹を抱えていたのになぁ。志村けんといしのようこがやる『五時の夫婦』のコントが一番好きだけど、この二人のやり取りを見ても、クスッと笑うぐらい。こう・・・声を出すのも苦しいぐらいのモノって、もう存在しないのかなと思った。 ユーチューブで色々漁ってみると『海外のどっきり』っていうフレーズがあった。日本のドッキリはガキンチョの頃に散々見てたけど、外国のドッキリなんて見たことがない。ということで、適当にアップされてた動画を観てみた。 床に捨てられたペットボトルをゴミ箱に入れたら、その人に対して周りの人が拍手喝采を浴びせるというドッキリ?だった。ドッキリって、大体は人を罠にはめたりして喜んだり、ちょっとした仕掛けで人々を笑わせるものだと思っていたけど、こういうのもあるんだね。 このドッキリ自体は大げさかもしれないけど、今の今の世の中を考えると深い意味があるような気がする。当たり前の事が出来なくなってるんだから、こういう動画を観て心をほっこりさせるのかなぁとも思う。そうなると、皆普段はどれだけ鉄のように冷たい心をしてるんだろう。 笑うことなんかなかったけど、これ一つでなんだか満足だった。最近涙腺が緩くなってきてるせいもあってか、僅かな時間で感動なんかしたりしてね・・・。 これがそれ・・・↓ http://www.youtube.com/watch?v=KbL21JuEFxc
2013年05月21日
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昨日の夜、久しぶりに兄が話しかけてきた。たまには一緒にゲームすっか?みたいな感じで、これまたスゲー久しぶりに兄弟でゲーム。wiiのファミリーフィッシングをやった。いつもは兄と兄の彼女さんがやってるっぽいんだけど、この日は暇を持て余していたみたいで僕がお相手。よくわからんが、クルーザーに乗ってトローリングで釣れる幻の魚が釣れないから、そいつを釣り上げようって話になった。最近はめっきりゲームなんてやらなくなってたから、気晴らしを兼ねて挑戦。 まず驚いたのはコントローラー。いっちょまえに釣り竿の形をしていらっしゃる・・・。釣りコンって言うらしい。投げる動作を実際にやって(手首を捻るぐらいでいい)魚が掛かったらちゃんと合わせて、リールで巻き上げるというリアルさ。「最近のゲームはスゲーね」って言ったら「お前が知らないだけ」と返された。まあ、僕の中ではゲームと言えばプレステ2ぐらいか。その一個前はもうスーファミ時代まで遡るしね・・・。このファミリーフィッシングと付属の釣りコンも、だーーいぶ前に発売されたやつらしく、普通にゲームをやる人にとっては「別にときめかないよ」って感じみたいですな。 実際に磯釣りの趣味を持っていた僕は、素直に楽しそうだなと思った。上の書いたように、ちゃんと釣りの基本をやらないと魚は釣れないらしいので、試しに初心者用の砂浜で遊ばせてもらった。20センチのキスが釣れて、ゲームなのに天麩羅バンザイとか心で思ってしまった。実際に美味いんだよなぁ・・・。 んで、一通り慣れたところでクルーザーに乗ってトローリング。まず兄がやってみて、どんな感じか見せてくれた。釣りの種類も色々あって、シチュエーションは楽しい。魚によっては釣り竿を変えないと釣れないというゲームならではの設定もいいけど、掛かった魚の種類によって駆け引きの程度が変わってくるのも楽しかった。 兄がキハダマグロを釣り上げたところで交代。キハダかぁ・・・こいつは刺身で頂きたいねえとか話ながら、トローリング。ガキンチョの頃はゲーム内容に熱中して話に花が咲いてたけど、今だと釣れた魚の調理法と美味しい頂き方について話すんだから、やっぱ歳をとるもんですな・・・。 そんなこんなで話してたら、兄が「お前の面をちゃんと見たのは久々だけど、なんか表情ねえな」と言ってきた。「最近笑えてるか?」と訊ねてくる。僕の情けない事情はご存じだから、そこを心配してくれてのことだったみたい。「病気は治そうと思ってる」と答えると「違う。笑えてるのかって訊いてんの」と突っ込まれた。 ちょっと考えて「腹の底からは笑えてないね」と言った。すると兄が「んじゃ、来週マジで釣り行くか?」と言ってきた。「マジって、マジの?」と変な返しをしたら「マジよ」って兄は笑いながら言った。あー・・・そういう笑いのことなのかなと一瞬思ったけど、たぶん心を元気にしなさいという意味だったのだろう。 地元の浜は結構な有名スポットで、これからキスを狙ってこぞっと釣り人がやって来る季節。一部じゃチラホラと釣れ始めているらしいので、気分転換に行こうという話になった。二年半ぶりかな。釣りに行くの・・・。そして何年ぶりかね・・・兄弟で出掛けるの・・・・。費用は出してやるとのことで、僕に与えられたミッションは家族四人分のキスを釣ることとなった。 ペチャクチャ喋ってたら、ヒット。よくわからんけど、釣れた。兄が釣れないと言っていた幻の魚を一発で釣った。名前忘れたけど、クエに似た数メートルの巨大魚だった。こんなの海にいるの?って思ったら、古代魚とかも釣れるらしい。こいつはその一種。釣れた魚は水槽に入れて観賞できるらしく、それをコンプリートするために躍起になっていたとのこと。ついでに水槽の中を見せてもらったら、うじゃうじゃいらっしゃる・・・。兄の彼女さんの奇声が上がってると思ったら、こいつらを釣り上げてたのね・・・。 さて、来週は久々のお出かけか。真っ白になったお肌、少しは焼けるかねえ。
2013年05月20日
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疲れたなぁと思ったとき、瞑想?をする。といっても、座ってるときか横になってるときに目をつぶってるだけだけど・・・。瞑想は心を集中させて、心身を静寂にさせるというのが基本らしいので、僕はなんちゃってだ。別に何かを集中させるわけでもないし、心を落ち着かせようとしてるわけじゃない。瞑想をしようって意図してやってるわけでもない。 じゃあ何をしてんだ?ってことになるけど、単に目をつぶって瞼の裏を見てる。チカチカ光るのを見たり、変な色が漂ってるのを眺めて微睡んで、時折昔のことを思い出して、その当時の記憶を辿り、もしあの時こうだったら・・・とか、今とは違う別の可能性の人生を想像してたりする。・・・全然瞑想じゃないね。妄想だな。こういうのに真面目に取り組んでる方々から怒られるか。たかが俗人が一匹、こういうことを書いちゃいけないのかもしれない。 でも、良いリラックスにはなってる。今日みたいな雨の日だと素直だ。鳥の囀りもいいけど、雨音を聴くのも好きだから、そんなときに目をつぶると鳥肌もん。たまに、心の奥底で生きててよかったと感じる自分がいる。何もしてないのに、不思議なもんだ。 今日はこんな感じ。心という風船を手に持って、突っ立ってる感じ。フワフワと浮いてないだけマシか。朝から書くような文章じゃねーな・・・。
2013年05月19日
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アナコンダ。羊達の沈黙。ハンニバル。リング2。宇宙からのメッセージ。 僕の中で一人映画鑑賞会が流行ってる。切っ掛けはだいぶ前にエイリアン2を観たことから始まったんだけど、なかなか飽きない。創作物ってのはいいもんですね。 上に書いたタイトルはこの三日間で観た映画。アナコンダはモンスター系大好きな人が観たらいいかもね。キラークロコダイル的な感じの内容ですわ。キラークロコダイルは放射能の影響で巨大化(だったはず)したワニが相手だったけど、アナコンダは天然物。ヘビなのに、ベビらしからぬ雄叫びはグッド。獲物を食べたいのか殺したいのか、意図がよくわからんけど楽しかったです。 羊達の沈黙。猟奇殺人の解明のため、精神病院に隔離されているカニバリズムの精神科医・レクター博士に事件の犯人像を挙げてもらうかわりに、その見返りとして、FBI捜査官であるクラリスの過去や、思惑をレクター博士に提供する・・・てな感じだったかな。上手く纏めきれない。要するに二人の人間の内面性を探り合うやり取りみたいなもん。アカデミー賞を受賞しただけあって、演技スゲー。 ハンニバル。羊達の沈黙で脱走したレクター博士を追うクラリスのお話。レクターの真骨頂がこの作品で描かれてる。彼にとって人を食べることとは、どうやら二次的な目的のようですな。殺す相手の人間性を知る、探る、分析することが彼の真の目的のような気がする。時には人を導いたりもしてるし、捉え方によってはスゲーお方。博士を追っていた警察のおっさんも、欲出さなければ・・・。 リング2。久々に観た。前作を観てからにしようかと思ったけど、話の内容は覚えてるので2から。これを最初に観たのは16歳の時だっけかね。お決まりの音とビックリシーンを多用してたね。前も書いたけど(そんな気がする)音とかでビックリさせるのはホラーじゃないっすから。当時はビビリまくってたけど、耐性がある今の僕には通用しないぞ。単純に貞子を化け物扱いしてるから主人公にも感情移入できんし、陽一君が不憫だねって思うぐらいか。 宇宙からのメッセージ。これは面白かった。里見八犬伝をモチーフにした78年公開の日本SF映画。もしかしれこれが日本の底力?って思うぐらい新鮮に感じたのは僕だけかね・・・。昨今の日本映画は昔の作品を見て学び直したらどうなの。ウィキの内容によれば、スターウォーズで沸いたSFブームに乗っかって制作されたみたい。映画そのものは成功しなかったようだけど、特撮技術は海外で高く評価されたらしい。本当にそんな昔の作品かって思うぐらい、戦闘機とかの機械は細部まで凄いと思った。どうでもいいけど、千葉真一が出てるんだね。銀色の鎧を着たおじさんがそうだった。防塵マスクみたいなのをつけただけで宇宙空間を泳いだり、せっかくそろったリベアの勇士が、そろった瞬間に一人お亡くなりになったりと、なかなか破天荒な展開だけど、素直に面白い。けど、モチーフの里見八犬伝は忘れて観たほうがいいかもね。
2013年05月18日
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いきなり仕事辞めると言って、バイト先は当然驚いた。そりゃそうよね。これから社員に登用しようとしてた人物が突然の辞意表明。入れ替わりの激しいどっかの国の首相みたいに、周りから呆れられることなどはなかったけど、これまた当然ながら「なんでいきなり?」と訊かれた。僕は嘘をついて「前からやってみたかった営業の仕事が決まった」と答えた。そう答えるしかなかった。 バイトを辞めた。僅か四ヶ月ほどという三日坊主に近い勤務期間だった。何か思いであるか?と訊かれたら「なーんもない」と答える。疾風の如く過ぎ去っていった時間がまるで嘘のよう。どらえもんの秘密道具で、時間を早送りしてたみたいで、その間は空っぽだった。ただ工場の人達に申し訳ないなと言う気持ちだけがぽつねんと涌いてた。 でも、すぐに安心した。昼下がりのコーヒーブレイクじゃないけど、心が陽の光に当てられたかのようにホッとしてた。頭の中がゴチャゴチャしてたのが信じられないぐらいの落ち着きようだった。こうやって書いてて思うけど、やっぱり心が病んでたんだねえ。こんなの、誰かに言われないと自分でも気づきませんわい・・・。 『自分は大丈夫』と思っていた。よくあるパターン・・・というか世の中の大半がそうなんだろうけど、自分は何があっても安全だなんて思わないほうがいいかもね。色んなことがありすぎて何処に目を向けたらいいか分からず、積み重なっていく事情が多すぎて、心は気づかないうちに崩れてる。気をつけようにも日常生活に慣れすぎていて、どう気をつけたらいいのかも分からない。悪夢から逃げるようにハッと目を覚ますなんてことが出来ないから、自分の内面に違和感を覚える頃には後悔の繰り返しをした後だったりする。今までの僕がそうであるように、気づいてからだと遅い。これから人生をやり直すには遅すぎたと嘆いてる。 けど、なんだかんだ言って、結局は自分から動かないとダメっぽい。世間が自分をこんな風にしたんだと恨む人もいるかもしれないけど、それでも自分の足で立ち上がらなければダメっぽい。嘆いて、恨んで、悲しんだところで、変わるのは心が黒く塗りつぶされていくことぐらいだ。 でも、こう思ったのはごく最近のこと。去年の八月~十月の中旬ぐらいまでは最悪だった。まあ・・・日記に書いてる内容で良いことなんか一つもないか・・・。
2013年05月17日
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今更だけど、二日前に桜島の昭和火口が今年320回目の噴火。現在(5月15日午後7時24分が最新)も小規模の爆発と噴火を繰り返してる。今回のはちょっと大きめで、昭和火口が活動再開を始めて最大だったらしい。連日発生している太陽フレアの影響かもね。Xクラスが連続して発生しているようで、その一部が地球に来るという記事もあった。 ネットで集めた情報だから自分で考えて取捨選択するしかないけど、こういうのを見ると、いよいよなんかなぁ~と思ってしまう。でも、そんな考えはあかんね。僕は破滅を望んでる訳じゃないし、お先真っ暗だからといって、自棄になることは許されない。滅亡を前にして、嬉々として喜ぶ人達よりも、追い立てられるように逃げ惑う方がよほど人間らしい。生も死も同じなんだし、ここまで来ちゃった人類なんだから、最後まで人間らしく生きてみろっていうことなのかもね・・・。もちろん、良い意味じゃない方向で。 うん、訳分かんない文章。でも今はこんな感じ。
2013年05月16日
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人にはそれぞれ、自分が覚えている最古の記憶ってものがあると思う。感情表現が限られている赤ん坊の頃に、何を考えていたかを覚えている人もいれば、母親の胎内にいた頃や、それよりももっと前のことを覚えている人だっているらしい。胎児になる前のこととなると、そりゃもう魂レベルの話になっちゃうんじゃないだろうかと思うけど、それもある意味記憶の一部だな。前世の記憶ってやつかね・・・。そんな忘却の彼方にあったことを覚えている人からしたら、少しはこの世が違って見えたりするのだろうか。でもそれはそれで、その人にしか分からない苦しみが生まれそうだ。 僕が持ってる一番古い記憶二歳。当時住んでいた場所は長崎県。雇用促進住宅の第一棟、二棟とある五階建ての団地。その一棟目の最上階だ。 平日の昼間。兄は幼稚園に行ってて不在で、僕は一人、おきあがりこぼしをどついて遊んでた。ぺしーんと叩いても、延々と起き上がってくる玩具が面白かった。叩いたのに元に戻ってくる動作が面白かったという単純さ。起き上がったとき、玩具の頂点が少し揺れてるのも楽しかった。「えへへ」なんて笑みすら浮かべてた。「めんめんちゃんお散歩に行きましょうか」と、母が言ってきた。僕は「うん」と返事をしないで、母の手にしがみついてから「むっふふー」と言った。幼児なりのyesだ。母と手を繋いで、五階から一階までの階段をぴょんぴょん跳ねながら下りた。カエルが跳ねる様を思い描いてたから、そういう遊びだったんだと思う。階段を下りきって外に出たとき、太陽の光が異常に眩しく感じたのを覚えてる。 団地内にある小さな公園で遊ばせてもらった。といっても、グレムリンのギズモ並に小さかった(というイメージ)お子様には、滑り台やブランコで遊べるわけもなく、砂場でキャッキャ走り回る程度だ。でも、それで十分に楽しかった記憶がある。周りには誰もいなかったっけか。今思うと、団地のくせにあの日は静寂だった。ベランダに干した布団を叩く人もいなかったし、掃除機を掛けてる音もなかった。太陽の光と、裏手の林から聞こえてくる小鳥の囀りと、空気中に漂う陽気が居心地よかった。「めんめん、写真を取ってあげる」いつの間にか、母がインスタントカメラを構えて、それを僕の方へ向けていた。「しゃしんてなに?」と訊くと「思い出よ」と返ってきた。そん時はわからなかったけど、なるほどね・・・。 一回、シャッターを下ろしたところで「笑ってごらん」と言われた。写真機を見たのも初めてだったし、『撮る』の意味が分からなかった僕の顔は陽光の眩しさに顔をしかめてばっかりだったらしい。 さらに「ピースして」と言われた。「ぴーすってなに?」って答えた。母が「こうよ」と笑ってそのポーズを作ってくれたのを覚えてる。「・・・こお?」と母に倣ってやってみるけど、これが上手くいかない。人差し指と中指を立てて広げるだけなのに、ピースができなかった。人生初のピース、初のポーズとなったわけだけど、指を上手く操れないのだ。母の手を見ながらやるけど、人差し指が中指の前にきたり、雌雄の蛇みたいに絡まったりした。この時は力んだねえ・・・。なんで指が動かないのか不思議に思った。 母が笑ってた。「こうよ、こう」と傍によってきて、僕の手を取り、ピースを形作ってくれたけど、話すとまたグニャグニャ~と歪になっていく。ピースに悩む僕の表情がおかしかったのだろう。必死になってる僕を、そのまま写真に収めてた。 その時の写真はまだある。こんな面してやがったのか・・・と、これまた人生初の悩みの面構えだった。眉間に皺寄ってて、両目は手を一点に見つめてる。口は墨を吐くタコだった。
2013年05月15日
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十年以上前から坊主頭でやってきてるけど、髪はニョキニョキ生えてくる。五月で三十度近い気温が続いてるし、髪の形が扇子のように広がってきたため、今日は月一恒例のバリカン断髪式を行った。 冬は12ミリという坊主とは言えない長さで切ってたけど、今回からは6ミリ。本当は3ミリしたかったけど、刃がどっかにいっちゃった。ジェリーを追い掛けるトム並に色んなところを探したけど、3ミリ刃はさすらいの旅に出ているようで見つからなかった。 床に新聞紙を敷いて土下座スタイルでやるわけだけど、この時、必ず猫が一匹、僕の真ん前に座る。僕は土下座してるから頭頂部の先だ。ぺーん!ビシッ!と伸びてくる猫の手・・・。彼にとっては僕の頭を縦横無尽に走るバリカンの動きと駆動音が面白いらしく、いつもちょっかいを出してくる。「あぶないよ!」と空いた手で追い払おうとしても、微動だにしない。逆に「ウンニャ!」と怒られる始末。途中で頭を上げると切った髪がバサバサと顔に付着したりするので止めるわけにもいかず、僕はいつも叫ぶことしかできない。でも頭を下げて作業をしているもんだから、そのうち頭に血が昇って顔が真っ赤になってくる。髪を切り終える頃には、フラフラである。 9歳になるこのふちょっと狸猫。皿に張った水(刃を洗う為)をペロペロと舐めて飲もうとするし、新聞紙に落ちた髪の束にジャブを繰り出すし、目の前にあるもの全てが獲物に見えてるんだと思う。こんな訳の分からないものに手を出してくるなら、ネズミの玩具(ウサギの毛で覆われてる)に興味を示せっての・・・。 切り終わって、掌で感触を確かめる。坊主をしている人には分かるだろうけど、この時の髪触りは重要だ。匠の域に達してる人なら、掌を僅かに滑らせただけで、すぐにその部分がなだらかかイガグリかを判断することができる。 6ミリってこんなもんなのか・・・と、ちょっと残念な長さである。サッパリしねー。やっぱ三ミリになって初夏の風を頭皮に吹き込ませたいところだ。どーこ行ったんだろうなぁ。
2013年05月14日
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僕はけっこうな田舎に住んでる。夜は点滅信号に変わる場所もあるような田舎だ。脇道に入れば外灯なんかない道が平気で続いてるし、夜は一人で歩きたくないところがいくつかある。何を祀っているのかすらわからない神社も沢山。 チュンチュン雀の群はもちろん、カーカーカラスは夜中に鳴いたりすることもあって、ちょい不気味。ウグイスも居て、ホーホケキョ。若鶏は上手く鳴けないのか、ホーホケキョキョキョ・・・キョ?家の横が小さな森であることもあって、野鳥さんの声が途切れることはない。 昔はこの森から狸さんが出てきてたりしたっけか。外灯に照らされて、電柱の下で狸一家が集まってたのを見たことがある。昔飼ってた犬が逃げ出して、おそらく狸であろうと思われる野生動物にボロボロにされて帰ってきたっけかね。脚の付け根とかに噛み傷があったから、もしかしたら食べようと思って襲ったのかもしれん。当の犬さんは元気だったけど・・・。 そんな田舎の夜。たまに聞き慣れない動物の声がしたりする。エキャ!とかギャッギャ!とか、得体の知れない声。僕は一人で勝手に、怪鳥が鳴いてると想像してるけど、実際は何者なんだろう。窓を開けてどこで鳴いてるのか耳を澄ましてみたいけど、蚊が大量に入ってくるのでやらない・・・。大抵の昆虫は平気だけど、蚊とムカデだけは僕の天敵である。 気のせいかもしれないけど、昔はこんな変な声を出す動物なんていなかったはずなんだけどなぁ。鳴くのは決まって夜だから夜行性なんだろうけど、明かりのない闇の中で鳴く生き物は不気味だ。勝手な想像がリアルを無駄に誇張するからまた厄介だね。何もないのに一人でビビッてたりする。僕が勝手に思ってる謎の動物からしたら、喋ってるだけなのになんなの?って感じだろう。そりゃそうだよね。 けど、実は知らないだけで、案外見たことある動物だったりするかもしれない。というか、たぶんそうだと思う。「やや!こんち!実はあっしでした!」みたいに、風来坊を気取るイタチとか、そこらへんの小動物だったりして・・・。
2013年05月13日
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朝ご飯を食べたら、まず部屋の床磨き。これを三ヶ月半続けてきた結果、築二十年の床にしてはツルツルに光沢が出てきた。・・・ような気がする。足の裏触り?は明らかに前と違って、スイーッと滑りたくなるような居心地の良さがある。ガキンチョの頃から変わってないので、わけの分からない傷とかシミとかは取れないけど、寝転がって犬みたいに背中を擦りつける快感は味わえる。つまり綺麗だなって思えるということ。床磨きをするだけでも、違うもんだね。 ちなみに、猫を2匹飼ってる。狸のようなふとっちょと、魔女の宅急便のジジをよりナイスガイに仕立て上げたようなハンサム。こいつらの抜け毛すごい。毎晩僕の部屋で眠るもんだから、朝になると「うへ・・・」と思う。掃除機をブイブイ言わせて、猫さん方の毛を吸い込むわけだけど、キリがねー。抜け毛の季節が早く落ち着くことを願う・・・。
2013年05月12日
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七月中旬。頭がおかしくなって10日ぐらい経ったのかな。詳しい日時は忘れた。一緒に作業をしていたパートのおばさんが唐突に、「あんたよかったねえ」と言ってきた。・・・なんのこっちゃい?と思いながら首を傾げると「社員に昇格させるかもしれないっていう話じゃないのよ」と、正に寝耳に水な言葉を吹っ掛けてきた。「まさか」とこの時は本気で笑った。「こんなつかえん人間が、いきなり社員とかありえんですよ」と、正直な気持ちで言った。でも、まんざらでもないらしい。仕事内容はまだまだアレだけど、やる気と向上心は凄いとの評判。今まで見た中で、一番まともに見える・・・とのこと。 嬉しさ一割、ビビリ九割。昨今の不況、就職難においてなんてことを言うんだとお叱りを受けることだろうが、この時、僕はその評価が恐かった。『社員になる』という言葉の重みに押し潰された。 また前みたいなつき合いを始めなきゃならないのか? 嫌な人が出てきたら、またストレスまみれになって終日イライラするのか? 業務時間内だけのつき合いでは済まなくなる。 また責任が追及される。一人のミスが全員に迷惑を掛ける。 陰口と、愚痴と、嫌味に揉まれて、また全体に目を配らせなければならないのか? 嫌だった。恐かった。人との繋がりが嘘っぱちで、手を携えるのは自分の利害が一致したときのみ。他人を利用して生き残ろうとするのが人間社会の基本。自分の給料が一万円アップしたら、他の誰かの給料が一万円引き下げられる世界。笑いも、酒の酌み交わしも、握手も、全部偽物。これまで社会で経験してきたことの全て、一瞬で頭をよぎっていく。「まだ分からないけど、工場長も本気っぽいよ」係長さんがそう言ったのを聞いて、心がどこかくらい闇の底に落ちていったのを感じた。そんな心境でも、お決まりの営業スマイルを浮かべていたのはもはや本能か・・・。心は嫌だと拒否反応を示しているのに「も、もしそうなったとしても、試験とかあるんですよね?僕、脳味噌空っぽですよ」とドライなことを言ってた。「ああ・・・あるにはあるけど、ないようなもんだよ。問題も教えてもらえる」と笑う社員。相手は心配するなという風だったけど、僕には茶番にしか思えない会話だった。 こんなんで万が一にも社員になったところで、また逃げ出すのが目に見えてた。ここでまた「お前の意見なんかどうでもいい。まずはやれよ!」と言われるかもしれないけど、本当にきつかった。一度病んだ心は、早々治らない。僕は初めてここで、もしかして本当にヤバイんじゃないか・・・と感じた。前に行った心療内科の言うことは半信半疑で、仕事を辞める口実ぐらいにしか思ってなかったけど、どうやら本気でイカれてしまっているらしい。 働くこと自体に意義を感じてたし、業務は楽しかった。問題は人だ。誰かを利用して自分が生き残ろうとするシステムが恐ろしかった。どんどん汚れていくのが耐えられない。こんな世の中だから、定職に就くことがどれだけ大変なのかは分かってる。一つの仕事にありつけるまで、何社も渡り歩いて面接を繰り返してる人の話は沢山聞く。けど、僕はその先に足を踏み入れられなかった。また人間の汚い部分に揉みくちゃにされて生活しなければならないと思うと、狂ってしまいそうだった。 無理。今の僕には期待はずれで終わるだけ。会社の人達の期待を大きく裏切って、失望させるのも恐かった。というか、それが目に見えていた。その場で「辞退します」と言いたかった。けど、言えない。周りの期待が高すぎて、タイミングを潰されてしまった。 それから数日後。いきなりぶっ飛んで、仕事を辞めようと決意した。このまま続けるかどうかの葛藤すらなかった。辞める。もう嫌だ。こんなキツイ思いはもうしたくない。心の中でギャーギャー叫んだ。
2013年05月11日
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七月上旬。一度降り出せば暴雨となってた去年の梅雨が明けたくらいの頃。仕事は相変わらず出来たり出来なかったりを繰り返しながらも、なんとかやりくりしてた。この『なんとかやりくりしてた』って言ってる時点で、すでに限界に近かったんだと思う。何が限界なの?と訊かれたら「心?」って疑問符をつけて答える。 相変わらず無駄に動いて、大粒の汗を散らしながらの勤務。誰かに話しかけられると心臓がドックンと大きく動いてた。なぜか分からない。仕事の話の時も、プライベートな話をするときも、常に緊張がまとわりついてた。その度に、無意識に浮かび上がってくる営業スマイル。これ、前の仕事の名残。相手に悪い印象を与えまいとして、自然と身についた愛想笑いだ。でも、この表情を作るのにも疲れを感じ始めてた。 ある日ふと、僕は何をしているんだろうと考え出す。また心にポッカリと穴が空いているのに気づく。仕事をこなせるようになりたいのか、人に気に入られたいのか、どっちだったっけと頭が混乱した。なんでこうなったのか、今でも分からない。とにかく、ある日を境に自分の頭の中がよく分からなくなってた。それまで無我夢中で仕事に打ち込んできただけの、単純な生活を繰り返してただけなのに、突然、ガス欠を起こした車のように立ち止まってしまった感じ。ぽつんと、虚しさばかりに囚われていく。 余計なことを考えると、また深みにはまっていくと思った。けど、それを断ち切ることが出来ない。頭が重たくて、脳味噌の中心がゴチャゴチャといろんなのを思い出させてきて、支離滅裂になった。 一つのことに集中できない状態になったため、それまで出来ていた些細な作業にもミスが出てきた。ここにある紙の束をあっちへ移動させる・・・という単純な往復でさえ、三回に一回は間違える始末。当然、怒声が飛んでくる。自分でも、自分に苛ついてた。「真面目にやれ、能なし!」と心で叫んだのを覚えてる。 休憩時間に吸ってたタバコの味も素っ気なくなった。というか味なし。ハッカ入りの煙を吸い込んで、スーハースーハーしてるだけ。喫煙所に集まってくるパートや社員と話をしても、笑えなくなってた。笑うフリをするだけで、どう機嫌を取ろうかとばかりを考える自分がいた。今の自分の状態を知られたら、呆れられる。そう思うと必死だった。『ダメだコイツ』と露骨な顔をされるだけは見たくない。もしそうなったら発狂する・・・そんな気がしてた。 なんでこうなったんだろう。発端はなんだったんだろう。思い出そうとしても、その切っ掛けがまったく思い出せない。今でも首を傾げるばかりだ。原因が判らないままに、僕はまた訳の分からない方向へと進んでいく。今となってはどうしようもないことだけど、マジで、何がしたかったんだろう・・・。
2013年05月09日
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ゴジラVSデストロイアを観た。これも久しぶり。劇場公開は1995年。95年・・・か。小学六年生の頃だ。もうそんなに経つんだねえ。『ゴジラ死す』のキャッチコピーは、リアルタイムで見たっけか。 これ、今観たら他の人も昔と違う観点で考えるだろうね。初期作品以来の、ゴジラの存在意義が改めて示されていると思う。原爆が原発に置き換わっただけで、言ってることは同じ。再放送なんか絶対されないだろう。もうガキンチョの頃みたいに、ただの怪獣映画として観るわけにはいかんのだなぁ・・・。昔は『悪いヤツ』一筋で捉えていたデストロイアの面が、人類の心を表しているように思えた。デストロイアの目的は、やっぱりその名の通りだったのかな。だとしたら、やっぱり人の写しだね。 メルトダウンするゴジラをオキシジェンデストロイアで葬り去ろうとする人の手前勝手な考えは、危機に直面しても変わらない。どのみち世界が壊滅するのなら、なりふり構っていられないという狂気もまた恐ろしい。こういうところを制作側が意図して作ったのかどうかは知らないけど、気をつけなさいよーっていう裏メッセージだったのですかね。天災を建前にして、『人災』で墓穴を掘っていく今の世の中からすると、皮肉にしかおもえん。 ちなみに、映画の最後に出てくるゴジラのシルエットは、死んだと思われていたゴジラジュニアらしいですね。先代ゴジラの放射能を吸い込んで復活し、完全なゴジラになったということらしい。歴史は繰り返すってことかい?
2013年05月09日
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最近の小説がどんなのかよく分からないけど、十年近く前までは角川ホラーをよく読んでた。特に好きな作家はいないけど、あらすじと冒頭の文章を読んで、こりゃ面白そうだなと思ってたのを買ってたりした。どの創作物にも言えるけど、新旧に限らず、良いモノは良い。貴志裕介の『クリムゾンの迷宮』小池真理子の『墓地を見おろす家』の2作品は、徹夜して読みふけった記憶がある。スゲースゲーと思いながらお話に引き込まれてた。 映画もよく観てた。当時はホラーブーム?だったみたいで、観る人を怖がらせようとする映画が沢山作られてたような気がする。リングが発端だったのかな。音響効果が先行して、そっちで怖かった記憶しかないけど。というか、ほぼドッキリさせるような撮り方をしてるから、お話で「怖いなぁ」と思わせるような映画は果たしてあったのかどうか・・・。『怖さ』をはき違えたホラー作品が多かったので、映画としては残念なのが多かったような気がする。死国が地味に面白かったかな。これは確か、リング2と同時上映されたんだっけか。ホラー二本立てって凄いね。そんだけホラーがご盛況だったってことだろう。 んで、みんなが騒げばそこらの業界もやんやするわけで、テレビだとゴールデンタイムから心霊番組。レンタルビデオ屋に行けば、それに関連したのが沢山置かれてた。今でも、稲川淳二とかの人気芸能人が行く心霊スポット巡りのDVDは発売されてるみたい。こういうのも好きだったけど、最近『見てはならない』と知ってから観賞しないようにしてる。テレビでも、たまに特番で放送されてる心霊系の番組も同じ。ネットでもゴロゴロと動画があるみたいだから気をつける必要がある。創作と、そうでないものの区別はつけとかなければならない。ダメなものはダメ。普通に考えたら分かるはず。誰も知らないところで、無知な人達を(僕を含め)守ってくださってる方々もいるわけだし・・・。 そういや、ホラーブームって更に昔にも到来してたんだっけ?十年前のは再ブームだったのかな。僕が幼少の頃にキョンシーが大ヒットして、そこから色んなホラージャンルが派生していったみたい。ワイドショーで怖い話をしたり、昼真から心霊スポットをリポートするコーナーとかがあったらしい。テレビで見かけるような霊能者の人達も、こういう場所から生まれたんだろう。この時代に作られた映画も凄かったんじゃないかな。この時代より少しあとに作られた「ヒルコ妖怪ハンター」は冗談抜きで怖かった。大人になってもう一度見たら『妖怪発見装置』なる機械の形に笑ったけど・・・。 怖さとはなにか?ここを改めて考えてみると、既存のホラー創作物とか違った作品が生まれるかもしれない。難しいかな。間違うと、上に書いたようなブームしか来ないか。感化されて、悪のりする変な人達も増えるか・・・。やっぱ難しいね・・・。
2013年05月08日
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仕事に慣れるまでは、たまにしかお願いされなかった残業。この頃になると頻繁に残業するようになった。昼間働いてた人達と入れ替わる夜勤の面々。社員の数も少なくなって、派遣社員の人達が増える。この会社は外国人を沢山雇ってるみたいで、中国人、モンゴル人、マレーシア人、などのアジア諸国の方々が沢山いた。言葉わかんね・・・。意思の疎通がなかなか難しく、苛ついた社員の怒声がよく飛ぶのが夜勤みたい。残業に突入すると、昼間の雰囲気がガラリと変わるのは面白かった。同じ会社でも、業務に当たる人間が替われば何もかもが変わる。 休憩時間に喫煙所にいくと、インターナショナルな言葉が沢山行き交う。何を言ってるかわかんね・・・。昼間にいるパートのおばちゃんよろしく、愚痴を言ってるのかね。 色んな人種を見て、何を目標に、はるばる日本に来ているんだろうと思った。学生っぽい人もいるけど、そうでない人もいる。スティーブンセガール並に日本語が流暢な人も少しはいたけど、ほぼ話せない人が大半を占めてる。そういや、18歳ぐらいで家庭を持ってるという人がいたっけか。 工場勤務はそれほど人間関係に悩まなくて良い・・・と、バイトを始める前は楽観視してた。淡々と業務をこなせるようになれば、後は機械的なもんだと。けど、人が集まる場所で、しかも会社という組織があり、人間社会というシステムが存在する以上、『つき合い』がない場所なんてない。その仕事に深く関わればかかわるほど、人に気に入られるほど、人間関係は根深くなってくる。「頑張るめんめん」というフレーズで、僕は気に入られてた。単純にがむしゃらだっただけで、誰かにこびを売ってた訳じゃない。むしろ深く関わりたくはなかった。言われたこと、指示されたことをこなせるようになるため、一人でてんわやんわしてただけだ。 社員は僕のことを異常だとは思わなかったんだろうか。朝から晩まで変にテンションが高くて、そう面白くないことにゲラゲラと笑って、下手したら労災になるんじゃね?と思うような無茶な動きをして(保険なし)、随分とハチャメチャだった。漫画で描写されるなら、目が赤くなった狂人。映画なら、猟奇的。絶対まともじゃなかったはず。でも周囲からは「こいつ頑張るね」とか「元気やね」とか、そんな目で見られてた。 仕事に従事する人・・・と思われるぐらいでよかった。深くコミュニケーションは取りたくない。けど、そうもいかないのが組織。自分のことを話したり、相手のこと聞かなければならないのが面倒だった。そういうときに限って、話せば話すほど会話が弾む。前の仕事で、躍起になって人との繋がりを保とうとしていたのがアホらしく思えるぐらいだ。しかも今となっては、この繋がりをよろしく思っていない自分がいるんだから笑えない。
2013年05月07日
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分かっていても、時間を無駄に過ごしてしまうことが多々ある。僕みたいな無職には、働いていらっしゃる方々よりも自由に時間を使えるのに、あっと気づけば日が沈んでいたりする。やるべき事をやって終わる一日ならよかろう。けど、ぐうだらに過ごすわけにはいかない。何もかも失ってしまったからというのは自分の勝手だ。住まわせてもらう家があり、命を繋ぐ食べ物をいただき、気づかないところで慈悲を受けている。自分のものを自分でなくしたのは自業自得だけど、周りから与えられているものに目を向ける必要がある。それは目で捉えられるもの、捉えられないものがあるけど、その両方に感謝しなければならない。 僕は愚かな人間だけど、生きていく必要がある。人間社会に適応できずに弾かれた(自分から弾け飛んだのかも・・・)存在だけど、ここで終わるなら、今以上に愚かになってしまうだろう。 残された時間は余りない。というか、ほぼない。限られた時間を感じられるまでに現実が差し迫ってきたということだろう。出来ることをやっとかなきゃね・・・。
2013年05月06日
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バイトを始めて二ヶ月が経った頃。 仕事に慣れてきた。体も工場の環境に順応してきて、喘息の発作も出なくなり、鼻水の色も正常に戻った。 まだまだ不器用だったけど、周囲の人達は僕を一つの戦力として受け入れてくれるようになった。やかましかったパートさんも優しさを見せてくれたり、ちゃんと仕事を教えてくれるようにもなってた。 働く喜びがあった。労働が楽しいと思った。本ってこんな風に出来上がるのかと、仕事の立ち回りに慣れてから初めて気づいた。「こうやって作りあげていくなんて、最初に誰が考えたのだろう」と感心した。 どの業界、どの仕事にもその道のプロがいる。前の職場にもそういう人はいたし、この工場にも当然いた。全員が一つの本を作るまでに役割分担をして行う製本。全体を見渡して、作業の具合を判断する人達の判断力や、技術には「すごい」の一言だ。少なからず、憧れのようなものが芽生えた。バイトで何でもこなせるようになった面白いかな・・・なんてことを考えたりもした。ランナーズハイじゃないけど、なんか気持ちよかった。脳内物質がドックンドックン溢れ出て、妙に楽しかった。今思えば、これは異常だと思う。周りは気づいていなかったけど、一人だけテンションがやたらと高まってて、声を掛けられると「はい!」と大きく返事をして、指示が与えられると「分かりました!」と答えてた。とにかく気持ちが先走ってた。 頑張るめんめんは社員の評判がいいと言われた。課長さんに言われたんだっけかな。やっとまともな人材がやってきたと喜んでいるらしい。派遣社員は毎回人が変わるので、来るたびに同じ事を何度も教えなきゃならなかったし、ちょっと変な人が多かったらしく、手間が半端じゃなかったとのこと。社員が言う「変な人」がどういう人を指すのか分からないけど、自分が使える人間だと思われているなら、僕はそれでよかった。必要とされているだけで満足だ。 先々の不安はあったけど、高ぶっていた気持ちがそれを打ち消した。なんでこんなにテンションが高かったのだろう。当時は気づかなかったけど、仕事が終わって工場から出ると、その瞬間に、気持ちが冷静になってた。今の今までニコニコして動き回ってたやつとは思えないぐらいに表情が無機になってた。こういうことは後々になって思い出すんだから、その当時の自分が、いかに主観的だったかが分かる。要するに自分が見えていなかったのだろう。これは予兆だった。自分の内面が発する警告だ。
2013年05月05日
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子供の頃・・・というか幼少の頃からお世話になっているジブリ作品。初めてジブリを観たのは6歳の頃。この時はお話の内容なんか理解できるはずもなく、自分で面白いと思うシーンを何度も繰り返し観てた。土砂降りの雨の中でずっこけるメイちゃんに何度も笑ったっけかね。 大人になるにつれて、自分の中でランキングをつけていたジブリ作品が何度も入れ替わった。大体はナウシカ、ラピュタが首位争いをしてたんだけど、成人して以降は紅の豚がぶっちぎりで一位。二位に平成たぬき合戦ぽんぽこ・・・となった。三位以降は全部一緒。ちなみにゲド戦記、アリエッティ、コクリコの坂、うみが聞こえるは観賞してない。 んで、トトロを久しぶりに観た。いつ以来かねって思うぐらい久しぶり。ナウシカ、ラピュタ、トトロのどれを観るか悩んだ末に取ったのがこいつだった。子供の頃にみた記憶を思い出しながらの観賞は面白かった。当時はなぜか爆笑していた「ずっこけるメイちゃん」のシーンは懐かしかった。ここに笑う要素はないのに、なんで爆笑したんだっけ?と考えたけど、よく分からなかった。 話が進んでいくと、なんだかサツキとメイの立ち回りが自分の子供の頃のように思えてきた。僕も嫌な事があるとメイちゃんみたいにギャーギャー騒ぎ、どたばた暴れてたっけか。なんかあるたびに、二つ上の兄貴がよしよししてくれたっけかね・・・と、感慨深くなってくる。見終わったあと、目頭が熱かった。危うく涙が出てきそうになってた。泣くような映画だったけかねこれは・・・。 改めて観賞して分かったことだけど、トトロってちょい役なんだね(今更・・・)。でも肝心な所で出てくるから存在感が半端じゃねえ。一つの登場場面が色濃く残る作品って凄いと思う。 ちゅうか、トトロってなんなんだろうね。こいつだけは鑑賞者の想像に任された感じがする。大人には見えないっていう設定がポイントかもしれないけど、カンタ君とかにも見えてなかったようだから、素直な心がないとダメっていう感じかな。ほんと、何者なんだろうね・・・。
2013年05月04日
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気管支の弱い僕には、精神的にはもちろん、肉体的にも慣れる必要があった。立ち仕事だけど、前の仕事に比べたら肉体的労働はそうでもない。仕事終わりにはパンパンに張る足も、夜眠れば回復する程度。ヤバイのは工場内を漂う空気だ。紙を扱うから、常に細かい繊維が飛んでるし、風通しの悪い場所だったために、粉塵がすごい。最初の二週間は喘息の発作との戦いだった。呼吸は出来ないし、時期的に花粉の季節で目が痒いしで、仕事よりもアレルギーが辛い。風呂に入って、鼻を思いっ切り「ふーーーん!」と鳴らしたら、きったない鼻水がドロドロ。更にしばらくしたら緑色の鼻水がデロロン。これ、緑膿菌だわ・・・。工場ってやっぱり、衛生的によろしくない環境なのね。 そんなこんなで一ヶ月経つかどうかというぐらいになった。パートさんのキッツイ言葉にも慣れたし、仕事にもなんとか慣れたって感じ。でも、立ち回りには全然納得できていなかったから、周囲の人に怒られてでも聞いて回った。社員やパートや、出来る派遣社員の人とか、とにかく自主的に動いてる人達を観察してた。 人より異常に汗が多い僕。春先だというのに一人で滝汗をかいて仕事してた。「どうした?だいじょうぶか?」と社員が心配してくるぐらいの汗っぷり。必死だったということだけど、見た目の汗ほど仕事を捌けないのが泣けてくる。集中しているわりには出来ないってのは、なかなか空しいところだね。せめて元気よく返事はしようと心掛けてたけど、出来るか出来ないかで判断される人間社会。どれだけ元気がよくても、実務は空回りしてた。 でも、休憩時間の一服は美味かった。ここ数年で味わったことのないタバコの味だったと思う。働く喜びってこういうことなんかなぁ・・・と、社会に出て改めて『労働』の意味を考えさせられた時間だった。最初の一ヶ月はこんな感じ。特に思うこともない。それだけ時間が駆け抜けていったんだろう。一つのことに、ただそれのみをやっていると、日々の苦悩など考える暇もない。本当にあっという間だ。
2013年05月03日
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今日、目を覚ましたら汗だくだった。原因は悪夢?というか、最近映画を観まくってるせいか知らないけど、なんかアクション風な世界観の中でゾンビと闘っている夢を見た。ちなみにゾンビ映画は見てないのに。周りで人が食べられていく中、一人、銃の弾倉を確認して、「最後か・・・・」とかなんとか言って、夕焼けの空を見てた。んで、目を覚ましたら汗だく。最近まったく汗をかいてなかったので、丁度いいかな・・・。妙な爽快感あったし。そんな目覚めの朝でしたという話。 んで話変わって、富士山が世界遺産に登録されるらしい。なんで?地割れが起きたり、付近の湖の水位が下がりまくったり、山の中腹から水蒸気が出てたりしてるのに、観光産業に目を向けてどうする。今までなかった兆しが沢山出てるのに、なんで危機感を募らせないの・・・。 「世界遺産」とか人が勝手にフレーズを作って金を流通させなくても、自然は自然じゃないのかね。逆に人を呼び込めば呼び込むほど汚れていくんじゃないの?未来に残すためとか、富士山の素晴らしさを世界に知ってもらいたいとか、そういうの全部建前なんでしょう?誰もが分かってやってることなんでしょう?地元の産業が今より活性化することが第一の狙いなんでしょう・・・。 生活が苦しい人達にとって、この案は期待の星になってるんだろうけど・・・マジで、噴火したらどうすんのよ・・・。世界遺産がどうとか、生活がどうとか、金が、名声がとか、そんなん全部消えちゃうだろ・・・。 少しでも意識を別の方へ向けた方がいいんじゃなかろうかと思う。今日は穏やかな晴天であっても、明日は大雨だったりするでしょ。その明日、空から噴石や火山灰が降ってきたらどうするよ。傘で防ぐっつーんすか? 火山の予測は事前に察知できるからといって安心してるのかもしれないけど、その事前の兆しが今出てるんじゃないのかい?悪戯に不安を煽るなというかもしれないけど、じゃあコレらの異常現象はなんなの?不安に思わないほうがおかしいだろう・・・。
2013年05月02日
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映画でその存在を知ったため、最初にテレビ放送版を観てから映画版を観ると解りやすいとのこと。二年くらい前に、前作の「破」前々作の「序」を観るためにテレビ放送版を観て予備知識を入れたのは覚えてるけど、それもほぼ忘れてる現在。つい先日、去年話題になった?「Q」を観た。 始まって三十分ぐらい経ってから、「あれ?」って思った。前作の「破」から随分と話が飛んでるというか、辻褄が合わないというか・・・。サードインパクトが起ころうとしてところを阻止したところで、破のお話が終わってたはずだったのに、Qはサードインパクトが起こって人類がほぼ死滅してた。しかもそれから14年も経ってた。更に前回の予告場面が本作では一秒も語られていない。いきなりぶっ飛んでる。わけわかめ。 お話の筋が見えてこなかった。キャラクターの会話も、世界も、すべて自分達だけ立ち回り、見る人が付いていけない。解る人は解るんだろうけど、ほぼゼロと言っていい情報を分析したところで、明確な答え、テーマなんて出てこないだろう。観た人の想像力に任せる・・・といった感じかな。つまりはよく解らない。 主人公のシンジ君は可哀相だね。人の都合で散々振り回されておきながら、それでも自分なりに居場所を探そうと頑張って、自分の意志で人を助けようと必死に藻掻いた結果が精神崩壊。 破で覚醒した初号機がレイちゃんを助けにいくとき、葛城ミサトは「行きなさいシンジ君! あなた自身のために!」と後押ししたくせに、Qだと全部あんたのせいなのよ?・・・てな感じで敵視するし。乗れ乗れと迫っていたのに、今度は乗るな乗るなで責め立てられるし。同じパイロットの少女からは、錯乱するシンジ君を「ガキ」扱い。説明してやれよ。シンジ君にも、観る人にも・・・。サルベージ?科学の力で復活したシンジ君だけど、抹殺用の首輪なんかつけられるし。じゃなんで生き返らせたん・・・と色々疑問ばかり。せめて、キャラクターの会話ぐらいまともにやって欲しかった。鑑賞者とのキャッチボールができん。一言一言がよーわからん。 映像は凄かった。戦闘シーンとか、爆破のシーンとか、お話を忘れて観る分には楽しめる。むしろお話が邪魔なくらいだ。もういっそのこと、無声映画でやってもいいんでないか?次で完結するらしいけど、ロードオブザリングみたいに三時間ぐらいないと纏まらないお話なんじゃなかろうかと思う。そういや、ホビットの思いがけない冒険も観た。これも三部作完結の第一作だったけど、一作目から三時間・・・。「思いがけない冒険」というタイトルにしては、なかなか旅に出てくれないのでもどかしかった。これについてはまた近々書くと思う。
2013年05月01日
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