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白い月。どこまでも忌々しい夜はそれに照らされているだけで、ずいぶん美しく見える。濡れ縁でソレを見上げながら少女はイヤに澄んだ声で呟きかけた。浴衣からすっと綺麗に伸びた手は頬杖をついて、視線は話しかけた相手には向かずただ美しい庭園を見つめている。「ねぇ、氷翠【シャナ】がいないわ。」少女の湖面色の瞳は澄んでいる。どこまでも。深遠に。「・・・・・・・・・・此の屋敷の、どこにも・・・・・・・。」少女の背後にいる男は言葉を発することなく静観している。「・・・・・・・どうしてかしら。愛しているのなら、どうして・・・・・・・いいえ、違ったわ。あの男は氷翠を愛しているんじゃなかった。偶像崇拝だったわね。」「哀しいほどの、的を射ているな。その言葉は。だが認めてやれ、あの男はあの男なりに必死なのだろうさ。」詩吟をたしなむ様に言葉を紡ぐ冷酷なほど美しい声は、笑みに吊り上げられた男の口から滑り落ちた。黒曜国国王勅命の紋章を旗に掲げた私掠船の副船長・・・・・・・・・斎賀【サイガ】であった。海賊とは思えないほどの貴族的な美貌の男は、その言葉のわりにはぞっとする冷笑を浮かべている。氷のような薄い色の青の瞳は、絶対零度の光を湛えている。「・・・・・・・・・私も、あんな風になるのかしら。」きらきらと輝くエメラルド色の瞳はひどく澄みきって、少女・・・・・・・紅丹【ぼたん】の美貌を神的なものにしている。「君が・・・・・・・?」紅丹はソレに静かに肯き、淡々と言葉を繋げた。「私は三年前まで、氷翠の兄であるあの男を・・・・・・・・私の前の主を愛していたわ・・・・・・。いいえ、愛していると、思っていた。」「あの人は私の全てだった。私を育てた男だった。私を、女にした男だった。」「それが、氷翠への憎悪に近い劣等感からくる虐待という名の行為でも、私はあの人に必要とされる度、死にそうなくらい幸せだった。」「でも、あの人は私を捨てたわ。負け戦同然の、戦場に。それでも私は守人だったから、たくさんの“敵”を殺したわ、あの場所で。私は強くなりたかった・・・・・・多くを殺せる守人に。あの人に追いつきたかった。あの人の役にたちたかった。だから、帰ったわ。敵を全部殺して。あの人の下へ。」「そしてあの人の部下に斬られたわ。・・・・・・・あの人の命令で。そして捨てられたの、荒野の屠殺場に。」不意に。碧い瞳から一滴の涙がこぼれた。けれど紅丹はソレを拭わない。その涙はすでに過去の遺物だと、いうように。「・・・・・どうして?私がなにかをした?」「私はただ、そばにいたかっただけ・・・・・・。」「さびしかった。私に幸せを与えたあの人が、その同じ心で私の全てを死にそうにさせた。さびしくてさびしくて、そして屠殺場で刺された傷口から血が溢れて、動けなくなったわ。死にかけてた。そんな私を、氷翠が見つけてくれたわ。」「氷翠だけが、私の悲鳴に気づいてくれた。」「ねぇ・・・・・、最初は身代わりだと思ったわ。あの人の。」「あなたには、分からないでしょう?月の光も届かない闇の中で、無数の死体のにおいを聞きながら、たった一人で絶望を咬む寂しさが孤独が、憎悪が。」「誰もいないそこでずっと・・・・・・・。辛かった!悲しかった!淋しかった!」凛然とした態度をとりながらも少女の指は震えていた。見捨てられる、悲しさに。「だから氷翠にずっと傍にいて欲しいと思ったわ、あの人の代わりに。」だが、紅丹の口調と眼差しは、此の瞬間、揺ぎ無い強さを海のように湛えた。「けれど、ソレは違った。」「氷翠の言葉には氷翠の態度には、あの人のものにはなかった魂があったわ。・・・・・・・彼女は私を愛してくれた。大事にしてくれた。頭を撫でてくれた、夜には物語を読んでくれて朝には額に目覚めのキスを。怖い夢をみた時は抱きしめてくれたわ、そうして言ってくれた『私がずっと傍にいて、紅丹の番をするから、怖い夢などもう見ない』って。」紅丹は其の時を思い出すように優しく幸せに微笑んだ。「『守るから』って。初めて言われたの。守るって。今まで私は守るばかりだった。・・・・・名前も、初めてもらったの。氷翠に。」「・・・・・・・・だんだん、私の彼女に対する感情は変っていったわ。こんな想いは、・・・・・初めてだった。あの人と居た時はこんなに優しく激しい感情を持ったことがなかったのに・・・・・・・・。」「だから、気づいたの。私はあの人を愛していなかったことに。私があの人に抱いていたのは守人としての感情だった。教育で、刷り込まれたものだった。・・・・・私は“彼”という一人の人間を、愛していなかった。」そう言い終って、はじめて少女は振り返り、斎賀の眼をまっすぐに見つめた。「私が愛したのは氷翠が最初で最後よ。私は私の誇りにかけて、彼女という人間しか愛さないわ。」誓いというには足りないほどの“神聖”を、彼女は口にし。晴れやかに、微笑む。その表情はもう少女の持つものではなく、一種の慈愛さへ宿していた。「だから氷翠を傷つける人間は、私が殺すわ。」「・・・・・・・何故ソレを俺に?」少女の重すぎる言葉に斎賀はさも愉しげに笑う。「協定よ。」「ほう?」突然の言葉に斎賀は戦時に策を錬る時の癖になった子供のように楽しげなきらきらとした眼を細める。「貴方は何があっても氷翠だけは傷つけない。」「何故そう思う?」「貴方が異常だからよ。」「面白いことを言うな、君は。」ゆっくりと艶やかに斎賀は唇を吊り上げる。その笑みに紅丹は妖しい『女』の笑みを返した。「私は、愛する者のためなら例え自分が死んでも何かをしてあげたいわ。何の障害も恐れない。氷翠のためならどこまでも強くなれる。・・・・・・・・・・でも、愛する人が自分から離れていこうとしたら・・・・・・・殺すわ。愛しているから。」「でも、貴方は理解できないでしょう?」紅丹は手を伸ばし、斎賀に触れる。「貴方は、どれだけ歪んだ方向に行動をうつしている者であっても、ある特定のものに異常なほどのひたむきさを向ける人間が好きだわ。それも、唯一つのものに。そんな嗜好だから、その人間の感情が自分に向いていることは少ない。それを知っていて貴方はそんな人間ばかりを愛する。そしてその者が望めば何をも惜しまず与えるわ。・・・・無償の、全てを。」「此の部分で私と貴方はかわらない。でも、・・・・・・・そうね・・・・貴方は複数の人間を同時に重過ぎるほどの感情で愛せるはずだわ。貴方は、相手の感情が自分に向かなくとも、一切の不満も感じない人だから。辛くも悲しくも、何ともない。・・・・・・むしろ、相手のひたむきさが強くなればなるほど貴方は嬉しい。貴方はソレを見て、見るだけで満足する。それが、楽しい。」「その例が、貴方の安騎良将【アキ ヨシマサ】と、氷翠王【シャナオウ】に対するものよ。」斎賀の視線を逃さず、言い終えると紅丹は斎賀の懐に飛び込み、月光に白く輝く細い両腕をのばして抱きつき、その背に腕を回した。その行為を斎賀が拒まず受け入れると、少女は凛、と口を開いた。「だから貴方は拒まない、私の提案を。」「何の協定だい。」「私を殺して(トメテ)ね。」いっそ優しく。少女は幼な子が親に甘えるように呟いた。「氷翠が私から離れていこうとした時は。」そこで初めて斎賀は本気で苦笑を返した。「そういうことか・・・・・・・ずいぶんと、便利なものと思ったことだろうな。」己の策が見事破り返されたかのような爽快な笑みを斎賀は浮かべる。「ええ、とっても。」「こんなところに思わぬ伏兵がいるとはな。・・・・・・ここは俺の敗北だな。」「貴方だけは氷翠を傷つけない・・・・・・・・見返りを求めないから。そして貴方は氷翠を愛しているから、氷翠を傷つける(コロス)私は見過ごせない。」紅丹の美しいエメラルドの瞳には過去を思い出すときとは違う、熱の籠もった涙が溢れた。そしてそれを隠すように斎賀の胸に貌を摺り寄せた。「だから今氷翠がおっている全てのしがらみから解放された時・・・・・・・・・・、氷翠が私から・・・・・此の場所から離れようとする時、私を殺して、そして、・・・・・・・・逃げてあげてね。氷翠を連れて。」その頬を熱のかよう涙が流れた時。「貴方だけは氷翠を傷つけないから・・・・・・・・・。」斎賀の手は紅丹に応えるように彼女の背を抱いた。
2007年01月21日
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今回、【サンセツキ】だけでなく【虚】の方も砂葉さんと連動する事になりました。宜しくお願いします。
2007年01月04日
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落ち着いた淡い照明に、広い壁一面に埋め込まれている水槽の中には熱帯魚たちがきらきらと傲慢に光を纏い、優雅に泳いでいる。耳障りには決してならない程度にほど良く流れているのは生のジャズ演奏。ショットバーに近い装いの店内にはカウンターと、ボックス席が七・・・・・・。ほとんどの客は演奏を楽しみながら酒を嗜んでいる。こういう御客様はとても好きだ。心からこの店の雰囲気を楽しんでいるのが分かるから。だが、何処にでも例外はいる。と、言うより。この店は十一時まではショットバーの様相を保っているが、その時間以降はボーイズバー・・・・・・(ホストクラブとは違い、常にテーブルでの接客ではなくカウンター越しなのだが)・・・・・だからか。カウンター内で注文された酒をつくりながら、咬【ぜん】は相手に気づかれぬように微かに視線を逸らせた。そのしぐさに濡れたような柔らかそうな黒髪が耳を滑り落ちる。ソレに触発されたようにカウンター越しの相手は微かに目を伏せた咬の流れた横髪を掬い、耳に掛ける。やけにねっとりとした絡みつくようなその相手の手管は、あまり好きではない。「ねぇ・・・・・・・。」頭の足りない、甘い、甘い声音は咬を酔わせる代わりに失望させる。そのくせ、女は誘いかけながらも決定的な言葉は口にはしないのだ。だからその口調よりかははるかにこの女性は頭が良いのだろう。その証拠に、誘う口調はあくまで下手(したて)であり、主導権を男に握らせるようであるのに、この女は何時でも逃げに打てるように・・・・あるいは責任を追及されぬように、誘いの言葉は口にしていない。それでも女の口調がねばねばとしているのは目の前の極上の獲物への欲情と焦りからであると咬は理解していたが、応じる気はなかった。この店で自分が働いていて相手が御客様である限り、最上級の接客ともてなしを提供するが、その後の自分のプライベートな時間を店が規定していないアフターに使う気はない。やっと都合の合うバイトを見つけたのに、客になど手を出すつもりはなかった。それが普通の“付き合い”ではなく、あからさまに視姦をしてくる相手ならば尚更。「お待たせ致しました。」優しくなだめるように甘い声音で促し、少し距離を詰めることで逆に女の手を振り切る。「え・・・・・・・?」と、地に足の着いていない返答を唇から零す女に咬は今度は口調を変えて話しかけ、蕩けるような笑みを浮かべた。そうするとヴェネツィアン・グラスの色合いに似た瞳が深みを増す。そのまま咬はその瞳を細め、蠱惑的に笑む。「菜穂さんのためにつくったんだから、はやく飲んで?」ね?と囁くように“お願い”すると、名前を呼ばれた女は近づいた距離を恥じるかのようなしぐさをして、頬を微かに染める。だが、そのしぐさの何割かは計算だ。半ば以上その駆け引きにウンザリしていると、女はやはり増長し、ねっとりとした声でこちらを絡めとりにかかる。「ねぇ、ゼン君も一緒に飲も?」甘ったるい上目遣いに感じるのはやはり失望だった。いっそ媚を売られるより、その高慢なまでの無知さ加減と傲慢さで突っ走っていてくれたなら惚れたかもしれない。(どういう趣味だ。)手早く先ほど作ったものと同じ酒をつくりながら頭の中で自重する。こんなのはよほど歪んでいる。「ん、できたよ菜穂さん。じゃ、一緒に?」軽く女の持つグラスにグラスを合わせ、見苦しくはないように一息に飲み干す。同じ酒、といっても咬が飲んだほうはかなり水で割っていて、女が飲んだ方は口当たりは良いがかなりキツく作ってあるが。前者はこれからの仕事に差し障りが出ないように。後者はやっかいな客が絡んできた時に咬がよく使う手だ。はやく酔わせて、迎えのタクシーに放り込みたい。この女は咬が他の御客様の指名がかかると邪魔をするのだ。はっきり言って、邪魔だった。飲んだグラスを下げ、店内に視線を走らせると、マネージャーと目が合った。視線に促される。その先に目を遣ると、ボックスの方で一人グラスを傾けている上品な男性客の姿が目に入った。常連客だった。どうやら指名が入ったらしい。その視線での遣り取りに女は敏感に気づき、苛立たしげに絶妙なタイミングで男性客を斜めで見据えため息をついた。「あの人?・・・・ゼン君に格別ご執心だもんね。」侮蔑と自分が女であるという優越と敵愾心の潜んだ声に吐き気を感じたが、女に断りをいれ、男性客のところへ行こうとカウンターを出て足を踏み出したところで、唐突に後ろから腕を掴まれた。菜穂かと思い思わずうんざりするが、引く力のあまりの強さに別人だと悟る。「・・・・・・・・っ。」酔っ払った他の客かと思い直し用心し、微かに腕を引いて振り返ると、在ったのは予想もしない人物の姿だった。「あの方より先に指名したんですが。こちらを先に受けてもらえますか?」シャープでくっきりとした余計なもの全てを殺ぎ落としたかのような鋭利な声。だがその口調には穏やかさとその人物の誠実さが表れていて不思議なほど冷たくは聞こえない。容貌は端整ながらも抜き身の刃物を連想させる。物腰は洗練されていて一分の隙も見られず、ただ立っているだけで溢れるような威圧を感じさせ、黒のダブルのスーツがよく似合っていた。「は・・・・・・・有、家【ありえ】・・・・?」有家清綱【ありえ きよつな】だった。その存在感でホール中の視線を集めている男がその容姿にふさわしい笑みを浮かべ、そのまま咬の反応を無視してカウンターの方へ歩いていった。それを信じがたい思いで立ち尽くしていると、その咬の様子をいぶかしみ、マネージャーが視線で急かしてくる。まさかあの男の座ったカウンターであの男の相手をし、あの男のために酒をつくってあの男とこの場所で談笑しろと言うのだろうか。「・・・・・・・・・・・・・。」・・・・・・・冗談ではなかった。
2007年01月02日
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