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2005年12月02日
サンセツキ <本編> 第一章 雪華 4
テーマ:
連載小説を書いてみようv(10421)
カテゴリ:
サンセツキ <本編> 第一章
すぐ傍から、からん、ころんと少し間延びした愛らしい音が響いている。
やけに眠たげなその音は、夜に賑わう祭りの喧騒の中をぬって歌のように何かを訴えかけてくる。
それを言葉に表すとさしずめ、眠い、眠くてたまらない、とでもいう所か。
傍らを見るとやはり橙火【スミカ】が眠たげに何度も瞳をこすりながらヨロヨロと歩いている。
その度に、橙火が履いている可愛らしい細工の入った紅い下駄がからん、ころん、とのんびりした音を鳴らしている。
はたから見ている分には微笑ましい光景だが、死ぬほど眠いらしい。
氷翠王【シャナオウ】は微かに吐息して微苦笑した。
無理もない。
あれから箍が外れたように隅から隅まで走り回るようにして露店を見て回ったのだ。
ましていつものこの時間ならとっくに眠っている頃だろうから、なおさら。
「橙火。」
眠た気な頭になるべく響かないようにそっと低く、できるだけ柔らかく声をかける。
それから一呼吸置いて橙火の瞳を覗き込んだ。
「眠い?」
あやす様に甘いその声音は一層橙火を夢の中に誘い込むようだった。
そのあまりの心地良さに橙火は少し小首を傾げ、ビロードのような瞳で氷翠王を見上げた。
なんて甘い声を出す人だろう、と夢現に思う。
まるでさっき食べたふわりと甘い焼き菓子みたいだ。
「・・・・・・・うん。」
蕩ける様に眠いので、橙火はこくん、と頷いた。
何処に居るか分かる?と柔らかくて甘い声が聞く。
「・・・・・・・・えっとな?あっち・・・・・?」
半分寝たような疑問形の答えがあっち、という指差しと共に返される。
少し困ったような氷翠王の瞳が向けられたが橙火はもう幸せな眠気の中に引き込まれている。
(・・・・・・・あっちってどっち?)
そうすると間髪を入れず、幸せそうな寝息が聞こえてきた。
氷翠王の肩に頭を預けるようにして眠っている。
「橙火?」
呼びかけても返事はない。
なんて幸せそうに眠るんだろうと、浅く吐息し、微苦笑する。
自分には一生かかってもできそうにない、と思う。
「・・・・・・・・おやすみ。明日の糧になるような良い夢を。」
そっと愛おしむように呟き、その額に口付ける。
そして、さあ、探さないといけないなと苦笑し、なるべく振動を与えないよう歩き出す。
その時の自分の顔に本当に幸せそうな微笑が浮かんでいたことに、氷翠王は気づかなかった。
*
「こんばんは。」
柔らかい、鑿を木に打ちつける音が雨のように優しく響いている露店に近寄り、氷翠王は声をかけた。
その露店には面や細工の美しい簪や櫛、陶器物までが綺麗に並べられていた。
素人でも上等な作りのものだと分かる。
氷翠王の声に今まで面を彫る作業に没頭していた男が顔を上げ、視線を寄越した。
「・・・・・・君か。」
そして氷翠王の顔を認めると、その手に持っていた鑿を置き、表情をふと和らげた。
そうすると厳しかった男の顔が、どこか菩薩のような暖かみを添える。
真率さと優しさが際立つこの男のこの表情が氷翠王は好きだった。
「橙火を連れてきてくれたのか。」
氷翠王の背で眠っている橙火の寝顔を見、重いだろう、預かろう、と氷翠王の背から橙火を抱き上げ上着をひいた茣蓙の上に寝かせた。
そして男は顔を上げ、氷翠王に視線を戻した。
それからおもむろに言う。
「昨日よりも大分顔色が良い。」
言われて思わず目を瞬いた。
そして苦笑する。
「そんなに死にそうな顔をしていたか。斎【イツキ】。」
いや、と斎は手元の面を再び拾い上げ、作業に戻り始める。
「君はそんな無様な真似をさらす人間ではないだろう。」
確認する、と言うよりただ事実を述べている斎の口調に促される。
「だがそれは長所でもあるが同時に短所でもある。」
トントンと鑿が木を打つ音がそれに賛同するように続く。
斎が何を言っているのかは直ぐに分かったが、それ故に容易に頷くことはできない。
なぜならそれは自覚を促すほどに正しい。
そしてそれは簡単に自分の首を絞めることになる。
そして決定的。
そうした自分は求められていない。
鑿の音が止む。
「・・・・・・君は君が思っているほど、幸福ではないようだ。」
静かな声が返される。
再び鑿が木を打つ音がしだした。
「君は深く的確に俺たちを理解しているが、俺たちはいくらそれに努めていても君を理解するには至っていない。」
それはそう仕向けたからだ。
それは自身の望んだことではあってもお前たちの責任ではない。
この思いも口に出すことは叶わない。
このことを自分から認めて口に出すことはできない。
許されてはいない。
斎は氷翠王の研磨された宝石のような瞳を見つめた。
その瞳は他人の心に静かに響きすぎるのに、優しさを与えて包み込んでやるには何も欲してなさすぎる、と斎はふと思った。
どうすればいいのか分かることもできない自分はひどく鈍感であるに違いない。
そして氷翠王の周りには自分と同じ鈍感な者が多すぎるのだ。
だから斎はその先を口にした。
「俺は君を深く理解しないまま、それを悔いるだけの人間でいるつもりはない。無論、君の心にずかずかと土足で上がりこむような事はするつもりは無いが。」
こうでも言わなければ、いつか氷翠王は傷つくだけ傷つき、仲間はそれも知らぬまま永久に氷翠王自身を失うことになるだろう。
そうなってからでは遅い。
今までも誰に精神的に頼るでもなく、一人で背負い続けることで氷翠王は自身にかなりの無理を強いている。
「今のまま、君は走り続けてもいい。だが、皆君を愛しているしきみの力になれればと思っている。それだけは覚えていて黙って受け入れてくれないか。」
『一緒に来ないか、斎。たぶんきっと気に入る。優しい人たちだ。優しいお前にきっとなじむ。』
これは数年前に氷翠王が暖かい手と共にさしのべてくれた言葉だ。
この言葉に少しでも恩を返したい。
力になりたいと言ったのは、まぎれもなく本心だ。
慈愛のこもった斎のまなざしと声がそそがれるのを、氷翠王はじっと聞いていた。
まるでその言葉を心に沁み込ませようとするように。
やがて氷翠王はその金色のギリギリ一歩手前の琥珀色の瞳を細め柔らかく息を呑み、笑ませた。
その色素の薄い獅子のような瞳に、斎は一瞬目を見張る。
今まで見たことも無い強い光を見せるその瞳は、まっすぐに一筋に、全てを受け止めるように斎を射る。
まるで全てを統べる王のような誇り高い瞳だった。
けれど氷翠王はその自分の美しさに気づいていない。
次にやっと向けられた笑みはいっそ屈託が無く、暖かで少しはにかむような微笑だった。
「・・・・・・・ありがとう。」
ほかに言葉が思いつかない、とほんの少し幸福そうに言う。
照れているようにも見えた。
それを見て思わず嬉しく思ったのを、斎は否定しなかった。
氷翠王が冷え切った自分の肩に思わず手を置くのに、上着を掛けてやりながら大分高く上った月を見て斎は微笑み、言った。
「獅吼が待っているんだろう?早く行ってやるといい。」
「ああ、そうだな。」
じゃあ、また村で、と挨拶をし、踵を返そうとする氷翠王を引き止める。
「今度また屋敷に来るといい。その時は夕飯でも馳走しよう。」
優しく暖かな斎の微笑を受け、氷翠王は少し目を見張った。
「・・・・・・斎には敵わない。」
そして本音を口にし、嬉しく笑った。
そして二度、心底からの言葉を唇に乗せる。
ありがとう、と。
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最終更新日 2005年12月04日 17時17分46秒
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