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ビリビリと心臓を揺さぶる和太鼓の音。
目に映るのは燃え盛る紅の篝火。
鼓膜を震わす里神楽のお囃子の音が近い。
露店から離れた神社の境内は里神楽の舞台に近いからそれも当たり前か。
空を見上げると凍り付いて零れそうなほどの蒼い月。
今夜が祭りでなければその凍った蒼い月光はすべからく全てをその令色に飲み込んだだろう。
かん高くそれでも美しい笛の音を心の奥深くで聴きとめ、月の令色に身をひたす。
薄く細めた自分の瞳は境内をそっと這うが、求める姿は見当たらない。
約束を果たした今宵の待ち人はいつとも現れない。

・・・・・・・この関係をほかの者は羨ましいと微笑む。(自分はそうは思わない。)
だが、これはいい。
いつもの探さずとも待たずとも、謀ったようにお互いを見つけ出す賭けの伴ったお遊びより、こうやって祭りの喧騒の中いつ来るかも分からぬ相手を待つほうがよほど性に合っている。
待つことは嫌いではない。
勝負事に慣れた自分は待たなければならない時があるのを知っている。
どこかの坊やみたいに突っ走ってばかりじゃ獲物は手に入らねぇ。
まあ、賭け事ならともかく、待つのが人間なら、不快にさせられるかさせられないかはそれも人によりけりだが。
待つことが苦痛ではないのはもう幾年も待ち続けている相手だからだ。
待ちに待って、疲れてしまったとも言う。
いや、違った。
脳裏によぎる血迷いが今宵の待ち人の姿となって、神楽のお囃子にちらちらと紛れる夜の闇に浮かび上がる。

だが自分が魂の底から愛おしんだ相手は少し見ない間に驚くほどの様変わりを遂げていた。
いつだって真っ直ぐに微笑む相手の周囲の空気はいつもどこまでも柔らかく水のように澄んでいた。
それは今でも変わりなく見える。
だが自分はいつもその姿に取り返しのつかない“変質”を見ることが出来た。
どこまでも柔らかいその相手の周囲の者を癒す才能は、偶像崇拝を賛美するかのような連中の中にあって、そのまま暗い力を孕むカリスマへと見事なほどの変貌を遂げた。

考えても埒は明かない。
結局。
どう変わったとしても、“高嶺の花”は“華”なのだろう。
周囲がどう変わってもあの相手だけは変わらずに在れると、そんな都合の良い事を本気で思っていた自分が甘かったか。
出来ることなら。
ぶちまけてみたいのだ。
相手の、陽にさらされない“傷”を。
膿んで腐敗していてもいい、聞くに堪えない腐臭を撒き散らしていてもいい。(それすらも愛おしいと思うだろう。)
誰にも開かれない“傷”は、いつまで経っても癒えない。
ならばいっそ抉り出してその膿みを無理矢理にでも舐めとってやらなければ、相手はそのまま腐れ落ちるだろう。
むしろ望んで。
最期のとき、相手はそれは美しく微笑むに違いない。
だが、思い通りにさせるつもりはない。
それでは自分の気がおさまらない。
あの愛おしい魂を孤独の底に置いたままは死なさない。
わあっと周囲の喧騒が大きくなる。
お囃子ではなく騒々しいざわめきの声に、松明がパンッ、と音を立てて爆ぜる。
来た。
月から視線を流し、喧騒の中心に目を遣る。
其処には人目を惹く人物がいるのが見えた。
大地を思うさま駆けるためにあるような伸びやかな肢体に、その線に合った上下とも黒の合わせの洋装がよく映える。
鴉の濡れ羽のようなその色は何故か夜の海に散る波を連想させる。
その黒のいかにもシンプルな中に、触れてもそこに在るのか分からない位の細く華奢な銀の鎖の装飾具が細腰を強調し、艶気まで添えている。
個人的には美の極致。
けれど最も美しいものは未だはっきりとは此方に向けられない。
その人物の視線が無造作に周囲を流れる。
見ろ。その目に映せ。
自分から声を掛けてやるつもりはない。
それでは意味がない。
その瞳に映るのは。
その瞳が一瞬、ふいに魔が差したように月の令色に向けられる。
そして針で空けたような間の後、その令色を纏ったままの瞳がまっすぐに此方に向けられた。
思わずゾクリ、と鼓動が沸く。
分けの分からない優越感が血の中にジリジリと湧いた。
研磨された宝石のような瞳だった。
やっと俺を見留めるその瞳を真正面から見返す。
そうだ。逃がしゃしねぇ。
「よお、先生。」
逸らされないその瞳を見据えながら声を掛ける。
「獅吼【シコウ】。」
先生、という洒落半分の呼び名に幾分目を細めながらも、氷翠王【シャナオウ】は名を呼び返して此方に歩み寄ってきた。
そして厭味でもなく、さっさと一人で帰ったかと思った、と言う。
少し、いやかなり心外な言われように内心苦笑しながらも獅吼は不敵な面構えを笑ませた。
「まるでその方が良かったような口ぶりだぜ?」
いろいろと役には立つはずなんだがな、と冗談交じりに見返せば、相手も負けず劣らず、
「それほど不自由はしていないがな。」
とキリキリと口上を笑みと共に切り返す。
こういうのを“類は友を呼ぶ”と言うのか。
はたまた“朱に交われば赤”、か・・・・・・・。
どっちにしろ、たちが悪いことには変わらない。
「おいおい、頼むぜ、先生。」
「なら気づいていたなら声を掛けろ。」
おかげで探し回ったとそのまま続ける口調はけれど柔らかい笑み交じりだった。
こっちが最初に氷翠王を見つけていてそれでも声を掛けなかったことに気づいたらしい。
内心舌を巻きながら、けれどその思考は別に気づいたことに塗り潰された。
いつもは遠駆けの後はもっとすっきりした顔をしているが、今日は浮かべる笑みにも憔悴が滲んでいる。
一瞬、橙火【スミカ】に連れ回されたせいかと思ったがそれにしてはどこか様子がおかしい。
「どうした。」
短く切るように問い、腕の中に抱き寄せる。
微かに血の香がした。
だが氷翠王に血は付いていない。
触れる皮膚からそれが分かる。
呼吸も心拍も通常と変わらない。
怪我はしていない様子にほっと息を付き。
それでも反論をさせないように更に深く抱き寄せた。
「----------------------。」
獅吼が口を開く前に、氷翠王が言葉を口に乗せる。
その言い様に思わず目を見張った。
『お前しか思いつかないんだ。』
そう言った。
けれど驚いたのはその言葉ではなく、口調だった。
縋るような、願うような口調だ。
こんな弱みを見せるような態度は未だかつて氷翠王は見せた事がない。
「ただの移り香だ。だから、気にしなくてもいい。忘れてくれ。」
傷ついたような悲しみの蒼を瞳に映しながら氷翠王は続ける。
嘘ではなかった。
ただの移り香だ。
問題は誰の移り香かであって・・・・・・・。
一瞬失う痛みが血迷いが脳裏をよぎる。
やはり気づいた、と思った。
獅吼が気が付かないはずがない。
雪灯【セツガ】の移り香だった。
「お前しか思いつかない。私に余計な気を遣ったり偶像崇拝の道具に使わない人間が。・・・・・・・・・・・・・お前しかいなかった。」
だから、と。
「だから何も言わないでくれ。」
悲痛な告白をしながら氷翠王は今更実感する。
愚かだ。
愚かだ、と。
告白は柔な身の逃げだと氷翠王は知っていた。
あまりの自分の愚かさに。
微苦笑が零れた。
けれど、その惨い感情に伴った笑みの割には氷翠王の目は落ち着いていた。
惨い言葉を吐く割に、瞳だけ優しい。
世界の終わりがそこに待っていることが分かったかの様な瞳の笑み。
諦め切った瞳だった。
その笑みを見た瞬間、獅吼は今更ながら実感する。
本当に、今更・・・・・・・。
氷翠王のその瞳は、何度も他の自覚の無い“他人”に執着され、理不尽な目に遭ってきた人間の瞳だった。
そしてまた、その執着が遣って来た時と同じく唐突に、理不尽に去って行くことを理解している瞳だ。
そうでなければ、このような微笑をその透徹したような表情を浮かべられる訳が無い。
氷翠王は此方の目を見ない。
触れる体温だけが隙間を埋めようと虚しい空回りを繰り返す。
その瞳だけが優しい。
その唇から先程の言葉以外、紡がれる様子はない。
その唇が紡ぐなら、たとえそれが何の意味も成さぬ音の羅列であってさえ意味を見つけようと自分は躍起になるだろうに。
何も成せぬ自分に獅吼は内心ゾッとする。
それに気づき、氷翠王は思わず自分を抱きしめる獅吼の背に腕を回した。
獅吼の体温はしっくりと温かく、腕になじんだ。
それが温かく、優しく・・・・・・・、救われると共に、何より痛い・・・・・・。
氷翠王は知らず、先程と同じ微苦笑を浮かべた。
泣き顔のような笑みだったのか。
笑みのような泣き顔だったのか。
獅吼は判別が付かなかったが、けれど自分の行動と意志を実践することはできる。
氷翠王の背に腕を回し、その肩をただ撫でてやる。
そうしながら心の底で自分への憎しみと苛立ちを飼い殺す。
ここまで追い詰められているとは、どうしてやっても何を言っても、自分では氷翠王の痛みを取り除いてやるには至らない。
その場しのぎに“禁足地”の村から連れ出してやっても、ただの時間稼ぎにしかなっていない。
それどころか、却って氷翠王に堪らない想いをさせている結果になっているかもしれなかった。
「どうして・・・・・・・。」
と、出掛かる言葉を口の中で噛み砕き飲み下す。
その呼吸に気づいたのか、氷翠王は身体を離しかけた。
それを許さず、腕に抱く。
離すつもりは無かった。
何かを欲しがるなら何でも与えてやるつもりだった。
人のぬくもりでも、癒されるための嘘でも、その心が責任への呵責に苛まれるならそれを断ちたいというのなら自分が憎まれ役を負うつもりで・・・・・・・・・それこそ、なんでも。
だが、それさえ叶わないなら。
それさえこの相手が許されないと思っているのなら。
せめて、もうしばらくは・・・・・・・・このままで。
せめて相手の震えが止まるまで。
それぐらいの時間はこの相手に許されてもいいはずだ。
「・・・・・・・・。」
氷翠王が少し安堵するように身体を預けてくる。
それだけが唯一の救いだった。
今はこうしてやることが泣けないこの相手への、ただ一つのしてやれることだ。
・・・・・・・今は、まだ・・・・・。





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最終更新日  2005年12月06日 21時49分47秒
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