絵描きのKちゃんのことを書きたくなった。
伊豆の山の中腹の 7000坪の山林を買って、
自分で大きな小屋を 3棟造った。
多いときは、10人は泊まれる広さ。
囲炉裏がある、炭を焚くから冬でも暖かい。
庭で夕方は、直径20センチ程度の木材、廃材が薪。
焚き火を囲んで仲間と酒盛り。
海に近いから、仲間が伊勢えび、太刀魚等、蟹(モズク蟹)も、
解禁期間は猪の肉、スペアリブ、山菜も豊富。
飲み、お喋り、その後、海岸の混浴温泉(無論男女)
それから又 飲み治し。
よく飲んだ・・・楽しい集い。
友は類を呼ぶから、集まるは、彫刻家、童話作家、能面作家、元広告マン(彼は蕎麦を打つ)、ピアノ女教師、スイミングクラブ経営者、元ドキュメントカメラマン、映画監督、別のカメラマン(戦場のカメラマン)、女優さん、伊豆に住み着いたドイツ人、など等、個性的な多士済々だった。
朝は、烏骨鶏の卵、焼き魚等、釜で炊いたご飯。1~2泊で帰ってゆく、寛ちゃんは言う「皆が帰ったら寂しい・・・」
帰らないのはピアノ教師、元ドキュメントカメラマン、僕。
3人は近所に住んでいて、Kちゃん夫婦、5人でよく飲んだな~・・・
15年前 皆元気だった、実によく飲んだ。
小屋には彼の大作が一点、小品の絵は壁じゅうに、
囲炉裏の近くには、白いガラスのランプ傘に裸電球。
蛍光灯を嫌った彼、自給自足の生活、山で椎茸、竹の子、畑で殆んどの物、米は新潟から送ってくる、現金が要るのは”酒買うお金”程度と云うが、ガソリンだって現金が要る。烏骨鶏を飼っていた、以前はロバ2頭。
朝の草刈が運動だという、ロバの餌、鶏の世話、池の金魚は翡翠が食い尽くして全滅、ミカン畑、誰も採らない昔の夏みかん・酸っぱい。桑の実、
水は沢水、自然と共に生きている。
絵が描きたいばかりに都会を去った。
その近くに3~5年住みました、タイと伊豆を頻繁に往復していたから、実質3年程度住みました、僕も絵を描いていた。地元のお婆さんが、若いのに遊んでる怠け者と観た、葉桜に薬散布のお婆さん、勤勉なお方、夜は猪が出没した。
時間との勝負の東京生活、寝る時間さえ少なかった。病気になれば入院して休める、休みたいと思った、実現したら貧乏暇だらけになってしまった。
時間裕福になって幸せ!
人生激変しますね。
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MoMo太郎009さんComments
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