フリーページ

愛車のページ(愛用バイク2008/10購入)


自作バイクジオラマ


本栖湖ミニ・ツーリング


バイク画像(準備中)


鉄人28号ジオラマ1


鉄人ジオラマ1、完成記念写真


「鉄人28号ジオラマ2」完成画像1


「鉄人28号ジオラマ2」完成画像2


我が憧れの戦艦大和(加工ジオラマ)


「三丁目の夕日」の世界


ティラノサウルスのヘタなイラスト


SF「恐竜境に果てぬ」 序章 第1節 1・2 


SF「恐竜境に果てぬ」 序章第1節 3・4・5


SF「恐竜境に果てぬ」 序章第2節1・2


恐竜境に果てぬ序章第2節3


恐竜境に果てぬ序章第2節4


恐竜境に果てぬ序章第2節5


恐竜境に果てぬ序章第2節6


恐竜境に果てぬ序章第3節その1


恐竜境に果てぬ序章第3節その2


恐竜境に果てぬ序章第3節その3


恐竜境に果てぬ序章第3節その4前編


恐竜境に果てぬ序章第3節その4後編


恐竜ワールドテスト撮影


恐竜ワールドテスト撮影2


逝っちまった恐竜モデルたち


恐竜境に果てぬ・心は『先史時代』にあり


合成の練習『恐竜境』序章クライマックス


『恐竜境』ポスター


恐竜境に果てぬ第1章第1節その1


恐竜境に果てぬ第1章第1節その2


恐竜境に果てぬ第1章第1節その3


恐竜境に果てぬ第1章第2節その1


恐竜境に果てぬ第1章第2節その2


恐竜境に果てぬ第1章第2節その3


恐竜境に果てぬ第1章第3節その1


リンク


2003.12.14
XML
カテゴリ: コラム
12月14日 日曜日  赤穂浪士討入りの日

かつてはこの日前後となると、各局の映画劇場などで、必ず昔の「忠臣蔵」映画を放映したものだが、昨今はこれを盛んに放映し、日本人のわきたつ心を喚起する企画は失せたも同然のようだ。
我らは一年中、眠っていた心を、この日とばかり覚醒させ躍らせ、場面によっては胸に迫るものを感じて、一大時代絵巻に興じた。

本日の内容、辛口コラムである。面白くないだろうし、腹立たしい思いを思う向きもあると察する。しかしこれが私の日記の本領でもある。

かつて私たちが小・中・高校生時代のドラマには、それが子供だましの冒険活劇であれ、大人向け時代劇ドラマであれ、語り手のナレーションにも名調子と呼べて、それに我々子等もうっとりし、遂には暗誦できるまでになるものがたくさんあった。
それが今はない。NHK大河ドラマのCDが発売されても、名場面抜粋のセリフがなく、ただ劇中主題曲や挿入曲を羅列して聴かせるばかりである。

まして、歌舞伎なぞいきなり「わからぬ」、「退屈だ」と言って、見向きもせぬ者が多くなったから、名セリフなどがどんどん我が国から消え失せていく。
当人は痛くもかゆくもないに違いないが、観劇と言ってもせいぜい劇団四季(かどこか)の面白くも何ともない毛唐芝居モドキをだらだら演ずるのに興ずるがいいとこである。

毛唐のまねっこだから、本物の毛唐のブロードウェイミュージカルの足元にも及ばぬ。福沢諭吉が「脱亜入欧」と唱えて、西洋の文物をとり入れんとした結果、我らは支那の貴重な古典や我が国古来の伝統をすっかり忘れ、また学びもせず、遂にニセ毛唐になり果てたのである。


「町のうわさにきのうは聞いた、きょうは見た。鞍馬の天狗が出るという・・・」

歌舞伎では「お若えの、お待ちなせえ」、「待てとおとどめなされしは」も聞くたび胸がすく思いを覚えた。白井権八と言ってもわかる人はどれほどいるか。
「えーご新造さんへ、女将さんへ、お富さん、やさお富、あ、久しぶりだなあー」
「がきの頃から手癖が悪く、土の牢にも二度三度・・・」
「暫」で、花道を去る時「やっとことっちゃ、うんとこなあー」と六方を踏むのも知られぬだろう。同じく「ぼうに下せえ、てえてえしやす」などは、なおのことだろう。

「熊谷陣屋」で幕外の引っ込みとなり、送り三重と呼ばれる哀しい響きの三味線の音に送られて熊谷が去る場面も同じ。
十八番中の十八番「勧進帳」の山伏問答の見せ場のうち、「りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん」と唱えるのは、陰陽師ブームで、いくらかのマニアは知るところとなったかも知れぬが、そもそも山伏修験道が天竺のアララ仙人を開祖とし、それを我が国の役小角(勧進帳ではえんのしょうかくと言っている)が広く伝える説明をするくだりとなると、早口のセリフもあって、何を言っているのか聞き取る人とて、少なかろう。

歌舞伎から離れる。再び大河ドラマである。既に何回か書いた「天と地と」のこと。
三つ上の兄と私は石坂浩二氏たち演ずるこのドラマに魅了され、毎週日曜日夜八時は、テレビ画面に釘付けになった。目を皿にし耳をそばだてて見入った。
各シーンが鮮やかに記憶される。例えば今年の「武蔵」では、近く海老蔵を襲名する市川新之助が、全く予想外のへたなセリフ回しで、がっかりした。更に言えば又八という竹馬の友が、現代劇にも出ている単なるトレンディタレント演ずるせいか、セリフを茶の間の見物の耳に届かせぬ。主役クラスが皆早口で、武蔵など、毎回何事かに感激し、涙ぐんでばかりである。早くに老成した剣の達人宮本武蔵に見えぬ。そして、ぼそぼそ耳に届かぬセリフを言うから、我が母はボリュームを25ぐらいに上げる。大河ドラマは効果音好きだから、いきなりとてつもない大音響で効果音が炸裂し、その都度母はびっくりする。

以前も書いたが「天と地と」は、かつて二枚組LPレコードを出した。今の中村歌昇、子役時代の中村光輝の口跡は今も昔も変わらず声量豊かで鮮やかなものだが、成人した上杉謙信役の石坂浩二氏も、いや今や人間国宝となった天王寺屋こと中村富十郎氏も、抑え目のボリュームで大音発して、これまた口跡鮮やかである。


未だに覚えている名ナレーションがある。どうせ見て、聴いて書いたのだろうと思われてもかまわない。ともかくすらすら言えるほど、印象に残ったのだ。

「戦国末期は英雄大望の時代であった。一世紀になんなんとする長い争乱の果てに、星のように割拠した豪族・守護大名は次々に消え去り、そのうちのいくつかが天下を望むことのできる強大な戦国大名にのし上がっていた。そしてその中の二つが今まさに雌雄を決する時を迎えようしている」

「永禄四年九月十日、川中島決戦の朝はまだ深い霧に閉ざされていた。のちに頼山陽がこの時の情景を七言絶句の漢詩に託している。
不識庵機山を討つ図に題す。
鞭声粛々夜河を渡る、暁に見る千兵の大牙を擁するを、遺恨十年一剣を磨く、流星光底長蛇を逸す」


すべて完璧に暗誦出来たわけではないが、セリフも切れ切れながら覚えているものがある。
「新兵衛」
「はっ」
「そちに命ずる。わしの名代となって甲斐へゆけ。そして晴信に会うてこう進言するのだ・・・」
ここで別の家臣が横槍を入れる。「しかし殿、そのようなことで武田が兵を引きましょうか。ちと、手ぬるいような気が致しますが」
「武田が兵を引くか引かぬかは、武田自身が決めることだ。わしとて、話し合いで解決できるものを、やたらと兵を出したくはないからな。皆、ひとまず国許へ帰ってわしの合図を待て。・・・策は、その時までにわしがよう練っておく」

さて、ここで私がようやくレコードなどで覚えた三波春夫氏の「俵星玄蕃」の中の、早口の語り名調子がある。うそのないよう、書けない字はひらがなで書いておく。

「時に元禄十五年十二月十四日江戸の夜風を震わせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ、思わずはっと立ちや上がり、耳を済ませて太鼓を数え、『おお、まさしく赤穂浪士の討入りじゃ、助太刀するはこの時ぞ。もしやその中に昼間別れたあのそば屋がおりはせぬか、名前は何と今ひとたび』
逢うて別れが告げたいものと、稽古襦袢に身を固めて段小倉の袴、ももだち高っかく取りあげ、白綾(しらあや)たたんで、後ろ鉢巻眼の吊る如く、長押し(なげし)にかかるは、先祖伝来俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、切り戸を開けて、一足表に踏み出せば、天は幽暗、地はらいらい(訂正/がいがい)たる白雪を、蹴立ててーっ、行く手は松坂町ーっ」

お茶の水女子大教授で数学者の藤原正彦氏(これも再三のことだが、藤原氏は、映画化されてヒットした「八甲田山」の原作者・故新田次郎氏の次男である)は、ケンブリッジ大学で他の英国人教授たちが、シェイクスピアの物語を日常の会話に引用して、駄じゃれを言い、冗談を言うのを聞いて、心恥ずかしき思いにとらわれたそうである。

何、我らもまた歌舞伎を日常に取り込んで、駄じゃれ、冗談に使っていた。無論、庶民レベルである。
今、歌舞伎に愛好おかぬ私などは、うっかり話題にしようとすると、けむたく思われるから残念である。
歌舞伎がすたったのは、関東大震災以後である。震災で芝居小屋が焼け失せたのである。それまでは皆々、歌舞伎に親しんだ。

歌舞伎でなくとも、講談落語に親しみ、佐倉義民伝など、皆涙して聞き、その話を知っていた。
歌舞伎は河竹黙阿弥の功績に負うところ大であった。元禄忠臣蔵なる言わば新作があるが、単に映画などで描かれる内容をおおげさに脚色し、セリフはスローモー過ぎて、かえって歌舞伎の味を壊していて、見るに聴くに堪えぬ。

登場人物の名前をほとんど変えて、当時の幕府に遠慮した竹田出雲作「仮名手本忠臣蔵」のほうが、例えば十一段目の討入り場面は迫力がある。殺陣もアップテンポで見ごたえ充分である。討入り場面は15分程度であっというまに終わってかちどきとなり終幕となるが、いっそ胸がすく。どうして退屈な思いに悩むことがあろうか。

我らは西洋に近づかんと欲して古来の古典を捨て、所詮ニセ毛唐にしかなれず、結局いずれをも失ったのである。
もうじき忠臣蔵の時節となる。毛唐のクリスマスなんぞはとっくの昔に縁を切った。我が脳裏にあるのは忠臣蔵、そして年末年始だけである。「年のはじめのためしとて・・・」に始まる優しい歌の正しい曲名を言える日本人は今どれほどいるか。曲名は「一月一日」である。知っていた人は当然だと言うかもしれぬが、たいしたものである。「正月」、「元旦」などと言えばましなほうか・・・。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.02.12 14:41:06
コメント(1) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: