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祖母が日曜日に亡くなりました。お昼にはめずらしくパンが食べたいと言って、菓子パンを食べたそうです。昼までは、いつもの食いしん坊の祖母でした。入院もしていません。とくにどこが悪かったというところもありません。でも、昨年の夏に腰を痛めて10日間入院して以来、自宅で寝たきりになっていました。そして、私が実家を訪ねるたびに、祖母は少しずつ少しずつ弱っていました。お正月に「おめでとう」を言ったときの弱々しい声が、今でも耳に残っています。東京がこの冬一番の冷え込みに襲われた日曜日の夜遅く、93歳の祖母は自宅のベッドで静かに息を引き取りました。「おばあちゃまが、息をするのをやめちゃった」 父からの電話で知りました。あまりに急ではありましたが、でもこんな日がくることもわかっていました。タクシーで駆けつけて、まだ暖かい祖母と会うことができました。祖母とは、大学2年生のときから10年間、同居していました。本当は祖父とも一緒に同居の予定でしたが、二世帯住宅を建て替えている最中に祖父は亡くなりました。大学生のころは祖母と本当によく喧嘩をしました。「女の子なんだから!」が祖母の口癖でした。「女も男も関係ないのよ!」が私の反論でした。運転免許を取らせてくれて、そして車を買ってくれたのも祖母でした。当然、毎月返済をしていくことが条件でしたが、もうひとつ大切な条件がありました。「お墓参りに毎月一回、おばあちゃまを連れていくこと」中央高速を走って、祖父と叔父が眠る高尾まで、毎月一回、欠かさずお墓参りをしました。社会人になってからも、ずっと続けました。「帰りはどのお店でごはんを食べようか」、行きの車の中から食いしん坊の祖母はそんな話ばかりしていました。祖母と一緒のお墓参りは、10年は続いた気がします。そのうち、祖母が「おばあちゃまの分もお参りしてきて」と言うようになっていらないというのに、ガソリン代とお昼代を握らされて家族でドライブに出かける口実になりました。「直子ちゃん、ありがとうね」と感謝されましたが、運転好きの私にとっては丁度いい気分転換でそして毎回、東京を見渡す南多摩霊園の丘の上で、深呼吸をするのが好きでした。私は祖母の来し方を4年前に聴いて本にしていました。生まれたころから、結婚するまでのお話です。祖母にとってはそこまでがハイライトだったらしく、その先は「もう知ってるでしょ」で話してくれませんでした。以来、祖母は私をとても信用してくれました。「口ごたえする孫」から「おばあちゃまの話を全部聴いてくれた孫」に格上げされました。祖母がベッドの中や椅子に座って、何度も何度もその本を読んでいるのを見たことがあります。「おばあちゃまが死んだら、この本を一緒にお棺の中に入れてね」祖母から何度も言われていました。昨日の葬儀では、祖母との約束通り、本をお棺の中に入れました。周りにお花をいっぱいおいて、祖母の写真が出ているページを押さえました。人が亡くなると、いつも思うことがあります。「これで、いつでもお話ができるようになった」と。生きていると距離があって、言葉があって、事情があって、感情があっていろいろなものが邪魔をして、本当の話をできないことが多い。。。でもこれからは、私がいつも祖父とそうしていたように祖母とも自由に話すことができるようになりました。ベッドに入って、祖母に話しかけています。「おばあちゃま、知らなかったでしょ。直子はこういう人間だったのよ」これからは、祖母との会話が楽しみです。お墓参りにもお小遣いをもらわなくても行くからね。行って、祖母の分まで深呼吸をしたいと思います。今までよりもずっとずっと多くのことを祖母と話せるような気がしています。
January 21, 2011
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みなさま、新年あけましておめでとうございます!旧年中は大変お世話になりました。今年も「記憶をつなげる」「想いをつなげる」「いのちをつなげる」の三拍子でウィルウィンド、そして、MEMORO「記憶の銀行」ともに頑張っていきたいと思います。今年の幕開けは、母に聞きたてほやほや「お雑煮レシピ」。動画レシピ【我が家のお雑煮はおでん風】javascript:void(0);みなさまもこのお正月、ご両親からお正月レシピや昔の思い出話を、うかがってみてはいかがでしょうか?動画が撮れたら是非、MEMORO「記憶の銀行」に投稿して下さい! → 投稿の仕方今年もご指導ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
January 1, 2011
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