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「憲法九条を守る県民のつどい」が開かれました。会場となった県民文化会館はいっぱいで駐車場に入れず近くの工業試験場に何とか入れていただきました。文化行事では、長野市で活躍している神谷あり子さんのグループによる「あの日の授業」が印象的でした。1947年の中学生の授業で「戦争の放棄」を教える先生の姿をうたったもので、当時国を挙げて新憲法の精神を教えていたにもかかわらず、現在「新しい歴史教科書」などで侵略戦争を美化し、歴史をゆがめて教えようとするたくらみがすすめられている事への痛烈なメッセージとして歌われた「あの日の授業」はTさんの「新しい憲法の話」の朗読も授業風景を思わせるもので文化行事の中でもひときわ光っていました。この集会には2,800人の人が参加したそうで心強く思いました。会場出口で山崎久雄さんご夫妻と出会い、かねてからお願いしていた「ふるさとの花」と題した水彩画を戴いて来ました。山崎久雄さんは、農家の納屋の素朴な風景を題材に描いて各方面から高く評価されている方で、市役所受付ロビーにもその大作が飾られています。我が家の玄関にも「ふるさとの花」を飾りました。
2005年04月29日
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築数十年の狭い家を取り壊し、新築しました。今日、生協で購入した「雨水貯留タンク」の取り付けが出来ました。早く雨降らないかなー。長野市の補助金25,000円、県の補助金(この地域では)10,000円。合わせて35,000円の補助が受けられます。浅川にダム造る思いをすればもっと補助金を高くしてもいいと思うのですが……。見に来てください。
2005年04月26日
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今日は冬至。昔から「かぼちゃを食べると風邪をひかない」といわれている。我が家でもかぼちゃを煮た。この秋小学校時代の恩師を訪ねた折「こればあさんと作ったもんだ。もって行け」とわたされたかぼちゃ。大変元気で畑仕事をしているN先生は82歳を過ぎている。かぼちゃを煮るのは初めて、生協のチラシにあったレシピを参考に肉じゃがならぬ「肉かぼ」を作ってみた。なかなかおいしく出来上がった。
2004年12月21日
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10月16日平頂山遺骨館から九・一八事変(「満州事変」)博物館を見学平頂山遺骨館から重い気持ちで、今度は「満州事変」の起こった地点にある九・一八博物館の見学に行きました。柳条湖事件―中国東北部全面侵略の発端となった事件。広い敷地に建てられたこの博物館は、日めくりカレンダーの形のモニュメントがあります。1931年9月18日の日付のページが開かれています。1894年の旅順攻略以来、日本軍国主義が進めた中国侵略の歴史が展示されています。侵略された歴史から、中国人民の抗日闘争を順序立て展示されていて、ここにも平頂山遺骨館から移された遺骨がそのまま展示されています。 柳条湖九・一八博物館この脇には旧日本軍が建設した「記念碑」とそのモニュメントが横倒しになって置かれていました。私たちの「偽満州国」の旅はここ瀋陽で終わりとなります。明日からは北京を見学します。瀋陽19時30分発の飛行機で20時40分に北京に着きました。北京の楽しい夜の報告は後で。
2004年11月10日
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楊 玉 芬(ヨウギョクフン)さんの証言 当時の私の家は3室に分かれていて24人が生活していました。このうち6人が生存しました。 1932年9月15日の夜、寝ている間に叫び声が聞こえ馬賊が来たと思った。逃げ出した人が戻ってきて「日本兵が来た」と言ったんです。 当時の平頂山村は田舎の家と労働者の家と2箇所に家並みがあった。 日本兵が何をしに来たのかわからなかったが、家に入り込んできて村人に山のふもとにある牛小屋に行くように言われた。「団体写真を撮る」と言ったので、服装を整えて外で親戚の人たちと話をしていると日本兵が来て「みんな行け」言われて行きました。 集まってからトラックに積んであるのが写真機でなく機関銃だった。機銃掃射が始まった。叫び声と泣き声、父さんは私をかくまった。お母さんは妹をかばった。「逃げろ」といわれても逃げ場所はなかった。 機銃掃射が始まったのは次の日の午前10時頃、飛行機が上空に来たとき、日本兵が「爆撃は必要ない」というサインを送ったため、私は死体の下で助かった。 日本兵が帰りかかったが生存者に気づき生存者を探しながら銃剣でさして殺したり銃で殺して歩いた。お母さんはその場で亡くなった。お父さんは負傷していて「逃げろ」といったが4歳の妹は「イヤダ」といって泣き出した。母さんはいくら声をかけても返事はない。負傷したお父さんが2人を連れて逃げ出した。日本兵がガソリンを取りに行っている隙に逃げ出すことができた。 逃げた後、村を振り返ると家は焼かれ煙が出て炎に包まれていた。帰るところがない私たちを助けてくれる人はいない。他の村の人たちは、報復を恐れて助けてはくれないのだ。コーリャン畑で一昼夜身をひそめていた。 逃げた後、9月17日になって撫順市内には「平頂山村から逃げたものは殺す」という貼り紙が出されていた。 私たちの家族は、父親、妹、おばあちゃん、など6人が生存していることがわかった。撫順で会うことができた。親戚の家に身を寄せていた。 と証言した楊さんは何度も涙を吹きながら、最後に「8歳の私には、何でこの事件が起きたか知らなかった。殺した人に怒りを感じる。とても残虐な事件だ」と結び、ハンカチで顔を覆いました。 いままで、こうした証言は他の人が行っていたそうですが、みんな亡くなってしまい、生存者は楊さん唯一人になってしまったそうです。証言するのは今回で2回目ということでしたが、証言した時は、当時のことを思い出し2~3日何も食べられなく眠れなくなってしまうそうです。 証言には、お孫さんが付き添っていて傍らで心配そうに見守っていたのが印象的でした。 証言する楊玉芬さん
2004年11月09日
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今日は撫順から平頂山遺骨館を見学。スーツに着替えて出発。撫順戦犯管理所を見学。ここはもともと日本軍が建設した監獄で、終戦後、日本軍戦犯捕虜が収容されるようになり、約1000人が収容され、「罪を憎んで人を憎まず」の精神で手厚く扱われていたそうで、中国人が食糧不足でもここでは食料も十分に与えられ、文化、スポーツ活動なども活発に行われ「人道的思想改造」の場として一人の処刑者もなかったという事に訪問した私たちを驚かせた。 撫順戦犯管理所平頂山虐殺現場跡=平頂山遺骨館を訪問無残に惨殺された遺骨の山が幅5メートルくらい長さ80メートルに及ぶ。私は呆然と立ち尽くして手を合わせていました。涙がこみ上げて「これが日本人の所業か」と同じ日本人として恥ずかしい思いでいっぱいでした。こうした事実をもっと知らせなければ、写真を撮ることを許していただきました。 ガソリンタンクも当時のまま置かれています 逃げ出そうとしたのでしょうか、無念さが伝わってきます平頂山虐殺事件は、1932年9月「満州事変」(中国では9.18事変)の一周年記念行事を前に起こった事件でした。平頂山村がゲリラに通じているとみなし、皆殺しを計画したのです。3000人の村人が崖下に集められ、機銃掃射で惨殺され、ガソリンをかけられ死体を焼き尽くし、息のあるものを銃剣で、拳銃で頭をぶち割り、ダイナマイトで、がけを崩し土砂で埋められていました。当時8歳の少女が妹を連れて逃げ出し、貴重な生存者のひとりとなり、今回私たちに当時の様子を涙ながらに語ってくれました。(内容は後で)
2004年11月08日
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10月14日ハルピンから長春へ(バスで移動約4時間)10月15日長春市内見学中国最大の自動車工場「第一汽車製造廠」(第一自動車工場)では内部の見学は出来なかったものの膨大な敷地で、トヨタの「プリウス」を2005年から生産を始めるそうです。中国では自動車の事を「汽車」と呼んでいます。ちなみにエレベーター、エスカレーターの事はともに「電梯」電気梯子というわけです。映画の事は「電影」。長春には、中国で最初に出来た撮影所があります。映画都市、工業都市、学園都市として発展しているとガイドの莉さんは自慢気にいいます。 長春には、「満州国」ラストエンペラー溥儀の「偽満州国皇宮陳列館」があります。1932年に関東軍は、清朝最後の皇帝溥儀を添えて傀儡(かいらい)国家「満州国」を「建国」し中国から分離させます。その舞台となったのが、ここ「偽満州国皇宮陳列館」です。溥儀を皇帝に据えましたが関東軍司令官の下にあった傀儡国家だったのです。 「満州国」皇宮 溥儀の応接室、関東軍幹部から支持を受けている様子 旧関東軍司令部。今は中国共産党吉林省委員会私たちの旅は、長春から「旧満州鉄道」で瀋陽へ、約3時間半の列車のたびとなります。瀋陽は、やはり都会的雰囲気の街で夜遅くまで賑わっていました。夕食は、餃子レストラン「老辺餃子」で13種類(食べきれない量)の餃子に舌鼓を打ちました。
2004年11月07日
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731部隊の事をもう少し……。生体実験の事は少し触れましたが、生体実験に使われた「マルタ」は特設監獄に300人ほど収監されていました。 案内の学芸員さんから信じられない説明を受けた。「生きている人間にペスト菌を注射する。そして臓器を取り出すなどの手術を麻酔なしでする。それは麻酔によって菌に影響を与えるためだ」と。「731部隊」の敷地内には、鉄道の引込み線が走っていました。ここから「マルタ」を運び込んでいたそうです。小動物地下飼育室やねずみ飼育室などは当時のまま残されていました。引込み線 ねずみ飼育室 「中国・平和と友好の旅」はハルビンを後に長春へ。
2004年11月06日
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10月14日(ハルピン) 中国の人たちは、「満州」のことを「偽満州国」と偽りの国と呼んでいます。 キタイスカヤ通り北の突き当たりが松花江。松花江の堤防沿いにあるスターリン公園では朝早くからマラソンをしたり、体操をしたり、グループ毎に演舞の練習をしたりで、賑わっていました。 この日は、731部隊施設を見学しました。 途中ハルピン駅を車窓から眺めてゆきました。 1909年10月、この駅のホームで初代朝鮮統監である伊藤博文が韓国青年(安重根)によって射殺された歴史的な場所です。ソウルの高台にある「安重根義士記念館」を思い出していました。 韓国では、安重根が国民的英雄としてたたえられ、小学生の時からこの安重根義士記念館を訪ねて学習しています。 ハルピン駅 「悪魔の飽食」で知られる731部隊は、細菌兵器を研究、製造する部隊として、石井四郎によって本格的に行われました。1933年(731部隊がこの地に移設されてのは、1938年、敷地面積6キロメートル四方の広大な施設が建設された)から1945年8月ソ連軍の「満州」進撃に直面する時まで、3,000人がその犠牲になり、ここに収容された人は一人として生きて出られませんでした。 人体実験では、様々な実験が行われていました。馬の血液を輸血したらどうなるのかとか凍傷になるメカニズムを研究するため、「凍傷実験室」を造り生態実験を繰り返していました。実験に使われた人々を「マルタ」と呼びまるで実験動物のように扱っていました。この施設の入り口には、 「『満州第731部隊』は当時の日本の最高支配者の命令により。中国で設立された一つの特殊部隊である。同部隊は1935年にハルピンの平房地域で生物兵器の開発と実験基地の建設を進め、当時の日本軍が東南アジアの戦場で行っていた細菌戦の指揮中心地になっていた。 この『人間を食う魔窟』と呼ばれていた基地において、『731部隊』は残虐な手段で人体実験を行い、細菌兵器の研究、開発に取り組んでいた。歴史の資料と考証によると、1935年から1945年までのわずかな期間に少なくても3,000余名に達する国内外の抗日半満州の人士と罪のない人々が人体実験に使用され、殺害された。 1945年8月、日本は敗戦で降伏した。そして『731部隊』が敗走する時、その凶暴な犯罪を隠蔽するために、この地域の施設を激しく破壊した。現在発見されている遺跡は合わせて23箇所に上る。」と記してありました。 石井四郎をはじめ幹部たちは、ロシア軍参戦を受けてここを逃げ出したとき、松花江へ惨殺した「マルタ」や細菌をぶちまけ、施設のほとんどを爆破し、証拠隠滅を図って逃げ出したのです。研究データのすべてをアメリカ軍に渡すことで戦犯として裁かれることがありませんでした。 731部隊全景ボイラー室 凍傷実験室
2004年11月03日
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長野市会議員の小林義和さんが企画した「中国平和と友好の旅」に誘われ、参加しました。総勢14名。10月13日 中国東方航空で成田から北京、北京からハルピンへと向かう。 中国東方航空は搭乗してから1時間も待たさて離陸したため、北京での乗り継ぎが滑りこみセーフ、という状況でハルピン行きに搭乗することができました。 ハルピンはロシア人がつくった町並みが今でもそのまま残っている「東方のモスクワ」「東方の小さなパリ」といわれるそうで、ロシア風の面影が残っているきれいな町並みでした。「キタイスカヤ」と呼ばれる石畳の街路は、ロシアから運んできた石材を敷き詰めた街路で、千数百メートルに及んでいます。 この一角にあるロシア料理店で遅い夕食をいただき1日目が終わりました。 ハルピン、キタイスカヤ通り
2004年11月02日
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今朝、日本共産党長野市議団で国道19号線陥没現場を視察しました。県会議員の石坂千穂さんも同行し、車3台で、篠ノ井から信更町を通って峠道から現場へ向かいました。昨日午後から陥没が始まり、治まったのは今朝の6時ころとのこと。長野から信州新町へ向かう途中の大町白馬方面に向かう有料道路の取り付け付近が何百平方メートルにも及んで陥没しました。国道の陥没は約150メートル、有料道路側は約100メートルほどで、角にあったレストランとその家族がすむ新築の家が、犀川の淵まで運ばれていました。長野市側から信州新町方面を見ています。右側に有料道路が崩れています。 白馬大町への有料道路の陥没。ガードレールが飴のようにねじれています。
2004年10月11日
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先日ふとしたことから新聞広告で目にした「ガス室に消えた画家―ヌスバウムへの旅」という本を購入しました。ナチスに「ユダヤ人」の烙印をおされ、ガス室で人生を絶たれた、ユダヤ人画家フェリックス・ヌスバウム。初めて出会う画家の生涯を知ることになりました。 「ユダヤ人」にナチスが義務付けた黄色いダビデの星が縫い付けられています。朱色に押された身分証明書を示す“自画像”が表紙になっているこの本は、大内田わこ著 草の根出版から出ています。写真は「イーゼルに向かう自画像」1943年8月の作品。著者は、ヌスバウムの生い立ち家族のこと友人たちのことを調査し、ヌスバウム美術館を訪ね彼の生涯を紹介しています。「私が消えても私の作品だけは死なせないで。人々に見せて」と言い残してガス室に消えたヌスバウムの記録です。購読をお勧めします。
2004年09月20日
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「華氏911」を観ました。ブッシュ政権の誕生は「フロリダ州での不正な投票妨害があった」との告発からこの映画が始まっています。統領就任後はゴルフ三昧、釣り三昧の日々を過ごします。いかにも「出来の悪いお坊ちゃま」ぶりが伝わってきます。9・11当日は、フロリダの小学校を視察していました。トレードセンターに旅客機が突っ込んだ知らせが入りますが「どうしよう」という顔つきで授業を参観しています。2度目の攻撃の知らせを聞いてもまったくアクションを起こせないでいます。「本当の映像なの」と疑いたくなる危機管理能力のなさが、まさに「お坊ちゃま」という感じがします。「イラクがビンラディンを支援している」かのように描きイラク戦争に突入して行きます。これは、軍事産業への投資と石油産業の利権が目当ての戦争なんだ、ということが明らかになってきます。先日、パウエル国務長官が大量破壊兵器について「いかなる備蓄も見つかっておらず、将来も見つかりそうにないと思う」と述べたことで全米がゆれています。小泉首相は国会論戦で日本共産党の志位委員長の追及に「フセイン大統領もいまだに見つかっていないから、イラクにフセインがいなかったと言えますか」といった「珍答弁」までして、大量破壊兵器は「いずれ見つかる」という言動をくりかえしてきました。イラク戦争を支持し、自衛隊をイラクに派兵した小泉首相の責任は重大です。詳しくは下記HPをご覧くださいhttp://www.jcp.or.jp/activ/active80_toushu/index.htmlブッシュの利権がらみの戦争で犠牲になったのは、イラクの国民と失業に苦しむ貧しいアメリカの若者たち。マイケル・ムーア監督が最後に、ホワイトハウス前で上院議員を捉まえては「あなたの息子をイラク戦争に行かせますか?」とインタビューを繰り返す姿が印象的でした。(写真)ムーアがいちばん言いたかったことなんでしょうか。 「華氏911を観ますか?」との質問に小泉首相は「観ない」といいましたが、見たほうがいいと思います。
2004年09月18日
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日本のプロ野球史上初めてのストライキが行われる。中日ファンとしては明日からの巨人3連戦で、優勝を早く決めたいところですが、やはり今後のプロ野球を思えばこれも仕方がないことでしょうか。日本のプロ野球にはいろいろ問題が山積しています。この機会に改革してもらいたいものです。選手会が求めているのは、各チームの力の均衡を保って「おもしろい野球」を見せるところにあります。ドラフト制度がありながら、金持ち球団が先にい選手を獲得してしまうことは選手会が求めているものと逆行しています。またTV放映権はコミッショナーに握らせ、せぱ両リーグの放送が平均して放送されるような工夫も必要と思います。今のように巨人戦が優先される放送姿勢が問題で、今日の問題を引き起こしていると思います。プロ野球機構が、「巨人戦」におんぶにだっこしているうちは日本のプロ野球の将来はありません。機構側が、「はじめに合併ありき」ですすめた今回の騒動は、ファンの気持ちや、選手の意見をはじめから聞かない姿勢が問われています。プロ野球選手会がんばれ!
2004年09月17日
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今日「猩々」が完成しました。酒好きの妖精。にこやかな中に妖精らしさが感じられますか……。能面というものは奥が深くなかなか難しいものです。「模写の芸術」と言われるように、先人の作品の寸法形などを模写しながら自分自身の作品に仕上げてゆくたのしさがある反面いつも奥の深さと自分の未熟さを感じます。この「猩々」は名古屋で行われる「新作能面転」に出品することになりました。
2004年09月05日
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ゴミ問題を考えるシンポジウムが開かれました。予想を超える参加者で資料が足りなくなり、コピー機をお借りして急遽資料を作成するといううれしい悲鳴を上げてしまいました。ゴミ問題の関心の高さの表れなのでしょうか。長野市を中心とした広域連合で計画している灰溶融炉は、ゴミを焼却した後の灰をさらに1500度の高温で溶かして灰の量を半減させるというもの。7月に静岡市で爆発事故を起こした溶融炉は、稼動してわずか3ヵ月後に起こりましたが、全国各地で事故を起こしています。静岡市で起きた事故は、1400度の熱せられたスラグが噴出し、周りを溶かし、冷却水によって水蒸気爆発を起こすという大規模なものでした。長野市が計画している溶融炉も同じメーカーのものになるのではといわれています。「こうした大型の溶融炉が果たして必要なのか」というのがきょうのシンポジウムで議論されました。広域でいかにもゴミの量が多いように計算していますが、各自治体が取り組んでいるゴミの分別や減量化、将来の人口の推計等が実態とかけ離れている実態も明らかにされました。どうしたら危険で大型の焼却炉や灰溶融炉を造らなくてすむのかという議論が不足しているように思います。
2004年08月28日
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我が家を改築することに。二十年前に購入した現在の家は古く廊下は「泣き龍」よろしくギシギシと音を立てて今にも床が落ちてしまうんではないかと心配になるほど「いつかは何とかしなければ」と思っていたら「父ちゃんの生きているうちに建て替えてくれ」という息子の一言で決心。設計士のTさんに相談、やっとっ設計が出来上がった。
2004年08月27日
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今年のプロ野球は「異変?」が起きています。セ・リーグは連勝、連敗を繰り返してペナントレースが展開していてどこが優勝しても不思議ではない状況です。最強打線を誇る巨人は、選手のやる気も気になります。パ・リーグの近鉄とオリックスの合併問題で、選手は「報道で知った」ということで、選手会を抜きに話が進んでいる異常な状況が進んでいます。こんな中、中日が好調を続けている「秘密」を見つけました。落合監督は、就任早々「今の戦力で十分戦える。補強は行わない」「1軍2軍の垣根を取り払いチャンスは平等に与える」と表明し、俄然選手のやる気を沸きたてました。補強に補強を重ねる巨人との違いは歴然としています。「使ってもらったら期待に答える」日替わりヒーローたちが語っています。選挙戦は、(長野へ)菅元代表、小泉首相、土井元委員長が遊説に来るなど激しさを増しています。明日は、志位委員長が長野駅前で演説会を開きます。選手をないがしろにしたプロ野球、国民をないがしろにした自民・公明党政権。黙っていられません。
2004年06月29日
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先週6月7日・8日、県議団と市議団の合同で、奈良県大滝ダムの視察がありました。 ダム湖は、底に少しだけ水をためています。湛水したところまで草木がなくなっています。 白屋地区役員の北西さん宅の玄関が陥没しています。この家では家の中を斜めに亀裂が走って隣家にも亀裂が入っていました。北西さん宅のブロック塀にも亀裂が……。大滝ダムは、吉野川の上流、川上村に建設された高さ100メートル堤頂の長さ350メートルの重力コンクリートダム。有効貯水量は、76,000,000立方メートルと浅川ダムの7倍という大型ダムで、建設費は3400億円という巨大なものです。しかし一昨年完成したこのダムは、昨年3月に試験湛水開始しましたが4月25日、4キロ上流の白屋地区で地すべりによる亀裂が発生し、約50%に達したダム湖を元に戻し調査した結果、白屋地区の地すべりは湛水による地滑りであることが明らかになりました。今、この白屋地区は廃校になった小学校のグランドに阪神淡路震災の際に使用したプレハブ住宅で生活しています。白屋地区の区役員の方々に被害状況を見せていただきましたが「夜も眠れない日々が続いた」「何度も建設省交渉したが『絶対大丈夫』と言い建設を強行したが責任その責任を取らない」などを訴えていました。大滝ダムはこの白屋地区に270億円をかけて地滑りを止める工事を行うとしています。このダムを視察して、浅川ダムの中止させた意義の大きさを改めて感じました。浅川ダムも、ダム軸上流に深い地すべりがあると指摘されていましたが、GOサインを出し工事が始められていたことを思うとこうした問題に悩まされていただろうことを感じて帰ってきました。
2004年06月14日
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チャップリンの独裁者がDVDになった記事を「しんぶん赤旗」で見ました。 狂気のヒットラーを「独裁者」の中でコケにしています。独裁者ヒンケルとユダヤ人の床屋(2役)を演じるチャップリンは、記憶を失い生まれ故郷に帰ってきます。洗濯娘ハナンとの平和な日々は長く続きません。ヒンケルはやがてユダヤ人の迫害に着手し、床屋は収容所に入れられる。ハンナは隣国オストリッチに逃げる。軍服を盗んで収容所から逃げた床屋は、瓜二つのヒンケルと間違われ、ヒンケルの方はユダヤ人の床屋として逆に捕らえられる。オスタリッチに到着した床屋は、数万の群衆を前にヒンケルとして壇上に立ち、自由の尊さを訴える大演説を行います。サイレント映画から始めてトーキー映画を撮ったチャップリンは、このメッセージ(演説)を伝えるためでした。ラストシーン(床屋がヒンケルと間違えられ群衆に呼びかけた演説)は、自由の尊さを訴え見るものの胸を打ちます。DVDになった「独裁者」でまた鑑賞しましょう。(チャップリンが言いたかった)長い演説は……申し訳ないが、皇帝になどなろうとは思っていない。 そんなのは私の役目ではない。誰も支配したり征服したいとは思っていない。 むしろできるならみんなを救いたいくらいだ。ユダヤ人も、そうでない人も、黒人も、白人も。 みんな互いに助け合いたいものだ、人間というのはそういうものだ。 互いの苦痛ではなく、幸せのもとに生きていきたい。 互いに憎んだり、蔑み合いたくはない。 この世界に不要な者などいない。全ての者に恵みが与えられる。。 人生は自由で美しいはずなのに、そうではなくなってしまった。。 貪欲は人の魂を汚し、世界を憎しみで固め、我々を苦痛と流血へと踏みにじった。 スピードは進歩したが、我々の意思は閉ざされてしまった。。 富をもたらす機械は我々を貧窮に貶めた。 知識を得ることで懐疑的になり、賢さは無情で不親切にさせた。 考えてばかりで、感じなくなった。 機械より人間性だ。 賢さよりも思いやりと優しさだ。 このような本質を失えば、暴力だけが全てとなる。 飛行機やラジオは人との距離を近くさせた。 このような発明の本質が人々の良心を、世界の兄弟愛を、我々全ての調和を呼びかける。 私の声がこうして世界中の絶望の淵にたたされた人々、罪もなく拷問を受け、投獄されている者にも届いている。 みんな、絶望してはいけない。 一時的な苦痛はやがて過ぎ去り、恐れも消えていくだろう。 憎しみは過ぎゆき、独裁者は死ぬ。そして権力は再び民衆に戻ってくる。 独裁者さえ死に絶えれば自由は決して朽ちない。 兵士達よ、自分を犠牲にするな。奴らは諸君を蔑み、奴隷にし、君たちの生き方を組織化した上で何をし、何を考え、そして何を感じたらいいのか命令する。 諸君を訓練した上で家畜のように扱い、大砲の弾のように使い捨てるだろう。 そんな尋常ではない者たちに自分を犠牲にしてはいけない。 機械の人間には機械の考えと機械の心しか持たない。 君たちは機械じゃない。 君たちは家畜じゃない。 君たちは人間だ。 心の中に愛を持つ。 憎んではいけない。 愛されなかった者だけが尋常ではない憎しみ合いをする。 兵士達よ、屈従のために戦うな。 自由のために戦え。 ルカ伝の17章にも書いてある。「神の国は人の心の中にある」と。 誰かの心でもなく、特定のグループでもなく、全ての人の中にあるのだ。 君たちの心の中にだ。 諸君、民衆達よ、力を持て。 機械を作り出す力を。 幸せを作り出す力を。 諸君、この人生を自由で美しくさせる力を持て。 素晴らしき人生のために。 そして民主主義の名の下に、その力を使うのだ。 集結しよう。 新しい世界のために戦おう。 人々が仕事を見つけることができ、若者に未来を与え、老人を保護する立派な世界を。 非人たちもこんな約束事で力を昂揚させた。 しかし彼らは嘘をついた。 彼らは約束を果たしはしなかった。 そんなつもりはなかったのだ。 独裁者は自分の思い通りにはしたが、民衆を奴隷化した。 今、この約束を果たすために戦うんだ。 世界を自由にさせるために戦おう。 国境を取り払うため。 貪欲を取り払うため。 憎しみや偏屈を取り払うため。 正当性のある世界のため戦おう。 科学と進歩が人の幸せをもたらす国のために。 兵士達よ、民主主義の名の下、みんなで一つになろう。 ハンナ、聞こえるかい。 どこにいても、上を見るんだ。ハンナ。 雲は晴れていく。 陽がさしはじめた。 暗闇を抜け出し、光の中へ来たんだ。 新しい世界へ来たんだ。 憎しみも欲望も暴力も乗り越え新しい世界が。 見上げてごらん、ハンナ。人の魂は翼を得て、最後に彼は羽ばたき始める。 虹の中へと、希望の光へと、未来へと、輝ける未来へと飛んで行くのさ。君に、僕に、そして全ての者に約束された未来へと。 見上げてごらん、ハンナ。見上げて。
2004年05月28日
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きょうは、57年目の憲法記念日。写真家の石川文洋氏など15氏が呼びかけ人となって「憲法を守る県民過半数署名をすすめる会」の発会集会が長野市のホテルで開かれました。集会では、信州大学前農学部長の野口俊邦さんによる「今こそ憲法9条を守り、憲法を暮らしの中に生かすとき」と題した講演を行いました。この中で、いかに憲法が蹂躙されてきたかを検証しました。とくに、自民党など支配者が主張している「アメリカから押し付けられた憲法だ」という攻撃に対し、反ファシズム連合国11カ国によるもので、悲惨な戦争体験から日本国民に歓迎されたものであることを明らかにし、当時の吉田茂首相は「正当防衛だからといってもこれ(軍備)を認めるべきでない」とした答弁を紹介しました。アメリカの要請による再軍備計画の中で警察予備隊―保安隊―自衛隊と軍備を強化し、解釈改憲ではアメリカの要請に答えられなくなっている所まで来ての憲法「改正」論が浮上してきていると指摘しました。軍事費はアメリカ3224億ドル、ロシア637億ドル、中国460億ドルに続き日本の軍事費は395億ドル(2001年ミリタリーバランス2002 2003)の資料も紹介しながら日本の軍事費の異常さを示し、他の国家予算と比べても膨大な異常さを訴えました。この集会では、こうした憲法「改正」しようとする動きに対し、県民の過半数の署名をすすめましょうとするアピールを採択しました。ピサの斜塔ですりに遭遇3日間を過ごしたフィレンツェを後にピサの斜塔を見学してアスティの町へ移動。「ピサの斜塔の予約はなかなか取れないんですよ」と旅行社が自慢顔で紹介した斜塔内は、頂上?(屋上?)まで登るラセン階段は人が1人やっと通れる幅で階段を登っていても傾いているのがわかるちょっと不思議な体験をしました。上り詰めるとちょっと怖い感じもしますが街が一望できる展望台となっています。「ダウンプリーズ」と警備員が盛んに呼びかけて来ます。5分くらいで交代しなさい。ということらしい。ピサの斜塔の見学して、レストランの入り口で事件が起きました。「何するんだ」という叫び声が聞こえ、見ると赤ちゃんを抱いた若いお母さんと小学生くらいの2人の少女が段ボールを抱えている。一緒にレストランに入る客のように装い近づいてきたスリだったのです。段ボールは手の動き覆い隠す為のものだったのです。被害はありませんでしたが、2人がカバンを開けられていました。こうしたスリは「ジプシー」と呼ばれていて巧妙に仕事をするそうで、この日も見つけられても悪びれることもなくさらに挑戦して段ボールを押し付けてくる有様でちょっとびっくりしました。
2004年05月03日
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フィレンツェから車で2時間余り走ると世界遺産に指定されている美しい町シエナにつきます。町の中心に「カンポ広場」があります。貝殻の形をした扇型の傾斜した広場は市民の憩いの場所。かつてメディチ家(フィレンツェ)と勢力争いをした町で、フィレンツェのドゥオーモにまけない大聖堂も堂々としたものがあり、ミケランジェロが20代に作ったの4体の聖人の彫刻と出会うことができました。すばらしい町です。 上がドゥオーモ。下はカンポ広場。右側の鐘楼のある建物は教会、今は市庁舎。
2004年05月02日
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祝75回メーデー。「自衛隊はイラクから撤退せよ!」日本の自衛隊が始めて海外に出兵した今年のメーデーは、平和を求めるプラカードが目立ったものとなりました。また衆院厚生労働委員会でろくに審議もしないで強行採決した年金改悪問題も参加者の怒りをかい「年金改悪を許すな」などのスローガンもめだっていました。メーデー終了後は、例年の地区事務所での慰労会。今年はネモちゃん(アコーデオン奏者)も参加しメーデー歌等を合唱。久しぶりのアコーデオンつきの合唱でさながら「歌ごえ喫茶」となった地区事務所。「地底の歌」を数年ぶりに熱唱?。帰ってからも「有明の海の底ー深く……」と口ずさんでしまう。
2004年05月01日
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イタリア紀行続きウフィッツィ美術館にある「受胎告知」は、1300年代に描かれたシモネー作のものと、アレッソ・バルドヴィネッティのものやレオナルドダヴィンチのもの(ともに1400年代)があります。サン・マルコ美術館にあるフラ・アンジェリコの受胎告知も有名です。宗教のことはよく分かりませんが、天使が舞い降り「あなたは神の子を身ごもります」とささやき受胎を告知しますが、ちょっと迷惑そうに見えるシモネー作のマリアの表情や、驚きと困惑気味の表情を浮かべるアンジェリコのマリア等さまざまに描かれていて面白い。ダヴィンチの受胎告知では、遠近法が用いられ、遠くに見える町や湖など現実的に描かれているのが特徴となっています。 フラアンジェリコの受胎告知 ダヴィンチの受胎告知
2004年04月24日
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きょう、県議団、市議団合同で都市型水害対策施設の視察を行いました。長野市河川課の案内で、湯谷小学校、若槻小学校の校庭貯留施設と東長野運動公園地下調整池、石綿調整池を見学しました。運動公園地下調整池の見学は初めてでしたが、6000トンの貯留が可能可能のこの施設は、コンクリートで仕切られた部屋?がいくつもつながっているもので、洪水時に一時的に貯留し、洪水が収まったときにポンプアップして河川に流し込むという施設です。また、石綿調整池は2100トンの貯留量ですが4200トンに増やすための工事中です。浅川流域でこうした施設の拡充が求められていますが、各戸貯留も有効な水害対策として各人が考えなくてはならないことを感じました。 ヘルメットに懐中電灯をお借りして施設内を見学
2004年04月23日
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今日は若里文化ホールで「参議院選勝利/躍進のつどい」が開かれました。文化行事(太鼓演奏、合唱・独唱)につづいて笠井あきらさん・山口のりひささんのトークショーが石坂千穂さんの司会で行われ、イラク情勢や人質問題など、遊説先での県民の反応や日本共産党の主張を分かりやすく解説。自己紹介では候補者の思いがけない素顔が語られるなど楽しい集いの中に参院選勝利の決意が固まったものとなりました。 「政治を変える」「国会に帰る」の「かえる」です、と紹介する笠井あきらさん。
2004年04月22日
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フィレンツェ行きの目的のひとつは、メディチ家が収集して美術館としているウフィッツィ美術館。オフィスとして建てられたこの建物を美術館としたことから「ウフィッツィ」美術館と呼ばれている。1200年代の絵画(宗教画)から1700年代の絵画が年代順に並べられているため絵画の発展状況が分かりやすく置かれています。宗教画から脱し、感情が表れ、遠近法が用いられてゆく過程、ルネッサンス時代の芸術が後の印象派など近代美術につながっていくことになる。この美術館を見て改めて興味がわいてきました。美術館入場の際には空港のように荷物チェックと金属探知機による検査が行われています。 ウフィツィ美術館前で ウフィッツ美術館からコジモ1世がヴェッキオ宮殿とオフィスを廊下で連結してしまった。中央がヴェッキオ橋
2004年04月21日
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憧れのフィレンツェへ行ってきました。4月12日成田発―ミユーヘン経由フィレンツェ4月20日トリノ発―フランクフルトを経由して成田9日間でした。イラク情勢が悪化する中で、日本人が拘束され、その後のニュースも気にしながらの旅となりました。イタリア政府はアメリカ、イギリスとともにイラクに派兵していますが、国民の多くは派兵に反対しています。虹色の地に「PACE」(パーチェ)と書いた旗を窓に掲げて平和を訴えていました。 写真はアルノ川イタリア報告はまたあとで
2004年04月20日
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「山口のりひささんと語る春一番のつどい」は、東部女性後援会が準備して、フリーマーケット、抹茶コーナー、コーヒーコーナーや地元の野菜即売などにぎやかに開かれました。最初に津軽三味線の迫力ある演奏が行われ大いに盛り上がりました。市議会報告は、原田誠之さんが、県会報告を石坂千穂さんか行いました。続きはあとで
2004年03月28日
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先週の2月13日(金曜日)は長野市の労働組合運動にとって記念すべき日となりました。長野市職労役員選挙において、民主的労働組合を目指す、委員長、書記次長選挙で接戦を制して見事に当選。副委員長は無投票で当選。執行委員も5人当選するなど、労働者を大いに勇気づけた出来事でした。前委員長が副委員長に立候補するなど異例の選挙戦が行われたようです。今日は、小林市会議員が職場に行くと行く先々で役選の話題で持ちきりだったとかで、多くの人から声をかけられたということでした。保育園の民営化、第二給食センターの民間委託など職員や嘱託職員は不安の毎日を送っている中での役員選挙だっただけに今後の組合運動への期待が高まってゆくことと思います。おめでとうございます。
2004年02月17日
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イヤー大変でした。友人からの「mail・添付ファイルが開けない」ことがことの始まりでした。セキュリティーを甘くしたことが原因かもしれませんが、ウイルスに感染してしまいました。私の周りでウイルスが蔓延してしまいました。早速ウイルス対策に取り組み駆除することができました。皆さん気をつけましょう。このウイルスは「WORM_MYDOOM.A」というウイルスで、人の名前を装いアドレス帳にある人たちへ勝手ににMAILを送りつけるというものです。ウイルスに犯されているかどうか確認してください。ウィルスの感染を調べることができるサイトは下記へ。 http://www.trendmicro.co.jp/hcall/index.asp
2004年02月13日
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また年をひとつ重ねてしまいました。自創(創価学会)政権はアメリカいいなりでイラクへの派兵を決めています。今年も多くの友人から年賀の挨拶が届きました。「……孫たちが戦争に参加することがないよう願ってきましたが、世界中を『自衛』の網にかけないと、安心して商売できないという人たちの声が大きくなってきたこの一年でした。会見で一致する『2大政党』でないと平和は守れないのでしょうか……」とMさん。「今年こそ平和と豊かな暮らしをと祈念しています」Yさん。「世界が平和でありますように……」Hさん。など平和への願いがこめられていたものが多かったです。今年は参院選挙の年、大いに奮闘しましょう。
2004年01月01日
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ついにパソコンを購入。Windows XPに変わったことで、エアステーションとの相性が合わずに大変苦労してしまった。「AiaStation」をダウンロードしてバージョンアップしなければ認識しないことが分かって、まず電話ケーブルでインターネットを立ち上げ、ダウンロードに成功。やっとエアステーションを認識してくれパソコンが使えるようになった。XPはそれなりに快適な面があるが、なかなか繊細というか、扱いがいまいちですね。これから少しずつ慣れていくしかないですね。今日は、党吉田支部の年内最後の行動日となった。来年の参院選挙に向けて、講演会ニュースを届け、ポスターを張り出し、4名の方に入党を勧めたがWさんが「少し考えさせて」ということだった。年末募金もお願いして回ったが、募金目標の10万円にあと少しというところまで来たが残念ながら達成できなかった。支部財政より立て替えて、地区委員会との約束を果たせた。まずまずというところか。
2003年12月28日
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党長水地区委員会では、年末募金(500円募金)を読者の皆さんにお願いしていますが、けさ我が家のポストに『イラクへの自衛隊派兵反対』の署名5名分と「500円募金」20口5000円が入っていました。ご近所のSさんが入れていってくれたものと分かりました。Sさんは、いっせい地方選挙、長野市議選、総選挙と重なり、選挙のたびに募金を頂き、夏期党強化募金にも快く応じてくれていました。我が家にはこうした募金をポストに入れていってくれる方が多く、先日はAさんが2口1,000円、Mさんが2口1,000円を入れていってくれました。一昨日は吹雪の中、イラク派兵反対署名と来年の参院選のお願いに回り、年末募金を訴えたところ募金額は15,600円。中には「500円募金袋」に用意してくれていた方もあり、大いに感激しました。総選挙は残念な結果でしたが多くの方々が党への期待を寄せてくれていることにも感激し、参院選勝利の決意を新たにしました。
2003年12月22日
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きょう、吹雪のなかで「自衛隊のイラク派兵に反対」の署名集めを行いました。どこでも「戦争反対」を表明して、党強化募金にも快く応じてくれました。石破防衛庁遅長官はきのう、イラク特措法に基づき、航空自衛隊に派遣命令を出し、26日にも40人の隊員の先遣隊を出発させ、1月中にも派遣命令を出す構えでいます。「しんぶん赤旗」20日付けは「米国の民間団体「国家安全保障公文書館」は十八日、米・イラク関係の機密解除文書をまとめて公表。一九八〇年代にレーガン米政権が、イランに対するイラクの化学兵器使用にもかかわらず、イラクのフセイン政権に関係改善の用意を伝えていた事実経過が具体的に明らかになりました。 米国がフセイン元イラク大統領を支援していた事実は米国内でも注目されており、米国の責任があらためて問われます。 公開文書は、ラムズフェルド現国防長官の八四年のイラク訪問にまつわるものなど。同氏はレーガン大統領(当時)の特使として、八三年十二月と八四年三月の二度、バグダッドを訪問。八三年にはフセイン大統領と握手しています。 米国は、七九年のイラン革命と米大使館人質事件(八一年一月に解放)から、反イランの立場をとり、イラン・イラク戦争では、イラクをイスラム原理主義の拡大を防ぐ緩衝とみなして、フセイン政権を支援しました」と報道。
2003年12月20日
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小泉「首相」は記者会見で、自衛隊のイラク派兵を正当化しようと憲法前文を読み上げて見せました。しかし、読み上げた部分は前文の一部に過ぎません。そして?日本国として日本国民として、この憲法の理念に沿った活動が国際社会から求められている?と声を震わせながらしゃべりまくりました。来日中のマハティール前マレーシア首相は、イラクへの自衛隊派遣について?遠慮すべきだ?と述べたそうです。そして?日本は独立国であり、独自の決定ができるはず?と指摘したそうです。アセアン諸国が、日本のアメリカ従属ぶりを嘆いている象徴のような一言です。情けない思いをしました。みんなで憲法前文を読み直しましょう!憲法[前文]「日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであつて,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり,この憲法は,かかる原理に基くものである。われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する。 日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 記者会見で小泉首相が引用した部分はここから われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて,政治道徳の法則は,普遍的なものであり,この法則に従ふことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は,国家の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」前文の一部分だけを読み上げて見せましたが、憲法の精神を国民に示せない惨めさがにじみ出ていた記者会見でした。
2003年12月11日
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「小面に挑戦」して約1年。ほぼ完成しました。今年は、いっせい地方選挙、長野市議選、衆院選挙と続いたため能面への取り組みができませんでした。きょうほぼ完成し、あと少し手を加えれば完成となります。 次は「猩々」という面に挑戦します。
2003年12月07日
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きょうから個人質問が始まった長野市議会。初当選した永井みえこ議員が初質問。団長の原田議員は、朝からそわそわしていたましたが、当の永井議員は堂々の質問を行いました。質問の冒頭「鷲沢市長が行った“日本のうたごえin長野”での平和メッセージに感激したが、きのうの宮崎議員の質問に対して『イラク特措法での海外派兵は憲法違反でない』とする答弁を聞いてがっかりしました」と発言。鷲沢市長は、これを聞いていて、てれながら下を向いていたのが印象的でした。浅川の流域対策についての質問では、運動公園地下にある滞水池の容量は、当初4万トンを予定していたが6000トンしかなく拡大すべきと思うがどうか、また県に働きかけて貯留施設整備のため助成を要請してはどうかと提案しました。これに対して答弁に立った中山建設部長は、運動公園の滞水池は「順次拡大して行く」ことを明らかにし、雨水貯留施設への助成については「長野県には助成制度はありませんが、国の助成制度ができましたので県とともに国土交通省に要請する」と答弁し、今後助成を受けながら整備していくことをことをあきらかにしました。このことは、永井質問によって初めて明らかになったもので、この答弁を聞いた議員全員がビックリ「永井議員はたいしたもの」「演説もしっかりしている」など保守議員からも絶賛された初質問でした。
2003年12月05日
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12月1日開会した長野市議会は、きょうから論戦。党市議団の代表質問は、宮崎利幸議員。イラクへの自衛隊派兵や財界主導で進められようとしている消費税大増税計画、小泉内閣が進めようとしている三位一体「改革」等などについて鷲沢市長の政治姿勢を質しました。「イラク特措法によるイラク派兵は憲法に抵触しない」との考えを示し、先月開かれた「日本のうたごえ祭典」での「平和のメッセージ」はリップサービスだったことを示すものでした。また、消費税大増税計画についても「避けられない」と述べ、市民生活が破壊されているなかで全く痛みを感じていない“ダメ市長”ぶりを示しました。あすは、初当選した永井みえこ議員が質問に立ちます。
2003年12月04日
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松本市美術館が企画した「モネと印象派の画家たち」に行ってきました。もっと早く行きたかったのですが、腰痛に悩まされていて行く機会を逸していましたが、きょう思い切っていってきました。モネと言えば「睡蓮」を思い浮かべるほど有名です。トップページに「睡蓮の池」をアップしました。モネは、ジヴェルニーの屋敷に隣接して日本風の庭園を造成し、そこに睡蓮を浮かべた池をしつらえた。この水の世界で、彼は「睡蓮」の連作に没頭していく。朝から夕方まで、時とともに変化する池の様子、水面の反映と花の美しさを捉えようと試みたのです。連作中には岸の柳や太鼓橋などを配したものもあるが、彼の関心は、最後には池のみに集中していきます。こうした活動はルノワールなどにも大きな影響を与えて行くことになった。ルノアールは一時「光と影」に取り付かれ名作を生み出しています。松本会場では見られなかった「睡蓮」「舟遊び」は松方コレクションとして上野の西洋美術館で見られます。「モネ展」で妻と行った西洋美術館のことを思い出しました。おととしの12月、体力が落ちた彼女の希望で東京のへ行った際、西洋美術館へ立ち寄り、常設の美術、彫刻などを見て回り、何回か見に来た学生の頃を思い出していました。彼女は大分疲れていて広い美術館をまわることが出来ずにいましたが、印象派の部屋は興味を持って鑑賞していました。
2003年11月29日
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きょう「海外視察」旅へ返還を求める住民監査請求した市民グループが意見陳述を行いました。
2003年10月20日
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きょう、大岡村「合併を考える村民の会」の方々が、市議会各会派に「申入れ書」を届けにこられた。それによると、「……村内では合併協議がすすむにつれ、村のきめ細かな福祉が失われる可能性が心配され合併への不安が広がっています。……村がなくなることで地域独自の施策を立案する主体予算もなくなることへの不安も大きくなってまいりました」と合併しない道こそが地域を守る最善の道という機運が高まり、取り組んできた署名は1000名を超え、合併を求めるアンケート610名をはるかに超えたことをあきらかにしています。小泉内閣がすすめる三位一体の財政改革は、住民自治削減であり住民が納めた税金を住民に使わせない究極の財政改悪ではないでしょうか。ムダな大型公共事業を優先し、大銀行への税金投入、軍事費の拡大など、この自民党政治を改めない限り、細々と暮らす過疎の住民(都市で暮らす住民も)の生きる道がないんではないかという思いを強くした「申入れ」で共感がもてました。
2003年10月16日
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9月12日に123人が出した住民監査請求はその後受理され、今月20日に意見陳述を行うことになりました。きょうは、請求した市民グループの代表が意見陳述に付いての打ち合わせを行いました。陳述内容や陳述内容について検討し、4人が陳述することとなり、不当な税金を使った「海外視察」には道理がないことを明らかにして行くことなどを話し合った。先に開かれた長野市議会臨時議会では、市議会各会派が提出した来年度の予算要求書によると「海外視察は行わない」ということで実質中止となったことが話題になった、住民監査請求を行った意義が大きかったことも確認しました。10月20日(月)午前10時からひらかれる意見陳述がいまから楽しみ……。
2003年10月15日
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市議選で手をつけなかった小面も完成間近となりました。今年は、いっせい地方選挙に続き長野市会議員選挙と忙しさに終われて作品に向う時間がなく一年余りかかってまだ完成を見ません。小面に挑戦してやっとここまで来ました。下塗りが終わり、このあとは化粧・毛書きなどを整えて完成となります。「小面に挑戦5」にUPしましたので見てください。ここ
2003年10月13日
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衆院解散を受けて吉田1丁目で街頭宣伝、訪問対話を行いました。衆院長野一区候補者の中野さなえさんと支部からMさんNさんが参加。市議選のお礼と衆院選での支持と協力を訴えてまわった。「最近本当にくらしにくくなった」とN・Tさん。先日まで自営業者だったN・Tさんは、奥さんが年金をもらうようになったため、自分の年金が約30万円削られた。消費税の大増税計画は許せない。と怒りを語っていました。またSさん宅では、「市議選が済んだばかりでまた選挙になって大変ですね」と衆院選挙での協力を約束してくれました。Iさん宅では「出来ることは何でもやるので言いつけてください」と協力を約束してくれるなど日本共産党の衆院選挙での躍進に期待する声が聞かれ勇気付けられました。
2003年10月12日
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きょう午後衆院が解散しました。解散を受けてさっそく街頭へハンドマイク宣伝。桐原1丁目、2丁目を中心に9回行いました。小泉自民・公明内閣がアメリカ言いなりですすめてきた経済失政やイラク戦争賛美、イラクへの自衛隊派遣、福祉切り捨て政策、どれをとっても21世紀の政治を任せられないことを訴えた。また民主党の「政権構想」は福祉充実のために消費税を値上げを打ち出していることや衆院比例を大幅に削減を打ち出していること、憲法改悪についても中身を見直すといっていること、長野県政ではじまった新しい政治の流に対しことごとく反対・抵抗してきたことなどを訴え、この党にも21世紀の展望は見出せないことを訴えました。日本共産党は憲法9条の改悪に反対し、消費税大増税を許さず、年金・医療費への国民負担を軽減するため、ムダな公共事業をやめ、軍事費を減らすことなどを訴え、21世紀はじめての衆院選挙に臨む態度をあきらかにしました。マスコミは、本当の国民の苦しみ・痛みを報道しない、各政党が「21世紀の日本をどうしょうとしているのか」などはそっちのけで自民VS民主などと描いています。こうしたマスコミの報道に負けずに草の根から国民一人ひとりとの対話を重視し日本共産党の議席獲得にがんばって行きましょう。
2003年10月10日
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長野市議選の結果、日本共産党市議団は6人全員当選で第2党。市民クラブ(社民党系)が市民ネットと会派を変更し5名となったため、控室を交換することに。きのうから準備をはじめ、夕方には何とか終了しました。いままでより若干広くなりました。ぜひお出かけください。10月6日、中野さなえ事務所開きが行われ、衆院選挙本番へ突入しました。自民・公明の悪政が続くなか、民主党と自由党が合併消費税の増税を打ち出し、「小泉内閣の改革のテンポは遅すぎる」と国民に痛みを押し付けようとしています。どの党も日本の将来を語れない中日本共産党だけが展望をあきらかにしています。この日激励あいさつにかけつけた作家の東栄蔵さんは「中野さんにはぜひ国会で活躍していただきたい」と語り、……続きはあとで
2003年10月08日
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きょう、長野市議会の全員協議会が開かれました。新議員となった永井巳恵子さんは、議会事務局の職員からバッチを付けて頂きました。この日、会派届を出したのは、新友会、日本共産党、市民ネット(社民党系)、公明党の四会派で日本共産党は第2党となり、議員控室もチョッと広くなる予定です。日本共産党市議団は、各会派に対し議会改革の申し入れを行ないました。10日に臨時議会が開かれます。 バッチをつけてもらう永井巳恵子議員
2003年10月01日
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長野市会議員を40年余り勤めた伊藤邦広議員が体調をこわして緊急入院。伊藤さんに代わって議員となった永井巳恵子さんとお見舞いに行ってきました。伊藤邦広さんは、永井さんの当選を果たしてから体調をこわし、家で静養していたのだけれど医師からのすすめで入院することになったそうで「疲れがドットでたのでしょう。この人から共産党を取ったら何も残りませんから」と奥様の弁。意外と元気そうでチョッと安心しました。25歳から議員活動を続けてきたベテラン議員は、「松代」という封建的な地域で日本共産党の顔としての活動は、ご苦労もあったと思います。今後は、経験を生かして党活動でも後進の指導にあたって頂きたい。長い議員生活本当にご苦労様でした。
2003年09月29日
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赤旗信州秋まつりに参加してきました。東部後援会からはバス1台32人が乗り合わせて参加しましたが、好天に恵まれて大いに楽しんだ一日となりました。10月解散11月総選挙が予想されるなか開かれた「秋まつり」には、党副委員長・上田耕一郎さんが記念講演を行いました。「…長野市議選6人全員当選の結果は、先のいっせい地方選挙での躍進とともに長野県の党組織が全国で先進を切っていると言ってもいい。長野県は、革新自治体が13市町村と全国でもトップクラス。共産党員市長誕生も塩尻市で初めて誕生させた。こうした伝統を受け継ぎ、総選挙でも躍進を果たそう」と訴え大きな拍手を受けました。記念講演に先立って衆院比例候補者、選挙区候補者が紹介されました。(写真)今日握手した人。笠井あきらさん、阿部孝二さん、清水けいじさん、川俣幸男さん、上田さん、中野さなえさん、上田ひであきさんとはテイピス時代からの知りあいで衆院選4区候補者として頑張っている人。固い握手を交わしました。原田選対に応援にきていただいた上伊那の地区委員長などなどでした。 画像貼り付けが100枚超えたと言うメッセージが入りUP出来なくなり残念。古いものを削除しました。
2003年09月28日
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