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先週の水曜日に最後のレポートを終え、提出した。やっちゃいけない手も使ったりして、なんとか12個成し遂げた。あとはテストだけだと思っていたら、最後の授業で新たにレポートを出され、月末までにやらなきゃいけない。なんなんだよ。まー中国語の文章を訳すだけのレポートで、何も考えなくていいから楽でいいけど。 先日、母から電話で○○さん(小中時代の友人)から私宛の手紙が来てたから送るねと言われ、どんな深刻な手紙だろうと、複雑なような楽しみなような気持ちで待った。今日ポストを見たら手紙が着ており、家に帰ってさっそく封を開けた。写真が一枚、A4の紙が一枚入っていた。小中時代に撮り、私に渡しそびれた写真かと思ったら、全然違った。成人式の写真で、彼女と、見覚えのある小学校時代の友人二人の晴れ着姿が映っていた。A4の手紙を読むと、月並なことばかりが書かれていて、まぁホッとした。彼女は短大生で、4月から保育園で働くそうだ。「夢が実現するんだー」。あぁそうなんだ。さらっと手紙に目を通し、写真とともにすぐ封筒に戻した。 あーあ、成人式ねぇ。いーな。あーあ。やっぱ行くべきだったなぁ、成人式。着物も用意してなかったし、レポートに追われてそれどころじゃなかったんだけどさ。まー要領良くやってれば、余裕で行けたんだけどさ。まぁいいや、レポートのせいにして忘れよ。 しかし保育園で働くってすごいな。保母さんだよ保母さん。そんな簡単になれるもんじゃないよなぁ。頑張ったんだろうな。 それに比べて私は。お決まりの焦燥。他人の安泰が鬱陶しい。嫌な人間。 なんで私、夢とかないんだろう。平等に持てるものじゃないんだね。 何一つやりたいことがない。「やりたいからやる」という選択を、思えばずっとしていない。「やらざるを得ない」という選択肢しか、私にはない。 この一年、自分なりに頑張ったつもりでいたけど、私は何も得ていない。60単位の内訳を、文字で表すことすらできない。私は、ただボーっと教室に存在していただけだ。時計の針が動くのを、ひたすら眺めていただけだ。
2006年01月24日
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高校時代、何度かチャラのコンサートへ行った。そしていつかのアンコールで、「Break These Chain」という歌を聴いた。確かアルバムのツアーだったのだけど、アルバムのどの曲よりも心を打たれた。 曲名を知らなかったので友達に聞き、忘れないように「ぶれいくじぃずちぇいんぶれいくじぃずちぇいん」と言いながら家に帰った。 当時、この歌の入ったCDを持っていなかった。でもどこかでこの歌を聴いたことがあるような気がしていた。 好きな映画の主題歌だった。岩井俊二の「FRIED DRAGON FISH」という映画。DVDを持っていたので、CDを買うまではDVDを繰り返し流し、この歌を聴いた。 高校を辞めてからも、大学に入ってからも、ずっとこの歌を聴いていた。私の中では定番と化した歌だった。 だけど数ヶ月前から、この歌をからっぽの頭では聴けなくなった。数ヶ月前。「FRIED DRAGON FISH」という映画が、恋人の子供と密接な関係があることを知った。どのような形で関係しているのかは書かないけど、それ以降、この映画を観ることができない。観ようと思えば観られるけど、ある種の勇気がいるし、なぜかこわい。 この映画の主題歌である「Break These Chain」には、直接的にその関係を表す要素がないので聴いているけど、胸が痛くなる。まぁ自虐的というか、皮肉というか、おそらく私はわざと聴いているのだけど。歌詞がまた彼と私にリンクしているような気がして、すごく切ない。 昨日、彼は子供と元奥さんに会った。今日も一緒にいる。明日、別れるそうだ。 昨日の夕方、彼から電話がかかってきた。今は子供と二人きりでいるという。「子供の声聞く?」と言われ、「え!」と私が戸惑っている間に子供の声が聞こえた。こんにちは、と恥ずかしそうな幼い声が聞こえ、とっさに教育テレビのお姉さんのようなテンションで「こんにちは」と答えた。「わからない~」とその後子供が彼に言い、すぐに電話は彼に代わった。私だって何を話せばいいのかわからないよ。 短い電話の後、考えていた。彼の子供と話すということに驚き、戸惑い、緊張していたので電話の最中は何も考えられなかったけど、なんでこういうことをするの?なんで子供に代わるの?私とあなたの子供が話してどうなるの? 子供の生身の声を聞き、挨拶だけだけど会話をし、彼に子供がいるということを実感させられた。子供がいるという事実は知っていたけど、どこかできっと、私には関係ないと思っていた。声を聞こうが会話をしようが、私と彼の子供は直接的には関係ない。それは確かだけど、あの生きている子、パパに「わからない~」と甘えているあの子と自分との関わりを感じた。わかっていたはずなのに、それは衝撃的で、なぜか同時に悲しかった。 私はいつも、彼の子供のことに対して肯定的で、彼が子供の話を気持ちよくできるような対応をしてきた。親ばかという言葉が適しているかはわからないけど、彼はそのような心持で子供に電話を代わったのだろうか。 でも普通、そんなことする?電話を切った後、私の立場のような人間はどういう気持ちになると思う?いや、私も知らなかったよ。子供がいることなんてとっくに承知してるし、理解してるつもりだったから。こんな悲しいような気持ちになるって知らなかったよ。いつもあなたが子供の話してるときみたいに、その後みたいに、優しい気持ちでいられると思ってたよ。 でもなんか悲しいんだ。子供がいること、どこかで知らなかったんだ。 子供の声を私に聞かせたことに関して、彼を責めたい気持ちになった。だって普通そんなことしないじゃん。 だけどどうにか理解しようと、私が彼の立場だったらどうするかを考えた。いつも大抵、人は「自分だったらどうするか」とか「相手の立場だったらどうするか」を頭のどこかで考えながら、物を考えると思う。だから自分の考えと相手の立場の考えに、そこまでの食い違いはないと思う。常識の範囲では。だからこそ彼の行動に疑問を持った。しかしぼんやりと相手の立場を思うのではなく、本格的に彼の立場で考えてみると、驚くことに理解できた。自分が離婚していて、子供を手放して、久々に愛しい子供と二人きりになる。でも自分には大切な恋人がいる。恋人は子供のことに寛容で、子供の写真を見せれば優しい笑顔で「かわいい」と言い、いつも子供の話を気持ちよく聞いてくれる。むしろ「話して」とさえ言う。 もちろん空想でしかないので本当にはわからないけど、恋人を気遣うからこそ子供の声を聞かせたのかもしれない。うん、私だったら彼と同じことをしていたかもしれない。 でもやっぱり細かいことが気になる。子供に私の声を聞かせたということは、子供に私の存在を知らせたということだけど、私という存在のことを、子供にはどう伝えたのか。彼は元奥さんに、私の存在を教えていない。離婚しているので、私の存在を知らせても問題はないのだけど、私の存在を知らせることで、奥さんが気遣い、あえて子供の情報を彼に伝えなくなるのではないかという心配があり、彼は躊躇している。私自身は別にどちらでもいいし、そのようなリスクがあることもわかるので「知らせなくていいよ」と彼には言っている。まぁ理由はそれだけではないのかもしれないけど、今のところ彼は教えていない。 子供には、「おともだち」とでも言ったのだろうか。でも子供がママに「お姉さんとお話した」とか言うかもしれないよ。それに子供って結構鋭いと思うよ。離婚したってパパはパパなのに、ママじゃない女の人と仲良くしてることを知ったら、大きくなってその意味をもっと知ったら、傷つくかもしれないよ。まぁもっと大きくなって理解できるようになるときがくるとは思うけど。 うーん、やっぱり私は子供の声を聞きたくなかったし、子供に私の声を聞かせたくなかった。あー子供がいるってこういうことだったんだね。辛いや。 今日の夜、彼からメールがきた。子供が愛しくてたまらないこと、子供もパパが大好きなこと、だけど一緒には暮らせないこと、いつも涙が出てしまうことが書いてあった。読みながら、涙が出た。子供の写真が貼ってあった。彼の車の助手席で、子供がピースサインをしていた。見慣れた助手席。そこは私の席なのに。いつも私が座っているのに。嫌だ。もうそこ乗れないじゃん。 「誰も悪くない」。「Break These Chain」の歌詞に、そんな言葉がある。それはその通りで、私は誰を責めることもできない。誰にも向けられない恨みは行き場を失い、自分のところにかえってくる。嫉妬という感情を、私は恥ずかしいとか馬鹿馬鹿しいとか幼いとか思う。彼に子供がいること、一番に子供を愛していること、そんなことわかっている。だけど子供の声とか、助手席の写真とか、そういう生々しいものをつきつけられると、泣きたいような気持ちになる。嫉妬なんてしたくないのに。彼の事情を受け入れているつもりだったけど、多分私は理解していなかった。 だけど彼のメールを読んで出た涙は、そういう類のものではない。やっぱり彼の持つ事情が、悲しくて悲しくてたまらない。どうにもならない事実なんて嫌だ。だけど彼の辛さをどうすることもできないことは確かだ。 考えて考えて、メールを返信した。私が意見することは何もない。「今度、たくさんお話聞かせてね」。短い文章の最後に、その言葉を置いた。 「こんな話、智子にしないほうがいいのかなぁ」、彼が子供の話をすると、いつもそう言う。それは多分彼の本音だけど、その言葉には私が「そんなことないよ」と返す前提のようなものがある。そして案の定私はそう返すし、本当にそう思っているのだけど、なんだかなぁ。質疑応答じゃないけど、彼のそういう言葉に対する答えを、事前に考えるようになった。「大好きな人は一人じゃなくたっていいんだよ。辛いかもしれないけど。」というような答えを今のところ用意している。 こうありたいという自分と、事実と、実際の自分とが上手く噛み合わない。性格上、たとえば「もう子供の話しないで」と言ったり、子供の話を聞くのが辛いような素振りを彼に見せることは絶対にないし、そこまでの嫉妬心を持っているつもりもないけど、その境界がわからなくなるときがある。 「ほんとのこと・・・・・・ほんとの気持ち いかないで」。そんなふうに思っているわけではないけど。でも。http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05988
2006年01月15日
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二十歳になった。昨日恋人が祝ってくれた。 10数年ぶりに「智ちゃんお誕生日おめでとう」と書かれたケーキを見た。嬉しかった。 わざわざ9日、10日に休みを取ってくれたのだけど、私の事情で9日の昼に会い、10日の午前2時には別れた。別れ際、プレゼントをくれた。夜明け前のような薄い青色の、雫のような形の石のついたネックレスだった。 幸せな約12時間を過ごし、お礼を言って家に帰った。粉雪が降っていた。 帰りたくないのに帰らなくてはならない私の事情というのは、学校の課題で、期限が迫り、切羽詰っている。クリスマスより前から毎日取り掛かっているのだけど、未だに終わらない。年末年始、実家に帰ることさえできなかった。余裕がない。要領悪すぎ。 12個のレポートがやっと現在残り4個になったけど、なんだかもう本当に疲れた。できない。 今年度は60単位を取るつもりでやってきた。出席や今までのレポート提出やテストなどはおそらく完璧なので、今回のレポートさえ全て出せば本当に60単位取れるかもしれない。でもなんか疲れたなぁ。 だけど今回のレポートさえやれば60単位取れるということはつまり、今回のレポートを出さなかったら全て水の泡になるということでもあって、そんなの悔しいから残り4個、やるつもりではいるけど、はーもう疲れた。 もうちょっと授業選んで取ればよかった。厄介なレポートばかり残してしまい、気が重い。 今年度60単位分の授業を取ったのは、昨年度怠けていたからなのだけど、ちょっと私には無理があった。今月の何日までにやらなくちゃという焦燥は、勉強をつまらなくさせ、中途半端にさせ、最悪、剽窃という事態になり、罪悪感しか残らなくなる。 って、大学のシステムや単位取得に伴うレポートに関して文句を言っても仕方がないのだけど。 あーやばいあーやばい。もーやだやりたくない。 インターネットってこわい。「剽窃」という言葉を挙げたけど、本当にネットでどんな情報も拾えてしまって、私たちは考えなくても済んでしまう。自分が考える前から、あらゆる他人の考えが用意されてしまっていて、自分から考えるという機会を逃してしまう。他人の考えを先に受け、それに基づいて自分で考えるということはいいのだけど、他人の考えをそっくりそのまま受け、理解もせずに自分のものにしてしまうことは危険である。私はおそらく既にそうなっていて、なんだか考えることができない。だけどこれから、考えることのできない人はもっと増えていくと思う。インターネットのもたらす不幸。 ってそんなことはどうでもいい。そろそろ現実逃避という名の今日の日記を終わらせなくちゃ。あーーーでもやりたくない。もーわからないよ。 あんなわけのわからん論理を理解して分析して応用できるくらいなら、本出せるっちゅーの。あーあ、一番厄介な二つの授業のレポート捨てよっかなぁ。そしたら3つやらなくて済んで、8単位落とすことになる。ってことは他の単位が全部取れたとして52単位か。あーまぁ支障はないな。あるけど。でもその分来年に回してもまーまー大丈夫そうだな。あーあーでももったいないよな。せっかくここまできたんだもんなぁ。早起きしてさ、遅くまで学校に残ってさ。まーいいや、もう適当でもいいからとりあえず全部やって出そう。レポート提出したら今度はテスト勉強だけど、テストなんて天国じゃん。それでそれでテスト終わったら名古屋帰ろう。 あーでもほんと鬱だな。どうせ全部終わってもまた達成感とかないんだろうな。それでまたさー自殺とかさーあーもうやだな。 人間の中にプログラムが出来上がっていて、たとえば二十歳になったらその時点で中身も自動的に大人になれたらいいのにな。まーそんなこと言っててもしょうがないや。自発的に動いていこう。
2006年01月10日
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12月中旬の予定が延期になって、1月中旬になった。彼と彼の元奥さんと彼の子供が会う予定日。 そのことでさきほど、彼から電話がかかってきた。「ドキドキするんだ」と彼は言った。子供と会うことについて。私は「楽しみだねぇ」と精一杯の善意で言った。嫉妬心のようなものを私はほとんど抱いておらず、彼と子供が会うことを自然に肯定することができる。しかしなぜか、いつもその自然な肯定にわざとらしさを加えてしまう。「私は全然気にしていない」というニュアンスを、細心の注意を払って彼へと発せられる言葉に込める。不倫ドラマなどに刷り込まれた「常識」を私はどこかで持っていて、自分の考えや感情がその「常識」に当てはまらなくとも、トンネルのような「常識」に一度それらを通過させている。その上で言葉を発する。そして既存であるはずの考えに、どこか過剰な自然さを上乗せする。 私は彼と子供が会うことに対して、極端にいえば彼の再婚に関して、肯定することが正しいと思っていた。気持ちよく彼を送り出すことが私の役目であると思っていた。だからこそ、「楽しみだねぇ」と発した。 その言葉は間違っていない。しかし、正しいわけでもなかった。 私は彼の状況を知らない。結婚していた頃の話や子供の話や再婚の話を聞いたことは多々あるけど、実際に当時の彼の生活を見ていたわけでもなければ、子供と会ったこともない。 「楽しみだねぇ」という私の言葉の後、彼は複雑そうに話し始めた。その内容は省略する。しかし電話口で彼の声は震えていた。「こわいんだ」という言葉が聞こえた。 必ずしも、彼の再婚を肯定することが正しいわけではないのだと思った。「もう戻らなくていいんだよ」と言うことが、時には優しさなのかもしれない。 再婚すること、時々子供に会うこと、会わないでいること、他の誰かと結婚すること、新たに子供をつくること、どれを取っても辛いと思う。第三者の私が推し測る「彼にとっての一番いい選択」、「彼が辛くならない方法」など、意味がない。そんなことはとっくに彼自身が考えている。そしてそれでも導き出せないからこそ彼は泣いている。 「どうしたらいいんだろうね」と彼に答えを迫ることも、「こうしたらどう?」と提案することも、何の解決にもならない。むしろ、彼の辛さに拍車をかけるだけだ。だったら私は何をすればいいのか。私が彼にできることは何か。いや、他人に何かをできると思うこと自体がおこがましい。何もできないことを前提とし、その上で彼の辛さを少しでもやわらげる方法は何か。 「もう考えなくていいんだよ」、「あなたは何も悪くないよ」、「このままでいいんだよ」。 と、言うこと、どうすればいいのかという彼の混乱を一時停止させること。それが優しさであり、私がすべきことかもしれない。しかしこの電話の最中、これらの言葉を頭に浮かべていながら、私はこれらを発せなかった。「このままでいいんだよ」。これは一時期、私が一番嫌った言葉ではないか。このままでいいことくらいわかっているとの理由で確か嫌っていた。あと、否定を前提に肯定するようなニュアンスに腹を立てていたんだ確か。今はそんな細かいことに難癖を付けようとは思わないけど、一定期間でも自分が嫌だった言葉をそう簡単には使えない。それに、「もう考えなくていいんだよ」、「あなたは何も悪くないよ」、「このままでいいんだよ」って、何様?何も事情を知らないし、所詮私は他人であって彼が何を選択しようが窮極的には関係ない。ってそもそも、こんなこと考えること自体が失礼か。彼は私より10歳も年上だし、人生経験も人一倍積んでいるし。 様々な理由で、私は彼の辛さに直接的に関与できない。なだめることさえできない。 唯一できるとするならば、彼の話を聞きながら、眉をしかめて「うん、うん」と頷くことだ。しかし、これでいいのかもしれないとも思う。彼に対して素晴らしい意見や、新しい優しさを言葉にすることができないのは、私の頭が悪いことが大きいとは思うけど、彼もそれはわかっていると思うし、そもそもそれらを求めてはいないのかもしれない。 傍観者でいること。ただいつでも彼の傍にいること。おこがましいけどそれはきっと、私ができる唯一のことだ。
2006年01月03日
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