2006年12月22日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
穏やかな日々を送っている。あるとするなら具体的な殺意や罪悪感、自責の念ではなく、そこはかとない悲しみだ。しかしそれすらとても薄い。 先週の日曜日、就職活動のためのスーツを買いに行った。以前こちらに記した、「そこそこの好意を持たれ」た男の人とちょくちょく会っていて、その人が就職活動について、いつも事細かく教えてくれる。この人には中絶のことを話してしまったのだが、慰めるというか何の言葉を発せずとも元気付けてくれる。彼が進んで私のスーツを買いに行こうと言ってくれて、日曜日、買いに行った。スーツを買った後、本屋で就職関係の本も彼が選んでくれた。その後喫茶店でお茶を飲み、御飯を食べて別れた。 付き合っているわけでもなく、セックスが伴うわけでもなく、こんなどうしようもない人間に、無償で自分の時間と親切とを使ってくれる彼に対し、とても感謝している。そしてこの日を機会に、辛いものがなくなっていった。不思議なほどになくなっていった。彼の親切が大きいことは確かだが、原因はよくわからない。私は何の宗教にも属していないが、言うなれば「導き」であるような気がする。それほどにスーッと、嘘みたいに辛くなくなった。 私が辛くない現状は、「薄情」という言葉に置き換えられるのかもしれない。 中絶前後の毎日は、恐ろしいほど辛かった。本当に辛かった。 自らの中絶を何とも思わない女がいるとするなら、羨ましかった。私はひたすら逃れたかったし忘れたかった。こんなにも深い傷を、私は今まで知らなかった。殺意というものがこれほどに痛切なものだとは知らなかった。 私は、生まれて初めて後悔を知った。 皮肉にも願いは叶い、私は本当に逃れること、忘れることができてしまった。無論、事実は消えない。しかし現実としての辛さ、感情からくる苦痛がほぼなくなった。事実、それに伴う生身の感情は私のどこかの奥深くにうずめられてしまった。種も仕掛けも私でさえわからぬ手品のように。薄情というレッテルを引き換えに、私は神にでも同情されているのだろうか。 本日、歯科のバイトに出掛けた。1歳にも満たない赤ちゃんを連れた女性が来院し、その女性の診察中、私が赤ちゃんのおもりをしていた。 辛くはなかった。外出中に見掛ける赤ちゃんとその親を見ても辛いとは感じない。むしろ笑みがこぼれる。ただ、自分のしたことを思い出すのは確かである。でもそこから強烈にどうということは、皮肉にもほぼない。 赤ちゃんを約20分抱っこしていて思ったのは、「命って重いんだな」、という小学生の感想のようなものだけだった。その重い命を殺した自分→自責、という思考回路が廻らなくなったのは、本当になぜだろう。 本日の夕方、ベランダに出て空を見ていた。雨雲の後方にある光が一瞬、月なのか太陽なのかわからなかった。 真夜中、再び空を見た。流れ星が偶然、一つだけ降った。驚いているうちに消えてしまったが、その後いくら考えても願い事が浮かばなかった。ただ、願い事を考えるのを辞めた途端、あの子が幸せであるようにと願っている自分がいた。それが願い事を考えていたときに浮かばなかったのは、それがきっと願い事ではないからである。痛切な、謝罪なのだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年12月23日 04時40分23秒 コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ageha0110

ageha0110

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

海のくまさん@ チン型取られちゃったw http://onaona.mogmog55.net/aik8ksz/ 俺…
お猿@ やっちまったなぁ! http://feti.findeath.net/k48g-ym/ ちょ…
リナ@ 今日は苺ぱんちゅ http://kuri.backblack.net/jbs2g8u/ 今…
地蔵@ 驚きのショックプライスw コウちゃんがこないだ教えてくれたやつ、…
アゲチン@ ありがとうな!!!! http://bite.bnpnstore.com/llsys83/ ア…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: