Nij

2007.04.07
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勉強をする、と言って図書館に来て本を読んでいると、今年中学校に入学したらしい女の子が、僕の席の前の長机に座った。ポニーテールの髪の毛を弄りながら、彼女はカバンから真新しい「中学一年生」と書かれた社会と英語のテキストブックを取り出した。それから彼女は筆箱とノートも机の上において、勉強をはじめた。

英単語の暗記をしていた。Homework - 宿題、Think - 考える。ズラリと並んだそれらの最後に、Train - 電車       電車男?  とあった。思わず微笑んだ。理由なく、それとなく大ヒットしたドラマをTrainという英単語から思い浮かべて、それを思うがままに、いや、あるいは無意識的に、青いラメ入りのペンで書いてあった。




もしかしたら全てに理由がないのかもしれない、とさっき言ったが、ひとつだけ、大きな事実として、しかし気付きにくい理由に伴って行われることがある。それは『生きる』こと。理由と言えばそれも『生きる』こと。『生きる』ために『生きる』というとてつもなく漠然とした関係にある二つの要素は人間がそこにある上で一番基本となるものだと思う。しかし人は時として、いや、常に、通常それを忘れていて、なぜかその向こうにある『生きる目的』を探そうとしてしまいがちだ。と、思う。『なんで僕は生きてるの?』という自らに対する問いにおける自身の答えを見出せず、むざむざと無駄死にする人が増えているけれど、『生きて』いることに、『生きる』以外の理由はあり得ないのだ。そこにほかの理由があってはならない。


そう考えてみると、なにかと気が楽になったりするものだ。『生きる』ために『生きる』ことは、人が『生きる』上で一番大きくて深刻な負担なんだと深そうで浅い位置にある最も身近な事実を見つけることが出来れば、その他すべての悩みや勘違いが馬鹿らしく、そして浅はかで小さいものであることに気づくことができるだろう。




カラスが鳴くのはただカラスが鳴くからであって、日が照りつけるのは、日が照っているから。そんな単純な、すべてにおける関係を普段は見つけられないから人は苦しんで、人は進化するんだと、僕は思う。




そんなことを思いながら、「僕はね、食べたいから食べるんだ」だとか、「どうして勉強をしないかって?それは僕が勉強をしないからだよ」なんてわけの分らないことをぶつくさ言いながら、相変わらず『生きる』ことにある種の倦怠感を抱く、僕の毎日だ。


という、作文の練習を兼ねた憂さ晴らしだ。 (笑)





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最終更新日  2007.04.07 17:10:09
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