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今日は地域のラグビースクールが集うイベントがあり、息子と一緒に参加した。イベントは、午後3時までだったが、僕は処理しきれていない残務があり、今日は、午前中の参加のみとして、子供を地元の駅まで送りバスに乗せてから会社に出向く予定だった。午前中のスクール交流と指導が終わった時点で帰ろうとしていたのだが、息子が午後の部に残りたいと言い出した。「困った、困った」と思っていたら、会社の先輩から事情を聞かれ、「それなら、俺が預かってやるから、会社に行って仕事をして終わったら連絡して来い。」と助けの手を差し伸べてくださった。息子がその言葉を聞くや否や、「俺そうするわ」と言って再び会場に走り去って行った。僕は、先輩に「ありがとうございます。」とお礼を言い、連絡先などを伝えて会社に移動した。3時間程度デスクワークをし、会社を出る前に電話をすると、「今、娘のゲームで楽しそうに遊んでいるぞ。」とのこと。すっかり馴染んで、居座ってしまったようだ。最寄の駅で待ち合わせて、息子を引き取って帰宅した。先輩の家は、お嬢さん達が既に社会人となり、今はご夫婦2人で住んでいるとのこと。久しぶりに小さな子供の客人だったようで、奥様も楽しんでくださったそうだ。(と言ってくれたことを完全に信じているが、実は、迷惑をかけまくったのではないか心配している。)帰る途中で息子に感想を聞くと、「今日は、ずっと楽しかったで。△△君と飛行機をどこまで飛ばせるかっていう遊びとか、おじさんの家のゲームとか。。。」、ラグビーは楽しくなかったのかと思って聞いてみると、「いや、ラグビーも楽しかったで。」とのこと。僕も、とりあえず残務を終えることができ、息子も楽しんでくれたので結果オーライとなったが、先輩は疲れたのではないかと心配している。今度会ったら、改めてお礼を言おうと思う。追記:早稲田が筑波に64対17で勝った。だが、後半は2Tを奪われたようだ。曽我部君も1T7Gと完全復活。百合君も元気に出場し、1年の滝澤君や長尾君、小峰君にも出番があったようだ。次代を担う選手たちへの経験も含めて、チーム力強化と人材育成の面で、清宮監督の手腕が光っている。
2005年10月30日
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今日は、予報どおり朝から雨になった。家内は義父の事で、実家に帰省しているので、6時起きで娘の弁当を入れ、朝食を出し(といっても、今日は出来合いのお握りだったが。。。)、粗大ゴミを捨ててからラグビースクールに参加するためバスに乗った。会場で雨は更にひどくなり、結局、廊下のスペースを利用して簡単なコンタクトプレーの練習をやっただけで解散となった。僕は車に乗らないので、帰りはいつも先輩コーチの車に便乗させていただいている。今日も、最後のチェックをし、お迎えの子供を送り出して、近くの駅まで乗せていただいた。駅に到着して気がついた。「二人の傘がない!」14時10分から英会話学校のレッスン等を予定していたので、どうしようかと色々思い巡らせた結果、次のような結論をだした。駅に到着した時点で11時20分。次のバスは11時40分だったので、まず、息子と一緒に家に帰り(12:10)、息子を風呂に入れさせ、その間に昼食を準備し、一緒に昼食をとる。(12:30)いつもなら、バスを乗り継いでスクールの会場まで約10キロの道のりを移動するのだが、乗り継ぎが悪いので自転車を使うことにし、球技場まで1時間かけて移動する。(13:30)そして、傘を取り戻してから、駅まで移動する(14:00)。これで間に合うはずと考えた。ということで、結局、12:35に出発し、えっちらおっちら自転車で球技場まで移動してみた。今の家に引越ししてきてから、自転車で移動したことが1度だけあり、十分余裕がある計画であると思っていた。駅前を通過したのが、13:00頃。この時点で、背中に汗をかきはじめていた。後半がんばり、球技場到着が13:25頃だった。大よそ50分で移動できた。10分以上の余裕ができたので、駅まで移動する途中でバッティングセンターに立ちより、300円分ボールを打った。そして駅に到着したのは14:00丁度。しかし、到着したときはすでに汗だくで、身体のあちこちがダルい状態だった。英会話とマッサージを終えて、再び自転車で自宅まで移動したが、ここから思うように足が動かなくなった。駅から自宅まで約35分かかってようやく到着した頃は、すっかりあたりが真っ暗になっていた。以前、行ったときは、スクール練習を終えても元気に帰ってきたのだが、今日は、くたくただった。 自分の年を再認識させられる一日となった。 しかし、ひさしぶりの自転車での移動で、昔住んだ場所の景色などを懐かしむことができた。あの頃はまだ娘も保育園で、よく近くの公園や動物園に自転車で連れて行ったものだ。また、息子が生まれてからも、家族で「歩け歩け」と移動し、近く(?)のレストランや中華料理屋さんに行ったことなどを思い出すことができて楽しいひと時となった。 とにかく、事故にもあわず、何事もなく家に戻れてよかったと思う。 家に帰った頃に家内から「今からバスに乗る。」電話があった。 家内が準備してくれていたおかずに、焼き魚と味噌汁を加えて夕食をこしらえ、子供たちに出した。 今から、家内とウォーキングに出かける。今週あった出来事を話しながら歩こうと思う。追記:神戸製鋼がNECに8対10で敗れた。残念だが、現実である。ワールドも東芝府中に13対24での敗戦。両チームの後半戦の奮起に期待したい。
2005年10月29日
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3日前の夜から、関東にある工場に出張だった。昨日も会議で帰宅したのは23時を回っていた。一昨日は、会議の後で同僚の車の中で途中結果を聞いた。7回表が始まった場面で1対3の状況だったが、食事をしてホテルについた後でニュースを見ると1対10の大敗。昨日も、途中経過は7回表2対3の場面だった。昨日の試合は、このシリーズで唯一阪神らしいゲームの組み立てとなったようだ。これほどまでにリーグチャンピョンが完敗したシリーズは、あまり記憶にない。数年前のジャイアンツに敗れた西武がそうだっただろうか?それにしても、今年のロッテは本当に強かった。阪神バッテリーを研究し、球種を絞っているかのような思い切り良い打線に、失点を許さない投手陣。そして日替わりヒーローの出現。そして明るさ。阪神ナインのショックの大きさは計り知れない。しかし、この現実を受け入れ、クールダウンして、また新たなチーム作り、選手の成長をファンとしては期待したい。長く厳しいリーグ戦を制したチーム力、若手の成長、リリーフ陣の活躍など多くの感動を与えてくれたのも事実だ。ぜひ、来年以降も、優勝を狙えるチーム作りを岡田監督・コーチ陣・フロントには期待している。
2005年10月27日
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今日は、朝から娘の弁当を入れて、朝食を作り、そして会社に所用で出社した。結局、退社したのは夜7時を回っていた。気になる日本シリーズだったが、何と途中で確認すると0対7の状況。帰宅したときには、0対10で負けが決まっていた。夜のニュースで確認するが、前半の得点機を逃した藤本のバント失敗、そして赤星が盗塁を決め、鳥谷がつないだ場面でのゲッツーと、得点できない打線が勝利の女神を手放したようだ。それにしても、ロッテの打線は凄みを感じる。今江の8打席連続もすごいが、今日もサブロー、フランコ、李がホームランを放ち、2日で27安打20得点。渡辺俊介も見事な完封と、阪神打線を2日続けて沈黙させた。各局の解説者が、3戦目への打開策を色々提言しているが、やはり、投手が粘り、1点でよいから先取点をとって、JFKにつなぐパターンに持ち込むことがポイントではないかと思う。そのためには、矢野を含めたコーチングスタッフのロッテ打線の解析が重要となる。1日あけて地元甲子園に帰ってくるのだから、とにかく、次の3戦目は何が何でも勝つ野球に徹して欲しい。下柳投手には負担がかかるが、シーズン中の勝負強さを自然体で発揮してくれることを期待したい。そして、クリーンアップの奮起にも大いに期待したい。追記:トップリーグはいよいよ混戦模様となってきたようだ。神戸製鋼はサニックスに圧勝し3連勝。トヨタもリコーを、ヤマハもサントリーを破った。慶應大が帝京大に20対27で敗れた。帝京大も侮れない。
2005年10月23日
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息子が祖父からもらった電磁石のおもちゃの工作を仕上げた。昨日の日本シリーズをみながら作り始めたのだが、井川が打たれるとさっさと応援するのを止め、工作することに決めたようだった。電磁石駆動部がなかなか上手く回転してくれずに苦労していたようだが、僕や家内の力を借りることなく完成させ、自慢げに見せてくれた。息子も最近、将来何になりたいかというようなことを時々話しかけてくれる。以前はプロ野球選手だったが、最近は少し嗜好が変わってきたようだ。自然科学の分野にも少しずつ興味を持ち出しているようにも感じる。どんなことでも良いから、自分がやりたいと思う分野の専門性を培ってくれればと願うのだが、これは親のエゴだろうか?僕の場合は、父が自動車部品メーカーの設計技師をしていた。小学生のころに休日に自宅で図面を引いていたのを覚えている。算数の解き方がわからないときは、新聞広告の裏を使って、よく教えてもらった。僕も数学が好きになり、自然科学の分野を目指すようになった。結局、今は、分野は違えどエンジニアの仕事をしている。やはり、どこかで、父のようになりたい、父を超えたいという思いがあったのだろうと今振り返って思う。同じ分野に進んで欲しいとは思わないが、ぜひ、色んなことを学び、自分の進みたい分野を自ら切り開いて欲しい。追記:息子に続いて、家内も風邪をひいた。僕も少し、喉が痛くなってきたようだ。急に寒くなってきたので、気をつけなければならない。
2005年10月23日
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日本シリーズ第一戦、阪神・井川、ロッテ・清水の予告先発で始まったシリーズだったが、何と、1対10で阪神がロッテに完敗だった。井川は伏兵・今江(伏兵といったらロッテファンにしかられるだろうが。。)に完璧に崩された感じだ。初回は完璧なソロ、5回は試合を決定付ける2塁打、その後は橋本も含めて、他の選手にもシートバッティングの練習かと思うように、完璧に打たれまくった。テレビ中継に来ていた西武・松坂投手が、「打てるだけ打たれたほうが、明日は抑えれる気がする。」と語っていたように、また、かつてジャイアンツの桑田投手がシリーズ初戦に先発し大量失点した時も「僕の役割は相手打者の力量を測ること」と言っていろんな球種を試したように、今日の一敗を今後のシリーズの分析に役立てればよいのではないか。(阪神ファンの負け惜しみか。。。)ロッテの強さは本物だ。清水直行も、ほぼ完璧に阪神打線を封じたといっても良い出来だった。しかし、井川の出来は相変わらずだった。今シーズンは、2年前と比べてストレートの球威が衰えたのと、コントロールが悪くなっているように思う。打線も自慢と1、2番が出塁しないことには?がらない。前代未聞の濃霧コールドだが、阪神にとっては有難かったのではないだろうか。明日の先発は、阪神は安藤とロッテは渡辺俊介。敵地で何とか1つ勝って甲子園に戻ってきてもらいたいものだ。追記:トップリーグで三洋が東芝府中を51対32で破った。今シーズンの三洋はこれで開幕5連勝。一気に優勝争いに名乗りを上げた。関東大学リーグ戦で、堀越率いる立正大が全勝の日大を19対8で破った。こちらも混戦となってきたようだ。
2005年10月22日
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シダックスの野村監督が楽天監督を受諾するというニュースが流れている。昨日のスポーツ新聞記事では、背番号は何と「19」を準備するようだ。野村さんといえば、90年代のヤクルトを日本一のチームに育てた名監督。阪神の3年間は毎年6位だったが、F1セブンと名づけて、赤星、藤本、上坂らを育て、新庄を4番打者としてあの手この手で育て、矢野にはID野球を注入した。色々意見も分れるだろうが、僕は、やはり人を育てる手腕の高い監督だと思っている。新聞記事では「1からというよりゼロからの出発や」と発言していたようだが、田尾前監督が築いた1をどこまで大きな数字にするのか楽しみである。ヤクルト監督、阪神監督時代も再生工場といわれるほど、ベテラン選手や怪我をした選手に活躍する場面を与えて具体的に結果を残させる、その手腕には注目していた。阪神時代の遠山投手などは最たる例だろう。三木谷社長には野村監督の3年は、辛抱してチーム作りを見守ってもらいたい。チーム作りには、基盤づくり(人材育成、チームとして機能できる環境の整備、そして具体的に勝利するという成功体験等)をするという強い信念と、選手(人材)、スタッフ、家族、そしてファンとの関係の構築が重要であることは、ご自身も経営の世界で経験されており、十分承知の上でプロ野球の世界に参入されたのだろう。この1年でチームに下した判断、そして野村監督の奨励の結果は3年後には必ず出てくる。ぜひ、辛抱強く、楽天という球団の基盤をつくり、近い将来常勝球団となることを期待している。追記:いよいよ明日から日本シリーズ。今年のロッテと阪神は良く似たチームだ。安定した投手陣、つながりのある打線、そして熱いファン。おもしろいカードになった。
2005年10月21日
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昨日、今日の出張にあわせて実家へ戻った。兄を見舞ったが、昨日は少し熱っぽく、皮膚が色白く感じられた。耳元で話しかけると、目から涙を流してくれる。手を握れば、反射で身体も少し動かしてくれた。母の話によると、酸素吸入への切り替えもここ2日間行われたようだ。兄は、20歳のころに、友人の車に乗っていて大事故にあったのだが、軽傷で奇跡的に助かった経験がある(そうだ)。その時は、運転していた友人が長期入院を余儀なくされた。それ以来、ある宗教団体の信者になった。僕にも入信を進めたが、僕はそれを断った。それでも、年に数回顔を合わせると、僕や僕の家族達に毎回手を合わせて祈ってくれていた。僕は、兄が入院してから、兄の祈りを真似て、毎回わずかな時間だが祈りを唱えている。兄が入信した理由は、おそらく、友人の救いを神に求めたからではないだろうか。兄と同室の患者さん達は、交通事故で入院されているのだが、将来のある若者達だ。家族の祈り、献身的な看護が伝わってくる。僕は、心の中で「必ずよくなると信じて頑張れ」と唱えている。実家への帰宅途中に、友人がやっているお店があるので立ち寄ってみた。5年ぶりくらいだっただろうか。懐かしくで、少し話し込んだ。50歳になったら同窓会でもやろうと約束して店を後にした。実家では、両親が出迎えてくれる。父も少し元気を取り戻したように感じた。息子にお土産(科学実験のおもちゃ)を2つ準備してくれていたので、1つは実家に置いておき、帰省したときにやるように薦めた。父は、僕が幼少のころ、帰省のたび(僕と両親は幼少時代別居していた)にプラモデルを買って帰ってきて、僕が寝ている間に作り枕元においてくれた。毎月の楽しみだった。当時はサンダーバードが流行っていたので、その模型をよくおねだりしたように記憶している。息子へのお土産にも、そんな父のやさしさが込められているように感じた。
2005年10月20日
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ロッテがとうとう31年ぶりのリーグ優勝を果たした。バレンタイン監督で2位となった1995年も、若くて強いチームになったと思ったが、今回のチームはもっと強いチームになった。ロッテ戦の観戦は2試合(といっても、今年は4試合しか観戦していないが)。対阪神と対オリックスだったが、ファンもチームも一体となって戦っているように感じた。ロッテの応援は、他のチームよりも一体感があり、凄みがあった。そして、安定した投手陣に、つながりある打線が印象的だった。昨日の敗戦で、日本人監督のチームなら、なかなかメンタル面で相手チームを上回ることができないように感じていたが、昨日の試合終了後のベンチで、バレンタイン監督が激を飛ばし、今日の新聞で小林宏投手をたたえ、良いゲームだったとコメントしている記事を見て、切り替えさせる手腕がすごいと感じていた。 仕事で、帰宅が遅くなったが、途中の駅で若者がソフトバンクの敗戦について語っていたので、ロッテが勝ったことを知り、どんな勝ち方かが気になった。熱戦と評するに値する戦いだったようだ。第3戦でまさかの逆転劇を喫した小林雅英投手は、この試合で見事なリベンジを果たした。このマネージメントにボビーの手腕のすごさを感じる。彼が小林投手の活躍の場を与えたことを、選手が意気に感じ、結果を残す。そんなマネージメントにコーチやスタッフも選手も家族も信頼して応える。優勝するチームには、そんな構図が必ず存在することを感じるプレーオフだった。 プレーオフのシステムに異論も多いだろう。 リーグ優勝を果たし、日本一の力があるホークスが2年連続してプレーオフで敗戦し日本シリーズへの進出ができない。この結果は何を意味するのだろうか? トップチームの戦いだからこそ完全優勝は難しいと感じずにはいられない結果である。 しかし、間違いなくこの2年間のパリーグのシステムは我々野球ファンに勝負事の面白さと感じさせてくれたと思う。 ラグビーでも、トップリーグの覇者が日本選手権で敗れるということが起こっているが、このような結果は、プロの世界では勝敗は紙一重であることを改めて我々に教えてくれているのではないだろうか。 その昔、早稲田大学の大西先生は、2対8の分の悪さでも勝機はあると断言し、強豪明治大学から勝利するということを、結果で我々に示してくれた。 「プロの世界で勝負する」ということは、いかに、勝負どころで相手を上回る結果がだせるかということではないだろうか。 このことは、スポーツアスリートの世界だけではなく、僕自身が属する技術開発の世界や、経営の世界でも通じる考え方であると思う。 今日の結果をニュースで見て、改めてそんな気持ちが沸いてきた。
2005年10月17日
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今日はソフトバンク対ロッテの第4戦が放映された。3対2でソフトバンクがロッテを下して逆王手をかけた。小林宏はズレータの2発に屈したが、ポイントはやはり5回表ノーアウト1、2塁の場面だろう。吉竹投手がリリーフした直後の送りバントを3塁で封殺したシーンだ。お立ち台にも呼ばれるほどのビッグプレーだった。この回を無得点で抑えたことが連勝に?がったと言っても過言ではなかろう。松中選手が依然無安打だが、ソフトバンクベンチの雰囲気は明るい。逆にロッテベンチは元気がなく、ボビー監督が激を飛ばしていたのが印象的だった。今日の勝利で俄然ソフトバンク有利となった。ロッテは開き直るしかない。投手陣が揃っているのだから、今までどおりの組み立てでゲームを作れれば、流れはまた戻せるのではないだろうか。短期決戦の面白さを感じることのできる興味深いプレーオフとなった。追記:神戸製鋼がトヨタを27対23で破り2勝目を上げた。東芝府中、三洋が元気だが、これでトップリーグも面白くなってきた。早稲田は日体大に95対0で大勝。一年生CTB佐藤君が1T、LO権丈君は4Tの活躍だったようだ。一方、関西大学リーグ戦は、前年度下位チームが上位チームと対戦。天理大は7対14で大体大に、関学大は20対22で立命大に惜敗。
2005年10月16日
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今日、県下でも有数の強豪チームと交流試合を開催した。相手のチームは、はるばる遠方から、我がチームのホームグラウンドに遠征してくださった。 僕が、このスクールの指導員として参加して12年になるが、対戦相手のチームが我々のホームに遠征してくださったのはおそらく初めてのことだ。我がチームも創立30周年を迎えたいわゆる老舗の部類に入るが、地域性から、中々交流試合が実現しなかった。 各学年ともに2試合づつ行ったが、やはりトップチームのレベルは違う。それでも、果敢に攻撃し、勇気をもってディフェンスに行く子供達の姿をみて、少なくとも僕は、「よくぞここまで」と悔しさよりも、今日という日を迎えたことに対する感謝の気持ちで一杯であった。 今日遠征してくださったチームは、僕が初めて受け持った学年が地域大会の初戦で対戦したチームだった。当時の我がスクールは、遠征はもとより交流試合すら全くせず、ぶっつけ本番で地域大会を戦うようなチームだった。僕の受け持った当時の学年は強豪チーム相手に善戦し0対2で惜敗した。しかし、その子供達を卒業するまで指導させていただいたが、結局、強豪チームからは一度も勝てず、1点も取れずに終わった。学年があがるにつれて、強豪チームとの差がどんどん拡がっていったことを覚えている。 それ以来、僕は、どうすれば、彼らのようにラグビーとをし、彼らのようにラグビーを楽しめるのかということを自問し続けている。そして、チーム作りのために、ご父兄や首脳陣の協力や理解を得ながら、チーム運営やコーチングについて改善案を提題していった。 今では、他のチームとの交流する機会も増え、ラグビーをする環境も以前に比べれば数段改善されたと思っている。 まだまだ、他のスクールのシステムには及ばないが、それでも、直に、強豪チームの練習やコーチングに触れ、実際に対戦し我々の長所短所を体感できる今日のような機会が、我々スクールの活動だけでなく、子供達にとっても非常に重要であることを改めて感じた一日であった。 また、ラグビーというスポーツを通じて、ご父兄の方々や指導者、そして選手達に至る多くの人たちとの出会いがあり、発見があり、そして喜怒哀楽がある、そんな瞬間を素晴らしいと感じた一日でもあった。 今日の交流試合を実現するにあたり、本当に多くの方々にお世話になった。相手チームの事務局の方々、指導者やご父兄の方々はもちろんであるが、駐車場をご提供いただいた地元の会社、朝早くから準備に帆走してくださったコーチ、育成会の方々、そして、グランドの職員の方々に感謝感謝だ。 ぜひ、来年以降も、このような交流を続けることができればと思う。
2005年10月16日
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気になるプレーオフ第3戦。途中経過をチェックしたときは、7回表で2対0でロッテがリードしていた。一仕事を終えて、再度チェックしたら、なんとソフトバンクが勝ったではないか。9回裏の時点で4点のビハインドだったが、何と守護神小林雅が大乱調。押し出しで同点となり、延長で川崎がサヨナラ打を放った。勝負事は終わるまでわからないものだ。完全にロッテの31年ぶりリーグ優勝が手の内に入っていた。しかし、その状況が平常心を失わせる結果となったようだ。プロの、実績ある抑えの投手でも、平常心を失うものなのかと感じる。この勝ち方で、ソフトバンクは完全に息を吹き返しただろう。明日のゲームが楽しみだ。
2005年10月15日
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昨日の横浜対ヤクルトのゲームでセリーグの日程が終了した。下柳投手の最多勝、三浦投手の防御率、門倉投手の最多奪三振など、ベテラン投手陣の奮闘を感じるシーズンだった。一方で、青木選手の最多安打(202)と首位打者は立派だった。200本安打はイチロー以来2人目の快挙だ。新井の43本も、山本監督が見事にスラッガーに育てた結果だろう。黒田投手の最多勝もあわせると、広島が何故最下位なのかと感じてしまう。山本監督は引退した野村選手や、江藤選手、金本選手、緒方選手などをスラッガーに育て、今季も若手の大竹投手を辛抱強く使い10勝投手に育てている。人材育成という点で、山本監督も含めて伝統的に広島のスタッフはすごいと感じる。阪神勢としては、今岡選手の147打点と藤川投手の53ホールド(80試合登板)が光る。ノンタイトルだが、金本選手の成績は本当にすごい(打率.327、打点125、本塁打40、得点120、安打183)。下柳投手や金本選手を獲得した星野前監督の功績は本当に大きい。パリーグのチャンピョンが今日にも決まる。ホークス打線が渡辺俊介投手を攻略できるかが見物だ。短期決戦では投手有利である。新垣投手も後半に調子を上げてきたが、安定感の点でロッテが一枚上手か?。午後からのゲームが楽しみだ。追記:今、娘が「めだかの部屋」(といってもガラスのコップ3つだが。。)を掃除している。何と、子供のめだかは30匹以上も生まれた。金魚すくいならぬ、子供めだかすくいに奮闘中だ。
2005年10月15日
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昨日は出張帰りに兄の見舞いに行った。 病院につくと、兄の病室は4人部屋に代わっていた。 血圧が70台と低く、体温も低下しているようだったので、看護士の方に尋ねると、点滴をやめ、人工呼吸の設定が変更になったとのことだった。 兄は、以前より頬がこけ、胸から肩にかけてもやせているように感じた。 ただ、顔色は良く、気持ちよさそうに眠っていたし、動きも2回ほどあった。 兄の同室の隣の女性は、交通事故で運ばれたそうだったが、手足も動き、簡単な足し算などにも反応していたので、付き添いのお母さんに「大丈夫だから、頑張るように応援してあげてくださいね。」と励ました。 帰宅途中で、実家に電話をして母に尋ねると、「兄ちゃんの状態がよくなっていて、先生も驚いているみたい。人工呼吸器を外してもなんとかなりそうなので、少しずつその状態にもっていこうとしているようや。点滴もやめるそうや。」とのことで、両親も先生の所見に驚いているようだった。 自宅に帰宅した後に、友人の医師に連絡して状況を説明したところ、「お兄さんは病院に運びこまれたときの状態からはかなり良くなっているが、更によくなる確率は低いだろう。」とコメントしてくれた。 それでも、回復していることがすごい状況であり。「おそらくその病院でないとここまで回復することはなかっただろう」とのことで、先生だけでなく、僕も両親も、兄の回復には驚いている。どこまで、兄の心に届いているのかわからないが、兄ちゃんと一緒にがんばろうと改めて感じた。追記;ロッテが初戦を取ったようだ。短期決戦は、初戦をとった方が有利といわれている。今年のロッテは、対西武戦を見ていても、本当に強いチームだ。第2戦をとれば、敵地ではあるがホークスが追い詰められる立場になる。王監督は今朝の新聞で、「2つも負けれる」とコメントしていたが、これで負けれる数は1つ。明日は斉藤が先発予定だが、厳しい試合となることは間違いないだろう。
2005年10月12日
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今日は、我々の地域のスポーツ祭だった。 ラグビースクールに所属してから、10年以上、ほぼ毎年参加している。地域のあらゆるスポーツ団体が集い、開会式を迎える。 我々ラグビーも、スクール(幼・小・中)、高校、社会人と開会式に参加した。 いつも思うことだが、開会式の間、参列している選手やコーチは、どことなくざわついており、役員挨拶などはほとんど聞いていないように思う。小学生はじゃれあい、中学生は仲間をからかってみたり話をしたり、我々大人でも、結構しゃべっている。 地域のスポーツの活性化の為に、10月10日体育の日を選んで、功労者や優秀選手を表彰し、国体選手を激励し、そして、各種競技を行ってスポーツ一色を楽しむはずの場ではあるのだが、開会式のみの参加となる我々にとっては、本当に参加することの意味を考えてしまう。(少なくとも僕は考えてしまう。) 同じ光景を見るにつれ、スポーツを楽しむ参加者に強く訴えるものが、もうひと工夫あっても良いのではないかと思うのだが。。。難しい話かもしれない。 我々の地域も、立派な競技場や武道館を持ち、多くのスポーツを楽しめる環境にある。しかし、それ以前に、マナーの低下については僕自身も含めて指導者や大人が反省すべき点が多いように感じている。 ワイワイガヤガヤしている大人やお兄ちゃんたちを見て、小学生の子供達も「これでいいのか」と感じるのではないだろうか? 少なくとも、僕が小学生時代に所属した野球のチームでは、集合、挨拶、礼儀には厳しい指導があった。そして、トーナメント大会参加等に際しては、行進の練習をまじめに徹底してやるようなチームだった。コーチが話しているときに雑談していると、容赦なくケツバットとなった。野球の指導が全て良いとは思わないが、あのような礼儀や挨拶、機敏な行動に対する指導の一部を、今の僕自身も受け入れ、基本的な考え方として踏襲し、自分の子育てにあてはめている場合がある。そういう意味では、僕自身も、当時の野球の指導者の影響を少なからず受けているのだろうと思う。 学級崩壊が叫ばれて久しいが、そのような状況は、我々大人が作り出した環境に起因しているのかもしれない。だまって整列し、人の話をきくという簡単なことができない生徒が増えているように感じる昨今の状況が、今日のような子供から大人まで何百人も集う場面で如実に映し出される。このような状況に対して、結局、我が振りを治し、背中をみせることから始めることが重要なのだろうと思う。 スポーツ祭の後は、移動して通常通りラグビースクールの練習をした。秋祭りや、スポーツ祭への参加者が多く、普段の半分以下の参加者であった。 県大会に向けてチーム練習をしたいのだが、なかなかメンバーが揃わない。各学年のコーチも苦慮しているようだ。 スクール終了後は、中学生の練習試合が組まれた。僕も、居残り観戦した。我がスクールも数年前までは中学部があったのだが、その後途絶え、一昨年より他のスクールと混合でチームが組めるようになり、生徒の数も増えてきた。中学部の試合を見ていて、「こんなに上手くなるのか」と感心した。 僕の指導している学年の一人の生徒が試合を観戦していたので、一緒に見ようと誘った。この生徒はまだラグビーを始めて1年にも満たないのだが、熱心に練習に参加し、学び、夏合宿ですごく伸びた選手だ。合宿明けの交流試合では、念願の初トライもした。今日の練習でも上級生相手に、果敢にアタックをしかけて基点となるプレーをしていた。中学生のゲームを見て、ラインメイクの仕方や、コース取り、サインプレー等を説明すると、色々興味を持って質問を返してきた。「大きくなってもラグビーを続けたい。本当に面白い。」といっていたので、ラグビーそのものを楽しみ始めているようである。「ラグビーは、コーチ達のように40歳過ぎても楽しめるんやで。」というと、「そうなんや」と笑顔で答えてくれた。中学生の試合を見て、何かを感じてくれればと思う。追記:昨日、神戸製鋼対サントリーの試合をテレビで観戦した。結果は知っていたが、ホラ選手がぎりぎりところでディフェンスの裏に左足で上げ、クリブを走らせて、最後に八ツ橋選手がインゴールぎりぎりで押さえたシーンには、やはり私も興奮した。まさに、チームに勇気を与えるビッグプレーだった。
2005年10月10日
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今日は、僕の地域の秋祭りだった。朝から、子供のみこしが出て、にぎやかな掛け声で行進する。僕の息子も参加する予定であったが、この秋は喘息で体調を崩すことが多く、今日も結局参加せず仕舞いだった。僕の住んでいる地域は、子供の行事が多い。球技大会、盆踊り、秋祭り、運動会、バス旅行等々、地域の方々とのコミュニケーションの場が多く、子供達も楽しみにしている。家内も、娘が上級生のときに役員になり、地域活動に関わる様になった。昔と違って、義務として活動に参加しなければならない場面も多く、色んな意味で苦労も絶えなかった。それでも、子供達や地域の方々との信頼関係も出来、地域を理解する機会であったと感じている。昼から子供達を家に残して家内と英会話に行った。3レッスンを受講したのだが、今のレベルになってからなかなか上達しない自分を感じている。さほど真剣に勉強もしていないので当然であるが、もう少し文法やフレーズ、単語など基本的なところを覚えて使う工夫をする必要がある。英会話の帰りに、家内が「お茶をしよう。」と提案した。2人で喫茶店に入るのは本当に久しぶりだ。息子を家に残していたので、わずか20分程度だったが、気分転換になった。明日は秋祭りの2日目。しかし、僕と息子は、ラグビースクールに参加するため欠席である。来年は祭りにも参加したいと思う。追記:ロッテが西武を3対1で破り、第二ステージ進出を決めた。ロッテの投手陣が踏ん張ったようだ。バレンタイン監督の采配が光る2連戦だった。関西大学ラグビーは龍谷大が近大を26対22で破った。記虎監督にとっては大学ラグビーの記念すべき初勝利である。同志社は京産大に75対12で圧勝した。これで、同大はトップ4決戦を制した。やはり同志社が抜けているようだ。
2005年10月09日
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先週の日記だが、懐かしい友人と再会、両親や兄への思いを記録に留めておこうと思う。 先週は月曜日から2日間出張だったので、10/2の日曜日に兄のお見舞いをして実家に泊まることにした。 兄は、少し熱っぽくて、身体もむくんでいるように感じた。 2人きりだったので、思い出話を話し掛けた。 兄は、東京の学校に通い始めたころ、レストランのアルバイトをしていた。 そこで、厨房に入り、食材を準備する仕事を任せられていた時代がある。 そこで、色んな料理の仕方を学んだようだった。 それ以来、僕の家族に、色んなものを作ってくれた。 母の料理の味付けなどにも口だけでなく手をだして、やり直すこともしばしばあった。 高校時代、僕が勉強をしていると、夜食を作ってもってきてくれた。トーストやサンドイッチ、オムレツ、麺類など簡単なものが多かったように思うが、どれも、一工夫いれられているものだった。今から思えば、本当に優しい、僕のことを親代わりになって守ってくれていたように思う。 病室で手を握りながら兄の寝顔をみて、そんなことを語り掛けていると、涙がでてきて止まらなくなった。もう戻ることがないとわかっていても、いつか、眼を覚まして語り掛けてくれないものかと思ってしまう。そんな気持ちがこみ上げてきた。だが、兄も頑張っている。我々家族も前を向いて生きていかねばならない。 兄を見舞った後で、中学時代の友人と再会した。 2時間ほどだったが昔話に花を咲かせた。「お互いこの歳になると、いろいろあるなあ。」とねぎらった。中学時代の思い出はもちろん、それ以降の歩みについても紹介した。人生に影響を与えてくれる人との出会いや家族の有りがたさなど共感できる話が多かった。 旧友というのは、何年もあっていなくても、昔のように心を許し、昔の感覚でつきあえるものだと感じた。 今度は、仲間を増やして会おうと言って別れた。 その日は、つらい思いと楽しい思いが交錯した夜だった。 実家へ帰ると両親が出迎えてくれた。 両親ともに、やはり、どことなくやつれている。 母は、お寿司を準備してくれていたので、夜10時を回っていたのだが、3人で食べることにした。 父が、重要書類の入ったファイルを出してきて、僕に説明してくれた。これから、何か有った時を考えてのことだ。 母は、「今まで、本当に精一杯生きてきたのだが、最後にこんな修行があるとは思いもしれなかった。」ともらしていた。 両親の姿を見て、人生は波乱万丈であることを改めて感じさせられる。 僕の両親は、昭和一桁生まれで、父は学徒動員も経験しており、祖父を早くに亡くし親代わりとなって多くの弟妹を育てた。母はそんな父の家に嫁ぎ、僕達子供を祖母に預けて共働きで父の家族と僕達を育てた。兄と僕は、幼少期は祖母の家で育てられた。その頃、叔父達が高校生で、よく遊んでくれたことを覚えている。 僕達兄弟は、小学生に入るときに、両親の家で一緒に住めるようになった。しかし、4人が一緒に住んだのは、僕が小学生入学時から兄が上京するまでのわずか9年間だけだ。 それ以来、盆と正月以外は中々家族が揃わない、不思議な家族であった。 それでも、今から思えば、4人が一緒に暮らした9年間は素晴らしい時間だったと思う。 兄は、両親がいない時は、親代わりとなって、夕食の準備をしたり、ケガをしたときは、処置してくれたりもした。器用で、優しく、そして強い頼もしい人だ。 両親も、厳しくそして優しく、精一杯僕達を導いてくれたと思う。 兄が倒れてから、母は、毎日欠かさず看病し、闘病日誌に絵を書き加えながら綴っている。雨の日も、暑い時も、一度も欠かしていない。そんな母の姿から、兄への感謝や後悔などの思いを感じることができる。 父もまた、兄への思いを込めて生きている様子が映し出される。 僕は、改めて、家族の絆や愛というものを感じ、考えるようになった。 翌朝、出社の際、母が玄関先まで送り出してくれ、見送ってくれた。100mほど歩いて、曲がり角に差し掛かったときに振り返ると、まだ見送って、手を振っていた。こんなシーンは、入社式以来のことのように思う。 これから先、どれくらい一緒にいれるのかはわからないが、4人が揃う時間を大切にしたいと思う。そして、一日でも、家族の絆を感じつづけていたいと思っている。一日でも長く生きて欲しい、生きていたい、そんな思いを強く感じた2日間だった。
2005年10月09日
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今日は、僕の所属するオーバー40のチームの遠征試合だった。ホームチーム(赤パン選手3名含む)に、招待された2チームを合わせた3つ巴で、20分ハーフ(計3本)で行われた。今年度発足した我がチームは、都合20名程度集合した。 キックオフの40分前にようやく到着し、アップをしていると、レフリーを一人出して欲しいとホームチームの方から依頼され、20名を見渡し、レフリー経験があるメンバーがほとんどいなくて、僕がすることになった。慌てた。というのも、怪我が理由で31歳でやめて以来、10年以上子供の試合以外全く吹いていなかったからだ。一気に不安が襲ってきたが、引き下がるわけにもいかず、アップの30分で気持ちを立て直すしかなかった。 20分ハーフの試合だったが、赤パンツ(60歳以上)の選手も片側のチームに3人いたので、コンタクトの後は、早めにプレーを切ることを心がけた。本当に久しぶりに笛を吹いたが、やっているうちに昔の感覚が戻ってきた。コーリングもできるようになり、選手ともコミュニケーションがとれるようになってきたのがうれしかった。 試合中にものすごいプレーも見た。ゴール前のペナルティから、若い選手が突進したのだが、何と、赤パンツの選手が見事なタックルを決め、インゴールノッコンになったシーンだ。僕自身、レフリーをしていた間でも、ほとんどお目にかかったことがないシーンだったので、「これぞラグビー」と感激して、その後の我々のゲームの後で、思わず握手を求めてしまった。60過ぎてもあんなに激しいタックルができるものかと感じた。 僕達のチームは、2ゲームともトライ数で相手を上回った。僕は、ハーフのみの出場となったが、ラインアウト、アタック、ディフェンスともに、それなりに納得できる20分だった。試合後に、昔の仲間から、「スピードとコース取りがいつもよりも良くなっている。」と言われて、「ラグビースクールで練習している結果かなあ。」と答えながらも、オーバー40のゲームなので、昔に比べて好き勝手に動けて、思い切りがよくなったことが要因かと感じた。ゲーム終了後、アフターマッチファンクションに参加させていただいた。立派なクラブハウスで、試合のビデオを見て、楽しいお酒を頂戴しながら試合のことや、スクールの運営などを語り合った。本当に楽しいひと時だった。 ラグビースクールの生徒数が10年前に比べて激減している中、どのスクールもどうやってラグビーの楽しさを伝え、子供達の人数を増やすかというのが我々スクール関係者の悩みである。 今日招待していただいたスクールは、市の行政を動かし、NPO法人化してクラブ化し、ラグビーの普及に努めている。我々田舎のチームも、このような活動を参考にして、ラグビーを通じた人材育成の場を広く地域に提供し、貢献していけるようにしたいと感じた。 ラグビーというスポーツを通じて、今まで交わることのなかったメンバーがゲームを楽しみ、そして、ラグビーのこと、地域社会への貢献のしかた、子供達の育成、我々の思いを語り合う、そんな時間が本当に楽しいと感じている。 オーバー40チームに参加して、新たな発見を楽しんでいる自分がうれしい。この夏は本当に色んなことがあった。それだけに、今日参加するよう声をかけてくださった先輩や、参加できる環境を作ってくれた家族に改めて心の中ではあるが感謝したいと思う。追記:・神戸製鋼がサントリーを23対18で、ワールドがヤマハを6対3で破った。良いぞ神戸勢。これからだぜ!・ロッテが2対1で西武を破った。ホームでの先勝、ましてや松坂西武に勝ったのは立派だぜ。
2005年10月08日
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にこにこさんから回ってきました。3人に回すってのが難しいですが。。。Q1.あなたのポジションは?観戦専門の方は好きなポジションをお願いします。HOQ2.好きなチームはどこですか?国内外、チーム数は問いません早稲田大学、慶応大学、神戸製鋼、ワールド等Q3.好きな選手、憧れている選手、または尊敬する選手をあげてください。林敏之、平尾誠二、村田亙、マコーミック、山口良治(監督)、大西鉄之助(監督)、最近では、箕内拓郎。Q4.今まで観戦してきた中で、電気が打たれたほどに衝撃を受けた試合を教えてください。1981年の早明戦 大西魔術(テレビ観戦)1987年の雪の早明戦 激闘(国立)1987年のジャパン対オールブラックス 4対106の大敗(国立)他にも国内の色んなゲームを見てきましたが、学生時代のゲームがやはり印象深いかな。Q5.選手の方のみお答えください。プレーしたなかで良くも悪くも生涯忘れることがないと思われる試合を教えてください。小生が学生最終年のリーグ戦。ブロック無敗対決で14対22で敗れた試合。フッキングミスからサイドを割られてトライされたシーンは今でも時折思い出してしまいます。社会人になって所属したチームで、一度だけ監督、キャプテンからほめられたゲームがあります。但し、練習試合ですが。。。Q6.好きなグラウンドを教えてください。秩父宮も花園も好きです。試合前の雰囲気はたまりませんね。Q7.女性の方のみお答えください。ズバリ!彼氏(旦那)にするならFW、BKどっち??Q8.次に回す人を3人お願いします。う~ん。考えておきます。
2005年10月07日
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阪神が鳥谷選手のサヨナラ本塁打で3対2で横浜を破り最終戦を飾った。今岡選手は147打点の球団新記録、下柳投手も10回完投で15勝目を挙げ、最多勝をほぼ手中にした。87勝54敗5分、勝率.617は立派な数字である。下柳投手の今年の頑張りは凄かった。MVPは金本、今岡、藤川で争そわれているようだが、勝負どころの9月での老獪で安定したピッチングは見事であった。井川・福原の左右のエースが不調であったので、彼の功績は大きいと思う。(9月の月間MVPも受賞したようだ。)杉山投手や安藤投手といった若手の投手もシーズン通してローテーションを守った。ここに、太陽投手や能見投手など若手が絡めば、来年以降も楽しみが続くだろう。金本選手の40号は、バース、掛布選手以来だが、ラッキーゾーンが取り外された甲子園での結果はすごいと思う。今シーズンは結局1試合のみ(阪神対日本ハム)の観戦となったが、テレビでは結構楽しんだ。日本シリーズが楽しみである。20年ぶりの日本一を勝ち取り、元気を与えてもらいたいと願っているのは私だけではないだろう。追記:巨人の来年度監督が原辰徳氏に決まった。原・巨人対岡田・阪神の対決も楽しみだ。
2005年10月05日
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今日は、ラグビースクールの練習日だが、いつもの球技場ではない場所での練習となった。場所が、我が家から4kmくらい離れたところだが、息子と2人で自転車で移動することにした。練習場まで、小高い山を越えなければならない。息子が1年生のときは、ママチャリに2人乗りで移動したのだが、今日は、別々に自転車に乗って移動することになった。 8時半頃に出発したが、息子は荷物を背中に担いで峠を越える直前まで、一所懸命自転車を漕いだ。峠の直前になると流石に、僕も、息子も、運転できなくなり、手で押して峠に向った。 峠を越えると、まったく漕がなくても、どんどんスピードが増し、「まるでジェットコースターのようやなあ。」と息子も喜んでいた。9時前には会場に無事到着。ただ、到着直後は、しんどかったようで、「俺、今から練習きついな。」とこぼしていた。 息子も僕も2時間たっぷり練習した。 僕の担当する上級生は、基礎練習の後は、県大会に備えて、セットプレー(特にキックオフ)と地域別のコンビネーションプレーに集中した。 練習が終わり、帰り支度をしていると、別のコーチが声をかけてくれた。「このトラックの後ろに自転車を積んで送ったろか。」と。 僕は、帰りは山越えをせず、尾根伝いに遠回りして帰ろうと考えていたので、本当に有難かった。 息子にとっては、学校区域外へ自転車で移動するのはめずらしく、練習以上に楽しかったようだ。家内は、「へー、もうそんなことできるようになったん。」と息子の成長に感心していたようだ。 各学年ともに、県大会に向けた練習が本格化したようだ。我々スクールは、強豪ではないが、ここ数年は各学年ともに着実に力をつけてきていると感じている。秋祭りや学校行事などとも重なる時期だが、ぜひ、練習の成果が発揮できるよう導いていきたいと考えている。
2005年10月02日
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今日は、朝から会社に出社した。午後、指圧マッサージを受けた後で、英会話学校に出かけた。授業の中でペットの話になった。 我が家では、メスの鶏を1羽飼っている。 娘が小学低学年の頃に、近所の夏祭りで配っていたひよこを2羽もらったのが発端だった。 その時、家族4人で夏祭りに出かけていたのだが、家内と娘が2羽づつ手にするので、「1羽ずつにしてくれ。」と頼んで我が家に持ち帰った。家内は子供の頃に、雄の鶏をひよこから育てた経験があり、僕も幼少の頃に祖父母の家で飼育していたのを経験していたので、育てることに違和感はなかった。 最初は、ダンボールで作った箱の中で育てた。夏のキャンプにも、箱ごともってでかけ、旅行途中の公園や、サマーキャンプ会場で放すとたちまち周囲に人だかりができ、人気者(人気鶏?)となった。 その後、鳥小屋で飼育したが、やがて成長して手狭になったので、近所の現場から木屑をもらい、ホームセンターで材料を買って、手作りの鶏小屋を作ってあげた。 2羽のペットは、やがて毎日卵を産むようになった。 産みたての卵は、味が濃く本当においしかった。(が、そのうちに、産んだ卵を自ら食べるようになり、我々家族と取り合いになることもしばしばあった。) 彼女たちは、近所の子供たちの間でも人気者であった。 夏には、娘が学校から帰ると、必ずといっていいほど毎日、家内が近所の子供達を引き連れて、虫取りに行った。取った虫は、彼女たちの餌にされた。(何て残酷。) その頃、我が家では、生ごみは土に返し、ミミズや虫を鶏が食べ、産んだ卵を我々が食べるという、リサイクルシステムを実現させていた。彼女達は、トカゲやバッタ、カエル、ダンゴ虫など、ありとあらゆるものを食べた。 家族には順番をつけ、僕>家内>娘>鶏>息子の順で息子が近寄ると必ず追いかけて突いた。僕も何度か突かれたが、回数は、上述した順で多くなったようだ。(まるで犬のようだ。) 鶏たちは、暖かい昼下がりに庭に放すと、気持ちよさそうに砂浴びをした。その姿を我が家に遊びに来ていた兄が見ていて、「砂浴びしているところなんて、何年ぶりに見たやろうか。」といって教えてくれた。幼少の頃の祖父母の鶏のことを覚えていたようだ。 娘が小学4年生の秋頃に1羽が病気になった。腹水がたまる病気だった。状態がおかしいことに娘が気づき、病院につれていきたいといい始めた。病院では、診察をし、レントゲンを撮ってもらい、腹水を抜いて薬を処方してもらった。先生は「もっても2~3週間でしょう。」といっていた。それから1ヶ月半くらい生きていただろうか。2度病院につれていったが、最後の診察のときに、先生に「この娘(鶏)は、いい家族とめぐり合えてよかったね。」と娘と鶏に言いながら腹水を抜いてくださった。 数日後の冬の寒い朝、単身赴任先に娘から電話がかかった。娘は泣きながら「お父さん、△△が死んでん。朝世話しにいったら、身体が硬くなって横たわっててん。」と絞るような声で叫んだ。そして、また泣いた。その日の夜、単身赴任先から戻り、娘と一緒に庭の隅に埋めてお墓を作ってあげた。ところが、翌朝、庭を見ると、蛻の空となっていた。(猫かイタチか、カラスに持っていかれたようだ。)娘にわからぬように墓をもとに戻しておいた。 あれから、5年がたった。 今では、残った鶏も7歳、立派なお婆ちゃんだ。 娘も、家内も、ここ数年、鶏の世話をしなくなった。 娘は部活が忙しくなったことが理由だが、家内の場合は、1年ほど前に、世話をしていた時に自分の頭に飛び乗られたことが許せないらしい。「鶏の分際で。。。」と逆鱗していたことを思い出す。(子供達と、「お母さんの頭の上に乗るなんて、何と大胆なことを。」と言っていた。) 彼女の餌と水交換は僕の日課となった。 毎朝、僕が起きて行動を開始すると、恨めしそうな鳴き声で僕を呼ぶ。 最近の彼女はすっかりおとなしくなったが、それでも僕が行くとうれしそうに小屋の中を飛び跳ねる。そんな仕草がかわいいと感じる。 7年前の夏祭りでヒヨコを2羽もらったおかげで、随分、家族の心が和むことが多かった。そして、娘にとっては、動物や生態系に対する感心をもつきっかけとなったようだ。(息子は、突かれる恐怖から、4年生になった今でも近寄らないが。) そんなペットの話を英会話ですると、先生方も生徒の皆さんも興味をもって話を聞いてくれる。このネタを今までに何度使ったことか。今日もまた、新しい先生に我が家のペットについて紹介した。このネタはなかなか重宝している。追記:やっと阪神対ヤクルトの試合が終わったようだ。結果は10対5。安藤が復帰戦を白星で飾り11勝目を上げた。金本選手は39号を含む4打点の活躍で大台にあと1本とせまった。MVPはやはり金本選手か。早稲田が青山学院から17Tをあげ、99対19で圧勝したようだ。また、ワールドは、NECに6対27で完敗した。どうなる関西勢。
2005年10月01日
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昨夜のスポーツニュースで今年の岡田采配について、掛布雅之氏が解説していた。シーズン前の岡田・掛布対談における構想では次の5点を語っていた。1)5番サード今岡:今岡選手をセカンドからサードにコンバートし守備の負担を軽くし打撃に集中させる。そして、出塁率の高い金本選手の後を今岡選手に打たせて確実に得点につなげる。結果は、金本選手の得点が9/29現在で117でリーグトップ。もちろん今岡選手の打点144で見事に機能した。2)ファーストシーツ:守備の良いシーツ選手をファーストにコンバートして固定する。彼がショートを守るような場合は、阪神の調子がよくない。結局、一年間、ファーストシーツは動かなかった。彼の美技に何度救われたことか。現時点で打率290、打点85、本塁打19も十分の働きだろう。3)藤本・鳥谷の二遊間:キャンプで岡田監督が鳥谷選手と藤本選手に指示したのは「2人でコミュニケーションをよくとれ。」ということだったそうだ。3割の実績ある2番ショート藤本を8番に下げ、鳥谷選手を2番で使い続けた。これが見事に機能した。2人とも若いので、当分この二遊間コンビは安泰だろう。(あ、関本選手もいたなあ。すごい層の厚さだ。)4)JFKのリリーフ陣:6回までにリードしてから、この3人につないだ場面での勝率は9割を超えていた。見事な勝利の方程式の完成だった。この構想は、オリンピックの時期にウィリアムスと安藤不在のリリーフ陣を藤川、久保田で凌いだ際、2人が自信を持ったことに端を発しているようだ。藤川投手の化けようはすごかったし(何で球速が10キロ/時以上も上がり、変化球、選球力もあんなに良くなるのかと感じたのが正直な感想である。)、久保田投手のストッパーも性格とフィットしていると思った。もちろん、左のウイリアムスの存在の大きさは計り知れない。吉野が調子を落としていたが、桟原、江草、新人橋本が加わり最強のリリーフ陣となった。5)太陽・能見の出現:唯一、岡田構想で結果がでなかったのが、藪・伊良部に変わる先発として期待された太陽(1勝)、能見(4勝)両投手だったようだ。ただ、太陽投手は怪我と戦いながら、能見投手は新人というハンディがある。安藤投手が登録抹消された後の、能見投手の2勝は価値あるものだと思う。昨日の放送では、下柳投手の活躍がこの穴を埋めたと解説していた。今年のシーズンは上述した岡田監督の構想が見事に的中し、その結果としてリーグ優勝を果たしている。今岡選手のように2軍監督時代からの信頼関係の下に、監督を胴上げしたいと頑張る選手も多かったようだ。岡田監督は舞台を準備し、選手を信頼して育てるタイプの監督であるようだ。彼のマネージメントから、学ぶところは多い。パリーグのプレーオフが楽しみであるが、どこが来ても、今年の阪神は対等に戦えるのではないかと思う。生え抜きの若手選手も成長してきているので、数年は楽しみは時代が続くのではないだろうか。追記早稲田大対青学大のメンバーが発表された。曽我部君がSOスターターとして公式戦に出場する。百合君は立教大戦に続いての登場だ。松本君もFLで帰ってきた。そしてFBに高津君(理工・2年)が抜擢されている。こちらも層の厚さを感じる布陣だ。
2005年10月01日
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