ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.02.22
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カテゴリ: 外国史
ハイチに贈る (38)

ここで蜂起にいたる時期の、ハイチ(当時のサン・ドマング)の人口構成を確認しておきたいと思います。植民地時代のサン・ドマングの人口構成は、白人、ムラート(白人男性と黒人女性の混血)を中心に1部解放黒人を含む有色自由人、黒人奴隷の3者で構成されます。

これはサン・ドマングに限らず、この時期のカリブ海植民地に一般的な形でした。白人の大部分はフランスからの植民者(コロン)で、プランテーションの経営者、植民地行政を担当する官吏、貿易商人などでした。

さて、サン・ドマングの総人口を見ると1681年の6,648人から1788年の455,053人まで、約100年で70倍近くに増えています。1年後の89年には、さらに3万5千人増の490,103人と74倍にまで膨らんだいます。

これを構成人口別に見て行くと、白人は4,336人から30,826人と7倍にしかなっていません。ムラート中心の有色自由人は210人から24,848人と118倍に、黒人は2,102人から434,429人と207倍にまで急増しています。

ところで統計の揃う1788年にゆいて、サン・ドマングの総人口と、他のフランス領植民地の総人口を比較すると、グァドループが101,971人、マルティニーク88,870人、トバコ3,951人ですから、サン・ドマングの人口が、抜きん出て多いことが分かります。

内白人は27,717人ですから全体の6,1%、ムラートらの有色自由人は21,808人の4,8%、黒人奴隷が405,564人で89,1%となります。白人1人当りの黒人奴隷数は14,6人になります。マルティニークやグァドループなど他の仏領植民地、そしてジャマイカ外の英領植民地で同じ比率を求めると、6倍~8倍の間に収まります。ですから、抱える奴隷人口でもサン・ドマングは他に比べておよそ2倍もの奴隷を抱えていたことになります。

こうした黒人奴隷を使って、プランテーションではどのような作業が、そして生活が営まれていたのでしょうか。明日はその点を考えてみることにしましょう。
                               続く





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最終更新日  2010.02.22 19:15:43
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