19世紀のアメリカ(48)
第2章 明白なる天命…9
ところで、近代社会における奴隷制度において、奴隷は決して従順に奴隷主の命令に従う存在ではありませんでした。フランス革命期のハイチの黒人革命については、先般連載した通りです。ハイチの黒人革命は、カリブ海周辺の奴隷制度を大きく揺るがしました。
それは米国南部地域にも確実に飛び火し、1800年にはヴァージニアで、奴隷の大規模な暴動が起き、州兵が出動してようやく鎮圧する騒ぎが起きました。また、1822年にはサウスカロライナのチャールストンで、奴隷の叛乱が起きました。
そして、1831年に再びヴァージニアで起きた奴隷反乱は、南部の白人社会を大きく揺るがす事件となったのです。ナット・ターナーと呼ばれた黒人奴隷を首謀者としたこの叛乱は、30名を超える白人を惨殺して、プランター層のみでなく、黒人奴隷を蔑視することに、自らの存立基盤を見出していた白人層全体に、大きな不安を呼び覚ましたのです。
黒人は叛乱予備軍であること、黒人奴隷は必ずしも従順な存在ではないこと、この2点を強く意識した南部の白人支配層は、強制的で暴力的な黒人支配システムを、南部社会に広く流布させていったのです。
時代と共により精緻になっていく、奴隷法と呼ばれる州法の体系がそれでした。その一例として、ここでは」1824年制定の、ルイジアナ州の法を見てみましょう。
1、奴隷は契約を結ぶことは出来ない。 2、奴隷自身が所有者の財産であるので、奴隷が財産を所有することはありえない。 3、奴隷は法廷でいかなる意味の権利も主張できない。また証言に立つことも出来ない。 4、奴隷は、民事上の訴訟を起すことは出来ない。 5、奴隷は、奴隷主の同意を得ることなく、結婚することは出来ない。
奴隷主とその家族は、このような形で、黒人奴隷を全人格的に、かつ肉体的に従わせて所有した時、彼らは日々の立ち居振る舞いまで黒人を蔑視し、支配することを、彼らの基本中の基本の規律として、生きることになります。
そこでは、黒人は支配し、従わせる存在としてしか、意識されないのです。そればかりか、黒人奴隷を蔑視し、従わせることは、自分達ばかりでなく、奴隷を所有しないその他大勢の白人達にも、守るべき原理として提示されていたのです。
南部の奴隷制度は、このように極めて非人間的な、忌むべき制度であったのですが、そうした制度を抱えた南部社会が、19世紀の前半期に、西へ西へと大きく膨張を続けていたことは、否定できない現実でした。 次の表をご覧下さい。

この表は、南部15州の1810年と60年の奴隷人口(単位千人)と、全人口に占める比率を表示したものです。1810年の人口が「不明」とされたいるアラバマ、フロリダ、テキサス、アーカンソーは、まだ未開拓だったことを示しています。
奴隷の人口比率が高い諸州は深南部とか高南部と呼ばれ、今日なお、黒人のみに留まらない、非白人に対する差別意識が、非常に強い地域となっています。そしてジョージアからサウスカロライナ、アラバマ、ミシシッピー、ルイジアナへ続き、やがてテキサスに至る一帯は、黒人奴隷を使役した綿花プランテーションの中心地域として、爆発的な勢いで開拓されていったのです。
続く
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