ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.12.27
XML
カテゴリ: 国際政治
クロニクル ソ連軍アフガンに侵攻  2

1979(昭和54)年12月27日

42年前のこの日、アフガニスタンで親ソ連派のクーダタが発生、クーデタ派の要請を受けたとしてソ連軍は直ちにアフガニスタンへの侵攻を開始しました。

アフガンでは、前年4月に親ソ派政権が誕生、土地改革など社会主義寄りの政策をとったのですが、これに不満を持つイスラム系勢力が反政府活動を続け、この年9月に親ソ政権を打倒、民族主義色の濃い政府が誕生していたのでしす。

それだけにこの日の親ソ派のクーデタは、ソ連の丸抱えによるものと推測されました。イスラム系に多い民族主義諸勢力はジハード(聖戦)を合言葉に山岳地帯でゲリラ戦を展開、大軍を展開できない山中のゲリラ戦で、圧倒的なソ連軍の武力を無力化してゆくことに、次第に成功して行きます。

10万人に及ぶ兵力を展開してなお、情勢の悪化を防げず、消耗しきったソ連軍は、10年後、ゴルバチョフ政権の下でアフガンから撤退することになります。当時「アフガンは、ソ連にとってのヴェトナムだった」と言われ、ソ連社会主義崩壊の原因の一つに数えられました。

ところで、ソ連軍撤退後のアフガンでは、諸勢力の権力争いで国内が混乱し、血みどろの闘争を展開したのですが、この混乱を収拾したのが、徹底的に汚職と腐敗を排除したイスラム原理主義勢力のタリバンでした。

タリバン政権にも問題はありましたが、ソ連侵攻後、20年以上に及んだ戦乱と社会的混乱を収拾し、アフガンに平和と民衆生活の安定を齎し、庶民の支持を得ていた政府だったことは確かです。

9/11を理由にアメリカはこのタリバン政府を倒し、再びアフガンを治安劣悪で安心して生活できない地にしてしまったのです。日本では、カルザイ政権のプラス面のみが、誇張して伝えれていますが、カルザイ政権の安定した支配領域は首都カブールとその近在のみに、限られています。しかも汚職にまみれたカルザイとその側近たちに、国民の支持はゼロに等しいのが現実です。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.12.27 03:41:32
コメント(6) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

喉が痛い、イガイガ… New! 5sayoriさん

「長い夜」 New! でぶじゅぺ理さん

名古屋市 戸田川緑… New! トンカツ1188さん

公明党には、「国民… New! わからんtin1951さん

久しぶりの美容院。 New! naomin0203さん

コメント新着

葉月 生 @ Re:ご無沙汰しました(08/15) 神父さま お帰りなさいませ。 1ヵ月に1回…
kopanda06 @ Re:石破辞任(09/09) お久しぶりです。 降雨の中、高見観音の…
吉祥天2260 @ Re:石破辞任(09/09) どの人見てもなんだかねぇ・・・ 国のこと…
わからんtin1951 @ Re:石破辞任(09/09) テレビを観ていると、総裁選のことばかり…
naomin0203 @ Re:石破辞任(09/09) 世論的には支持があった石破さん。 党内紛…

バックナンバー

・2025.11
・2025.10
2025.09
2025.08
・2025.07

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: