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雨順斎全長

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クリトリーズ@ これなんて錬金術?? > 教えてくれた人 書き込み消えてるか…
むらかみ@ Re:どうなるの? 城の維持も十人十色。 あなたならどうし…
藤林 結 @ Re:どうなるの?(05/02) お帰りなさりませ。 平和な時代(?)と…
気まぐれ管理人@ 征夷大将軍太郎さん ワシのイメージですか・・・ ワシの方こ…
征夷大将軍太郎@ お世話になれいました 伊賀ニンニンオフの幹事、お城の説明どう…
2003.08.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
なんか、この日記書きもだんだんめんどくさくなってきた・・・

ということで、

松代城は戦国時代には「海津城」と呼ばれ、北信濃に進出した武田信玄が永禄3年(1560)軍師の山本勘助に命じて築かせたもので、武田二十四将の一人高坂弾正を海津城主とした。上杉謙信の攻撃に備えて川中島四郡の要の地に築いた城で、第四回川中島の合戦では、武田軍はこの海津城に集結した。
 天正10年(1582)の武田氏滅亡後は、織田信長の武将森長可(ながよし)が海津城主となったが、同年6月に本能寺の変で信長が倒れると、海津城は上杉景勝が支配するところとなった。
 その後、豊臣秀吉を経て徳川家康が支配する時代になると、家康は上杉景勝を牽制するため、森長可の弟森忠政に川中島四郡13万7千石を与え海津城主とした。
 慶長8年(1603)森忠政が美作津山に移り、替わって徳川家康の六男松平忠輝が海津城主となる。その後、城主は頻繁に交替するが、元和8年(1622)真田幸村の兄で、関ヶ原の合戦・大坂の陣で徳川方についた真田信之が信州上田から10万石で入封。以後、真田氏10代の居城として明治維新を迎える。
 なお、城の名を松代城と改めたのは正徳元年(1711)真田氏三代幸道の時からである。

海津海津2

現在、海津城は工事中で、本丸内には入れません、外側から写真を撮るくらいなら、工事業者の方に一言言えば取らせて貰えます。





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Last updated  2003.08.23 23:47:24
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