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本日、トレンクル退院。 昨日、自転車屋さんから電話があり、トレンクルの修理が完了したとのことであったので、今日、引き取りに行って来ました。 9月10日の入院でしたから、9日間の入院でありました。 入院治療費は3万5千円でした。<参考>トレンクル入院 2022.9.11.(退院して来たトレンクル) 故障部位は、ハンドルの折りたたみ部位の台座でありましたが、台座だけの交換というのではなく、ハンドルそのものの取り換えということになりました。台座、連結部ストッパー金具、ハンドルは一つのセットになっているようで、ハンドルの交換という「治療」になったようです。(故障部位) 〇印部が故障部位。ストッパー金具を下げてハンドルを折りたたむと台座が現れます(下掲写真)。ご覧のように新しい台座に交換されています。(台座部分) 写真では、台座側面にひび割れのような黒い筋がありますが、これは左側が少し高くなっている関係でその影が光線の具合で黒い筋のように写り込んだもので、ここにひび割れがある訳ではありません。<参考>自転車関連の過去記事はコチラ。We stand with Ukrainians.
2022.09.19
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宿泊を伴う場合のヤカモチの銀輪散歩は、ホテルに宅配便で軽量折りたたみ自転車・トレンクルを送って置き、それをホテルで受け取って走るというのが最近のスタイルである。 以前は、電車移動であれ、飛行機移動であれ、自転車を輪行バッグに収納して持ってゆくということをしていたが、宅配便で送ることが可能であることを知ってからは、これを利用することが多い。 先般、新潟から山形方面を銀輪散歩しようと、宅配便でこれを送ったところ、受け取ってみると、折りたたみハンドルの「折りたたみ連結部」の台座部分が割れて、ストッパー金具が脱落してしまって用をなさない状況になっているという不運に見舞われ、銀輪散歩を断念するという最悪の旅になってしまったのでした。 帰阪して、昨日、そのトレンクルを馴染みにしている自転車屋さんに持ち込み、入院させて来ました。 このトレンクルは、もうメーカーが生産を中止しているので、修理部品が調達できるのか、不明。自転車屋さんも明確なことは言えないようで、追って連絡するとのこと。(トレンクル、折りたたんだ状態)(折りたたんでいないトレンクル) 上の写真の〇部分がハンドル連結部。 ストッパー金具を下げて、ハンドルを折りたたむと、台座が現れる。(台座部分) 割れて脱落した台座破損部分とストッパー金具をはめ込んで撮ったのが上の写真。破損部分を取り外したのが下の写真。(台座破損部分を取り除いた状態) ストッパー金具が、今にも外れ落ちそうになっている。 勿論、この状態ではなく、輪行バッグから取り出した時には、ストッパー金具と台座破損部分が外れて、バッグの底に落ちてしまっていたので、下のような状態でした。(台座破損部分とストッパー金具が外れ落ちた状態) これでは、ハンドルを立てても上下を固定することができず、2枚目の写真の「折りたたんでいないトレンクル」のようにはなりませんから、自転車としての用をなさない。(台座破損部分の欠片とストッパー金具) まあ、人間で言えば、膝のお皿が割れ、上肢と下肢を連結する筋肉が断裂してしまって、足が立たないようなものか。 このような事故は以前にも起こしている。その時は、宅配便の輸送中ではなく、直江津から糸魚川への銀輪散歩で、糸魚川のホテルに到着して、自転車を折りたたもうとしたら、台座が割れていて、ストッパー金具が脱落したことで、そのことに気づいたのであるから、走行中の何処かで、台座が破損していたのであった。 その時にも写真撮影して、ブログにそのことを掲載しているので、同じような割れ方であることが分かる。<参考>直江津から糸魚川へ(その1) 2010.11.14.(上の参考記事掲載写真) 写真を比べてみると、よく似た割れ方をしている。 今回は、以前の割れ方に比べて、台座中央の切れ込み部分のより浅い部分から割れているので、破損欠片は少し小さめである。 いずれにせよ、この部分が割れやすいということを示している。 そんなこともあって、宅配便で送る時は、この部分を保護するクッション材で防護して、「ワレモノ」という区分指定をして送っているのであるが、今回は、「ワレモノ」指定はしたものの、クッション材での防護をしないまま送ってしまったのでありました。 輸送中に、この部分に何らかの強い衝撃が加わり、割れたということが考えられるが、長らくの使用で金属疲労を起こしていた可能性も否定できない。
2022.09.11
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今日はお盆のお墓参り。 毎月初旬の月例の墓参に加えて、お盆にも墓参をするので、今月二度目となる墓参。通常は自宅から徒歩で墓に向かうのであるが、今日は6月4日以来のマイCB(クロスバイク)による墓参であります。 と言っても、自転車には厳しい急坂を上らなくてはならないので、CBに乗ってというのは、途中の寺付近までで、アトは手押しスタイルで歩くことになる。その途中の寺の門前の言葉は、更新されず先月2日の墓参で見たものと同じなので、撮影せぬまま通過。(マイCB<クロスバイク>) お盆とあって、いつになく墓参の人の姿が多い。自家用車やタクシーでやって来る人も多く、坂を上って来る途中で、墓参から帰る人の車と4度もすれ違いました。狭い道なので、車が来ると道のへりに身を寄せて車を通さなくてはならない。 道幅は、対向車とすれ違える広さではないので、辻など何ヶ所かの少し広くなっている場所でしかすれ違えないから、車での上り下りも今日のような墓参の多い日には、必ずしも楽ではないだろう。 墓参を済ませて坂を下る。幸い途中タクシーが1台上って来ただけであったので、スムーズに走り下れました。一気に、瓢箪山の商店街まで走り下る。 実は、自転車での墓参には理由があって、郵便局に行く用事があったからである。ヤカモチの出身高校の同窓会の年会費と運営賛助金を送金するためである。 その同窓会総会は9月25日に予定されている。コロナ禍ということで懇親会はなく、総会議事と講演会のみで開催される。この点は先般の大学の同窓会と同じ形式である。 今、高校野球、夏の甲子園が開催中であるが、NHK高校野球解説者としてTVでもお馴染みの長野哲也氏が講演されるらしい。長野氏と卒業年次が同じ期が今年の総会の幹事役ということで、同期のよしみで講師をお引き受けになったのでしょう。ヤカモチは高校の同窓会総会はながらくご無沙汰しているが、今回も多分欠席することになりそうです。 郵便局からの帰りは、自宅に向かって坂道を上ることになる。途中で脇道に入って、河内寺廃寺跡のベンチで小休止。汗を拭って水分補給。(国指定史跡・河内寺廃寺跡) 河内寺廃寺跡は以前に紹介しているので、それをご参照ください。 <参考>河内寺廃寺跡 2017.8.23. ヤカモチが子どもの頃は、ここは何の変哲もない水田で、この付近のことをお年寄りたちは「こんてら」と呼んでいました。 かわちでら→こうちてら→こんてら、と訛ったのだろうが、子ども心には、意味不明の何やら不思議な音の響きでありました。 河内長野を経由して高野山へと至る東高野街道から数百メートル東に入った位置にある廃寺跡である。(河内寺廃寺跡から見た今日の空)墓参(ぼさん)すみ しばし憩(いこ)ひの 河内寺(こんてら)の 跡に眺むる 夏の白雲 (偐家持)<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。 自転車関連の過去記事はコチラ。
2022.08.13
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今日は墓参の日。 今日の墓参は自転車(マイCB<クロスバイク>)で出かけました。 墓参の後、整形外科へリハビリ治療に向かうために自転車でということでありました。墓地は長い急坂道を上るので、途中からは押して上がることになるのだが、門前の言葉の寺の前までは乗ったまま漕いで上がる。 しかし、寺の向かいの分譲住宅建設工事中のところまでやって来たところで、コンクリートブロックか石のタイルか何かそのようなものを電動ドリルか電動ヤスリで削って居られる作業の最中に遭遇。 石の粉塵が白煙のようになって道に漂っている。防塵シートで覆って作業をするか、水を掛けて粉塵が舞わないようにするのが、こういう場合のルールだと思うが、ちょっとの間だけのことであるということから、そのような手間を省いての作業であったのだろう。 しかし、そのちょっとの間にたまたま出くわしてしまった不運なヤカモチ。この粉塵の煙の中を通り抜けるのにたじろいで、思わず自転車を降りてしまったが、待っていても煙がいつ収まるのか分からない。是非も無し、息を止めてその煙の中を足早に通り抜ける。 通り抜けた先が例の「門前の言葉」の寺である。 本日掲示の門前の言葉はこれ。(門前の言葉)石のような心よりなかったと自覚する以外に道はないそれが水の心である --仲野良俊-- これまでの自身の心が石のように頑なで傲慢な心以外のなにものでもなかったと自覚することによって道は開ける。水のように柔軟で謙虚な心であれ、ということか。 ヤカモチの語感では、「~以外のものはない」という意味の「~よりない」は、「歩くよりなかった」「黙っているよりなかった」などのように、動詞の次に来るのが自然で、名詞に続く使い方は余り見かけない気がするのだが、まあ、このような言い方もあるのでしょう。 それはさて置き、石の煙を潜り抜けたばかりのヤカモチとしては、「石の煙のような粉塵を潜り抜けるよりほかないと自覚する以外に道はなかった。願わくば、水を掛けつつ作業をして欲しかった。」のでありました(笑)。(今日の墓地からの眺め) よく晴れて、六甲の山々や淡路島も見えている。 風もさやかに吹いている。(今日の墓参の相棒はマイCB) はい、今日の相棒はCBです。 最近は、CBで銀輪散歩をすることが多い。 そんなことで、もう一方の相棒、MTB(マウンテンバイク)の出番が少なくなっている。 これは、我が家の庭の自転車置き場の関係で、MTBが奥の方に置かれていてCBが近い場所に置かれているということから、ついつい手前のCBの方に手が伸びるということのためで、MTBよりもCBの方を好んで使っているというようなことではありません。 墓参を済ませて、坂道を走り下る。(枇杷の実) 途中のテニスクラブの近くの枇杷の木に実がなっていました。 季節の巡りは早い。うち日さす 墓参の道に 枇杷の実は はや熟れゆくか 見る人なしに (偐家持)(注)うち日さす=道にかかる枕詞。 走り下って、整形外科クリニックへ。 左手親指の第二関節が腱鞘炎になってしまい、痛むので数日前からリハビリ治療に通っています。 足底筋膜炎による足裏の痛みが軽快せず、整骨(体)院にも相変わらず通院中ですが、加えて手の腱鞘炎。これぞまさに足手まといという奴ですが、足繁く通い、手を尽くすのほかなきものと相心得候へども、なかなか軽快せぬものにて御座候(笑)。 クリニックでのリハビリ治療を終えて、花園中央公園経由で、喫茶・ペリカンの家へ。(花園中央公園のハナショウブ) ハナショウブが咲いて、水路にはメダカが沢山泳いでいる。 メタセコイアは緑濃く、空は青く・・。 ペリカンの家でランチ&珈琲。 店のお手伝いをされている坂の郎女さんとは久しぶりにお顔合わせでありましたが、お元気そうで何よりでした。 店主のももの郎女さんは明日(5日)は甲山にハイキングにお出かけだとのこと。 店を出た後、加納緑地や緩衝緑地公園などをぐるりと回って帰宅。(加納緑地 5月7日撮影のもので今日の写真ではありません。) ハンドルを強く握ったり、凸凹道で自転車が強く振動したりすると、左手親指に圧力が掛かって痛みが走るので、銀輪散歩もイマイチ調子が出ないのでありました。 最後に、今日の写真ではありませんが、先月の新潟銀輪散歩の折に撮ったタブノキの新芽の写真を、便乗で掲載して置きます。 鳥屋野潟公園で見かけたタブノキです。(タブノキの新芽)(同上) タブノキは、万葉集では「つまま<都万麻>」である。 常緑高木で海岸付近に多く生えている。磯の上の 都万麻を見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり (大伴家持 万葉集巻19-4159) 上の家持の歌にもあるように、つままは神の宿る木でもあった。 万葉人は、年月を経た常緑の高木には神が宿ると考えたようです。 花は4~5月に咲くらしいので、探してみましたが、見当たりませんでした。この新芽の中に花芽が隠れているのだろうか。(同上)<追記:2022.6.6.>上はタブノキの新芽ではなく苞のようです。この中に花の蕾が入っています。 以上です。<参考>カテゴリ「自転車」の過去記事はコチラ。 墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2022.06.04
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今更ではありますが、わが銀輪散歩の相棒三羽烏を紹介して置きます。 古い順に列挙すると、先ず、トレンクル君。(トレンクル) これは、主に旅先で使います。 近隣でも、自宅から電車などで移動し、そこから銀輪散歩、という場合もこいつが相棒となります。 自宅から銀輪で、という場合には、トレンクルの出番は少なく、次の、MTBまたはCBが相棒となります。(マイMTB<マウンテンバイク>) トレンクルはいつ頃からの付き合いになるのか定かではないのですが、多分30年近いのではと思います。これに対して、MTBは、当ブログを始めた後に購入しているので、ブログを遡ると、いつからの付き合いなのかすぐにわかる。 2008年3月30日購入(受領)で、初乗りが同年4月3日であるから、ほぼ13年の付き合いということになる。<参考>新しい自転車で桜道ゆく 2008.4.3. これを購入するまでは、友人の偐山頭火氏との銀輪散歩もトレンクルでお付き合いしていたので、スピードがついて行かず、大変でありました。 MTBが故障入院した折に、翌日の囲碁例会に乗って行くべしで、衝動買いしたのが、次のマイCB。(マイCB<クロスバイク>) マイCBは昨年(2020年)11月3日購入ですから、まだ5ヶ月ほどの付き合いに過ぎません。 オフロードを走る可能性が高い場合は、MTBが適していますが、囲碁例会など舗装された市街地の道路のみを走る場合はCBで十分。ということで、囲碁例会に出席するための梅田への往復銀輪散歩も、このところは、もっぱらこのマイCBを使っています。<参考>囲碁例会・新しい相棒と 2020.11.4. 囲碁の世界では、「令和三羽烏」と言えば、芝野虎丸、許家元、一力遼であり、平成四天王(張栩、山下敬吾、高尾紳路、羽根直樹)や井山裕太に続く実力棋士として期待される若手三人のことであるが、わが家の「銀輪三羽烏」は、トレンクル、MTB、CBの3名なのであります。 このところ、銀輪散歩のブログ記事も些か少なくなっていますが、これからは、銀輪散歩にもよい季節、これらの相棒と一緒に、花や万葉の故地などを巡って参りたく存じます。<注>依然としてフォト蔵の写真表示が正常化されて居らず、特大サイズ(2014×768)の写真が表示されません。従って、当記事についてもフォト蔵写真の画面とはリンクを貼って居りません。正常化され次第、リンクを貼ることとします。<追記注:2021.3.15.>フォト蔵写真の表示が正常化しましたので、リンクを貼りました。
2021.03.10
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馴染みの喫茶店「ペリカンの家」の常連さんで小生とも面識のあるお方の一人に冨麻呂さんというお方が居られる。先日(21日)、ペリカンの家に立ち寄ると彼が昼食に来て居られました。同席して雑談。その話の中で、同氏が愛用されていた自転車が盗まれてしまったということを知る。 それで、我が家で使われることもなく殆ど眠ったままになっている小型折りたたみ自転車・ブリジストン君があるので、それでよければ差し上げる旨を申し出る。(ブリジストン君) この自転車は20年以上も前に購入した古いもの。 トレンクルを買って以来、この自転車を使うことは殆どなく、無用の代物となっている。 今回、他人様に差し上げる以上、パンクなど故障があってはいけないと調べてみたら、長らく折りたたまずに軒先に駐輪したままになっていた所為で、折りたたみ部分のカバーが錆び付いてしまって動かない。どうやら折りたたむことができない自転車となり果ててしまっているよう。 後輪のタイヤがペコペコになっていたので空気入れで空気を入れると固くなったが一夜明けると心なしか空気が少し減って柔らかくなっている感じ。 念のためと自転車屋さんに立ち寄って、パンクしていないかなどを調べて貰った。パンクはしていなかったよう。(同上) 上の写真で、前カゴに入れてあるのは、この自転車を折りたたんで運ぶ場合の収納袋。折りたためないのであれば無用の長物であるが、一応セットで冨麻呂氏には引き取って貰うこととします。 不要であれば捨てていただくことにしましょう。 近隣を走る程度なら、この自転車でも十分に用を果たせるかと。 ということで、自転車屋経由で、これに乗って喫茶・ペリカンの家へ。 店主のももの郎女さんにこれをお預けして、次に冨麻呂氏が来店された時にお引渡しいただくようお願いしました。 ひろみの郎女さんにお渡しするマンホールカードと同様の「シロネコカワチのペリカン便」方式である(笑)。 ペリカンの家から帰宅すると、生駒の叔母が来ていて妻と談笑中。お墓参りの途中に立ち寄ったとのこと。 脊柱管狭窄症の手術、リハビリを経て、叔母もようやく出歩くことができるようになったのは喜ばしいことである。 叔母の夫(ヤカモチから言えば叔父であるが)のお墓は、我が家の墓がある墓地に隣接した墓地の中にある。ということで、叔母のお墓参りにお付き合いすることとする。(墓地)(墓地) 道端に咲く野の花などを楽しみながらのお墓参りでありました。 大阪も今日ようやく桜の開花宣言がありました。満開まではアト数日を要するようで、桜の花を楽しみながらとは参りませんでしたが、墓地の南側の木立の一角に桜のような花が咲いていました。(桜のような花) 今日は、自転車と墓参の話でした。<参考>自転車関連の過去記事はコチラ。
2020.03.23
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愛車・MTB(マウンテンバイク)が入院しました。 若草読書会の課題図書が五木寛之「百寺巡礼」第1巻奈良編(講談社文庫)と決まったので、昨日はこれを購入すべく布施のひばりや書店までMTBでサイクリング。 一昨日は、銀輪散歩のついでに石切の喜久屋書店に立ち寄って探したのだが見当たらず。布施のひばりや書店ならあるかと出掛けたのですが、ここにもありませんでした。仕方ないので、取り寄せて貰うこととしました。 必要なのは第1巻の奈良編だけですが、国内のお寺の分が全10巻あるようなので、ついでに全部を取り寄せて貰うこととしました。丁度よい機会なので、全部を読んでみることにします。 と言っても、読書会は12月1日なので、それまでに全部を読み切ることは無理でしょう。課題図書は第1巻だけなので、まあ、最低限それだけを読めばいいのではある。 帰途、小阪駅前まで帰って来ると、だんじりが2台出ていました。 何処の神社のお祭りかは知らぬが、「御厨」地区と「新家」地区のだんじりのようです。両者が鉢合わせしたので、相互に挨拶を交わしているのか、だんじりの屋根にいる若者が、何やら軽妙な振り付けの「踊り」というか「舞い」というか、即興の「振り」を交換していました。(近鉄・小阪駅前のだんじり) 法被の背中を見ると、右側は「御厨」とあり、左側は「新家」とあるから、その地区のだんじりであることが分かる。(同上) 暫く眺めてから、東へ。 瓢箪山駅近くの馴染みの自転車屋さんへ。 というのも、ディスクブレーキの調子が悪いのか、何やらシャンシャンと擦れているような異音(それがヒュルヒュルという笛のような音に変わることもある。)がすることと、ペダルが心持ち重いような気がすることが気になったので、チェックして貰うことにしたのである。 MTBを預けて、1時間ほど他で時間を潰してから再び行ってみると、ディスクブレーキの部品か何か、ゴム部分らしいが、それが擦り減ってしまっているので、当該部品を取り寄せないといけないという話。「5,6千円程度で済めばいいが・・」というのが自転車屋さんの言。ということは、治療費は1万円程度かかるかもということか。 ということで、MTBは緊急入院と相成りました。 従って、今日から暫くは、銀輪散歩はトレンクル君かもう1台のブリジストン君に出動いただかねばならないこととなっています。 ブリジストン君は殆ど出番がなく無駄に眠っているので、今日から暫くはこれに乗ってあげることにするか。
2019.10.28
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退院しました。 と言っても小生ではなく、愛車のトレンクル君です。 先月26日に京都駅から東大阪市の自宅までこのトレンクル君で走りましたが、帰宅すると前輪のスポークが1本折れてしまっていました。その前にもスポークが折れて修理して貰ったことがあったのですが、この時に自転車屋さんから、全体に弱っていて車輪を取り替えて全部張り直した方がいいかも知れない、と聞いていましたので、先月末に入院させることにしました。 入院に先立つ先月28日の生駒の叔母宅訪問・竹林寺への銀輪散歩は、走行する距離も大したことがないので(その実は、スポークが折れていることをすっかり忘れていて、そのまま持って来てしまったので、止む無くというものでありました)、このスポークが折れたままのトレンクルで走行したのでありましたが、トレンクル君には悪いことをしてしまいました(笑)。 昨日、入院先の自転車屋さんから電話があり、修理が完了したとのことで、本日これを受け取って参ったという次第。トレンクル君の入院は15日間でありましたが、入院・治療費は9000円で大したことではありませんでした。<参考>健人会・琵琶湖畔銀輪散歩そして京都駅から自宅まで(前編) 2017.7.26. 同(後編) 2017.7.27.(退院したトレンクル君) 前輪の車輪を少し幅広の新しいものに取り替えたので以前よりはしっかりしたものになっているという話でしたが、 これによってまた少しばかり重量が増したのではないかと危惧、痛し痒しではある。この自転車、購入時は総重量6.5kgであったが、タイヤの取り換え、チューブも一般的なものへの取り替え、左側のペダルの取り換え、ライトの取り付け、チェーンロックの装備などによって、総重量6.5kgという軽量が売りであったトレンクルも現在は7.5kgから8kg程度になっているのではないかと思う。それはさて置き、何にせよお盆に退院して帰宅できたのは重畳と言うべきものではある。 お盆と言えば、今年のお盆は昨年暮れに亡くなった母の初盆ということになる。それで東京在住の妹が帰阪して来た。昨日はその妹と近所(と言っても石切であるから少し離れているのではあるが)に住んでいるもう一人の下の方の妹との3人でお墓参りをしました。12日には小生が妻と共に墓参して居り、11日には、姪が朝早くにお参りし、少し遅れて堺と生駒の叔母たちがお参りしてと、お墓はこのところ「来客」続きとなったようです。(201708言葉) 墓参と言えばいつもの門前の言葉であるが、今月のそれはこうでした。 つらくても おもくても 自分の荷は 自分で背負って 生きさせてもらう その隣には、「わたしたち一人一人が世界の宝物」という言葉も掲示されていましたが、これは夏休みの時期とて、子ども向けのメッセージでもあるか。 自分の荷は自分で背負って行くしかないのはその通りだが、自分のものでもない荷まで背負って不必要なことで悩んでいたりしないかということも考えてみるべきではあります。何れにせよ、人はその人自身が負える荷以上のものは負えないのだから。(201708墓地からの眺め) 上の写真2枚は12日の墓参の折のもの。昨日14日は曇り空でこのようにも青くはありませんでした。墓参の後3人で瓢箪山の商店街に出て昼食。我が家に引き返し、暫く休憩。ここで妹たちが奈良の燈花会に行きたいと言い出したので、小生も同行。下の妹の車は我が家の近くに停めて、電車で行くことに。午後2時過ぎに家を出る。燈花会の点灯は午後7時とのことで、それまで奈良を散策することに。 近鉄奈良駅から登大路を東大寺方向へ。鴎外の門で鹿さんを撮影。(鴎外の門の碑と鹿) 以前の記事(下記<参考>を参照)で紹介済みであるが、森鴎外は1917年12月から亡くなる1923年7月まで帝室博物館総長の任にあり、毎年秋になると正倉院宝庫の開封に立ち会うため奈良に滞在したとのこと。その折には奈良国立博物館の敷地の東北隅のこの地にあった官舎に滞在した。その官舎の門が遺っていて「鴎外の門」と名付けられている。傍らの石碑には鴎外の歌が刻まれている。<参考>参道の奥に憶良の歌碑ありて 2014.1.16.猿の来て 官舎の裏の 大杉は 折れて迹なし 常なき世なり 鹿は鴎外のことなど知ったこっちゃない。鹿の来て 官舎の跡の 鴎外の 碑の歌知らに 草をはむらむ (鹿家持)鴎外の ことは存外 鹿言ふに 人多過ぎの 燈花会なりと (鹿家持) 東大寺南大門の手前で吉城川沿いに芝生の広場を通り抜け、春日大社へと向かう。吉城川は立ち入り禁止のロープが張り巡らされていましたが、鹿はこれも知ったこっちゃない。河原に下りて水を飲んでいました。(吉城川で水を飲む鹿) 妹がこれを見て「煎餅をくれる人は居ても、水をくれる人は居ないからね。」と言って笑って居りましたが、いかにもである。 途中で北側参道の中ほどに憶良の歌碑のあったことを思い出し、芝生広場を横切り、北参道へ直進すると、丁度、その歌碑の前に出ました。この歌碑のことは上記<参考>の記事に写真と説明を掲載済みなのでここでは省略します。 万葉植物園の手前で本来の参道に出て奥へ。本殿前を通り、回廊の燈籠と背後の砂ずりの藤を見て外へ。(春日大社の回廊の燈籠) 若宮神社へと向かう。(春日若宮神社)(同上説明碑) 若宮神社から上の禰宜道を抜けて、新薬師寺・白毫寺方面へと向かう。白毫寺の裏門からも入れるかもと、下へ行かず上から回り込もうとしたのが間違いで、昔はなかったような道や道路脇には随分の住宅が建て込んでいるなどの様変わりで、どうやらその道は白毫寺の裏側を大きく迂回している道のよう。で途中で下へと下る道をとり、何んとかという緑地を抜けて、白毫寺の本来の参道に出る。時刻を見ると4時40分位であったろうか。拝観は5時までなので、急いで小生のみ山門へ。山門下で寺の女性の方が立って居られました。未だ大丈夫ですかと申し上げると、15分位なら大丈夫ですとのこと。(白毫寺山門) 急いで拝観の受付を済ませ、先ず犬養先生揮毫の笠金村の万葉歌碑の前へ。この寺が天智天皇の息子で桓武天皇の祖父にあたる志貴皇子の別荘であった地であることや歌碑の説明をして、本堂と宝蔵の仏像を拝観させていただく。(白毫寺境内から奈良市街を一望) 境内は、高円山の西麓の高みにあるので、奈良市街が見渡せる。 正面には生駒山が見えている。 (同上)<参考>奈良銀輪散歩(その1) 2009.5.19. ※笠金村歌碑、比売神社、鏡神社などの写真は上の記事に掲載済み。 白毫寺を出て、奈良市街へと高畑の道を引き返す。 能登川を渡り、新薬師寺の前の比売神社では十市皇女のこと、鏡神社では藤原広嗣の乱のことなどを説明しつつ帰る。途中通りかかった民家風の喫茶店で暫し休憩。 喫茶店を出て、鷺池の浮見堂までやってくると、燈花会の点灯を待つひとたちが既に沢山集まって来て居られました。しかし、点灯まではまだ1時間もある。先に夕食を済ませてしまおうと、商店街まで戻る。しかし、どの店もいっぱいで待っている人も居る。並んで待つなど真っ平のヤカモチ、どんどん南へと進む。やがて、見知った眼鏡屋さんの向かいに薬膳料理の店を発見。覗いてみると空席がありそう。そこで薬膳料理をいただくこととする。 夕食を済ませて外に出ると午後7時20分。なら町の路地に並べられた灯りの筒にも既に蝋燭の火が点灯されていて幻想的な雰囲気である。なら町を抜けて猿沢池へ。(奈良燈花会・猿沢池) 既に多勢の人で燈花会は始まっていました。猿沢池を半周して興福寺境内を横断し、登大路から東大寺前の浮雲園地へ。人混みの中をぞろぞろと歩く。 (奈良燈花会・采女供養塔と興福寺五重塔)わぎもこが きぬかけやなぎ みまくほり いけをめぐりぬ かささしながら (会津八一)<追記・歌意>(采女が身を投げたという猿沢池。彼女が身投げした時に衣を掛けたという柳の木を見たいと思って、池を廻ってみた。傘をさしながら。)(奈良燈花会・浮雲園地)(同上) 浮見堂の鷺池その他の会場はパスして帰路に。 何年振りかの燈花会でありました。牛に引かれては善光寺であるが、妹らに引かれての燈花会でありました。
2017.08.15
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昨日(24日)の話です。 マウンテンバイクのチェーンがおかしくなったのか他の原因なのかギアチェンジがうまく行かない。と言うことで馴染みの自転車屋さんに持ち込んで調整して戴くべく預けて置いたMTBであるが、電話をすると修理が終わっているということなので、受け取りに行って参りました。やはり、チェーンが傷んでいたようで、新しいものに取り換えてくれていました。チェーンが新しくなって力の伝達効率がアップしたのか、ペダルを踏み込んだ時の感じがしっくり安定して、心なしか軽くなったような気がする。まあ、単なる錯覚、心理的なものに過ぎないのかも知れませんが・・。(新しいチェーン) チェーンが新しくなって白く目だっています。あらたしき チェーンになりて 踏む足も かろくぞなりぬ 枚岡の坂 (銀輪家持) (同上・後輪部分) 上の写真では一番大きいギアから3番目のギアにチェーンが掛かっていますが、これは坂道を上る時のもので、通常は後輪については一番小さいギアに掛けて走っています。前輪のギアは大きい程、後輪のギアは小さい程ペダルは重くなります。前輪のギアを一番大きいものにし後輪のギアを一番小さいものにした時が、一番ペダルが重くなりますが、ひと漕ぎで進む距離はその分、大きくなり、スピードが一番出ます。ということで、通常平坦な道を走る時はそのようにして走っています。(この部分勘違いして逆の説明をしていたようで、偐山頭火氏より電話で間違いを指摘されましたので、訂正しました。) 自転車屋さんを出て、少し遠回りして帰ろうと、枚岡神社の前までやって来ると、参道に提灯の列。(枚岡神社千灯明祭) 何事であるかと思ったら、「枚岡音頭復活千灯明踊り」と書かれた紙が路面に貼られていました。要は盆踊りのようです。生憎の天気で行われたのかどうかは、すぐに立ち去りましたので存じ上げません。それにしても、枚岡音頭というのは初耳。河内音頭なら知っているが・・。「復活」と言うからにはかなり昔にはあったものが忘れ去られて・・というのであるのだろうが、忘れるも何も少なくともヤカモチは枚岡音頭というのは聞いたこともない。(同上) さて、今日は高校野球決勝戦です。そろそろ試合が始まりそうです。わが大阪桐蔭を応援すべくTV観戦でも致しますかな。 では、どちら様も、「ごきげんよう、さようなら」。<追記> おめでとう大阪桐蔭高校 大阪桐蔭が高校野球夏の大会、見事優勝を果たしました。 下掲の写真は、一昨年の選抜大会での優勝の時に撮った写真の再掲載です。(深北緑地花逍遥・大阪桐蔭高校 2012.4.5.)
2014.08.25
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庭も柱も乾いている 今日は好い天気だ 縁の下では、蜘蛛の巣が こころ細さうに揺れている・・・ 中原中也の詩に、上のようなフレーズがあったかと、 あれは、何という詩であったやら。 そうそう、「帰郷」とかいう詩でもあったような。 銀輪を駆けていて、ふと口をついて出たのは、 万葉歌ではなくて、中也の詩でもありました。 今日は眩しいほどの好い天気。きっとその所為だ。 小春日和とはこんな天気のことでなくてはならない。 銀輪を駆けていると、少し汗ばみさえもする。 乾いた風は冷たくて、それが却って心地良いのでもありました。 北の方の公園では海驢が欠伸をし、猿が身を寄せ合っている。 しかし、すぐにも気がつくのです。 それはケモノなんかではなく、 木の根っこが作り上げたオブジェに過ぎないことに。 「年増の低い声」はせず、カラカラと風が吹き抜けて行くだけ。 誰とてもなき冬の公園。 見上げれば、欅のほつ枝には青い空と白い雲。 誰が結び付けたのか、枝に一本の銀色の針金が掛かっていて、 何やら場違いな己を持て余してもいるような。 誰とてもなき冬の公園。 正午までにはまだ時間がありました。 さて、もう少し走ってみることとしよう。(海驢が欠伸をする。)(コチラは猿でしょうか。)(コチラも猿?それともプレーりードッグ?)(欅と空と雲)
2014.01.24
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朝の銀輪散歩。今日は好い天気。空には雲ひとつなく、銀輪には朝日が光る。見やれば地面にあるは、影の自画像なるか。日枯れ葉の散りてもありき。(自画像――花園ラグビー場にて)<追補・・・午後5時追記>午後から囲碁の会に参加。今日はA氏と小生のみの二人だけにて、彼と三局対戦。彼の方が実力は上だと思うのだが、今日は黒を持った方が勝つというパターンにて、小生の2勝1敗。つまり、小生が2回先番で打ったという次第。これよりまた夕方の銀輪散歩に出かけて参りまする。<追補2・・・午後7時25分>夕暮れはつるべ落とし。花園ラグビー場は夕照の中に沈み、振り放け見れば、生駒山に夕月煌々とかかりて・・・吾妹子の 見し夕月の 生駒嶺に かかりて冬の はや立ちぬらし
2008.11.12
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本日は久しぶりに錦織公園まで自転車で走って来ました。恩智川沿いの道をひたすら走って、大和川を渡り、石川の自転車道をゆく、といういつものコースである。「風もさやかに吹いている、今日は好い天気だ。」といった処か。 途中、富田林の寺内町ではお祭の「だんじり」に出くわした。「こどもだんじり」と書いてあって、子供たちが引いていたから、これは子供用の小型のだんじりにて、本格的なのは別にあるんでしょうな。 喫茶アキは何か月振りになるだろう、これまた久しぶりである。ママさんもおばあちゃんもお元気なご様子にて、いつもの優しい笑顔で迎えて下さいました。 お土産に柿などをまた戴いてしまいました。コーヒー1杯でこんなにして戴くと恐縮してしまいます。みなさんもお近くに行かれることがありましたら、「喫茶アキ」に是非お立ち寄り下さいませ。ほのぼのと温かいアットホームなお店です。 店内にあった花を撮影。花の名は教えて戴いたが忘れてしまった。多肉植物は、マユハケなんとか、かんとか、でした。後の2枚は菊ですが、何という菊であったか・・。花よりも 葉ぞうつくしと 聞くや菊 (筆蕪蕉)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<注>花咲くは眉刷毛万年青、菊は磯菊と教えられければ、アキに咲きたる花とや歌をぞ詠まむ。(2008.10.20.9時59分追記)磯菊の 未だ咲かねど 眉刷毛(まゆはけ)の 万年青(おもと)ひとはき あきは咲きたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 錦織公園は、秋の好天の日曜日とあってか、いつになく多くの家族連れで賑っていました。(錦織公園・河内の里の水車) 第4回智麻呂絵画展にご来場戴いた方なら、この水車小屋に見覚えの方もおられるのではないでしょうか(笑)。(コウヤボウキ) 河内の里の一角に目立たぬ様にてそっと咲いていました。珍しくありましたので、また、咲き方が奥床しげであると感じましたので撮影し、ご紹介申し上げることに致しました。見る人の なけれ真白に 咲くならむ こうやばはきの 花こそよけれ (偐家持) 帰途、大和川畔から二上山を遠望。二上山はいつ見ても、何か心動かされるものがあります。大坂を わが越え来れば 二上に もみぢ葉流る しぐれ降りつつ (巻10-2185)二上に 隠らふ月の 惜しけども 妹が手本(たもと)を 離(か)るるこのころ (巻11-2668)
2008.10.19
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このところ銀輪散歩が北方向ばかりだったので、久しぶりに南へ。 午後3時にMTBで自宅を出発、恩智川沿いの道を走って、大和川へ。 明日香や「山の辺の道」など奈良側から見ても二上山は目につく山であるが、大阪側から見ても、特に安堂辺り、石川と合流する辺りの大和川畔から眺める二上山もいいものである。(石川と大和川との合流点)(二上山・大和川畔から) 二上山の万葉歌と言えば、何と言っても、大津皇子を偲んで、その姉の大伯皇女が詠んだ、この歌だろう。 うつそみの 人なる吾(われ)や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 兄弟(いろせ)とわが見む(巻2-165) 二上山のその他の歌を挙げると、紀道(きぢ)にこそ 妹山ありといへ 櫛上(くしげ)の 二上山も 妹こそありけれ(作者不詳 巻7-1098)大坂を わが越え来れば 二上(ふたがみ)に もみぢ葉流る 時雨ふりつつ(柿本人麻呂歌集 巻10-2185)二上(ふたがみ)に 隠らふ月の 惜しけども 妹が袂(たもと)を 離(か)るるこのころ(作者不詳 巻11-2668) 先日、偐山頭火君が推奨していた安福寺を訪ねてみようと思いつくも、地図もなく、柏原市役所前の案内板で大凡の見当をつけて走れど、結局見つからず。 石川や大和川の川岸の道を風に吹かれて気ままに走り回ることとした。 本日はビターcさんの「傘と弁当を忘れないこと」というご忠告に従い、ザックには雨具(雨衣)を入れて出かけたが、雨は降らなかった。
2008.06.21
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雨の合間を縫っての銀輪散歩。 湿った風が頬を撫でてゆく。出鱈目に自転車を走らせていたら、いつの間にか隣の市である大東市の深北緑地に来ていた。深北緑地の東側入口から外環状線道路を渡り少し東に行くとJR野崎駅であった。こんなにも近いのだ。 この緑地の池に棲みついているコハクチョウの夫婦はすでに紹介済みだが、今日は彼らに名前のあることを知った。 オスは「大ちゃん」、メスは「愛ちゃん」とのこと。市民からの公募によりこの名になったらしい。葦辺ゆく 鵠(くぐひ)の白き 影ふたつ 添ひてたぐひぬ 深北の池 あづま屋に憩い、東の方を見やると、出がけには青空も覗いていたのに、いつの間にか雲は厚くなり、生駒山にかけて黒い雲が覆いかぶさっている。 雨になるな、と思う間もなく、ぱらぱらと水滴が落ちて来た。少し降ると小止みになったので、帰途に。 しかし、途中の加納の公園に近づく頃には本降りに。已む無く公園のあづま屋に避難。生憎今日は雨具を持たずに来てしまったのだ。不覚というほかない。 二時間近くもそこで足止め。しばし雀と遊ぶ。 ようやく小降りになったので、出発。 花園公園にまで帰って来ると自宅も近いので、もう安心。しばし花園に遊ぶ。菖蒲の咲き匂っていた池も花がまばらとなり、店仕舞というか、祭りの終りというか、何やらもの寂しい感じ。時の移ろいを、花にぞ見てし、である。今はもや 菖蒲の色も 移ろひぬ 暮れゆく池に 雨は降りける 生駒山は墨を流したような雲の中に沈んでいた。生駒山 雨は降るらし 山の端に 流るる墨の 雲ぞ立ちける
2008.06.20
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爽やかな朝。 昨夜の雨もいづこへか、好い天気。 梅雨の中休みと言うけれど、長期休暇ですな、これは。 お陰で朝の銀輪散歩も楽しめる。 Tシャツ一枚だと少し肌寒い位に朝風が涼やかである。 それでも日の当たる所では、朝日の輻射熱で肌がほの熱くなってくる。 我が顔も腕も日焼けで既にして真っ黒。 まるで夏休み後半の小学生のそれだ。 ふりさけ見ると、朝日はすでに生駒山の上空高く昇って青い空に眩い。 生駒山が北から南へ帯のように山並みを走らせて暗き緑色なるは、逆光のせいなるか。 その暗き山並みに添って山に覆いかぶさるように白い雲が、 これまた帯状に北から南へずっとつながってある。 白雲の帯の上は夏の青空。 緑・白・青の三色旗である。 山々が少し霞だっているのは、朝寝から未だ覚めやらぬようにも見える。白栲(しろたへ)の 雲かづきたり 生駒山 朝寝の夢の 覚めずあるらし しばし走ると、少し汗ばむようでもあるのは、心地よいものにて、 ヒンヤリした風が一層肌にやさしく快い。 木陰に憩えば、鳥たちが飛び来て、「ここだも騒ぐ鳥の声かも」である。 地面に木々の影が織りなす模様ができていて、 風が吹くたびに葉の影が揺れ、ゆらめき、さざ波が立つようでもある。 何と言って心に鬱屈がある訳でもないが、 形のない愁いの色に染み、 渺々と漂ってゆくのであるか。朝風に 揺るる葉影の 波立ちて いづち吹かれむ 旅の果てには
2008.06.16
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岩手・宮城内陸地震大変なことでした。被災された方には心からお見舞い申し上げます。そんなこととは、露知らず、今日は中学3年間小生を担任戴いたI先生のお墓参りに朝早くから出掛け、その後自転車で走り回っていた。折りたたみ自転車「トレンクル」を持って、電車で近鉄富雄駅(生駒市)へ。電車を降りて、駅前で自転車を組立て、先生のお墓のある霊山寺霊園へ、富雄川添いを南へ走る。朝の風が心地良い。本来は5月にお参りすべきであったのだが、今月になってしまった。 霊園への坂道の最後がきつい。今日は、最後数メートルの処で歩いてしまった。草むしりをし、花を供え、線香を上げて、合掌。「先生、また来るね。」と口に出して告げると、何やら面影が微笑み返すような気もするのでありました。来た道を引き返して富雄駅まで帰って来たら、未だ10時過ぎ、時間も早いし、第一走り足りない気分だったので、奈良へ走ろうと東に向かうが、あやめ池を過ぎた辺りで道に迷い、どこで方向を間違ったか、学園前駅前に逆戻り。仕方なく再び富雄川まで戻り、山越えで大阪に戻ろうと予定変更。富雄川に添ってひたすら北へ。途中、法楽寺と高山八幡宮に立ち寄り、見学。(法楽寺)案内板には、「東大寺別院。本尊は釈迦如来坐像。奈良時代に聖武天皇の勅願により行基菩薩が建立したと伝えられる。戦国時代に兵火のため伽藍が焼失したが、寛文3年(1663)現在の本堂が再建された。康永4年(1345 北朝年号)銘の十三重石塔など。」とある。(高山八幡宮)(本殿)続日本紀によると、天平勝宝元年11月、宇佐八幡を奈良へ移す際、この地に頓宮が設けられ、仮に祀られたとのこと。やがて奈良への進発公式鹵簿がここで整えられる。この駐輦の用に供された頓宮がこの神社の始まりとされる。「中世、特に鷹山氏の信仰を集め、無足人座とよばれる宮座が結成されたとか。本殿は三間社流造。元亀3年(1572)の銘がある。」神社に別れて、道はゆっくりと登りへ。のどかな山里の風景は、明日香に似ていなくもない。道の辺に栗の木が花で白く・・。三栗(みつくり)の 那賀に向へる 曝井(さらしゐ)の 絶えず通はむ そこに妻もが(高橋虫麻呂歌集 巻9-1745)だんだん坂がきつくなり、ペダルが重くなる。変速機がついてないから大変、休み休みしないと、とても一気には登れない。何とか登り切ると、今度は落ちるが如きの急な下り坂。ブレーキをかけ続けないと暴走してしまいそう。足よりも手が疲れるサイクリングというのはいかがなものか。山を下りきると大阪府交野市である。ここは天の川伝説発祥の川とされる「天野川」がある。天野川と尺治川の合流するところに「水辺プラザ」という親水公園がある。ここに、在原業平の歌碑がある。狩り暮らし 棚機(たなばた)つめに 宿からむ 天の川原に われは来にけり(古今集)(天野川、私市橋より)天野川と別れて、生駒山を方向見定めの目印として、ひたすら南へ。やがて勝手知ったる、外環状線道路に出、恩智川添いの道を走り、花園ラグビー場でゴールイン。
2008.06.14
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今日は朝寝坊してしまい、所用を済ませたら、昼過ぎになっていて、午後四時から梅田で、大学の同窓会の総会の会場側の担当者との打ち合わせもあり、とて銀輪散歩はお預け。打ち合わせ終了後同窓会の事務局長のAさん、副会長のK君とN君らと会食し、あれこれ愉快な話のくつろいだ時間を過ごす。 ということで、本日のブログは昨日の銀輪散歩の余聞を記し置くことにする。 高井田横穴公園のワンブロック西に天湯川田神社というのがある。 日本書紀の垂仁天皇23年9月~11月に「鳥取造(ととりのみやつこ)の祖(おや)天湯河板挙(あめのゆかはたな)」というのが出て来るが、これを祀る神社であるのだろう。 書紀の話はこのようなもの。 誉津別王(ほむつわけのみこ)という、ものを言えない皇子がいたが、或る時鵠(くぐひ=白鳥のこと)が大空を飛ぶのを見て、「是何物ぞ」と初めて口を聞く。 垂仁天皇はこれに喜び、誰かこの鳥を捕えて献上せよ、と命じたところ、天湯河板挙が「私がきっと捕えて献上しましょう。」と奏上し、この鳥を追って、出雲にまで行き、これを捕え献上する。 誉津別王はこの鳥と遊んでいるうちにものを言えるようになった。 (アニマルセラピーの最初ですな<笑>) それで、天皇は湯河板挙に鳥取造という姓(かばね)を与え、鳥取部(ととりべ)、鳥養部(とりかひべ)、誉津部(ほむつべ)を定めた。 神社が祭神としている「天湯川桁命(アマユカワタケノミコト)」というのは、この湯河板挙のことだろう。神社の看板には「鎮座、景行38年9月日本書紀」とあるが、この記述は??。(注)垂仁天皇は11代天皇、景行天皇はその息子で12代天皇、ヤマトタケルは景行天皇の子である。
2008.06.09
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今日は本来は吹田市まで謡曲の公演というか発表会というか、我がお師匠様が出演とあって、これに出かける予定にしていたが、午前中他用あって出かけられず。午後2時過ぎから銀輪散歩に。恩智川を南に(つまり上流)走り、大和川に出て、高井田横穴公園までの往復をして来た。 出発は先ず花園公園に。何にしてもヤカモチの銀輪散歩はここから始まるのである。公園の一角にタイサンボク(泰山木)が大きな白い花を咲かせていた。 恩智川を南に走ると高安山が間近に見えてくる。その昔、我が国は、百済支援のため援軍を送るが、唐・新羅連合軍に「白村江の戦い」で惨敗。百済が滅亡。次は我が国との危機感を持った天智天皇は、近江に都を移すとともに、九州から瀬戸内海にかけて、外敵の侵入に備え、山城と烽火台築くが、大和への入口に当たるここ高安にも高安城を築く。ここから大和へ入る道は龍田越えの道。大和の入口に龍田神宮がある。 恩智川に別れを告げ、少し山手に入ると大きな楠のある神社に出会う。石神社である。この神社の境内に「智識寺東塔刹柱礎石」が置かれている。この辺り一帯に「智識寺」という大寺があったらしい。(礎石)(石神社) 大和川に出て、東へJR高井田駅前の踏切を渡ると、高井田横穴公園がある。丘陵地のあちこちに横穴がある。6世紀から7世紀にかけての横穴式墳墓である。高安城が築かれた7世紀後半の頃もここは墳墓として使われていたんだろう。 今は公園として整備され、資料館もあり、散策には楽しい処である。いつ行っても余り人影がないというのがいい。竹林をさやがせ風が吹きぬけてゆく。道を横切る小さな黒い虫。自転車を急停車、引き返してよく見ると、コクワガタのメスであった。写真を撮らせて戴いた後は近くの木の幹に止まらせてあげた。「クワガタ君元気でな。」(公園入口)(横穴) 心憂き ことのあれこれ 我思へど 知らにと風は 吹きてゆくらし コクワガタ ひとりいづこへ ゆくならむ 我もひとりし 高井田の森 今はもや 深き河とや なりぬらむ 渡り瀬見えぬ 五月雨の道 夕照も なき梅雨空の 道の辺の 田に黙々と 苗植える人
2008.06.08
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今日も昼前から雨が降り出し、午後にはかなり強く降った。銀輪散歩のできる状況ではない。 ただ、幸いにも朝は日差しもあったので、ヤカモチ君は朝7時40分頃にマウンテンバイクで朝風を切って、銀輪散歩に出かけました。 生駒山を背に西へ向かい中甚兵衛翁顕彰碑の公園から北に、西にと阿弥陀籤で下にたどるようにゆくとJR住道駅前に出る。そこから北へ直進。寝屋川沿いに走ると、先日(6月1日)発見した「深北緑地」に行き着く。 今日はウィークデイとあって、人影もまばら。朝の散歩をしている人などがチラリホラリ目に入るのみ。ゆっくり公園の全貌を観察。 ロケット広場、とりで広場、恐竜広場は、その名にちなんだ巨大な遊具施設のある子供向けの遊び場。広い芝生の広場、木道を差し渡した水草繁き池、何故か池には白鳥が一羽いました。紫陽花やオトギリソウその他の花が今を盛りと咲いている一角。メタセコイアの林、シロツメグサの咲き敷く草地、野球グラウンド。 広場を囲むようにしてある林は鳥の棲み処、ムクドリだろうか、自転車で近付くと次々と群れをなして飛び立った。 起伏もそこそこにあって、眺めもよく、のんびり走っていると心和む気がする。斜面の草地はイネ科の雑草が群生していて風にそよぐ様が美しい。見やると木々の向こうに遠く生駒の山並みが望まれる。 西側の寝屋川と東側の大阪外環状線道路に挟まれた広い低地が洪水回避のための治水公園となっているのである。 帰りは外環状線道路側の入り口から出て、道路沿いにしばらく走り、大阪桐蔭高校の先で右折、恩智川に出て、また川沿いの道を走ることとしたが、この頃から雨がパラつき出したのでスピードを上げて帰りを急ぐ。本降りになる前には家に帰り着いたので、まずはめでたしというところか。(外環状線側公園入り口) 朝風に 吹かれゆくかも ヤカモチは 花鳥と遊ぶ 深北の苑
2008.06.05
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万葉銀輪行、大阪城公園で山頭火君と待ち合わせ、朝9時出発。雪道になづみつつ、毛馬閘門から淀川畔走り、石清水八幡宮まで遡上。そこで昼食を済ませ、我が自転車の後輪の調子が良くないので帰途に。しかし途中で遂に自転車が壊れた。後輪スポーク数本折れ、後輪ブレーキも破損、最後はチェーン脱落。山頭火君と別れ、寝屋川からタクシーで自宅近くの自転車屋へ。全治1週間の入院となった。まぁ散々であったが、かかることも楽しいと思ってこその銀輪歌人である。白銀の 雪にやなづみ 銀輪の 壊れて遠き 淀の長堤先達も なけれこのたび 石清水 宮も詣らず 帰り来にける
2008.02.10
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銀輪のニセ・ヤカモチ君は、本日、生駒山の麓の自宅から、六甲(ムコ)の浦なる人工島、六甲アイランドまで銀輪を走らせました。往路は2号線を西へ、尼崎で43号線に移り、甲子園球場に挨拶して、御影から六甲大橋を渡り、島へ。帰路は湾岸線下や341号線を経て43号線、安治川隧道経由九条に出て、中央大通りを東へ。往路よりかなり遠回りとなったか?往路4時間半、復路5時間余。さすがに最後の自宅への坂道はもうイッパイでした。六甲アイランド外周ウォーキングロードは自転車で走るのにも最適。一周7キロ弱。走ってみませんか?ナカナカ素敵ですよ。本日の走行軽く100キロメートルは超えた筈。ニセ・ヤカモチ
2007.06.11
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