全13件 (13件中 1-13件目)
1

小さい子の話しはときとして爆笑するほど面白い。スタッフSちゃんの子ども(次女=もえぞー、3歳になったばかり)の話し。ママとふたりでお風呂に入っていた。もえぞーは片腕を風呂のふちにかけて、ぶらぶら浮いている。 ママ「あんた何やってるの?」 もえぞー「ママやんすごいでしょ?」 ママ「何それ?どんな意味?」 もえぞー 「大学生の一日」 ぐぁはははははは!!!!いったいどこで覚えるのだろう。春ですね~みなさん。^^
March 29, 2007
コメント(10)

いまだに何故韓国語を勉強してるんですか?と聞かれることがけっこうある。このブログにも書いてある通り、もともとはただのリベンジのためだった。そう答えるようにしている。カナタラからはじめてようやくハングルが理解できるかどうかの頃、当時名前すら読めなかったチョン・ジヒョンの「イルマーレ」を観てストンと韓国語の魅力にとりこまれてしまった。「心で知る、韓国」の小倉紀蔵氏の言葉を借りるまでもなく、言葉の美しさにストン落ちてしまったのだ。らんまる氏が「アジョッシ!何言ってますの?キッツイでっせー韓国語」と言っても、はんちゃんおんまが「怖くて^^なかなか仲間に入れな~い」と言っても、いまはもう私のねらいはリベンジではなく韓国アガシとの熱い抱擁会話なのかもしれない。こんな言葉にクラっとくるアホなおっさん。 いまこのいかつい表紙の本をペラペラとめくっている。 『朝鮮語を考える』(2001年 白帝社 アマゾンのユーズドで購入)作者は1986年に23年をかけて完成させた「朝鮮語大辞典」の塚本勲という人だ。この世界最大の朝鮮語辞典を完成させるまでのいきさつをつづっている。戦後、外国語ではないと抹殺されていた朝鮮語研究を、ぜひ日本に広めたいという鬼の執念で完成させた、フツーの日本人からみたら異常な人間に見えたはずの男の歴史がつまっている。あらためて驚いたことがある。 1961年に1コマでも朝鮮語講義をしている大学は以下の5校である。 天理大学 京都大学 大阪外語大学 早稲田大学 東京教育大学朝鮮学科があったのは天理大学だけ。(それも布教のために)高校では1973年、神戸の湊川高校で朝鮮語講座が公立校ではじめて開講。 あの頃わたしたちは、物の怪にとりつかれたように東京、名古屋、大阪、岡山と朝鮮語普及の行脚(一日スクーリング)にでかけた。誤解され、罵詈雑言をあびたり、妨害を受けることもあったが、それは楽しい行脚であった。これが70年代の日本の実態だったようだ。日本全体で数百人とみられていた朝鮮語学習者が飛躍的に増えるのは、1984年にNHKラジオハングル講座が開始されてからである。パルパルオリンピック(1988年)の頃でも私のまわりのおっさんたちの関心はたぶん「ゴルフとキーセンと焼肉」ぐらいだったと思う。ということは、おおまかにいっていわゆる「韓国語」が一般日本人に理解されてまだ20年ぐらいしかたっていないのだ!(はんらさんってば すごい)先日営業の途中に、地元のFMラジオのキャスターと地元新聞社文化部のオッサン部長との会話が流れてきた。 オ「私どもの企画している“チャルモゴッソヨ~”のコーナーをご覧になってますか?」 キ「ええ毎回。^^韓国のお料理をたくさん紹介してますね。今回はケランチムですね?」 オ「そうです。ココ(地元)は韓国のチョルラドと緯度が近いので、韓国食材を使った料理にも適しているんですね。」 キ「ケランチムは日本の茶碗蒸しに似ていますね。マシッソヨ~でしたっけ?おいしそうに見えますね?」 オ「韓国ではお母さん=オモニが毎朝ごはんが炊ける前に作ってくれるカンタンな料理なんですね」ラジオからもフツーに韓国語が流れる時代になった。これを知ったら、塚本さんもびっくりだろう。近所の100円ショップのウインドウにも中国語、ラテン語にまざって「オソオセヨ~」とハングルで書かれてある。大辞典の塚本さんはたいへんなご苦労をされたようだが、結局世の中を動かすのはイデオロギーではなく文化なのかもしれない。
March 28, 2007
コメント(10)

ラブホアジョッシになってよかったことは前にも書いたけど酒びたりの日々に終止符を打ったこと。晩酌が毎日できなくなった。( ̄‥ ̄)悪かったこと。。。。。それは 「テレビのスポーツ観戦ができない!!」これは痛い。かなりへこむ。ここのところの世界水泳、世界フィギュア、サッカーと立て続けに見逃したりしていた。昼の本業( ̄ー ̄)も忙しく働きずくめだったら、思いっきし体調をくずし土曜日は38度の高熱にうなされながらヒエピタ^^を貼ってもらってラブホアジョッシに専念した。今までの人生でマウス^^ぐらいしか持ったことのないこのデザイン界の安倍晋三・ヤンパ (イメージっす)は水気のたっぷり含んだリネン室のバスタオルやフェイスタオルのぎっしり入ったズタ袋をひいひい運んでいる。 「アイゴー!セーサンヘ!!」おかげで同僚のおっさんデザイナーS井さんに「明日は俺が変わるわ」となぐさめられ、日曜日は晴れてフィギュアのエキシビジョンを堪能した。しかしどーだろう。ホームという好条件が重なったからか。日本勢の活躍が目立つ。以下は私の勝手な見かた。安藤美姫…押し込められた感情を秘めながら孤高の戦い。。。浅田真央…天真爛漫。かわいらしさと裏腹のクソど根性。。。中野友加里…おかめ顔に隠されたプロ意識満々。。。アメリカで絶大な人気を誇るキム・ユナは? なんか はかない。 漢字だと儚い。←合ってる?キム・ユナの演技もスケーティングもはかなく感じる。それがすごくくすぐられる。私がオッサンだから??? 韓国ではどうなの?フィギュアなんてテレビで放映されないんではないの?いまが一番美しい選手、それがキム・ユナだと思う。鼻にティッシュを詰め込んでそう考えるアジョッシであった。
March 26, 2007
コメント(12)

確か昨年の秋頃のこの日記で、「カマキリの卵の位置が低いなあ…ことしの雪は少ないのかもしれない」と書いたことがあった。自然とはほんとうに正直なもので、ことしは信じられないくらい雪の少ない年だった。ヤンパの住むこの山国にはスキー場がたくさんあるのだが、年々廃業するところも増えている。国内はあきらめて、韓国・オーストラリアへの誘致に走る傾向も強い。昨年だったか、日本のスキー場はとてもいい!と言っていた韓国有名トロット歌手(名前は忘れた^^)と日本式会席料理を食べたことも思い出される。 ショックだったろうなあ、あまりに料理が貧弱で、、、、、。さて自然とは正直なもので、というのは我が家のアホバカコンビ・ブッピーズ(ブラ雄とピッピコ)の2匹にもいえることだ。さかりのついたブラ雄は風にのってやってくるメス犬たちのシーシーの匂いに敏感で、鼻がもげんばかりに匂いをかぎまくっている。散歩の途中はそのシーシーをなめたりするのでご主人様(私)にこっぴどくしかられる。あひるのピッピコの最大の感心は 「あたいメシ食ったの いつだったっけ?」だけなので、いっつもファーファーごはんの催促だ。ばあさんの影が見えればファー。 妻が通り過ぎればファー。 私が障子を開ければファファファファファ!!!!うるさいったらありゃしない。そんなピッピコにも春が訪れて、キッカリ!!3月に入るとその年の天候にまったく関係なくせっせと毎日たまごを生むようになる。ことしも生んでござりまする。 ブラ雄のおかずには毎日ゆでたまごが加わっています。と日記に書くのも何年目だろうか。 もちろんブラ雄はそいつがピッピコの腹の中から出てきたことなど知るよしもありません。
March 25, 2007
コメント(6)

我が家はりっぱだ。 ((( ̄ー ̄)私がりっぱだといえればいいのだけれど、私はフツーのおじさん。立派なのは家だけだ。…確かあんたはお金がなくて夜もバイトしてるんじゃなかったけ?と言われればその通り。だからこんな写真を載せると、な~んだ、いい家住んでんじゃんかとヒンシュクかもしれない。これは先日遊びに来たスタッフSちゃんの子どももえぞー(3歳)とcocoro(小1)の写真。 うしろのお雛様は佐渡のジジババから私の娘wakaに贈られたもの。ところで私は十代の終わり頃、外語大を目指しての~んびり勉強していて、大好きだったユーコちゃんから 「ヤンパ君はぜった~いこっちの世界のほうが合ってる。才能あるからバイトしてみて!」と言われてデザインの世界に入っていった苦い過去がある。当時のユーコちゃんは私にとって天使であり、神の声だったので、あろうことか私は自分にものすごい才能があるものと思い込み、なおかつユーコちゃんに愛されているという救いようのない錯覚に陥り坂道をころげ落ちるように大学入試から遠ざかってしまった。以後の顛末ははぶいて^^、生涯一デザイナーとしてサラリーマンデザイナーをしてきた私は20年ほど前、勤めていたプロダクションがあっけなく崩壊してしまい、やむなく自分のスタジオを作り今日にいたっている。つまり創立20周年を迎えてしまった。えらいこった。(ざおりん風)会社の寿命って15年だっけ?いや会社というにははばかられるけど、それでも20年もシャチョーギョーをやってしまった。(今はラブホアジョッシだが)ということで最初の写真に戻ると、このcocoroともえぞーの写真はその20周年記念のホームパーティにSちゃんご一家を招待したときのものなのだ。 前ふりが長いんだよ!(←ソウルのらんまるさんごめん)ヒンシュクついでに… 数年ぶりに ( ̄へ ̄|||)ホンモノの!すし屋の寿司も用意し、手巻き寿司の材料をそろえ、盛大に飲んだのでした。(飲んだのは我が家の住人のみです!~_~)いや~ニッポンジンですねー。海苔の香りがそのプ~ンと香り、わさびもツ~ン。冷たいビールはキ~ンとどたまにきて、プ~ンツ~ンキ~ンのとても楽しい夜でした。
March 23, 2007
コメント(10)

一冊の本がある。まだバブルの香りが残っているころの話し。10年ほど前の本だ。 腹を抱えて笑ったっけ。^^当時すでに名声を得ていたマンガ家西原理恵子と、現在コメンテーターと文筆業で多忙な勝谷誠彦の共著だ。 「どこへ行っても三歩で忘れる」このキャッチコピーはがんじがらめの日本で生きる私たちに送られた、実はあたたかいメッセージだった。働きまくって遊びまくって規則通りの生活をおくる日本に住む人々に、「こんな生き方あってもいいじゃん」と笑う本だった。鳥頭紀行を読んで、カッチャンこと勝谷誠彦(=カメラマンとして同行)と、鴨ちゃんこと鴨志田穣(=ビデオカメラマンとして同行)を知った。ブラジルのジャングルでピンガ(地元の焼酎)をあおるこのメンバーに、日本でちまちま生きる私たちは喝さいを送った。ご存知かどうかその後帰国して、鴨ちゃんは文字通り西原理恵子を釣り上げた。ふたりは結婚して私たちを驚かせた。鴨ちゃんはアル中のろくでもない親父としてなんどもサイバラの本に登場し、くだを巻き、あたり散らし、かわいい父ちゃんを演じ、どうやら昨日亡くなったようだ。(朝刊で知りました)私が夜バイトをしているラブホの従業員・日系ブラジル人、イシイさん夫婦のために毎週水曜日にブラジルの日用品を満載したトラックがやってくる。トラックにはハムやチーズや缶詰などの食料品もあるようだった。私はイシイさんに聞いた。 「イシイさん、ピンガってあるの?」 イ「ピンガ!?^^; あるね。わたしのまないね。あれツヨイね」仕事がはねたあと仲間とトラックの荷台に入ってみた。気の弱そうなブラジル人青年が商品を説明してくれる。 「これ、日本人でも飲めますか?」 ブ「う、ウウ~ン…」^^;)日本に送られてくるピンガは地元の安酒のちょっと高級版で1200円だった。 イシイさんの説明通り砂糖とレモン水で割って薄めてときどき飲んでいる。なんといっても40度だからね。さとうきびが原料なので、どことなく南国の香りがする。ネグロ川につかりながらピンガをラッパ飲みするような鴨ちゃんの真似は私にはできない。夜、バイトのない日にまた、ちまちまと日本人よろしくレモン水で割って飲むとしよう。鴨ちゃん 天国から笑ってくれ
March 21, 2007
コメント(6)

日増しにあたたかくなり… ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 逆戻り。ところで、私は夜のおツトメ(´Д`|)を始める前はこんな生活パターンの朝だった。早朝 ご飯のスイッチ→新聞→息子チャリの弁当→ブラッピーズ(ブラ雄とピッピコ)の餌→朝食→会社にてハングル(7時NHKハングル講座)→ブログでごあいあさつ→シャワー→仕事。なんと キ ソ ク タ ダ シ イ 毎 日 だった。いまはどーだ。もう時間帯もバラバラで、朝のハングル講座にも間に合わない。それではほしそら先生に怒られちゃうので^^、家族の前で恥ずかしいが、いままで敬遠していた自宅でハングル講座を聞く方向へシフトした。なので上の雪景色を見ながら茶の間でハングル講座を聞いていた。(きのう)妻はテレビの音を消した状態で「やじうま」を見ている。キム・トンハン先生の渋いバリトンが響く静かな茶の間。 「ナヌン ウムチラソ ノレド モップルロ~」妻にもいっしょに勉強してもらう。 「ウムチってなんだかわかる?」 「ウンチ?」 「ちゃうちゃう、ウムチ」 「ウム…???何それ?」 「音痴のこと^^」 「音痴かあ。似てるなあ発音」朝食前にふさわしいあたたかな( ̄皿 ̄会話であった。しかしコッセムチュイ(花冷え=エルマチャイさんいただき^^)はいきなりやってきた。ふきのとうも雪の下。ウムチでもいいから春の歌を歌いたいこのごろ。
March 13, 2007
コメント(14)

変な役者です。イ・ボムス。「オー!ブラザーズ」の弟役もおかしかったし、「なせば成る」の騒がしい青年の役も印象に残ってます。日本でテレビに出ていたら、さかなクンと呼ばれていたに違いありません。よく似ています。イ・ボムス。 さかなクン。 私がきのう見た映画(DVD)は「スーパースター カム・サヨン」。実在した三美スーパースターズの敗戦処理投手の話しです。といっても舞台は1982年にさかのぼります。つまり韓国プロ野球が始まった年です。三美スーパースターズは仁川(インチョン)がホーム。カム・サヨンもインチョンの工場勤務から念願のプロ選手への道を歩みます。このあたりのソウルの街頭がそれらしく出てきて興味深いです。街中のバスには車掌さん(女性)がいますし、タクシーは角張っていてもちろん相乗り全盛です。日活ロマンポルノに影響されたような映画のポスターなんかも出てきます。(タイトルは「巨峰」(-_- )映画自体はコミック・スポーツ・ドラマなのでイ・ボムスのアクの強い演技はおさえぎみでとても楽しめました。三美スーパースターズや、当時優勝したOBベアーズ(太田)の、状況がちょこっと垣間見れます。以前も書きましたが、ここ映画を観てふと、ひとりの男を思い出しました。福士明夫=チャン・ミョンブ(1983年、広島から三美へ移籍)のことです。私は日本についても韓国についてもプロ野球はまったく詳しくありません。ただ韓国語を勉強する過程で読んだ「海峡を越えたホームラン」(1984年 関川夏央 双葉文庫・1997年)がとても面白かったので、福士が鳴り物入りで韓国野球に挑戦する一年前の三美スーパースターズが映画でわかってちょっぴりうれしかったです。変な表現ですが。福士明夫は、2005年春 和歌山のいなかのマージャン店でひっそりとこの世を去っています。(54歳)新聞に出たのは10行ほどの記事でした。1980年の広島優勝に貢献し、韓国プロ野球創生期のスターだった福士。その最後がマージャン店(仕事場)です。海峡を渡って、言葉や食事、生活習慣や人間関係でボロボロになった在日コリアン野球選手の話しは、松井や松坂のサクセスストーリーよりも、言い方は悪いけど断然面白かった記憶があります。 彼(福士)が韓国における職業生活で得たものは、在日コリアンの不安定な立場と精神とが増幅した文化摩擦と過剰反応の、多彩かつ苦い記憶ばかりかもしれない。(関川氏の文庫版追記より)今の韓国映画が在日コリアンの野球選手を扱った映画を撮ればとても面白いものができると思います。彼らが韓国野球界に与えた影響は、彼らが思う以上に大きいと思うからです。
March 11, 2007
コメント(10)

日本の小学生は中国や韓国の小学生よりも「学ぶ意欲」が低い――。財団法人「日本青少年研究所」(千石保理事長、東京都新宿区)の調査で、学習を巡る子供の意識に日中韓で大きな差があることが分かった。◆調査は小学4~6年生計5249人を対象に通学先の学校を通じて実施、全員から回答を得た。対象は東京1576人▽北京1553人▽ソウル2120人。というのがきのうのネットニュースの記事で、以下勉強に関する3カ国の違いが述べられている。しかーし、新聞の記事はこっちに重点が置かれていた。 日本の親はしつけに消極的である。というのだ。(データは北京、ソウル、東京の3都市に限っている)表にはないが、テレビを見ながら食事する…というのは中韓ともに12%なのに、日本は46%。確かに日本は食卓とテレビの位置が同じ活動ライン上にあるかもしれない。我が家も少し食卓から離れているものの、テレビは消さずに食べていることが多い。3週間おじゃました春川のギョンス氏宅は、食事中にテレビはついてなかったと思う。韓国は一般的なのかな。もっとも口角泡を飛ばす韓国の食卓風景(ドラマではね)を考えれば、食事中もにぎやかそうだ。これもサランか。^^ほんとかなーと思ったのは…「他人の部屋に入るときノックする」、「公共の場所では小さな声で話しをする」で“いつもする”と答えた割合は中国の子どもが突出して高く、日韓がほぼ同程度だった。 ありえな~い。私の母が私に昔からよく言ってきたことは(いかにも戦後日本の教育がこういうことだったんだなーと思うのは) 「人に迷惑をかけないような人生を歩みなさい」 だった。おかげで家族に迷惑かけっぱなしの人生を歩んできた。 ( ̄へ ̄|||)いや歩んでいる。話しは教育にもどって、 また、「先生に好かれる子になりたい」と答えたのは、北京60.0%▽ソウル47.8%に対し、日本はわずか10.4%。教師への関心や尊敬の念も薄れているようだ。どういう状況下で「好かれる子になりたい」のかが大きな問題だ。それは3都市の教育事情や政治状況によりだいぶ違うだろう。私は生涯で尊敬できて、好きで、今も交流のある先生はひとりきりである。子どもでも大人(教師)を見る目は意外としっかりしているものだと今は思える。
March 9, 2007
コメント(18)

「あなたこのラムどうするの?」きのう妻にそう聞かれて、そうそう、それはプロフにするんだった!と思い出した。ピラフではないプロフ。何物か?^^詳しくはpapicoさんちにおじゃましてください。Papicoさんのブログでウズベキスタン料理?を初めて知って、これはやってみるぞと誓った私は、先日のデパ地下探訪のおりに買い求めていたのだ。Papicoさんもおっしゃる通り本来なら羊肉のブロックが似合うのかもしれないが、あいにくスライスしか売っていない。まあ作り方は簡単そうだったので夜のお勤め前の忙しい時間帯にためしてガテンじゃない!ガッツで作った。 息子チャリ「おいヒツジかよ~」誰もお前に食えとは言っとらんわい!パエリアに似た作り方で出勤15分前に完成。 必死で食いました。Papicoさんありがとう。これから作る人にいくつかサジェスチョン。 1. 羊肉はやはりブロックまたはラムチョップを切ったものがうまいでしょう。しかも塩味はpapicoさんおっしゃる通り濃い目がよろしいかと。 2. ニンジンは多めにしたほうが色がきれいに赤くなって食欲をそそります。 3. 私はフライパンで30分近くかけました。結果 焦げます。^0^油が足りませんでした。気をつけましょう。そして仕事に行く前に作るのはやめたほうがいいかもしれません。おいしかったですよー。でもできるなら食べた後大草原で歯をシーシー言わせながらウ○チしたらサイコーだろうなあと思いました。
March 7, 2007
コメント(14)

きのう地元で唯一のデパ地下で、おいしそうなロースローストをぼんやり見ていました。3枚で特価630円とあります。 店員「いかがですか?(試食を指さされ)」 私 「モグモグ。おいしいですね。これ3枚で630円ですよね?」 店員…あら?この人、おひとり暮らしなのね。きっとそうだわ、なんかうらぶれてるし、最近はやりの負け組かしら?リストラされて…いやいや…離婚でもされたのかしら?変な帽子かぶってるし… 店員「ちょ、ちょっとお待ちください」リーダーに聞きに行く。 私…なんか勘違いしてる風だけど、まいいか。 店員「お待たせしました。1枚でも2枚でもけっこうですよ。」せっかくなので… 私 「じゃあ2枚ください」ということで厚めのローストをチャリ及びばあさんのために買った私です。こじつけがましいですが負け組といえば、肉を買う前、妻と映画を観てきました。 「リトル・ミス・サンシャイン」 初恋のメロディ?^^のような美しいお話しではありません。スラングばんばん!かなり壊れた家族のロードムービーです。ヘロイン中毒のおじいさん役アラン・アーキンが今回アカデミー助演男優賞を獲得しました。アラン・アーキン。映画ファンでなければ誰も知りません。あああの人か…と思い当たる映画としては、オードリー・ヘプバーンが盲目の人妻役を演じた「暗くなるまで待って」の中で冷酷な殺人者で出ていた人です。古~い話しです。リトル・ミス・サンシャインの内容ははぶきますが、壊れかけた家族の再生をアリゾナからカリフォルニアまでワーゲンのおんぼろバスで旅する過程を通じて描いています。クスクスホロリの映画でした。私は好きです。この映画の中でも勝ち組、負け組という言葉がひんぱんに出てきますが、(両極に分ける言い方が嫌いという人も多いでしょうが…)負け組を笑いでぶっとばすセンスはやはりアメリカ映画だなあと思いました。映画を観て、ご飯を食べて、夜のお勤めに向かった私でした。
March 5, 2007
コメント(10)

我が家の仏壇はけさからチュンチュン鳴かなくなった。(おひまな方は前回日記を見てね) なぜ?なぜって退院予定15日のはずのサイババことヤンパ母が昨日退院したからだ。 2週間も前じゃないですか!!!あまりに健康で、術後の状態もバッチリの母をみてお医者様が判断したのです。「もう帰っていいよ」と。とうことで、ばあさんは今朝、佐渡から送られてきたカレイの干物など喰っております。まったくもって不思議な生き物です。 ( ̄‥ ̄) 不思議といえば、「心で知る、韓国」=小倉紀蔵(2005年)をチビチビ読んでいる私ですが、何故日本人おばさま方が韓国ドラマに魅かれていったかが語られています。ケッテーテキに日本と違うのは「愛」の概念です。漢陽大学名誉教授・金容雲氏の日韓比較文化論によると“日本人の日常に愛がないからだ”“そもそもサラン(愛)に相当する固有語を持っていない”だから、韓国人の愛の表現に圧倒された…という。小倉氏は同じ「愛」というキーワードを逆の視点でとらえています。日本では「愛」=公的なもの と「恋」=私的なもの を切り離して考える。そのふたつの分裂が極点に達したときにカタルシスを感じる、と。しかし韓国の愛(サラン)には別次元の恋という概念がない。私的なものも公的なものもサランですませてしまう。「私と公は同心円を描く」 と語っています。愛(サラン)の同心円。ヤンパが簡単な図を描いてみました。オッテヨ?^^ 愛は儒教的“孝”を中心として同心円を描く。私と公の葛藤の中でもだえ、苦しみ、泣き、叫び、怒りをぶつける表現に日本人おばさまが新鮮な驚きを感じたのではないかということです。(在韓主婦の皆さまは新鮮な驚きではすませられせんが)もともと公的な意味の愛国心は、実は明治以降の日本が東アジアに伝えた文化と考えられます。私は朝鮮半島に愛国心が根づいたのは日本統治時代ではないかと漠然と思ってきたのですが、3月1日にソウルで日本の国旗を食いちぎったり、火をつけて引き裂いたりする光景も、実は儒教的サランの中で苦悶する韓国人の愛情の表現なのかもしれないなあと考えるわけです。李朝五百年の細い糸を断ち切った恋敵日本は、やはり両国が地球上から消滅するまでサランの中で孝を楯にその発露の対象として生き続けるのかもしれません。げに恐ろしきは愛です。
March 3, 2007
コメント(6)
ご存知のように我が家のばあさんは今、入院している。術後の回復も早く、退院まで問題はないだろう。さて、入院した翌日ぐらいから、我が家では不思議な現象が起きはじめた。いつものように朝、お茶とご飯を仏壇に持っていった妻が 「ねえ、仏壇の中に雀の赤ちゃんがいるみたい」という。どれどれと仏壇の前に座って、妻が言うようにコンコンとたたくと、確かに中から「チュンチュン♪」とかわいらしい声が聞こえる。 私「弱ったなあ。使わないエアコンのダクトかなにかから入ってきたんじゃないかな、、、」あたたかいといえど、まだ2月末。(そのときは)赤ちゃん雀の命もそれほど長くはないだろう。ところが翌日も、その翌日もチュンチュン鳴いている。これはほっとけない。とにかく仏壇の中のものをすべて出してみよう!ということで懐中電灯片手に、ご先祖様たちをどけてみた。仏壇の引き出しという引き出しもくまなく調べ、手をつっこんだりもしてみたがチュンチュン君は影も形もない。いったいどこに隠れているのか。ほんとうに申し訳ないけれど、チュンチュン君の命もこれまでだなとあきらめていた。家の裏に回っても壁にそれらしき痕跡もなかったからだ。 あるじのいない部屋に響く小雀の声、 チュン チュン …。けさ、妻がご飯をあげようと、あの、なんていうんだろう?仏壇用のご飯の入れ物(真鍮製?)に、ご飯をよそって持ってみるとなんと! チュンチュン♪鳴いているのは、いや、鳴っているのはその真鍮の入れ物だった。ご飯の熱と、冷たい真鍮が反応しているようだった。いやそれにしても、毎日していたことである。何故、母が入院したら鳴きはじめたのだろうか?じいさん(父)が 「さみし~よぉう~」と、呼んでいるのだろうかと妻と話している。雀の仏壇は、つづらの中から大判小判を持ってきてはくれなかったが、我が家に早めの春を毎日つげている。
March 1, 2007
コメント(8)
全13件 (13件中 1-13件目)
1