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今日ご紹介するのも、非常に興味深いイラストです。ステュークリーが1723年7月18日に描いた、エイヴベリーそばのベックハンプトンからヘディントンに続く古代ローマ人の道路です。ご覧のように、ローマ人の道は右下にある先史時代の古墳の一部をカットして造られています。つまり、こうした土塁を含む古墳群は、ローマ人がイギリスにやって来る前から存在していたことを示しているんですね。彼は翌年にも、ストーンヘンジのそばでも同じような光景を見て、確信します。ストーンヘンジもエイヴベリーもローマ人が侵入するはるか前に造られたのだ、と。そこで彼は、ケルト人のドルイドが造ったのだとして、ストーンヘンジやエイヴベリーの巨石遺構を、先達のジョン・オーブリーに習って「ドルイドの寺院」と名付けたわけです。彼らの発想は、当時の人々にとっては新鮮でした。というのも、17~18世紀当時の人々はストーンヘンジやエイヴベリーの巨石群を古代ローマ人か、11世紀のデーン人の遺物くらいにしか、思っていなかったからです(ちなみにマーリンの丘も21世紀の2011年まで、11世紀の建造物だとみなされていました)。その画期的な仮説も、真実には近づきましたが、事実ではなかったことが今日では判明しています。ケルト人が来るさらに2000年以上前に、古代ブリトン人が建造したのが、エイヴベリーとストーンヘンジの巨石遺構であったわけですからね。もう、凄いとしか言いようがありません。
2018.03.31
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ロールライト・ストーンズの実物の写真です。王の兵たち。ささやく騎士たち。そして、王の石。2010年に撮影しました。
2018.03.29
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ロールライト・ストーンズのメインとなる三つの巨石遺構は、立石のキング・ストーン(王の石)、ストーンサークルのキングズ・メン(王の兵たち)、そしてドルメンのウィスパリング・ナイツ(ささやく騎士たち)です。で、今日紹介するのは、ウィスパリング・ナイツ。キングズ・メンのストーンサークルから東に400メートルほど離れた場所にあります。右奥に描かれた「A」がキングズ・メンですね。下は南西から描いたスケッチです。王への反逆を謀議している騎士とも、王のために祈っている騎士とも言われています。いずれにしても、魔女によって石に変えられてしまったそうです。
2018.03.28
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昨日紹介したのは南から描いた「キングズ・メン」のストーンサークルでしたが、今日紹介するのは、西から描いた「キングズ・メン」です。このストーンサークルの直径は、約33メートルあります。上のイラストでは小さくてわかりづらいと思いますが、中央地平線にAと書かれているのは、「キストヴァエン(箱型の石の墓)」が遠くに見えていることを示しています。その下をよく見ると、明日ご紹介する「ウィスパリング・ナイツ(ささやく騎士たち)」という巨石遺構が描かれていることがわかります。上のイラストは、昨日紹介した「王の石」の方角をもっと近くから描いたものです。ストーンサークルの北に広がる風景です。Aの下に描かれた立石が「王の石」、その右の長細い丘がBの「大祭司ドルイドの墓」と書かれています。ただしBについては、ステュークリーは長塚であると思ったようですが、自然の丘ではないかとする見方が一般的です。左端のCは「王の丸塚(円墳)」、中央のDは「ロング・コンプトン」と書かれています。どちらも塚のように見える丘を指しているようですが、詳しいことはわかりません、。
2018.03.27
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面白いことに、ウィリアム・ステュークリーの書いた『エイヴベリー:英国のドルイド寺院』の最初に紹介されているイラストは、エイヴベリーの古代遺跡ではありません。エイヴベリーから約64キロほど北東に離れたオックスフォードシャー州にある巨石の複合遺跡「ロールライト・ストーンズ」です。というのも、この遺跡ほどドルイド(ケルト人の祭司)と結びついた遺跡はほかにないからです。つまり、ステュークリーもまた、ケルト人たちが巨石遺構を建造したのだと思い込んでいたんですね。もちろん何度も説明しましたが、イギリスの巨石遺構のほとんどがケルト人がイギリスにやってくる2000年以上前に建造されたものです。ここに描かれているのは「ロールライト・ストーンズ」の中の「キングズ・メン(王の兵たち)」と呼ばれるストーンサークルです。「魔女によって石に変えられたデーン人の王の兵士たち」という伝承があります。ここでは、犬を連れてストーンサークルの石の数を数えているステュークリーとみられる人物が描かれています。なぜ石の数を数えているかというと、「キングス・メン」の石の数は正確に数えられないとか、三回数えて三回とも同じ数だったら願いが叶うなどの伝説があるからです。右奥の丘の中腹に一柱の立石(A)が描かれていますが、これが「王の石」です。その右にある(B)が大祭司ドルイドの墓で、左にある(C)は円墳の「王の墓」であると書かれています。
2018.03.26
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エイヴベリー周辺遺跡の中で、今日紹介する遺跡も結構有名です。ステュークリーは「キスト・ヴァエン」という名称で紹介していますが、現在は「デヴィルズ・デン(悪魔の住処)」として知られています。エイヴベリーから東に5・5キロほど離れた丘の中腹にあります。クラットフォード・ボトムという地名が書かれています。マールボロへ向かうメインロードから北に数百メートル離れた畑の中に鎮座しています。ドルメンですが、かつては土に覆われた長塚(ロング・バロー)の石室部分、あるいは入口部分が露出したものであるとみられています。ドルメンの周りに描かれた巨石は、その残骸だと思われます。長塚はほとんど破壊されてしまいましたが、1921年にドルメンだけが復元されて、辛うじて昔の面影を残しています。
2018.03.25
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これも貴重なイラストです。というのも、もう今は存在しないストーンサークルを記録にとどめているからです。場所はエイヴベリーから北東に二キロほどしか離れていないモンクトンのミルバローです。ストーンサークルと言っても、ウエスト・ケネット・ロング・バローのような、石室のある長い古墳ではないかとみられています。その周りを囲むように巨石が立っていたわけですね。この古墳は19世紀に破壊されて、現在では場所だけが確認されています。古墳の大きさは、長さ65・5メートルで、幅16・8メートルあったそうです。左奥の地平線に見えているのが、エイヴベリーの教会の尖塔です。
2018.03.24
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今日紹介するのも、非常に貴重なステュークリーのスケッチです。二段になっていますが、上がベックハンプトンの谷に並ぶ丸い古墳群で、下がサンクチュアリーがあるオバートン・ヒルに並ぶ丸い古墳群です。いずれもエイヴベリーのそばに建造された複合施設ですね。大ヘンジやストーンサークルが造られた時期より少し新しくて、紀元前2200~同1500年の青銅器時代に造られた円墳であるとみられています。丘の稜線に沿って、一直線状に円墳が造られていった様子がうかがえます。そして、私が特に注目したのは、下段のオバートン・ヒルから東を描いた風景の中に、マールボロの「マーリンの丘」らしき小山が描かれていることです。その部分を拡大するとこうなります。道の先にマールボロと英語で書かれており、その右下に教会とみられる建造物があり、さらにその右に「マーリンの丘」ことマールボロの丘が描かれているように見えます。おそらく間違いなくマールボロの丘でしょう。オバートン・ヒルからシルベリー・ヒルは見えますから、このことからもシルベリー・ヒルとマールボロの丘の間で、何らかの信号のやり取りが行われていたことが推察できるわけです。
2018.03.22
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1959年にR・J・C・アトキンソン氏の『ストーンヘンジとエイヴベリー』の中で紹介されているエイヴベリーの遺跡の地図です。●(黒丸)は立っている巨石で、○(白丸)は倒れた巨石、▲(黒三角)は発掘の結果わかった立石の穴です。大半が失われ、しかも痕跡さえ残っていないことがわかります。中央の上にあるサークルが北のストーンサークルで、中央に印された二つの●が、先日紹介した北サークルのコーヴの現存する二つの立石です。南のサークルも五本の立石以外はほとんど破壊されていることがわかります。南のサークルの中央にも半月形の何らかの巨石構造物があったことがわかっています。その二つのストーンサークルを囲む巨大なストーンサークルがあります。その大ストーンサークルの外側に堀と土手から成るヘンジが構築されているわけです。そして南の入り口からウエスト・ケネット・アヴェニューが延びています。次のイラストは、その南の入り口付近で、ステュークリーが描いた外側の巨大ストーンサークルの一部です。三つの巨石が立っていますが、おそらくこれが外側の大きなストーンサークルを構成する立石で、その奥にあるのが南のストーンサークルの立石です。
2018.03.21
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ステュークリーが描いたエイヴベリー大ヘンジ内の南のストーンサークルです。横倒しになった巨石の横に二人に人が立っていますが、この巨石が今どこにあるのかはわかりません。こちらは手前に巨石が三個横倒しになって、その向こうに5柱の巨石が弧を描くように立っています。これがおそらく南のストーンサークルの弧ではないかと思われます。なにしろ、南のストーンサークルの破壊も凄まじく、今でも立石として現存するのは、五柱だけです。次のブログでは、一体何本の立石が残っているかの全体像を説明いたしましょう。(続く)
2018.03.20
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昨日紹介したエイヴベリー北側のストーンサークル内にあるコーヴを、ステュークリー氏がもっと近くからスケッチしたものを二枚紹介しましょう。まずはこちら。コーヴを東側から見た絵です。コーヴとは入江とか、奥まった場所、それに山の中の洞穴のような隠れ場所という意味です。ストーンサークルの中の隠れ場所のような巨石遺構だったので、名付けられたのだと思います。その名付けの親はステュークリー本人です。現在は二つしか立っていない巨石ですが、絵で見てもわかるように、ちょっと右に離れた場所に巨石が立っていますから、これがコの字形を形成したもう一つの立石なのかもしれません。その手前の中間にも、倒れたような巨石がありますから、今とは違った形の巨石構造物が立っていた可能性もあります。いずれにしても、今はこの二つの巨石だけが、かつてコーヴという構造物があったことを辛うじて物語っているわけです。
2018.03.19
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ステュークリーが描いたエイヴベリーのストーンサークルも紹介しましょう。北側のストーンサークルを描いたものです。中央の奥に見えるのが、Aの教会の尖塔です。その左隣のBは手前にあるコーヴと名付けられたコの字形の巨石構造物を指しています。北のストーンサークル内にある構造物ですね。そして右端のCがウィンドミル・ヒルです。18世紀には、このように見えたわけですね。部分的には今と変わらない風景ですが、当時はもっとのんびりした感じだったように思います。
2018.03.18
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ステュークリーが描き、残してくれたスケッチの中で、私が気に入っている絵の一つがこれです。どうして気に入っているかと言うと、これはエイヴベリーの村の教会の尖塔から描いたスケッチだからです。なかなか見ることのできない場所からのおおよその全体像を知ることができます。ステュークリーはこうして俯瞰した絵を多く残してくれました。前にも言ったと思いますが、シルベリー・ヒルの上から絵をスケッチしてくれていたら、もっと良かったですけどね。一応説明しますと、中央右奥にシルベリー・ヒル。その左にウィンドミル・ベルと書かれた丘は、現在はワーデン・ヒルと呼ばれている丘です。この丘とシルベリー・ヒルの間の先にあるのが、多分ウエスト・ケネット・ロング・バローであると思われます。で、左端に描かれているのが、エイヴベリー大ヘンジの西側部分のヘンジですね。
2018.03.17
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これだけの土木・測量技術を持った文明が4500年前にイギリスに存在していたわけですから、他にも高水準の文明の痕跡を残しているはずです。私が徹底的に調べたところ、至るところにありました。数ある痕跡の中で、今日はこちらを説明しましょう。まずは私が作成した図をご覧ください(拙著『竹内文書と平安京の謎』の33ページ)。シルベリー・ヒルとマーリンの丘を結んだ外周の端までの線分の距離8・49キロは、ウィンドミル・ヒルとナップ・ヒルの頂上を結んだ線分と完璧に一致していることを示しています。さらに面白いのはウィンドミル・ヒル、シルベリー・ヒル、ウエスト・ケネット・ロング・バロー、ナップ・ヒルという4500~5500年前の構造物のある重要拠点が一直線上に並んでいることです。ナップ・ヒルはただの丘ではないかと思われる方もいるかもしれませんが、いえいえ、そうではありません。ナップ・ヒルは、紀元前3500年に造られたとみられる、頂上を囲む周壁遺構のある、かなり目立つ山なのです。それはウィンドミル・ヒルも同様ですね。ウィンドミル・ヒルも山頂部に紀元前3300年ごろに建造されたイギリス最大級の周壁遺構があるわけです。ちなみにウエスト・ケネット・ロング・バローは紀元前3600年ごろから建造が始まったとされる石室古墳ですし、シルベリー・ヒルも先史時代における欧州最大の人工マウンドです。ということは、シルベリー・ヒルとマーリンの丘が建造される1000年も前には、既に高度な土木・測量技術が存在した可能性が非常に高いということになりますね。ロング・バロー・サウス・オブ・シルベリー・ヒルと書かれていますが、これがまさしくステュークリーが描いたウエスト・ケネット・ロング・バローズです。
2018.03.15
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ステュークリーはシルベリー・ヒルの人工姉妹丘である「マーリンの丘」ことマールボロの丘のスケッチも残しています。例によって、角度が急すぎるなど必ずしも正確な描写と言えませんが、特徴はよく捉えています。イラストに描いてあるように、実は螺旋構造を持った人工丘なのです。そして、実はシルベリー・ヒルもらせん構造を持っていたことがわかっています。余りにも精巧にできているので、2011年までは、11世紀の「モット・アンド・ベイリー」方式(丘を利用した築城方法)の加工丘であろうと考えられていました。彼はちょっと上から俯瞰したイラストも描いています。18世紀には、庭園の中に溶け込んだ人工丘であったことがこのイラストからもわかりますね。現在はマールボロ大学構内にあり、「マーリンの丘」と呼ばれて親しまれています。ステュークリーの鋭いところは、ちゃんとシルベリー・ヒルとマーリンの丘の両方のスケッチを描いていることです。ただしステュークリーも、上空から見ると、まさかマーリンの丘とシルベリー・ヒルが同一緯線上に接する円となっていることまでは気がつきませんでした。
2018.03.14
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昨日紹介したのは、18世紀のシルベリー・ヒルを描いたものでしたが、今日ご紹介するのは、21世紀に私が作成したシルベリー・ヒルの略図です。拙著『竹内文書と平安京の謎』の35ページに掲載されたものです。なぜ竹内文書や平安京と、イギリスの古代遺跡であるシルベリー・ヒルが関係あるのかと訝る方もいらっしゃると思いますが、それは私が、今から5000年前に驚異的な測量・土木技術を持つ世界規模の文明があったのではないかとする壮大な仮説を立てたからです。上図は、衛星写真を使いながら私が加工したものなのですが、おおよそシルベリー・ヒルの高さと大きさ、斜面の角度は図のイラストのようになっています。シルベリー・ヒルの直径は約167メートルで、高さは約39・5メートルです。そのシルベリー・ヒルの右斜め上に描かれているのが、東に約8・5キロ離れたマールボロ大学構内にある「マーリンの丘」ことマールボロの丘です。2011年の調査によって初めて、紀元前2400年ごろ造られた人工丘であることが判明しました。私はこの二つの人工丘がほぼ東西線上にあることに着目。衛星画像や地図を使いながら精査したところ、シルベリー・ヒルの基底部北端とマーリンの丘の基底部南端が秒数まで一致する同一緯線上(北緯51度24分59秒)にあることを突き止めたわけです。つまりこの緯線は、二つの円を結ぶ完璧な接線でもあるということです。さらに注目すべきは、その大きさです。シルベリー・ヒルが約39・5メートルに対して、マーリンの丘は約19メートル、直径は前者が約167メートルで後者が約83メートル。限りなく2対1になっていることに気がつくはずです。全くの相似形なのです。で、昨日のステュークリーの描いたシルベリー・ヒルと見比べてください。似ていますが、角度も高さも正確ではありませんでしたね。ここから何が言えるかというと、約4500年前の古代イギリスにいた測量師たちは、円錐の大きさや高さ、そして斜面の角度も綿密に計算して相似形の人工丘を2対1の割合で建造しただけでなく、約9キロ離れた緯度まで秒の単位で正確に測量できるだけの土木・測量技術をもっていた可能性が極めて高いということです。これは明白に、18世紀の測量技術を凌駕しています。紀元前2500年ごろのイギリスの古代人のほうが、はるかに進んだ科学文明を築いていた可能性が浮かび上がってくるのです。(続く)
2018.03.12
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ステュークリーが描いたシルベリー・ヒルの幾何学的イラストです。先史時代における欧州最大の人工マウンドを、一生懸命測量して描いてくれました。キュービットという単位が使われていますが、これは中指の先端から肘までの長さ(約46~56センチ)を腕尺として使った長さの単位です。ですから、シルベリー・ヒルの底辺の直径は、約300キュービット、すなわち138~168メートルと測量したことがわかります。高さは102・3キュービット、約47・0~57・3メートルと計測したことになります。実際の直径は約167メートルですから、まあ正解です。しかし、実際の高さは約39・5メートルですから、ちょっと高く描きすぎていますね。本当のシルベリー・ヒルはもっとなだらかな斜面を持っていて、高さも低いのです。測量は正確とは言えませんでしたが、ここからいろいろなことがわかるんですね。(続く)
2018.03.11
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これが、ステュークリーが想像して描いたエイヴベリーとその周辺遺跡の配置図です。必ずしも正確な配置図とは言えませんが、大方の構図は合っています。中央やや上にエイヴベリーの大ヘンジと外側のストーンサークルが描かれ、その内側には二つの小さなストーンサークルが描かれています。そこから右に延びているのがウエスト・ケネット・アヴェニューで、終着点はサンクチュアリーと呼ばれるストーンサークル。一方、左に延びているのは、バックハンプトン・アヴェニューです。中央下にあるのは、シルベリー・ヒルですね。ステュークリーはドルイドは蛇を信仰していたのではないかと仮定、サンクチュアリーのストーンサークルを蛇の頭、バックハンプトン・アヴェニューを蛇の尻尾にそれぞれ見立て、巨大な蛇を描いてみせました。では、エイヴベリーは蛇の何なのかというと、卵を身ごもったお腹というわけです。面白い発想ですね。では、大蛇の頭としっぽの中間にあるシルベリー・ヒルは何なのでしょうか。彼の仮説が当たっているのかどうかはわかりませんが、5000年前の古代の人々が明確な意図を持って、かつ高度な測量・土木技術を駆使して、これらの古代施設を複合的に建造していったことは間違いのない事実なのです。
2018.03.10
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これはステュークリーを有名にし、かつ物議を醸すことになったイラストです。説明すると、右奥に見えるのがシルベリー・ヒルで、左端の小山の右奥の見える尖塔がある辺りがエイヴベリーの遺跡です。で、エイヴベリーの遺跡から道が手前に向かって延びていますが、このイラストではその道に沿って三つ巨石が置かれているように描かれています。彼はこれがもう一つ別のアヴェニュー(巨石回廊)があった証拠であると考えて、ベックハンプトン・アヴェニューと名付けました。つまりエイヴベリーの大ヘンジからは、ウエスト・ケネット・アヴェニューとベックハンプトン・アヴェニューの二つのアヴェニューが延びていたという説を展開したわけです。しかしながら、アヴェニューの痕跡はほとんど残っていませんでした。ですからその後長い間、この二つ目の回廊はステュークリーの想像の産物であって、存在しないものだとすら考えられていたのです。しかし、1999年になって、幻のベックハンプトン・アヴェニューの立石とみられる4つの巨石が埋まっているのが見つかり、さらにほかに5つの立石が立っていたであろう場所が確認されたのです。この再発見によって、ステュークリーの描いたベックハンプトン・アヴェニューが公認されるに至ったわけです。
2018.03.09
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これが昨日説明したウィンドミル・ヒルとエイヴベリーの遺跡の関係を如実に示しているステュークリーのイラストです。中央奥にそびえるのが、頂上に紀元前3500年前の三つの円墳があるウィンドミル・ヒルです。その麓に広がる村がエイヴベリーで、ご覧のように村を囲む大きな環状(ドーナッツ型)の土手が築かれていることがわかります。これはヘンジと呼ばれる遺構で、環状の土手とその内側の堀でできています。エイヴベリーの場合は、このヘンジの内側に二つのストーンサークルがあり、さらにそれぞれのストーンサークルの内側に巨石遺構が建造されています。その詳細は後日、改めて説明いたしましょう。で、このスケッチの面白いところは、そのヘンジが道で切り開かれている場所の向う側に、ウィンドミル・ヒルの山頂が描かれていることです。実はここは、ヘンジから延びるウエスト・ケネット・アヴェニューという二列の立石が延々と二キロ以上続く「巨石回廊」の出入り口なんですね。このスケッチには二列の立石で造られた巨石回廊はその残骸しか描かれていませんが、20世紀になってから復元されて、今ではある程度昔を偲べるようになっています。それはさておき、重要なのは、ウィンドミル・ヒルとエイヴベリーのウエスト・ケネット・アヴェニューの出入り口を結んだ直線上に、先日紹介したサンクチュアリーのストーンサークルがあることです。しかも、ウエスト・ケネット・アヴェニューの出入り口は、ウィンドミル・ヒルとサンクチュアリーを結んだ線分の中点にあります。この絵一つを見ても、彼らがこの三つの古代遺跡を意図的に直線上に配置し、かつ距離も正確に測っていたことがわかるのです。サンクチュアリーもエイヴベリーの遺跡も4500~4600年前の遺跡ですから、紀元前2500年ごろにはそのような土木・測量技術が存在したことになります。ステュークリー氏は当時そのことに気がつきませんでしたが、重要な証拠を残してくれたわけです。
2018.03.08
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これはよく使われるステュークリーの代表的なスケッチです。同じシルベリー・ヒルを描いたものですが、これがよく使われるのは、スケッチした場所が、オバートン・ヒルといって、かつてストーンサークルがあった「サンクチュアリー(聖域)」と彼本人によって名付けれた場所だからです。17世紀のジョン・オーブリーの時代には、サンクチュアリーのストーンサークルは辛うじて存在していました。ところが18世紀のステュークリーの時代には、ほとんどが破壊されて石も持ち去られてしまいました。それでも、立石が立っていた穴だけは残っていたことがこのスケッチからわかります。中央左奥に描かれているのが、シルベリー・ヒル。その右奥にウィンドミル・ベルという丘があり、その右の裾に沿って右奥に向かっている道の先にエイヴベリーの遺跡があります。そのエイヴベリーの遺跡のさらに左奥に見える丘がウィンドミル・ヒルです。細かくて見づらいと思いますが、丘には三つのマウンドがちゃんと描かれていますが、これは5500年前の古墳です。このスケッチからも、サンクチュアリーがウィンドミル・ヒルとエイヴベリーの大ヘンジを結んだ直線上に建造された聖地であることがわかるわけです。タカミムスビの法則を使っている「古代風水」の動かぬ証拠です。
2018.03.07
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これがステュークリーが描いたシルベリー・ヒルです。実はシルベリー・ヒルはこのように急峻な人工丘ではありませんが、おおよその姿はあっています。当時は、このように丘を取り囲むような土手があったようです。頂上へ向かう登山道もちゃんと描かれていますが、この山頂から描いたスケッチはないんですね。もし描いていれば、マールボロの丘(マーリンの丘)が見えたかどうかわかるのですが、残念です。視達距離を計算すると、一応双方から見えたことになっています。左端にエイヴベリーの村が描かれていますから、シルベリー・ヒルの南西方向から描いたことがわかります。
2018.03.05
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先週の金曜日(3月2日)の夜のことです。UFOのことで秋山氏を取材した帰り道。空を見上げると、白銀色に輝く満月が出ておりました。妙に白かったので、しばらく見入っていると、「写真を撮ると、面白いよ」という内なる声が聞こえたような気がしました。そこでバッグから携帯カメラを取り出して撮影します。それがこちらの写真。中央に写っているのが満月ですが、左の梢の先にも、「第二の満月」が写り込んでいますね。その拡大写真。ちゃんと構造を持った光体であることがわかります。秋山氏とUFO観測会に行くと目撃する光体と同じものではないかと思われます。月のすぐ左側にも、もう一機のUFOが写り込んでいるように見えます。満月の夜の「別の満月」でした。
2018.03.04
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