HANNAのファンタジー気分

HANNAのファンタジー気分

August 26, 2026
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テーマ: 中国旅行記(222)
カテゴリ: カテゴリ未分類
第18回は敦煌・莫高窟、1986年8月1日(金)です。記述や画像は当時の私たちの記憶であり、何かの正確な記録や証拠ではありません。

敦煌賓館 の部屋は、きちんとベッドメイクされ、美しいチャイニーズな極彩色のベッドカバーが目をひく。が、触ってみると、ジャリ、と砂の感触。大きな窓を昼間開けて風を通してくれたのだろうが、部屋じゅうに細かな砂漠の砂がうっすら積もっているのだった。
 夜中に、同室だった私とNは、喉が渇いて起き出した。冷蔵庫がないのでバケツ(ゴミ箱だったかもしれない)にくんだ水に沈めておいたスイカを、刃物がないのでプラスチックの物差しで引き裂いて、バリバリ食べた。“ワイルドで行こう“…でも、ほんとにおいしかった。到着したとき配られたスイカだが、なるほど、必要なものだったのだ。

 朝8時、ぽつぽつと雨が降って涼しい。敦煌賓館のロビーには池があり、西洋人のお客も多い。扉の横、玄関のタイルには飛天が描いてある。
 5元で懐中電灯を借りて25キロほどバスでゆくと、名高い 莫高窟(ばっこうくつ) * に着く。中は撮影禁止である。


*莫高窟  南北朝の東晋時代(4世紀)に 楽僔 (らくそん)という僧が開いたのが始まり。以後、元代まで約千年掘り続けられた壮大な石窟。1900年、第16窟の壁奥に隠してあった第17窟( 経蔵 )で、膨大な敦煌文書の発見。私たちの旅行の翌年、世界遺産になった。

下画像は上質の厚紙の入場券(片面は壁画の仏像たち、片面は全体の見取り図)。二つ折りのを伸ばしてスキャンした。

 窟の入り口の門は現在もだいたい同じなので写真省略。別に表門というのもあった。
 中へは専門のガイドさんに連れて行ってもらうが、洞窟にはみなドアがついており、CO2濃度測定器なども設置されていて近代的。明るい照明やフラッシュは壁画の変色の原因になるので禁止なのだそうだ。
 外からは撮影できるので、ドアや、外壁の壁画のようなものを撮った(左写真)。写っていないが、すべて窟の入り口には番号札がある。例によって修復中の中央大仏殿(第96窟)と、窟の調査・見学のための階段・回廊、花壇のカンナ(砂色の世界の中で唯一の赤)を撮影(右写真)。
 また、窟のある丘の前には、小さな塔に似たお墓があった。当時はよく分からなかったが、いま調べると元代の墓塔のようである。背景は莫高窟の西にある 鳴沙山 が朝の光を浴びている(左下写真)。

 観光客に公開される窟は時期ごとに違い、いつであれ全体の3分の1しか見られないという。我々は最初に第16窟・第17窟(例の隠し窟)へ行くと聞いて驚喜した。 井上靖『敦煌』 の世界だ!!
 以下、見学した順に、大量のメモをもとに;

第16窟(初唐)・第17窟
 第16窟の壁の横穴を覗くと、この穴(第17窟)を掘ったお坊さん( 洪べん 、べんの字は表示されにくい。 洪瓣 とも)の像。壁には左右に女性(坊さんの世話をした貴婦人)。NHKのTVで見たとおり、ボダイジュにかばんがかかっており、女の人は巨大なうちわ(右画像)をかざしている。やはり暑いのだろうか…。が、もうちょっと明るければよいのに…テレビで見たような鮮明さは、無理。

第335窟 (初唐)メモなし
第329窟 (初唐)
 シャカの物語が壁画になっている(左画像)。仏の右に王妃マヤが夢に見たという象に乗った普賢菩薩が、左には出家するシャカが閉じこめられていた城の城壁を乗り越える図がある。左のシャカは天馬にまたがりその蹄を4人のバラモン僧が支えている。 光瀬龍『百億の夜と千億の夜』 に出てくる悉達多(シッダルタ)の出家の場面を思い出す!
 その下に風神(どんな姿かよく見えぬ)。さっきの象の下には雷神、日本の雷どんそっくりの太鼓を背負っている。敦煌にも風神雷神図はあったということだ。以上が正面のメインで、あとは数々のきれいな飛天(空を舞う天女)たち。初唐は 則天武后 の時代のもので、彼女は熱心な仏教徒だったという。

第328窟 (初唐)
 ガイドさんの話によると壁画や像の色を出しているのはすべて岩から作られた顔料だとかで、日本画と同じだなと思った。ここには仏さまの左右に二人の弟子が立っている。が、右の弟子(大迦葉)は年配でいかにも苦行僧らしく痩せて厳しい顔をしているのに対し、左の弟子(阿難)は若く色白でふっくらしている。立ち方もどこかけだるそうだ、とガイドさん。
 その手前左右2体ずつの菩薩さんたち、そのうち一つは米国人の ウォーナー とやらが盗んでいったので今はない(右画像)。彼は20いくつもの壁画を削り取った大盗掘屋(1924年、近代ではほぼ初めて外国から調査に来た)でそれらは今ハーバードにあるという。

第305窟 (隋)メモなし
第299窟 (隋)
 隋代の壁画の飛天は体型が太めで帯も短く、あまり飛べそうにない、とガイドさん。

第55窟
 低いところにある巨大な窟で、うすら寒い。仏像などもともとは五代(五代十国時代、唐と宋の間)の頃のだが、宋代になって一家の廟、あるいは氏寺的に使われ、壁画も多く描かれたそうだ。仏像は正面二つが現在、向かって右が未来、左手が過去の仏を表している(左画像)。
 入り口の壁画(宋代)はイスラムの侵入によって削られたり塗りこめられたりしたとかで、上塗りし、西夏の時代の絵が表に出ている。

 午前中の見学はこれまで。ホテルに戻り昼食、昼寝のあと午後3時に莫高窟に戻る。
第254窟 (北魏)
 窟の天井が「人」の字形で真ん中に柱がある(北魏の特徴的様式)。中央に 交脚弥勒 * さんがいらっしゃる(右画像)。像の着ている肩脱ぎの衣はこの時代から粘土を上から貼りつけてある(それまでは彫っていた)という。

*交脚弥勒  交脚している様式は中央アジア(ガンダーラなど)由来のもので最古のスタイルだそうだ。兜率(とそつ)天で下生を待つ姿とされている。やはり『百億の夜…』を思い出す!

 周囲には大量生産の小仏像。周りの壁にも仏さん。もう仏だらけなのだ。そうそう、小仏たちには首がない。
 北魏よりさらに古く莫高窟でも最古の部類の壁画は、 養虎捨身図 。虎の横にはコーマ仏(降魔)がおり、その周囲に鬼や菩薩がうじゃうじゃいる。色は緑が特に鮮やかで美しく、あとは黒ずんでいる。鬼は黒い顔に目だけが白く浮き出ていっそう不気味だ。“石緑”という顔料は変色しにくく肌色は変色しやすい。また黒(目の色)は剥げやすい、とのことだ。これらの鬼はシャカに嫉妬した誰とやらがシャカを邪魔せんとしているところだそうだ。

第257窟 (北魏)
 同じく「人」の字形で中央に弥勒像。今度は交脚でなく普通に座っている。仏の横に四天王の一人が立っているが、ウイグル人の顔をしており、当時の武人のいでたちだという。なるほど西洋人のように鼻が高い。
 壁のいちめんの小さな仏のモチーフは斜めにそろえた配色(左画像)で、美しい色は赤、褐色、緑などぼんやりわかった。本当は8色あり、斜めの色の列は“仏光”を示すそうだ。
 天井は四角い図柄がたくさん描かれ真ん中に蓮華の花、周りを飛天が飛んでいる(右画像)。そのうち一つは蓮華のかわりに4人の女性が輪にになって泳いでいる図がある。シンクロナイズドスイミングのはしりだ! 北魏の飛天も帯は太く短い。色は緑。中には琵琶を持っているのもある。


見学はまだ続く。現在では莫高窟は一度に10窟ほどしか見られないそうだが、私たちは20窟以上見た。





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Last updated  August 26, 2026 11:59:57 PM
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