HANNAのファンタジー気分

HANNAのファンタジー気分

August 28, 2026
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テーマ: 中国旅行記(222)
カテゴリ: カテゴリ未分類
第19回は 敦煌・莫高窟 の午後の見学つづき、1986年8月1日(金)です。記述や画像は当時の私たちの記憶であり、何かの正確な記録や証拠ではありません。

第246窟
 天井は北魏のと同じ「人」の字形だ。壁画・仏像は西夏の時代に修復した。中央に二つの像があり、左がシャカ、右がタホー仏( 多宝仏 または多宝如来。釈迦と並んで座っている形式を二仏並坐(並坐=びょうざ)という)で、二人して説法をしているのだが、シャカがタホー仏に席を譲っている(左画像)。
 その手前脇にあるなまめかしいポーズの小仏像はピンクだったのが今は白くなっている。八頭身のセクシー仏だ。
 西夏時代の天井壁画は、丸い模様がモチーフ(右画像)だが外の日光の反射光で変色している。壁にはさっきと同じく丸い仏像がずらりとあるが、横に一人一人名が入っている。“南元??佛”などなど(南元=南無で、敬称。佛=仏。肝心の仏の名前が判読できない)。

第249窟 (西魏)
 仏像は清代の色白で可愛い仏さん。窟の形は四角で一番奥に仏さんがおり、左右に脇仏。
 天井壁画(西魏)は、仏さんの真上に立派な阿修羅(仏法を守る)、その周囲に風神と雷神がいる。 もっと手前の天井近くには鹿狩り図が、青・緑・赤茶の鮮やかな色彩でよく見える。狩人は鹿から虎に目移りして虎に向かって行っている。牛や子連れの豚もおり、脇の方は未完成で色がついていない。9または13の頭を持つカイメイ(やはり法を守る役目の獣だそうだ)が、竜の姿で描かれ、色は空色と黒。かわいい形なので描く(左画像)が、細長い頭一つに見える部分は、9または13個の丸い頭が並んだものだという。後年、 佐藤史生『打天楽』 を読んだら 開明獣 というのが出てきて、あっこれだ! と思った(ただし、形は全然違う)。
 やや低い壁には丸いモチーフの仏が一列に居る。中程の高さには一列に並んだ楽神が様々な楽器をかかえていたが、ふと手もとを見ると、これは入場券の図柄( 前回の画像 参照)であった。

第237窟 (中唐)
 吐蕃の支配下にあった頃作られ、清代に修復されたそうだ。中央の観音菩薩像は白いかぶり物に赤い着物、顔は西太后に似ているという。その両側に、普賢菩薩(白象に乗っている)と文殊菩薩(獅子に乗っている)(右画像)。この白象が“いとをかし”とメモにある。目には赤い玉がはめこんであり、超カワイイ(右画像)。
 天井は真ん中が高く3匹のウサギが描かれているが、耳は全部で3つしかない。壁には琵琶を背中にしょったままで弾いている 反弾菩薩 の絵がある。これは踊りの一種だそう。むかしのジミ・ヘン(背中でギターを弾いたりするロックスター)だ。
 まわりにはインドの吉祥天(中国ではカササギ)が飛んでいる。人の顔をしているが胴体は鳥。 神坂智子『風の輪砂の和時の環』 に出てくる妙音鳥(カラビンカ)= 迦陵頻伽 に似ている!

第96窟 (初唐)
 中央大仏殿、修理中。外見は日本のお寺に少し似ている。 則天武后 (武則天)が10人の坊さんに説法させたので、彼らは則天武后を弥勒として彼女の顔で大仏を作ったという。のち清代に修復されたとき、袈裟を着ていたのを当時の皇帝の着た長衣に変えてしまったとか。時代考証無視もいいところ。中は見られなかったのでエピソードのみ。

第148窟 (初唐)
 入ってすぐの両袖部分に大力士と天王が4人ばかり居る。奥は巨大な 涅槃仏 さんで衣は赤、目は三日月形。その背後に 羅漢 さんの小さいのがいっぱい、全部で72体あり清代のだという。かまぼこ形の天井にはいちめんに仏の大群。唐代に石で中心部を作り外に粘土を塗ってつくった( 石胎塑像 という)ものを、清代に修復したそうだ。大仏は長さ16m、莫高窟では最大の臥仏だ(ちなみにもっと大きいのは 張掖 にある33mの仏だそうだ)。羅漢さんの中には、シャカの死を悼み泣いているのと、シャカの涅槃を喜び笑っているのとがある。男は右から、女は左から年の数だけ羅漢を数え、その羅漢が泣いているか笑っているかで運を占うという。

第130窟
 細くて暗いトンネル上の階段を上ってゆくと、大きな仏像がある。唐代の物でつるつるの白い顔、高さ26m。昔はこの大仏のおなかの中に財宝があると言われ、大きな穴が開けられたが、結局何もなかったという。清代に修復された。見上げるしかない大きさなので、鼻の形は下から見たとき自然に見えるよう作られ、上から見るとまるで西洋人のようだそうである。
 内部の壁画の緑が大変美しい。高さ16mの菩薩も描かれ(これは黒ずんでいた)、飛天(西夏の頃の)すら2mもある。 バン竜 (蟠󠄀龍。とぐろを巻いた龍、天に昇る前)というまがりくねった竜もある。
 それらに囲まれてさえ、なお巨大で辺りを制している大仏はちょっと不気味だった。手は長く指の関節は3つ(つまり指は4節)で、耳は肩までたれている。
 洞窟は上から下へ掘り下げられ、完成には20数年もかかったそうな。

第209窟
 大変珍しい壁画だか像だかがあるとのことであったが、なんと鍵が開かないのである。残念。

第98窟 (五代十国時代)
 当時敦煌を支配していた曹氏により掘られた。大きな洞窟に赤い衣の仏像があり、周りの壁画は五代そのままだというのに、とても美しい。当時西域32国中最強を誇ったという 于闐 (うてん)(ホータン)のおじさん(甘州ウイグル王国の順化可汗?)もいた。聖徳太子っぽい雰囲気である。曹氏の娘が嫁した縁でここに描かれている、この2mちょっとの大男は漢の武帝から衣をもらってすっかり武帝のまねをして立っているとか(後で思ったが、このエピソードは時代が合わない)。彼の足下には天女もいる。彼の隣が曹氏の姫(公主)とその侍女。横の方の画はイスラム教徒の仕業でみな首がない。
 向かって左側の壁画は張掖辺りから敦煌に嫁してきたモンゴル系の公主で色白、黒髪のふっくらした女性である。入り口近くには曹氏の先祖――建国した人(曹議金)とその息子、孫が並ぶ。息子(3人いるが末弟の曹元忠)がこの窟を掘り、一家の権勢を内外に誇ったとか。左画像はその建国の祖さん。

第63・61・62窟 (宋代)
 3つの窟がつながっている。宋代に改修されたが、もとは曹氏一族の2代目の王(つまりさっきの“息子”(曹元忠)だろうか?)が母と姉のために作ったもので、中央に文殊菩薩があったが壊れてしまっている。壁には日本でいうと飛鳥風?の着物を着た侍女がずらりと描かれ、その奥、菩薩の背後に 五台山 (山西省にある仏教の聖山)の大きな地図が細かく描かれている。日本の絵巻物を思わせるこの一大マップは緑や赤で、地名はおふだのような四角い枠で囲ってある。この地名部分は変色が激しく、特に寺の名は赤黒いくすんだふだに書いてある。たとえば手近にあったふだには「象皆得成訦…」?。地図の中の家々のうち、門の赤い家は身分の高い者の邸、黒いのは身分の低い者の家だそうだ。
 入り口まで戻ってそこに描かれた元代の十二星座の壁画を見る。側に、唐風に髪を結った王の奥さんのきれいな絵が残っていた。ネックレスを何重にもしている(右画像)。
 入り口近くに、もっと昔の窟があった名残として、天井だけが残っている。

 以上、夕方までかかって莫高窟の見学を終えた。

 バスでの帰路の途中、窟を掘った工人たちの住んだ跡の見える所で止まり、砂漠を堪能した(左写真)。天気はすぐれず、雨がぱらついたりしている。 にもかかわらず、驚いたのは、これから帰るはずの行く手が何やら青く海のように見えたことだ(右写真、地平線の青黒い筋)。ガイドのMさんは、これも蜃気楼だと言って大騒ぎ。しかし本当に青い。これが目の錯覚だとはとても信じられない。だが、バスに乗りこみどんどん行くと、いつしか海は消え失せて、ポプラの固まって生えている我らが敦煌のオアシスに着いたのである。





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Last updated  August 28, 2026 11:01:29 PMコメント(0) | コメントを書く


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