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今日は。朝から。午後には止むようです。四川省大地震はついに65000人が犠牲に。さらに二次災害や余震で犠牲になっています。いつおわるのだろうか?老舗高級料亭船場吉兆廃業へ。つかい回しでついにおじやんになってしまった。自業自得だよな。とはいえ、経営者のだらしなさが従業員を路頭に迷わせたのは気の毒。だいたい、つかい回しをした板長をクビにできなかったことが大きいと思います。
2008年05月31日
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雨が降ってるウ。でも、午前中でやむだろうか?気温が快適な気温。ま、20度前後か?四川省地震で報道されてないことが何件かある。1・放射性物質の本当の安全2.チベット自治区内の被害状況3.チベット自治区内に救援隊だけでなく、治安部隊を配備してる事実4.正確な山岳地方の被害状況など。そこでかんぐりたくなる。「本気に避難民のことを考えてるのではなく、ただ表面上は取り繕っていながら実際はチベット人の監視、警戒を最優先にしてるではないか」とね。ああああああ、どうなんだ本当は?
2008年05月25日
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四川省大地震はついに死者数が政府発表の5万人を超えて、6万人以上に達した。そしてけが人も24万から26万人以上。これって最終的に8万人になる可能性も出てきた。後から後から生き埋め&不明者が増えたこと。そして、二次災害の犠牲者がでてきたからだ。日本の医療チームは本当は最前線に行きたかったけど、中国側はいろいろな思惑と、海外の者を死なせる危険を冒させたくなかったということだろうか?日本は成都市内の大学病院で医療活動を本格的にやっている。たくさんの方が救われれば、派遣した甲斐があったというものだ。まだまだ続くのかかな?いろいろ中国の救援隊ノ不手際でついに綿陽市で被災者が暴動を起こした。これも、政府の思惑と関係なく、援助隊のモラルの悪さが露呈しただけだろう。政情不安にならなければいいが・・・・・・・。なお、今日大相撲は琴欧州(リトアニア人)が初優勝した。いま、が降っている。
2008年05月24日
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四川省の大地震は規模が変更され、(なんか変更ばかり)M8.0の巨大地震に。死者は5万人どころではなく、6万人を超えそうだ。すでに34000人が亡くなってる。(四川省だけで)負傷者も24万人を超えてます。まだふえそうだ。パンダの居住地区でパンダが3頭行方不明。ということは、地震にやられたということだろうか?パンダのえさも不足しそうだ。
2008年05月20日
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四川省のブンセン県を震源とする地震は、M7,9で(関東大震災と同じ規模)未曾有の大災害となり、これまでに29800人がなくなり、いきうめはまだ13000人あまり。最終的には5万人を超える見込み。負傷者も19万人、倒壊家屋も150万戸以上。四川省はチベット自治区に隣接する省であり、中国側のヒマラヤの玄関口でもある。つまり、山岳地帯なわけで、被害(被災地は)四川省だけで、ブンセン県、北川、青川、綿陽市、綿陽市綿竹地区、成都、都コウエン市、隣の省の重慶市、甘粛省など。さて、この四川省には世界遺産がある。文化遺産が都コウエン、北川のさらに山岳の方面に、黄龍、九賽溝(字が違うかも、難しいから辞書にないのだ)という自然遺産がある。文化遺産は倒壊して跡形もなくなる。(唯の瓦礫になった)でも、自然遺産の2箇所は山奥ということもあり、わからない状態。おそらくは山岳地帯の道はいたるところで山が崩れて道路は寸断されている。いまのところ、無事なのかどうかわからない。竜門断層帯が都コウエンから北川にかけて走っており、その上で起きたため、特に山岳地帯のブンセン、都コウエン、綿陽市綿竹地区、北川、青川などは倒壊した建物と、がけ崩れの被害が多数で、生き埋めになった人も多数。内陸型直下型地震では、阪神淡路大震災を超えてる大きさ。なにしろ、阪神淡路の30倍の地震の大きさ。おそらくは中国のほとんどの地域が揺れてる。日本よりさらに多き土地なので、どのくらい大きいのか想像がつかない。関東大震災のときは、揺れはどこまで影響うけたかわからないし、こちらはプレート型の地震なんで、参考にもならないけど、うーーーんとにかくでかいということだけだ。日本の最高震度の7を観測したのは、ブンセンと北川、都コウエン、綿陽市綿竹地区だと思う。四川省全体だと震度は5以上だろう。(大部分は6~7だろう。)日本で同じ規模で起きると・・・・・・・・・。おそらくは1万人超の死者かなぁ。耐震構造は日本のほうがまだましだから、でも、学校の耐震構造は日本もあまりかわらないぐらいひどいらしい。最悪だよね。オリンピックどころではないのに、まだこだわる中国。国民の不満が高まってるのにね、どいうつもりなのだろうか?起きた場所も最悪だよ。四川省の山岳地帯はアバチベット族の村や集落がたくさんあるところで、三月の暴動で成都や重慶などで暴動があったところ。皮肉にも解放軍に捕まるだけでなく、救助されることになるとは。中国としても、神経をすり減らしてきた場所の1つで、なんとか押さえ込んでおこうとおもったが、現状は人民解放軍だけでやってる場合ではなかった。そのため、日本、韓国、ロシア、シンガポール、台湾の援助隊を要請した。時間が経つにつれ、いろんな情報が中国から入ってくる。中国国内は報道規制してるから、全部は流れないが、海外には全部報道されてるようだ。長々書いてしまったが、本当に未曾有の惨事(人災&天災だね)になって、なくなった方には冥福を祈る。(合掌)ちなみに1972年の唐山地震(華北省唐山市)に次ぐ災害。唐山地震では24万人が亡くなった。
2008年05月18日
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今日も気温が下がってます。寒いです。そして、一日曇り。明日はどうかな?今日より悪いかな。気温も今日より下がるみたいです。中国の南部でM7.5の大地震。被害は情報を閉ざしてるのでよくわからない。ま、多分倒壊した建物は多数。中国の家は耐震がなってなさそうだからなぁ。
2008年05月12日
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今日は朝から雨です。そして、肌寒い。気温も14度前後らしいから、3月のころの気温だそうだ。ああ、それにしても、寒いです。ストーブはいらないけど、暖房がほしいですよね。冷たい雨が今も降り続いてるよ。胡氏は今日中国に戻った。ご苦労さんでした。今日は仕事。明日は休み。でも、雨だそうです。ふううっふふふふふふふうふっふふふふふふふふふふうふふふふうふう寒いですよね。
2008年05月10日
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今日は曇っていながらも気温は高め。明日は空気が入れ替わるので日中の気温は15℃以下になるらしい。3月末の気温。寒いかなあ。胡錦涛氏はまだ日本に滞在中。まあもう会談は終わってるから、後は見てまわるだけです。
2008年05月09日
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連休最後だ。今日は晴れて暖かいがそこそこ風が吹いて、快適だぞ。明日からは仕事だ。今日は胡さんが来日。明日はロシア新大統領にメドヴェージェフが就任する。でも、プーチンの院政だ。2重政治でかえってやりづらくなるのではないか。
2008年05月06日
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今日は上田城に行った。あるのは東櫓門と南櫓、北櫓と西丸の西隅櫓がある。城の堀は水がなく、空堀状態だが、わずかに本丸隅櫓が立っていたところからは堀に水がある。本丸隅櫓跡のところからは山がよくみえる。築城は真田氏が築城。慶長から寛文までは仙石秀久の仙石氏が入り、1706年に出石に移り、変わって藤井松平の老中松平伊賀守忠周がはいり、明治の廃藩まで。11代忠優(忠固)は老中。最後の藩主は忠礼(ただなり)。 とちゅう軽井沢付近で浅間山を撮る。まだ残雪が残ってる。 同じく妙義山を途中の安中市で撮る。山の中では妙義が近くで見れる。(国道18号=中仙道)不気味なほど岩が露出している。本当に安中から富岡って隣り同士の市なんだと感じる。五行歌を1つ。妙義,浅間をみれば、それぞれ山の個性を感じる表情がスポットで違うもんだね写真数枚があるが、いまいちなので、これで我慢。素人なのでうまく撮れないのは仕方がないよね。ρ(´ε`*)イジイジ長野はとかく暑かったぞ。家には六時に戻る。本当に日帰りだった。ちなみに上田の隣りは真田町と小諸(間に東御市があるが)小諸の懐古園はいったことある。そのときはカメラが携帯についてない時代なので映してない。小諸なる古城のほとりにてという歌があった、あの小諸の古城とは小諸城の懐古園をさす。門ぐらいしか遺構はない。(ちなみに12000石、牧野氏藩主)上田の先は信州松代藩があった長野市松代である。旧城の名は海津城。武田氏のお城で川中島(長野市川中島)での前線基地だった。どういう因果かのちに武田氏の旧家臣である真田氏が上田から松代に移され、10万石で明治まで藩主。もち、海津城を改築し松代城としたのは真田信之(江戸期真田氏初代藩主)。ちなみに正妻は本多平八郎忠勝の娘だとか。時間があれば長野市までいけるのだが、日帰りだとまあ、上田が限界。信州はほかに松本(北アルプス玄関口)や飯田、須坂、諏訪、高遠などと結構大名家があったのだ。いづれも譜代ばかりだが、唯1つ真田氏が外様なのだが、こちらも幕末には願い譜代で老中になった真田幸貫がでてるから結局譜代ばかり。幕末以降明治2年までにそういえば、信州田野口藩(元、三河奥殿藩)が立藩したっけ。最後の藩主、大給松平乗かた(字がないよー)が奥殿から幕府より城を築くことが許され、領地の田野口に西洋式の城を築城し、そこを居所としたため、奥殿は廃された。その田野口があった!!忘れておったぞ。この中で松本はいったけど、やはり携帯に写真がないころなので、写真に収めてはいない。(それにしても、面倒だな漢字の変換は辞書が馬鹿で、ない字とか、字がちがったり、面倒でひらがなで書きたくなったよ。)飯田は本多氏、須坂は堀氏(譜代格)、諏訪は諏訪氏(譜代)諏訪頼重の末裔の諏訪氏だよ。松本は戸田松平氏(宗家は美濃大垣藩戸田氏)信州高遠は内藤駿河守が藩主(本家は日向延岡内藤左近将監家)である。高遠内藤家は代々キリシタンの家柄であるキリシタン大名の内藤氏の末裔。知人の友人の妻が元信州高遠藩の藩主家の娘(3女)さんらしいので、家柄とかよく聞いたことがある。世が世ならばちゃんとした大名家に嫁ぐ家柄なんだけどね。時代がもうそういう時代ではない、混乱の戦後に結婚したんで華族制度廃止された直後らしいから。本家は信州内藤家=延岡(旧武田家臣内藤昌豊)の家であるそうだが、分家(高遠)は高山右近(キリシタン大名)とジッコンの中であった内藤氏。どちらも武田氏、豊臣没落後に家康についたので譜代です。軽井沢がとにかく混むんだよね。実際お昼には移動と帰宅の車でもう渋滞が始まっていたよ。午後六時に家に戻るころには旅の疲れがどーっと押し寄せた。 信州日帰り強行旅行終わってみるとなんとまあ疲れることよそれだけハードだったのだと痛感したよお後がよろしいようで~、これにて旅行記録は終わる。お粗末さまでした。鐘2つかな~?
2008年05月04日
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