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お遍ロールを中断してから早いもので一週間が経とうとしています。今日、無事引越しも終わり、大阪での一人暮らし生活も一段落しました。応援していただいた皆様ありがとう^^お遍ロール再開まで今暫くありますが、今まで歩いた中で感じた事を書いてみようかなと。実はお遍ロール始める前は、「本当に歩けるのだろうか!?」という不安がありました。事前にネットで調べても、マメが大変だ!(痛いの嫌やし)とか、歩ききるのは全体の3割だとか。散々びびらされてましたから。。継続性のない僕はどうなるのだと。ただ、「思い立ったが吉日男」な面があるので(逆に思い立たないと何もしない(゜▽゜))、ほぼ計画なしでお遍ロールの”川”に飛び込みました。”川”と言ったのは、お遍ロールを始めた瞬間から勝手に足が動き出すという意味です。まるで流されているかのよう。もちろん僕は訓練などしていないですから。勝手に歩ける訳はないのです。そして、その川に飛び込んだお遍ローラーの心は最初ゴツゴツした岩のようだったのが、流れ流されまあるくなっていきます。地元の人と触れ合い。縁のあるお遍ローラーたちと触れ合い。日本の原風景を感じ。本来あるべき姿を感じ。心の洗濯です。街中に入ると、一切その感じが無くなりますが、それもまた、ハッキリした違いがあるので、「あるべきよう」がわかります。同じお遍ローラーとの一期一会は限りなしです。歩くペースが早ければ先に行っている方と出会いますし、遅ければ、後ろから追い付いてきた方と出会えます。たまに道連れが出来たりしますが、どれだけ気持ちが通じたとしても、歩くペースが違うとやはり一緒に歩く事は不可能です。どちらかが無理をしてしまいますから。その無理は体に現れます(マメや痛み)。精神にもしらずしらず無理がきます。僕にとってこの事はスゴク衝撃的でした。人生に置き換える事ができるから。まだ行程の三分の一ですが、そんな事を感じました。また、何か気付けば書こうと思います^^お遍ロール!いいですよ。
2007.04.27
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おっはようござりまーす!いーぴんどえす。 今日は朝から、明日の引越しに備えてダンボールに箱詰め。エッサッサ! 改めて思う。 一人暮らしなのに。なぜこんなにモノが多い?と(¨;) 主に、書籍類やけど、これは少し処分していったほうがよいなあ。。 ダンボールに箱詰め中、「おお!これこれ!」と手に取って作業はかどらずf^_^;お約束ですか?そうですか^^ さてさて、さっさと終わらせてしまいましょう!
2007.04.26
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お遍ロールをはじめる日に一番霊山寺前にある、門前一番街で見つけてはいけないものを見つけてしまいました(笑)しかも初日。。。ザックにこれ以上モノは増やせない、グラム単位で減らさないと!と思っていた矢先の出来事でした、、、ここに写っているということは、もちろん。。。です(笑)文殊菩薩は僕の守り本尊、如意輪観音は好きな仏像です。
2007.04.25
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厳しい遍路道で一番嬉しい言葉。「最後の上り坂」こういう言葉でよ~し!と最後のパワーが出てきます。言葉は偉大です!峠の休憩所に置かれていた、無人お接待^^ありがたいことです。。本当に。。。こちらが中身です。。 おそらく、やなせたかしさん(アンパンマン)のデザインである、田野いしん君。高知のキャラクターばかりでなく、”いしん君”というキャラクターは全国にどれくらいあるのか気になるところ。ちなみに、高知出身の漫画家は多いらしいです。有名どころでは、はらたいら、黒鉄ヒロシ、やなせたかし。みなさんベテラン、大御所ですね。高知市内では、高校生の漫画甲子園というのが行われているという話も聞きました。 地区の看板ばかりではなく、麒麟も高知用に方言表示しています。さすが、高知はお酒の町。消費量も多いらしく、高知向けに力を入れているのでしょう。ちなみに「たっすいがは、いかん!」は「物足りんのはいかん」といった意味らしいです。”たっすい”の意味は少し幅広いので、ニュアンスも人によってちがうとのこと。弱い、だらしない、ものたりない、等。 遍路道 奈半利のおばちゃん。歩き遍路で来た人たちが、車で来たときにまた寄るという。おばちゃんの人柄に惹かれてくる方も多いのでは??
2007.04.24
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方言で書かれた表示板よくないですか?(笑)大阪とかだと、「ごみ捨てたらアカン!」になるでしょうね^^ 月夜下バス停。後ろの桜とあいまって、幻想的な雰囲気だったのでパシャリいいですよね「月夜下」。ちなみに次のバス停は「月夜」でした。 警察署の駐車場にあるお接待所スペース。名前を書かされるのですが、どこかで警察とリンクしてるような気がしてなりません。おばちゃんは違うと言っていましたが(^^;)笠のひもを強化していただきました。少々の風が吹いても大丈夫です!!お世話になりました~m(_ _)m
2007.04.24
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お遍ローラー達!まだまだ道路沿いの川に鳥がいます。自然やなぁ^^ お寺の軒下のこの部分、なんていうんでしょうか??よく注意してみると結構面白いですよ^^数珠坊主。 お遍路の決まりごとの中に、橋の上では金剛杖をついてはいけないというのがあります。弘法大師が修行で四国を廻られているときに、橋の下で野宿をしていたので、杖の音で起こしてはいけないという名残があるようです。結構きっちり皆さん守られています。 太龍寺に向かう途中かわいらしいお地蔵さん発見!! 舎心ヶ嶽の弘法大師。ここで修行をされていたようです。
2007.04.24
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徳島市中心部の写真です^^まずは中華そば”いのたに”歩きつかれて腹が減ってへとへとの所に大人気店発見!飛び込みましたよ~!!!壁には有名人の色紙が所狭しと貼られていました。味はもちろん美味しかったですよ~。 笹又うば車店。。。うば車専門店って初めて見ました。。。 ”ヤラカス” どういう風にこの名前になったのか。。。気になるところです(笑)確か、花輪のお店だったような。。 この看板は衝撃でした!!!”韓国風”徳島ラーメン!韓国なのか、徳島なのか、どっちやねん!!!(笑)
2007.04.24
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11番藤井寺から12番焼山寺へ向かう遍路道。いわゆる遍路ころがしです。急な坂は余裕がないので撮影できてませんけれど。。。足元はご覧のとおり土なので足の疲れは思ったよりも楽かも知れません。もちろん、息はきれぎれですけどね。山の中腹辺りからの景色です。見晴らしは抜群!!突如現れた大木。。。高飛びのベリーロールさながらクリアするのでした(^^;)遍路道下りです。こういう石を敷き詰めてあるところは、雨が降るとすべるので、慎重に慎重に。。。 焼山寺までは柳水庵、一本杉庵と二箇所の休憩所があります。こちらは柳水庵。柳水庵にはきれいな善根宿があります。無料で泊まることができます。奥に貼ってあるのは泊まった方たちの納札(おさめふだ)野宿をする方たちが泊まることが多いようです。12番焼山寺から13番大日寺まで行く道沿いにあるお遍路休憩所「おやすみなし亭」お遍路さん用に建てられたものです。徳島にはこういう休憩所が多いです。有難い!おやすみなし亭の内部。お接待用のお菓子やこのように地元の方が作ったお土産などがおかれています。きんちゃくひとついただきました^^
2007.04.24
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こんばんは!いーぴんどえす。なんだか勿体無いので、 お遍ロールで載せられなかった写真たちを「番外編」としてご紹介します!まずは、1枚目、空き地に落ちている標識。。 2枚目。。コスモス。。。懐かしさ満点!最近あまりみないですが、徳島にはちらほらありましたよ! 哲学研究室!ここでどんなことが行われているのだろう。。。。無料らしいが。。。奥の院のわらじ!でかすぎ!!この後、このデカわらじは結構頻繁に見ることになる。 9番法輪寺近く。お接待でいただいた”消毒していない(無農薬)イチゴ”凄くおいしくて、この日の昼ごはんになったのでした。 10番切幡寺下のうどん屋さん。昔の美女4人衆(ご本人談^^)そして、いただいたお接待のおまんじゅうとお茶。おいしかったなぁ。 吉野川の河原の菜の花。黄色がまぶしい、、、、 滅多にみられない竜巻!急いで撮って大失敗。。。(笑) 吉野川の河原。。。天気のいい日は何時間でも居られますよ。水も驚くほどきれい!お遍路グッズ。笠、金剛杖、へんろ道保存協会の地図、リュック。 11番藤井寺近くの看板。凄く幅広いジャンルを歌う浜田さん!艶歌がいいです^^
2007.04.23
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18日目。本日をもってお遍ロール前半を終了!マンションの契約終了が今月末なので、帰って用意せねば、、、 しかし、高知に入り、室戸岬から28番大日寺までよくぞまぁ歩いた歩いた。毎日歩けばここまで来れるのやなぁ。ちょっとした感慨があります。徳島焼山寺の初めての遍路ころがしを越えたのもなんだか昔の話のよう。 この日は、宿から3km先の28番大日寺に参り、昼から石丸さんと合流し高知観光。久しぶりのゆっくりペース。朝食は普段どおり6時半に食べる。久々のパンにコーヒー。うまい!うますぎる。ずっとほぼ同じ朝食だったのでこういうのはすごく嬉しい!その後はチェックアウトぎりぎりまでのんびり。 大日寺まで歩き参拝する。その後石丸さんと合流。石丸さんの勧めで大日寺の奥の院にも参拝。地元の方はここに来るんだとか。 高知観光の最初は、龍河洞へ。日本三大鍾乳洞の一つなんだとか。平日の昼過ぎなのでお客さんは一人だけ。。。しかし、中の鍾乳洞は迫力満点。鍾乳洞の総距離は1km。。ところどころに説明係のおばさんが立っている。客一人のために大変です。上から伸びてくる鍾乳石(つらら石)と下から伸びる石筍がくっついて石柱になるのだとか。ちなみに1cm伸びるのに100年かかるらしい。 鍾乳洞はあまりに狭いところもあるので、体格のいい人には通りにくいところもあるだろうと思いガイドの方に聞いてみると、「先日相撲取りの土佐の海が来られましたけど大丈夫でしたよ」。お相撲さんが通れるなら大丈夫だ!鍾乳洞の後半になると、弥生時代この鍾乳洞が居住スペースになっていたことを示す土器が石灰岩にくっついて残っているところがあります。 鍾乳洞を出て、長曾我部元親の居城、岡豊城(おこうじょう)跡の近くにある、レストラン岡豊城で食事。石丸さんとお寺の話や、高知のお遍路コースの進み方を教えていただく。有難い!!食事を終え、高知城へ。中まで行くには時間がかかりすぎるのでここからパシャリ!次は31番竹林寺近くの五台山展望台へ。高知が一望できる。展望台から今度は、桂浜へ。桂浜へ向かう途中、石丸さん「2、3日前にニュージーランド人の子に善根宿を教えてやったんよ。その子はお母さんが日本人やとかで、日本語がうまかったわ~。」いーぴん「!?!!!その子って、マヨっていう名前じゃなかったですか?」石丸さん「そうやそうや。そんな名前やった!!知っとるんか?」 ものすごい偶然。。。龍馬の銅像は地元の有志がお金を出しあって建てたのだとか。近くにある龍馬博物館も、一人の社長が全国を廻って6億円集めて、行政に作ってくれとお願いしてできたものだとか。地元の龍馬人気は凄いです。桂浜。もうちょっと天気が良ければ、もっといいんや!と石丸さん。 桂浜から空港へ。何から何までお接待いただいて、石丸さんにはなんとお礼を言ってよいか。。。。。。空港で「こんど来た時はまた電話し!迎えに来ちゃるき。」と。。。。。。。。。。。。。。 石丸さんとお別れし、高知龍馬空港へ。関空行きは先日胴体着陸をしたボンバルディア機。プロペラ機と聞いていたけど、ちょっとドッキリ。無事着くことを祈る(^^;)離陸して眼下に吉野川が見える。思えば、この川を遡って行ったんや、、、すごいな。。。約40分のフライトで関西空港へ。着陸前ちゃんと車輪が出ていたので安心する(笑) 空港に着いたとたん、なんだか別世界に来た感じがする。う~ん。。。なんだかな。。。では皆さん、お遍ロール再開までごきげんよう!
2007.04.21
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17日目。27番神峰寺(こうのみねじ)の麓から28番大日寺(だいにちじ)まで34km。地図を見ると、今回の行程はほぼ海岸の堤防沿いを歩くことになりそうだ。いつものように、7時半に宿を出発。早い人は6時半~7時に出発するので、出発するのは大体最後のほうになる。出発前、浜吉屋のおばあちゃんが納札(おさめふだ)が欲しいとおっしゃるので、お渡しする。他の宿泊客はバタバタと用意して行くので貰えなかったと笑いながら、有難そうに受け取られる。体中をそれで拭うようにして「力を貰うんよ。」 昨日と打って変わって天気は良い。空気も澄んで今日も一日頑張ろうという気になる。しばらく行くと安芸市に入る。安芸市は阪神タイガースのキャンプ地で有名。トラキチの僕としては名前にはなじみのあるところ。市街地までは遠いが、こんな所まで歩いてきたのかと今更ながら実感する。 安芸市に入るとほぼ海岸沿いなので堤防から海岸へと降りてみる。海岸沿いを歩いていこうかと思うが、足をとられ思うように進めないので断念。しかし、海の色が碧々として、海岸が遠く足摺岬まで障害物なく望め、なんという開放感か!と晴れ晴れとした気持ちになる。この海をみながら今日は進むのだ。 海岸沿いから途中安芸市街に入る。ローソンで飲み物を確保し、駐車場でマメの治療。左足の小指。マメがどんどん広がってきているのはどういうこと?水がぬけきれていないのだろうか。何回やってももう出てこないのだが。。小指の痛みは歩くたびに響く。当然ペースも遅くなる。 なんとか市街地を抜け、また海岸沿いのサイクリングコースを歩くことになる。あと距離は半分。 道端にたんぽぽの種が、風を待っている。 もうひたすら海岸沿いのサイクリングロード。。。歩けど歩けど景色はあまり変化しない。これはこれで少し飽きてくるなぁ。。。と思って、屋根のあるベンチに座り、足の手入れ。そこに、年配のご夫婦が通りかかられたので、挨拶をするとこちらに来られる。「歩き遍路か?どこから来たが?」「和歌山です。」と、会話をするうちに、NHKでお遍路の特集をやっているらしく、そこでの情報を詳しく教えてくださる。ちょうど退屈しかけていたところだったので、こういう出会いはちょうど良いタイミング^^有難い。ご夫婦が行かれたので、そろそろ出発。足のむくみは過去最高。普段のサイズより大き目のサイズなのだが、結構パンパン。一日30kmずつ歩くとだんだんこうなってくるのかなぁ。。。 3分の2を過ぎたあたりから、足が進まなくなってくる。。いつもより早い段階。そこに通りがかったおじさんが、「どこまで行くが?」と声をかけてくださる。「高知黒潮ホテルです。」「ほなあと3時間くらいやな!がんばって!!」しゃべり方が焼山寺の遍路ころがしでお世話になった金山さんと似てるなぁとなんとなく思う。 やっとの思いで、道の駅 夜須までたどり着く。。。足の状態はピークを越えている。。。。無意識にかばっているのもあるのだろう。ホテルまであと6キロ、今のペースだと2時間はかかりそう。と思うとげんなり。夜須にはごめん・なはり線の駅があるので、それで行こうかと時刻表を見に行くと、あと30分待ち。待ってられないので、トボトボと進みかけると。 「お~!まだこんなところに居たがか?」と聞いたことのある声。さっきすれ違ったおじさんがニコニコしながら近づいてくる。。。「はい。足が痛くて。。。」としばらくおじさんが一緒に歩いてくださる。少し気がまぎれて進むことができる。おじさんは地元の方で石丸さん(65歳)、毎日サイクリングコースを10km歩いているんだとか。石丸さん「通し(一気に一周)で歩くが?」いーぴん「いえ、実は明日一旦もどるんです(笑)夕方の飛行機なので、それまでにどこか観光できるところはありますか?」石丸さん「ほうか!そんならわしが案内しちゃる」いーぴん「!?いいんですか??」石丸さん「ええ、ええ。明日は暇やき、連れてっちゃる!!」石丸さん「ところで、もうあとちょっとやき、車乗ってかんか?」いーぴん「。。。ありがとうございます。よろしくお願いします。」 車でホテルまで送っていただく。車中、「お接待は基本的には断ったらいかん。”こだわらんこと”が本当や。」と。お遍路さんの歴史についてもいろいろと教えてくださる。石丸さんが小さなころのお遍路さんは、事情で家に帰れない人や、大病を患った人が白衣を着てお四国を廻っていたら、お接待で暮らしていけた事。金剛杖はお四国廻りの途中で亡くなった方の卒塔婆になるということ。子供のときに悪さをしたら「お遍路さんに連れて行ってもらうよ!」といって怒られたことなど。 宿まで送っていただき、明日また連絡をくださるとの事で別れる。高知黒潮ホテルは基本的にビジネスホテルだが、一泊5250円~で天然温泉にも入れる。部屋もきれいで広い。ユニットバスも普通より広く快適です! 疲れのピークも明日帰ることを思うと少し寂しいような。。。引越しを済ませできるだけ早く続きを歩きたいなと思うのでした。
2007.04.21
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この日は朝から雨。6時から護摩堂でお勤めがあり、皆スッキリした顔で集まってくる。お年寄りが多く朝が早いのに慣れているからだろうか。お勤めはご住職が壇上で開経偈から懺悔文、三帰、三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、般若心経、薬師如来真言、南無大師遍照金剛。と続きますが、般若心経を唱えるご住職のテンポがどんどん速くなっていき、皆も必死についていく。お勤め後、朝食。昨日お風呂で知り合った藤本さん(60代男性)と晩御飯の時知り合った、先祖が平家の落武者という、お鶴さん(30代女性)と天気が昼からひどくなるというから朝のうちに距離を伸ばしたいね。と話し合う。宿坊を出て、30分かけて山を下り、国道55号を安芸市方面へ。歩いていると、小型のバンが30m先に停まる。もしや!拉致られるのか!?横を素通りしようと歩いていると、中からかわいらしいおばあちゃんに呼びとめられる。ティッシュに包んだものを手渡され、「ご苦労様。これでお線香かロウソクでも買って。」と。「ありがとうございます。お預かりします。」おばあちゃんの爽やかな笑顔が印象的でした。途中この日最初の峠道。へんろ道保存協会のバッジを帽子につけたおじいさんが道に小石を敷き詰め整備しておられる。この方達の無償の努力によって、お遍路というシステムが保たれているのだ。ちなみに聞くところによると、お寺は道の整備などにはノータッチだとか。。。どういうこと?昼頃。奈半利町(なはりちょう)に入り、そろそろ昼御飯を食べたいな。と歩いていると、「遍路道 奈半利」 という看板がみえる。ガラス越しに中をのぞくと、マメがひどかった京都のおばさんとお鶴さんが二人でうどんを食べている。手招きされたので入ってご一緒させていただく。お茶とチョコレートのお接待もしていただき、後半戦に。。奈半利を過ぎ、27番神峰寺(こうのみねじ)まであと15km。最後の3kmはひたすら上りの山道なので、麓の宿に荷物を置かせていただき登ることになる。昼以降、雨がひどくなりペースが落ちるも、やっとの事で麓の宿にたどり着く。リュックを置いて山登りの準備。途中先行していた、藤本さんが降りてくる。「雨やけど登りは遍路道で登ったほうが楽やで!下りは車道な!」と情報をくださる。30km歩いた後の山登りは思った以上に足にきている。お寺について本堂に向かう。ロウソクを立てていると、後ろから「疲れましたね」ビクッとして振り返ると、お鶴さんが立っている。彼女も今着いたようだ。お参りをして、下りは彼女と一緒に降りる。下りながら話していると、お接待を強要してくる人がいて付いてこられて怖い思いをしたことがあったと聞く。女性の歩き遍路はなかなか大変だ。話していると麓まであっという間。宿がちがったので、また!と別れる。宿に帰ると、もう足が固くなって、座るのもひと苦労。。。日課のマメ処理をして即寝。
2007.04.19
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先日、コンビニで立ち読みしたサライはお遍路特集でした。そのサライに26番金剛頂寺で、重文の木造阿弥陀如来座像が予約すれば見られるという。早速今日(当日かい!)予約の電話を入れ、団体さんと一緒でよかったらという条件付きで2時までにお寺に行く事になる。しかし、日程的にいかにも中途半端です。天気もいいしもうちょい距離を伸ばしたいのですが、やはり仏。イルカと写真を撮ったりしたいけど、やはり仏。ああ。誘惑に打ち克って仏を見に行くのです。時間があるので25番津照寺もじっくりお参りし、いざ阿弥陀仏!26番金剛頂寺は山の上。でも、あまり辛くはない。アスファルトを歩くより山道が良い!2時、霊宝館前で待っていると、ご住職と団体の方々が来られる。合流させていただき、仏像拝観。阿弥陀仏座像。ヒノキ造り、膝前に定印。全体的丸みのある穏やかな雰囲気。モロ平安ですねぇ。本堂の本尊は楠ですよとご住職。他にも密教法具や金剛界曼陀羅や胎ぞう界曼陀羅など、ご住職の説明付きでありがたや~。事前予約が必要ですのでご覧になりたい方はどうぞ。のち、金剛頂寺の宿坊に泊まっています。明日6時からお勤めなので寝ます。お休みなさ~い!
2007.04.17
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この日はロッジ尾崎から26番金剛頂寺まで行きたかったのですが、24番最御崎寺(ほつみさきじ)で断念。この日は朝から雨模様。マメの水が上手く抜けていなかったのか、しばらく歩くといたみだす。驚異的なスローペースを記録することになる。15kmを6時間もかけてしまったのです。時速4kmで歩いて3時間強。実際はもっと速いですから3時間で歩くでしょう。途中、とちぎナンバーの車お遍路さんが見かねて停まってくださり、お寺まで乗って行きと言ってくださるも、丁重にお断りして最御崎寺めざして歩く。残り9km。24番最御崎寺は室戸岬の先端の山の上にあります。室戸岬というと、最近では海洋深層水で有名ですが、実は弘法大師が虚空蔵菩薩を感得した地として有名(だそうだ 笑)やっとの思いで岬までたどり着き、山登り。お遍路の中では困ったり、しんどくて気持ちが萎えそうな時は「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」意味:お大師さんに帰依します。と唱えると良いと言われています。確かにどうしようもない坂道とかで言いながら上がると少し楽なような気もします(?)とにかく無事登りきって納経をして坂を降りる。宿は「うまめの木」昼間は喫茶店もやってます。早く着いたのでコーヒーをいただき、日記の整理をする。この日の同宿は高野山で仕事を終えられて九州の実家のお寺を継がれる若いお坊さん。歳もあまり変わらない感じ。高野山から遊びに行くのはどこですか?と聞くと「遊びってどんなですか?キャバクラとかは難波まででますねぇ」すいません。おみそれしますた。スリリングで楽しい会話でしたよ(*^m^*) ムフッ心の中では「それでいいのだろいか?」とぐるぐるぐるり。晩御飯(むちゃくちゃ旨かった)後、大雨と雷。ご主人によると「どっか落ちるやろねえ。停電があるかもしれんき、気にせんといて下さい」との事。なんか疲れてバタンキュー。
2007.04.17
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海陽町海部からロッジ尾崎のある室戸市までは約34km今までで最長距離を行く。いつも25kmを越えると辛くなるので少し心配。途中廃棄物問題の渦中の東洋町を横目にすたすた。澄んだ海でサーファー達が波を待っている。東洋町を過ぎると何も無い世界。左に海、右に山。その光景が三時間ほど続く。海岸線はかなり大きな岩がゴロゴロしている。なにせゴロゴロ海岸なんて名前の海岸まであるくらいなのだ(笑)とにかく何も無い。国道なので車通りは比較的多いが、あまりに景色が変わらない所を延々あるくと眠くなってくる。ほんとに歩きながら眠くなるんですよ!ビックリ!ひたすら歩く。まだまだ歩く。嫌っちゅーほど歩いてようやく佐喜浜という漁村に着く。あと少しと思ったら意外にまだある。無事宿に到着。ロッジ尾崎のご主人は安倍晋三に似ている。。。この日は四人の相部屋。僕意外は全員60代の先輩方。中には1日60km歩いたことあるよというかたも(驚)団塊世代恐るべし!スーパーお遍ローラーは60代に非常に多い。なんということだ(・_・;)そしてまた、今年から増えるぞ!団塊お遍ローラー(笑)
2007.04.17
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この日は休養日。斎藤さんは予定通りロッジ尾崎まで快足を飛ばす。ほんとタフ!同い年なのに。いや、こちらが体力無さすぎか(笑)シミケンは悩んだ末、今何かと話題の東洋町へ。宿はサウスショアー。シミケン今までありがとう!お遍ロールでソロ活動だ。僕は携帯ショップのある牟岐(むぎ)へ。海部駅から牟岐駅まで20分ワンマンカーで一人逆走。携帯。最初はプリペイド携帯にしようと思っていたが意外にコストがかかるのとメール不可能でやむなく正式契約。。。おいおい。携帯の手続きを待っている間近くの喫茶店で昼飯。客は僕以外一人もいない。やって行けてるのだろうか。大きなお世話に違いない(^_^;)携帯ショップに戻り携帯の電波を見て感動(ToT)これで宿もとれるし、何かあっても大丈夫。それにしてもSOFTBANK一体どーなってるの?この日はゆっくり足やすめ。のんびり~♪
2007.04.17
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23番薬王寺から室戸岬の先端にある24番最御崎寺(ほつみさきじ)までは約75km。途中土佐国高知に入ります。阿波国打ち終わったよとちょっと感動。。しかし土佐は修行の国。お寺からお寺までの距離が長い!これ結構つらいんですよね。アスファルトは足にくるし、1日の内に何ヵ所かお寺があると、その都度気持ちのリフレッシュができるのですが。。。1日一寺若しくはひたすら歩くだけという場合。くたくたになります。さて、室戸岬までの道中、27km先の生本旅館で一泊して、そこから34km先のロッジ尾崎に一泊。三日目に室戸岬に着くように設定する。ホテル千羽を出てひたすら国道55線を南下。日本の道路(だけかどうかしらないが)長距離歩く事には適していない事に気付かされる。アスファルトは膝にくるし、歩道は狭く斜めになっている所もある。凄く歩きにくい。完全に車優先の道路だ。これなら足場が土の山寺に行くほうがつかれないしマメもできない。途中、足のマメを料理。水を抜き、テーピングをする。思いの外手こずる。足を引き摺りながらあるくので、なかなか進まない。6時頃旅館のある海陽町に着くころにはどしゃ降りにあう。泣きっ面に蜂!庇った右足にもマメ。。。次の日1日休養日にあてることにする。ついでに携帯もauに変更する事を心に誓う。
2007.04.17
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本日3回目の更新です。いーぴんです。さてこの日の予定は22番平等寺と23番薬王寺。昨日の山越えの後の過去最長距離27.5km。。。なんか嫌な感じがしたのですが、やがて予感的中。シミケンといつものごとく宿を出たのはいいが、ペースがあがらずどんどんはなされる。その内左足の小指に違和感が。平等寺につき、靴下を脱ぐと。。。初マメ!いや全然めでたくないんですよね。針で穴を開け水をだし、絆創膏を貼って上にテーピング。今までマメが出来なかったので安心してたらなってしまいました。あれまあ。さて出発!ここからは車通りの多い国道沿いを歩く。途中、おそらく水が完全に抜けきっていなかったのでしょう。またマメが痛みだす。やっとの思いで薬王寺に着く。この日は温泉のある宿ホテル千羽に泊まる。ロビーでバッタリ斎藤さんと出会う。彼女は健脚なので遥か前に着いていたようだ。食事を終え、シミケンと斎藤さんと三人で今後の予定を話す。解散した後。前日から全く携帯が圏外なので、ホテル内入り口近くの公衆電話から電話をかけようとすると、入り口の二重になっている内側の自動ドアがいきなりガガーっと開く。ロビーには僕ひとり。ご主人がドアが開いた音を聞いてやってきた「誰もいないのにひらいたんですけど。。。」「そんな気色悪いこといいないな」「いや、気持ち悪いのこっちのほうなんですが。。。」外側の自動ドアがロックかかって閉まっているのでおかしな事。しばし、シミケンの部屋で落ち着かせてもらって、部屋にもどる。あぁ怖かった。。。
2007.04.17
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どもども。いーぴんです。前日、19番立江寺から20番鶴林寺の近くの宿までが遠く、宿着が6時になってしまう。この日泊まった宿は「ふれあいの里 さかもと」廃校を旅館にした宿でよくある第三セクターの施設。外観は学校そのもの。シミケンが泊まった部屋は校長室があった部屋だとか。中は改装されているからわからないが。おもしろい(^-^)g"そこで一緒に泊まっていた横山さんと洗濯しながら情報交換。翌日。。鶴林寺と太龍寺はどちらも山の上にある。なので、単純に2つ山を越えるということになります。前回の焼山寺に引き続き第2の遍路ころがしと呼ばれているところです。1に焼山、2にお鶴といわれてるんだって。焼山寺の時もきつかったですが、今回は多少慣れもあったので・・・余計きつかった!(自爆)しかし、いつもの事ながら出逢いあり。キツイ事を共有してるが故の連帯感ありで難局を乗りきりましたよ。太龍寺では向かいの鶴林寺が米粒みたいに見えます。しかもかなり高い所にある。あ゛ーあそこから来たんだなあと感慨にふけり、しばしぼけーっ。。。毎度の事ながらお寺にお参りすると疲れがとれる。まあ多分あるんだろうけどそれを越えた達成感なんだろう。一緒に歩いた人達も誰一人疲れた顔をしていない。笑顔だ。途中一緒になった斎藤さんに太龍寺の更に上にある舎心ヶ嶽が良かったよと教えてもらい、折角なので登ってみることにする。普段だったらしないだろうなあ(^。^;)行ってみると、弘法大師が修行をしていた所らしく岬のように突き出た岩場の先にお大師さんが座っている。そこまでロッククライミングの要領でよじ登っていくと、目の前に広がる緑。怖いのでお大師さんに掴まりながら緑を満喫。こんな所で修行してたんやねえ。太龍寺を降り、麓の龍山荘に泊まる。この日一緒に歩いた方はほぼここに泊まっている。夕食時には話した方や話してない方も含めて楽しく食事。今までで一番盛り上がったように思う。母親に写真を見せてやりたいんだという一眼レフを持つ大阪の謙虚な紳士。それに感動して涙ぐむ学校の先生だったという愛すべき広島弁全開のおっちゃん。同い年なのに歩くスピードはすごく速い女性。マメがひどくて大変な京都からこられた女性。みんな今日を終えてやや興奮気味。明日の予定などを話して各自自分の部屋へ。
2007.04.17
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前回の更新からまたもや時間が経っております。皆さんお元気でしょうか。いーぴんです。さて徳島でたっぷり休養をとった後、この日は18番恩山寺19番立江寺へと向かいます。国道沿いを南下し、小松島市へ。徳島の市街地を離れ、少し田舎の景色が出てくるとホッとします。しかし、やはり国道は国道。ダンプカーが爆音で走っているので気持ちは落ち着かない。恩山寺を経て立江寺に向かう途中(この頃になると立派に田舎道)、50代のご夫婦に出会い、道端でお話しながらご飯をご一緒させていただく。ご夫婦は名古屋から来られたようで、毎年何ヵ所かずつ廻っておられるよう。話の中で、田舎から市街地に入った時の違和感を話すと、ご主人も「わたしも去年そう思った」とか。「このお遍路は非日常のようで、本当はこちらが人間にとってリアルな日常であるような気がします」と僕が言うと、まさにそうだと共感されていました。歳を越えた連帯感みたいなものが生まれやすい、お遍路ならではかもしれません。そしてこれが本来の姿。立江寺までご夫婦とは別行動でしたが、僕達が立江寺に着いて納経を済ませて出てくると、僕がリュックを置いているベンチにご主人が腰かけて笑っておられる。ご夫婦はこのあと徳島に戻り、名古屋に帰られるとか。奥さんが苺のパックを「これお接待。」と手渡してくださる。わざわざこれを僕達に渡す為に待っていてくださったのだと気付き、涙がでそうになるほど嬉しい。丁重にお礼を言い、納札を渡す。ご夫婦のお名前は聞きそびれてしまいましたが、一瞬にして共感し、自然な心の触れあいが出来た瞬間。ご主人が別れ際、やや言い聞かすように「明日から現実に戻ります」と言ったのが印象的でした。長丁場で歩くペースが合わない人が多いなか、ご夫婦で来られる方も結構多いです。お互いがお互いを思いやれないと長く一緒には歩けないですから、ここに来られている方は、仲のよいご夫婦が多いのではないかと思います。
2007.04.17
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今日4度目の更新です。やっと追い付いた(¨;)これがリアルタイムです~。今日は一日まったり。朝はゆっくり。足はパンパンでスネがきてます。きてます!昼からはシミケンと一緒に徳島駅前ポッポ通りの按摩に行きマッサージ。筋肉はりすぎでいでー☆(/ * o*)/後はゆっくり足やすめ。明日は18番恩山寺と19番立江寺の二つ。小松島市に入ります。ではおやすみなさ~い(v_v)zzz
2007.04.09
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本日3回目の更新です。いーぴんです(゜▽゜)さて6日目。名西旅館のおばちゃんが言うには、「あんたら徳島市内で一休みするんやで、ほないと先進めんようになるけん」自分の感覚ではあまり疲れているように感じていないのだが、後におばちゃんの予言が当たることになろうとは、その時はわからないのだった。今日のコースは、14番常楽寺→15番国分寺→16番観音寺→17番井戸寺。それが終わると徳島市の中心部で宿泊という予定。井戸寺まで何事もなくすんなり進み、今日は何事もないなあと思っていたらありました(^O^)見仏のたび お遍路徳島編 井戸寺井戸寺の御本尊は七佛薬師如来で浄瑠璃寺の九体阿弥陀仏のように横並びでいらっしゃる。納経所に行って薬師さんがいつごろできたのか聞いてみると、「勉強熱心ですねえ。このパンフレットをさしあげましょう」といつものお寺パンフをいただく。かなり古くからあったようだか、何度か火災にあっているようだ。昭和にも一度。入口のところに国宝十一面観音と書かれていたのを思い出し、拝観できるか確認すると、なかなかお遍路の格好でそこまで言う人がいないのか、ちょっと引かれるf^_^;「拝観できますけど拝観料が要りますよ」と住職さんを呼びに。住職さんは50代くらいの方で収蔵庫に連れていって下さる。収蔵庫には重文十一面観音立像と両脇に日光月光が立っている。?と思っていると、御住職は察したのか、「この日光月光は薬師さんの脇侍だったのですが、県の重文に指定されたのでここにいらっしゃるんですわ」その他仏像をはなれて、お寺の様子等を教えていただきました。十一面観音は長谷寺のそれに似ています。もちろんあんなに大きくはないですが、口をとがらせているお顔は独特です。茅の木一木造、平安初期の作。衣紋は朱色に塗られていたらしく、ほんの少し残っています。日光と月光は漆が表面にでています。全体的に柔らかく細い印象。室町時代作。本尊の薬師さんは正面のが江戸時代作で後の6体は昭和の火事ののち作られたものだとか。火災当時の事を思い出しながら、先代御住職はすごく気落ちしていたと振り返っていらっしゃいました。本堂が焼けるというのは大変な事ですよね。信じられないくらいのお金もいるし。御住職に礼をいい、お寺を後にする。今日の予定は井戸寺まで。ここから名西のおばちゃんにおいしいと聞いた、徳島ラーメンの「いのたに」に向かう。やっと昼ご飯だと思うが寺からラーメン屋までは6キロある。なんだか足が重い。疲れが来ているようだ。考えれば当然で、2日で山を4つ越え40キロ歩いているのだ。トロトロ歩いていると市内の町並みが見えてくる。普通に車が走り、大きな建物がたくさん建っている。何を言っているのか?と思われるかもしれないが、4日間田舎や山の中にいるとそういう感覚になるのだ。自分でも不思議だが。コンビニがあることに違和感があるのには参った(@_@;)足取りは依然重い。アスファルトの硬さがダイレクトに足の裏にくる。足の裏が痺れるなんて初めての経験。やっとの思いでラーメン屋につき食べる。至福のひととき( ̄▽ ̄)有名人のサインが所狭しと壁いっぱいに貼ってある。徳島ラーメンを代表する大人気のお店のようだ。シミケンと「明日は何もしないでもう一泊して足を休めよう」ということになる。この日は1泊4500円のビジネスホテル四国へ。夜は焼き鳥を食べに。美味しかった。。。久しぶりに普段の生活に戻った気分。食事の環境が違うことでも、人間の感覚は変わるのですね、、、中国に行った時はあまり思わなかったのですが。
2007.04.09
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こんにちは!いーぴんです。立て続けの更新です。昨日の焼山寺までの登りの距離を全部足すと1000メートルは登ったことになるそうだ。12番焼山寺を7時半に出発し、今日の予定は13番大日寺までの25キロまる一日の行程。ルートは3ルートあるも、間違って一番ツライ峠越えを選んでしまう(-_-)この日は小雨がふりコンディションはあまりよくない。玉ヶ峠はきのうの焼山寺までの山道に負けず劣らず急斜面。雨が降ると、岩場が滑りやすくなるので慎重に行く。予想ではこんなに大変だと思っていなかったので気が滅入る。朝から山を一つ越え、あとは川沿いを下るだけ。山間の景色は抜群!鮎喰川の水は綺麗で透き通っている。名前のとおり鮎がよくとれるようだ。昼になり、旅館に泊まると持たせてくれるおにぎりも今日はないので、食料の調達をせねばと探すがホントに田舎なので食堂もコンビニもない。こういう景色の良い所でコンビニがみえても興ざめだが。2時頃やっと集落に降りてきて昔ながらの商店でサンドイッチを買い役場の軒下を借りようと行くと先客がいる。三重の方で64歳。ビックリなのが、この方今日柳水庵からここまで来たのだとか。。話を聞いていると、マヨと同じ所で野宿していたということなので間違いない。普通の人の倍のスピードで歩いてるということです。お遍RollStar発見です。しばらく話してその方は風のように去って行きました。まあ、僕はマイペースでいきます。雨がきつくなり初めてポンチョを装備。雨と笠にも専用カバーをつけ、ひたすら歩く。なんどもトラックに水溜まりを引っ掛けられそうになりながら、道路の端を遠慮しながら歩く。田舎道なので歩道もなく、ペースも落ちるし下がアスファルトでかかとも痛くなってくる。残り2キロがツライ。昨日の山道と今日の峠越えが今になってきているのだ。気持ちが切れそうになるので歌いながら歩いたり、杖を使いながらなんとか足の負担を減らして、やっとの思いで大日寺へ。門前で別ルートできていたシミケンと偶然会い、今晩の宿、名西旅館に入る。疲れた。。
2007.04.09
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おはようございます!さすらいのお遍ローラーいーぴんです。旅館吉野から12番焼山寺へは11番藤井寺の裏山を登って行く事になります。山越えなんて初めてで(しかも一日で3つも山を越えるなんて!)、さらに何回も回っておられる方には「あれはキツイよ~」などと散々ビビらされ、すっかり緊張してしまってる僕とシミケンでしたが、これはもう藤井寺の本尊薬師如来に仏だのみするしかないと、念入りにお願いし、山に入る。山に入ると、いきなりさあ行くぞ!というこちらの気を削ぐような坂道。しかも細い。数十メートル進んだところで、シミケンが藤井寺に笠を忘れたと取りに帰る。待っていると後ろから軽やかに登って来られるおじさんに声をかけられる。「どうしたの?」事情を説明していると、シミケンが戻ってきて、3人で一緒に行こうということになる。おじさんは地元の方で金山さん(62)。毎日この山を登っているという。今日は途中の長戸庵というところに用事があるのでそこまで御一緒してもらえるのだとか。登りながら、山道の登りかたを丁寧に教えていただく。後にわかる事ですが、この出会いがなければ、僕たちは焼山寺にたどり着けなかったのではないかと思う程、金山さんの指導は僕たちを勇気づけ理にかなったものでした。金山さんのお接待にはホントに感謝してもしたりません。金山流登山術はこの先のお遍路できっと助けてくれる事でしょう。さて名残惜しかったですが金山さんと別れてしばらく行くと、後ろからかわいい系男前が追い付いてくる。キャンプ道具やら大量の荷物を背負い、しかしペースは速い。彼の名前はマヨ。25歳ニュージーランド人。日本人の母を持つハーフ。マヨの彼女が日本で英語の先生をしているとかで追いかけて日本に来たとか。山道が好きでお遍路をしているらしい。この先途中まで一緒に行く事になる。柳水庵という休憩所で昼食おにぎり2つ。こんなにおにぎりがおいしくて、ありがたいと思ったことは過去にない。柳水庵でマヨと別れ(彼はそこで野宿)、僕たちは過酷な山道にも少し慣れてくる。慣れるといっても、息は切れ、お互いしゃべる余裕もほとんどないのだか。しばらく登っているとシミケンは昨日できたまめが痛そう。休憩がてら治療をすることをすすめる。山を二つ越えて何度目かの休憩をしていると年配のご夫婦に追い抜かれる。夫婦でお遍路というのは大変だろうけどなんかいいなあと思う。シミケンと「あと山一つ!がんばろう」と励ましあって、思ってたより行けるんじゃないかと思ったのもつかの間、最後の山がとてつもなく急勾配で足の疲れがピークを越えていくのが登り始めてすぐわかる。もうしゃべる気力も尽き、「やー!」とか「おー!」とか気合いを入れながら一歩一歩。とにかく足を前に出す事だけを意識して登る。そこにはもう思考の入る余地はなく。足の動きに全神経を集中。もう終わりかと思ったら、また次の登り。ひたすら登る。このまま終わらないんじゃないかと思うくらいそれが続き、やっとひらけた所に出たと思ったら、「→焼山寺まであと1キロ」の表示。まだあと1キロもこれが続くのかと思ってがっくりきながら、それでも前に進むしかないので一歩踏み出すと、その先はお寺までなだらかな坂道。少しすると山門がみえてくる。ああ着いたという安堵と共に、二人共達成感に少し興奮。山門をくぐると同時にハイタッチ!時計を見ると意外と早く3時半。7時間半で到着したことになる。金山さんとの出会いがなかったら、この結果はなかったかもしれない。出会いのタイミングといい、藤井寺でお願いしたことといい、なにやら凄い力が働いたんではないか?と思った出来事でした。信仰心というのはこうして生まれるものなのかな?と少し考えるのでした。その後シミケンは7キロ先の桜屋旅館までくだり。僕は焼山寺の宿坊。虚空蔵院に泊まる事になる。相部屋の相手は萩原さん(69)区切り打ちで83番まで回られているとか。しかし、とにかくお遍路している年配のかたは皆若い。見た目も若いし好奇心旺盛。歩く事はすごく大事な事なのかもしれませんね。
2007.04.08
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こんにちは(;^0^)/いーぴんです。電波が届かないのと相部屋だったので更新できませんでした。さて3日目です。安楽寺の宿坊を7時半に出て、すぐ近くの7番十楽寺に到着。朝早いので少し寒かった。十楽寺から8番熊谷寺までは4.2キロ。昨日と打って変わって、暖かく風もない。そらも青く快晴だ。のどかな田園風景がつづく。途中小学生の女の子に「お疲れ様です。頑張ってください。」と声をかけられる。「ありがとう。」親がお遍路さんにそう言っているのを聞いて真似ているのだろうか。街中では、知らない人に声をかけるなんてもってのほかというこの時代に。。。彼女の分もお願いしとかないとね。8番熊谷寺から法輪寺に行く途中、初のお接待を受ける。おばあさんが家の前で、家の前のハウスで採れた苺をナイロン袋に一杯入れて立っていて、道ゆくお遍路さんに配っているのだ。渡されるときに「消毒してないから」と言われ、?でしたが無農薬ということにきづく。しかし、お接待を受けるのは初めてなのでどうしていいかわからず、只ただ丁重に礼を言いその場をさる。昼飯どうしようと考えていたところだったので、その日の昼飯は苺になる。9番法輪寺につき、お参りをして、ベンチに座ると歳がちかそうな縦も横も体格のいい男性に声をかけられる。2、3話して、その男性は先に行った。10番切幡寺の門前に着くと、「→ここから334段」という石柱がたっている。そこまでもかなり登ってきていたので、少しゲンナリするも登らねば次に行けないので少々踏ん張る。やっとの思いで本堂までたどり着くと、先ほどの男性がいる。あいさつをして「では!」と別れる。お参りをして降りるとちいさなうどん屋があり、入ってみると、おばあちゃんが3人座っている。カウンターには女将さん。「まだいけますか?」と尋ねると、「あ~れ。もう終わったんよ。あ、ちょっと待って。お饅頭お接待してあげるわ、ちょっと座って待っとき」と言われ。お茶とお饅頭をいただく。美味いし心にしみるわ~。。。うどん屋の女将さんに教えていただいた、11番藤井寺の近くのお勧め旅館 吉野に予約の電話をしてみると、「今キャンセル出たとこやから、一人やったらいけるよ~(それまでは満室)」との事。今日は本当にラッキーな日だ。11番藤井寺までは行けそうだったので向かっている途中で、また先ほどの男性とであう。一緒に歩こうということになって藤井寺まで一緒に行く。彼の名前はシミケン。28歳。身長180に105キロかなりでかい。吉野川に着くと透き通った水がゆっくり穏やかに流れている。川の中洲を通っていると、竜巻発生!!二人で普段みることのない光景にちょっと興奮状態。河原で休憩している時シミケンが「僕宿まだとってないから電話しないと。」というので、「じゃあこの時間やし、とれるかどうかわからんし、相部屋にしてもらうように言ってみよか?」と提案。旅館がOKくれたので藤井寺にいそぎ宿へ。旅館吉野。噂どおりのいい宿。サービス満点でお風呂も部屋もすごくきれい。明日は遍路ころがしと言われる最初の難所。山を三回登らないと12番焼山寺につけない。健脚で7時間との事。じゃあ僕は何時間で着くのか?少し緊張しながら床につく。
2007.04.07
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こんばんわ!お遍Rollerいーぴんです。今日から始まりました。お遍路の旅!朝5時半起きの6時半朝食。民宿のおばちゃんに昼飯用のおにぎり二ついただいて出発!空は晴れてるし、今日は快適かなと一番霊場の霊山寺にむかう。宿からの距離約800m。7時半に到着して、まず本堂に行き般若心経その他一通りして、皆の幸福を願う。馴れないので思いがけず時間をとる。納経帳に御朱印をいただく。御朱印は御本尊のサインみたいなものです。そして大師堂。本堂と同じ事を繰り返す。霊山寺をでて2番極楽寺へ向かう途中、アミノバリューのキャンペーンの御接待を受ける。ラッキー!2番を打ち、3番金泉寺へ。金泉寺で本堂、大師堂で納札しベンチで休憩していると横浜から来たという初老の男性と話をする。今日は十番まで打つとおっしゃっていた。かなり凄い。僕は5番までであることを伝える。3番を打ち終わり、4番大日寺へ。大日寺までは約5キロ。途中エライことに気付く。納経帳にサインして貰い忘れた。。いまさら戻れないので、88番終わった後に行くしかないか。かなりショック。雲行きが怪しくなる。晴れたり曇ったり落ち着き無し。小雨がぱらぱらと降り出し風が冷たくて強い、しかも向かい風。なんども笠を飛ばされそうになりながら、途中の集会所の軒下で昼ご飯。おにぎり2個。靴と靴下を脱ぎ、ぼーっと自然を満喫。外で食べるおにぎりは格別やね。そうこうしてると、晴れたので出発!4番から5番地蔵寺。まず、地蔵寺の奥の院、五百羅漢寺に参る。五百羅漢の像は圧巻。釈迦、大師とは丈六。五百羅漢は四国でここだけらしい。5番地蔵寺で、まだ行けそうだったので6番安楽寺まで行くことにする。少し足が痛くなってきた。安楽寺には宿坊があり、なんと温泉もついている。しかも普通の民宿より設備も豪華だ!一泊二食付きで6500円でっせ。夕食後にはお勤めにも参加。住職のおもしろい話がきけます。さて明日も早いのでそろそろおやすみなさーい!本日の総歩行距離約17km
2007.04.04
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皆さんこんにちは!いーぴんです。さて、今日から始まりましたお遍ローラーのツアー。今は1番霊場 霊山寺近くの民宿からLiveでお送りしています(^O^)/もうすでに、お風呂もいただき(早過ぎ)、後は晩飯までまったりです。今朝、徳島行きのフェリーに乗る為に、実家にタクシーを呼んだのですが、女性の運転手さんで、僕の荷物を見るなり、「登山ですか?」と声をかけられました。ザックと伸縮性のある杖を持っていたのが見えたようです。「いや、お遍路(ール)です」と答えると、「へぇ~!!立派やねぇ。おばちゃんも西国三十三霊場をまわってるんやで」と般若心経を口ずさみだしたのでビックリ(◎o◯;)ダッシュボードから巡拝用の経典をだして三十三霊場の感想を教えてくださいました。いろいろ教えてくださったのでタクシーを降り際に、「運転手さんの幸せも願ってきます」というと、「私、大腸ガンの疑いがあるんよ。お願いしといてな」と。「わかりました。お願いしてきます。」と言ってタクシーを降りました。このタイミングでこの出会い。出発から気の引き締まる思いがしました。疑いで済みますように。。徳島港まで南海フェリーで2時間。徳島港に着き、そこからJR徳島駅迄バスで20分。ちょうどお昼どきだったので、徳島ラーメンを食べようかとうろうろ。古い中華料理屋の前に「徳島ラーメン」ののぼりがたっていたので入ると。壁に貼ってある店のメニューに徳島ラーメンの文字はない。そんなはずは!とよく探すと。「特製 ラーメン」のメニューの「ラ」の横に、小さい文字で、「とくしま」と小さくマジックで手書きしてある。しまった!と思ったが、諦めて特製ラーメンを注文。まあまあでした(-.-;)ワンマンカーでJR板東駅へ。お遍路らしき一組の老夫婦がいる。ここに明日一番に参る霊山寺があります。民宿に行く前に霊山寺門前一番街で遍路用品を揃える。白衣、笠、金剛杖、ローソク、線香、納札、納経帳。結構荷物が増えた。。。やばい。一通り揃えた後、今晩の宿へ向かう。通りの桜が綺麗です。
2007.04.03
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お久しゅうございますおはようございます「お遍ローラー」いーぴんです。なんと!(?)明日から四国でお遍ロール(お遍路)してきます。もちろん歩きです。徳島から高知→愛媛→香川へ。途中、一度引越しで帰ってきて、大体2ヶ月くらいの旅になるのでしょうか?普通は1ヶ月半くらいといいますが。少し膝のことが心配なのですが、ダメなら引き返せばいいので(弱気)(後日続きからできるというのがお遍路のいいところ!)まぁ、弘法大師が一緒なので大丈夫か。(^^;)さてさてどうなることやら。。。 一緒にみなさんの幸せもお願いしてきますね!オッヘンロ~ル!!
2007.04.02
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