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ケシ科シラユキゲシ属のこの花は、和名を「しらゆきげし」といい原産地は中国東部で中国では「血水草」と呼ばれる。冬季は葉の数が少なくなるが、全て枯れることはない。4月になって新たな葉が芽吹いた後、花を咲かせる。日陰に適合して育ち、湿った場所が植栽の適地である。植えた後は放任でも、地下茎を広げて良く増える。日陰に強い植物なので、グランドカバーに向いている。庭植えでは、寧ろ広がりすぎないように根止めをしないと、途方も無いところまで広がる恐れがある。それを避けるためには、鉢で育てるのも一つの方法である。注意して嗅げば微かな臭いを感じられるが、決して芳香とは言えない。実生でも増やすことは可能だが、株分けが簡単で容易である。植え付けの適期は、ソメイヨシノが開花する前頃が良いが、極端な寒さと暑く乾燥しない時期でなければ移植可能である。葉は先が尖った可愛らしいハート形をしていて、葉辺は大きなギザギザがあり波をうっている。葉柄・花柄ともに長く、20~30センチの一本の花茎の先端に、さらに5センチほどの3~5本の茎を伸ばしその先端に3センチ足らずの4弁の白い花を咲かせる。蕾は萼に包まれているが、開花とともに萼は落ちる。花弁は4枚で蕊は黄色、芥子の花に似ているが山吹の花より小さい白い花である。この花は葉の形と可憐な花がマッチしていて、茶花として愛用する人もある。これを切り花として飾る場合、どんなに注意しても水揚げ不良で半日位で萎れてしまう。ハート形の葉とともに、群生して白く咲き競う様子は可愛いらしく観賞価値がある。中国での「血水草」という呼び名は、この花葉の茎を折り取った傷口から出る液の色から付いた名称である。全草に鎮咳、打ち身、蛇毒の中和の効果があり、腰痛、解毒、小児の脳症にも有効とされている。中国では、消炎・止血・寫下に用いられるキンポーゲ科の「黄連」の代用にされるほど優れた薬効があるとされる。注意して他所の庭を眺めても、我が家以外でのシラユキゲシの植栽を目にしたことがないので、あまり一般的に普及している花では無いのかも知れない。
2013年04月17日
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鶯張りと言う粋な名前がついた、板張りの廊下がある。英語で、nightingale floorあるいはsinging floor といわれる。その上を歩く人の荷重によって、キュッキュッと鳴るように造られた廊下の仕組みのことをいう。防犯カメラやセンサーブザーの無かった時代に、外部侵入者を探知する方策として設けられた装置だとされている。電子機器の発達によって現代建築では意図して鴬張りの施工はしないしその必要もないが、28年前に大和市の料亭で「うぐいす張り」の施工がされたというが、現在はその料亭が確認できない。七不思議で知られる知恩院・国宝で世界文化遺産の二条城二の丸御殿・三十三間堂の隣にある養源院には左甚五郎が造ったものと伝わる鴬張り廊下が有名である。丁寧な板張りの場合釘の頭を見せないようにするため根太に床板を取り付けるとき床板下面に設けた窪みに、目鎹の一端を打ち込み他端を根太に釘で留める方法をとる。鶯張りでは床板の幅が広いために両側が多少上方に反り、目かすがいの釘穴はその反りを吸収できるよう上下に余裕を持たせてあり床板の上から荷重がかかることで、目鎹が上下し釘と擦れ合い合って音を発する構造となっている。多くの人はこの廊下が発する音を鴬の鳴き声だというのだが、実際には「ホーホケキョ」とも「ケキョケキョ」とも聞こえずキュッキュッあるいはキチキチとしか聞き取れない。中学の修学旅行で初めて知恩院の廊下を歩いたが、そんなに高い音はしなかった記憶がある。山梨県塩山市に武田信玄の菩提寺で信玄の墓所があり、夢窓国師が築庭したという見事な池泉回遊式庭園を持つ恵林寺がある。方丈に沿って外廊下を信玄の墓所に向かい、太鼓橋を進むと鴬張りの廊下に続く。恵林寺の鴬張り廊下は知恩院や二条城のそれより、はるかに大きな音がするのに驚かされる。子供が歩いても、キュッキュッと鳴る。この寺院は1330年に夢窓国師が開山したと伝わるが、1582年勝頼滅亡の際武田家の縁者を匿ったことから信長によって全山焼き尽くされたのだが、1606年に家康によって再建されたという。恵林寺の鴬張り廊下の場合侵入者探知のための装置としてより、むしろ雅の遊び心から古の装置を再現したものではないのだろうか。築後40年近くなる我が家の場合意図して作った装置ではないが、歩くとギシギシとあちらこちらで音が出る。こちらは鎹と釘のすれる音ではなく、板が撓んだり永年劣化によって釘の効きが悪くなったことで発する不快な音である。
2015年09月25日
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江戸いろはかるたの「と」は、としよりのひやみずである。江戸には「冷や水売り」という、商売があった。天保9年(1838)に刊行された「東都歳時記」の5月(旧暦)の項に、「この月より冷や水、心太、白玉餅売りあるく」とある。また江戸時代の百科事典「守貞漫稿」には、「夏月、清冷の泉を汲み、白糖と寒晒粉の団(団子)とを加へ、一椀4文に売る。求めに応じて8文・12文にも売るは、糖を多く加ふなり。売り詞、“ひやっこい ひやっこい”と云ふ」と出ている。現在の25円程度が1文に相当するとすれば、冷や水一椀が100円ほどに相当するのだろうか。甘味を多くしたりしてグレードアップしたものは、2倍か3倍の値段であったと思われる。現在のように衛生に関しての知識が無い時代、「冷や水」の製造はかなり粗雑であったと思われる。そんな状態で作られた冷や水によって、しばしば食中毒や感染症などの胃腸障害を起こしたであろうことは想像に難くない。特に体力が衰えた年寄りは細菌に対する抵抗力も弱まっているので生水は飲まない方が良いということから転じて、年寄りが分不相応な危険なことやおせっかいな言動をすることを「年寄りの冷や水」と言う様になった。出典は「冷水を飲む」から出たのではなく、年寄りが強がって「冷たい水を浴びる」ことから出た言葉だとする異説もある。体力の弱くなった年寄りが、粋がって冷水をかぶると風邪を引いたり肺炎を起こすことから、自分の年も考えず無茶をすることは健康に良くないということから転じて出た言葉だとする。年寄りの冷や水の類語として、「老いの木登り・年寄りの力自慢・年寄りの夜歩き」などがある。これらの類語の中に、「ずくなしの冷や水」が加えられているものが見える。ここに使われている「ずく」は、特に信州で使われる方言である。この言葉は、長野県と隣接する新潟・岐阜でも使われている。新潟県で使われる「ずく」は、意気地とか根性を意味している。根性があることを「ずくがある」といい、「ずくがねえ」といえば意気地がないことを指し、「ずくなし」と使えば「意気地のない人」の意味になる。岐阜県では「ずくたれた」をだらしがない、「ずくでなし」をろくでなしの意味で使う。ずくの方言の本場長野県を北・中部・南と分けた場合、その使い方に若干の相違がある。伊那谷では「ずくがある」とは、(コツコツとの意味を持たせた)根気・やる気・一生懸命に取り組む人の様子をいう。ずくが…(いい・ある・無い)のように、使う。長野県でも他の地域では、こずくが…(ある・いい)のように使われる場合がある。この場合の「こ」は、小だと思われる。「ずくなしの冷や水」の場合の「ずく…」は、恐らく長野・新潟・岐阜等で使われる意味とは異なった内容なのではないかと考えられるが、ずく使用の本場で育った人間にもこの場合の「ずく」の意味がもう一つ理解できない。今年は、自動車の運転免許更新の年である。先日県の公安委員会から、免許更新と高齢者運転講習会の通知が届いた。年寄りの木上りは危険だからと家族は剪定作業を業者に依頼するように言うのだが、今年も10m以上の木によじ登って庭樹や垣根の剪定を少しづつやっている。「ずくがいい」のか「ずくがある」のか「年寄りの冷や水」と笑われないように注意して、動けるうちは素人剪定を続けるつもりでいる。
2015年11月13日
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沖縄でサクラといえば、早咲きサクラの寒緋桜のことである。濃い紅色の大型花弁をやや下向きに咲かせる。北部の本部や名護のサクラが有名で、毎年1月20日頃から2月初めにかけて2週間ほどが見頃になる。サクラの蕾は寒冷に晒されることで、休眠打破される。そのあと積算温度が一定に成ると、開花する。したがって九州・本州・北海道では暖かい地方から北部・高地へとサクラ前線が進むが、温暖な沖縄では寒冷感作を早く受ける北部の山頂から咲き始め、低地・暖かい地方へと本州と逆に咲き進む。今年沖縄の寒緋桜の開花は、暖冬の影響から開花が約10日も遅れていて見ごろは2月初旬からと予想されている。ソメイヨシノより1か月近くも早く咲く、寒サクラ・大寒桜(安行寒桜)・河津桜・修善寺寒桜・オカメ桜など早咲き桜で知られている。何れもソメイヨシノの花の豪華さには、比べ物にならない。しかしウメ以外に花の無い時期に咲く早咲き桜を見ると、春の到来を告げているようで気持ちが明るくなる。河津桜は、歴史が比較的新しい。1955年に土手に咲いているのを偶然発見したもので、1974年に「河津桜」と命名された。樹齢50~60年と言われる原木が、発見者の自宅の庭先に現存している。昭和43年(1968)頃から、このサクラの接ぎ木苗が多く出回るようになり各地に植栽されるようになった。河津桜は自家不和合性により、自分の花粉では結実し難く実を着けることが少ない。そのためソメイヨシノと同じように河津桜の殆どすべては、原木と同じ遺伝形質を持つクローンである。通販では接ぎ木15cmポット苗が、1700円ほどで売られている。今年の年末年始は、かつて経験したことが無いほどの暖冬であった。例年と異なる気候に戸惑って季節を勘違いした植物は枯れ残ったり、早めに咲いたりしたものが多く目に付いた。一転1月半ばを過ぎて降雪がありその後関東に流れ込んだ寒気によって除雪した雪の山は一向に融けないまま残っていたのだが、流石に31日には全て解けて雪の陰も見えなくなった。毎年2月末に咲く自宅近くに植えられた河津桜を楽しみにしているのだが、今年は1か月も早い31日に、雪解けと共に開花した。今年は植物の季節が、1か月近くも早いような気がする。余りに早く季節が動くと、5月中旬には思わぬ陥穽が口を開けて待っていることがある。標高600mを超える山荘の5月の平均気温は15度、湿度60%前後で五月晴れの日が多い。日中気温上昇により植物の生育は盛んになるが、放射冷却により最低気温が氷点下になり晩霜被害を受けることがしばしばである。2年前の5月10日過ぎの強烈な降霜で、地域特産の甲州百目柿・キウイ・庭の花木に加えて山の樹木の新芽も凍って真っ黒に枯死した。今年の気候で季節を春と勘違いした植物の芽が、余り急激に伸びないでいて欲しいものである。
2016年02月01日
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地球を周回する月の公転軌道が楕円のため地球と月の距離は変化しているが、月が地球に最も近づいたとき(近地点)に満月または新月を迎えることをスーパームーンと呼んでいる。楕円軌道を回る月が地球に近づいたために起きる現象で、ほぼ年に1回観測される。「スーパームーン」という言葉は近年になって言われ始めた占星術の用語であり、占星術ではこのとき超常現象が起こるとされているが、現実には潮位の干満の差がわずかに大きくなる程度の現象が起きるに過ぎない。月は地球の周りを回っていて、その軌道が楕円のため地球からの見かけの月の大きさが変わる。地球との距離が最も短い近地点では約36万km、最も離れた遠地点では約41万kmとなり、近地点と遠地点は距離にして10%以上の遠近差がある。月が地球を周回する公転面は、太陽の引力などの影響を受けるので、恒星に対して一定ではない。近地点にある月が地球を1周回って次に近地点に達するのは、月の公転周期よりもわずかに長く27.5日程度となる。月の満ち欠けの周期は29.5日程度と2日ほどずれているので、ある時期の近地点と次の近地点では月の満ち欠けの形もずれることになる。6月23日午後8時すぎに、月と地球の距離が約35万7千キロと今年最も地球に近づき、満月のタイミングとも重なった結果スーパームーンとなった。月が地球に最も接近した時刻は20時12分。満月の時刻は20時32分で通常の満月より14%(NASA)大きく、明るさでは30%以上で昨年5月のスーパームーンより大きな月が見られたと発表された。因みに今年地球から最も遠位の満月は12月17日で、その月と比較すると直径で1割以上大きく見えたのだという。(国立天文台「ほしぞら情報」)次回スーパームーンが見られるのは、来年8月11日の早朝3時頃だそうである。残念ながら、今回は梅雨の曇り空で月が出ていなくて、スーパームーンを観測することはできなかったが、昨夜はいつも見る満月より大きく赤く輝く月を東の空に見ることができた。
2013年06月25日
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見た目そのままに、スモークツリーの名前がついた木がある。6月に径3mmほどの小さな淡緑色の穂状花が咲き、咲き進むと紫色を帯びてくる。花後雌株の不稔花の軸部分が長く伸びて、花穂の見た目がモヤモヤとした感じになる。これが樹冠を覆うと、樹全体がまるで煙霧に覆われたような感じになる。スモークツリーの名前の由来は、開花後の花穂がまるで煙のように見えることに由来している。仏具に、払子と言われるものがある。馬やヤクなどの長い獣毛あるいは麻を束ねて柄をつけた一種のハタキで、中空を左右に払うように用いるものである。蚊や蠅などを追い払うためにインドで考案され実用的に用いられていたものが、煩悩を追い払うための道具として仏教の儀式用具にとり入れられたものだという。スモークツリーは、和名ではハグマノキ(白熊の木)と呼ばれる。ハグマとはヤクの尻尾の白毛で作った払子のことで、花後のモヤモヤがこれに似ていることからつけられた名前である。その他にも霞の木の別名があるが、何れも見た感じからつけられたものである。楕円形の葉でヒコバエや新梢が長く伸びるが、全体的には樹形は丸くまとまる。樹皮からはタンニン、幹から染料が採れる。主な品種に赤紫色の葉色が美しいロイヤル・パープルや、花の軸が赤紫色になり生長が早いグレースなどがある。ウルシ科に分類されていることからわかるように、ウルシに弱い人はかぶれることがありまた切り口から出る樹液は強臭があるので服や手に汁が付かないよう注意を要する。古枝の更新と樹形を整えるために、冬季に剪定を行う。今年伸びた若い枝に来年の花芽が付くので新梢を残すようにさえすれば、切る場所に悩む必要は無い。何処を剪定してもその場所から芽吹くので、素人にも扱いやすい樹である。雌雄異株の落葉樹でロイヤル・パープル種では、春の芽出しの色がことに美しい。美しい葉もスモークが着いた枝も、切り花としての人気が高い。15年もかけて育てて来た我が家のスモークツリーには疎らに花が咲くが花序が短く、煙状にはならない。現在は雌木の挿し木苗が販売されているので、恐らく雄木を購入することはあり得ないと思われるのだが15年前に我が家で園芸店から購入した苗は雄木であった。この樹を抜いて雌木に更新しようとも思うのだが、春の若芽や紅葉も美しいのでなかなか思い切ることができない。 花言葉 煙に巻く
2015年08月04日
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万両 千両縁起と言う言葉がある。意味は吉凶の前触れ、物事の起こり、社寺・宝物などの起源・沿革や由来またはそれを記した書画の類の事とされる。さらに仏教用語では因縁生起の略で、他との関係が縁となって生起することと説明されている。縁起を担ぐとは縁起を気にする事で、以前に良い結果が出た行為で吉兆を類推する験担ぎと言う言葉にも似たニュアンスがある。中国語の赤は紅と同義語で紅は祝い事や喜びの象徴とされ、赤は「めでたい色」・「縁起がいい色」とされ、結婚や祝い事には必ず「赤」が使われ目出度い行事は「紅事」と言われる。日本でも赤は「めでたい・慶事・賑やか」の意味で使われ、めでたい色・縁起がよい色とされる。神社仏閣の鳥居の色・目出度い時に炊く赤飯などに象徴されている。縁起が良いとされ庭に植えたり正月飾りにされる、万両・千両・百両・十両・一両という何れも小さな赤い実をつける植物がある。語呂合わせのような面白い名前だが、中国では唐橘(カラタチバナ)を百両金と書き表しており、これがそれぞれの語源になったとされている。先ず始めに葉がタチバナに似ているカラタチバナに、「百両」の名前が付けられた。実を2~3個しかつけないヤブコウジは百両より劣るので「十両」とされ、5~10個と実の数が多いセンリョウ(仙蓼)には、「千両」の名前を付けたとされる。仙蓼に較らべて葉が分厚く濃緑色をしているマンリョウは、横に伸ばした果柄の先に垂れ下がって着いた沢山の実の色が深紅色で輝きがあって千両より勝るとして「万両」の字が当てられた。何れも今の時期に開花して、年末には赤熟する。ヤブコウジ科の万両(ヤブタチバナ)は、樹高1mになる。万両は、まん竜・万量・万里ゃうと書き表されており、18世紀末の「草木奇品家雅見」(1828)にその名前が出てくる。文政(1818~30)年間になって、万両が定着したといわれている。花言葉は固い誓い・慶祝である。千両(クササンゴ)の樹高は50cmになる。花言葉は可憐・富貴である。百両(カラタチバナ)は樹高1mになり、花言葉は富・財産である。十両(ヤブコウジ)は高さ20cm、花言葉は明日の幸福である。一両(アリドウシ)の樹高は約60cmで、万両・百両・十両はヤブコウジ科、千両はセンリョウ科、一両はアカネ科である。6月終わりから7月初めに、全く目立たない地味な花を咲かせる。花が終わって5か月もすると冬枯れた庭の隅に赤い小粒な実が自己主張をし始め、振り向きもしなかった人の目にも入るようになりやがて小鳥までもが狙う様になる。40年も前に植えた万両・千両の種子が、小鳥によって庭のあちこちに散布され今では自宅の庭だけでなく近隣の庭にも広がっている。しかし縁起物のアリドオシは鋭い棘があることから、庭には植えていない。生活に困窮するほどではいないが、千両や万両がどんどん貯まることは無い。縁起を担いで言えば、貯まらないのは「蟻通し」を植えて無い所為かも知れない。
2015年07月01日
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現在の黒一色の東大寺大仏を見て、黄金色に輝いていたであろう姿を想像するとき、建立からいかに多くの時が流れたのかがわかる。『東大寺要録』の「大仏殿碑文」「延暦僧録」によると、58.5kgの金を使ってメッキされたことが記されている。745年から建設が始まり、752年に開眼供養を行ったのだが、光背など全てが完成したのは、それより19年も後の771年とされている。この巨大な仏像を作ったのは、渡来してきた百済人である。延べ423,000人の技術者と人夫218万人が作業に従事し、全ての完成までには実に26年の歳月を要した。大仏のメッキには、水銀と金5対1のアマルガム(水銀合金)が使用された。当時の百済人は優れた知識と技術を持っていて、すでに金メッキの方法を開発していた。鋳造した仏体を砂や砥石で磨いた後の仕上げを、ザクロ酢で行ったと言う。その後、金アマルガムを均等に塗り、白く乾燥したところで炭火を使用して水銀を蒸発させながら磨くと金だけが蒸着する。この作業にも多くの年月を要した。水銀を使ったメッキが可能であった原因の一つとして、作業現場から至近の三重県に水銀鉱山があって、原料としての水銀が近場で大量に手に入ったことが挙げられる。わが国には、1956年に確認された有機水銀による中毒事件の歴史があって、水銀は全て有害との意識が植えつけられたが、無機水銀は保管や用法を誤らなければ、それほどの毒性はない。体温計や血圧計に使用されている金属水銀は、誤嚥しても消化器で吸収されないまま排泄されるので、巷間騒がれる程の毒性はない。水銀の毒性が言われ、使用されることが少なくなるまで、歯の欠損部の補填用に「水銀・スズアマルガム」が使用されていた。無機水銀は消化管で吸収されないから、歯科材料として口腔内にアマルガムを使用しても人体に有害ではないのである。昭和五十年代、ある区の区議会で「体温計測中に子供が誤って体温計を噛み、中の水銀を飲み込んでしまった。有毒有害な水銀を体温計に使用させないよう指導して欲しい。」という質問をされたことがあるが、危険性の大きいのは水銀よりむしろ破損したガラス片の方なのだ。飲み込んでも有害ではないが、金属で唯一液体である金属水銀は、常温で容易に蒸散する。この水銀蒸気を吸入した場合は、呼吸器から吸収され猛毒に作用する。大仏建立では、閉鎖空間の建屋内で、大仏に塗布したアマルガムの水銀を飛ばす作業が5年以上も続けられた結果、作業に従事し水銀蒸気を吸った多くの人が、水銀中毒によって死亡することとなった。東大寺中門を入った庭に並ぶ500立像は、犠牲者を供養した像とされている。水俣病を遡ること1200年前、すでにわが国では大規模水銀中毒が発生していたのである。
2012年11月28日
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