昨日の日記
の続きです。
昨日は、Sankeiweb5月19日掲載の 【コラム・断】「親学」のススメ
(著者:さかもと未明さん)を取り上げて、本文の前半部を引用しながら批判してみました。少し書き足りなかったので、まずその補足をします。
さかもと未明さんの「子育てにこそマニュアルが必要」主張に対して、
私の立場は、「必要なのはマニュアルではなく、「協力者」「手助け」「分かち合い」である」、というものです。
現実の「育児不安」「育児困難」は、抽象化した「マニュアル」では解消できません。
「正しい子育て」のスタンダードはありえません。
さかもと未明さんは、「子育ての方法は、歴史や文化に裏打ちされてきた英知の結晶」と
書かれ、「伝統的な子育て」を学ぶことに意義を見出していらっしゃるようですが、
「伝統的な子育て」イメージ自体が、一種の幻想であるということも指摘しておきます。
「最低限にしてかつ最良の」マニュアルを提言化するなどという、
無意味な取り組みに税金を投入することよりも、
子どもと向き合うときの親自身の心身のゆとりをどのようにつくっていけるのか・・
それを考えるのが政策というものでしょう。
「子育て支援」を考えるときに何が難しいのかというと、
それぞれの親が感じている「不安」や「困難」の原因が、
「情報の不足」だけはない上に、非常に「個別性」に富んでいるということです。
「○○がわからない」「○○を知らない」のではなく、
「わかっていてもできない事情がある」場合もあれば、
「わかっているし、やろうとしてもうまくいかないから辛い」こともあれば、
「なんだかわからないけど苦しくて仕方ない」場合もあります。
はたから見たら、十分なことができているのに、不安が解消されないこともあります。
民生委員、児童委員という方達すら「地域が見えにくくなった」と感じておられる地域と、
それこそ「伝統的」な「町内会」で各家庭の事情が見えすぎている地域との違い、
祖父母と同居しているからこその「困難」と(これをわがままと断じることはできません)、
マンションではじめての子どもと二人きりで過ごすことの「困難」との違い。
仕事を持つ母親だからこその「困難」と、
専業主婦だからこその「困難」の違い。
一人一人の親が、それぞれの環境の中で、それぞれの赤ん坊や子どもに向き合う時に、
何に困っているのか、何を心配しているのか、何が辛いのか、
それぞれの「現場」の問題を、
一人ぽっちで抱えるのではなくて、
うまく言葉になっていない「思い」をどのようにシェアできるのか、
その模索が必要なんだと考えています。
専門家による「指導・助言」よりも(それが無意味だとはいいませんが)、
「少し先を行く者」が「あとからきた者」へ助言したり励ましたりする当事者同士の交流の方が、
大きな力になる場合があるということは、確かにあるのです。
多分、有識者による「提言」などよりも、
幾多の「育児サークル」やネット・コミュニケーションの方がずっと役に立ちます。
PTAや学童クラブ父母会がそういう役割を持つ場合もあるはずなんです。
問題は、そういう諸関係からも孤立してしまう家庭の存在なんですよね。
「一人ぼっちの子どもをつくらない。一人ぼっちの親をつくらない」
そのためにはどうしたらよいのか・・
また、PTAや保護者会の役員のなり手がジリ貧になってきている、という現実も含め・・
・・・・・(ため息)
PTAのそういう機能が十分に発揮できていないとするならば(うちの学校も含めて・・)、
だからこそ役員の負担感だけが大きいのだとするならば・・
一体、どんな活動が、そしてどんな行政的支援体制が必要なのか
(いわゆる「学校との連携」も含めて・・・)
具体的な対策を、
今、いる場所で考えてできることから行動していく、
それが、「公」や「公共心」を育てる第一歩だと思います。
「最良」でなくとも間違っていたとしても、
それでもいいじゃないですか。
困ったことが起きた時に、どうしたらよいかを考え直し、
また次に何をするのかを考えたらいい。
責任を持って行動するってそういうことでしょう。
最初から正解があるわけじゃないのだから。
そして、そういう親の姿を子どもはちゃんと見ていてくれると思います。
だから、「『親学』のススメ」提言なんていらないと私は思っています。
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