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毎日毎日、暑い日が続いています。 朝の早い時間から汗をかかなければいけません。ほだな過酷な環境でどこまで辛抱出来るのか、ものすごく不安な毎日を送っています。車に乗っている方が快適だったりして、、、そんな暑い日に庄内までドライブしてきました。何故に温海温泉に行こうとしたのか、、、とにかく温海温泉の足湯に入ってきました。川のそばはせせらぎと適度な風があって心地よいです。足湯にあったタオルです。 近くの旅館の心遣いです。こういうのは嬉しいですね。途中の湯田川温泉から山道を走って来たのでまだ海は見ていません。ここからは近いはずです。てなことで温海温泉から西に向かい海岸を走る道路に出ました。温海地区の海です。温海から北上して湯の浜に行く途中の由良地区です。左側のは白山島です。湯の浜温泉の東側にある善寶寺に行ってみました。善寶寺:龍澤山善宝寺は曹洞寺三大祈祷の一つで、約一千百年(平安時代)の昔、高僧・妙達上人により庵を結び龍華寺(りゅうげ)と名乗り、開創されたのが始まりです。室町時代になると寺屋を建立し、山号を龍澤山、寺号を善宝寺と改められた。境内の守護神は、大龍王と大龍女を祀っている。龍神様を信仰としたお寺で、主に漁業関係者による信仰心が厚く、航海安全・大漁祈願のご利益がある1200年ぐらいの歴史があるお寺だ。龍神の棲み家と伝えられる「貝喰の池」へ行く道の入口、本堂の裏手になるのだろうか。案内板が、、、、ここまでけっこう歩いたような気が、、、「貝喰の池」、行った時は誰もいなかったのでことさら神秘的な雰囲気を感じて来ました。ここは昔、人面魚で有名になった池です。 今現在も人面魚は健在でした。ひと頃、餌の食べ過ぎで太ったとの噂ががありましたが、、スマートな体型でした。最後は庄内浜の夕日です。ここまで来たら見ないで帰るわけにはいきません。ほんとは水平線に沈む夕日を見たかったのですが、雲に隠れて見えませんでした。日中は天気が良かったのに残念です。ジュッ!と音が聞こえるような夕日は次回です。気まぐれに午後から出かけた割にはいろんな風景に出会えたドライブでした。
2012.07.31
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山形市の中桜田にある雇用促進住宅付近のT字路から山道に入って行くと野草園に辿り着くがその途中の東屋がある駐車場からは山形市内が範囲は狭いですが一望出来るのです。そんな場所から見る夜景はどんなものか行ってみました。 もしかして初めてかも、、、標高が低い分、横に長い夜景になってます。 画像をクリックして大きな写真も見て下さい。上の写真を少し大きくしたものです。左手の一番高い建物が「霞城セントラル」です。うーーーん、、意外と美しいでした。 昔と比べて灯りの数が増えていました。蒸し暑い夜は蛍が多く飛ぶという、、そんな夜、源氏蛍が飛び交う上宝沢の生息地は、、、で、今年も行ってみました。 でも今年は残念ながら去年より蛍の数が少なかったです。確認のため「東沢ほたるの里づくりの会」の人に聞いてみたら、やはり少ないとのことです。少ないといってもかなり多くの蛍が、、、暗闇の中で静かに光る蛍の淡い光に癒されてきました。
2012.07.24
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出塩文殊堂(良向寺)、山形市の西側にある通称あじさい寺とも呼ばれる真言宗醍醐派の古刹です。山形城の西の守護神として文殊山371mの中腹にあり、斯波兼頼公が天下泰平と諸民安泰の為に寄進しました。720段の石段や、文殊堂の名のごとく、学問の祈願などでも参拝客が訪れます。(山形市大字村木沢6048番地)今年はどんな紫陽花を見せてくれるのか、梅雨の中休みのような晴れた日に行ってみました。画像をクリックして大きくしてみて下さい。大きくすると一味違った画像が見られます。なかなかうまく撮れませんでしたが、少しでも雰囲気を感じられたかと思います。種類が増えたのかどうかは分かりませんが、花の色が以前より多くなったような気がしました。
2012.07.13
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そば通なら「知る人ぞ知る」山形県「最上川三難所そば街道」、村山市の西北部そこから更に5Km大石田方面へ、そこは「次年子」と云う人里離れた秘境の地が有ります。ここに「大石田そば街道」の原点にもなる「次年子そばの里」数軒のそば屋が有ります。そんなネットに掲載された記事を頼りに「最上川三難所そば街道」付近をウロウロ、、前にアップした「そばの陣 じゅんさい」のお店の真ん前にあるじゅんさい沼では収穫が行われていました。じゅんさい沼の近くにある道路標識、、、んっ?、、、良く見ると新しい発見が、、、標識だけを拡大してみました。次年子の下のローマ字が「Jinengo」となっているのです。周囲の人から聞く次年子の発音が「ずねご」だったので、てっきり「じねご」と読むのだと思ってました。まさか途中に「ん」が入っているなんて、、、この年になって初めて知った真実です。さてさて、も少し次年子の話なんぞを、 「次年子(じねんご)の語源」は冬は雪深く、子供が生まれても出生届出は春の雪解けを待って出す事から次年子となった。なんかスゴイ話です。今では道路も整備されて冬でも行けますが、昔は孤立した地域だったとは。。* 女性達が育んだ歴史大石田では古来、カノ焼き(焼畑)は男の仕事、そば打ちは女の仕事とされて来ました。どこの家庭にもそば打ち道具は有り、母から子へ、また嫁へと家庭の味として受け継がれて来ました。その家庭の味がいつしか評判になり、農家の軒に暖簾を掲げたのがこの辺のそば屋の始まりです。* もてなしの文化が息づく大切な客を美味しいそばでもてなすのが大石田流です。人が集まれば女性達はせっせと打ちたてのそばを振る舞いました。美味しいそばの条件は、「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の三拍子が揃った時。そのもてなしの文化は、今も大石田の人々に脈々と受継がれています。そば打ちは女性の仕事とありましたが、今は男性が打っているお店が多い気がします。
2012.07.06
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