シンママパピコの気まぐれブログぅ~

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Papico97 @ Re[1]:アカウント乗っ取り(12/10) yanpa555さん >お父さん、よかったですね…
yanpa555 @ Re:アカウント乗っ取り(12/10) お父さん、よかったですね。鉄人ですか!…
Papico97 @ Re[1]:大手術(08/04) アジョシへ ありがとうございます。 ま…
yanpa555 @ Re:大手術(08/04) >生まれ変わった人みたい 実感としてわ…
Papico97 @ Re[1]:大手術(08/04) はんらさんへ ありがとうございます。 …

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2014.06.04
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突如激痛に苦しみ、近くの総合病院に救急搬送された父。

その後、流動食から米飯に以降、順調に快復していると思われましたが、
17日の土曜日、皆でお見舞いに行った日に
やっと許可が出てシャワーをしたのですが、
その後異様な疲労感ですぐに眠ってしまった父。

翌日から39度7分の高熱が出て、下がらなくなりました。

すい炎と言うのは、膵液の異常分泌により
自らのすい臓を溶かしてしまう病気だそうで、


その後高熱が続き、再び絶食状態となり、
翌日に主治医の先生に言われたのは、

「すい臓内にのう胞ができていて、
中の膿を出すドレナージ(ドレーン)の処置をする必要があるが、
うちの病院ではできないので、お住まいの近くの病院で
処置&受入れ可能な病院を探します」

とのこと。

結局、両親の自宅近くの総合病院へと転院することになりました。
もう手術しか方法がないとのことでした。

そして、20日の日に転院ということで、
父は救急車で遠路はるばる2時間もかけてやってきました。

私と母は、転院先の病院で待機、そこへ父が搬送されてきました。

ところが、受入れ先の病院は、担当医が出てくることもなく、
主治医の先生からの引継ぎは、すべて看護師さんが行いました。

主治医の先生は、

「私が来てるのに、担当医が会ってくれないのは非常識」




そのまま主治医の先生は救急車で戻って行かれました。
そして、転院先の病院で一通り検査をしました。

一通りの検査が終わり、病室に移った後、ホッと一息ついて、
手術はいつなんだろうね?というような話をしていました。

母と私がそれぞれ家に帰った後、
夕食の仕度をしていたら、母から電話があり、

「さっき今度の病院の主治医の先生が病室に来て、
うちの病院では対応できないから、別の病院に移ってもらう。
その病院は空き部屋がまだないので、
転院はいつになるか分からないと言われたらしい」

とのことでした・・・。

愕然としました。

当初の話と違うじゃないですか・・・。
手術しかないから手術できる病院に転院するって言ってたのに。

以前の主治医の先生と連絡を取ったところ、
先生は「最初に転院したときの対応がそもそもはっきり言って心外だった」と
おっしゃっていました。

そして、翌日現在の主治医に連絡を取ってくれると
そうおっしゃってくださいました。

新しい主治医にも直接連絡を取ったところ、

「病室のランクや金額は問わないと患者さんから聞いたので、
それなら早く部屋が取れるかも知れないので、
なるべく早く転院手続きを取りますといわれ、
すい臓の方は、最大量の抗生剤を投与しているので、
今日明日どうにかなるということはない・・・」

そんなようなことを言われました。


そして、藁をもすがる思いで、知り合いのM医師にも
連絡を取ってみました。

「恐らく敗血症になってるのでしょう。
最悪を覚悟した方がいいです」

とズバッと言われました。

血の気が引き、吐き気がして、トイレに飛び込みました・・・。



M医師は、その病院に懇意にしている先生がいるので、
その先生に連絡を取るか、父の新しい主治医に
直接病状を聞いてみると約束してくれました。

最初の病院の主治医の先生も、
翌朝現主治医の先生に連絡すると言ってくださいました。

詳細は割愛しますが、私と母も、
ありとあらゆる手を尽くして(といっても、もちろん一般人ができる範囲のことですが)
何とか父を治療してくれる病院が見つからないだろうかと
奔走しました・・・。

急性すい炎を扱った症例数ではランキング上位の病院に打診したときは、
看護師さんが親身になり、先生に聞いてくださったと分かったとき、
涙が止まらなかったです。

神様仏様、日本全国のどんな先生でもいいから、
どうぞどなたか私の父を救ってください、
そんな気持ちでした。

結果的に、そういう行動が、
その時の主治医の先生に何らかのプレッシャーになったらしく、
都内にある系列の病院に、異例の速さで転院の手続きを取ってくれ、
転院翌日の手術の手配までしてくれました。

一時は父も絶望し、私に遺言を託しました。
そして、すべてを話し終えた後、嗚咽していました。

まさかこんなところでこんな形で命を落とすなんて・・・と
悔し涙を流していたのでした。

万が一命を落としたら、訴訟を起こせるよう、
すべての経緯をメモしておけとも言われました。

そんなことがあり、ようやく転院、手術が決まったと分かると、
父は信じられないほど元気を取り戻しました。

救急車による長距離の移動に再び耐え、
翌日の手術にも耐えて、
晴れて生還しました・・・。。。

その後も長かったのですが、端折らせていただいて・・・
明日、ついに退院が決まりました・・・。

絶対にお父さんを生きて連れて帰るから、
絶対に生きて連れて帰るから。

そう言い続け、叫び続けて会社に出勤したあの頃。

明日、ようやく父が家に帰ります。

まだ、炎症の数値など、手放しで喜べる状態ではないのですが、
それでも、この病院の「チーム」を組んでる先生方が
全員一致で退院を決めたのですから、
少なくとも危険な状態は脱したものと思われます。

長かった。本当に長かったです。

明日はお昼に病院に車で迎えに行き、
父と母を家に送り届ける予定です。

今日は何だか胸いっぱいで眠れません。

本当に嬉しいです。

読みにくくてすみませんでした・・・。







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Last updated  2014.06.05 00:34:43 コメント(4) | コメントを書く


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