全12件 (12件中 1-12件目)
1
抜糸も済み、その後の診察でもO.K.が出て退院が決定。退院の前日までリハビリ。主に家の中などで困らないように階段の上り下りなどを練習。松葉杖でもできるのだが危険が伴うので「お尻」を付いて腕の力と片方の元気な方の足を使って上り下りをする練習をする。29日、退院。3号のベッドは2段ベットの下なのだが柵があるため使えないのと、何かあった時に対処する為に2回のリビングの隣の和室に布団を敷いて寝かせる事にした。私はソファーがベッドになるのでそこで就寝。が、このソファーベッド素晴らしく寝心地が悪い(苦笑)それでも病院の簡易ベッドに比べればノープロブレム。お正月を家で迎えられる。年賀状を書く事ができる。これも3号の命があったから。ありがたいなぁ。としみじみ感じる。が・・・その一方で私の精神状態が著しく悪くなる。以前のブログにも書いたけど実はかなり危なかった。フラッシュバックというのでしょうかね。家に帰ってほっとして、それまで張り詰めていたものがプチンと切れたという感じ。そうなるといろんなことに影響してくる。じゃあ、3号は?というと・・・退屈で退屈でどうにもならなくて持て余しているという感じ。事故がトラウマになっているという感じには余り思えない。事故現場に行っても特に変わらないし、車に乗ったりするのも平気。そういう点では自閉症が重い分、余計な事を考えないのかもしれない。考えてみればそれって自己防衛だな。足も折れていて不自由なのに、精神的に参ってしまうともうどうにもならない。一番つらい足が折れていると言う事だけが現実にあってそれだけ。 多分、私は余計な事を考えすぎるんだろう。
January 27, 2008
コメント(4)
荻窪のあの有名店の丸福が店を閉じ、その数年後、武蔵野市に店を開いた。ワタシはラーメンに詳しくないし、ラーメンを食べないとダメ~~~という人間でもないのだけど・・・丸福のラーメンはワタシを虜にした。スープを全部飲めたラーメンは初めてだった。その後、足しげく機会があれば家族で通った。お店の親父さんも、奥さんも、おばさんも、顔見知りになってしばらく行ってないとお互いにどうしたかな~と心配もしたりされたりするようになった。 なのに・・・ 今週の土曜(1月26日)で丸福は武蔵野市での短い歴史を閉じる。しばらくは田舎でゆっくりするのだそうだ。お疲れ様でした。 田舎で充電したら、また、三度丸福を復活させてもらいたい、そう願っている。 中華そば「丸福」東京都武蔵野市緑町1-4-1関東バス/西武バス 武蔵野営業所バス停下車徒歩2分(目印はブックオフ ブックオフの駐車場の入り口の向かい側)
January 23, 2008
コメント(6)
入院してしばらくしてから加害者が保険会社の人とやってきた。警察の人が大変そうだからしばらくは行かないほうが良いと言ってくれたみたいだった。 保険会社の人から色々と説明を受けるがこの頃は3号の事だけが頭がいっぱいで話が入らなかった。この時言われたのが「多分、過失割合があるだろうからそちらの支払いの軽減の為にも(相方の)健康保険を使わせてほしい」と言う事。これはあくまでも相方の会社の健保なのでワタシの一存では返事できない。出張中の相方が帰るまで返事を待ってもらいたいと話し、その日は帰ってもらう。相手は保険屋。プロなのだ。こちらはアマチュア。何気に返事などはできない。すぐに保険関係の友人に相談。その時、「家の車の保険も使えるかも」と。ええ~、てっきり自分が事故を起こした時だけかと思ってた。目からウロコ。調べてみると、残念ながら入院などの特約は入っていなかった。が万が一相手と争うような事が起きた場合の弁護士費用などの保障はあった。ちょっと安心。 人身事故で車のほうは保険会社が代行して示談交渉などを行うけれど、被害を受けた人はその「人」がやらなければならない。なんだかこれってフェアじゃないよね。息子が交通事故ではねられて病院で付き添っている時にまともな交渉などできるはずも無い。今後、過失割合などの話も出てくるだろう。相手の保険屋との交渉はこれから。とても気が重い。
January 20, 2008
コメント(0)
リハビリは足首を動かす事と腿上げ、そして松葉杖での歩行や階段の上り下りなどを教えてもらう。いやぁ、呑み込み早いは!考えてみれば幼稚園の時から移動器具を色々とやってきたから「道具」として使うことに慣れていたかもしれない。 ある日看護師さんから「明日、退院ですよね」と聞かれる。「へ?ちゃんとした話しは聞いてないですけど???」実は担当医が二人いて、その二人の意見が違っていたらしい。ワタシも看護師さんも慌てる(苦笑)結局、翌日退院の話しは無くなり、抜糸後1日様子をみて退院と言う事になる。退院予定日は12月29日に決定。ホッとはするが、家に帰ってちゃんと生活できるのか不安だった。
January 20, 2008
コメント(2)
術後、やはりオシッコの管が気に入らない。やはり違和感があるのかトイレに行きたがるが、オシッコの管が入っている事、それは勝手には抜けない事、明日には取れることを話すとあきらめた様子。手術は全身麻酔だったため、この日は絶食。翌日、オシッコの管も取れ車椅子に座る事ができる。骨折した左足は加重をしてはいけなので二人介助が必要だがトイレに行ける様になる。まだ本人も片足だけの生活に慣れていないのでかなり不便そうだ。しかし、実は翌日には私一人介助でトイレに行かせてたけど(ナイショ)夜はさすがに危ない(私が寝ぼけてるかも~と言う事で)ので尿瓶にて済ます。最初はちょっとトイレに行きたいといっていたけど、そのうち楽だと本人も分かって昼間も尿瓶で済まそうとするのでそれは「夜だけ~」と。食事も朝からようやく食べられる。さすがにお腹が空いていたようで凄い食欲だった。 術後3日目よりリハビリ開始。歩行器での歩行は一度教えてもらいすぐに覚えた。リハビリ始めたばかりだったが、翌日から3連休だったので歩行器を部屋にもって帰り病棟内で練習するように言われる。一日2回、病棟内を回るのを日課にする。この頃から3号が不安定になり、よく泣くようになる。なぜ泣いているのか言葉にできないのでワタシもどうにもできずイライラしはじめる。注意してもひどくなるばかりなので悩んだが、よ~~~く考えてみると歩行器で歩いている時、大丈夫なほうの足を辛そうにしていたのを思い出す。「足が痛いの?」とマッサージをすると泣き止む。どうやら筋肉痛だったらしい。が、筋肉痛だけでなく入院が長くなってくるとする事もなく(ゲームやら塗り絵やら色々持ち込んだけど)退屈虫がうごめいてきて不安定になってしまってきたようだった。3号に泣かれるとこちらも泣きたくなる。が、ハハが泣いてはいられないので当然泣きはしないけど、我慢している分だけどんどん、どんどん深みにはまっていくような気持ちになってしまった上に、その気持ちを押し込んでしまった。ワタシが今頑張らなきゃダメだ!ってね。
January 20, 2008
コメント(2)
今まで子供の入院は何度かあった。1号は髄膜炎、盲腸、2号は急性膵炎(2回入院)、でも付き添いは無かったので家族だけで乗り切ってきた。が・・・今回は?誰かに力を借りよう、そう思った。事故の翌日、友人であるSママさんに電話をする。事情を話すと驚いて、そして快く3号の付き添いを引き受けてくれた。その後、何度も彼女は病院を訪ねてくれ、3号の見守りをしてくれた。お陰でその間は家に帰って自分がお風呂に入ったり、洗濯をしたり、ワンコたちの様子をみたりできた。本当に感謝。今までは誰にも迷惑をかけないようにしようと頑張ってきたけど、やはり限界がある。今回はその限界。こんな時は誰かに助けを求める事も必要だと学ぶ。そして、自分も誰かがSOSを出した時にはできる限り力になろう、と思う。もう一つの感謝は2号がちゃんと(?!)ワンコたちの世話をしてくれた事。近所の友人が夕食でもと誘ってくれたが、「犬が心配だから」とその誘いも断っていた。いつもは朝起きれないのに、ちゃんと起きて犬の世話をしてから仕事へ出かけていた。大人になったんだなぁ、としみじみ感じる。 3号は手術までの3日間を観念したのかおとなしくしていた。たぶん、動くと足がめちゃくちゃ痛かったんだろうと思う。3日間の間、手術の事を話す。眠る薬で寝て眠っている間に手術が終わる事、その間は全然痛くない事、オシッコの管が入る事・・・等。繰り返し、繰り返し話した。自閉症でもやはりちゃんと説明をする事が大切だと思う。どこまで理解できるかは不明だけど、なるべく易しい言葉でこれから起きるであろう事を説明してあげたほうが本人の不安も和らぐし、パニックも起き難いと思っている。「この子に話しても無駄だから」以前、他の親御さんが言っていた。無駄ってなに?と思った。きっと、無駄な事なんて何も無いと思う。成果が現われる、という実体的なものではなく、その子の中に奥深くしみこんでいくもので、地下水のように流れているのだと思う。だから、先生にもなるべく今の状況やこれからすることを3号に直接話してもらうようにお願いをした。無駄な事なんて無いんだ。絶対に。 手術は無事に成功。が、最初は金属が入れば早い時期に歩けるだろうと予想されたのが、骨が縦方向にも割れていて歩けるようになるまでは時間がかかる事が判明・・・先行きに少し不安を覚えたのだった。
January 17, 2008
コメント(6)

事故後、3号は救急救命のある病院へ搬送。事故の怪我の事はもとより、自閉症の子供を持つ親ならば医師や病院が自閉症に対して理解があるかどうかが心配となる。救急救命の医師が説明に来た時、「自閉症なんです」と言うと「大丈夫、私の息子も自閉症ですから、わかっていますよ」と言われた時にはホッとした。また、3号が病院嫌いではなかったことも幸いだった。病院は身体の悪い所を治してくれるところと3号なりに理解しているのかもしれない。特に暴れる事も無く治療や検査が進んだようだった。入院、手術が必要となり、個室を希望。こちらもその日のうちに入る事ができた。当然、付き添い。相方が海外出張の為、2号に犬の世話や家のことを託す。相方は何度も「帰ろうか?」と言ってくれたが命に別状が無い為そのまま出張を続けてもらう。 3号の怪我は下腿骨折、頭部打撲(4針縫う)、肺挫傷。肺挫傷のほうは軽いもので特に治療はせずに自然治癒を待つとの事。心配された頭部や内臓の出血が無く本当に安心をした。あとはびっくりするくらいの顔の擦り傷!下腿骨折は完全に折れていて手術が必要な事、その前に折れてしまって重なったいる骨をワイヤーを入れて元の位置に戻す事、手術室が取れ次第手術すると言う事。その際、通常は脊椎麻酔なのだが、自閉症であると言う事から万全を期すため全身麻酔で行うと言う事、などが伝えられる。ワイヤーを入れるというのは足の踵あたりに太い針金を通し、ロープの先におもりを付け引っ張って重なってしまった骨を元に戻すのだが、この施術の間も3号じっと自分が何をされているか見ていた。前もってすることは話していたので特にパニックにもならず、じっと見ていたけど、よく見られるなぁ~と思ってしまった。そういえば注射の時もじっと刺されるのを見てたっけ。手術は3日後に決定。それまでベットに固定。テレビもあったが、本人は「見ない」 しんどかったんだろうな。トイレも最初は尿瓶にできす、トイレに行きたがったがこの足では行けないのでと説明、一度できるとあとは大丈夫だった。簡易ベットを看護師さんが持ってきてくれた。しばらくはこのベットで過ごさなければ。入院1日目、夜も看護師さんが何度も血圧を測ったり、点滴を取り替えたりしてくれたのでその度に起きていたら「お母さん、寝ていていいんですよ、疲れてしまいますから」と気遣ってくれた。さて、これからどうするかな、そんな事を考えながら入院1日目の夜を過ごした。 このロープの先には10kgのおもりが下がっている。全く動く事ができない。これでまる2日間我慢できるのか???
January 14, 2008
コメント(4)
15日より登校できることに!学校大好き3号なので、何よりの薬になりそう~~そして、何よりハハが救われる。。。
January 11, 2008
コメント(10)
昨日、退院後初めての通院。事故後24日目。ここの所の退屈虫のせいで3号の状態がかなり悪い。で・・・やってしまった。転倒。昨日、友人から昔親戚の子が骨折をして松葉杖生活だった時、転倒してもう片方も骨折してしまった話しを聞いていたのに。。。たまたま通りかかった看護師さんが心配をして車椅子を持ってきてくれた。お尻から倒れ込んだので大事には至らず。でも、凄く嫌な汗をかいてしまった。レントゲンを撮り、診察を受ける。「まだ体重はかけないでね。じゃぁ次は1ヵ月後に来てね」?????1ヶ月後~~~~ぉ?つまりは今の生活が少なくともあと1ヵ月続く事が判明。骨がつかないことにはリハビリも無理なのだそうだ。うそぉ~!学校はどうなるの?このままの状態だと精神的に親子共倒れだよ! 腹くくりました。 帰って早速、車椅子のレンタルを探す。幸いにも町内にあり、本日車椅子ゲット!車椅子での登校を学校側と交渉するつもり。ダメなら・・・・1ヶ月遊び倒してやる!くそっ! と言うわけでなんだか落ち込んでもいられなくなったので復活。というより考えない事にしたのよねーただね、親子心中とかしちゃう人の気持ちがちょっぴり理解できるというか・・・もちろん、そんなことしちゃいけないんだけどね!心の問題というのはそれくらい重いんだな。。。。
January 11, 2008
コメント(4)
コメントを寄せてくださっている方々、個別にコメントをお返しできず申し訳ありません。 今回の事故で自分自身が思いの他ダメージを受けていました。入院中はまだ良かったのですが自宅に戻り、気持ちがプツンとしてしまったのかとても不安定になってしまい、自分自身でも参っています。事故の直後の様子が頭から離れません。3号は今、骨折はしていても家に帰ることができ、本当に良かったと思っています。もっと大きな事故で大変な状態になっている人や命を失ってしまった人もいるとは思うものの、こんどはその事がぐるぐる頭を巡ってしまうのです。私がこうなのですから、当事者である3号はどうなのでしょうか。多分、余計な事は考えてないのだと思います。今、自分が置かれている状況を受け入れて日々を過ごしているという感じなのでしょうか。3号に事故の時の様子を聞く事はできません。 私自身の事は多分3号の傷が癒えていくと共に心のダメージも軽くなっていくのかな、と思いますが、今はまだ辛いです。自分自身がこんなに弱いものかと思い知らされています。 皆様のコメントはしっかりと読ませていただいています。けれど、まだコメントを返す事ができません。本当にありがとう&ごめんなさい。もう少し落ち着いたら入院生活や事故後の事などアップしたいと思っています。
January 8, 2008
コメント(7)
January 5, 2008
コメント(2)
しばらくぶりの更新です。実は、昨年の12月17日に3号が交通事故に遭いました。家を出て1分も経っていなかったと思います。3号を介抱してくれた方の機転で3号のかばんの中の携帯から私に連絡があり、すぐに駆けつけることができました。フロントガラスの割れた車と横たわっている3号を見て正直死んだかと思いました。こんな時、肉親はダメですね。かなりパニックになっていたようです。3号は幸いにも意識はありましたが、頭からは出血、左足は変な方向にぐにゃりと曲がっていました。救急車で救急救命のある病院に搬送。すでに救急隊員の方には3号が自閉症である事、言葉はある程度理解はできるが、話す事はできない事等を伝えてあったのでそのまま病院側にも伝えられたようです。なんだか、色々承諾書を書かされる。全て検査の為のもの。頭と内臓に出血が無いかを調べる。相方に連絡しなくては・・・が、この日から海外へ出張。とりあえず電話をしてみたけれど繋がらない。3号の着ていたものがビニール袋に入れられ渡される。ビニールは透明でなんだか生々しくて嫌な感じ。看護師さんは「きっと大丈夫ですよ、意識もしっかりあるし。」と言ってくれ少し安心しました。待っていると処置をしてくれた救急救命の医師から説明。頭と内臓には出血が無い事、頭を数針縫っている事、肺挫傷もあるがひどいものではなく自然治癒を待つという事、ただ左足は完全に折れていて手術が必要な事。3号は自閉症だと話すと、その医師は自分の子供も自閉症だから分かっていますよ、安心してと言われました。その後、搭乗直前の相方から連絡。事故の事を伝え、骨折だけなのでそのまま出張に行ってもらうように伝える。「何かあったらすぐに戻るからね」今回の出張先は中国。場所にも寄るがすぐに戻ってこられる所だからこちらも安心でした。3号はもちろんそのまま入院。当然、私もそのまま付き添うので個室を希望。12月17日から29日まで私も病院暮らしになってしまいました。その間、家族はもちろん、私の友人や3号の学校のお友達、先生にも大変なご心配をおかけしてしまいました。取分け、3号の同級生の母親であり、私の友人のシュガママさんにはお見舞いはもとより、3号の見守りまでして下さって本当に助かりました。そのおかげで私は何度か家に帰る事ができましたし、13日間の入院生活も乗り越える事ができ、本当に感謝しています。まずはご報告まで。詳細は後日アップしたいと思っています。
January 4, 2008
コメント(5)
全12件 (12件中 1-12件目)
1

![]()
