2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全11件 (11件中 1-11件目)
1
麻薬捜査などに活躍するのは周知の事実ですが、強盗や殺人事件などの突発事案で役に立ったためしはあるのでしょうか?ニュースを見ながら、ふとそう思ったのでした。いっつも真っ先に現場に駆け付け、初動捜査に参加しますが、「道路に面したところで匂いが消え、追跡を断念」だの、「犯行当日は雨のため警察犬の捜査は困難」だの、駄目な結末ばっかりのような気がするのですが。たまには「隣町まで匂いを追って殺人犯を摘発」だの、「匂いを嗅いでいったら埠頭に中国人強盗団のアジトを発見」だの、動物奇想天外なニュースに出会いたいものである。と、動物愛護な視点から期待するものである。今思い付いたが、これだけ治安が悪化し、犯罪も多様化すると、警察犬だけでなく、もっと色んな動物の能力を捜査に導入したほうがいいのではないか、と思う。たとえば、訓練したヤギを放って偽札を発見させ、がぶがぶ食べてもらうとか(食べちゃ駄目じゃん)。町々にチーターを仕込んでおいて、引ったくりの発生にすばやく反応させて犯人を食べてもらうとか(だから、食べちゃ駄目じゃん)。このほか、もっと思い付きそうなので、これについては後日、続報を書くことにします。うーん、すごい展開。すべて思い付きで書いてますので・・・。
Jan 31, 2005
コメント(0)
それなりの量の日記が蓄積されたものだなあ、と感慨深く感じます・・・。うそです。別になんとも思いません。でも、一応公開している日記なので、俺の知らないところで俺の日記が無断盗用されていたらやだなあ、とは感じています。なーんて、我ながら思い上がりも甚だしいですね。こんなゴミ日記、誰がどうやって悪用するというのでしょう!?ま、とりあえず、そろそろ皆様が読みやすいようにカテゴリ分類していかないと、収拾がつかなくなってくるかな、とは思います。でもめんどくさいので分類などせず、そのまま継続することでしょう。●追伸。相変わらず改行ボタンが壊れているので改行できません。たまに改行している日記が混じっているのは、会社の別の端末から書いているためです。どうでもいいですな。
Jan 25, 2005
コメント(0)
神戸出張の際、電車の中で、結婚式の挨拶をいろいろ考えた鉛筆書きのメモを見ながら、必死に挨拶の練習している30代と思しき女性の姿を見ました。「お二人はお似合いで、とてもうらやましく思います」とか最初に書いて、「思います」のところに上から線を引いて訂正、「うらやましいです」に直したりした形跡がごちゃごちゃとうかがえました。俺にはそうした一つ一つの訂正が全く無意味に見えたのですが、本人には重要だったのでしょう。ざっと文章全体を盗み見てみましたが、結局は「いかにも」って感じの平凡さを脱せず、ひどく冗漫な内容であるとの印象を受けました。まあ、変にウケを狙って自爆する内容よりは聞く方の迷惑も軽いかな、と思って微笑ましく見守っていたら、次に大塚愛とかいう人の「さくらんぼ」という曲の歌詞カードを取り出してブツブツ練習を始めました。間違いなく結婚式で披露するつもりなのでしょう。歌としては無難というか、無難を通り越して犯罪的無個性とさえ言えるかもしれませんが、それはともかく、練習する本人の顔が「さくらんぼ」というよりは「ざくろ」といった風情だったことに強い違和感を抱きました。もっといえば「うに」だったかもしれません。ともあれ、こうした退屈な(決め付けてますが)友人を持つ新婦(新郎かも)というのも、たかが知れているような気がしてしまいました。これが本当は杉田かおるの結婚式に出る予定の人だったりしたら、非常にビビリますが。
Jan 22, 2005
コメント(0)
最近の俺の日記は手抜きが多い。気付いた人がいるだろうか?やっぱ何のメリットもないというか、日記を書いていることに対する張り合いのようなものがなければ、次はこういうことを書いて、数少ない読者様を楽しませて差し上げよう、というような気合も入らないというものだ。つーわけで、つまらないでも面白いでもいいから、何らかの感想をせっかく訪れてくれたからには掲示板なりに書き込んでほしいと思うのが人情である。よろしく。でも、俺は他人のサイトをのぞいても、全くと言っていいほど書き込みはしないので、書き込みをしない人の気持ちもよく分かるといえば、分かる。・・・結局何を言いたいのですか、俺よ?まあ、ともかく、今回はひとつ小話を書きたい。ハルウララについてだ。言わずと知れた、高知競馬で負けまくっているあの馬である。なんか知らねえが、いつのまにかどっかのエッセイストとかいう女が馬主になっているわけであるが、この馬主と調教師の思惑というのが普通とは逆になっているので面白い。というのは、普通、馬を大事に扱い、レースの使い方にも慎重を期すのは調教師の方なのである。一方、馬主は、少しでも金にならないかという願望から、多少の無理をしてでも、できるだけレースに馬を出したがるものである。ところが、ハルウララの場合は、馬主が馬の疲労を気遣い、できるだけ休まそうとしている。現にハルウララは長期休養中である。反対に、調教師が「3月に予定されている引退レースには何とか出したい」とか望んでいるのだ。むろん、調教師だって、無理やりにレースに出そうと思っているわけではないだろうし、ハルウララを思いやる気持ちは強いのであろう。それでも、馬主よりもレースに出そうという思いが積極的だ。この違いはどこから来るのであろうか?思うに、調教師はハルウララに対するファンの思いというのを強烈に感じてしまっている。良くも悪くも。だから、経済動物である競走馬の宿命を受け止め、できるだけファンにお披露目しなくてはならないという使命感に燃えているのだろう。ましてや、ハルウララなんて勝つつもりで走らせているわけではない(語弊はあろうが)。とりあえず、漫然とでも走らせておくことに意義があるのである。高知競馬はハルウララが走るかどうかで売り上げに天と地の差があるのが現実である。高知競馬界全体の幸福のためにも、調教師はできるだけハルウララをレースに出さなければいけない義務さえも感じているに違いない。一方、馬主は(たしか)ハルウララが大人気になってからしゃしゃりでてきた人間である。いわば、動物愛護の精神から馬主になった人間なのだ。ファンの思いよりも、ハルウララをひとつの動物としてまず捉えようという気持ちなのであろう。馬の状態が完全ではないのに走らせるなんてとんでもない、という思いであろう。つーわけで、とりあえず、通常想定される馬主と調教師の関係性とは逆の構図が出来上がっているのである。どっちが正しい間違っている、という問題ではない。一つ言えるのは、このことは、不況にあえぐ地方競馬の縮図として、我々競馬ファン一人一人に突きつけられているテーマであるということだ。・・・無理やりまとめたので結論に強引さがあるのは否めない。酔っ払って書いているのでお許しいただきたい。長いだけの文章で中身がない、とお感じの読者も多いであろう。そうした批判は、ぜひ掲示板なり、この日記へのレスで表明してもらいたいものだ。今回の日記はそうした読者のリアクションを期待して書き込んだものである。と、今思いついたので、日記の趣旨をそういうことにしておく。
Jan 21, 2005
コメント(0)
学生時代、数学が嫌いだった。新聞記者をやっていることからも分かる通り、俺は生粋の文系である。数学は受験生のとき、センター試験で全国平均にも満たない点数を取ってしまったことから分かるように、ものすごく苦手である。(そのときの国語は一問しか間違えなかったよ。すごいでしょ)ともあれ、数学自体が嫌いなのであるが、それに輪をかけて、数学的な物言いが嫌いなのである。どういうことか?たとえば、因数分解で、数学教師はきまってこういう説明の仕方をする。「これとこれが共通項なので括弧に入れてあげて・・・」・・はあ?「入れてあげて」って何?たとえば、足し算で「2を足してあげて・・・」・・・「足してあげて」って何?という具合である。何で、「・・してあげる」というように、数字に対してそんなにへりくだった表現をしなくてはいけないのか?数字はそんなに偉いのか?などと、反感を抱いてしまうのである。そんなことを感じるのは俺だけであろうか?多分、俺だけであろう。まあ、とにかく、徳川綱吉の「生類憐みの令」みたいに、数字を必要以上に崇める表現が気に食わない。俺はそういうところに嫌気が差して、数学を学ぶモチベーションを失ったのである。これを見た数学教師や塾講師の方々よ。そんな変質的な子供が一部にまぎれて授業を聞いているというのを忘れないでほしい。そして、できればそんな生徒のために、数字を征服したかのような表現で授業を進めてほしいのだ。「このファッキン共通項を括弧に入れてあげなくもねえぜ」とかいう表現を用いてほしいのである。そうすれば、数学が苦手な生徒も、「ああ、数字ごときに恐れをなすことはないのだ」と実感し、あたかも数学を征服したような心境に至るであろう。・・・と、思いつきで書いた次第である。ps。高校時代、数学で2回連続して0点を取ったことがある俺である。
Jan 20, 2005
コメント(0)
木曜日から神戸に出張です。世界防災会議の取材。久しぶりの出張なので、楽しみですが、金がない。夜飯も立ち食いそばで済まさなければいけなそうな勢いです。先日の競馬で大勝ちして神戸で豪遊しようともくろんでいたのですが、世の中そううまくはいきません。ナリタセンチュリー来ないし。モエレアドミラル来ないし。競馬って難しい。女心と競馬は分からん。と、無理やりオチを付けようとしてみました・・・。
Jan 18, 2005
コメント(0)
のライヴに行きます。本日。仕事無理やり休みました。ほんとは休んじゃいけない雰囲気だったんだけど・・。まあいいや。ああ、楽しみ!ザ・ミュージックを観るのはフジロック、サマソニに続いて3回目だけど、どんどん成長しているバンドである。どんどんスケールが大きくなっていく。それにしても、ライヴに行くこと自体、久しぶりだ。何せ、昨夏のサマソニ以来だから。社会人になると、なかなか個人の趣味で時間を確保することは難しくなるけど、ちょっと無理してでもそういう時間を維持していかなくてはと感じる。って、今回はやけに真面目に主張していますね、我ながら。改行もせずに。やはり、ちょっとふざけたことも書かないと面白くないよね。うん。昔、下痢のときはお腹をずっと日光にさらしていれば、お腹の中の水分が蒸発して、普通のウンコになって出てくると信じてました。高校生のころまで。馬鹿ですね。
Jan 12, 2005
コメント(0)
いつもそうだけど、似たような番組ばかり。とりわけ今年はマジックものが多い気がする。マジックって見るの楽しいけど、やるほうは大変だよな。マジックの場合は特に、客の満足するハードルが急激に高くなる。もう、かなり過激な技がないと楽しめないモンな、俺も。そんな中、セロという人はすごいと思います。ルックスも非の打ち所がない。うちの妻は完全に虜になっています。俺も、こんなルックスと技があったら女にもて放題だし、麻雀でイカサマし放題だよなあ、と思います。
Jan 4, 2005
コメント(0)
(あらかじめ断っておくが、改行ボタンが壊れていて改行できません) 昨晩は旧友たちと飲んだのであるが、そのあと麻雀しようということになって。雀荘を探したのだが、深夜にもかかわらず、正月でどこも満席。困った挙句、ある官庁の記者クラブに行き、置いてある麻雀卓で徹マンをしてしまった。(いまどき麻雀卓が置いてある記者クラブがあるのか、という突っ込みはこの際やめて・・・)記者クラブというのは、ご存知の通り、報道関係者のための巣のようなもの。部外者は本来、立ち入ってはならないところである。そこに部外者を3人も連れこんでしまったのだから、ばれたら俺の責任は重大となる。突然の事態が発生して各社の記者たちがドヤドヤと記者クラブに入ってきたらどうしよう、とドキドキしながら牌を握っていた。余計な気を使いながらの麻雀は良くないと痛感。もう二度としないので許してください。 追伸・・・勝負には勝ちました。
Jan 3, 2005
コメント(0)
正月は実家に帰ったのであるが、やはりうちの母親はすごい。武勇伝は枚挙に暇(いとま)がないが、とりあえず日本レコード大賞については「チルドレンの方が大賞だっけ?」とコメント。・・・は?「ミスター」の方は受賞を逃したんですか?まあ、枚挙に暇がないのだが、俺が最もすごいと思ったのは、小学校のころ、母親がドブネズミを生け捕りにしたことだ。あれは今でも信じられない。どうやって捕ったのか?別に罠とかを仕掛けていなかったのは確かである。やはり猫のように追いかけて、追い詰めて捕ったのだろう。気付いたら母親が持つビニール袋の中でドブネズミが暴れていた。母親はそれをそのままゴミ捨て場に捨てた。ごみの中でいつまでも、もぞもぞとドブネズミがもがいていたのを忘れられない。年末には一人でボーリングに行ったらしい。その時点で結構すごいが、なんか場内の照明が落ちてチャンスタイムみたいのに突入した途端、ストライクを出してしまい、華々しく場内放送された挙句に記念写真を撮られたという。そしてボーリングのピンを賞品として持ち帰ってきた。まあ、本人を知らない人にどこまで伝わるかは分からないが、とにかく俺は俺の母親をすごいと思っているのだ。
Jan 2, 2005
コメント(0)
あけましておめでとうございます。で、新年早々、恐縮だが、ぼやきます。年賀状というのはつくづく面倒くさいものだ。作るのもかったるいが、もらうのもかったるい。年々その思いは強くなる。当然ながら、社会人になって、年賀状のやり取りは仕事関係の人が中心になった。そうすると、もう年始の挨拶、という年賀状本来の目的とは関係ない発想で年賀状と対峙せざるを得なくなる。「ああ、あの人に出し忘れた。職場に行って気まずくなきゃいいけど」「やべー、この人から来ちゃった。出してねえよ」とか。もう、完全に不毛。減点型の査定みたいな。そりゃ、中には旧来の懐かしい友人だったり、とても美しいデザインの賀状だったりして、賀状をめくる手を止めることもあるが、大抵は大量印刷のつまらない賀状。一言手書きのコメントがあればいい方で、まったくノーコメントの無機質なのも多い。俺にとっては年賀状が面白かったのは学生時代まで。利害関係のない年賀状が、やはり楽しかった。ある友人はポッキーの空き箱を破いたやつに切手を貼って、年賀状として送ってきたものだ。俺も彼には「プリントごっこ」(なつかし)で印刷に失敗したぐしゃぐしゃの年賀状を毎年送っていた。それとか、妹が買っていた少女漫画「りぼん」の付録の年賀はがきを使ったりしていたなあ。あと、中学生のとき勉強がまったくできなかった愛すべき友達には、全部ひらがなで年賀状を書いてあげた。「俺だって漢字ぐらい読めるんだからな!」と、抗議の年賀状が返ってきたものだ。ともかく、年賀状は楽しいほど良いが、年賀状ごときにエネルギーをかける不毛さも、自分の中でつのっている次第である。とはいえ、自分だけ一抜けた、というわけにもいかないのが年賀状連鎖の恐怖である。小泉首相の「三位一体の改革」じゃないけど、みんなが「せえのっ」で年賀状を止めることにしたら、年賀状はこの世から消滅するのではないか。そんな妄想を描く新年の俺である。ps。年賀状のお年玉くじも、俺は驚くほど当たらないのです。
Jan 1, 2005
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1

![]()
