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このところお天気が結構悪い。メテオロパタテイカ(お天気によって機嫌が変わる)の私はあまり機嫌が良くない。金曜日はお天気が良く、近所に住む同僚とお茶をしたりしていたが、土曜日から予報通りお天気が崩れ、夜はものすごい雷雨。また道路が川のようになっているのではと心配したが今の所大丈夫のようだった。気温もぐっと下がって、今10度前後か。イタリアの山間部では雪が降っている所もあるようだ。こうして雨が降ったりして春になるのだろう。気分はもう冬はこりごりと言う感じで、タンスの真冬ものを片し始めたり、要らないものを始末したりしている。
2016.02.28
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観光客で毎日賑わう真実の口があるローマのサンタマリアインコスメデイン教会。真実の口と言われる水の神様の顔がついている大理石の板で写真を撮った後は、順路で教会内部を通ることになる。そこで、意外にも教会内部が美しいことを感じる人は少なくない。教会や教会付近の説明はここでするつもりはないのだが、ローマ発祥の地になるパラテイーノの丘やフォロロマーノの後ろにあり、非常に歴史の古い場所になるということだけは話しておこう。コスメデイン(お化粧をしたと言う意味がある)教会の前景と鐘楼もとても綺麗。このロマネスク様式の鐘楼はローマにかなりある。(探してみてね)イタリア中南部ではゴシック様式は北ヨーロッパに比べると様々な理由から発達しなかったのだが、ロマネスク様式というのはわりに発達したわけだ。さて、美術史で呼ばれる様式だが、ゴシックは、ルネッサンス(イタリア語ではリナシメントといい、古代ローマギリシャ美術の復興を意味している)時代にそれ以前の様式を区別するためにつけられたもので、もともとゴート人のと言う意味がある。つまり、イタリアではなくて北ヨーロッパ、バルバリと呼ばれた野蛮民族の芸術様式をもともとは指していた。だから、北ヨーロッパで特に普及したと言ってもいいだろう。一方、ロマネスク様式の方は、ゴシック様式と区別するために中世前期の様式を1800年代にフランス人が名付けたものになる。もともと、名前の通り、古代ローマのクラシックな美術様式を取り戻そう(西ローマ帝国滅亡後はビザンチンの影響がかなりあったため)とするものだったが、当時10世紀から12世紀構成されたとされるロマンツエ言語(ラテン語を基にして生まれて行ったイタリア語やフランス語、スペイン語などの俗語を指す)につながっているとされる。特徴としては、平面的なビザンチン美術と区別するために立体感、空間を出すということと、ゴシック美術との大きな違いはぼってり感、重量感があるということなどがあるかも知れない。また単純に言うと、ゴシックはアーチが尖っている、ロマネスクはアーチが半円形ということも大事だ。ローマ北部のヴィテルボ県トスカーニア郊外にあるサンピエトロ教会(典型的なロマネスク様式)サンタマリアコスメデイン教会内部の大祭壇天蓋はゴシック様式俗語につながるのは、ちょうどこの時期に柱頭の飾りなど彫刻が工夫されていったことだが、面白いのは宗教的な意味あいや俗宗的な意味がミックスされて行った。そして、それがヨーロッパ全体に広まり、共通言語として使われていた点がロマネスクの改革的な所になるだろう。聖域を守るために彫られた怪獣などの彫刻ももともとはこの時期に始まったとされる。アートはほとんどの場合、権力や宗教につながっていて、西ローマ帝国滅亡後は建築物や彫刻、絵画など教会や僧院に関わるものが多くなる。というのも、中世(美術史ではおおざっぱに言って、西ローマ帝国滅亡からコロンブスの大陸発見までを指すと言われているが、後半はイタリアではもちろんルネッサンスが始まっている。ロマネスクもゴシックも中世美術とされる)では、教会、僧院がカルチャーセンターのような役割を果たしていたので、庶民の心の拠り所として非常に大事だった訳。コスメデイン教会の話から随分脱線してしまったけれど、私が最初に話したかったのは教会の内部の柱頭がこれもとても面白いから、見逃さないでということ。古代ローマ時代帝政期のもの*コリントス式と言われるアカンサスの葉模様*から中世前期のフィギュアが入ったものまで様々な柱頭(柱の上部の飾り)がある。サンタマリアコスメデイン教会の柱頭より
2016.02.27
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田中英道氏のシステイーナ礼拝堂天井画についての本を読み終えた。フレスコ画については、私も時々描くことがあるし、実際にシステイーナ礼拝堂には昔から仕事で通っているので、非常に興味深かった。まず、フレスコ画を描くときに下絵を実際に移す作業についての彼の意見。一般的に言われるスポルヴエロ(石炭の粉を下絵の穴から落としていく)ではなくて、プンテッジャートウーラ(下絵を穴をあけて移す方法)とインチジオーネ(下絵を壁に切り込みを入れて移す方法)の両方が使われたのではないかと、実際に天井画の修復作業に参加しながら意見が述べられていた。また、非常に難解なミケランジェロの天井画の解釈については、土、水、空気、火の4大元素が世界を作っているという哲学にもとついて、色や人物が描かれているのではないかと。ミケランジェロの世界像著者:田中英道価格:3,456円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見るキリストの祖先と言われる人物たちが、実はみんな巡礼者の恰好をしていること、これは私たちが生きている世界は一種の巡礼であるというミケランジェロの考えが描かれていると。天井画についてもっと詳しく知りたいと言う方には、専門的だけれどお奨め。
2016.02.26
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先日知人にこんな本があるよと教えてもらい、図書館で運よく見つけたフロイトの本。彼が書いた唯一のエッセイになるらしい。1900年代の初めにフロイトがローマに滞在していた時にミケランジェロのモセ像がある教会、サンピエトロインヴィンコリに通ったこと、彼は文学とともに彫刻に惹かれるが、絵画に関しては感動しないことなどが、書かれている。彼は何故かこのモセ像がとても好きだったようだ。更に、彼は多数の美術史家の意見を参考にしながら、このモセが一体どのような心境にある場面をミケランジェロが彫っているのかを考察している。モセは、シナイ山に上り、神様とお話をし、十戒が書かれた石板をもって降りてくる。そこで見たのは人々が黄金の牛を崇めていた場面。モセは怒りまくり、石板を割ってしまう。(のちにまたシナイ山に登って石板をもらうことになる)フロイトはモセの心境を考察しながら、差絵を描かせているのだが、怒ったあと少し落ち着いた所が描かれているのではないかと、また、石板の持ち方について詳しく分析しているのが非常に面白かった。ちなみに、このモセ像については2003年に修復が終わり綺麗になったほか、最近横の窓が開けられてミケランジェロが考えていた光がモセに差し込むようになっている。周辺モンテイ地区については以前ブログで書いているので興味がある方はご覧ください。
2016.02.24
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家の庭に10本ほどの柑橘類の木があり、長年の世話で(わたしではなくて家人)ようやくここ何年か前から実をつけるようになった。レモンやオレンジとレモンの合いの子みたいな感じなのはいいのだが、レモンとオレンジの掛け合わせは、結構酸っぱいので、オレンジというよりはレモンに近いような気がするもの。イタリアでスプレムータと呼ばれる絞ったジュースはオイシイけれど、我が家のはあまりにも酸っぱいので、お砂糖を入れて飲む。だが、酸っぱすぎると家族が誰も飲まなくなってしまったので今年はこの酸っぱいオレンジでジャムを作ることにした。私がもっているビオのジャムの本に依れば、まず皮がごつごつしているオレンジを選び、よく洗う。大きな鍋に(とりあえず2キロのオレンジで挑戦)オレンジを入れ、ヒタヒタになるまで水を入れて、オレンジが柔らかくなるまでコトコト中火で煮る。オレンジを刺してみて、すっと通るようになったところで、オレンジを取りだし、大きめの陶器に入れ、冷たい水をまたヒタヒタになるまで入れて、48時間置く。時々、水は替えてあげるといい。最終日、柔らかくなったオレンジを4つに切って、中の種を出す。厚めの鍋に入れたら、赤砂糖800グラムを加え、弱火でコトコト。木のしゃもじでかき回すことを忘れずに。ジャムが出来て来て、鍋の半分くらいになったら、予め準備しておいたレモン(お湯で良く洗っておき、細かく皮を切って置く)とレモン汁(1個分で大丈夫)を入れてあと5分ほど煮詰める。ジャムは大体1時間ちょっと煮込むような感じ。ガラスの容器にアツアツのジャムを入れ、ふたをして逆さに置いておく。ジャムが冷めたら、暗く涼しい所に保管する。どうなるかと思いきや、ちょっと苦めのフォションのジャムにも負けないものが出来た!
2016.02.23
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今年はカトリックの世界では特別の聖年になっている。聖年をイタリア語ではジュビレオというが、これはもともとユダヤ語からくる言葉であり、ヨーロッパ言語では記念するという意味合いがあるらしい。ジュビラーレという動詞は、イタリア語では大喜びするという意味もある。さて、3月末のイースターが近くなり、メキシコからもどっていらした教皇パパフランシスコがいるヴァチカンでは行事が多くなるようだ。ところで、先日読んでいたイタリアの経済新聞イル ソーレ 24オレの日曜版には、実は来年2017年は、プロテスタントの聖年になるとあった。何故なら、マルチン ルターが当時のカトリックに対する95のテージ主張をヴィッテンブルグの教会扉に張ったのが、1517年の10月31日になり、それからちょうど500年経つのが来年ということになるからだ。それをご存知でパパフランシスコが今年カトリックの聖年になさったということは十分に考えられると言うわけ。聖年にのみ開けられるローマ4大教会の聖なる扉をくぐりにカトリックの方もカトリックでない方も今年ローマ訪問はいかがかしら。
2016.02.22
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享年84歳。火曜日ミラノのスフォルツア城でお葬式だそうだ。何かこういう人は永遠に生きるような気がしていたが彼も逝ってしまった。彼の本は何冊か読んだけれど、何と言っても14万冊を売った「薔薇の名前」が懐かしい。中世学をロマンツオ(物語)にしたということでも彼は偉大な人だった。何故かボローニャの人のような気がしていたが、出身は北伊のアレッサンドリア。家族で彼のことについて話していたら、息子が先日勉強している横にエコーが通って、ブラヴォと肩を叩かれた夢をみたと言っていた。彼の言葉が今ラジオで語られている。「人の魂は記憶の中に生きる。私は歳をとってから幼少の頃の記憶が蘇った。」彼の冥福を祈りたい。ウンベルト・エコ インタヴュ-集
2016.02.20
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今週ローマはちょっとお天気が悪い。春は雨が多いんだった。通常はパッツオマルツオ、気違い3月と言われるように3月のお天気がちょうどこんな感じで雨が降ってお日様がでてと目まぐるしく変わる。仕事の時には早朝は寒いので着こんで行くと日中気温が上がって汗をかいたりということになる。もうとっくりのセーターはやめてアーテイチョークのように脱ぎ着出来るものにしないと。また、暑いと思っても日陰に入ったり風がある所にいたりすると寒いから始末が悪い。この時期、インフルエンザがひどく流行っている。高熱や下痢で大変な人も結構いるようだ。油断しないで行かなければ。3月はどんなお天気になるだろうか。暖冬のまま春になるのか、それとも寒の戻りがイースターあたりにあるのか。
2016.02.15
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昨日は8時間半の仕事の後に家族と待ち合わせをして、映画、ピッツアの土曜日だった。そういえば、ピッツアの原型がピンツアというもので、同僚の息子さんが表参道にお店を開いたそうだ。ピンツアは様々な穀類を使って生地が作られるのでヘルシーと世界のいろいろな所で受けているらしい。だが、旧世代に属する私たちは、昔ながらのトラステヴェレにある、若い頃友人たちと通ったピザを食べに行った。場所はトラステヴェレ大通り。オビトーリオという別名があるのは、店内のテーブルがすべて白い大理石で作られていて、それが死体安置室のテーブルに似ているため。8時過ぎに到着すると、店内はもう満室、外に列ができていたので、さっそく、並び始める。テキパキサービスは早いので、そう待たずに店内に入れた。懐かしい。何年ぶりだろうか。店内ではピッツアを作って焼いている所を観ることが出来る。様子が分かっている私たちは、前菜になるスプリ*お米のコロッケで中にモッツアレラチーズが入っている*やバカラ(タラを揚げたもの)、フィオーリ(ズッキーニの花を揚げたもので、やはり中にモッツアレラが入っている)を注文し、ピッツアを3枚頼む。ローマのピッツアはいつも話しているけれど、薄いので、バリバリと食べてしまう。昔ナポリの旧市街でいただいたピッツアも美味しかったけれどローマに長く住む私たちはローマのピッツアも好き。と言う感じのサタデイナイト。
2016.02.14
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昨年修復が終わったというので訪ねたときに比べると見られなくなったお部屋が多くびっくりした。「どうしたんですか?」とチケット売り場で聞くと館内で働く人が足りない(つまり、それだけ働く人に払うお金がないということよね)から。ということだった。まあそれでも一番有名なラッファエッロの恋人だったと言われる「フォルナリーナ(パン屋の娘)」や、カラヴァッジョの3枚の絵など、とにかく重要なものはしっかり見られるので、安心。ピエトロダコルトーナの有名な天井画もオッケイ。修復が終わったバルベリーニ館の美術館になっていない右側には有名なボッロミーニの螺旋階段、これは楕円形なのが美しいのでそれもいらっしゃる方は忘れずに。サイトがあるので、ご参考まで。
2016.02.11
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いやあ、やっぱり凄い。パードレピオ、ピオ神父を信仰している人たちが結構いることは知っていたけれど、今週はピオ神父の遺体がサンピエトロ寺院に入っているのですごい混みよう。ローマには先週まずサンロレンツオフオリレムラつまり城壁の外にある聖ロレンツオ寺院に入り、そのあと、ヴァチカン手前にあるサンサルヴァトーレインラウロ教会に入り、そして4日にサンピエトロ寺院に入って来た。ニュウスの巡礼の方たちへのインタヴィウを聞いていると、「昔私はこのピオ神父に会ったけれど、彼のキラキラした目が私の中に入って、そのキラキラが今も私に残っている。」という女性がいた。アウラ光輪があるというか、そういった力のある神父だったに違いない。遺体はガラスケースの中に入ってピオ神父のお顔が*作られたものだと思うが*見られるのが凄い。この行事のおかげで、今週サンピエトロ寺院入場については結構難しい日が多くなりそう。またヴァチカン美術館から寺院に抜ける通路も閉鎖されることになるようだ。
2016.02.07
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大学の知人で日本のカトリック関係でかなり偉い方に教わった。マスコミでもローマ法王と言われることが多いが、実は日本の中央カトリック協議会ではローマ教皇に統一してくださいと1981年のヨハネスパウルス2世の来日からマスコミにもお願いしているとのこと。詳しくはサイトがあるので、興味がアル方はどうぞ。個人的には言いなれてしまっているので、教皇ではなくてつい法王と言ってしまうな~と思っている。
2016.02.05
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毎年移動祝日になるイースターによって日にちが変わるカーニヴァルの時期。今年は来週10日が灰の水曜日になり、だから火曜日9日がマルテデイグラッソでカーニバルが終わる。子供がだんだん大きくなると、ちょっと寂しくまたウレシイことにカーニヴァル用の衣装を作らなくて済む。街中に落ちている色とりどりのコリアンドロと言われる細かい色紙で「あ~カーニヴァルだな~」と実感する。この時期、ウレシイのが、3月19日の父の日までお菓子屋さんで売られるヴィニェデイサンジュゼッペというお菓子が食べられること。このお菓子については以前ブログでお話したけれど我が家も大好物で、毎年みんなでいただく。パン屋さんでも作っている所があるし、大体のお菓子屋さんには置いてあるので、興味がある方は乞うトライ。シュークリームの大型版で、決めては中のクリーム。3月19日の父の日まで今年は幾つ食べられるだろうか。
2016.02.04
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聖年に入ったローマの街だが、思ったよりも巡礼の方たちはまだ多くないようだ。今週の2月4日から11日まで通常南イタリアのサンジョヴァンニロトンドにあるパードレ ピオの亡骸がローマのサンピエトロ寺院内に移動するらしい。パードレ ピオは2002年に聖人になったカプチン会の神父で、彼の聖痕や病人の治癒などで有名であり、現在も信仰しているイタリア人が多い。話は変わって、北スペインのカミーノ デイ サンテイアゴと呼ばれる巡礼街道は近年非常に有名になっていると思う。イタリアにも実は古くから巡礼者たちが使っていた街道というのがいくつかあるらしい。その中で、特に知られるのが、実はイギリスのカンタベリーから出発して、サンピエトロ寺院に至る6600キロの巡礼街道になるというフランチジェーナ街道がある。(フランスからという意味があるようだ)聖年ということでイタリア内のフランチジェーナ街道の整備が進んでいるという。イタリアの部分ではスイスとの国境になるサンベルナルド峠から南下して、パヴィア、ルッカ、シエナ、サンキリコドルチャを通り、ボルセナ、ヴィテルボ、ローマに入るのが、一般的なルートになるという。(古い街道だからルートはいくつかあるようだ)イタリア内は850キロになる。知人でトレッキングをするイタリア人がシエナ界隈のフランチジェーナ街道を3日歩いたと言っていたから、もちろん部分的に歩くということも可能な訳。昔は80日かかって北からローマに入って来たと言う。いつの日か、ちょっとだけ街道歩いてみたいなと思っている。
2016.02.01
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