2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全21件 (21件中 1-21件目)
1
セリエA最終節、9チームほどが残留を決めるべく戦い、そして終えた。俊輔クンのレッジーナも、又、最も危ないと思われていたフィオレンティーナもやっと残留を決めた。ほっとする・・・。ハーフタイム中、現地カメラはNakataを追う・・・。どういう意図なのだろう。が、笑顔すらこぼれていた・・・。ゾフが監督になってから「無視」され続けていた感のあるNakata。最終節直前の「ヒデメール」は淡々と試合前を綴っていたが最後にどのようになろうと・・・「笑えない」と。彼の思い切り、覚悟のようなものか、胸を衝かれた。私は自分を振り返る時、命、仕事、愛、つまり生き様について思い定めて立ち向かった事があるだろうか・・・時が流れるままに流されてきた気がする。Nakataのサッカーをこれからも見続けたいと思う。彼はすぐに代表に切替えるだろう。少し前まで「中田不要論」が雑誌等に席巻していた。しかし、ここにきて2連敗を目の当たりにして待望論すら感じられる。代表がどうであれ「不要」なら「不要」だろ!勝手な流れに、それを煽るメディアに怒り沸々!!TVで「彼が入ってもプラスαになるかどうか?」あげくに「彼が入ると負ける」とまで言っていた解説者もバーレーン戦はNakataを先発予想に当たり前のように入れていた。フィオが残留を果たしてほっとしたのと、迫っているバーレーン戦が頭を離れず、ちょっと頭に血が登っている(笑) ブレシア降格、そしてボローニャとパルマが プレーオフ・・・。 (2004年3月、ボローニャのヒデ、ロビーと対戦、現地)
2005年05月30日
コメント(4)
キリン杯対UAE戦、又もノーゴールで敗れた。ペルー戦はガッカリしたけど、どこかラクテン的だった・・・。シンジくんが入ってさすがの違いを見せてくれた気がする。大黒くんにとっても可能性を感じていた。でも可能性を感じながら時間だけが過ぎて・・・又いつものワル~イ予感。そして・・・。サッカーに関してまるで素人だからご容赦を・・。2戦とも親善試合。最終予選シュミレーションといっても所詮親善試合だ。TV観戦で応援する私もどっかォ気楽だった。(スタンド観戦なら違う!って事は知っているつもり)そんな私?の気持ちが反映してそう見えるのか画面の中も凄然いや、整然として、とてもわかりいいプレーをしているように見えた。UAEはもちろん馴染みがないので、見ている私はとっても怖く感じる。恵まれた環境に育った子供達の物足りなさを日本の選手達にもみてしまった気がする。先のアジア杯優勝でみせたように大きなタイトルがかかる時ギリギリの何度も息の根を止められそうな思いをしながらついには歓喜の輪を見せてくれた。結局、最後までそうなのかもしれない。1998年仏杯予選・・何度も何度も「もうダメ!」となったと聞く。2006年独杯は今回のような事に何度も不安にさせられても最終的には「行けるのでは?」という楽観的な思いがどこかにある。しかし・・・本当に不安になってきた・・・。可能なら私もドイツまで応援に行きたい!と。 真剣だよ~~ PS:ミランを応援していたけど・・リバプール!! あんな事ってあるのね、凄すぎ!! 今はレアルのオーウェンの事が思われたのでした・・。
2005年05月28日
コメント(2)
旅の記憶はうつろいやすく、今書こうとして思い起こすも空白が一杯あって、よほど印象に残っているか、ウ~と身体をくの字に曲げたくなるような思い出かどちらかしか浮かんでこない。記憶を辿ろうとすると、取りとめもなく言葉が出てきて収拾つかなくなる^^;やはりその時々、メモの形でも残しておくべきだったなと思う。書くことでより楽しさを心に封じ込める事ができたのにと・・・。グアムももう7~8年前・・・幸せ感も、そうだったろうなあと推測みたく・・・。旅日記こそ自分の為!今、時を戻そうとあがくように書いてみた。テンションだけが上がるわびしさ。 大事に抱えているイタリアの思い出も、 いざ書こうとすれば焦るだろうなあ。 どんどん、ときめきは色あせてしまって いるだろうから。 その時、熱いうちに書き留めていれば、 何年後でも読めば心揺さぶられるだろうに。 どんな下手っぴでも自分の言葉なら・・・。 国内各地も含め、もうピースは繋げられそうもない・・・。 未完成なパズルばかり、そこここにある。
2005年05月27日
コメント(4)
「今年も行こうか!?」口からついてでたこの言葉に即、走ってしまった。この一言で3人の気持ちが一つになった^^;同じ旅行社に又もやギリギリ駆け込む。今度は空席を見つけてもらうのに時間がかかったが何とか確保してくれた・・・。昨年と同じ3泊4日、ホテルニッコー・・・。部屋の階層が違い、アメニティグッズも違った。バスローブも今回はなかったし。前回がサービスされていたのだ。お客さんが少なかったからかなあ。グアムは一年で大きく変わっていた。新しいホテルが完成していたし、ゲームワークスや、アンダーウオーターワールド(水族館)等遊ぶ施設が増えていた。観光客も多かった。そりゃそうだろう、去年より格段に円高なのだから・・(昨年行った事はあまり人には言えない・・・)実は私はかなり元気になっていた。昨年以来ず~と加療の身だけどあの我慢はなんだったのかと思うほどだ。だからもう一度行きたかったのかも?思いっきり波と遊びたかったのかもしれない^^;そして今回はおとなしくプールサイドで寝ている!何てことはしなかった・・。「スターサンド・プライベート・ビーチ」米軍キャンプ地内にあるビーチへのツアーだ。グアムの一般の人々の地域から米軍敷地内へ入ると同じグアム!?と思うぐらい美しく整備されていた。そこを突っ切って海岸へでる。プライベートビーチがアトラクション地だ。ジャグジーに入ったり、バイクに乗ったり、そしてほとんどを水中で過ごした。浮き輪代わりの板に乗って餌を持っていると面白いように魚が集まってきた。ふと、気が付くと、周りに誰もいない・・・私と息子だけだ!太陽はすっかり西に傾いていた。岸辺で長女が手を振っている・・・あわてて砂浜へ上がると、ツアー参加者皆、帰る準備中だった。長女に もう~(`´)と怒られながら身体を拭く・・・記念写真も買えず、着替えもそこそこにバスまで運んでくれるトラック(さび付いた軍用)に飛び乗った。息子は買ったばかりのTシャツを忘れてきてしまった・・・。この時の思い出は身体に長く残った。ず~と水中をのぞいていたので背中、特に足の裏側が見事にこげていた。表は入念に日焼け止めを塗っていたけど・・・。プールのウオータースライダーも試したし(年寄りの冷や水か・・一回で充分!!)何度か街へも出た。タクシーはDFS(免税店)へなら無料で運んでくれる。歩く!っていうのに強引に乗せられた。そこで貰った抽選券をすっかり忘れていて、長女が引くと・・・なんと「一等賞」!!!「ディナーショー付食事券」!! 周りの観客がどっと沸く。ディナー!? 私達は今日の午後、帰国の予定だった・・・。こうして幸運はつゆと消えた。ちなみに特賞は「グアム旅行」・・・。でも・・・二度目のグアム旅行を私は心置きなく楽しんだ。PS:長女はプチ運が強い♪♪♪(消えた一等賞でも強いと言えるか疑問だが)くじ引き、懸賞、必ず何か持って帰ってくる。醤油、お菓子詰め合わせ、スープ皿セット、アトラクション券、ランチペア券etc昨年は甲子園入場券も!この頃、阪神タイガースは連敗していた。しかし、この日(娘と二人で行った)16-1と大勝したのだった(^o^)/彼女は甲子園へは数回しか行った事がない。が、いつも勝ち試合だ。何度も足を運んでいた息子が勝利の「六甲おろし」を歌えたのはまれだったというのに・・・。
2005年05月26日
コメント(6)
グアム3日目の朝、ベッドに寝そべっていると前の海にイルカ・ウォッチングの船が停泊していた。もう後はショッピングセンターへ行ったり街を歩いたりで過ごす。私は何よりビーチでのんびりしているのが最高の幸せだった。幸いお天気には恵まれていて一度だけ強烈なスコールに見舞われた。なんとも表現しがたい蒸し暑さの中、気持ちいいほど降ってくれた。夕食といえば、サービスに出てきたタマネギのリング揚げが美味しくておまけに量が多く、それだけでお腹が膨れてしまったのに出てきたスペアリブの半端でないボリュームに3人とも青くなった・・。しかし、これが美味しい! 苦しい~苦しい~を連発しながら食べきってしまった・・・。食べ過ぎたので歩こうと、ホテルまでの道、タモン湾のメインストリートをブラブラとする。星が一杯見えるけど、暑気の為かぼんやりとしている。南十字星はあれかな?と見つけたけど、まぎらわしいのもあるらしいので確信なし・・・。歩いている人事態少ないし、23時にもなるし大丈夫なのかな?と思いながら夜を彩るイルにネーションに誘われるまま歩き通した。クリスマスにはもっと豪華になるのかな?3人の初めての3泊4日の海外旅行はこうして終わった。なんとも言えない「夢」を心に灯してくれた南国の4日間だった。そして一年後、やはり3人で囲む食卓で・・・「グアムは楽しかったね~」「まさか本当に行けるとは思わなかったな~」等々、思い出話に花が咲いた。本当に楽しかった。日常から離れた日々の快感!!「今年も行こうか!?」・・・私は、口に出してしまったのです・・・。
2005年05月25日
コメント(0)
☆イルカ・ウォッチンググアム2日目の朝、「イルカ・ウォッチング」へ。ロビーへ専用バスがピックアップに来た。さあ、乗ろうとした時、チケットを忘れた事に気が付く・・・。部屋に取りに戻ると10分近くは遅れてしまう・・・あ~ドジ!!!運転手さん「いいよ、なしで。大丈夫だから」と、・・・。そんな雰囲気(――;)途中、バスを乗り換える時も何だか「あのお客さん3人ネ・・・」と引き継いでくれているよう・・・甚だ不安の中、桟橋に着いて乗船となった。ほっとした私である。姉弟の目が冷たい・・・。 天気は上々、ほどよい波に乗りグングン沖合いへ、 そして遠くにイルカの群れが確認出来た。ゆっくりと近づく。 イルカの方から船に近づいてくるよう・・・。 3頭ほどが観客あるのをよろしく、ジャンプを披露してくれる。 2度3度、まるで拍手を催促するかのよう^^。 船に沿って泳ぎ船底を抜けていく。サービス精神旺盛なイルカ達。 エメラルド色の中、メノウのように輝きながら横切ってゆく。 やがてイルカ達が遠ざかるのを潮にそこを離れた。 そして船はなんと、ホテルニッコーの沖合いでエンジンを止めた。 ここでシュノーケリングを楽しむのだ。乗客達はロープに繋がれて (笑) 海中散歩。私も飛び込みたかった!しかし自粛・・・残念・・。 二人とも珊瑚のきれいな水中に感激した後、 お昼頃、ホテルへ帰着となった。 午後からはホテルのプール&プライベートビーチへ。 珊瑚礁上のビーチは潮が引くと潮溜まりに残ったところは まるで熱湯状態だった。 よくこれでお魚や蟹が煮えてしまわないものだな~。 浅いものでズンズン沖合いまで行きそうになって 「ピ~ッ」と監視員のお兄さんに止められた。 珊瑚礁の向こうに落ちたら二度と上がって来られないよと・・・。 ビーチパラソルの下、大変優雅な気分で寝そべる。 「ん~~、天国♪♪」 ☆「ゾノ&ヒデ」 夕方、又街へ出る。色んなお店の客引きが声を掛けてくる・・・。 ん?あるお店の前に大きな横断幕!! 『前園も中田も大満足!当店の射撃!』 私は思わずミーハー心を出しかけたけど、ぐっと押さえた。 興味を示す息子を無視して通り過ぎる。 もう一度振り返りながら・・・。 後でイタリアへ行く前のヒデがゾノと自主トレを グアムでしていた記事を読んだ。 そのゾノ、前園もついに引退・・・。私がサッカーにはまり込んだ頃 彼の姿はすでに日本代表にはなかった。 漠然と又いつか二人は一緒にプレー出来るかなと思っていたけれど・・・ グアムの暑気を思い出す時、なにかしらホッと心によみがえる。
2005年05月23日
コメント(2)
さて、飛行機はグアムの空港に無事着陸した。ドアの横に坐っていた私達は自動的に一番早く降りる事になる・・・。前に人がいない!ついて行く人がいない!!すべて手荷物だったのでそのまま恐る恐る、でも平然(したふり)と進んだ・・・。トイレを見つけた!広い場所だが人っ気がない。そしてドア、しきりとも床から30cmほど空いている!そりゃ、使用中なのが人目でわかるけど^^;落ち着かないよなあ。日本人の美意識?には馴染まないヮ ~~~この式のトイレはフランスだかスペインだかの 空港でもで出合った。好きになれないョ~~~~やがて広い所で行き止まり!?となり、え、っと思ってたら自動で壁が動いた・・大きなドアだった。 ~~~何もわからない当時はそう思ったもの。ただの出口 なんだけど・・・~~~~乗客皆が出揃うまで結構待たされて、やっとホテル別のバスに案内されたのだった。着いた所は「ホテルニッコー」すべてオーシャンビュー!!この言葉の響きの心地よい事この上ない^^鶴(JALだから?)の翼を広げたような部分の8F、長い廊下が曲線を描いており窓際を歩いていても体が壁際へと傾いていく気分・・・船酔いしそうな思いで部屋にたどり着く。南国気分を盛り上げてくれる調度品、バルコニーからの大海原。一通り部屋を探検すると、まだ昼間!街へ出かける事にした。市内を走る赤いバスを自由に乗れるパスが付いていたのでそれを利用。滞在中何度乗り降りした事か^^。早速、見つけた店へ入る。何の事はない「ケンタッキー・・」グアムまで来て・・・クゥ夜は本で見たレストランへ行く事に!名前と人数と伝えて怪しげながら予約を入れる・・・。さて、席に着いてオーダーが一苦労!と思っていたら息子がボーイの問いかけに何なく頷いて注文をしている。「あんた、英語わかるの???ウソ!?」 ~~英語通知表何点だっけ??~~この時から私は初めて彼を頼りにし出したのである。英語のテスト、半分あれば奇跡!という子だ。ただヒヤリングだけは出来たらしい。この時の私と娘の尊敬?の眼差し!以降、彼は英会話に興味を持ち、アメリカ人の友達が出来、アメリカ旅行へと繋がっていった。ただ、ペーパーテストの点数が上がる事はなかった・・・。この時のメニュー、パンをくりぬいた中にシチュー!美味しかったなあ^^ホテル近くまで送ってもらい、ムウっとした暑気の中南国の夜を彩るイルミネーションが気分を高揚させてくれる第一日目だった。
2005年05月22日
コメント(2)
☆海外に目覚めたきっかけその頃、私の体調はきわめて悪かった・・・大体病院嫌いの私は薬を飲む事もまれ。主人は単身赴任で留守の中、子供達と3人での食卓を囲みながら・・もしこのまま私がいなくなったら・・その頃はマジ、思ったのです(笑)そうだ!思い出作りだ!と突然夕食時、「グアムへ行こう」と、切り出した。何故グアムだったか覚えていない、多分一番安いと思ったのかもしれない。びっくりしたのは子供達。「え、マジ!? お金は?」「なんとかなるさ!!」さあ、それからまずパスポート申請(これがないと旅行カウンターで受け付けてくれなかった)希望出発日までギリギリだった^^;職場にお休みを強引にOKもらって。その上、いよいよ体調悪く、ついに医者へ行き、診断書をもらって一週間も休んでしまった・・・(すみません)8月の初め、一番高い時期は避けての出発だ。高校2年の姉と中学3年の弟はあっという間に迎えた日本初脱出の日、キツネにつままれたような面持ちだった。緊張しながら、関空に着いたのはギリギリ・・H交通社の人が不安気にチケットを持って待っていた。「人の流れに沿って進めば大丈夫ですから~~」と見送ってくれた。しか~し!人がいない!「流れ~」って・・(汗)当たり前だった。この頃1ドル140~145円・・・。そんな事もわからず、突進した計画だった。今なら人の流れの中で何の抵抗なく搭乗口まで行くけれどこの時は親子3人、少ない旅客の行動を観察しつつ、緊張の内に飛行機の座席にやっと辿りついた。座席は非常口の所で見るからに初心者家族に、前に坐ったパーサー&スチュワーデス(当時はまだこの名称)が「今、下は熊野川だよ」とかやさしく相手をしてくれた。3時間のフライト後、この時期天候はよくないらしいが「今は晴れですよ」という案内に姉は緊張し、弟はソワソワと着陸態勢のシートベルトを締めた。「お父さんは?」お盆の頃の休み以外取れないので残念ながらお仕事です・・。
2005年05月21日
コメント(2)
新しい職場で皆さんが集う声を背に私は黙々とパソコン入力に励んでいる。時々、その日のカリキュラムの音楽等に同じように聞きいって手が止まる事があったりするけれど・・・。ここは介護施設のリハビリテーション。この日は参加されている方が特技の三味線を披露されていた。気持ちよさそうに昔取った杵柄、歌も出て段々皆さん乗せられていっていた。その後の聞こえてきたおしゃべり・・・。「Aさんはいい人生、生きてきたね・・いい趣味持って。私だって習おうとすれば出来たと思うのに何の趣味もないまま歳いってしまった・・」「今さら悔いても仕方ないけど、人生の楽しみ方が違うだろうね・・」思わず考えさせられる人生の先輩達の述懐だった。
2005年05月20日
コメント(2)
今もスペインの事が頭を去らない。ほとんど知識なしで行ってしまった彼の国・・・。知識?があったのはリーガ・エスパニョーラと美術館の事ぐらい・・・といっても浅い知識だが^^;何も知らないで感銘を受け、心に強く残るっていう出会いも素敵だなと思う。でも少しでもその国の歴史がわかっていればより受ける感動も深かっただろうな、と・・・。しかし、書店をのぞいても中々ないのである。スペインに関する本が。フランスなら私でも少しの時代の歴史を語る事が出来る。イギリスもリチャード一世やエリザベス等映画も多い。バラ戦争等書物でも見る事が多い。イタリアもオーストリア、ロシアもしかり・・・。陸続きだから一国だけの独立した歴史なんてない。ヨーロッパ中、王室の政略結婚も含め縦横に絡んでいる。 ラス・メニーナスそれが面白くって興味惹かれるのだが、部分部分を (女官達)結ぶのが大変でいつも未整理のまま過ぎてしまう。しかしそこに「時の神聖ローマ帝国の皇帝カルロス一世は・・」と脇役扱いでしか登場してこないのだ。なかなかメインとしての読み物に巡りあえない。図書館や大きな書店まで行かなければならないようだ。美術館で見たベラスケスの絵画の背後のエピソードに触れてみたいと思う。イザベラ女王とマルコポーロぐらいしかわからない私は今、地中海を挟んでのキリスト教とイスラムの世界との攻防にも興味がわく。グラナダの風景が私を誘う・・・。
2005年05月18日
コメント(3)
青によし奈良の都に咲く花は 匂うがごとく今盛りなり何もしないまま過ぎ去ってしまった今年のGW。一日だけ、らしく過ごした。友人が東京からたまに帰阪する。と、必ず奈良へ行こうという事になるのだ。もう明日香村を歩きまわる元気はお互いないので結局奈良公園界隈となる・・・。相も変らぬ3名で雑踏の為頭が痛くなる『難波駅』で待ち合わせて20年一日のごとく奈良へ出かける・・・GWに相応しい快晴で暑い!当たり前だが大勢の人、人、人!足の向くまま「新薬師寺」の階段を上がっていた。光明皇后が聖武天皇の病平癒祈願の為に建立されたとか。やっぱり「12神将」であ~だこ~だと盛り上がる。何度か訪れているのにすっかり忘れているのだ。夫々の干支に合わせての神将の名前を再度つぶやく・・・今度こそ忘れないように・・・友人など写真まで買い求めていた(笑)私の神将は「真達羅」シンダラー 何度か繰り返している内にちょっとイントネーションを変えたら・・・ん~ちょっと??? まあ、漢字で覚えたらいいんだけど・・。公園内の樹々に山藤が今、盛りだ。青空に向ってグングン延びてゆく枝々にこれ又負けじと藤が蔓を伸ばし絡みに絡み付いてゆく。そして勝ち誇ったごとく紫の花房を垂らす・・・。ふっと「源氏物語」の女人達を思い出した。光源氏に絡み、怨念のごとき恋の駆け引きをめぐらす女ぎみ達。いや、奈良での時代でも「君」をめぐる凄絶な女の争いが繰り広げられた事だろう。そんな「情念」を感じさせるここの盛りの山藤だった。 昼食に奈良ホテルへ、と思っていながら途中の小さな店に 挫折?した。戸を開けて・・・3人目を合わせた。 「大丈夫かな?」薄暗く営業してるの?って不安・・・。 しかし、多分私達が今日初めての客だろうなって感じながら 面白い所だった。暑くて疲れていた私達はビール大2本空けて 定食がテーブルに載るのが遅くっても気にならなかった^^。 壁にやたら芸能人らしき写真やサインがあった。 ???だったけど、沖縄の話も出てたが気持ちよく酔って 覚えていない。 後から入ってきた人達、先客がいてほっとした事だろうな。 そば(おいしかった!)の上にあしらわれた海草らしき物、 「海ぶどう」って・・。めずらしくって気に入ってしまった。 沖縄ならよくあるものらしい。おいしかったよ。 又、奈良へ来たらここに寄りそうだね~と。安かったしね~。 一つ発見を加えて今年の奈良はこうして終わっていった。 又来年かなあ~~。
2005年05月14日
コメント(2)
スペインの思い出を書き終えて・・・ 夢から醒めたように現実が襲ってきた。 旅行出発前日まで仕事をし、帰国後翌日出勤した。 その間の仕事をまだ不慣れな私は髪振り乱す思いで こなした・・・失敗も一杯だ。 落ち込んでいる暇もなかった。 落ち込みそうなっても頭はまだスペインの余韻のままで ウツになる気配もなかったけど^^; 今、やっと落ち着いてきて仕事の段取りも見えてきた。 上司氏が不安そうだったけど・・・何とかなるさ!と私。 息子が初めての給料日、普段よりもちょっと早く、 シュークリームを手に帰宅した。 さすが、うれしそうだ^^。上司にお土産を買うように 指示されたとか^^。 この一月で頬も少し痩せてきた。やる気満々だったけど 段々現実が見えてくる頃だろう。 ガンバレ!これからだから。 5月!すべてが明るく活気づく季節ではあるけれど 人の営みの中で坂道を前にふっと溜息をつく頃でもある。 スペイン現風景
2005年05月12日
コメント(2)
マドリーの夜が更けると共にこの旅の終わりが近づく。 初めて出会った方々と深夜まで駆け回った事、 ひょっとしていつまでもこんな日々が続く?ような 錯覚さえおこしそうな非日常な数日・・・。 感傷に浸っている暇なくエール・フランス国内便で フランス語を聞いていた。 この時、夢のような日々が遠ざかる事を実感した。 フランス語にはとても違和感がある。 イタリア語(理解出来ないが)に耳が馴染んでいるから スペイン語は自然に耳を右から左へ流れていった。 しかし、フランス語の発音が全くわからない私は エンストをお越しそうになる・・。 以前は仏映画を背にしているような気分だった。 しかしサッカー日本代表の前監督、あのトルシエ氏の 顔を真っ赤にしてまくし立てている姿にお付き合い? している内に拒否反応を示してしまったのだ・・・。 ひとつの旅が終わると心に刻んだ感動も感傷も やがては忘却の彼方へ霧のごとくかすんで行く。 今、書くことによってもう一度旅に出たような錯覚を 感じてとても楽しく、又、刷り込む事によって 次へと夢をつなぐ・・・。 ただツアーだからあまり現地の人々との接触がなかったのが 残念だった。 スペイン語の単語も少し覚えて行ったのに・・・。 とっさに出るのがイタリア語・・よく似ているんだもの。 追記:マドリー最後の夜のオプショナルツアー「闘牛」に 参加した方の感想を飛行機の中で聞いた。 あんな残酷なショーとは知らず・・とショックを受けたと。 あるカメラマニアの彼女は最初泣きながらレンズを覗き、 しかし、2頭、3頭と進む内に妙に快感を感じ出し・・と 恐い感想を述べていた・・・。 半分以上の方が参加されていたけどマタドールの華麗な マント捌きぐらいしか認識なかったとの事。 だから皆、あんなに楽しみにしていたのね・・・。 (アランフェス)
2005年05月11日
コメント(2)
☆アランフェスマドリーに入る前に訪れたのは王宮の別荘、アランフェス。のびやかな庭と華麗な室内。しかし壁に掛かる絵の多くが「作者不明」との事なのだ。何故か!あのナポレオンがスペインにも侵攻して絵画等を略奪していったというのだ。その後、こうであったろうとの復元の為、絵が又飾られたらしい。ロシアを蹂躙していった事は「戦争と平和」で知っているけれど。そう聞くと、今ある調度のどれだけが当時のものだろうかと考えてしまう。「アランフェス協奏曲」あの切ない旋律がエンドレスで私の脳裏を流れていく・・・。 ☆マドリー 最後の一日は美術館めぐりで!とオプショナルツアーは 一切申し込まなかった。 まず、プラド美術館! 見知った絵も多い。ゴヤ、ルーベンス、 ベラスケス、とりわけベラスケスの「ラス・メニーナス」は ピカソのキュービズム化されたものを見たので興味深い。 ここでも広くてとても見きれない。 「ソフィア王妃芸術センター」での目玉は「ゲルニカ」 いつの間にかピカソに魅入られている私。 そして午後、トレド観光へ行く方達と別れ、昨晩のサッカー観戦組は 又、「サンチャゴ・ベルナベゥ」へ。オフィシャルショップが目的。 タクシーで行き、戦いの後のスタジアムを覗く。ショップは意外と狭いが 記念写真も撮って皆満足気^^ その後、二手に分かれてプラド美術館前で集合を約束・・・。 日曜日は無料なのでもう一度入ろうと・・・。 ところがもう一組が中々やってこない。私と兄弟くん達は 段々心配になってくる。 T/C氏に散々脅かされていた。首絞め強盗や凶悪事件・・ 半分冗談ながら1時間過ぎる・・。 携帯電話に慣れてしまった現代、どうする事も出来ず待つなんて本当、 久しぶりの経験だった。 その間、弟くんは大学の事や兄弟の事、色んな話をしてくれた。 なんていい青年!! 彼等のお母さんはトレド観光へ行っている。 やっとハネムーナーさんとKさんと合流。散々道に迷ったらしい・・。 とうとうプラド美術館へ再入館は叶わなかった。 余すは1時間弱!私のもう一つの目的「ティッセン・ボルネミッサ美術館」 ここにもピカソのピエロがあるのだ。 Kさんと二人で18時の集合時間まで出かけた。元は個人所蔵の美術館 ながらかなり広くてたくさんの有名な画家の絵! ここでも駆けずり回ることに・・・。そしてやっと「鏡を持つピエロ」の 前に佇む事が出来たと思ったらもう時間が・・・ 若いピエロのたゆたう眼差しがいとおしい。 後は時計と睨めっこしながら急ぎ足で絵を確認?して周った状態・・・。 にわかな通り雨の中、18時!と叫びながら又も走る! まったく走ってばかりだ。 そして又プラド美術館前! ところが誰もいない、いない、いない! 雨宿りする事30分、T/C氏が息せき切って走って来た。 トレド観光のバスが渋滞に巻き込まれ「待たせてごめ~ん!」 と一人先に走ってきたとの事だった。 治安が悪いだの、スリだの心配している暇のなかったマドリーの フリータイム! 気まぐれな雨が通り過ぎた後に鮮やかな虹が掛かっていた。 歴史ある風格を持ったヨーロッパらしい古都、マドリー!素敵だ・・・。
2005年05月10日
コメント(2)
☆サンチャゴ・ベルナベゥ この旅行日程を決めてから、マドリーが土日、 そしてレアル・マドリーの試合がホーム開催と わかった。見られるものなら・・・ でも土曜日、夜10時からだった。 とても無理と半分諦めていたら、ホテルから近い! それにしてもスペイン人の夜は長い! イタリアでは遅くても8時半だ。 その上スタジアムが市街地にあるのである。 バスの中は騒然となった^^; T/C氏急遽、現地知人に依頼してチケットを 確保してくれた。 ホテル到着9時半、そして部屋へ荷物を放り出して スタジアムまでダッシュ!!! そしてバックスタンド真ん中最上段まで一気に 駆け上がった・・どこにそんなパワーがあったのか。 8万人は入るスタジアムはほぼ満席。2位3位対決 対ビジャレアル戦だ。 鮮やかなグリーンの上に選手達が駒のように動く。 そのままですぐわかったのはジダン、ロナウド、ロベカル(笑) 後はオペラグラスで確認(用意のいい私^^) 少し華奢にみえたのはベッカム、オーエンもわかりやすい。 しかしPKを取られて1点先制される。審判に対して 耳をつんざくブーイング! そしてレアル応援団はシーンと静まりかえってしまった。 イタリアと比べて非常におとなしく感じられた。 あちらが異常か・・・。 しかしグティ、フィーゴが入って流れが変わり2-1で 勝利!! グティよかった!! 皆の大歓声の中、私達ものんびりとスタジアムを後に する事が出来た。 もうとっくに0時を過ぎているというのにまるで 6,7時頃のように人々は談笑しながら歩いていく。 我等、ハネムーナー1組、兄弟1組、おじさん、そして おばさん2名(含私)も和気藹々とホテルまでそぞろ歩きを 楽しんだ。 スペインでホテルへの帰着が0時を過ぎるのは三晩目だ。
2005年05月09日
コメント(4)
☆セビリア~コルドバこのグラナダからコルドバへの3日間は本当に私の描くスペインを満喫させてくれた。かの女王イザベラが自ら選んだ夫、フェルナンドと共にイスラムから奪え返したこの地、(レコンキスタという言葉を何度聞いた事だろう)イスラムのモスクを壊す事なくキリスト教会が共存している。よくぞ、残してくれました、とお礼を言いたいほど・・。二つの今も相反する世界がここで見事に共存している。まったく違う世界からの来訪者の私などはただ、ただ美しさに引き込まれる。コルドバのメスキータ、モスクの中に華麗なカテドラルが存在する摩訶不思議さ!アフリカをすぐ望む南スペインのらしい歴史を感じながら後、マドリーへの列車の旅を残すのみとなった。 (セビリアのディナーショー) ☆ツアーというもの ツアーに初めて参加した。ほとんどがリタイア後を楽しんでおられるご夫妻。友達参加やご家族、一人参加は私を含め6名もあった。色んな方とお話する楽しさ。気楽さ、これは病みつきになりそうな予感多いにあり。ご夫妻の場合、ご主人はお仕事でよく海外へ行かれたが停年後、奥様に見せてあげようというお気持ちからとか。「罪ほろぼしよ、きっと」と笑う夫人・・・。我が家ではああはなるまい・・・。コルドバからスペインの新幹線に乗ってマドリーへ。かの「アトーチャ駅」。同時爆破テロがあった駅・・。ものすごくチェックが厳重で、空港並だ。マドリーでは密かな望みがあった。ダメ元の・・・。セビリアでもスタジアムを見かけた。数名が声をあげたっけ^^ ~~~おお!同志よ~~~と、ホテルへ向う途中、見つけてしまったのだ(ワオ~)『サンチャゴ・ベルナベゥ』!!!レアル・マドリードのホームスタジアムだああああ~~
2005年05月08日
コメント(0)
☆アルハンブラ宮殿の想い出 小高い丘のつわものどもが夢の跡。 そしてはるかアフリカの砂漠のオアシスを模した 中庭・・・。 ここは灼熱の砂漠ではない、穏やかな 大地。でもイスラムの王は砂漠の宝石、 オアシスを思い、オアシスに準えて 王宮の庭を造った。 壮大なゴシック調等、キリスト教文化を 見慣れてきた目にはなんと優しく 穏やかなんだろうと・・。 ここはハーレム。王妃はここから出られない。 唯一の女性とされても憂鬱は晴れなかっただろう。 信じられない人数の後宮のその他の女達・・。王と出会うのはただの 一度っきりであったり・・ 後、死が待つのみの彼女達の嘆きはどこへ封印されたのか、 静かに美しくやさしい色を漂わせている今のアルハンブラ・・・。 ☆コスタ・デル・ソル(太陽の海岸) マラガの港から地中海へ乗り出した人々はエル・ドラードに たどり着けたのだろうか? 早や、真夏のごとき大きな太陽を浴びて小高い丘の街 ミハスの白い壁は輝く。 はるか地中海を望む時、アフリカが蜃気楼のごとく眺められるという。 私の目にはどこまでも青い海と空が続くのみだった。 地中海の向こう、そこはまったく別世界。 気候は激しく、灼熱の大地、砂の大平原・・・。 ほんのそこなのに、人も空気も何もかも違っている。 だから、命掛けで渡ってきたのだ。今もなお・・・。 アフリカ・・・遠い大陸、でもほんの向こう!行ってみたいなあ。
2005年05月05日
コメント(4)
☆グラナダ サクロモンテの丘夜、ホテルへ荷物を置くと希望者だけマイクロバスへ。市街地を抜け、狭い坂道を慣れたハンドル捌きで登って行く。着いた所はジプシー達の丘、サクロモンテ。15世紀、イスラムの支配地だったこの地をキリスト教徒が奪い帰す際に功績のあったジプシー達に永住を許可した丘との事。 それまで彷徨える民族だったジプシー達はこの丘の 洞窟を住居とした・・・。 今もびっしりと寄る家々、屋内は洞窟の名残が残るそうだ。 その洞窟住居でジプシー達の「フラメンコ」があるのだ。 せまい洞窟の両サイドに観客用の椅子が並ぶ。 T/C氏曰く、「ど演歌のフラメンコ」の始まりだ。 咽ぶようなギター、大きく岩に響く靴音!情念を起こすように 高鳴る弦の響き、情熱の黒い瞳で見据える踊り子・・・。 後でツアーにセットになっているフラメンコショーとの 違いは見ずとも想像出来る。 ドロ臭い、民族のニオイ・・・。背後にこの人たちの 背負ってきたものがおぼろげながら感じられるのだ。 小1時間、ショーは終わった。狭い穴から外の夜気が快い。 坂道をそぞろ歩き、見晴らしのよい所でしばし夜風に吹かれる。 向こうの丘は明日訪れるコースの「アルハンブラ宮殿」。 ライトアップされ、幻想的に闇に浮かび上がっている。 時間はもう0時をまわっていた。しかしまだまだ大勢の人々が 幻想のような風景に見入っていた。 よく「宝塚」の舞台にジプシーが登場する。 必ずネガティブに描かれ、しかし主人公を助け話を膨らませる 役割だ。どこから流れて来たのかわからないとされ、彷徨う 人々だ。 最近、西アジアあたりからの流民とわかったらしい話を聞く。 今も色濃く残るジプシー達のめずらしい定住の丘は私の 心に強く焼き付いたのだった。
2005年05月05日
コメント(2)
☆イベリア半島大移動~~~ バレンシアからラ・マンチャそしてグラナダへ (約585km)ピカソを見ることが出来、ひとつほっとした私は今夜の宿泊地、バレンシアへの長距離移動のバスに身を委ねていた。見渡す限りオリーブ畑が延々と続く。旅行会社企画担当者の日程内で可能な限りスペインを見せてあげよう!という、熱意が伝わってくる行程だ。 ~~~超ハードだあ~~~ バレンシアからオレンジ畑に変われど延々と続く果てしない 道を行くとラ・マンチャの荒涼とした中に童話の絵のような 風車が浮かぶ。どこまでも伸びやかで快い風景・・・。 農家の納屋を利用したかのような趣のあるレストランでの 昼食。青い空、白い壁、ライラックの花、すべてがくっきりと 美しい。企画担当者さんありがとう・・・? バスの中、添乗員M氏(以下T/C氏)スペインの歴史、 特にイスラムとキリスト文化の講義を始める。 その国の歴史を知らないと楽しめないと確信している私は 耳を傾ける。今回は予習出来ずに来てしまったから。 (イタリアへ行く時は塩野七生氏の本を読み漁ったというのに) しかし車内は静まりかえっている。疲れた身には ほどよい子守唄なのだ。高校の午後の授業みたい・・・。 そう伝えるとT/C氏、想定の範囲内だと笑った。 歴史大好きな私まで心地よい夢の中・・・。 もうグラナダに入るという頃、T/C氏お奨めの夜のツアーが あると言う。 ホテルに20時頃着いて22時からのOPにしっかり参加した 私だった・・・。目はバッチリ覚めていた。
2005年05月04日
コメント(0)
☆ピカソ美術館☆ バルセロナ何故こんなつらい思いをしなくちゃならないんだと思う事がある。しかし、やがて時がさしたる事ではないと教えてくれる。あるサイトで美しい言葉と共に添えられた「坐るピエロ」を見てその瞳の深さに惹きつけられた。そのすべてをのみ込んだかのような瞳は悲しみに憧れる幸せ者の心を揺さぶる。理屈はいい、今は「ピエロ」を追ってゆこう。Nakataのサッカーが見たくてイタリアへ行ったように・・所詮、観客席なのだから・・・ 路地の奥にそれはあった。 本で見つけてたまらなく見たくなった「アルルカン」 ニューヨーク近代美術館に所蔵されているという「坐るピエロ」と まるで同じ瞳を持つ・・・。 青の時代のピカソの自画像も又同じ眼差し。 ではピエロもアルルカンもピカソ自身・・・? 時間がない!ガイド嬢が主な絵を案内してくれる。 私の目的は唯一つ! 案内された中にない! 心が焦る 時間がああ・・・ 「アルルカン!!」と叫ぶ?私に係りの女の子、メモを示す。 「右」って書かれていた。「Gracias!!」 その部屋は静かで若いアルルカンの瞳はやさしかった。 いつまでも佇んでいたかったけど・・・・。 もう一度係りの女の子に「Gracias!」と手を振って バスに飛び乗った。 又、訪れる事があるだろうか・・・。
2005年05月02日
コメント(2)
乗り継ぎでまずパリ、ド・ゴール空港に到着。ここからスペインへは国内乗継となるそうで入出国はフランスとなるとの事。わ~、パリだ!と思う暇なしで即国内線搭乗口まで移動・・・。ここで入国手続きだが、団体一行は流れ作業、えッスタンプは?パスポートもチラッだけ・・・。「スタンプ!!」って教わった言葉で皆口々に言うも無視(-_-;)日本人はなんでスタンプを欲しがるのか!理解出来ない!との事らしい。そりゃ中高年(若干若者含む)のツアーだよ~記念がほしいの!結局皆のパスポートには日本国出国、入国の印のみ。これじゃどこへ行ったのかわからな~い!やっぱりおフランスは印象が悪い(-_-;)空港のみだけどネ慌ただしく国内便にのって軽い夕食?を食べて~~~これが塩からくあまり美味しくなかった~~~夜、バルセロナ着。ふ~、やっとだ。 一日目 ☆バルセロナ☆ここはガウディに尽きる!「サグラダ・ファミリア教会」1882年から始まった建設、いつ完成ともしれない建造物。ラテン系国民だからのんびり、ほとんど休みながら造っているのでは?と思っていたが・・・失礼しましたm(__)m皆さんしっかり作業されていました。表は(写真等でも)歴史を感じさせる趣ですが、現在進行形の部分はしっかりコンクリート!きれいな白の曲線が美しく、どういう風に既存の部分と融合していくのか興味を感じる。あ~あ、完成は見られないよね・・・。「15分で登れますよ」とのガイド嬢の言葉を信じて挑戦!でも細い階段は混み合い、30分もバス出発時間オーバー・・・^^;でも15人も仲間がいたので強いものさ(^o^)/でもお蔭で私のこの旅の主たる目的の「ピカソ美術館」の時間が短くなってしまったあ~~~。バルセロナはバス車窓からもあちこちにガウディ作品あり。グエル公園も素敵だった。陶器のかけらで建物やベンチが造られている。なんとも温かく夢のある空間だ。こんな所で子供達を遊ばせる事が出来たら、又恋人同士が語るにもなんとふさわしい場なんだろうと感じた。ガウディさんは柔らかく温かい・・そして壮大。ちょっと岡本太郎氏を思い出した。影響受けているのかな?スペインらしい路地を入って念願の「ピカソ美術館」へ!時間が・・・私は恋人に逢いに行くような思いで胸がせわしくなる・・・。
2005年05月01日
コメント(4)
全21件 (21件中 1-21件目)
1

