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terunt @ Re:久、久 、久々に(01/08) ボクがいつも気にかかっているのは世界平…
2006年03月11日
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カテゴリ: 友情論
俺は元々は乗っかり系の人間。何かを企画するってことは無いことは無いけど誰かにやってって言われたときくらいしかやらなかった。
でも大学三年の時に「お前は結局ここ以外居場所が無いから戻ってくると思った」って言われたことをきっかけに一念発起。色々考えてみるようになった。
当初はタメが卒業の年だったんでそいつとそいつの友達を中心に温泉やらギョーザやらやってみたがそこで企画の面白さにはまってそれ以来都留でもちょこちょこやるようになった。でも俺の企画は自分でやってても何か息苦しい部分がある。時間に来なかったり、ドタキャンされたりと思う通りにいかなかったりするとイライラしている自分がいた。当時同じ企画屋だった友人がいた。そいつはそういったことには拘らない奴だった。そいつを見て気がついたのが
「俺は自分の企画を『やってあげてる』と思ってる」
ってことだった。そいつは何より自分が楽しむためにやってた。だから誰も来てくれなければ別だろうけど誰かが来てくれれば時間とかはあまり拘らない。でも俺は参加者のためにやってる。そうすると誰かが来なかったり遅れたりすると
「お前の為にやってやってるのに遅れるってどういうことだ」
って感じになってしまう。しかし参加している側からすれば俺の企画はあくまでone of them なわけで、それなのに窮屈に縛る俺がいるって所に問題があったって気づいた。でもこの発見は同時に
「俺にとって人間関係は『友人』か『他人』かの二者択一」
に軋みを生じさせた。俺にとって友人は簡単な存在ではない。ある意味では自分より大事な存在だ。でもそんな奴らの行動に注意したりすることが、要求したりすることが「俺のため」になってる場合それは単なるエゴに過ぎない。そこで『友人』の上に『かわいい後輩』(今友人はほとんど後輩だから)を作って

「『かわいい後輩』であっても価値観が違う場合はお互い不幸にしかならないから『友人』に変えよう、そうしないと一気に『他人』にまで落ちてしまう」と思った。
それ以来色々楽にはなったが、やっぱり『かわいい後輩』を『友人』に変える時はすっごい悲しい。こいつとはもう色々話したりしないようになるんだな~って思うと残念でしょうがない。
全ての人間を「友人」と捉えることができたらこんな苦労は無いのだろうか。





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最終更新日  2006年03月11日 08時42分02秒
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