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terunt @ Re:久、久 、久々に(01/08) ボクがいつも気にかかっているのは世界平…
2006年08月16日
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結論を出すのが目的の話し合いとコンセンサスを得るための話し合いは全く違う。「理」が正しくても相手が納得するとは限らない。第一「理」自体に個人差があることが多い。

残念ながら今まで後者の話し合いをする機会があまりなかった。勿論自分自身が求めてこなかったことが主たる原因だが

最近弟も交えて話す機会がよくあるのだが、ちょっと偉そうに言わせてもらえば弟は大学四年間で本当に成長したと思う。大きな大学の自治会に所属し、そこで真剣に仕事をしてきたことが最も大きな理由だろう。あれだけ大きな組織は「理」だけでは通らない。むしろ主が「妥協と協力」、「理」は従なのではないだろうか。

親父と話すといつもお互いヒートアップする。その理由は「いつまでも俺を『子供』と考えて話すから」。俺はこれに対して違和感しか持てなかったが弟からすれば「子供はいつまでたっても子供にしか見えないということもある」そうだ。

なるほど、それは俺の「理」からすれば正しくは無い。が、現実にそういうことはそこここで見られる。そういったことを飲み込みながらどう考えていくかが大事。

下に兄弟がいる男性の多くには分かってもらえると思うが弟には「絶対負けたくない」。だが、むしろそう思うこと自体が既に「負けている」のではないだろうか。学生のように一律の基準で人間を計ることからはもう卒業だ。これからは「器」という不定形で不明瞭なものでお互いを見ることになる

「過ちを改むるに危ぶむことなかれ」

好きな言葉の一つ。俺は基本的にこれを相互的なものとして捉えてきた。だからこそ相手を指摘し、相手に指摘されることを求めてきた。だが、「これはもしかしたら自分にだけ向けて使う言葉なのかもしれない。」そう考えたら一つ面白くなった

だがトンがった部分も懐に隠してはいたい。多分これが俺の本質であり、本音であり、本性だから。






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最終更新日  2006年08月16日 20時10分38秒
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